テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1216話】「念仏」 2021(令和3)年10月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1216話です。

 「念仏申すより田を作れ」という諺があります。極楽往生を願って念仏を唱えるより、田んぼに出て米を作れということで、直接利益になることに精を出せということでしょう。我が町には各地区ごとに念仏講がありましたが、今や風前の灯となってしまいました。米の収穫が増えたからではなく、念仏講員が少なくなったためです。

 ひとつの大きな原因は、東日本大震災です。比較的念仏が盛んだった沿岸部が、大津波で壊滅状態になりました。集落がなくなり、人々はバラバラに住まいせざるを得なくなったのです。もはや念仏どころではありません。しかし、兼務する徳泉寺の笠野地区では、檀家さんが離れ離れになっても、念仏講だけは絶やさず続けてきました。

 本来念仏は、不幸があった家の通夜や出棺の際の「おたち念仏」として唱えてきました。その他に正月16日や春秋の彼岸の中日とかお盆に寺に集まり、熱心に行じていました。さすがに震災後は個人の家で唱えることはなくなりました。本堂等すべてが流された徳泉寺ですが、プレハブの仮寺務所で続けてきました。昨年からは再建した新しい建物の中で念仏を唱えることができ、改めて復興を噛みしめています。

 今年の秋彼岸の中日にも、輪になって大きな数珠を回しながら念仏を唱えました。昔と異なるところは、どなたも正座が適わないということで、椅子に座っていることです。それからコロナ対策として、全員白マスクで念仏を唱え、その上白手袋をはめて数珠を回しました。

 口伝の「十三念仏」を独特の節で、数珠を回しながら唱和し、カンカンと鉦(かね)をたたく人がリードします。不動明王・釈迦如来や虚空蔵菩薩まで、十三の仏が雲に乗って迎えに来る来迎図の掛軸を掲げます。十三仏は人の死後、初七日から三十三回忌までの十三の忌日を司る仏です。亡き人が各忌日で迷わないように、死後の世界を案内する役を担うと信じられてきました。曹洞宗以前の室町時代に定着した信仰です。念仏そのものは浄土宗の信仰形態ですが、この地域でも土着の信仰として宗派に関係なく、伝わってきました。

 口移しに伝えられた念仏は、一様ではありません。笠野地区の念仏の一節には「往生なされしその時は お念仏唱えし間もないし ただいま申せしお念仏 末期の最後と思召し」とあります。死ぬ間際では、念仏を唱えている時間もないので、今が末期の念仏のつもりで、真剣に唱えなさいということでしょう。最後の一念によって来世の良し悪しが決まるという「念は生を引く」との諺もあります。今いま私たちが念じたいのはコロナの終息でしょう。念仏講員であってもなくても、緊急事態宣言はこれが最後と一心に念じて、それなりの日常生活を心がけるよう念のため申します。

 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。



念仏講

最近の法話

【第1288話】
「手拭いと日本刀」
2023(令和5)年10月1日~10日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1288話です。 その昔、知り合いのお宅に泊めていただいた時のこと。風呂上がりに濡れた手拭いの水を切るつもりで、バサッバサッと振っていたら、当主に叱られました。その音は刀で首を切るときの音に似ているので、家ではしないよう代々教えられてきたというのです。なるほどと反省しました。 その後、無著成恭さんの講演を聴く機会がありました。無... [続きを読む]

【第1287話】
「無縁墓」
2023(令和5)年9月21日~30日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1287話です。 平成19年頃にヒットした「千の風になって」は、「私のお墓の前で泣かないで下さい そこに私はいません 死んでなんかいません ・・」と歌っています。まるでお墓には何もないかのようです。しかし歌の作者新井満さんは言います。「お墓は亡き人の『現住所』で、そこからどこへでも出かけるでしょ... [続きを読む]

【第1286話】
「夜霧の渡し」
2023(令和5)年9月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1286話です。 「矢切の渡し」は昭和歌謡の代表曲です。「つれて逃げてよ・・」と始まる恋の逃避行の歌で、柴又から対岸の矢切に向かう渡し船が舞台です。矢切の渡しは江戸川で唯一現存するものですが、各地にも現役の渡し船は残っています。考えてみれば、人生も渡し船に乗っているようなものです。 人生の川の... [続きを読む]