テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1220話】「諦めの悪さ」 2021(令和3)年11月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1220話です。

 1999年4月に西武の松坂大輔投手がプロデビュー2試合目で、ロッテの黒木知宏投手と投げ合って、0対2で惨敗を喫したとき、「次はリベンジします」と言いました。私はその時初めてリベンジという言葉を知りました。そして、6日後再びロッテの黒木投手と投げ合って、1対0で完封勝利を果たしました。その有言実行により、リベンジという言葉は市民権を得ました。事実その年の流行語大賞に選ばれています。

 リベンジは再挑戦して勝つぞということでしょうが、復讐とか報復という意味合いも含まれるため、スポーツで使うのは相応しくないという人もいます。しかし松坂投手は、確固たる自信があったからこそ、敢えてリベンジと言ったのでしょう。更には当時オリックスのイチロー選手と初めて対戦したとき、3打席連続三振を奪いました。そして言いました。「プロでやれる自信から確信に変わりました」

 その確信は日本のプロ野球では、高卒新人で3年連続最多勝や、大リーグでもワールドシリーズで、日本人選手初勝利を挙げるなど、輝かしい成績をもたらしました。しかし現役生活23年のうち、後半10年程は怪我との闘いでもあり、芳しい成績は残せませんでした。とうとう今季限りでの引退を表明し、10月19日現役最後の登板をしました。打者1人を相手に5球を投げ、フォアボールでした。最速は118キロで、往年の面影はありませんでした。

 「平成の怪物」とまで称された野球人生の陰りを、誰も見たくはないはずです。しかし、彼は故障でどん底を這いつくばりながらも、「ボロボロになるまでやる」という信念を貫いてきました。そして引退会見で言いました。「諦めの悪さをほめてやりたい」。

 その諦めの悪さの原点は、横浜高校3年の時の夏の甲子園で、PL学園と対戦した準々決勝だそうです。9回まで点の取り合いを繰り返しながら、5対5で延長戦に突入。11回表横浜が1点勝ち越すも、その裏PLが同点に追いつきます。16回表にも1点リードすると、その裏またも追いつかれます。引き分け再試合かという中、17回表ツーアウトからツーランホームランが飛び出します。横浜2点リードで17回裏を松坂投手が抑え、250球を投げ切って、9対7で3時間37分の死闘は終わりました。

 一般的に諦めは、「しかたなくやめる」という意味で使われます。しかし、「あきらかにする」という意味もあります。仏教ではこの「諦め」を説きます。物事を悟って超越するということです。いわゆる「諦観」です。松坂投手の諦めの悪さには、非難の声もあったと本人も自覚しています。しかし彼が高校3年夏のPL戦で、諦めなかったから諦めることができたのは、単なる勝敗を超えた感覚なのでしょう。野球だけではない、生き方の指針を掴んだのかもしれません。リベンジの裏返しは、どんな困難な状況でも諦めないことなのだと納得しました。

 ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、851回×3円で2,553円でした。ありがとうございました。

 それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。

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