テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1038話】「風に吹かれて」 2016(平成28)年10月21日-31日

住職が語る法話を聴くことができます

1038.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1038話です。
 「歌は3分間で涙を流させることができるが、私たちが30分お話をしてもそうはなりません」とは、ある布教師さんの言葉です。いくら言葉を尽くしても、伝わらないこともあります。しかし、何行かの歌詞に曲がついて歌われると、感動すら与えられます。
 今年のノーベル文学賞を、アメリカのミュージシャンのボブ・ディラン氏が受賞しました。歌手の文学賞受賞は初めてであり、異例な出来事として驚きと共に、世界の大ニュースになりました。授賞理由は「偉大な米国の歌の伝統に新たな詩的表現を作り出した」ということです。更に「彼は偉大な詩人であり、選考基準にふさわしい」とも言われています。
 この受賞に対して、歌手の加藤登紀子さんは「歌詞は、人々が歌い、反復されて力を持つ」と言っています。ディラン氏の歌詞には、メッセージや物語が綴られていて、そのことに多くの共感が集まったのでしょうか。何行かの詩があって、それが読み継がれるということもないわけではありません。しかし、歌になればこそ、日常的に口ずさんだり、演奏されたりして、大きな広がりとなります。
 それにしても、初めに言葉ありきです。代表曲である『風に吹かれて』の日本語訳の一節にはこうあります。「何回砲弾が飛ばねばならないのか?武器が永久に禁じられるまでに。その答えは、友よ、風に舞っている」。戦争をしてはいけないと誰もがわかっています。しかし、ディラン氏から友と呼びかけられた私たちは、戦争をなくすために何かをしなければならないのですが、ただ、風に吹かれっぱなしだったのかもしれません。歌う心地よさだけに酔うのではなく、その中に込められた想いをしっかり汲み取ることを、この度のノーベル賞は示してくれたような気がします。
 さて、お釈迦さまの時代に文字はあったものの、その神聖なお言葉を文字に表すことは畏れ多いとして、口から口へ伝えられていたといいます。そのため、暗記しやすいように、リズミカルな詩の形になっていました。『法句経(ほっくきょう)』として今に伝えられています。例えばその54番のお言葉「華の香(か)は 風にさからいては行かず 栴檀(せんだん)も多掲羅(たがら)も 末利迦(まりか)もまた然り されど 善人(よきひと)の香(かおり)は 風にさからいつつもゆく 善き士(ひと)の徳(ちから)は すべての方(かた)に薫る」。どんなに香しい花の香りも、逆風では届きません。しかし、善き人の行いや徳は、どんな風が吹こうとも伝わり、人々の心に響くものであるということでしょう。
 どんな風にも負けないで、日々善き行いを心がけるなら、周りの人々もそれに倣おうとして、争いのない安らかな世界が築けるよと、2500年前にお釈迦さまは、ボブ・ディラン氏の歌に答えているような気がします。ノーベル賞のない時代でしたが、お釈迦さまも偉大な詩人と言えるでしょう。
 それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1269話】
「博士の理想郷」
2023(令和5)年3月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1269話です。 その老人の肩には無数の傷跡がありました。「どうしたの」と家の者が聞くと、「自分で作った赤痢ワクチンを注射して、反応や経過を観察した、いわば自分を材料にした人体実験だ」というのです。その老人こそ、赤痢菌発見者として世界的に著名な志賀潔博士です。 博士の生まれは仙台ですが、昭和20年に我が山元町磯浜に家族と共に移り... [続きを読む]

【第1268話】
「嵩上げ復興」
2023(令和5)年3月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1268話です。 東日本大震災翌日の朝早く、避難所になっている坂元中学校に行きました。そこは少し高台になっていて、町の海側の方が見渡せる位置にあります。何と松林もなければ、民家も一軒も残らず、どす黒い大地と化していました。道路も判別できず、線路も流されるというありさまです。ただ、坂元駅の高架橋だ... [続きを読む]

【第1267話】
「希望に勝る意志」
2023(令和5)年3月1日~10日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1267話です。 先日、東日本大震災に関して、地元テレビ局のアナウンサーから取材を受けました。終わってから逆取材をして、彼女に震災の時のことを聞いてみました。当時彼女は仙台市の中学3年生とのこと。震災の翌日に卒業式を控えていたのですが、当然行われませんでした。「私、中学を卒業していないんです」と言うのでした。 あの時中学生だった... [続きを読む]