テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1245話】「Z世代」 2022(令和4)年7月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます



 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1245話です。

 Z世代とは、およそ1995年から2015年まで生まれた人をいうようです。年齢では7歳から27歳くらいまで。どうしてZなのかと言えば、その前の世代にY世代やX世代というのがあったからです。私は団塊の世代でしたが・・・。

 Z世代の特徴は、生まれたときから、デジタル世界に生きているということです。あらゆることをネットを通じて行うことができます。世界中と瞬時にネットで繫がります。広い視野をもって、様々な文化や習俗を受け入れる多様性も持ち合わせています。時代の最先端を行く若者に期待するところです。

 その意味では、曹洞宗を開かれた道元禅師も、当時のZ世代だったかもしれません。14歳で出家して仏門に入り、比叡山で修行に励みました。そして24歳の時、ほんものの仏法、師匠を求めて、宋の時代の中国に渡ります。広い視野をもって、中国の仏法と繋がろうとしました。柔軟な多様性もあったことでしょう。

 道元が最初に出会った僧は、台所を取り仕切る典座(てんぞ)という役の年老いた方でした。その老典座に尋ねます。「あなたのようなお歳の方が台所などしないで、若い方に任せればいいのではないですか。坐禅や語録の勉強の方が大事でしょう」「海を超えて来た好青年のようだが、修行の何かも、また文字がどんなものかも、分かっていないようだ。いつの日かその道理について、考えあってみよう」と言って、老典座は去って行きました。

 後日、道元は老典座に再会する機会がありました。「この前おっしゃった文字とはどういうことですか。修行とは何ですか」と改めて尋ねました。「文字も修行もその根本をわきまえよということだ」「よくわかりません。文字の真意はどういうことですか」「文字とは一、二、三、四、五」一瞬道元は、からかわれていると思いました。しかし、一という文字は一で、それ以上でもそれ以下でもありません。文字には限界があります。そんな文字に執着している自分に気づきました。

 老典座は言いました。「文字に執着した知識だけを求めても、仏法の真実は見えないぞ。日常の平凡な生活の中にも仏法はある。台所の仕事も立派な修行だ。経典を理解した上でそれを実践してこそ、真実の仏法が現れるのだ」

 デジタル世界は極論すれば、「一、二、三、四、五」という数字の世界です。そこに生きてきたZ世代は、その数字に捉われ、マニュアルを求めすぎます。汗も流さず血も通わない画面だけ見ても、物事の理解は十分ではありません。それを咀嚼(そしゃく)する力が必要です。道元は文字に捉われず、日々の行住坐臥の中に禅の真髄を見出しました。顔を洗う、歯を磨く、ご飯を食べる、すべては仏作仏行。仏の心をもって、感謝して行ずれば、朝ごはんもおいしくいただけ、咀嚼する力がつきます。夏休みです。いつまでもZ Z Zと寝ていないで、「一、二、三、四、五」と掛け声をかけて、早起きしてみましょう。                 

 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。

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