テレホン法話 一覧
【第1362話】 「壁と扉」 2025(令和7)年10月21日~31日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1362話です。
達磨さんは縁起物として知られていますが、インドから中国に禅の教えを伝えた曹洞宗の祖師です。菩提達磨大師といいます。赤い法衣に身を包み、面壁九年といわれるほど壁に向かって坐禅を組んでいました。その後ろ姿がいわゆるの達磨さんの形になっています。
坐禅は壁に向かって、ひたすら自分の呼吸だけを意識して、一切の雑念を払う行です。壁の存在は日常の喧騒や誘惑を断ち、気持ちを集中させてくれます。また壁のように動ぜず、一つことに打ち込む不撓不屈の心をも養います。だからここでの壁は、障害となるものではありません。壁に向かって坐禅をした先にある究極の姿は、妄想分別から解き放たれた清々しい自分です。
さて、先日74歳の男性が病気で亡くなりました。彼は高校生の時、学校でのあることがきっかけで不登校になりました。以来、今日まで家に籠って、普通の社会生活を営むことはありませんでした。隣近所の人でさえ、その姿を見かけた人は誰もいません。家族の方に支えられ、一人ひっそりと暮らしていました。勉強熱心な人で、様々な資格を取得していたようですが、それがどのように活かされていたのかはわかりません。
誰しも幼い頃、自分が負い目に立たされると、「誰も自分のことを分かってくれない」と自分で壁を作り、他との接触を断ったことがあるのではないでしょうか。いわゆる拗ねた状態です。でもその壁はちょっとした切っ掛けでなくなり、元の姿に戻ることができました。しかし74歳の彼は、おそろしく繊細なそして純真な心の持ち主だったのかもしれません。自分の感性とは異なる人物や世界に対する拒絶反応が、頑丈で高い壁を築いてしまったのでしょうか。
ある人が言いました。「人生で何かにぶつかった時に それは壁ではなく 扉だと思うと 開けていきますよ」。生きている限り、失敗や挫折を味わうことは、一度や二度ではないでしょう。それが壁のように感じれば、絶望になります。しかし扉だと思えば、ガチャガチャと把手を動かしたり、少し頑張って体当たりをすれば、開くことがあります。希望が隣りにいる感じです。
扉が開いた先に見えるものは、まさに達磨大師が説いた「廓然無聖」の世界です。廓とは城壁ですが、壁は壁でもがらんとして広々とした世界を創る壁です。つまり澄み渡った秋の大空のように、何のわだかまりもないさわやかな心を象徴しています。それこそが仏教の真髄であるというのです。生きていると感じる究極は、自分の呼吸を意識できた時です。それ以外のこだわりはすべて仮の姿です。壁ですら仮のもの。一息で吹き飛ばせるよう、先ずは坐禅の扉を開いてみませんか。
ここでお知らせいたします。10月26日(日)午後1時30分より、第19回テレホン法話ライブを開催します。法話に因んだピアノ演奏・御詠歌や映像も加えたライブです。入場無料。また9月のカンボジアエコー募金は、1,078回×3円で3,234円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1361話】 「四足走行」 2025(令和7)年10月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1361話です。
人類の祖先である類人猿が約700万年前に樹上生活から地上に降り、二本足で歩くようになったと言われています。この長い歴史を経て、走る速さも進化しています。現在人類最速の100㍍の世界記録は、2009年にウサイン・ボルトが出した9秒58です。
この二本足進化に逆行するかのように、両手両足を使う「四足走行」の記録に挑んだ人がいます。9月24日鳥取県米子市の米江龍星(よねえりゅうせい)さん22歳が、100㍍を14秒55で走り、2022年にアメリカで作られたギネス世界記録15秒66を破りました。彼は中学2年の時、「四本足で走る動物は足が速い」という理科の先生の言葉を聞いて、四足走行に関心を抱きました。以来毎日のように登山道や砂浜で練習を続けました。時には動物園で猿の動きを研究し、猫の走り方も参考にしたと言います。
映像を見ると、足より腕が短いので前かがみになり、直角に折った腰が高く、長い足を繰り出すのは、いかにも窮屈そうです。普段の生活ではなくてはならない両腕が、ハンディになっているかのようです。それでも彼は「人間で1番になったので、次は動物にも勝てるように特訓を重ねたい」と言っています。
さて、ウサイン・ボルトの100㍍の世界記録は、時速に換算すると45キロです。サラブレッドは時速88.5キロ、最速の動物といわれるチーターは、120キロにもなるそうです。四足走行の動物は人間の2倍も3倍もの走力を発揮することができます。だから動物と四足走行を競争するのは無駄だとは言いません。そのロマンは人類の原点を見直す切っ掛けになるかもしれません。
そもそも二本足で歩くようになったのは、食料や資源を運ぶためと言われます。四本足では、物を運ぶのに効率はよくありません。両手が使えるようになって、たくさんのものを持ち運ぶことができるようになりました。更に両手は道具を作るという画期的な進化を遂げます。それが高じて自分だけがたくさん物を集めたいという独占欲も芽生えてきます。究極は立って歩くことにより、重い頭を支えることができ、脳が発達しました。そして我々人類だけが言語を駆使することができるようになったわけです。
その結果、分をわきまえない言動が見られるようになりました。美しい花を見て、ただその美を愛でるなら自然な姿です。しかし、道具を使って根こそぎ掘り起こし、誰かに売って金儲けをするような自然破壊の振る舞いは人間の驕りです。また両手で武器を作り、我を主張し争いを始めたのも人間の我がままです。今さら四本足に戻れとは言いませんが、せっかく進化した両手を人類の幸せのために役立てないと、手も付けられない人類の未来を招きかねないと四足走行見て感じました。
ここでお知らせいたします。10月26日(日)午後1時30分より、第19回テレホン法話ライブを開催します。法話に因んだピアノ演奏・御詠歌や映像も加えたライブです。入場無料。
それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1360話】 「報恩深し」 2025(令和7)年10月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1360話です。
徳本寺における年回忌供養の傾向としては、1周忌・3回忌を供養される方は、8割以上にのぼります。年数を経る毎に減少していきます。特に27回忌は3割・2割台に落ち込みます。33回忌で4割台まで盛り返すことがあります。どうも27回忌は忘れられ易いようです。
そして。今年10月11日は父であり前住職の文英大和尚のまさに27回忌です。勿論忘れるわけはありません。父はその年の8月から仙台の病院に入院していました。出来るだけ面会を心がけ、10月10日にも行きました。というのも翌日から大本山總持寺に出かけて留守になるからです。それは本山で毎年行われる4日間に亘る御征忌会(ごしょうきえ)という大きな法要の手伝いの為です。
「明日から本山に行ってくるから」と父に告げました。その時父の髭が、結構伸びていることに気づきました。「髭を剃ってあげるよ」と言うと、父は遠慮しました。しばらく面会に来られないという思いもあって、「いいから、いいから」と少し強引に、剃刀を当てました。さっぱりした顔になると、「ありがとう」と小さくお礼を言われました。そして「本山でしっかり勤めて来いよ」という声に送られて病室を後にしました。
翌11日に本山に向かい、大法要に向けての前日準備を終えて就寝。その夜中に「父死す」の連絡がありました。後のことを同僚に頼み、12日の朝一番で徳本寺に戻りました。遺体は既に庫裡に安置されていました。喪主になる私がいないために、何をどうして良いのかわからず、身内・総代・近隣の人は戸惑うばかりでした。本山に行っていたとはいえ、留守をしていたことをお詫びしました。それから、涙を流す間もなく、葬儀に向けて夥しい打ち合わせや準備作業を経て、無事葬儀を営むことができました。
父の死に目には会えませんでしたが、本山に行っていたのだから、許してくれるだろうという思いはあります。同時にその後も毎年本山に伺うたびに、負い目を感じないと言えば嘘になります。そこで父の27回忌は思い切って、本山で供養していただくことにしました。本山には「徳本寺24世中興即心文英大和尚」という位牌が特別に祀られています。9月半ば檀家さんと本山参りを兼ねて、前住職の27回忌を営んでまいりました。何十人もの和尚さんのお経の声は荘厳そのものでした。導師をお勤めいただいたのは、「監院(かんにん)」という本山の総責任の役を司る大老師様でした。老師は法要の心を述べる法語の中で、「二十七年報恩深し」という一句を添えてくださいました。
この27年、僧侶・住職としてどのように寺を守り、人々に寄り添うことが前住職の恩に報いることになるのかと思って、日々過ごしてきました。死に目には会えずとも、死の一日前に髭を剃ってあげたときの温もりは、今も確かにこの両手に残っています。死して尚、恩の深さを感じるばかりです。
それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1359話】 「波羅蜜」 2025(令和7)年9月21日~30日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1359話です。
雨よけに着るカッパは元々ポルトガル語です。漢字では「合わせる羽」と書きます。漢字の音を借用して外国語を表している音訳です。仏教語にもインドの言葉を音訳したものがあります。
彼岸の教えの「六波羅蜜」もそうです。波羅蜜とは「パーラミター」と言うインドの言葉です。彼岸に渡るという意味があります。そのための6つの努力目標が六波羅蜜です。1つ布施(物や心を施す)、2つ持戒(決まりを守る)、3つ忍辱(挫けず耐え忍ぶ)、4つ精進(ひたすら励む)、5つ禅定(いつも冷静になる)、6つ智慧(善いことを考える)ということです。筆頭にある布施について「其物の軽きを嫌わず、其功の実なるべきなり」と、お経にはあります。つまり布施の多い少ないが問題ではなく、どのような心で布施をするかが大切だということです。
お釈迦さまが托鉢をしている時、泥遊びをしていた子どもが、泥の団子を差し出しました。大人は「お釈迦さまに何てことをするの」と怒りました。しかしお釈迦さまは「何も持たない子どもが、一心にお布施をしたいという気持ちで差し出した泥の団子の何と尊いことよ」と、子どもを称えたという話があります。
私にも忘れられない布施があります。50年近く前、横浜にある大本山總持寺で修行を終えて、徳本寺に帰る時のことです。何を思ったか、電車ではなく歩いて帰ることにしたのです。直線距離でも300キロ以上あります。修行に向かう時と同じように、墨染めの法衣を着て、手甲脚絆を付け、網代傘を被った出で立ちです。修行を終えたからと言って慢心することなく、修行を始めた時の発心を忘れるなと、粋がっていたのかもしれません。
しかし、にわか仕立ての行脚は、早々に足の爪が黒くなり、膝が痛くなったり、病院へ駆け込むなど、想定外の修行が待っていました。ともかく、国道6号線を北上し、ひたすら歩き続けました。結果として9日ほどかかりました。最終日のことです。国道を歩いていると、道路から少し離れたところに家が見えました。そこから小さな男の子がこちらに向かって歩いてくるのです。私のところで止まると、チリ紙に包んだものを差し出しました。家の方に目をやると、縁側にお母さんが立っていました。その方は遠くから私の姿を見て、子どもにお布施を促したのかもしれません。私は驚くと同時に、お釈迦さまの泥の団子のように有り難く受け取りました。まだ膝に痛みはありましたが、長い道のりの辛さが一瞬にして報われました。
実は寺に戻っても僧侶として生きていけるか不安な思いで歩いていました。しかし、僧侶の姿は、遠くの子どもにも布施をする存在として映るのだと肝に銘じました。その子の心に恥じない僧侶であらねばと、六波羅蜜を思い描き腹をくくりました。あれから50年、怠け癖が溜まったのか、括ったはずの腹も出てきました。とんだ「腹満つ」となりました。
それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1358話】 「さびない鍬」 2025(令和7)年9月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1358話です。
現在全国の100歳以上の高齢者は9万5千人を超えています。徳本寺の過去帳にもここ10年以上毎年100歳を超えた方の名前が記されています。
さて、100歳と言えば良寛さんにまつわる次のような話があります。80歳のおばさんが良寛さんを訪ねてきました。「良寛さん、私もこんな歳になりましたが、もう少し長生きをしたいので、長寿のご祈祷をお願いします」「それで何歳まで生きたいのじゃ」「とりあえず100歳までということでお願いします」「よろしい、だが、私の祈祷はよく効くので、100歳と言えば、ちょうど100歳の大晦日にあなたの命は亡くなるが、それでもよいな」「いや、それはちょっと・・・」「ではいくつまでがいいのじゃ」「うーん150歳まででお願いします」「望みとあらばそのように祈祷するが、やはり150歳になった大晦日には死んでしまい、151歳のお正月は迎えられないが、それでもよいな」「いや、できれば300歳まで生きたいのですがどうでしょうか」「よいか、300歳と言っても、その歳になればやはり死ぬ。それより死んでも死なない生き方を勧めるが、どうじゃ」。おばあさんが「死んでも死なない生き方」を納得できたかどうかは分かりません。
こんな言葉に出会いました。「さびない鍬でありたい」。使わない鍬は錆びてしまいます。いつも鍬で耕すように、常に身体を動かし、自分でできることを、いくつになってもやり続ける。つまり錆びない鍬のような、頭であり手足でありたいということです。これは広島県尾道市の石井哲代さんの信条です。石井さんはこの4月で105歳を迎えた方です。20年前に夫を亡くしてからは、ひとり暮らしで、家の中のことは勿論、草むしりの果てまで元気にこなしています。その明るく前向きな姿は近所では評判でした。常にありがとうを忘れず、何でも「おいしい、おいしい」といただき、できなくなったことは求めないという生き方は、何と潔いことでしょう。本も出版され、ドキュメンタリー映画にまでなりました。
もし、良寛さんが今、石井哲代さんに会ったら、こう言うのではないでしょうか。「私が200年前に言った『死んでも死なない生き方』そのものですね。錆びた鍬は主がいなくなればあっという間に忘れられます。光っている鍬はたとえ主がいなくなっても、誰かがそれを使い続けてくれるかもしれません」。哲代さんはそれに対して「私は長生きのご祈祷はお願いしませんが、少しでも童心に帰りたいので、一緒に手毬つきをしませんか」と答えるような気がします。
ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、834回×3円で2,502円でした。ありがとうございました。
それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1357話】 「花には水を」 2025(令和7)年9月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1357話です。
仏教思想家のひろさちやは「仏教は『幸福学』です。仏教にかぎらず、あらゆる宗教が幸福学なのです」と言っています。不幸になりたい人はいません。誰しもが幸せになりたいのです。
仏教を開かれたお釈迦さまの正式な呼び名は「大恩教主本師釈迦牟尼仏」です。大きな恩の教えの主である本物の師匠としての釈迦牟尼仏ということです。偉大なる人生の師匠で、幸福になるために大切なことを教えてくださる先生というわけです。
さて、6年生の担任のある先生が卒業式の日、最後の学級会で次のように言いました。「幸せになりなさい。先生からの最後の宿題です。提出期限は生きている間」。なるほどです。学校で先生は様々なことを教えてくれます。学んでいる当時は、単なる知識とか、成績のためという思いがありました。しかし、人生という長い目で見れば、学ぶ究極の目的は、一人ひとりが幸せに生きるためとも言えます。学校も「幸福学」を学ぶところです。
先日、小学校教師を退職してからも「律子先生、律子先生」と、教え子には勿論、地元の方にも親しまれた檀家の森律子さんが96歳で亡くなりました。教え子の方が弔辞で述べていました。律子先生は戦後間もない頃、5キロ以上ある学校までの砂利道を自転車で通っていたそうです。ある時、通学途中で先生の自転車の後ろに載せていただきました。その時は憧れの先生を独り占めしたような気分になって、とても誇らしかったと、感謝の想いを霊前に捧げていました。
私は残念ながら学校で律子先生との出会いはありませんでした。しかし、僧侶になってから律子先生とたくさん出会うことになりました。というのは、檀家さんのお宅を訪ねた時、玄関や部屋の中に、「花には水を 人にはおもやりを」という筆書きの短冊が掲げられているのをよく見かけました。それが一軒や二軒ではないので、どういうことだろうと不思議でした。あるお宅で教えていただきました。「うちの子が律子先生の教え子だったので、先生からいただいたのです」。なるほどです。いつの頃からか、律子先生は教え子に「花には水を 人にはおもやりを」という直筆の短冊を贈り続けていたのです。
幸せの想いは人それぞれでしょう。ひとつ言えるのは、幸せな人を見て自分も幸せと感じられた時ではないでしょうか。花に水を遣ればきれいな花を咲かせます。それは花にとっての幸せです。その幸せを見て私たちも幸せを感じます。人に思いやりをかけるとは、その人がうれしくなるような力を貸すことです。それによって相手が幸せな笑顔になれたら、自分もとてもうれしくなります。自分よりも先に他の幸せを願う慈悲という仏教の幸福学にも通ずるものです。律子先生は学校で、子どもという花に、教育を通して思いやりという水を注ぎ続けてこられました。幸せな子どもたちを見るたび、どれほど幸せを感じていたことでしょう。
それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1356話】 「平和の鐘」 2025(令和7)年8月21日~31日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1356話です。
「弾(たま)となり人殺せしか我が寺の供出させられし釣り鐘は」広島県のある住職さんの歌です。先の戦争で、金属類回収令で多くの寺の鐘が供出させられました。徳本寺の旧釣り鐘堂の梁には鐘を釣っていたと思われる穴だけが開いていました。鐘はお国のためになったのでしょうか。
お寺の鐘は平和の象徴と言ってもいいでしょう。それが供出という運命を辿るとは・・・。現在の徳本寺の鐘は、昭和35年に篤信者により寄進されたものです。その方は供出で鐘がなくなったいくつかの寺に鐘を寄進されていました。鐘に刻まれた寄進銘には「一ツニハ祖先ノ菩提ヲ弔ヒ 一ツニハ世界平和祈念ノ為 願ワクバ大鐘(おおがね)ノ響キニヨリ萬民受苦ヲ抜キ 祖先及ビ萬国諸精霊安就センコトヲ 合掌」とあります。この言葉を胸に刻み、毎朝6時に鐘を撞いています。
鐘と言えば教会にも付き物です。やはり平和や幸福の願いを響かせています。そして供出とは別の運命で、戦争の犠牲になった教会の鐘があります。長崎市にある浦上天主堂の鐘です。原爆投下により天主堂は倒壊しました。2つの塔からなる天主堂には1対の「アンゼラスの鐘」がありました。南側の塔の大きな鐘は元の姿のまま見つかりましたが、北側の小さい鐘は割れていました。天主堂は昭和34年に再建されたものの、小さい鐘は復元されませんでした。
一昨年アメリカの社会学者ノーランさんが長崎を訪れた時、潜伏キリシタンの子孫で被爆2世の森内さんと出会いました。天主堂の片方の鐘がないことを教えられました。ノーランさんは原爆開発計画に参加した医師の孫に当たり、その時の医師の役割を検証した本を執筆していました。「何かできることはないですか」と、森内さんに尋ねます。森内さんは、アメリカのカトリック信者による鐘の復元を提案しました。自分の父は被爆者、相手の祖父は原爆計画に参加した人、何か縁があると思ったからです。
ノーランさんはアメリカに戻り、早速各地の教会や大学を巡り、潜伏キリシタンの苦難の歴史や原爆の被災状況を伝え、資金提供を呼びかけました。多くの信者の協力により、終戦80年の節目に復元が叶いました。今年の長崎原爆の日に、二つそろった鐘の音色が響き渡りました。アメリカからすれば、和解と許しへの願いとなる鐘であり、長崎では連帯と愛の表現と受けとめているようです。鐘の中身は空っぽです。一切のわだかまりがなくなった状態とも言えます。だからこそ、180度違う立場の人々を共鳴させる力もあるのでしょう。
寺の鐘に話を戻せば、鐘には乳首のような乳(ち)という突起した装飾があります。音響効果を高めるためのものですが、108個あり煩悩の数です。戦争は煩悩にブレーキが掛けられなくなった状態です。鐘の音を聴いたら煩悩を制御しなさいというまさに警鐘と思い、日々心穏やかにして平和を願いましょう。
それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1355話】 「母と地獄」 2025(令和7)年8月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1355話です。
アメリカではハリケーンに「ローラ」とか「マリア」という女性名を付けることがあります。しかし、広島に原爆投下した爆撃機B29の愛称がエラノ・ゲイという女性名とは驚きです。
その由来は、爆撃機の機長ポール・ティベッツ大佐の母の名前だというのです。息子である機長からすれば、母は強さの源であったようです。「息子よ、あなたは大丈夫」と言って、どんな時も味方になってくれました。人類史上はじめて使用される原爆です。任命を誇りと思ったかもしれません。同時に恐るべき結果となることも理解していたはずです。母の名前の爆撃機が何万という命を奪ってしまうという想像力が働けば、エラノ・ゲイと名付けられる訳がありません。重大な任務を失敗しないように母の力を借りたいと思ったのでしょうか。
1945年8月6日午前8時15分、エラノ・ゲイが広島に落とした原爆は、約14万人の命を奪いました。例えば広島大学のプールの水は、火の勢いで蒸発。襲い来る炎から逃れようとプールに飛び込み、そのまま命を失った亡骸がいくつもあったといいます。夥しい数の地獄がそこかしこにあったのです。80年経った今も、原爆の影響は多くの人に、肉体的・精神的重荷を背負わせています。因みに、任務を終えた機長は、真っ先に殊勲十字章を受けました。エラノ・ゲイという名も世界の人が知るところとなりました。
さて、お盆の時期ですが、正式には盂蘭盆と言います。『盂蘭盆経』によれば、ウランバーナという古いインドの言葉が語源で、意味は「逆さ吊りの苦しみ」です。お釈迦さまの弟子目連は、得意の神通力で亡き母を探しました。すると餓鬼道に堕ちて、骨と皮だけの身体で逆さになり苦しんでいました。水や食べ物を届けようとしますが、燃えて火になってしまいます。お釈迦さまにその訳と助け出す方法を訊ねます。「目連、お前の母は生きているとき、お前たちには良くしてくれたが、他の子どもを冷たくあしらったからだよ。助け出すためには、修行を終えて山から下りてくるたくさんの僧侶に食べ物を供養し、その修行力でお経を挙げていただきなさい」。目連がその通りにすると、逆さ吊りの母を餓鬼道から救い出すことができました。その修行僧が山を下りる日が旧暦の7月15日で、現在の盂蘭盆の起源という説もあります。
アメリカの母の名前の爆撃機が、惨い地獄の世界を描き出しました。勿論、母の真意ではなかったでしょうが、戦争を終わらせたという評価もされています。一方、仏教では地獄のような苦しみの世界からも、母を助け出す慈悲を説きます。助け出された母とは、お盆には亡き人が帰ってくるという風習の元になったとは言えないでしょうか。そして仏さまのお供えに水は欠かせません。亡き人の喉の渇きを潤すためでもあります。特に広島の犠牲者は水を求めても叶わず、命果てた方がたくさんいます。お盆には慈悲の水をお供えし、多くの精霊をお迎えしましょう。
ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、711回×3円で2,133円でした。ありがとうございました。それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1354話】 「八月や」 2025(令和7)年8月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1354話です。
「八月や 六日九日 十五日」詠み人多数といわれる句だそうですが、戦争の重みを訴える力が感じられます。広島と長崎に原爆が落とされ日、そして終戦となった日が詠み込まれているからです。
先日檀家のAさんがお出でになりました。終戦から80年という節目なので、戦死したお父さんの供養をお願いしますというのです。昭和100年の今年は、昭和20年の終戦から80年になります。Aさんのお父さんは昭和20年8月26日に亡くなっています。この年の過去帳を見ると201人の戒名が記されています。戒名から察するに、戦死と思われる方は97人で、全体の約半数です。更に小学生以下と思われる子どもさんも、約30人います。戦中戦後の過酷な生活環境がもたらした数でしょうか。
Aさんは当時5歳で、弟さん妹さんの3人兄妹です。妹さんはお母さんのおなかの中にいる時なので、お父さんの顔を知りません。夫を亡くしたお母さんは乳飲み子を抱え、苦労しながらも3人の子どもを無事育て上げました。20年ほど前に90を超えて天寿を全うされました。この度戦死したお父さんと一緒にお母さんの供養も行うことになりました。
Aさんのような境遇の方は、檀家さんには勿論、全国にもたくさんいらっしゃいます。戦争は何ひとつ得になることはありません。失うことばかりです。何万何十万という掛け替えのない尊い命が失われています。戦争が終わっても、遺族の方の人生には、想像を絶する悲しみ苦しみ絶望が、日常的に渦巻いていたはずです。
人の愚かさの中でも戦争はその最たるものです。お釈迦さまは『法句経』の中で次のようにお示しです。「すべてのもの 刀杖(つるぎ)を怖れ すべてのもの 死をおそる おのれを よきためしとなし ひとを害(そこな)い はた そこなわしむるなかれ」つまり、誰もが武器におののき、死を恐れるものである。だから、他人を吾が身にひきくらべて、決して殺してはならぬ、傷つけてはならぬ、ということです。「戦え」と命令する人に、吾が身に引き比べる想像力があれば、決して戦争は起こらないはずです。
我が国は幸いにして、80年間戦争のない時代が続いています。しかし、今も世界各地で惨い戦争が絶えません。パレスチナ自治区ガザでは、餓死する子どもが日に日に増えています。まだ武器も死も知らない幼き子が真っ先に犠牲になっています。こんな事があってはなりません。それでなくても、地球上は、温暖化の影響でしょうか。どこもかしこも連日猛暑日が続いています。これは人類生存の危機という自然界からの警鐘と思うべきです。戦争などしている場合ではないのです。人類の英知や財力を戦争ではなく、地球の環境保全にこそつぎ込むべきです。そうでなければ異常気象という自然の武器は、万人の命を脅かしてくることでしょう。「八月や 三十 三十五 四十度」(詠み人 誰でも)。
それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1353話】 「同事」 2025(令和7)年7月21日~31日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1353話です。
ドウジはドウジでも「同じ事」と書く「同事」について、『修証義』というお経に「同事というは不違なり、自にも不違なり、佗にも不違なり」とあります。「同事とはたがわぬことで、自分にも他人にもたがわず,そむかぬこと」つまり、自分と他人が同化して一体となることとも言えます。
先日若い住職さんの結婚披露宴にお招きいただきました。結びの彼の挨拶は、この同事に触れたものでした。「父である前住職は、私が中学生の時亡くなりました。昨年17回忌を終えました。父から僧侶として指導を受けることは叶いませんでした。だから檀家さんにどんな法話をしていたのか知る由もなく、住職になったとはいえ、檀家さんにどのように接していいのかわからないことばかりです」と、素直に語り始めました。
彼はある時、1本のビデオテープを見つけたと言います。再生してみると、そこには檀家さんに法話をしている父である前住職が映っていたのです。「同事とは相手が悲しんでいる時には、親身になって慰め励まし、相手が喜んでいるときには、我がことのように心から称えることですよ」。同事ということについて分かりやすく説いていました。
そのことにほぞ落ちした彼は、檀家さんへの接し方に迷いがなくなったようです。そして「これからは寺の住職として、檀家さんへの同事行と併せて、今日結婚した妻とも、彼女が困っているときはやさしく寄り添い、うれしい時は共に喜び合えるような日々を築いてまいります」と頼もしく宣言して、万雷の拍手を浴びたのです。
彼の小さい時からの夢は「坊さんになること」でした。それは父の姿を見ていたからでしょう。その父から直接指導を受けられなかったのは無念極まりないことです。しかし、時を超えてもビデオの中から前住職は、息子である現住職に、伝えるべきことを伝えています。更に忘れてならないのは母親の存在です。中学生の息子が一人前の坊さんになる夢を叶えるまでには、並々ならぬご労苦があったはずです。住職がいなくても檀家さんの葬儀や法事は待ったなしです。その都度他の住職さんに依頼しなければなりません。檀家さんへの対応も住職という立場でないので、戸惑うこともあったことでしょう。それもこれも乗り越えて晴れの日を迎えたのです。
『修証義』には同事について次のようにも説いています。「海の水を辞せざるは同事なり。是故(このゆえに)に能(よ)く水聚(あつま)りて海となるなり」。海はどんな川の水も拒むことがないので大海になるということです。小さな川も大きな川も、きれいな川もそうでない川もすべて受け入れます。若き住職の母も、息子の夢の実現を思い描き、喜び悲しみ辛さ悔しさすべてを受け入れて、同事行に励まれたはずです。若いふたりの門出を祝福すると同時に、海より深い母の慈しみに対して心から敬意を表しました。
それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。
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