テレホン法話 一覧

【第1134話】 「虹梁」 2019(令和元)年6月21日-30日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1134話です。

 「犬走り」や「鴨居」「蝶つがい」など、生き物の名前を入れて、建物を造っている日本建築にゆかしさを感じます。更に、寺院建築には、虹の梁と書いて「虹梁」と呼ばれる部分があります。柱と柱の間に渡される梁の一種で、緩やかに湾曲した形になっています。まるで、虹が架かっているかのようです。確かに、虹梁はただ弓のように反っているというだけでなく、何がしかの彫刻や彩色が施してあり、見栄えのするものです。

 梁ですから、建築の構造上、屋根などの重さを支えるものでなければなりません。加えて、本堂建築などでみられる梁は、寺という空間を荘厳する重要な部分でもあるのでしょう。それが虹梁というふうに進化してきたのかもしれません。特に、高低差のある柱間に渡される梁は、海老のように湾曲しているので、海老虹梁と呼ばれます。まさに宮大工の腕の見せ所でしょう。

 さて、東日本大震災で流された徳泉寺本堂も、多くのみなさまのご支援のおかげで、先月上棟式まで漕ぎつけることができました。本堂そのものは、5間四方ですので、そんなに大きなものではありません。しかし、総青森ヒバ造りで、そこそこに本堂の体裁は保っています。本堂中央の大間というところは、4本の虹梁で囲まれています。

 その虹梁を仰いで思い起こしました。大震災の後、何もかもなくなった徳泉寺の跡地に立った時のことです。即座に「もはや本堂を建てることはできないだろう。青空寺院という生き方を模索すべきかもしれない」と覚悟しました。事実、ほんとうに見事な青空が広がっていたのですから。でも、すぐ思い直しました。まだこんな青空が見られるなら、青空が似合う本堂を建てるという夢を持ち続けてもいいのではないかと。

 勿論、夢と言っただけでは、ほんとうに夢で終わってしまいます。秘かに目標に格上げしました。何年かかろうが、どんな形であろと本堂は建てよう。そうしたら、計画が湧き上がってきました。「はがき一文字写経」による復興です。それでも、虹梁のある本格的本堂までは思い至らず、虹梁は夢の世界でした。

それが今、虹梁の下に立ち、ある言葉をかみしめています。「雨が降らなければ 虹は架からない」。この復興まで、どれほどの雨が降ったことか、いやその前に、あれだけの大震災があったということが始まりです。それでも、目標を掲げて、止まない雨はないと信じていれば、虹は架かるということを、文字通り虹梁が教えてくれました。

 ここでお知らせいたします。徳泉寺復興の仕上げとして復興誌『青空があるじゃないか』制作のためのクラウドファンディングを展開中です。「レディーフォー徳泉寺」で検索してみて下さい。
【詳細はコチラ】

 それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1133話】 「ネット勧進」 2019(令和元)年6月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1133話です。

 東京の目黒不動のそばに、五百羅漢寺というお寺があります。当初は名前の通り、五百体の羅漢像がありました。現存するのは305体ですが、ひな壇にずらりと並んだ羅漢像を拝むと、実に壮観です。羅漢とは悟りをひらいた高僧のことです。この羅漢像はたった一人の手でで彫り上げられました。元禄時代の僧侶で仏師でもあった松雲元慶が、十数年の歳月をかけて成し遂げた大事業です。そのために、江戸の町を托鉢をして浄財を集めるという勧進も続けたのです。こうして元禄8年五百羅漢寺を開かれました。松雲は生涯で700体を超える仏像を彫ったといわれます。

 その松雲が師と仰いだのは、鉄眼道光です。五百羅漢寺を開くときには亡くなっていましたが、松雲は自分を第一代とはせずに、鉄眼を勧請して開山としました。鉄眼は江戸時代初めの寛文4年に「日本に仏教がもたらされてから、千年以上になるが、重要な仏教聖典の集成である大蔵経が一度も刊行されていない。何としてもこれを刊行して仏の教えを広めよう」と発願しました。

 当時は版木による印刷です。大蔵経は約7千巻あり、版木の数にして6万枚にもなります。気の遠くなるような難事業です。しかし、どんな困難にも屈しないという決意の下、十数年諸国を行脚して、人々に仏の教えを説きながら、大蔵経刊行のための浄財の勧進に力を尽くしました。

 その間、2度の天災飢饉に見舞われ、経典刊行よりも人命救済が大事とばかり、せっかく集まった浄財を差し出します。この頃に松雲は鉄眼の弟子になっています。この師匠あってこの弟子です。鉄眼は度重なる困難をのり越え、とうとう大蔵経を刊行しました。大蔵経の中には大般若六百巻も含まれます。因みに徳本寺にある大般若経も鉄眼の作った版木によるものです。

 鉄眼や松雲の勧進とは、まったく趣を異にしますが、現代の勧進といえば、クラウドファンディングです。インターネットを介して、自分が起案した事業を紹介し、賛同する不特定多数の人から資金を調達するというものです。アメリカで始まり、日本では東日本大震災があった2011年3月に、レディフォーという会社が始めています。

 徳泉寺も「はがき一文字写経」の勧進で震災からの復興を目指しています。現在は復興の仕上げとしてクラウドファンディングでも勧進を試みています。復興への道のりを伝える記録誌『青空があるじゃないか』を刊行し、ご支援のみなさまに配布するという事業です。鉄眼の大蔵経刊行には及びもつきませんが、ネットという諸国を行脚しながら、今一度、震災のことに向き合っていただきたいという想いで、様々な情報を発信しつつ、支援を呼びかけています。そうしネット肝心の資金が集まらないのです。「レディフォー一文字写経」で検索してみてください。
 【詳細はコチラ】

 ここでお知らせ致します。5月のカンボジア・エコー募金は、164回×3円で492円でした。あっこれも勧進のひとつですね。ありがとうございました。

 それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1132話】 「喜捨」 2019(令和元)年6月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます

 
 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1132話です。

 「断捨離」とは、モノへの執着を離れ、不要なモノを捨てるという考え方です。とは言っても、お金を落とす人はいても、お金を捨てる人はいないでしょう。ですが喜び捨てると書く「喜捨」という行為があります。進んで金銭などを寺や神社・困っている人に差し出すことです。

 アメリカの資産家ロバート・スミスさんは、ある大学ののべ400人分に当たる卒業生全員の学生ローンを肩代わりすると表明しました。その額4千万ドル(約44億円)です。卒業生の多くは、3万~4万ドル(330万~440万円)の学生ローンを抱えているそうです。彼はアフリカ系出身です。アフリカ系の学生が中心のモアハウス大学の卒業式で、「この国で8世代暮らしてきた一家として、みなさんの乗る『バス』に少し燃料を入れよう」と粋な申し出をしたのです。

 そう言えばアメリカの先住民の一族の長は、大事な判断の時、7代先の末裔(まつえい)にとって良いと思えば「イエス」、良くなければ「明日のためには良くてもノー」と答えるように義務づけられているとか。アフリカから来たであろうロバート・スミスさんの先祖は、どんな判断の下に「イエス」と言ったのでしょうか。その先祖の想いの先に彼が存在し、50億ドル(5500億円)の総資産を擁するまでになっています。そして彼は言います「善意をつないでほしい」と。

 さて、時を同じくして、日本でも善意がつながった話があります。4月24日沖縄の高校2年生の崎元颯馬(そうま)さんは、伯父の葬儀で実家の島に帰るため、モノレールで那覇空港に向かっていました。途中で財布をなくしたことに気づきました。空港に着いても降りるに降りられず、座席で頭を抱えていました。たまたま乗り合わせた埼玉県の医師、狩野屋博さんが思わず声をかけました。飛行機の時間が迫っているのに、お金がなくて困っているという、なくしたお金は6万円。そのうち発車のベルが鳴ったため、6万円を手渡し先を急がせました。連絡先や名前も確認せずに。

 高校生は無事葬儀に参列できた後、沖縄の新聞社に連絡して、「お礼がしたい」という顔写真付きの記事を掲載してもらいました。いきさつを聞いていた医師の同僚が、ネットでこの記事に気づき、狩野屋さんに伝えました。こうして、思わぬ出会いから約1カ月後の5月21日、狩野屋さんが沖縄の高校を訪れ、崎元さんと再会。なくした財布は別の駅で保管され、6万円は戻ったので、お金を返し、直接お礼を言うことができました。

 不要なお金を持っている人はいません。それを喜捨できる人は極わずかです。44億円はけた外れで、自分と比較はできませんが、6万円ならどうでしょう。何の疑いも迷いもなく、見知らぬ人に差し出せるでしょうか。高校生とて、地獄で仏に会った思いで、どれほど有り難かったことか。何とかお礼を言いたいと願っていたのです。それも喜び感謝するという立派な「喜謝」と言えます。

 それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1131話】 「青空と上棟式」 2019(令和元)年5月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます

 
 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1131話です。

 その日は恨めしいほどの青空が広がっていました。東日本大震災から1週間経った3月18日、私はやっと兼務住職地である徳泉寺に辿り着きました。ここ山元町は未曾有の被害となり、海から300メートルの徳泉寺も、本堂等すべてが津波で流されていました。瓦礫ひとつ残っていない、白い砂浜状態でした。普段はこんな青空なのに、どうしてあれほどの震災が起きたのかと、嘆かずにはいられませんでした。

 同時に「何だ青空があるじゃないか」と思ったことも事実です。何もかもなくなっても、青空には見捨てられていなぞという気持ちです。でも、世の中全体が、不安と恐怖と悲しみに覆われているときに、「青空があるから大丈夫」などと軽率なことは言えません。その言葉は封印しつつも、何とかなる、何とかしなければと心を奮い立たせました。

 それからちょうど8年2カ月たったこの5月18日、恨めしい青空は、澄み渡った青空になっていました。徳泉寺の本堂客殿工事の上棟式が行われたのです。大震災1年後から全国の方に呼びかけた「はがき一文字写経」による徳泉寺復興が、実を結んだのです。北海道から沖縄まで、延べ2240人の方から、納経志納をいただきました。はがきの枚数で1900枚、納経料は3700万円を超えました。

 ほとんどの方が、徳泉寺の「と」の字も知らないし、山元町も訪れたことがなかったことでしょう。しかし、あの惨状を知るにつけ、何かできることはないかという想いに駆られて、写経された方も多かったのかもしれません。ほんとうに有難いご縁に、ただただ感謝あるのみです。

 上棟式は堂内において、工事の安全と速やかな完成を祈願する法要を行いました。その後屋外で古式ゆかしく、棟梁の音頭の下、参列者全員で紅白の綱を引き、棟木を上げる儀式。そして屋根のてっぺんに棟木を打ち付ける槌打(ついうち)の儀式と続きます。めでたく棟木が上がったところで、住職・総代・棟梁が足場にのぼり、餅とお金を撒きました。

 屋根には五色幡など都合5本の柱が立っています。左右の柱には大きな弓矢が設置されています。向かって右の弓は、赤い弦で天に向かって弓を引いています。左の弓は、白い弦で地面に向かって弓を引いている姿です。これは天と地の悪魔を退治し、建物を守るためです。そして、悪魔を追い払ってそれで終わりではなく、これからも悪魔が怒り出さないようにと、鎮める意味で餅を供えます。それが餅撒きに繋がっているようです。

 大震災ももしかした天と地の悪魔だったのでしょうか。でも上棟式で、見事に弓矢が放たれたので、もう大丈夫でしょう。何より本堂完成の暁には、ならぬ、一文字一文字のみなさまの写経がお供えされるのですから。五月晴れの上等な青空がもたらした上棟式でした。

 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1130話】 「不便な人間」 2019(令和元)年5月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます

 
 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1130話です。

 「休めない 人が支える 10連休」と新聞の川柳欄にありました。日本のカレンダ―史上初めてかもしれない日本全国10連休といっても、それを丸々享受できた人は、どれだけいたのでしょう。休日を休日足らしめるためには、休む人以上に働く人がいなければ成り立ちません。

 10連休どころではない年中無休で24時間営業していると言えば、コンビニエンスストアです。名前の通り確かに便利です。全国で郵便局の倍以上の5万5千店あるそうです。真夜中であれ早朝であれ、ちょっと出かけて行って、たいていの用は済ませることができます。勿論無人営業ではないので、常に誰かは店にいるわけです。

 コンビニ大手のセブンーイレブンは、朝7時から夜11時の営業で始めたのでその名前になりました。44年前に24時間営業を始め、その後他社も含めて全国に広がりました。今私たちはどっぷりとその便利さに浸っています。しかし、それは自然の営みとは言い難いところがあります。ここにきて、24時間も店を開けている必要があるのかという意見が出てきました。直接的原因はアルバイトを集めにくくなった上、時給も高くなりコンビニの経営が苦しくなってきたからです。人手不足を補うため、店主自らが長時間店に立っても、休みなしでは限界があります。

 コンビニの最大の目玉は24時間年中無休ということです。実は世論調査によれば、コンビニ24時間営業は「不要」というのが62%で、「必要」の29%を大きく上回っています。ただし、若年層では「必要」が多数だったのに対して、40代以上は「必要でない」が多くを占めています。生まれた時から、24時間営業に接していれば、それが自然かもしれません。一方、成長過程で24時間に出会った年代は、それがなくても自然の姿であり、昼夜のけじめの大切さを知っています。

 現代のわが国において、欠けているものは、計画性と緊張感です。コンビニがあると思えば、計画的に買い物はしなくなるし、調味料がなくなったらどうしようなどという緊張感も生まれないでしょう。なんでも当たり前と思っていると、想像力が衰えてきます。飛躍して聞えるかもしれませんが、想像力の欠如が子どもたちのいじめの遠因になっているような気がします。どこにもある、いつも開いてる、何でもある、そんな環境にいれば、少し遠い、ちょっと相手にされない、わずかに足りないという、些細なことにも我慢できない不便な人間になっても不思議はありません。便利なコンビニで一番の売れ筋は、「不便な人間」という生き物かもしれません。

 ここでお知らせ致します。4月のカンボジア・エコー募金は、165回×3円で495円でした。ありがとうございました。

 それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1129話】 「令和に因み」 2019(令和元)年5月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます

 
 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1129話です。

 月を望むと書いて「望月」、満月のことです。そして陰暦の15日を望日(ぼうじつ)といいます。因みに1日は朔日で、ひと月が終わって暦の最初に戻った日を意味します。お寺では毎月朔望(さくもう)つまり1日と15日の朝には、祝祷諷経(しゅくとうふぎん)という特別なお勤めがあります。新月と満月という月の変化の節目に、心を新たにする意味合いもあるのかもしれません。

 祝祷諷経は元々聖なる人を祝う「祝聖(しゅくしん)諷経」と称していました。その昔の中国で皇帝(天皇)の福寿長久を祝うお勤めでした。当時は皇帝が絶対的専制者であり、寺院も国家との良好な関係を保つことが必要だったからです。日本でもその名残を踏襲していた時代がありました。時の国家や権力者を仏と仰ぐような面が祝聖諷経にはありました。

 しかし現代における祝祷諷経では、その内容が改められました。曹洞宗の本尊のお釈迦さま、両大本山の永平寺の道元禅師、總持寺の瑩山禅師を一仏両祖として崇めるという本来の宗教の姿にたち帰っています。更には「正法興隆 国土安穏 万邦和楽 諸縁吉祥」を専らに祈るというお唱えを致します。つまり、「仏の正しい教えが盛んになり この国が安らかで穏やかでありますように また 世界の国が和平の世を楽しめ すべてのことがらに幸いが訪れるように」と念じているのです。

 さて、わが国は5月1日に「令和」と元号が改まりました。天皇の代替わりの時だけ改元する「一世一元」の制度に則り、新しい天皇の即位に伴うものです。元号の歴史を見れば、天皇の支配に服するという象徴的な意味合いがあるから、廃止した方がいいという意見もあります。しかし大方は、元号イコール天皇というより、元号イコール時代という感覚が強いと思われます。祝聖諷経と祝祷諷経の違いに似ています。

 この度の令和という元号は、万葉集にある令月が引用のひとつになっています。「令」という字は「形がよい」という意味もあり、令月から望月をイメージでき、円かな心の象徴でしょうか。「和」は「風和らぎ」ということですが、平和でおだやかな暮らしができる世の中であって欲しい、という願いも込められていることでしょう。

 1日が改元日ということで、国を挙げてお正月が来たかのようなお祝いムードです。ただお正月のような浮かれ方は、どうしても「三日坊主」なってしまいます。新元号で感じた新鮮さとおだやかな世を願うことを常に忘れてはいけません。三日坊主でないほんとうの和尚さんは、少なくとも毎月1日と15日には、祝祷諷経を勤めて、仏国土に暮らす人々の幸せを願っています。外見だけの改元に終わることなく、令和が良き時代だったと例えられる例話を、このテレホン法話でもたくさん紹介できるよう努めてまいります。

 それでは又、5月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1128話】 「我々の貴婦人」 2019(平成31)年4月21日~30日

住職が語る法話を聴くことができます

 
 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1128話です。

 徳本寺は江戸時代に、2度火災に遭って本堂を焼失しています。今から334年前の貞享2年11月とそれから91年後の安永5年3月です。当時は現在地よりも2キロほど西にありました。2度目の火災の75年後に、現在地に移り、本堂が再建されました。寺院が火災に遭った話はよく聞きます。一瞬にして何百年もの歴史を失うこともあるわけですから、想像を絶する出来事です。

 フランスのパリで15日の夜、世界遺産でもあるノートルダム大聖堂で、火災が発生。8時間以上に亘って燃え続け、大半の屋根が焼失。パリのどこからでも見え、街の象徴だった高さ96メートルの尖塔も崩落してしまいました。日本で言えば平安時代の後期、1163年に建造が始まり、182年後の1345年に完成した初期ゴシック建築の傑作と言われています。年間1200万人が訪れ、宗教を超えて親しまれている観光名所でもあります。

 「ノートルダム」とはフランス語で「我々の貴婦人」という意味です。それは大聖堂が聖母マリアに捧げられたことに由来します。850年以上パリの歴史を見守り続け、フランス人の精神的支柱でもありました。毎週欠かさず大聖堂で礼拝しているという人は、「自分の魂の一部のようなものだ」と言っています。

 寺院や神社・教会などの祈る場所というのは、祈る対象となる仏像やマリア像が祀られていればいいというものではありません。お像や堂内の神聖さは勿論求められますが、それなりの外観の荘厳さもなくてはなりません。加えてどれだけの歴史があるかということも重要です。

 私たちの一生はせいぜい百年です。限られた歳月の中で確固たる信仰心を培うには、あまりにも非力(ひりき)です。しかし数えきれない人々がお参り続けてきたという歴史が、信仰の背中を押すことがあります。それは自分一人ではない、過去の人もみんな悩み、癒しを求めて、お参りしてきたのだという安心感のようなものでしょうか。ましてや、仰ぎ見るような建物を前にした時、心の高ぶりを覚えることがあります。洋の東西を問わず、宗教的建物は屋根が象徴的に作られています。

 その建物は、信仰心の入り口のひとつとしても価値のあるものです。だから、たとえ火災に遭っても、自分たちの祈りの場を再建しようと、徳本寺も2度の火災をのり越えてきました。ノートルダム大聖堂は、世界中の篤き信仰心と尊い歴史観を持つ人々の手で、きっと再建される日が来ると信じます。火災翌日には1000億円を超える大口寄付が寄せられています。「世界中の寄付人」が「我々の貴婦人」に手を差し伸べてくれることでしょう。

 それでは又、5月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1127話】 「美しい調和」 2019(平成31)年4月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1127話です。

 一世代・二世代というときの「世」という字は、漢数字の「十」を三つ並べた姿で、30年間を意味するそうです。もっと言えば、親が子に引き継ぐまでの30年間のことです。一世代を30年と数えると、その家の歴史がわかるとも聞いたことがあります。

 平成という時代も、30年と約4カ月をもって終わろうとしています。文字通りの世代交代です。昭和54年に施行の元号法に「皇位の継承があった場合に限り改める」としています。また天皇の代替わりの時だけ改元する「一世一元」は明治時代に制度化されました。それに則り、5月1日の新天皇の即位に合わせて、新しい元号になります。

 そして、「令和」という新元号が発表されるや、世の中は一気に時代が変わったかのような雰囲気になりました。これまでさんざん「平成最後のの何々」と言っていたのが、「令和最初の何々」というものの見方に変わってきています。目ざとくあやかり商品も出てきました。福島県ではお酒の銘柄になったり、地元宮城県ではかまぼこに「令和」の文字を入れて売り出しました。

 逆にあやかられたと言えるかどうか。「令和」という文字そのものが、自分の名前になっている人がいます。男性なら「令和」と書いて、「よしかず」とか「のりかず」という方。女性なら「れな」という方もいるようです。よもや自分の名前が元号になるとは思ってもいなかったことでしょう。同時に元号になるほどの名前だったと誇らしく感じているでしょうか。

 実は私の名前である「文明」は、歴とした元号になっています。室町時代の応仁の乱が始まった応仁は2年間だけで、その後、改元されて文明となりました。今からちょうど550年前の1469年で18年間続きました。しかし応仁の乱そのものは、11年間も続きましたので、文明という時代の半分は戦乱の中です。長い内乱が治まったと思えば、よい時代と言えるのでしょうか。

 新元号「令和」は、「令月にして風和(やわ)らぎ」という言葉が元になっています。そして海外向けの英訳では「beautiful harmony」で、「美しい調和」と意味づけています。人に名前を付ける時は、立派に生きられるようにと願いを込めるでしょう。その名にふさわしい生き方をしようと心がけるのが人生です。時代に名前を付けるのも同じようなものです。あやかるべきは名前に込められた想いです。令和を仏教的に訳せば、「慈悲」と言ってもいいかもしれません。自分勝手な三角四角の尖った心を捨てて、丸い心で人とも自然とも調和していけば、30年後位には令和という良き時代に生きてよかったと誰もが思うことでしょう。

 ここでお知らせ致します。3月のカンボジア・エコー募金は、187回×3円で561円でした。ありがとうございました。

 それでは又、4月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1126話】 「花のイチロー」 2019(平成31)年4月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1126話です。

 「散る花が 開花のニュース 吹っ飛ばし」こんな川柳が3月23日の新聞に載っていました。東京では、3月21日に桜の開花宣言が出されました。その夜、大リーグ・マリナーズのイチローが引退を表明しました。驚きのニュースは世界中を駆け巡り、桜の花は満開になる前に、しぼんだかのようでした。

 しかし、イチロー引退へのはなむけとしては、これ以上にない舞台だったでしょう。マリナーズの開幕2連戦をアメリカではなく、日本の東京ドームで行うということは、イチローのために用意されたのかと思えるほどです。残念ながら、2試合に出場するも、1本のヒットも打つことはできませんでした。それでもイチローは言いました。「あれを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」。観客に促されて、試合終了後のグラウンドに、イチローが再び立った時に、大きな拍手と歓声に包まれたからです。

 45歳のこの日まで、日米で28年間現役を続けました。その安打数は4367本。日本で7年連続首位打者、アメリカではシーズン262安打をはじめ、10年連続200安打などの大リーグ記録を打ち立てました。記録にも記憶にも残る選手として、永く語り継がれることでしょう。しかし、イチローは「記録はいずれ誰かに抜かれる。それらはホント小さなことに過ぎない」と、頓着なしです。

 もはや記録の偉大さは、誰もが認めるところですので、いちいち何かを語るのは野暮というもの。それより記録の裏に何があったのか、それこそが、イチロー自身が最もこだわってきたことなのでしょう。「自分の限界をちょっと超えていく。その積み重ねでしか自分を超えていけない」と言っています。やることをやっていれば、結果は自ずとついてくると言わんばかりですが、イチローの限界と凡人の限界には差がありすぎます。

 桜は満開になって人に喜ばれ、散り際の良さも、日本人の心情に触れるものがあります。イチローの現役時代の活躍は、まさに日本を象徴する満開の桜の如きでした。たまたま4月8日はお釈迦さまがお生まれになった花まつりです。ヒマラヤ山脈の麓のルンビニの花園で誕生しました。咲き誇る満開の花々がそれを祝福しました。そこでお釈迦さまは「唯我独尊(ゆいがどくそん)」と唱えられました。これは、われ独りが尊いとうぬぼれているわけではなく、まわりと違うたった一人の私という意味でしょう。お互いがかけがえのない存在であるということの究極の言い回しです。イチローが自分というものを極め尽くした姿に重なるものがあります。更にお釈迦さまはこの時、七歩歩かれたという伝説があります。それは六道という迷いの世界を超えるという意味での七歩目です。イチローは常に迷わず、自分の限界をちょっと超えるという七歩目の精進を重ねてきたのでしょう。事実グラウンドに入る時は、最初の一歩を常に意識して踏み出していたそうです。

 それでは又、4月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1125話】 「投書というお供え」 2019(平成31)年3月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1125話です。

 今年のお正月の松が明けて間もなく、80代の女性の葬儀が仙台でありました。元々徳本寺の近くで生まれ育った方です。晩年ひとり暮らしをするようになってから、仙台にいる妹さんのそばに移り住んでいたのです。正月という時期でもありましたし、故郷を離れてからの歳月もあり、葬儀は極近い身内の方だけで、しめやかに営まれました。

 そして、今月6日が彼女の四十九日だったのですが、その前日の5日の朝の新聞を見て驚きました。彼女の幼なじみのNさんの「亡き友へ」という投書が、河北新聞に掲載されていたのです。家が近所だったので、縄跳びやお手玉をして遊んだこと。彼女は5人姉妹の長女で、たいへんしっかり者だったこと。人一倍手先が器用なうえに、筆も立ちよく新聞にも投稿していたことなど、人柄がにじみ出る内容の文章でした。その最後には、「私の拙い文が、お星さまになった彼女の供養になればうれしいです」と結んでありました。

 供養になるどころではありません。5日は彼女の妹さんたちが集まり、徳本寺のお墓に納骨することになっていた日なのです。まるでそのタイミングを見計らったかのような投書の掲載なのですから。その日の供養の後、ひとしきり投書の話になりました。妹さんたちは、驚きと同時にたいへんうれしくて、早速新聞を切り抜き大事にしていきますということでした。勿論、お墓でもそのことを伝えていたことは言うまでもありません。

 亡き人とのお別れに、通夜や葬儀でまごころを尽くすことは当然のこととして、そのあともどれだけ亡き人を想い続けられるかが、更にたいせつなことでしょう。逆を言えば、想い続けていただけるような生き方をしなければならない、ということでしょうか。

 「死んだ人は『どこにもいない』のではなく、『どこにもいかない』のだ」とは、詩人の長田弘の言葉です。死んでしまえば、確かに肉体はなくなり、その存在も消えてしまいます。いくら探しても、「どこにもいない」のは、その通りです。しかし、その人の生き方によっては、「あなたはどこにもいかず、いつもわたしのそばにいるよ」と、想われることがあるはずです。死んだ人は記憶の中にあって、年をとらないともいわれます。死んでも死なない命を育てられた人を、仏さまと言ってもいいでしょう。

 誰しも幼いころの記憶は忘れがたく、何十年経とうが懐かしく思い起こすものです。それを新聞投書という具体的な形で、死んで尚つながり合えるとは、うらやましい幼なじみです。直接彼女を知らない人も、その投書を読んで、お参りしたいという気持ちになったかもしれません。今彼女のお墓には、彼岸花以上の尊い花が、たくさん供えられているかのようです。

 それでは又、4月1日よりお耳にかかりましょう。