テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第884話】「練習しても」 2012(平成24)年7月11日-20日

住職が語る法話を聴くことができます

20120711_1.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第884話です。
 「このままじゃ、『生きジゴク』になっちゃうよ。ただ、俺が死んだからって、他のヤツが犠牲になったんじゃ意味がないじゃないか。だからもう君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ」。これは今から26年前の昭和61年2月1日に、いじめを苦にして自殺した東京都中野区の中学2年生鹿川裕史君の遺書です。当時様々ないじめがあった中で、ひどいのは「葬式ごっこ」でした。クラス全員と教師4人まで加わり、鹿川君の机を祭壇に見立てて、花を添えたりして、寄せ書きをして追悼するというものでした。
 あれから4半世紀以上が経った今も、多くの「他のヤツ」が犠牲になり続けています。昨年10月大津市で中学2年の男子生徒が自宅マンションから飛び降りて、自殺していたことが判明しました。その生徒は他の生徒から金品の要求や万引きの強要、はたまた、教室やトイレで繰り返し殴られたり、成績表を破られたりするなどのいじめを受けていました。更には、毎日昼休みに自殺の練習をさせられていたという驚くべき証言も明らかになりました。
 いじめる側といじめられる側は紙一重だと言います。今日いじめているヤツも、明日はいじめられる側になっているかもしれない。人と同じようにしていないと不安になるという現代の風潮は、いじめの温床の一つでしょう。ちょっとでも人と違っていたり、弱みがあると、いじめる側は付け入ってきます。またいじめをはやし立てる観衆や見て見ぬふりをする傍観者の存在も、見逃せません。傍観者が多いほど、いじめがひどくなるという指摘もあます。
 それにしても、「葬式ごっこ」といい「自殺の練習」といい、何がここまで死というものを茶化してしまえるのでしょうか。それこそ、生と死は紙一重です。直接の縁は両親としても、計り知れない縁の繋がりで、一人の生命の誕生があります。そんな尊い生命でありながら、無常の風はいつ吹くか分かりません。分かっていることは、老いも若きも、男も女も、必ずいつかは無常の風に吹かれるということです。
 人はいろいろな意味で、平等でないことがたくさんあります。しかし、「死ぬ」ということにおいては、全く平等です。そこには茶化してしまう何ものもありません。いじめている人がいたら言います。あなたは大事な人の死を目の当たりにしたことがありますか。まだ経験がないとしても、想像をしてみて下さい。死んだ人の身体は冷たく、堅いものです。更に、自分がそうなったらとういことにも、思いを巡らせてみて下さい。何も見えない、聞こえない、食べられない、誰にも会えない・・・。そんなことに耐えられますか。これはいくら練習しても、耐えられないことなのです。
 ここでご報告致します。6月のカンボジア・エコー募金は、173回×3円で519円でした。ありがとうございました。
 それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1269話】
「博士の理想郷」
2023(令和5)年3月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1269話です。 その老人の肩には無数の傷跡がありました。「どうしたの」と家の者が聞くと、「自分で作った赤痢ワクチンを注射して、反応や経過を観察した、いわば自分を材料にした人体実験だ」というのです。その老人こそ、赤痢菌発見者として世界的に著名な志賀潔博士です。 博士の生まれは仙台ですが、昭和20年に我が山元町磯浜に家族と共に移り... [続きを読む]

【第1268話】
「嵩上げ復興」
2023(令和5)年3月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1268話です。 東日本大震災翌日の朝早く、避難所になっている坂元中学校に行きました。そこは少し高台になっていて、町の海側の方が見渡せる位置にあります。何と松林もなければ、民家も一軒も残らず、どす黒い大地と化していました。道路も判別できず、線路も流されるというありさまです。ただ、坂元駅の高架橋だ... [続きを読む]

【第1267話】
「希望に勝る意志」
2023(令和5)年3月1日~10日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1267話です。 先日、東日本大震災に関して、地元テレビ局のアナウンサーから取材を受けました。終わってから逆取材をして、彼女に震災の時のことを聞いてみました。当時彼女は仙台市の中学3年生とのこと。震災の翌日に卒業式を控えていたのですが、当然行われませんでした。「私、中学を卒業していないんです」と言うのでした。 あの時中学生だった... [続きを読む]