テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1163話】「修行とコロナ」 2020(令和2)年4月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1163話です。

 ひとつの部屋に押し込められて、お話しすることも許されず、最低でも1週間、そこで過ごさなければなりません。やっと部屋を出ることができても、更に100日間は、外部との接触を断たれて、自分と向き合う日々を送ります。

 これは新型コロナウイルス感染防止のために、一定期間隔離されているとか非常事態宣言が出された状況を言っているのではありません。修行僧が本山で修行を始める時のことです。本山に着くと、玄関先でその志の固さを試される問答が何時間も行われます。やっと入門を許されても、旦過寮(たんがりょう)という部屋での1週間があります。何人かの修行僧と一緒ですが、私語は一切許されず、手洗いと食事以外は、ひたすら坐禅を続けます。

 その期間を耐えると、先輩修行僧と一緒に行動できるようになります。ただ新米修行僧は百日禁足といって、百日間出歩くことを禁じられるのです。本山の外に出られないばかりか、外部から来た人との面会も、手紙や電話も許されません。新聞テレビなどに接することもできず、世の中で何が起きているのかわからない状態です。

 おまけに、それまで娑婆世界で享受してきた酒やたばこは勿論、肉魚も御法度です。お粥やごはんに漬物程度の食事です。何の楽しみもありません。世間の雑事や情にほだされることなく、ひたすらに修行に励むための究極の環境とも言えます。

 その経験をしても、この度のコロナ感染防止にまつわる外出自粛などは、異常事態です。修行の時は、1週間とか100日経てば、明らかに違う段階に進めるという希望がありました。コロナ感染は目に見えない、治療薬がない、収束の見通しが立たないから、どのように気持ちを保ち続けたらいいのか難しいところです。

 世界中の人が未体験ゾーンに入っています。これまでの生活を見直さざるを得ない事態です。今まで普通にできたことを、我慢しなければならないこともあるでしょう。その時、不平不満を言うか、これまでの自分と現状の違いを冷静に見つめ直すことができるかで、次のステップが違ってきます。

 私は修行の1カ月を過ぎたあたりから、五感が研ぎ澄まされたような感覚を覚えました。一番は嗅覚でした。参拝者の方とすれ違った時など、明らかに我々とは異なる世界の人だというのを、その匂いから感じました。その分自分が、本山の空気に染まってきたのだと自覚しました。余分なものが削ぎ落されて、今までの人生では感じられなかったことを、感じられるようになったのです。命を養う食事と呼吸ができる限りにおいては、何ら恐れることはないと肝が据わったつもりでした。しかし事ここにきて、マスクをしなければ呼吸もできない窮屈さを感じ、修行未熟を嘆いています。今一度、百日禁足の時を思い起こすコロナのでしょう。
 ここでお知らせいたします。3月のカンボジアエコー募金は、207回×3円で621円でした。ありがとうございました。それでは又、4月21日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1269話】
「博士の理想郷」
2023(令和5)年3月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1269話です。 その老人の肩には無数の傷跡がありました。「どうしたの」と家の者が聞くと、「自分で作った赤痢ワクチンを注射して、反応や経過を観察した、いわば自分を材料にした人体実験だ」というのです。その老人こそ、赤痢菌発見者として世界的に著名な志賀潔博士です。 博士の生まれは仙台ですが、昭和20年に我が山元町磯浜に家族と共に移り... [続きを読む]

【第1268話】
「嵩上げ復興」
2023(令和5)年3月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1268話です。 東日本大震災翌日の朝早く、避難所になっている坂元中学校に行きました。そこは少し高台になっていて、町の海側の方が見渡せる位置にあります。何と松林もなければ、民家も一軒も残らず、どす黒い大地と化していました。道路も判別できず、線路も流されるというありさまです。ただ、坂元駅の高架橋だ... [続きを読む]

【第1267話】
「希望に勝る意志」
2023(令和5)年3月1日~10日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1267話です。 先日、東日本大震災に関して、地元テレビ局のアナウンサーから取材を受けました。終わってから逆取材をして、彼女に震災の時のことを聞いてみました。当時彼女は仙台市の中学3年生とのこと。震災の翌日に卒業式を控えていたのですが、当然行われませんでした。「私、中学を卒業していないんです」と言うのでした。 あの時中学生だった... [続きを読む]