テレホン法話 一覧

【第1145話】 「初対戦の挨拶」 2019(令和元)年10月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1145話です。

 長嶋茂雄さんを「ミスタープロ野球」たらしめた原点は、金田正一さんかもしれません。大学時代華々しい活躍をして巨人に入団した長嶋選手は、1958年4月5日開幕戦で、当時国鉄スワローズの金田投手と初めて対戦します。4打席連続三振に抑えられます。実際は次の対戦の第一打席も三振だったので、5打席連続三振なのです。

 この時、金田投手は前年まで182勝の実績があるプロ野球の第一人者。「大学出たての若いもんに負けてたまるか」と闘志を燃やします。プロの洗礼を受けた長嶋選手は「プロで闘い抜いてやるぞ」と強く思ったと言います。以後7年間で、長嶋選手は金田投手との対戦で、3割1分3厘の打率をマークし、18本塁打を放って、金田投手から最も本塁打を打った打者になっています。

 その金田さんが、10月6日に86歳で亡くなりました。20年間のプロ野球人生での記録は突出しています。通算400勝で2位とは50勝の差。奪三振は4490で2位を1100以上離しています。投球回数は5526回3分の2で、2位を390回以上も上回っています。さすがに負け数も多く、その数は298で最多ですが、2位との差は13に留まります。私が知る限りでも、国鉄スワローズは弱小チームとの印象があります。もっと強いチームにいたら500勝はしたとご本人は豪語しています。

 国鉄で15年間プレーしたのち、強いチーム巨人に移籍します。そこでの5年間は47勝でした。晩年の力の衰えは明らかです。しかし、金田さんが入った年から、巨人の9連覇の大偉業が始まったのです。金田さんがチームに刺激を与えたのでしょう。プレー以外にも、練習の仕方や、徹底した自己管理を通し、野球に向き合う選手の意識改革に結びついたようです。金田さんは、天才的な力はあったのでしょうが、その力を維持するためには、人並み以上の努力が必要であることを身をもって示したのです。

 天才は天才を嗅ぎ分ける嗅覚があるのでしょう。金田さんと長嶋さんの初対戦は、禅宗の「挨拶」そのものです。本来挨拶とは、師匠が弟子の心の成長を質問することを言います。軽く触れることが「挨」、強く触れることが「拶」で、お互いが相手の言葉や振る舞いから、その人となりを確かめることを言います。金田さんは挨拶代わりに、長嶋さんを4打席連続三振に打ち取りました。長嶋さんは律儀にその挨拶に応えて、「ミスタープロ野球」と称されるまでになりました。2人の天才がプロ野球発展の一端を担い、その背番号は巨人の永久欠番になっています。

 ここでお知らせいたします。来る10月27日(日)午後2時より、徳本寺において「第13回テレホン法話ライブ」を行います。ゲストはソプラノ歌手の千石史子さん。入場は無料です。また、9月のカンボジアエコー募金は、177回×3円で531円でした。ありがとうございました。

 それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1144話】 「骨身を惜しまず」 2019(令和元)年10月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1144話です。

 お寺では墓地管理者として、納骨の際にはその人の「死体火葬済証」を預かります。お骨の身元証明書になるからです。お骨は外見上は、どなたのものかは特定はできません。そこで死亡者の住所・氏名等が書かれて、確かにこの方の火葬が済みましたという火葬場からの証明書が必要になるのです。

 しかし、戦死者の遺骨は、そう簡単にはいきません。先ごろ、第2次世界大戦後のシベリア抑留者の遺骨収容をめぐって、厚生労働省のずさんな対応が明らかになりました。1999年から2014年に9カ所の埋葬地から収容した遺骨のうち、597人分が日本人でない可能性があるのに、公表せずロシア側にも伝えていませんでした。現地の鑑定人は日本人の骨を見慣れておらず、取り違えの一因になったとの指摘もあります。

 死亡した日本人のシベリア抑留者は約5万5千人で、これまでに日本に帰ってきた遺骨は約2万1900人分です。半分以上の方がまだ戻っていません。その上取り違えがあったとは、泣きっ面に蜂ではないですか。想像を絶する過酷な抑留生活の果てに、非業の死を遂げた方が浮かばれません。遺族の方の無念さも察するに余りあります。厚生省はもっと親身になって、遺骨に向き合うべきです。

 一方、東日本大震災で身元不明犠牲者の遺骨が多数存在しました。宮城県警では遺体の似顔絵を作成して、情報提供を呼びかけていました。震災から8年が過ぎた今年4月に、ある一人の身元が判明しました。当時60歳の女川町に住む平塚さんという女性でした。平塚さんの遺体は震災1カ月後に石巻市泊浜の海上で見つかり、遺体のDNAを採取していました。親族も行方不明届を出していましたが、身元を特定できずにいました。似顔絵を見た親族が、平塚さんに似ていると気づきました。

 しかし、それを裏付けるDNAが、手元になければ証明できません。いろいろ事情を聴いているうち、平塚さんから届いた複数の手紙を持っている親族がいました。このうち、2009年5月18日女川郵便局消印のある切手の添付面の唾液から検出されたDNAが、遺体から取ったDNAと型が一致して、平塚さんと特定できました。平塚さんの遺骨は無事、親族の元に帰りました。

 10年前に貼った切手がこのような形で役に立つとは、事実は小説よりも奇なりです。それにしても、今どき切手を貼る手紙も少なくなり、自分で舐めて切手を貼る人はどれだけいるでしょうか。これからは自分の身元証明のつもりで、唾液で切手を貼って手紙を出しましょうか、と思いましたが、今月から郵便料金が値上げになりました。厚生省も郵便局も身を惜しまず、国民に思いやりを持ってください。

 ここでお知らせいたします。来る10月27日(日)午後2時より、徳本寺において「第13回テレホン法話ライブ」を行います。ゲストはソプラノ歌手の千石史子さん。入場は無料です。ご来場をお待ち申し上げます。

 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1143話】 「曼殊沙華」 2019(令和元)年9月21日~30日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1143話です。

 「死人花(しにびとばな)」「地獄花」「幽霊花」、何とも不吉な花の名前ですが、すべて彼岸花の異名です。根には毒性があるので、昔、土葬された遺体の脇に、モグラ除けで植えられたとも言われます。球根の毒を食べた後は、彼岸つまりあの世に行くしかないから、彼岸花だという説もあるほどです。

 いずれにしても、その名の通り秋彼岸に合わせるかのように、突然に葉っぱが出る前に独特の赤い花を咲かせるとは、仏教の伝道師のような花です。事実、彼岸花の曼殊沙華(まんじゅしゃげ)という名前の由来は、仏典に出てくるサンスクリット語の「天界に咲く花」を、音写したものです。

 さて、その曼殊沙華は、花は咲いても実はなりません。繁殖は地下茎で行いますので、昆虫に受粉を助けてもらう必要はありません。それなのに、惜しげもなく、花蜜を差し出し、昆虫の役に立っています。自分の身のことだけを考えるのではなく、のびのびと生きていて、他の動物をも養っている、とある生態学者は言います。

 それこそが彼岸の心です。彼岸とは彼の岸つまりあっち側の岸、悟りを得た理想の世界のことです。「菩提心を発(おこ)すというは、己(おの)れ未(いま)だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願し営むなり」。自分より先に、他のすべての人に仏になって欲しいと願い、そのための行動をする人のいる世界です。それに対して、現実の私たちがいる世界は、こっちの岸で此岸(しがん)と言い、迷いや煩悩に満ちています。自分の都合が最優先で、他のことを顧みる余裕のない生活をしている状態を言います。

 一年365日ほぼ毎日、自分の利益だけを考えた「我利我利亡者」的な暮らしをしている私たちですが、せめて彼岸の1週間、彼岸に渡るための6つの教えの六波羅蜜(ろくはらみつ)のひとつである「布施」の実践を心がけてみたいものです。布施とは、お金や物を施すだけでなく、打算の心も捨てること。つまり、宮沢賢治のように「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ」施すことです。曼殊沙華が自分の繁殖に関わるわけではないのに、花蜜を施しているようにです。

 古い川柳に「後の世の 種を彼岸に 蒔きにでる」というのがあります。後の世の種を蒔くとは、彼岸に渡るための行いをするということでもあるでしょう。それは曼殊沙華のように、自分の実はならずとも、見えない土の下で、次の命に恥じない精進をして、命を伝えることなのかもしれません。仏典の曼殊沙華は決して不吉な花ではなく、良いことの前兆を示して、見た者の悪業を払うと言われています。曼殊沙華を眺めながら、日ごろの自分勝手を戒める思いで、心にいつも彼岸花を咲かせられるような種蒔きをしましょう。

 それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1142話】 「お斎」 2019(令和元)年9月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1142話です。

 「お斎(とき)」とは、寺院やご法事で出す食事のことを言います。僧侶の食事は元々一日一食で、午前中にとることになっていて、時刻に関わるものであることから、食事を「とき」と呼ぶようになりました。「斎」という字は、精進潔斎の「斎」と書き、汚れを清め行為を慎むという意味があります。そのこともあり、お斎には、肉・魚などを用いない精進料理が提供されます。

 今時の法事で、自分の家でお膳を作ることは、ほとんどなくなりました。料理屋さん任せですが、精進料理が出てくることはまずありません。肉・魚を使わないというだけなら、ある程度できるのでしょうか、値段や見栄えを考慮すると、精進料理は幻の料理になりつつあります。

 この間、とある法事のお膳に着いた時のことです。勿論精進ではなく、結婚式に出しても違和感のないような華やかな料理でした。更に美味しいのですから、いよいよ精進料理は影が薄くなってしまいます。そんなことを思いながら、ある料理を口に運びました。何か細く堅いものを噛みました。その料理の内容からして、魚の骨ではないだろうと思いながら,口から取り出して驚きました。何と3センチくらいの黒い針金だったのです。ぐにゃぐにゃ曲がったもので、どうしてこんなものが、このしゃれた料理に入っているのか理解できませんでした。ともかく係の人に、そっと現物を渡し状況を説明しました。

 時間をおいて料理責任者がお詫びに来ました。理由を尋ねると、問題の料理にはナスを焼いたものが入っていたのですが、ナスを焼いた金網の一部が、壊れてそのまま料理に混入したと思われるということでした。よく考えたら恐ろしいことです。ある程度の長さがあったから異物と気づきましたが、逆にもっと小さな針金で、そのまま呑み込んだら、喉や胃袋を痛めていたかもしれません。

 曹洞宗を開かれた道元禅師は、台所を司る役を典座(てんぞ)と言って、たいへん重んじました。『典座教訓』という書物の中で、微に入り細に入り、料理の心がけを説いています。「先ず米(べい)を看(み)んとすれば便(すなわ)ち砂(しゃ)を看(み)、先ず砂を看んとすれば便ち米を看る」。お米を洗う際は砂が混じっていないか注意し、砂を捨てる際はお米が混じっていないか確かめ、細かいところまで疎かにしないようにということです。

 現代で「お斎」の心を忘れて精進料理でないことを百歩譲っても、人さまの口に入る食べ物を料理するときに、心を込めて細心の注意を払うことは、今も昔も変わらないはずです。金属が混入したお斎だから、「斎は金なり」などと、しゃれている場合ではありません。「斎には命にかかわることもある」ことを肝に銘ずべしです。

 ここでお知らせいたします。8月のカンボジア・エコー募金は、137回×3円で411円でした。ありがとうございました。

 それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1141話】 「13匹の抜け殻」 2019(令和元)年9月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1141話です。

 今年の8月15日新潟県の糸魚川市で、31.3度を記録しました。これは最高気温ではなく最低気温です。最低気温の最も高い記録を29年ぶりに塗り替えたのです。要するに一日中気温が30度を下回らなかったということです。因みにこの日の最高気温は、同じ新潟県の寺泊で、40.6度でした。まさに猛暑の夏そのものです。

 そんな暑さの中で元気だったのは、蝉たちです。徳本寺の境内で蝉の初鳴きを聞いたのは、7月13日でした。去年は7月1日でしたので、遅い方でしょう。鳴き声も、弱々しいものでした。ところが梅雨明けの7月30日あたりから、暑さに比例して蝉の大合唱が連日幕を開けました。

 朝6時に梵鐘を撞きますが、それより早く蝉は鳴いていました。早朝から気温が高かかったのでしょう。全国的に最高気温も最低気温も高い夏だった証かもしれません。そしてちょっと珍しい光景に出会いました。鐘撞き堂の柱や天井に13匹の蝉の抜け殻が確認できたのです。蝉の抜け殻が珍しいわけではありませんが、鐘撞き堂という限られたところに、13匹も集中したのはどうしてなのでしょう。中には1本の梁に4匹かたまってへばりついているものもありました。

 「抜け殻」という言葉は、人間的にはあまりいい言葉ではありません。抜け殻同然になったなどと言うように、魂が抜けたうつろな状態のたとえに使われます。しかし、昆虫や甲殻類などの脱皮した後に残った殻は、その成長過程を象徴するものであり、プラスイメージでしょう。

 普通の蝉は、樹皮や枝などに産卵され、その年の秋もしくは翌年の梅雨時に孵化して、幼虫となり地中に潜ります。木の根にとりつき樹液を吸い成長します。その期間は、数年から5年ともいわれます。その後地上に這い出して成虫になる準備です。この時は硬い殻に守らています。蟻などに襲われないように、日没後に羽化して成虫となります。蝉となって飛び立った後に抜け殻が残るわけです。

 蝉の一生は地上に出てから一週間と言われていましたが、最近の研究では3週間から1カ月ほどだそうです。いずれにしても短い生涯の使命は、種の保存にあります。子孫を残さんがために、オスはメスを求めて鳴き尽くします。天敵に襲われることもも多く、使命を果たすのは至難なことでしょう。果たして、鐘撞き堂から飛び立った13匹の蝉たちの生涯はどうだったのでしょうか。「俺たちも命を懸けてひと夏を生き切っている。人間様も抜け殻同然などになっていないで、限られた無常なる命をしっかり生きよ」と、13匹の抜け殻は言っているかのようです。その蝉の無常の想いを代弁するつもりで、今朝も鐘を撞きました。もし鐘の音を聴いて、一皮剥けて、一念発起するような人が現れたら幸いです。

 それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1140話】 「ヒマワリの夏」 2019(令和元)年8月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1140話です。

 「スマイリング・シンデレラ」と世界中から称賛された女子ゴルフの渋野日向子(しぶのひなこ)さん。8月4日全英オープンで優勝し、日本勢42年ぶりの海外メジャー制覇を果たしました。20歳とは思えない勝負度胸と、普段は勿論ピンチの時も笑顔を絶やさないその姿勢が、共感を呼んでいます。日向子という名前は向日葵に通ずるのでしょうが、大輪の花の力強さと明るさを感じます。

 さて、日向子さんの偉業の2日前、私もヒマワリに出会ってきました。しかもその数250万本です。山元町の東日本大震災から復旧した8.3ヘクタールの農地一面に、ヒマワリが咲き誇っていました。そこは大震災ですべてが流された徳泉寺の南西2キロほどのところです。震災前は檀家さんの家屋敷や田畑が広がっていました。現在は災害危険区域になり、住まいすることができなくなりました。新浜という行政区でしたが、一軒残らず被災し、移転を余儀なくされました。そのため新浜区は消滅してしまいました。しかし、広大な農地となり、その一部がヒマワリ畑となったのです。

 因縁を感じてのヒマワリ畑訪問でした。といいますのも、徳泉寺復興の一環として、復興誌製作のためにクラウドファンディングによる資金勧募に挑戦したところ、目標額を大幅に超える254万円のご支援をいただきました。まさにヒマワリの数とほぼ同じ数字だからです。徳泉寺を知っている人も、知らない人も、全国の様々な人が応援してくださったおかげです。ほんとうに有難い限りです。

 250万という数字だけを見ても聞いても、あまり実感がわきません。しかしヒマワリ畑に行ってみて、圧倒されました。東京ドーム約2個分の広い土地一面が、見事にヒマワリの黄色に染まっていました。このヒマワリ一本が一円として、総計250万円になるんだと、無粋な想像をしたほどです。250万円の景色は息をのむばかりでした。青空の下、ヒマワリは名前の如くどれもが太陽に向かっているのです。大地から湧き上がるエネルギーそのものに見えました。

 今年は猛暑の夏でしたが、日向子さんの活躍も含めて、ヒマワリの夏という印象です。ヒマワリは太陽の移動に合わせて、向きを変えるので「ひまわり」という説があります。今被災地にとっての太陽は復興にたとえてもいいかもしれません。ヒマワリのその逞しさは被災地から立ち上がった人の姿に見え、その明るさは被災地を励ます人の笑顔に思えました。そのヒマワリの数以上のご支援をいただいた復興誌のタイトルは、『青空があるじゃないか』です。ヒマワリが似合う本にして、復興の仕上げに向かわなければと、改めて心したことでした。

 それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1139話】 「日本列島人」 2019(令和元)年8月11日~20日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1139話です。

 「日本人」とは言わず、「日本列島人」という言い方に興味が湧きました。日本列島に最初に住んだ日本列島人は、どうやって海を渡ってきたかということを研究している人たちがいます。大陸から日本列島に来た経路としては、北海道、対馬、沖縄の3ルートが考えられるそうです。

 今から3万年以上前の旧石器時代の話です。日本国内で発掘されている旧石器時代の人骨は、静岡県浜松市の断片的な一体分を除き、すべて沖縄県内です。DNA解析で台湾や東南アジアの遺伝子型と共通することが判明しています。3万年以上前に南方から沖縄へ航海してきたという説が注目されています。そこで国立科学博物館による「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」では、7月7日に実験航海を行いました。

 3万年前の技術のみで、台湾から沖縄へ向けて航海できるかを検証するのが目的です。石おのなどの道具だけでスギの丸太をくりぬき、舟を作りました。旧石器人になりきり、時計やコンパス、GPS機器などは持たず、風や太陽、星を頼りに航海するというものです。男4人女1人の漕ぎ手が乗り込み、台湾東海岸から約200キロ離れた与那国島を目指しました。こうして潮の流れにも乗り、45時間かけて島に辿り着き、航海は成功しました。ただこれで完全に旧石器人が海を渡ってきたという証明がなされたわけではありません。あくまでも不可能ではないということを示すものだということです。

 確かにその昔日本列島に、どこかの何人かの男女が偶然ではなく、何がしかの意思・目的をもって辿り着き、住み着くようになったのでしょう。非凡なる勇気を持った彼らが、日本列島人となり、3万年の歳月を経て、1億2744万人の日本人がいる現在の日本列島になったと思うと、壮大なロマンを感じます。

 さて、お盆の季節。日本人のルーツを求めて、3万年前まで遡って研究している人たちがいるのです。せめて私たちは、30年前や50年前の自分の先祖に思いを馳せてみませんか。この世に突然降って湧いてきた人などいないのです。少なくとも両親の縁を借りて、命をいただき、様々な人や物に支えられ、現在に至っています。勿論両親にはさらに4人の親がいなければなりません。そのまた先には、8人の親へと続きます。最終的には日本列島人という何人かに行き着くことになるのかもしれません。

 お盆は日本列島のお墓が一番賑わう時です。自分の先祖だけでなく、これまで日本列島を築いてきたすべての人のおかげの上に、私が存在していると思ってみませんか。そうすればお盆に非凡な人生を目指してみようという気になるかもしれません。

 ここでお知らせいたします。7月のカンボジア・エコー募金は、145回×3円で435円でした。ありがとうございました。

 それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1138話】 「夢でない目標」 2019(令和元)年8月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1138話です。

 「退路を断つ」という言葉があります。逃げ道を作らない、言い訳をしないということでもあるでしょう。そんな思いをした、6月から約2カ月に亘って挑戦した、徳泉寺復興の仕上げとしてのクラウドファンディンでした。インターネットを介しての資金勧募という全く新しい分野に、逃げ道はふさわしくないのです。

 夢物語を語って結果が伴わなくとも、それは夢だからという逃げ道があります。しっかりとした目標を立てれば、何が何でもそこに向かって進むだけです。それでも目標に達しないことはあります。その時は素直に力の及ばなかったことを認め、反省して次なる目標に向かうという姿勢ができます。

 先ずは、どんな目的でどのくらいの資金が必要であるかを、訴えます。ただ支援してくださいでは、誰も見向きはしません。みなさんから共感されるような物語が必要です。津波で流された徳泉寺の復興を「はがき一文字写経」で実現するというのは、夢のようですが、物語を感じさせます。今回の資金勧募は、「はがき一文字写経」の納経いただいた全国の約2000人の方に、恩返しの意味を込めて、震災と復興までの過程をまとめた復興誌を製作し配布するためのものです。総額200万円以上の経費がかかりますが、先ず、150万円という目標額を設定しました。そして、期間は6月3日~7月31日の午後11時までということです。

 ここでのシステムは、ALL or nothing といって、期間内に目標額に1円でも足りない場合は成立せず、ご支援いただいた方にすべて返金して、実行者の手元には何も残りません。ただその期間の努力が水の泡となるだけです。数字は非情ですが、一番分かり易いとも言えます。毎日残り日数と共に、入ってきた支援金額が公開されます。日々、震災当時のことやこれまでの汗と涙のことを、物語のように語り続け、みなさんに関心を寄せていただきました。

 おかげさまで、第一目標は1カ月かからずに達成できました。すると、ネクストゴールと言って、更に目標を増額して、支援の呼びかけができます。いずれにしても後がないという強い気持ちで、目標に向かうだけでした。何とかネクストゴールの200万円も大幅に超えることができました。

 今回のことは、資金勧募が第一の目的ではありましたが、今一度東日本大震災を忘れないでというメッセージも発したかったのです。このクラウドファンディングのサイトに、延べ1600人を超える方がアクセスし、その半数近くが20代から30代の人でした。震災当時はまだ若くて、或いは被災地から遠いところに住んでいて、惨状に対する現実味が感じられない人も多かったかもしれません。私でさえ震災のことが夢だったらと思ったこともありました。この度ご縁をいただいた若者たちが、復興を夢物語に終わらせてはいけないと、これからも伝え続けてほしいと、夢でなく思っています。

 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1137話】 「月とスッポン」 2019(令和元)年7月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1137話です。

 「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」月の表面を歩いた史上初の人類となったアームストロング船長の言葉です。ちょうど50年前の1969年7月20日に、アメリカの宇宙飛行船アポロ11号が月面着陸した時のことです。当時の写真では、地球以外の地面に記した人類初の足跡がくっきりと映っています。そこは砂浜のように見えました。

 さて、私もここがほんとうに地球なのかと、思ったことがあります。あの東日本大震災です。誰も予期していない、誰の想定をも超えた惨状は、大袈裟ではなく、どこかよその星で起きた出来事に思えました。

 私が最初に聴いた地震情報では、6メートルの津波が来るということでした。しかし山元町を襲った大津波の最大の高さは、12.2メートルです。浸水面積は町全体の約37パーセントで、居住地域に限れば、50パーセント以上が浸水しているのです。流出した家屋は一千棟を超えています。

 震災から1週間後、ようやく車を走らせることができました。JRの線路も流され、逆さまになった家や、自家用車やトラクター、洗濯機やテレビ、靴やアルバムなど日常の断面が無残な姿を晒していました。もはや人が住める世界ではなくなったと思ったほどでした。

 その間を縫って、もうひとつの住職地徳泉寺に辿り着きました。そこは海から300メートルで、県道から200メートルほど海側に入ったところにあります。県道から先は、車では行けませんでした。まるで砂浜状態なのです。あまりにも海から近いせいか、瓦礫など何もないのです。車から降りて歩き始めました。異次元の世界に踏み込むような心境で。

 境内に着いてみれば、本堂も仏具もすっかりなくなっていました。墓石はすべてなぎ倒され、砂に埋もれていました。しかし、足元の白い砂浜と空の青さがあまりにきれいでした。悲壮感が湧いてこないのです。あれで瓦礫が散乱していたら、落ち込んでいたかもしれません。サッパリしすぎた光景は、「放てば手に満つ」の想いを抱かせてくれました。もはや失うものは何もないのですから。

 あれから8年4カ月が経ち、徳泉寺復興の姿が見え始めた今日この頃。50年前の人類初の月面着陸に重ね合わせている自分がいます。県道から砂浜に踏み込んだあの一歩は、私にとっては月の世界を歩くようなものでした。異次元の世界でも夢物語を描いてみよう。やがて「はがき一文字写経」で本堂再建という発願になり、日本中から寄せられた写経のおかげで実現に向かっています。アームストロング船長の一歩とは月とスッポンの差はありますが、徳泉寺にとっては大きな飛躍です。

 ここでお知らせいたします。徳泉寺復興の仕上げとして復興誌『青空があるじゃないか』製作のためのクラウドファンディングを展開中です。「レディーフォー徳泉寺」で検索してみて下さい。
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 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1136話】 「迷う紫陽花」 2019(令和元)年7月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます

  

 

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1136話です。

 梅雨の真っ只中ですが、インドでも同じように夏の雨季の時期があって、その間僧侶は外出をすると、草木や虫などを踏み殺すということで、一カ所に留まって修行しました。それを安居(あんご)といいます。安心の「安」と居住の「居」と書きます。現在でも我々が道場に籠って修行することを、安居と言っています。

 さて、どうして安居修行するかということです。現代においては、僧侶として一人前の資格を得るため、ということがあるでしょう。それを否定はできませんが、本来は出家して道を求めて、多くの修行僧と切磋琢磨して、悟りを得るという大きな志を抱いて精進することです。

 修行道場でいささかの安居経験がある私ですが、まさに人生の中における様々な経験のひとつというほどのものです。経験の域を超えた「生涯安居」と言えるものではありません。貴重な経験だったとはいえ、あれから数十年の歳月が流れました。もはや悟りの「さ」の字も、日常生活には反映されていません。

 そんな私ですが、誤解を恐れずに言えば、悟りの一面を次のように捉えています。「生きていることは迷いであり 死んだ時が悟りだ」私たちは1日24時間、1年365日迷わない時はありません。朝になってもっと寝ていたい、夜はいつまでも起きていたい、好きだ嫌いだ、ごはんよりパンが食べたい、等々きりがありません。そして人生最期にして最大の迷いは、生きていたい死にたくないということではないでしょうか。

 迷いに迷い、欲や煩悩に振り回されての我がままな日々を、何十年過ごそうとも、必ずや死ぬ時がやってきます。かなり即物的は言い方になりますが、死んだ肉体に痛いも痒いもなく、好きだ嫌いだという心の葛藤もなくなるでしょう。迷いがなくなったということでは、悟りと言いたいのです。

 勿論、生きてくと言うことはそんなに単純なことではありません。迷うということは選ぶということ、選ぶには知恵と力が必要になります。その過程がその人の人生に彩を与えてくれるのでしょう。次のような俗謡があります。「迷う紫陽花 七色変わる 色が定まりゃ 花が散る」迷い悩みながら過ごしていても、そのうち自分の人生はこの色で良かったと思える時が来ることを信じましょう。安居経験者の私でも迷いは消えていません。ただ紫陽花の色の変化を愛でる心が、年々培われているような気がします。

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また6月のカンボジア・エコー募金は、127回×3円で381円でした。ありがとうございました。

 それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。