テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1188話】「どっさりの砂」 2020(令和2)年12月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1188話です。

 どっさりとは数量が多いさまを言いますが、何グラム以上などという定義はないでしょう。それでもはやぶさ2が持ち帰った小さじ一杯ほどの砂を、どっさりだったと言わしめた背景に興味が湧きます。

 宇宙航空研究開発機構の小惑星探査機はやぶさ2が、小惑星リュウグウからの砂の採取に成功しました。太陽系には、8つの惑星のほかにたくさんの小惑星があります。太陽が生まれるときに周りを回っていたチリが何度も衝突を繰り返し、くっついて大きくなったものです。それ自体が小さいため独自の活動があまりなく、太陽系が誕生した当時の姿をとどめている可能性が高いそうです。リュウグウの砂には、それを裏付ける情報があるかもしれないのです。

 リュウグウは地球から約3.5億㎞ところに位置し、直径わずか900mです。2014年12月に飛び立ったはやぶさ2は、3年半かけ約30億㎞を飛びリュウグウに到着。岩だらけの小惑星に着陸できそうな場所を探して、データを精査すること4カ月。リュウグウは自転周期が約7時間半ですので、かなり高速で回転しています。そこの直径6メートルの平原に、昨年2月と7月に2回着陸し、砂を巻き上げる弾丸を発射して、砂を採取しました。そして12月6日、6年間2195日52億㎞の旅を終えて地球に帰還しました。

 当初、採取する砂は0.1グラムを目標にしていました。「玉手箱」と言われるカプセルには、小さじ1杯ほどの黒い砂が確認でき、数グラムはあるようです。開けてびっくり玉手箱で、最大数ミリの砂もあるとか。はやぶさ2の時間空間を超えた遥かな旅路を思えば、砂の一粒一粒の価値は計り知れません。更にはこれから解明されるであろう、砂に秘められた宇宙の成り立ちや生命の起源に迫れるとすれば、小さじ一杯をどっさりと表現したのは、決して大袈裟ではないでしょう。

 さて、お釈迦さまには小さじ一杯ならぬ「爪の上の砂」という話があります。ある時お釈迦さまはガンジス河のほとりで、一握りの砂を手のひらにのせ、弟子の阿難に次のように諭します。「ガンジス河の砂が地球上の生き物とすれば、人間に生まれる確率は手のひらの砂のようなものだ」。更にお釈迦さまは手のひらの砂を指でつまんで、親指の爪の上に載せて仰いました。「人間として生まれても、仏法に巡り合える人は、爪の上の砂程稀なのだ」。奇跡のようにして授かったこの命を、より一層輝かしいものにするには、仏の教えに目覚めることが肝要であるとのお示しでしょう。

 12月8日に、はやぶさ2の「どっさりの砂」が、無事相模原市の宇宙航空研究開発機構に届けられました。奇しくもその日はお釈迦さまが、お悟りを開かれた日でもあります。お釈迦さまの爪の上の砂は、命の尊さに目覚めよと暗示しています。はやぶさ2のにも、宇宙の生命を暗示するものが含まれているような気がします。すなおにどっさりの成果を期待しつつ、宇宙の新しい年を迎えましょう。

 それでは又、新年1月1日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1218話】
「二面石」
2021(令和3)年10月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1218話です。 先般、奈良県明日香村にある天台宗の橘寺をお参りする機会がありました。付近に聖徳太子が生まれた場所があります。橘寺も聖徳太子が建てた寺院のひとつです。当然の如く本尊には、聖徳太子像を祀ってあります。建立年代は不明ですが、「日本書紀」に寺の存在が記されているので、1500年以上の歴史があるようです。 そこに「二面石... [続きを読む]

【第1217話】
「品位(ひんい)と品位(ほんい)
2021(令和3)年10月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1217話です。 「皇室経済法6条」には、皇族が身分を離れる際には、品位保持のため一時金を支給する旨が定めれています。渦中の眞子さまが小室さんと結婚するにあたり、その一時金を辞退しました。1憶3725万円という額です。「小室家の金銭トラブル」ゆえのことなのでしょう。二人の結婚の意思は固いものの、... [続きを読む]

【第1216話】
「念仏」
2021(令和3)年10月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1216話です。 「念仏申すより田を作れ」という諺があります。極楽往生を願って念仏を唱えるより、田んぼに出て米を作れということで、直接利益になることに精を出せということでしょう。我が町には各地区ごとに念仏講がありましたが、今や風前の灯となってしまいました。米の収穫が増えたからではなく、念仏講員が... [続きを読む]