テレホン法話 一覧
【第1369話】 「白い馬」 2026(令和8)年1月1日~10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1369話です。
あけましておめでとうございます。今年はうま年ですが、お釈迦さまには長年一緒に過ごしたカンタカという白い馬がいました。奇遇なことにお釈迦さまと同じ日に生まれました。更にその馬の世話をしていた御者のチャンダカも同じ日に生まれています。お釈迦さまは釈迦族の王子として生まれ、カピラ城に住んでいました。17歳の時ヤショーダラと結婚。ラーフラという子どもも授かりました。そのように恵まれた環境にありながら、生老病死という人生の苦しみから解放されるためにはどうしたらよいのか、悩む日々を送っていました。
とうとう29歳の時、王子という地位も妻子も捨て、出家する決意をします。皆が寝静まった夜中に愛馬カンタカに乗り、御者のチャンダカを伴い、城を抜け出します。王子がいなくなれば、城中が大騒ぎになることは目に見えているので、チャンダカはためらいますが、王子の決心が固いことを悟り、東へ向かいました。
アーマー河で頭を剃り、修行僧の出で立ちになり、悟りを得るまで戻らぬ決意を示します。そして身につけていた宝石や衣装をチャンダカに預け、城に戻って王さまに出家の経緯を伝えるように命じます。その時、愛馬カンタカは、涙を流し王子の足元を舐めて、別れを惜しみました。お城に帰ってからは、すっかり元気をなくし、絶食をして、とうとう死んでしまいました。カンタカはお釈迦さまに愛され、修行への道を案内したとして、天界に生まれたとされています。確かに白い馬は神の馬、神馬(しんめ)と尊ばれることがあります。
それより以前に、白い馬はインドに伝わるお釈迦さまの前世物語に出てきます。一艘の船が難破して、島に流れ着きます。そこは夜叉と言われる人食い鬼の住み家でした。夜叉は人間に化けて、船員たちをもてなし、楽園のような生活を提供します。全ては食い殺そうという魂胆があってのことです。それに気づいた船長が、皆を説得し逃げようとしますが、多くの者は楽で快適な暮らしを捨てる気はありません。船長が困り果てていると、どこからともなく1頭の白い馬が現れました。「私には天空を飛び駆ける神通力があります。今のような安易な生活を捨てて、人間界に戻りたい者は私に乗りなさい」と言って、怠け癖から目覚めた者たちを、それぞれの住まいに送り届けました。
王子さまを恵まれた生活から悟りの道へと案内した白馬のカンタカ。楽をして怠惰な生活に染まった者を普通の人間界に戻したお釈迦さまの前世にたとえられる白馬。白馬は私たちを幸せに導く象徴なのかもしれません。人間に希望を与えるために白馬は駆ける、テレホン法話を聴くため電話を掛ける人は夢が叶うと思って、今年もテレホン法話によろしくお付き合いください。
それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1368話】 「後期高齢者」 2025(令和7)年12月21日~31日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1368話です。
先月75歳の誕生日を迎えました。いただいたプレゼントは、後期高齢者医療資格確認書です。まだ現役の住職ですし、高齢者だからと甘えてはいられません。それでも年齢は正直です。
亘理郡内に曹洞宗寺院が13カ寺あります。私が徳本寺・徳泉寺という2カ寺の住職を勤めていますので、住職は12人です。その中でいつの間にか最年長になってしまいました。私の前に老僧はいないのです。また県内のお寺の法要に伺っても、私より年上の老僧は数えるほどなのです。ついこの間まで、下っ端でこまごまと動き回って、法要の準備等に汗を流していたのに、今や法要の邪魔にならないように、おとなしく座っている立場です。
さて、私たち僧侶には三師と言われる3人の大事な師匠がいます。仏門に入る業を授ける受業師、修行僧のリーダーである首座を勤めるときの法幢師、代々伝わってきた仏法を相続させる本師と言われる3人です。それ以外にも仏道の奥義を学んだ参学師や特に薫陶を賜った慈恩師という師匠がいます。これらの師匠に対して、弟子たる者は正月には寿餠という一片の餅を差し上げます。
寿餠を七重八重に折った特別な熨斗(のし)の可漏(かろ)という容れ物に入れ、年賀の挨拶状を墨書したものを添えます。それを供えて、正月三カ日間師匠の福寿長久等を祈ってお経を唱えます。そして師匠に年賀拝登し寿餠を奉呈します。年末の忙しい時に、いくつもの寿餠を準備するのはたいへんなものでした。それも今年はする必要がなくなりました。後期高齢者には、もはや師匠と呼ぶべき人はいなくなってしまったのです。昔老僧に寿餠を準備する必要がなくなった淋しさを、聞かされたことがありました。今その時の心境がよく分かります。
みなさまも1年を振り返り、去年とはだいぶ違う年の瀬であると感じていませんか。新しい出会いがあったうれしさ、大事な人を見送った辛さもあったかもしれません。思い通りにいかなかったことや、良くも悪くも思わぬようになって、一喜一憂したこともあったでしょう。何より1年、年を取ったということです。過去から今日までを見れば確かにそういうことです。しかし、今日から未来を見ればどうなるでしょう。
〈そうだった 今日という日は 人生で 一番老いて 一番若い〉亀岡市の俣野右内さんの歌です。誰しも今日までで、今ほど年を取っている時はないのです。同時に今日の自分ほど若い時は、これからの人生にはないのです。何歳になろうが、生まれて初めて経験する歳です。というより、私たちが迎える毎日毎日は、人類史上誰も経験したことのない全く初めての日なのです。そう思うと大晦日も元旦もワクワクしてきませんか。後期高齢者なんのその。来年も老いて尚かぐわしい香りの生き方をして香気を放つことを、恒のならわし、恒例にしましょう。それこそが香気恒例者です。
それでは又、新年1月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1367話】 「安青錦」 2025(令和7)年12月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1367話です。
野球の本場アメリカで、アメリカ人以上の活躍をする日本人の大谷翔平。一方、国技である相撲では、ウクライナ出身の安青錦(あおにしき)が、九州場所で初優勝を果たし、大関に昇進しました。
安青錦の祖国ウクライナにロシアが侵攻し始めたのは、3年前の2022年のこと。出稼ぎをしていた母を頼って、ドイツに避難しました。しかし7歳で始めた相撲の稽古がままなりません。そこで、相撲の国際大会で知り合った関西大学相撲部コーチの山中新大(あらた)さんを頼って、その年の4月に日本に避難しました。縁に恵まれ12月には大相撲の安治川部屋に入門します。翌年9月の秋場所には初土俵を踏むことになります。
そして、初土俵から1年半余りの今年春場所、最速タイ記録の所要9場所で新入幕。秋場所は新小結、九州場所は新関脇昇進というスピード記録を打ち立てます。更に初優勝という破竹の勢いです。しかもインタビューに答える日本語の巧みさには、誰もが驚いています。来日してわずか3年半の外国人とは思えません。大谷選手は通訳が付きますが、安青錦は通訳なしで、方言も理解できるとか。
まだ10代で単身異国に渡り、異文化の極みともいえる相撲界に飛び込んだ覚悟は、並大抵ではありません。その上日本人以上に日本人らしさを身につけているのは、素直さがあればこそです。日本のことも相撲界のことも分からないから、ともかく教えられたこと、見たこと聞いたことを素直に覚えて来たのでしょう。その象徴的はことが、立ち合いの姿勢にあります。仕切り線にきちんと両手をついて、相手の立ち合いを待ちます。これほど基本に忠実な力士は珍しくなりました。片手をちょっと落としただけで、フライング気味に立つ力士も少なくありません。低い姿勢からの瞬発力は、安青錦の強さの原点でしょう。
さて、格闘技と言われるボクシングやレスリングは、四角い中で戦います。相手を打ちのめすまで戦うこともあります。いかにも角がある戦いです。相撲は丸い土俵です。しかし、角の力・角力(かくりょく)と書いて角力(すもう)と読みます。ここでの角は「くらべる」という意味なのです。だから角力は力比べであると認識すれば、押し出して勝敗が決したなら、更にダメ押しの如く土俵下に叩きのめすようなことは慎まなければならないのです。敗者をも思いやる土俵のような丸い心が肝要です。
山中さんが相撲の国際大会で安青錦に興味を持ったのは、敗れて泣く対戦相手に歩み寄り、手を差し伸べる姿を見たからと言います。丸い土俵は、相手を思いやる角のない丸い心の力士を強くします。謙虚な心は低い姿勢を貫き、相撲に勢いをつけます。これからも安青錦は懐の深い力士となることでしょう。
ここでお知らせいたします。11月のカンボジアエコー募金は、1,213回×3円で3,639円でした。ありがとうございました。それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1366話】 「濁れる水」 2025(令和7)年12月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1366話です。
〈濁れる水の流れつつ澄む〉自由律の俳人山頭火の句です。山頭火は大正14年43歳の時、出家して曹洞宗の僧侶となりましたが、住職になることはありませんでした。44歳から行乞放浪の旅に出ます。「漂泊の俳人」とも称されました。
晩年は愛媛県松山市に「一草庵」という庵(いおり)を結びます。冒頭の句はその頃に生まれたものです。それから間もなく、昭和15年10月11日に58歳の生涯を終えます。死ぬ前の日記には「拝む心で生きそして拝む心で私は死なう」と記しています。
俳人・行乞僧とは言っても、自らを「乞食(ほいと)」と卑下するほど、酒に溺れ知人に頼りながら生きていました。まさに濁れる水のような存在であっても、歩き続け俳句を作り続けることによって澄んだ心になることもあったということでしょうか。10数年流れ流れて辿り着いた拝む心の心境が〈濁れる水の流れつつ澄む〉にはあります。
さて、12月8日はお釈迦さまがお悟りを開いた「成道会(じょうどうえ)」です。成道とは道を成就したという意味です。お釈迦さまは「生老病死」という苦しみを超えた真の幸せを願い、29歳で出家します。多くの修行者と共に、苦行林で尋常でない修行に打ち込みます。逆さ吊りで過ごしたり、炎の上を歩いたり、不眠不休断食を行じたりということに励みます。しかし6年間の修行を経ても、納得できる答えは得られませんでした。
そこでお釈迦さまは、苦行林を下りて、尼連禅河で沐浴をし、たまたま村の娘スジャータの乳粥の供養を受けることができました。体力が回復すると、お悟りを得られるまでは動くまいと固い決意のもと、菩提樹の根元で静か坐禅をし続けました。そして8日目の朝、明けの明星をご覧になり、悟りの境地に至りました。悟りとは、かたよったり、こだわったり、とらわれたりしない心、即ち迷いや煩悩から解き放たれることです。
坐禅の境地は、コップに入れた川の水にたとえられます。最初は濁っていますが、時間が経つにつれ、塵や砂などは沈殿して、澄んだ水になります。お釈迦さまも苦行林では濁った水でした。坐禅により澄んだ水つまり悟りを得たのです。そして一般的には澄んだ状態になっても、塵や砂がコップからなくなったわけではないので、またコップを動かせば、塵や砂が浮かんできて、濁った水になります。塵や砂は私たちの迷いや煩悩と言えます。お釈迦さの悟りは塵や砂も取り除かれた状態です。
山頭火は漂泊の末、常に流れていないと濁ってしまう自分というものを悟ります。お釈迦さまは悟りを得たのち、人々を幸せに導くために、45年もの伝道の旅を続けられました。私たちはお釈迦さまの境地には至り得ません。せめて山頭火のように濁ってしまう自分を意識して、流れ続けて澄んだ水の心を保てるようにしましょう。
それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1365話】 「茶禅一味」 2025(令和7)年11月21日~30日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1365話です。
茶室は室町時代末期から発展しましたが、その起源は禅宗のお寺にあります。住職の居住する「方丈の間」を標準にしています。方丈とは一丈四方の大きさ、つまり4畳半の部屋です。因みに禅宗の住職の尊称である「方丈さま」の由来でもあります。
日本のお茶の祖と言われるのは臨済宗の栄西です。栄西は鎌倉時代初期、中国に渡り修行します。その時お茶の効能に注目して、帰国後お茶の文化を広めます。『喫茶養生記』を著し、「茶は養生の仙薬なり、延命の妙術なり」と記しています。当時、お茶は薬でもあり、たいへん貴重なものでした。先ずは禅僧や貴族の嗜みとなりました。
曹洞宗では、お釈迦さまはじめ、歴代祖師の遺徳を偲ぶ法要の時、様々なお供えをしますが、お茶は欠かせません。一碗の薫り高いお茶が、何人もの僧侶の手から手へと伝わって、恭しく献ぜられます。この時、僧侶は和紙でできた樒(みつ)という小さな紙片を唇に挟みます。尊い方に献ずるお茶に息がかからないようにするためです。そのように細心の心遣いをして供えられるのです。
また法要で本堂に入る時には、足袋ではなく襪子(べっす)という履物になります。足袋は外で草履を履くため親指のところが割れていますが、襪子は先丸足袋とも言われ、割れていません。外で履いた足袋そのままで、神聖な本堂には上がらず、襪子に履き替えるのです。当然ご不浄では襪子を脱がなければなりません。
さて、徳本寺開基家の大條家(おおえだけ)ゆかりの茶室「此君亭(しくんてい)」は、昨年11月に東日本大震災などによる被害から修復完成しました。大條家は仙台伊達藩の重臣であり、茶室は手柄の褒美として伊達藩より賜ったものです。現在は町の指定文化財になっています。先日修復1周年に改めて茶室開きが行われました。菩提寺の住職ということでお招きをいただきました。
大條家の歴代当主にお茶を供える献茶式が、古式ゆかしく行われました。お点前は伊達家御家流(おいえりゅう)の石州清水流14代家元清水道玄さんです。白い紙のマスクをして、流れるような袱紗の所作をはじめ、作法に則り厳粛に茶が点ぜられました。そのマスクはまさに、僧侶が唇に挟む樒と同じ意味があります。また茶室に入るときは、襪子こそ履きませんが、外から履いてきた足袋は履き替えるものだそうです。洋服の場合は白い靴下を着用すべきことも教わりました。
「茶禅一味」という言葉があります。茶道も禅道もつまるところ、一つに成りきることです。一服のお茶を味わい尽くしていただく、そのために爪先から頭のてっぺんまで、気を遣い最大の敬意をはらう作法がなければならないわけです。「威儀(いいぎ)則仏法 作法是宗旨」立ち居振る舞いも作法も、すべては仏法に通ずるのです。そういえば「茶」という漢字は、草冠をふたつの「十」に分解し、下を「八十八」と分解すれば、煩悩の数の「百八」になります。作法によりお茶を飲むとは煩悩もなくすることです。それこそ3分間心のティータイムです。
それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。

献ぜられた1碗の茶
掛軸は大條家17代伊達宗亮の書
【第1364話】 「熊手と人手」 2025(令和7)年11月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1364話です。
落ち葉の季節、毎朝の掃き掃除で熊手が威力を発揮しています。「熊手」とは言い得て妙です。熊の爪のように先端が曲がった竹が何本もあって、一気に落ち葉を掻き集めてくれます。
しかし、本物の熊の手や爪に出会ったら、危険なことは最近のクマ騒動で知るところです。思えば、昨年11月30日に秋田市のスーパーにクマが侵入し、2日間に亘って居座り続けました。男性従業員が襲われ頭などを負傷するということがありました。クマは罠にかかり駆除されましたが、これほどクマが身近な存在になったのかと驚きました。
今年に入って、クマはわがもの顔で人間の生活圏に出没しています。民家の庭先に現れたり、小学校から大学まで、クマの侵入が目撃されています。役所や銀行の地下駐車場にも侵入しています。環境省によると、北海道・九州・沖縄を除く地域での出没件数は、約2万件に上ります。死傷者も196人となり過去最多です。そのうち秋田県の死傷者は全国最多の56人と3割近くを占めているのです。とうとう秋田県では今月5日に、クマ被害対策を目的として陸上自衛隊が派遣されました。
これほどまでにクマが生活圏に現れたのはどうしてでしょう。まさかクマが学校で勉強したいわけでも、役所に住民票を提出に来たとも思えません。まして、銀行に貯金などするクマはいません。生きるためただひたすらエサを求めているのです。
原因のひとつは近年の気象条件の変化です。エサとなるどんぐり類の不作が影響しています。そのため、人間の住むところにも現れるようになったのでしょう。これまでクマは冬眠前の秋に、山でエサの補給を完結できました。今やクマはどんぐりがないからと、好き嫌いなど言っていられないのです。人間の食べるものでも何でも食べなければ生きていけない、そんな気持ちで駆除される危険を冒してまで、人里に身を晒しているかもしれません。
ただクマの研究をしている東京農工大学の小池教授は「駆除は最終手段であり、クマが山から出てきた時点で人間の負け」と言っています。野生動物と人間の生活圏を隔てている「里山」が人口減少などで、手入れされないことにも問題があるようです。人間とクマの暮らす境界線があいまいになってきました。クマが山の環境を破壊はしないでしょう。里山に人手をかけられないように、人間が自然環境を変えてしまったのです。緊急事態の今はともかく、今後クマに近寄られない環境を整えることも大切です。もしかして、町に出てきたクマは賢くなって次のように言うかもしれません。「熊手は落ち葉集めの役に立っているし、幸福を集める縁起物でもあるのに・・・。人間は人手もかけず里山を荒らしているくせに、俺たちを駆除したりして、ほんとうに人でなしなんだから・・・」
ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、804回×3円で2,412円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1363話】 「精進が良い」 2025(令和7)年11月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1363話です。
10月26日、関東・東北地方は朝から雨でした。それにもかかわらず、第19回テレホン法話ライブには、たくさんの方に参加いただきました。そこでみなさんに申し上げました。「何かの集まりの時、天気が良ければ、みなさんの日頃のご精進がよろしいようで、こんなにいい天気になりましたねと挨拶します。今日は何と言えばいいのでしょう。みなさんの日頃の精進が悪いので、こんな雨降りになって・・・?まさかです。晴れた日なら、芋煮会でも紅葉狩りでも、誰でも喜んで参加します。この悪天候の中、お寺で法話を聴くという地味な会に参加するなんて、余程精進の良い方でなければできません」
精進が良いとは、心がけが良いという意味合いでしょうが、様々な困難を克服して何事かを成し遂げるという意味もあります。精進は仏教語ですから、ひたすらに仏道修行に努め励むことが、元々の意味です。お寺で法話を聴くのは、仏の教えに触れる第一歩であり、雨が降ろうが風が吹こうが、精進の志があればこその行いです。
それにしても、義務でもないのに、悪路を厭わず、参加下さった方々には感謝あるのみです。檀家さん以外にも、横浜・東京・福島と県外からの参加者もおられ、恐縮いたしました。中でも1番最初に会場に訪れた男性に、「私は岩手県盛岡市の小笠原俊男の息子です」と挨拶されて、びっくりしました。奥様とお母さんと3人でいらしていたのです。伺えば、俊男さんはお亡くなりになり、今年が3回忌だというのです。「母も高齢になりましたが、元気なうちにと、父の供養の想いも込めて、今日参加しました」
小笠原俊男さんは、テレホン法話ライブの第1回目から奥様と2人で参加して下さっていました。地元の人ですら、テレホン法話ライブの存在も知らないときに、態々盛岡からお出で下さるとは何と奇特な方だろうと思っていました。毎年のように参加され、時にはビデオカメラを設置してライブの様子を記録していかれたこともありました。コロナ騒動の頃からでしょうか、お姿を見かけなくなりました。思いがけない訃報に接し、19年の歳月が走馬灯のように巡り、手を合わせました。
毎年盛岡から徳本寺までお出で下さったとは、どれほどの精進を積んでこられたのでしょうか。精進とは距離や天候の問題ではなく、その志の強さなのです。小笠原俊男さんは少なくとも19年前から、淡々と行じてこられました。その姿がきちんと息子さんにも伝わっていることにも、感服するばかりです。テレホン法話というささやかな仏縁が、盛岡と徳本寺の距離を縮め、親と子の絆を深めてくれたとすれば、こんな有り難いことはありません。ある人が言いました。「死してなお 親は子を育て 死してなお 子は親を思う」。これからもテレホン法話を続けることが、私にとっての精進でもあります。
それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1362話】 「壁と扉」 2025(令和7)年10月21日~31日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1362話です。
達磨さんは縁起物として知られていますが、インドから中国に禅の教えを伝えた曹洞宗の祖師です。菩提達磨大師といいます。赤い法衣に身を包み、面壁九年といわれるほど壁に向かって坐禅を組んでいました。その後ろ姿がいわゆるの達磨さんの形になっています。
坐禅は壁に向かって、ひたすら自分の呼吸だけを意識して、一切の雑念を払う行です。壁の存在は日常の喧騒や誘惑を断ち、気持ちを集中させてくれます。また壁のように動ぜず、一つことに打ち込む不撓不屈の心をも養います。だからここでの壁は、障害となるものではありません。壁に向かって坐禅をした先にある究極の姿は、妄想分別から解き放たれた清々しい自分です。
さて、先日74歳の男性が病気で亡くなりました。彼は高校生の時、学校でのあることがきっかけで不登校になりました。以来、今日まで家に籠って、普通の社会生活を営むことはありませんでした。隣近所の人でさえ、その姿を見かけた人は誰もいません。家族の方に支えられ、一人ひっそりと暮らしていました。勉強熱心な人で、様々な資格を取得していたようですが、それがどのように活かされていたのかはわかりません。
誰しも幼い頃、自分が負い目に立たされると、「誰も自分のことを分かってくれない」と自分で壁を作り、他との接触を断ったことがあるのではないでしょうか。いわゆる拗ねた状態です。でもその壁はちょっとした切っ掛けでなくなり、元の姿に戻ることができました。しかし74歳の彼は、おそろしく繊細なそして純真な心の持ち主だったのかもしれません。自分の感性とは異なる人物や世界に対する拒絶反応が、頑丈で高い壁を築いてしまったのでしょうか。
ある人が言いました。「人生で何かにぶつかった時に それは壁ではなく 扉だと思うと 開けていきますよ」。生きている限り、失敗や挫折を味わうことは、一度や二度ではないでしょう。それが壁のように感じれば、絶望になります。しかし扉だと思えば、ガチャガチャと把手を動かしたり、少し頑張って体当たりをすれば、開くことがあります。希望が隣りにいる感じです。
扉が開いた先に見えるものは、まさに達磨大師が説いた「廓然無聖」の世界です。廓とは城壁ですが、壁は壁でもがらんとして広々とした世界を創る壁です。つまり澄み渡った秋の大空のように、何のわだかまりもないさわやかな心を象徴しています。それこそが仏教の真髄であるというのです。生きていると感じる究極は、自分の呼吸を意識できた時です。それ以外のこだわりはすべて仮の姿です。壁ですら仮のもの。一息で吹き飛ばせるよう、先ずは坐禅の扉を開いてみませんか。
ここでお知らせいたします。10月26日(日)午後1時30分より、第19回テレホン法話ライブを開催します。法話に因んだピアノ演奏・御詠歌や映像も加えたライブです。入場無料。また9月のカンボジアエコー募金は、1,078回×3円で3,234円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1361話】 「四足走行」 2025(令和7)年10月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1361話です。
人類の祖先である類人猿が約700万年前に樹上生活から地上に降り、二本足で歩くようになったと言われています。この長い歴史を経て、走る速さも進化しています。現在人類最速の100㍍の世界記録は、2009年にウサイン・ボルトが出した9秒58です。
この二本足進化に逆行するかのように、両手両足を使う「四足走行」の記録に挑んだ人がいます。9月24日鳥取県米子市の米江龍星(よねえりゅうせい)さん22歳が、100㍍を14秒55で走り、2022年にアメリカで作られたギネス世界記録15秒66を破りました。彼は中学2年の時、「四本足で走る動物は足が速い」という理科の先生の言葉を聞いて、四足走行に関心を抱きました。以来毎日のように登山道や砂浜で練習を続けました。時には動物園で猿の動きを研究し、猫の走り方も参考にしたと言います。
映像を見ると、足より腕が短いので前かがみになり、直角に折った腰が高く、長い足を繰り出すのは、いかにも窮屈そうです。普段の生活ではなくてはならない両腕が、ハンディになっているかのようです。それでも彼は「人間で1番になったので、次は動物にも勝てるように特訓を重ねたい」と言っています。
さて、ウサイン・ボルトの100㍍の世界記録は、時速に換算すると45キロです。サラブレッドは時速88.5キロ、最速の動物といわれるチーターは、120キロにもなるそうです。四足走行の動物は人間の2倍も3倍もの走力を発揮することができます。だから動物と四足走行を競争するのは無駄だとは言いません。そのロマンは人類の原点を見直す切っ掛けになるかもしれません。
そもそも二本足で歩くようになったのは、食料や資源を運ぶためと言われます。四本足では、物を運ぶのに効率はよくありません。両手が使えるようになって、たくさんのものを持ち運ぶことができるようになりました。更に両手は道具を作るという画期的な進化を遂げます。それが高じて自分だけがたくさん物を集めたいという独占欲も芽生えてきます。究極は立って歩くことにより、重い頭を支えることができ、脳が発達しました。そして我々人類だけが言語を駆使することができるようになったわけです。
その結果、分をわきまえない言動が見られるようになりました。美しい花を見て、ただその美を愛でるなら自然な姿です。しかし、道具を使って根こそぎ掘り起こし、誰かに売って金儲けをするような自然破壊の振る舞いは人間の驕りです。また両手で武器を作り、我を主張し争いを始めたのも人間の我がままです。今さら四本足に戻れとは言いませんが、せっかく進化した両手を人類の幸せのために役立てないと、手も付けられない人類の未来を招きかねないと四足走行見て感じました。
ここでお知らせいたします。10月26日(日)午後1時30分より、第19回テレホン法話ライブを開催します。法話に因んだピアノ演奏・御詠歌や映像も加えたライブです。入場無料。
それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1360話】 「報恩深し」 2025(令和7)年10月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1360話です。
徳本寺における年回忌供養の傾向としては、1周忌・3回忌を供養される方は、8割以上にのぼります。年数を経る毎に減少していきます。特に27回忌は3割・2割台に落ち込みます。33回忌で4割台まで盛り返すことがあります。どうも27回忌は忘れられ易いようです。
そして。今年10月11日は父であり前住職の文英大和尚のまさに27回忌です。勿論忘れるわけはありません。父はその年の8月から仙台の病院に入院していました。出来るだけ面会を心がけ、10月10日にも行きました。というのも翌日から大本山總持寺に出かけて留守になるからです。それは本山で毎年行われる4日間に亘る御征忌会(ごしょうきえ)という大きな法要の手伝いの為です。
「明日から本山に行ってくるから」と父に告げました。その時父の髭が、結構伸びていることに気づきました。「髭を剃ってあげるよ」と言うと、父は遠慮しました。しばらく面会に来られないという思いもあって、「いいから、いいから」と少し強引に、剃刀を当てました。さっぱりした顔になると、「ありがとう」と小さくお礼を言われました。そして「本山でしっかり勤めて来いよ」という声に送られて病室を後にしました。
翌11日に本山に向かい、大法要に向けての前日準備を終えて就寝。その夜中に「父死す」の連絡がありました。後のことを同僚に頼み、12日の朝一番で徳本寺に戻りました。遺体は既に庫裡に安置されていました。喪主になる私がいないために、何をどうして良いのかわからず、身内・総代・近隣の人は戸惑うばかりでした。本山に行っていたとはいえ、留守をしていたことをお詫びしました。それから、涙を流す間もなく、葬儀に向けて夥しい打ち合わせや準備作業を経て、無事葬儀を営むことができました。
父の死に目には会えませんでしたが、本山に行っていたのだから、許してくれるだろうという思いはあります。同時にその後も毎年本山に伺うたびに、負い目を感じないと言えば嘘になります。そこで父の27回忌は思い切って、本山で供養していただくことにしました。本山には「徳本寺24世中興即心文英大和尚」という位牌が特別に祀られています。9月半ば檀家さんと本山参りを兼ねて、前住職の27回忌を営んでまいりました。何十人もの和尚さんのお経の声は荘厳そのものでした。導師をお勤めいただいたのは、「監院(かんにん)」という本山の総責任の役を司る大老師様でした。老師は法要の心を述べる法語の中で、「二十七年報恩深し」という一句を添えてくださいました。
この27年、僧侶・住職としてどのように寺を守り、人々に寄り添うことが前住職の恩に報いることになるのかと思って、日々過ごしてきました。死に目には会えずとも、死の一日前に髭を剃ってあげたときの温もりは、今も確かにこの両手に残っています。死して尚、恩の深さを感じるばかりです。
それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。
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