テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第860話】「1・2・3・4スタート」 2011(平成23)年11月11日-20日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第860話です。20111111-01.jpg
 「普通のことが普通でなくなり、普通でないことが普通になった」。これは東日本大震災後にある人が言った言葉です。これまでにない異常なことを日々見たり聞いたりしていると、全くその通りと思ってしまします。そして今怖いのは、こういう時だからと言って、何もかも取り止めたり、縮小していると、それが当たり前という感覚で、日常化してしまうことです。今が特別に異常な時と思うことは大事です。それは今だけで、いつかは普通に戻さなければならないという意識を常に持つべきでしょう。
 大震災発生時には停電になり、電話も不通になりましたが、一週間程だったので、10日に一度のこのテレホン法話は、何とか継続できました。勿論こんな時だからこそ、法話をする意義があるだろうから、途切れさせたくはないと願っていました。普通でない時に、できるだけ普通に振る舞うものがあってもいいはずだとの思いでした。実は毎年行っている「テレホン法話ライブ」も6月12日に開催する予定で、準備を進めていたところに大震災が起きました。さすがにそのライブは、予定通りに行うことは不可能でした。6月18日は大震災より百カ日目で、犠牲者の供養が連日行われていました。
 やがて秋になり、多少は世の中が落ち着いてきました。おかげさまで延期していた「第5回テレホン法話ライブ」を10月30日に開催できました。例年通りに普通に開催したいとは言っても、この時期です。内容は当然の如く大震災に因んだものになりました。大震災復興支援ソングの『まけないタオル』を歌っている「歌う尼さん」ことやなせななさんがゲストです。山元町はじめ各被災地で、歌を歌って「まけないタオル」を被災しているみなさんにお配りしてきた様子の話には、みなさん涙ぐんでいました。歌うことでしかみなさんに寄り添えないけど、一緒に歌いましょうと、『ふるさと』と『まけないタオル』を合唱すると、みなさんは涙から笑顔に変わり、普通の表情を取り戻したかのようでした。20111111-02.jpg
 たまたまですが、10月30日は3月11日の大震災より234日目でした。それ以上の意味はありません。ただ2・3・4と数字が並ぶことに気づきました。それなら、ついでながら1を入れて、1・2・3・4としてみたくなりました。つまり、大震災から1234日目ということです。それは平成26年7月24日になります。大震災発生から約3年4カ月後です。このぐらいの期間で、普通のことを普通にできるまでに復興することは可能ではないでしょうか。そうしなければなりません。そのためには、「こんな時だから」と思うことはあっても、それを呑みこんで、普通の意識を呼び戻す努力は必要ではないでしょうか。来る平成26年7月24日には、新しい気持ちで1・2・3・4スタートと行きたいものですと、ライブの会場でみなさんに呼びかけたことでした。
 ここでご報告致します。10月のカンボジア・エコー募金は、236回×3円で708円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1269話】
「博士の理想郷」
2023(令和5)年3月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1269話です。 その老人の肩には無数の傷跡がありました。「どうしたの」と家の者が聞くと、「自分で作った赤痢ワクチンを注射して、反応や経過を観察した、いわば自分を材料にした人体実験だ」というのです。その老人こそ、赤痢菌発見者として世界的に著名な志賀潔博士です。 博士の生まれは仙台ですが、昭和20年に我が山元町磯浜に家族と共に移り... [続きを読む]

【第1268話】
「嵩上げ復興」
2023(令和5)年3月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1268話です。 東日本大震災翌日の朝早く、避難所になっている坂元中学校に行きました。そこは少し高台になっていて、町の海側の方が見渡せる位置にあります。何と松林もなければ、民家も一軒も残らず、どす黒い大地と化していました。道路も判別できず、線路も流されるというありさまです。ただ、坂元駅の高架橋だ... [続きを読む]

【第1267話】
「希望に勝る意志」
2023(令和5)年3月1日~10日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1267話です。 先日、東日本大震災に関して、地元テレビ局のアナウンサーから取材を受けました。終わってから逆取材をして、彼女に震災の時のことを聞いてみました。当時彼女は仙台市の中学3年生とのこと。震災の翌日に卒業式を控えていたのですが、当然行われませんでした。「私、中学を卒業していないんです」と言うのでした。 あの時中学生だった... [続きを読む]