テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1022話】「心の非常食」 2016(平成28)年5月11日-20日

住職が語る法話を聴くことができます

1022.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1022話です。
 東日本大震災発生当時、宮城県の沿岸部に暮らす70代のある夫婦は、すぐに避難所に向かいました。しかし、奥さんは、避難が長引くかもしれないから、おにぎりを握ってから行くと言って、家に戻りました。そのうち辺りは津波に襲われましたが、奥さんは避難所には現れませんでした。行方不明の奥さんを捜して家に戻ってみましたが、どこにも見当たりません。台所にはおにぎりだけが残っていたのです。
 「あの時おにぎりの心配なんかしないで、一緒に避難しようと、無理にでも連れて行っていれば・・・」と旦那さんは悲嘆にくれました。遺体は見つからず、残されたおにぎりの身代わりになったようで、一層奥さんのことが不憫に思えたのでした。理不尽、不条理いくら言葉を尽くしても、納得できるものではありません。日常の暮らしの中では、おにぎりを握るというのは極めて普通の思いやりです。人智を超えた災害の時は、生者と死者を隔てるものは、紙一重です。日常的な対応など、木っ端微塵にしてしまう自然の脅威を思い知らされました。
 熊本地震では、益城(ましき)町の83歳の男性が、2度目の地震の「本震」で、家が倒壊し亡くなりました。1度目の地震では自宅に大きな被害がなかったため、妻と102歳になる母親と同居していた男性は、高齢の母を気遣い避難所には行かなかったのです。その結果、家族は無事でしたが、自分だけが犠牲になりました。母親は「私の方が逝けばよかった」と、涙ながらに言っています。
 1度目の地震は「前震」だったというのは、後でわかったことです。前震でも十分に本震に値する衝撃があったはずです。それで無事だったのですから、避難しない気持ちは理解できます。ましてや高齢の親を思えば、自宅で見守るのが一番安心です。そういう当たり前の感覚など、情け容赦なく消し去ってしまう自然の非情さの前に、人はたじろぐばかりです。
 宮城と熊本の犠牲者は、自分以外の人のことに思いを馳せてとった行為が、あだになったように思われるかもしれません。残された遺族もやるせなさが募るばかりでしょう。しかし、おふたりとも人として、できそうでできないことを、ギリギリの状況の中で選択したのです。決してあだではありません。「あだ(徒)」とは、漢字で行人偏に走ると書きます。一歩一歩と歩むことも意味します。
 亡くなった方の最後の尊い行いは、やがて遺族の方がやるせなさを超えて、一歩一歩と明日に向かう力になるはずです。「思い出は心の非常食」という言葉に出会いました。心に残る亡き人の最後の姿は、おにぎりに勝るとも劣らぬ非常食となることでしょう。
 ここでお知らせ致します。4月のカンボジア・エコー募金は、200回×3円で600円でした。ありがとうございました。
 それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【1308話】
「花咲か爺さん」
2024(令和6)年4月21日~30日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1308話です。 枯れ木に花を咲かせたのは「花咲か爺さん」、被災地の荒地に花を咲かせたのは「NPO法人三島緑の会」です。静岡県三島市の団体で、東日本大震災後の2013年から日本沙漠緑化実践協会の植樹活動に参加し、毎年山元町に桜を植樹して下さっています。一昨年はコロナ禍のためお出でいただけませんでしたが、苗木を送って下さいました。縁... [続きを読む]

【1307話】
「揺らがず大遠忌」
2024(令和6)年4月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1307話です。 たとえばですが、「正月の元旦に地震の避難訓練をします」と言われて、参加しますか?正月早々とんでもないと、誰でも思います。しかし無常なる自然は、正月とか人間の都合に忖度しません。能登半島では元旦にとんでもない地震が起きたのです。 実は能登半島は曹洞宗にとっては聖地です。曹洞宗に... [続きを読む]

【1306話】
「シッダールタ」
2024(令和6)年4月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1306話です。 「文殊丸」「行生」という2人の名前で、どなたかわかりますか。ヒントはどちらも曹洞宗に関わる方です。文殊丸は大本山永平寺を開かれた道元禅師、行生は大本山總持寺を開かれた瑩山禅師の幼名です。昔は幼い時に仮に名付ける名前や元服以前の名前を持つことがあったようです。 さて、4月8日は... [続きを読む]