テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1210話】「ウルトラC」 2021(令和3)年8月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1210話です。

 「ウルトラC」という言葉は、1964年の東京オリンピックの体操競技で、日本選手が最高難度Cを超える技を披露したことから生み出されたものです。現在は、男子はAからIまでの9種類、女子はAからJまでの10種類の難易度で評価され、ウルトラCという技はありません。ただ、一般には奥の手などの意味で使われます。

 さて、この度の東京オリンピックの体操で内村航平が、得意の鉄棒で演技開始30秒余りで、まさかの落下。予選敗退となりました。失敗したのは難易度Dのひねり技で、昔ならウルトラCだったかもしれません。ただこれまでミスをしたことがなかった技です。そして彼は体操について言います。「失敗したことのない技でも失敗する。これだけやってきても、まだ分からないことがある。おもしろさしかないですよね」

 その彼が今までで一番うれしかったことは、小学校1年の時に、鉄棒で「けあがり」ができたときとか。「周りはみんなできているのに、自分だけできなかった。やっとできたときは誰も見ていないかった。みんなに知ってほしくて体育館中を走り回った」そうです。オリンピックで金メダルを取った喜びすら、この時のけあがりを超えられないとまで言うのです。何にも染まらないひたむきな子ども心で成し遂げた技が、彼の体操人生の原点でした。

 この度のオリンピックでも子どもが感じる楽しさの計り知れない可能性を示した選手がいます。日本史上最年少の13歳で金メダリストになった西矢椛(にしやもみじ)です。スケートボードストリートと言われても、初めて見た競技は路上での遊びの延長という印象でした。彼女は5歳の時から始めて、その面白さにはまったのでしょう。とにかく楽しいから、ネットなどで仲間同士見せ合いアドバイスし合って、難易度の高い技に磨きをかけてきました。

 どの世界でも頂点を極めるには、凡人の想像を超えた探求心や鍛錬がなければならないでしょう。それが辛い苦しいの連続では、挫折するばかりです。辛い苦しいと思う前に、楽しいおもしろいという喜びに出会える人は幸いです。それは大人より子どもの方が可能性があります。素直で純粋だからです。赤ちゃんの笑顔に癒されるのは、ただ笑っているからです。誰かに受けようと思って笑っていないからです。内村少年は鉄棒に、椛ちゃんはスケートボードにただ喜びを感じ、それをずっと続けてきたのです。「しないでいられないことをし続けなさい」漫画家水木しげるの言葉です。

 私も「門前の小僧習わぬ経を読む」ように、幼い時にお経のおもしろさに目覚めればよかったのにと今は悔やんでいます。ただ私にはウルトラCの奥の手があります。それは天下の宝刀ともいうべき、仏法の灯である法灯です。お釈迦さまからの法灯をお授けして、これまで何千人も成仏に導いてきました。いまだかつて、仏の世界からこの世に戻った人はひとりもいません。お釈迦さまの奥の手は、深淵なのです。

 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1269話】
「博士の理想郷」
2023(令和5)年3月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1269話です。 その老人の肩には無数の傷跡がありました。「どうしたの」と家の者が聞くと、「自分で作った赤痢ワクチンを注射して、反応や経過を観察した、いわば自分を材料にした人体実験だ」というのです。その老人こそ、赤痢菌発見者として世界的に著名な志賀潔博士です。 博士の生まれは仙台ですが、昭和20年に我が山元町磯浜に家族と共に移り... [続きを読む]

【第1268話】
「嵩上げ復興」
2023(令和5)年3月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1268話です。 東日本大震災翌日の朝早く、避難所になっている坂元中学校に行きました。そこは少し高台になっていて、町の海側の方が見渡せる位置にあります。何と松林もなければ、民家も一軒も残らず、どす黒い大地と化していました。道路も判別できず、線路も流されるというありさまです。ただ、坂元駅の高架橋だ... [続きを読む]

【第1267話】
「希望に勝る意志」
2023(令和5)年3月1日~10日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1267話です。 先日、東日本大震災に関して、地元テレビ局のアナウンサーから取材を受けました。終わってから逆取材をして、彼女に震災の時のことを聞いてみました。当時彼女は仙台市の中学3年生とのこと。震災の翌日に卒業式を控えていたのですが、当然行われませんでした。「私、中学を卒業していないんです」と言うのでした。 あの時中学生だった... [続きを読む]