テレホン法話 一覧

【第1140話】 「ヒマワリの夏」 2019(令和元)年8月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1140話です。

 「スマイリング・シンデレラ」と世界中から称賛された女子ゴルフの渋野日向子(しぶのひなこ)さん。8月4日全英オープンで優勝し、日本勢42年ぶりの海外メジャー制覇を果たしました。20歳とは思えない勝負度胸と、普段は勿論ピンチの時も笑顔を絶やさないその姿勢が、共感を呼んでいます。日向子という名前は向日葵に通ずるのでしょうが、大輪の花の力強さと明るさを感じます。

 さて、日向子さんの偉業の2日前、私もヒマワリに出会ってきました。しかもその数250万本です。山元町の東日本大震災から復旧した8.3ヘクタールの農地一面に、ヒマワリが咲き誇っていました。そこは大震災ですべてが流された徳泉寺の南西2キロほどのところです。震災前は檀家さんの家屋敷や田畑が広がっていました。現在は災害危険区域になり、住まいすることができなくなりました。新浜という行政区でしたが、一軒残らず被災し、移転を余儀なくされました。そのため新浜区は消滅してしまいました。しかし、広大な農地となり、その一部がヒマワリ畑となったのです。

 因縁を感じてのヒマワリ畑訪問でした。といいますのも、徳泉寺復興の一環として、復興誌製作のためにクラウドファンディングによる資金勧募に挑戦したところ、目標額を大幅に超える254万円のご支援をいただきました。まさにヒマワリの数とほぼ同じ数字だからです。徳泉寺を知っている人も、知らない人も、全国の様々な人が応援してくださったおかげです。ほんとうに有難い限りです。

 250万という数字だけを見ても聞いても、あまり実感がわきません。しかしヒマワリ畑に行ってみて、圧倒されました。東京ドーム約2個分の広い土地一面が、見事にヒマワリの黄色に染まっていました。このヒマワリ一本が一円として、総計250万円になるんだと、無粋な想像をしたほどです。250万円の景色は息をのむばかりでした。青空の下、ヒマワリは名前の如くどれもが太陽に向かっているのです。大地から湧き上がるエネルギーそのものに見えました。

 今年は猛暑の夏でしたが、日向子さんの活躍も含めて、ヒマワリの夏という印象です。ヒマワリは太陽の移動に合わせて、向きを変えるので「ひまわり」という説があります。今被災地にとっての太陽は復興にたとえてもいいかもしれません。ヒマワリのその逞しさは被災地から立ち上がった人の姿に見え、その明るさは被災地を励ます人の笑顔に思えました。そのヒマワリの数以上のご支援をいただいた復興誌のタイトルは、『青空があるじゃないか』です。ヒマワリが似合う本にして、復興の仕上げに向かわなければと、改めて心したことでした。

 それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1139話】 「日本列島人」 2019(令和元)年8月11日~20日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1139話です。

 「日本人」とは言わず、「日本列島人」という言い方に興味が湧きました。日本列島に最初に住んだ日本列島人は、どうやって海を渡ってきたかということを研究している人たちがいます。大陸から日本列島に来た経路としては、北海道、対馬、沖縄の3ルートが考えられるそうです。

 今から3万年以上前の旧石器時代の話です。日本国内で発掘されている旧石器時代の人骨は、静岡県浜松市の断片的な一体分を除き、すべて沖縄県内です。DNA解析で台湾や東南アジアの遺伝子型と共通することが判明しています。3万年以上前に南方から沖縄へ航海してきたという説が注目されています。そこで国立科学博物館による「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」では、7月7日に実験航海を行いました。

 3万年前の技術のみで、台湾から沖縄へ向けて航海できるかを検証するのが目的です。石おのなどの道具だけでスギの丸太をくりぬき、舟を作りました。旧石器人になりきり、時計やコンパス、GPS機器などは持たず、風や太陽、星を頼りに航海するというものです。男4人女1人の漕ぎ手が乗り込み、台湾東海岸から約200キロ離れた与那国島を目指しました。こうして潮の流れにも乗り、45時間かけて島に辿り着き、航海は成功しました。ただこれで完全に旧石器人が海を渡ってきたという証明がなされたわけではありません。あくまでも不可能ではないということを示すものだということです。

 確かにその昔日本列島に、どこかの何人かの男女が偶然ではなく、何がしかの意思・目的をもって辿り着き、住み着くようになったのでしょう。非凡なる勇気を持った彼らが、日本列島人となり、3万年の歳月を経て、1億2744万人の日本人がいる現在の日本列島になったと思うと、壮大なロマンを感じます。

 さて、お盆の季節。日本人のルーツを求めて、3万年前まで遡って研究している人たちがいるのです。せめて私たちは、30年前や50年前の自分の先祖に思いを馳せてみませんか。この世に突然降って湧いてきた人などいないのです。少なくとも両親の縁を借りて、命をいただき、様々な人や物に支えられ、現在に至っています。勿論両親にはさらに4人の親がいなければなりません。そのまた先には、8人の親へと続きます。最終的には日本列島人という何人かに行き着くことになるのかもしれません。

 お盆は日本列島のお墓が一番賑わう時です。自分の先祖だけでなく、これまで日本列島を築いてきたすべての人のおかげの上に、私が存在していると思ってみませんか。そうすればお盆に非凡な人生を目指してみようという気になるかもしれません。

 ここでお知らせいたします。7月のカンボジア・エコー募金は、145回×3円で435円でした。ありがとうございました。

 それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1138話】 「夢でない目標」 2019(令和元)年8月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1138話です。

 「退路を断つ」という言葉があります。逃げ道を作らない、言い訳をしないということでもあるでしょう。そんな思いをした、6月から約2カ月に亘って挑戦した、徳泉寺復興の仕上げとしてのクラウドファンディンでした。インターネットを介しての資金勧募という全く新しい分野に、逃げ道はふさわしくないのです。

 夢物語を語って結果が伴わなくとも、それは夢だからという逃げ道があります。しっかりとした目標を立てれば、何が何でもそこに向かって進むだけです。それでも目標に達しないことはあります。その時は素直に力の及ばなかったことを認め、反省して次なる目標に向かうという姿勢ができます。

 先ずは、どんな目的でどのくらいの資金が必要であるかを、訴えます。ただ支援してくださいでは、誰も見向きはしません。みなさんから共感されるような物語が必要です。津波で流された徳泉寺の復興を「はがき一文字写経」で実現するというのは、夢のようですが、物語を感じさせます。今回の資金勧募は、「はがき一文字写経」の納経いただいた全国の約2000人の方に、恩返しの意味を込めて、震災と復興までの過程をまとめた復興誌を製作し配布するためのものです。総額200万円以上の経費がかかりますが、先ず、150万円という目標額を設定しました。そして、期間は6月3日~7月31日の午後11時までということです。

 ここでのシステムは、ALL or nothing といって、期間内に目標額に1円でも足りない場合は成立せず、ご支援いただいた方にすべて返金して、実行者の手元には何も残りません。ただその期間の努力が水の泡となるだけです。数字は非情ですが、一番分かり易いとも言えます。毎日残り日数と共に、入ってきた支援金額が公開されます。日々、震災当時のことやこれまでの汗と涙のことを、物語のように語り続け、みなさんに関心を寄せていただきました。

 おかげさまで、第一目標は1カ月かからずに達成できました。すると、ネクストゴールと言って、更に目標を増額して、支援の呼びかけができます。いずれにしても後がないという強い気持ちで、目標に向かうだけでした。何とかネクストゴールの200万円も大幅に超えることができました。

 今回のことは、資金勧募が第一の目的ではありましたが、今一度東日本大震災を忘れないでというメッセージも発したかったのです。このクラウドファンディングのサイトに、延べ1600人を超える方がアクセスし、その半数近くが20代から30代の人でした。震災当時はまだ若くて、或いは被災地から遠いところに住んでいて、惨状に対する現実味が感じられない人も多かったかもしれません。私でさえ震災のことが夢だったらと思ったこともありました。この度ご縁をいただいた若者たちが、復興を夢物語に終わらせてはいけないと、これからも伝え続けてほしいと、夢でなく思っています。

 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1137話】 「月とスッポン」 2019(令和元)年7月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1137話です。

 「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」月の表面を歩いた史上初の人類となったアームストロング船長の言葉です。ちょうど50年前の1969年7月20日に、アメリカの宇宙飛行船アポロ11号が月面着陸した時のことです。当時の写真では、地球以外の地面に記した人類初の足跡がくっきりと映っています。そこは砂浜のように見えました。

 さて、私もここがほんとうに地球なのかと、思ったことがあります。あの東日本大震災です。誰も予期していない、誰の想定をも超えた惨状は、大袈裟ではなく、どこかよその星で起きた出来事に思えました。

 私が最初に聴いた地震情報では、6メートルの津波が来るということでした。しかし山元町を襲った大津波の最大の高さは、12.2メートルです。浸水面積は町全体の約37パーセントで、居住地域に限れば、50パーセント以上が浸水しているのです。流出した家屋は一千棟を超えています。

 震災から1週間後、ようやく車を走らせることができました。JRの線路も流され、逆さまになった家や、自家用車やトラクター、洗濯機やテレビ、靴やアルバムなど日常の断面が無残な姿を晒していました。もはや人が住める世界ではなくなったと思ったほどでした。

 その間を縫って、もうひとつの住職地徳泉寺に辿り着きました。そこは海から300メートルで、県道から200メートルほど海側に入ったところにあります。県道から先は、車では行けませんでした。まるで砂浜状態なのです。あまりにも海から近いせいか、瓦礫など何もないのです。車から降りて歩き始めました。異次元の世界に踏み込むような心境で。

 境内に着いてみれば、本堂も仏具もすっかりなくなっていました。墓石はすべてなぎ倒され、砂に埋もれていました。しかし、足元の白い砂浜と空の青さがあまりにきれいでした。悲壮感が湧いてこないのです。あれで瓦礫が散乱していたら、落ち込んでいたかもしれません。サッパリしすぎた光景は、「放てば手に満つ」の想いを抱かせてくれました。もはや失うものは何もないのですから。

 あれから8年4カ月が経ち、徳泉寺復興の姿が見え始めた今日この頃。50年前の人類初の月面着陸に重ね合わせている自分がいます。県道から砂浜に踏み込んだあの一歩は、私にとっては月の世界を歩くようなものでした。異次元の世界でも夢物語を描いてみよう。やがて「はがき一文字写経」で本堂再建という発願になり、日本中から寄せられた写経のおかげで実現に向かっています。アームストロング船長の一歩とは月とスッポンの差はありますが、徳泉寺にとっては大きな飛躍です。

 ここでお知らせいたします。徳泉寺復興の仕上げとして復興誌『青空があるじゃないか』製作のためのクラウドファンディングを展開中です。「レディーフォー徳泉寺」で検索してみて下さい。
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 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1136話】 「迷う紫陽花」 2019(令和元)年7月11日~20日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1136話です。

 梅雨の真っ只中ですが、インドでも同じように夏の雨季の時期があって、その間僧侶は外出をすると、草木や虫などを踏み殺すということで、一カ所に留まって修行しました。それを安居(あんご)といいます。安心の「安」と居住の「居」と書きます。現在でも我々が道場に籠って修行することを、安居と言っています。

 さて、どうして安居修行するかということです。現代においては、僧侶として一人前の資格を得るため、ということがあるでしょう。それを否定はできませんが、本来は出家して道を求めて、多くの修行僧と切磋琢磨して、悟りを得るという大きな志を抱いて精進することです。

 修行道場でいささかの安居経験がある私ですが、まさに人生の中における様々な経験のひとつというほどのものです。経験の域を超えた「生涯安居」と言えるものではありません。貴重な経験だったとはいえ、あれから数十年の歳月が流れました。もはや悟りの「さ」の字も、日常生活には反映されていません。

 そんな私ですが、誤解を恐れずに言えば、悟りの一面を次のように捉えています。「生きていることは迷いであり 死んだ時が悟りだ」私たちは1日24時間、1年365日迷わない時はありません。朝になってもっと寝ていたい、夜はいつまでも起きていたい、好きだ嫌いだ、ごはんよりパンが食べたい、等々きりがありません。そして人生最期にして最大の迷いは、生きていたい死にたくないということではないでしょうか。

 迷いに迷い、欲や煩悩に振り回されての我がままな日々を、何十年過ごそうとも、必ずや死ぬ時がやってきます。かなり即物的は言い方になりますが、死んだ肉体に痛いも痒いもなく、好きだ嫌いだという心の葛藤もなくなるでしょう。迷いがなくなったということでは、悟りと言いたいのです。

 勿論、生きてくと言うことはそんなに単純なことではありません。迷うということは選ぶということ、選ぶには知恵と力が必要になります。その過程がその人の人生に彩を与えてくれるのでしょう。次のような俗謡があります。「迷う紫陽花 七色変わる 色が定まりゃ 花が散る」迷い悩みながら過ごしていても、そのうち自分の人生はこの色で良かったと思える時が来ることを信じましょう。安居経験者の私でも迷いは消えていません。ただ紫陽花の色の変化を愛でる心が、年々培われているような気がします。

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また6月のカンボジア・エコー募金は、127回×3円で381円でした。ありがとうございました。

 それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1135話】 「毛がない本尊」 2019(令和元)年7月1日~10日

  

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1135話です。

 東日本大震災で、本堂等すべてが流された徳泉寺の本尊・お釈迦さまは、奇跡的に無事発見されました。幸いなことに、徳泉寺の本寺である徳本寺の本堂で仮安置されることになりました。そして奇跡の本尊「一心本尊」さまが、全国デビューしたのは、平成25年12月31日のこと。NHKの看板番組「ゆく年くる年」によってです。

 仮安置されている徳本寺から、除夜の鐘の中継放送があった折に、山元町の特産品であるいちごと共に紹介されました。奇跡的に発見された一心本尊と、大打撃を受けながらも見事復活した真っ赤ないちごが、画面いっぱいに映し出されました。各地を結んでの年末年始のワンシーンですから、わずか2分20秒の映像でしたが、被災地も立ち直ってきたぞというアピールはできたような気がします。大震災から1027日のことです。

 その本尊さまですが、詳細についての記録は元々ありませんでした。古さは感じられず、現代のものかもしれません。台座・光背・脇侍は流されて不明です。本尊さま本体の金箔や塗りは剥げて、多少傷はついてしまいました。頭部を見て誰もが、震災のためですかと言います。お釈迦さまの頭は、縮れて渦巻いた螺髪(らほつ)という髪型で、頭頂が肉(にっ)(けい)といって、少し盛り上がっているものです。ところが一心本尊さまは、肉髻の部分に螺髪がなく無毛なのです。髪の毛の一部が何らかの影響でなくなってしまったかのようです。

 確かに珍しいお姿ではありますが、津波の影響でも何でもありません。私の知る範囲では、東京・目黒の五百羅漢寺の本尊のお釈迦さまが、同じように肉髻に髪の毛はありません。五百羅漢寺によれば、この像を造った松雲元慶は黄檗宗の方で、中国禅宗様式に影響を受けた作風だといいます。また奈良国立博物館にある南北朝時代の作の出山(しゅっせん)釈迦(しゃか)立像(りゅうぞう)(6年間の苦行林での修行後に山を下りてくる釈迦の姿)も、同じように髪の毛のない肉髻になっています。

 肉髻に髪の毛のあるなしはともかく、肉髻はお釈迦さまの徳相を表す三十二相のひとつです。悟りに達した証と頭脳明晰さを示しているといわれます。その上、徳泉寺の一心本尊さまは、千年に一度ともいわれる災難を逃れて、世の人々の無難無災を一心に願う奇跡の仏さまです。特に「みんな怪我(毛が)なく」無事でありますようにと一心に祈っていると思ってください。

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 それでは又、7月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1134話】 「虹梁」 2019(令和元)年6月21日-30日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1134話です。

 「犬走り」や「鴨居」「蝶つがい」など、生き物の名前を入れて、建物を造っている日本建築にゆかしさを感じます。更に、寺院建築には、虹の梁と書いて「虹梁」と呼ばれる部分があります。柱と柱の間に渡される梁の一種で、緩やかに湾曲した形になっています。まるで、虹が架かっているかのようです。確かに、虹梁はただ弓のように反っているというだけでなく、何がしかの彫刻や彩色が施してあり、見栄えのするものです。

 梁ですから、建築の構造上、屋根などの重さを支えるものでなければなりません。加えて、本堂建築などでみられる梁は、寺という空間を荘厳する重要な部分でもあるのでしょう。それが虹梁というふうに進化してきたのかもしれません。特に、高低差のある柱間に渡される梁は、海老のように湾曲しているので、海老虹梁と呼ばれます。まさに宮大工の腕の見せ所でしょう。

 さて、東日本大震災で流された徳泉寺本堂も、多くのみなさまのご支援のおかげで、先月上棟式まで漕ぎつけることができました。本堂そのものは、5間四方ですので、そんなに大きなものではありません。しかし、総青森ヒバ造りで、そこそこに本堂の体裁は保っています。本堂中央の大間というところは、4本の虹梁で囲まれています。

 その虹梁を仰いで思い起こしました。大震災の後、何もかもなくなった徳泉寺の跡地に立った時のことです。即座に「もはや本堂を建てることはできないだろう。青空寺院という生き方を模索すべきかもしれない」と覚悟しました。事実、ほんとうに見事な青空が広がっていたのですから。でも、すぐ思い直しました。まだこんな青空が見られるなら、青空が似合う本堂を建てるという夢を持ち続けてもいいのではないかと。

 勿論、夢と言っただけでは、ほんとうに夢で終わってしまいます。秘かに目標に格上げしました。何年かかろうが、どんな形であろと本堂は建てよう。そうしたら、計画が湧き上がってきました。「はがき一文字写経」による復興です。それでも、虹梁のある本格的本堂までは思い至らず、虹梁は夢の世界でした。

それが今、虹梁の下に立ち、ある言葉をかみしめています。「雨が降らなければ 虹は架からない」。この復興まで、どれほどの雨が降ったことか、いやその前に、あれだけの大震災があったということが始まりです。それでも、目標を掲げて、止まない雨はないと信じていれば、虹は架かるということを、文字通り虹梁が教えてくれました。

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 それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1133話】 「ネット勧進」 2019(令和元)年6月11日~20日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1133話です。

 東京の目黒不動のそばに、五百羅漢寺というお寺があります。当初は名前の通り、五百体の羅漢像がありました。現存するのは305体ですが、ひな壇にずらりと並んだ羅漢像を拝むと、実に壮観です。羅漢とは悟りをひらいた高僧のことです。この羅漢像はたった一人の手でで彫り上げられました。元禄時代の僧侶で仏師でもあった松雲元慶が、十数年の歳月をかけて成し遂げた大事業です。そのために、江戸の町を托鉢をして浄財を集めるという勧進も続けたのです。こうして元禄8年五百羅漢寺を開かれました。松雲は生涯で700体を超える仏像を彫ったといわれます。

 その松雲が師と仰いだのは、鉄眼道光です。五百羅漢寺を開くときには亡くなっていましたが、松雲は自分を第一代とはせずに、鉄眼を勧請して開山としました。鉄眼は江戸時代初めの寛文4年に「日本に仏教がもたらされてから、千年以上になるが、重要な仏教聖典の集成である大蔵経が一度も刊行されていない。何としてもこれを刊行して仏の教えを広めよう」と発願しました。

 当時は版木による印刷です。大蔵経は約7千巻あり、版木の数にして6万枚にもなります。気の遠くなるような難事業です。しかし、どんな困難にも屈しないという決意の下、十数年諸国を行脚して、人々に仏の教えを説きながら、大蔵経刊行のための浄財の勧進に力を尽くしました。

 その間、2度の天災飢饉に見舞われ、経典刊行よりも人命救済が大事とばかり、せっかく集まった浄財を差し出します。この頃に松雲は鉄眼の弟子になっています。この師匠あってこの弟子です。鉄眼は度重なる困難をのり越え、とうとう大蔵経を刊行しました。大蔵経の中には大般若六百巻も含まれます。因みに徳本寺にある大般若経も鉄眼の作った版木によるものです。

 鉄眼や松雲の勧進とは、まったく趣を異にしますが、現代の勧進といえば、クラウドファンディングです。インターネットを介して、自分が起案した事業を紹介し、賛同する不特定多数の人から資金を調達するというものです。アメリカで始まり、日本では東日本大震災があった2011年3月に、レディフォーという会社が始めています。

 徳泉寺も「はがき一文字写経」の勧進で震災からの復興を目指しています。現在は復興の仕上げとしてクラウドファンディングでも勧進を試みています。復興への道のりを伝える記録誌『青空があるじゃないか』を刊行し、ご支援のみなさまに配布するという事業です。鉄眼の大蔵経刊行には及びもつきませんが、ネットという諸国を行脚しながら、今一度、震災のことに向き合っていただきたいという想いで、様々な情報を発信しつつ、支援を呼びかけています。そうしネット肝心の資金が集まらないのです。「レディフォー一文字写経」で検索してみてください。
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 ここでお知らせ致します。5月のカンボジア・エコー募金は、164回×3円で492円でした。あっこれも勧進のひとつですね。ありがとうございました。

 それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1132話】 「喜捨」 2019(令和元)年6月1日~10日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1132話です。

 「断捨離」とは、モノへの執着を離れ、不要なモノを捨てるという考え方です。とは言っても、お金を落とす人はいても、お金を捨てる人はいないでしょう。ですが喜び捨てると書く「喜捨」という行為があります。進んで金銭などを寺や神社・困っている人に差し出すことです。

 アメリカの資産家ロバート・スミスさんは、ある大学ののべ400人分に当たる卒業生全員の学生ローンを肩代わりすると表明しました。その額4千万ドル(約44億円)です。卒業生の多くは、3万~4万ドル(330万~440万円)の学生ローンを抱えているそうです。彼はアフリカ系出身です。アフリカ系の学生が中心のモアハウス大学の卒業式で、「この国で8世代暮らしてきた一家として、みなさんの乗る『バス』に少し燃料を入れよう」と粋な申し出をしたのです。

 そう言えばアメリカの先住民の一族の長は、大事な判断の時、7代先の末裔(まつえい)にとって良いと思えば「イエス」、良くなければ「明日のためには良くてもノー」と答えるように義務づけられているとか。アフリカから来たであろうロバート・スミスさんの先祖は、どんな判断の下に「イエス」と言ったのでしょうか。その先祖の想いの先に彼が存在し、50億ドル(5500億円)の総資産を擁するまでになっています。そして彼は言います「善意をつないでほしい」と。

 さて、時を同じくして、日本でも善意がつながった話があります。4月24日沖縄の高校2年生の崎元颯馬(そうま)さんは、伯父の葬儀で実家の島に帰るため、モノレールで那覇空港に向かっていました。途中で財布をなくしたことに気づきました。空港に着いても降りるに降りられず、座席で頭を抱えていました。たまたま乗り合わせた埼玉県の医師、狩野屋博さんが思わず声をかけました。飛行機の時間が迫っているのに、お金がなくて困っているという、なくしたお金は6万円。そのうち発車のベルが鳴ったため、6万円を手渡し先を急がせました。連絡先や名前も確認せずに。

 高校生は無事葬儀に参列できた後、沖縄の新聞社に連絡して、「お礼がしたい」という顔写真付きの記事を掲載してもらいました。いきさつを聞いていた医師の同僚が、ネットでこの記事に気づき、狩野屋さんに伝えました。こうして、思わぬ出会いから約1カ月後の5月21日、狩野屋さんが沖縄の高校を訪れ、崎元さんと再会。なくした財布は別の駅で保管され、6万円は戻ったので、お金を返し、直接お礼を言うことができました。

 不要なお金を持っている人はいません。それを喜捨できる人は極わずかです。44億円はけた外れで、自分と比較はできませんが、6万円ならどうでしょう。何の疑いも迷いもなく、見知らぬ人に差し出せるでしょうか。高校生とて、地獄で仏に会った思いで、どれほど有り難かったことか。何とかお礼を言いたいと願っていたのです。それも喜び感謝するという立派な「喜謝」と言えます。

 それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1131話】 「青空と上棟式」 2019(令和元)年5月21日~31日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1131話です。

 その日は恨めしいほどの青空が広がっていました。東日本大震災から1週間経った3月18日、私はやっと兼務住職地である徳泉寺に辿り着きました。ここ山元町は未曾有の被害となり、海から300メートルの徳泉寺も、本堂等すべてが津波で流されていました。瓦礫ひとつ残っていない、白い砂浜状態でした。普段はこんな青空なのに、どうしてあれほどの震災が起きたのかと、嘆かずにはいられませんでした。

 同時に「何だ青空があるじゃないか」と思ったことも事実です。何もかもなくなっても、青空には見捨てられていなぞという気持ちです。でも、世の中全体が、不安と恐怖と悲しみに覆われているときに、「青空があるから大丈夫」などと軽率なことは言えません。その言葉は封印しつつも、何とかなる、何とかしなければと心を奮い立たせました。

 それからちょうど8年2カ月たったこの5月18日、恨めしい青空は、澄み渡った青空になっていました。徳泉寺の本堂客殿工事の上棟式が行われたのです。大震災1年後から全国の方に呼びかけた「はがき一文字写経」による徳泉寺復興が、実を結んだのです。北海道から沖縄まで、延べ2240人の方から、納経志納をいただきました。はがきの枚数で1900枚、納経料は3700万円を超えました。

 ほとんどの方が、徳泉寺の「と」の字も知らないし、山元町も訪れたことがなかったことでしょう。しかし、あの惨状を知るにつけ、何かできることはないかという想いに駆られて、写経された方も多かったのかもしれません。ほんとうに有難いご縁に、ただただ感謝あるのみです。

 上棟式は堂内において、工事の安全と速やかな完成を祈願する法要を行いました。その後屋外で古式ゆかしく、棟梁の音頭の下、参列者全員で紅白の綱を引き、棟木を上げる儀式。そして屋根のてっぺんに棟木を打ち付ける槌打(ついうち)の儀式と続きます。めでたく棟木が上がったところで、住職・総代・棟梁が足場にのぼり、餅とお金を撒きました。

 屋根には五色幡など都合5本の柱が立っています。左右の柱には大きな弓矢が設置されています。向かって右の弓は、赤い弦で天に向かって弓を引いています。左の弓は、白い弦で地面に向かって弓を引いている姿です。これは天と地の悪魔を退治し、建物を守るためです。そして、悪魔を追い払ってそれで終わりではなく、これからも悪魔が怒り出さないようにと、鎮める意味で餅を供えます。それが餅撒きに繋がっているようです。

 大震災ももしかした天と地の悪魔だったのでしょうか。でも上棟式で、見事に弓矢が放たれたので、もう大丈夫でしょう。何より本堂完成の暁には、ならぬ、一文字一文字のみなさまの写経がお供えされるのですから。五月晴れの上等な青空がもたらした上棟式でした。

 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。