テレホン法話 一覧

【第1376話】 「駅伝と復興」 2026(令和8)年3月11日~20日

 

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1376話です。

 今年1月18日に広島市で第31回全国都道府県対抗男子駅伝がありました。宮城県代表チームは2時間16分55秒の大会タイ記録で悲願の初優勝を果たしました。この駅伝の特徴は中学生から社会人までの世代を超えたチーム編成にあります。7区間48㎞を1区4区5区は高校生、2区6区は中学生、3区7区は大学生か社会人が走ります。中学生は3㎞ですが最終7区は13㎞です。

 県代表で選ばれた中学生とはいえ、その力は未知数の部分が多いはずです。しかし今回の宮城県の中学生は頑張りました。2人とも仙台市の中学3年生です。2区の佐藤駿多選手は、福島に逆転を許すも、6秒差の2位でしのぎました。6区の佐藤迅選手は自己ベストを更新する走りで2位を突き放す活躍でした。中学生の懸命な走りに、先輩方も刺激を受けたことでしょう。

 そして今年は東日本大震災から15年ですが、奇しくも2人の中学生は、大震災の年は生まれたばかりでした。走り終えて2人は「いろいろな人に支えてもらって恩返しをしたい気持ちだった」とか「震災で心を痛めた人たちが元気になれるよう頑張った」と、大人びた感想を述べています。中学生という存在だけでみれば、まだまだ子どもと言ってもいいでしょう。しかし、15年という歳月は、初優勝の一翼を担い、県民に感動を与えるほどの成長ができるのだと、感心させられました。15年という時間そのものは見えませんが、中学生の走りが、15年のひとつの姿であると思い知らされました。

 実は宮城県代表チームは第2回大会の時、47都道府県の中で最下位だったのです。最下位を経験したチームが優勝したのは初めてだそうです。大震災15年の年に駅伝初優勝とは、何やら暗示的です。大震災は最下位などというものではありませんでした。これ以上堕ちるところはないというよりは、這い上がることができるだろうかと、明日が見えず不安と恐怖でいっぱいでした。それでも5年10年とそれこそ47都道府県や外国からも温かい支援を受けてきました。それに応えて私たちも世代を超えて心をひとつにして、それなりに涙と汗を流し、復興に向かってきました。

 今15年を過ごして中学生の眩しい走りや、初優勝の喜びを共にする時、それは復興の喜びとも重なるものがあります。ただ駅伝と違って復興にはゴールテープはありません。住まいや道路など目に見える復興は分かりますが、一人ひとりが抱えた悩み苦しみ淋しさは見えにくいものです。これからは大震災を知らない人が増えるばかりです。世代を超えた駅伝チームがチームワークよく結果を残したように、私たちも老若男女の別なく、をつなぐが如く助け合いながら、心の復興にスタートしましょう。

 ここでお知らせいたします。2月のカンボジアエコー募金は、835回×3円で2,505円でした。ありがとうございました。

 それでは又、3月21日よりお耳にかかりましょう。

 

【第1375話】 「被災地のトランペット」 2026(令和8)年3月1日~10日

 

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1375話です。

 東日本大震災で失われたものは数え切れません。しかし大震災後に新たにできたものもあります。たとえば「避難丘」という津波襲来時の一時避難場所となる築山です。町内の沿岸部に3カ所設けられています。そのひとつが「笠野避難丘公園」で、徳本寺の末寺徳泉寺の近くにあります。

 徳泉寺は海から約300㍍に位置し、大津波で伽藍など全てが流されました。津波の最大波は12.2㍍でした。辺りは人が住めない災害危険区域になりました。そこに避難丘があります。海抜9㍍で頂上は手摺りが巡らされ、東屋のような屋根があるだけです。見晴らしは良く、海がすぐそばです。

 昨年の暮れ、徳泉寺の境内で掃除をしている時、トランペットの音が聞こえてきました。避難丘でひとりの男性が海に向かって吹いていたのです。単なる練習なのか、それとも津波で亡くなった人への、鎮魂の思いを込めてのことだったのでしょうか。ともかく何曲か聴こえてきた中に「アメージング・グレイス」がありました。神の恵みに感謝する賛美歌ともいえる曲です。正直お経よりずっと心に沁みました。

 そこで思い出したことがあります。大震災から1カ月後の2011年4月11日、岩手県陸前高田市で津波に流された自宅跡に立ち、海に向かってトランペットを吹いている少女の写真が新聞に掲載されました。岩手県立大船渡高校3年の佐々木瑠璃さんです。彼女は津波で祖母と母を亡くしました。亡き祖母が買ってくれたトランペットで、亡き母が好きだったZARDの「負けないで」を涙ながらに奏でていたのです。「私は元気。心配しないで」と天国に伝えたつもりだったと、記事にはありました。

 その記事が被災地出身でチャリティーコンサートを企画していた音楽家の目にとまりました。そして5月20日東京オペラシティで1500人の聴衆を前に、彼女は「負けないで」を演奏したのです。途中何度か涙を拭いつつも、笑顔で舞台を降りました。しかし拍手は鳴りやみません。促され再び舞台に立つと、更に大きな拍手が寄せられました。こらえきれず号泣してしまいました。ただ悲しくて泣いたわけではなく、みなさんに背中を押されて幸せを感じたのです。「どんなに 離れていても 心は そばにいるわ」という「負けないで」の歌詞が好きだという彼女は、「トランペットを吹いている時は、天国のお母さんたちとつながっていると思えるんです」と言っていました。
 
 亡き人に想いを伝えようとするとき、音楽の力は計り知れません。特にトランペットのように自分の命の源である息を発して口で吹く楽器は、時間空間を超えて命を輝かします。「命」という漢字の成り立ちは、人々を集めて、口で思いを伝える様を示しています。大震災から15年、私の命と亡くなった人の命との隔たりは如何ばかりでしょう。トランペットを吹けない私は、今年も命なるお経を口で称え、ご供養申し上げます。

 それでは又、3月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1374話】 「拈華微笑」 2026(令和8)年2月21日~28日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1374話です。

 お釈迦さまといえば、両手を組んで坐禅をしている姿が一般的です。徳本寺の本尊はお釈迦さまですが、「拈華微笑の釈迦」といわれます。右手に優曇華の花を持っています。それには次のような話があります。

 お釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせん)で大勢の人を前に説法をなさろうとした時、右手に持った一輪の優曇華を拈(ひね)って瞬きをしました。誰もがわけもわからずポカンとしていました。しかし摩訶迦葉だけがにっこり微笑んだのです。その時お釈迦さまの心をすっかり理解できたのは摩訶迦葉だけであるとして、仏法の奥義を授けました。それは以心伝心ともいえます。仏法の真髄は、言葉や文字では伝えきれないほど、奥深いことを示しています。

 先日徳本寺副住職が拈華微笑の本尊さまの前で仏前結婚式を挙げました。その時、式師のお諭しの言葉で、拈華微笑の逸話を引きながら、次のように申し上げました。「二人は拈華微笑のお釈迦さまと摩訶迦葉の如く以心伝心を経て今日の日を迎えたことでしょう。それは一過性のものではなく、これからもそのことを常に意識した生活をして下さい。例えば、私が頬をつねったとします。痛いのは私だけで、見ている人は痛みを感じません。ただ「痛そう」と思ってくれる人はいるかもしれません。それは少し私に関心があればこそです。全然関係のない人は、私が頬をつねろうが叩こうが、一切関知せず他人事(ひとごと)です。しかし以心伝心の域にある人は、私が頬をつねった時、「痛そう」ではなく、間髪を入れず心から「痛い!」と我がこととして体得できます。まさに一心同体の境地です」

 更にこれからお寺に住む者として、檀家さんや社会への対応が求まられますが、その心構えの一端を話しました。「龍樹の言葉に『僧 仏に向かえば 衆生 僧に向かわず 僧 衆生に向かえば 衆生 仏に向かう』とあります。和尚さんが仏の修行だけをしていては、人々は誰も和尚さんについて来ない。和尚さんが人々に寄り添えば、和尚さんを介して人々は信仰心を持つようになるということでしょうか。和尚さんだから坐禅もしなければなりませんが、坐禅だけして、境内の掃除を怠って草茫々では、お寺に来る人はいなくなります。悩み苦しんでいる人に手を差し伸べる和尚さんがいればこそ、お寺を訪ねて本尊さまにも手を合わせてくれます」

 幸い二人は徳本寺において、日々拈華微笑のお釈迦さまに手を合わせることができます。以心伝心の想いを二人だけに留めることなく、広く人々の心にも思いを馳せてくれることを願っています。お釈迦さまは拈った花で、摩訶迦葉の微笑みを導きました。これから二人は多くの人々を笑顔にするために、その手に何を持つことになるのでしょうか。その一捻りに期待しましょう。

 それでは又、3月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1373話】 「金色身」 2026(令和8)年2月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1373話です。

 金(ゴールド)の価格が高騰しています。1グラム2万7千円を超えて、時間ごとに変動しています。先行きの見えない不安定な世界情勢の時には、安全資産として求められているようです。それほど金は希少で高価なものなのでしょう。

 昔ボランティアの縁で、タイ国を訪れたときに、あるお寺にお参りをした時のこと。たくさんの人が仏像に金箔を貼ってお参りしているのです。小さな金箔を買い求め、それを仏像にペタペタ貼っていきます。タイでは普通に行われていることだそうです。「タンブン」と言って徳を積む行いのひとつです。金という高価なものを布施するが如くに仏像に貼って、仏つまりお釈迦さまへの感謝と敬意の心を顕わすわけです。その功徳として、自分たちにも幸せが訪れますようにと願うのです。勿論仏像が金色に輝けば、その神聖さと美しさが、更に際立つ効果もあってのことでしょう。

 さて、2月15日はお釈迦さまがお亡くなりになった涅槃会です。本堂に涅槃図を掲げお釈迦さまの遺徳を偲びます。涅槃図には沙羅双樹の林の中で、涅槃に入られたお釈迦さまを囲むように、大勢の弟子たちや様々な鳥や動物たちまでが集まって、その死を嘆き悲しむ様が描かれています。頭を北に顔を西に向けて横たわっているお釈迦さまの身体は金色に輝いています。

 お釈迦さま最期の時は、激しい腹痛に見舞われました。その時福貴(プックサ)という弟子が、お釈迦さまとその弟子阿難に、金色の布を差し出しました。お釈迦さまはその布を敷き、福貴のために説法をされました。その後阿難が自分の布でお釈迦さまの身体を包まれると、得も言われぬ光が発せられました。阿難は25年間もお釈迦さまのおそばにいながら、このように輝かしい光を放つのを見たことがなく、不思議がりました。お釈迦さまは仰いました。「我が光、常に異なること2度あり。一(ひとつ)は道を成じたる時、一は涅槃に入らんとする時なり。汝当に知るべし。我今日の夜半、当に涅槃に入るべきなり」。お釈迦さまが光を発するのは、初めて悟りを得て成道されて仏陀となった時と、この世の寿命が尽きて涅槃に入られる時ということです。依って涅槃図に描かれているお釈迦さまは金色に輝いているのです。

 お釈迦さまは無上尊つまりこの上なく尊い方と尊称されます。それを具現化する時、金色身・金色のお姿というのは誰しも納得するところです。それにしても不安な時の金(ゴールド)頼みに走りすぎて、金色に目が眩んで人生のコールドゲームセットにならないようにしましょう。それには常に金色に目を馴染ませるべく、不安な時もそうでない時も、心の平安を保つべく、金色身のお釈迦さまに手を合わせることです。

 ここでお知らせいたします。1月のカンボジアエコー募金は、1,060回×3円で3,180円でした。ありがとうございました。
 
 それでは又、2月21日よりお耳にかかりましょう。



涅槃図

【第1372話】 「仏前結婚式」 2026(令和8)年2月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1372話です。

 ちょうど71年前の昭和30年2月1日、下村と坂村が合併して、我が町「山元町」が誕生しました。その時から発行された「公民官報やまもと」を綴じたものを、物置整理中に見つけました。昭和48年までの150号分です。新しい町になり新生活運動の息吹がそこかしこに感じられる紙面です。

 中でも昭和40年11月の第61号には、「公民館結婚式」の記事がありました。「新しい人生の門出を祝う結婚式と披露宴は、重大なものであるが、形式にとらわれたり、虚礼にならないようにしたい。公民館では簡素な中にも厳粛で然も真実のこもった方式を採用し実施している」とあります。具体的には「式場は50人程度、花嫁衣裳一揃い準備あり、使用料2,500円。披露宴での酒は1人2合程度、折詰・皿盛・引物は廃止した方が良いと思います」とか。まさに時代を感じさせられます。

 さて、お寺でも結婚式は行われます。本尊さまの前で、新郎新婦が将来の固い契りを誓い合う仏前結婚式です。当然ながら、ご両人は仏教徒でなければなりません。結婚式は教会で行うことが多いかもしれませんが、キリスト教徒という自覚のある新郎新婦は、どれほどいるのでしょうか。

 それはさておき、仏教で白い色は仏さまの色といえます。無垢清浄の象徴です。仏とは死んだ人ではなく悟った人で、心はまっさらで迷いなく、朝はおはようございます、夜はこんばんはと、誰に対しても挨拶できるような人をいいます。究極は死んだときに、痛いも痒いも悩みもなくなって、無垢清浄な状態で仏さまとして、みなさまから拝まれます。よって死に装束は白い着物なのです。

 白い色はこれまでの自分に別れを告げ、新たな自分に生まれ変わる、つまり悟りに向かって精進しますという覚悟を示す色でもあります。よって新婦は白無垢衣装で結婚式に臨みます。これまでの人生を顧みつつ、新たな覚悟をもって新郎との新しい生活を築いてまいりますということです。縁起でもないというかもしれませんが、白い死に装束も結婚式の白無垢も、元をただせば同じ思いが込められています。

 仏前結婚式では、有り難いことに、式師は自らの頭上より清らかな命の水を器に移し、その水を新郎新婦の頭上に灌ぎます。それは多少なりともわがままな色に染まったこれまでの自分と別れ、無垢清浄な心に立ち返り、ふたりで新たな人生を歩んでくださいという、仏さまからのメッセージでもあります。更に式師より仏教徒の証しである珠数が授けられ、一層の精進を促されます。新郎新婦は御仏にふたりの揺るぎない誓いを申し上げます。そして先祖さまからの縁をいただいたおかげで、ふたりは結ばれたという感謝を込めて、両家の先祖さまに報告のお経を挙げます。このように仏前結婚式は形式虚礼を超えて、仏教徒として嘘偽りのない真実の姿を御仏に示す尊い儀式です。
因みに2月14日徳本寺にて、住職が式師を勤め、副住職小林信眼師と鈴木詩織さんの仏前結婚式が行われます。

 それでは又、2月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1371話】 「520足の靴」 2026(令和8)年1月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1371話です。

 「むずかしいことをやさしく やさしいことを深く 深いことをおもしろく おもしろいことをまじめに 書くこと」と言ったのは作家の井上ひさしさんです。まさにそのような姿勢を、堅いニュースを伝える際にも貫いたのは、久米宏さんです。

 フリーアナウンサーの久米宏さんが81歳で亡くなりました。TBSアナウンサーとしてクイズ番組「ぴったしカン・カン」や音楽番組「ザ・ベストテン」の司会で人気を博しました。フリーに転身してからは、報道番組「ニュースステーション」のメインキャスターを18年半も勤めました。報道番組はかくあらねば、という堅いイメージを一新させる、画期的な番組進行でした。進行役という立場で、そこまで言うのかと思われるような主張をしたり、政治家にも忖度をすることなく本音で質問をぶつけて、煙たがられるほどでした。

 「ニュースステーション」が始まる2カ月前の1985年8月12日に日航ジャンボ機墜落事故が起きました。羽田を離陸して32分後、群馬県御巣鷹山に墜落し、乗客乗員520人が亡くなりました。単独機としては世界最大といわれる事故でした。その大惨事を振り返る番組の中で、久米さんは犠牲者と同じ数の靴をスタジオに並べて見せたのです。先ずジャンボ機の席の見取り図をスタジオの床に書きました。乗客乗員の名簿を元に、乗っていた人の性別・年齢を各座席にその通りに書き入れました。その情報から想像して、女の子ならこんな靴、高齢の男性ならこんな靴を履いていたかもしれないという風に、520人分の靴を座席に並べたのです。画面に映し出された色や形すべて異なる520足の靴は圧巻でもあり、異様な光景でした。

 520人の姿形はそれぞれで、着ているもの身に着けているものも様々です。しかし、裸足で飛行機には乗る人はいません。ひとつ犠牲者に共通しているのは、履物を履いていたということです。履物にはその人を想像させるより具体的な力があります。この小さい靴の子どもはこれからどんな道を歩んだだろう、ハイヒールの女性には愛する人との幸せな未来があったのでは、磨き上げた革靴の紳士は信頼も厚かっただろう、などなど。

 520人と数字を聞けば、その数の多さは分かります。ただ一人ひとりの人生を想像するまでには至りません。ややもすると「520人の犠牲者」とひとまとめにされてしまいます。人の命を語ることは難しいです。ましてやたいへんな事故で亡くなった人の人生にまで言及することは辛すぎます。そのむずかしさをやさしく示して、亡き人への哀悼の想いを深くさせてくれたのが、520足の靴でした。

 私たちの人生には困難なこともありますが、それを難しい顔をして受けとめては何も解決しません。時に笑顔で見方を変えてみると、道が開けることがあります。今年こそは脚下照顧しつつも、あなたの人生を運んでくれる希望という靴を履いて、軽やかに歩んでくださいと元旦に亡くなった久米宏さんは言っているかのようです。

 それでは又、2月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1370話】 「馬連」 2026(令和8)年1月11日~21日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1370話です。

 孫悟空でお馴染みの『西遊記』は、中国・唐の時代の玄奘三蔵法師のインド旅行記がもとになっています。インドで仏教を学び「大般若経」600巻を持ち帰り、漢文に訳しました。今から1300年以上前の663年のこと。そのうちの578巻目を「理趣分経」といいます。日常生活の中で仏に根差した生き方をして、悟りに向かう大切さを説いています。

 お正月3ガ日間、太鼓に合わせて理趣分経を転読しご祈祷をします。こうして「大般若祈祷宝牘」のお札には、世の中の安寧や人々の幸せを願う魂が入るのです。そのお札を年始の挨拶を兼ねて、各檀家さんにお配りして、今年も良い年でありますようにと念じるわけです。

 お札は印刷されただけでは、魂の入らないただの紙です。今でこそ印刷ですが、ついこの間までは、手刷りでした。お札は40cmもありかなり大判です。経文を記した中札を入れ、三宝印と寺の印を押し、金帯をかけて完成です。一枚一枚が手作業でした。お札と中札は版木に刷毛で墨を塗り、馬連でこすって印刷するのです。手刷りですので一枚一枚印影の具合が異なり、味わいはありますが、何百枚も摺るのは骨が折れます。よく前住職は馬連を頭に当ててから紙の上をこすっていました。滑りよくするためだったのでしょう。

 先日大掃除の折に、昔使った版木と馬連が出てきました。版木はかなりすり減って丸みを帯びています。馬連は前住職の手作りと思われます。四角い形の芯を竹の皮で包んで、皮の両端を紐で結び、その結び目を持って、版木に載せた紙をこするのです。

 うま年だから言うわけではありませんが、馬連は馬が連なると書きます。その語源も馬との関連性も明らかではないようです。ただ通称「馬楝」と呼ばれるねじあやめの根で作った刷毛があるとか、ちょっと気になります。「バレン」は国際語にもなっているそうですから、深く考えずに素直に呼べばいいのでしょう。

 深く感ずべきは馬連を使う功徳です。馬連でお札を摺るときは、拝まれることを意識しなければなりません。一枚一枚それこそ魂を込めて摺るのです。「人 墨を磨るに非ず 墨 人を磨る」中国北宋の書家でもあった蘇軾(そしょく)の言葉です。お札を馬連で摺ることも同じです。僧侶は摺ったお札によって、僧侶としての行が磨かれ、そのお札は拝む人の生き方を輝かします。現在は馬連に依らない大量印刷のお札なので、手抜きのお札じゃないかと、ばれんように、お経はしっかりと勤めています。孫悟空の如意棒の威力にあやかって、僧侶の持ち物である如意を持ち「のうぼばぎゃばてい はらじゃはらみたえい たにゃた しつれい しつれい しつれい しつれいさいそわか 降伏一切大魔最勝成就」つまり多くの吉祥なる方に幸いあれ、一切の災いを滅して悟りが成就するように、と称えています。

 ここでお知らせいたします。12月のカンボジアエコー募金は、1,047回×3円で3,141円でした。ありがとうございました。それでは又、1月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1369話】 「白い馬」 2026(令和8)年1月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1369話です。

 あけましておめでとうございます。今年はうま年ですが、お釈迦さまには長年一緒に過ごしたカンタカという白い馬がいました。奇遇なことにお釈迦さまと同じ日に生まれました。更にその馬の世話をしていた御者のチャンダカも同じ日に生まれています。お釈迦さまは釈迦族の王子として生まれ、カピラ城に住んでいました。17歳の時ヤショーダラと結婚。ラーフラという子どもも授かりました。そのように恵まれた環境にありながら、生老病死という人生の苦しみから解放されるためにはどうしたらよいのか、悩む日々を送っていました。

 とうとう29歳の時、王子という地位も妻子も捨て、出家する決意をします。皆が寝静まった夜中に愛馬カンタカに乗り、御者のチャンダカを伴い、城を抜け出します。王子がいなくなれば、城中が大騒ぎになることは目に見えているので、チャンダカはためらいますが、王子の決心が固いことを悟り、東へ向かいました。

 アーマー河で頭を剃り、修行僧の出で立ちになり、悟りを得るまで戻らぬ決意を示します。そして身につけていた宝石や衣装をチャンダカに預け、城に戻って王さまに出家の経緯を伝えるように命じます。その時、愛馬カンタカは、涙を流し王子の足元を舐めて、別れを惜しみました。お城に帰ってからは、すっかり元気をなくし、絶食をして、とうとう死んでしまいました。カンタカはお釈迦さまに愛され、修行への道を案内したとして、天界に生まれたとされています。確かに白い馬は神の馬、神馬(しんめ)と尊ばれることがあります。

 それより以前に、白い馬はインドに伝わるお釈迦さまの前世物語に出てきます。一艘の船が難破して、島に流れ着きます。そこは夜叉と言われる人食い鬼の住み家でした。夜叉は人間に化けて、船員たちをもてなし、楽園のような生活を提供します。全ては食い殺そうという魂胆があってのことです。それに気づいた船長が、皆を説得し逃げようとしますが、多くの者は楽で快適な暮らしを捨てる気はありません。船長が困り果てていると、どこからともなく1頭の白い馬が現れました。「私には天空を飛び駆ける神通力があります。今のような安易な生活を捨てて、人間界に戻りたい者は私に乗りなさい」と言って、怠け癖から目覚めた者たちを、それぞれの住まいに送り届けました。

 王子さまを恵まれた生活から悟りの道へと案内した白馬のカンタカ。楽をして怠惰な生活に染まった者を普通の人間界に戻したお釈迦さまの前世にたとえられる白馬。白馬は私たちを幸せに導く象徴なのかもしれません。人間に希望を与えるために白馬は駆ける、テレホン法話を聴くため電話を掛ける人は夢が叶うと思って、今年もテレホン法話によろしくお付き合いください。

 それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1368話】 「後期高齢者」 2025(令和7)年12月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1368話です。

 先月75歳の誕生日を迎えました。いただいたプレゼントは、後期高齢者医療資格確認書です。まだ現役の住職ですし、高齢者だからと甘えてはいられません。それでも年齢は正直です。

 亘理郡内に曹洞宗寺院が13カ寺あります。私が徳本寺・徳泉寺という2カ寺の住職を勤めていますので、住職は12人です。その中でいつの間にか最年長になってしまいました。私の前に老僧はいないのです。また県内のお寺の法要に伺っても、私より年上の老僧は数えるほどなのです。ついこの間まで、下っ端でこまごまと動き回って、法要の準備等に汗を流していたのに、今や法要の邪魔にならないように、おとなしく座っている立場です。

 さて、私たち僧侶には三師と言われる3人の大事な師匠がいます。仏門に入る業を授ける受業師、修行僧のリーダーである首座を勤めるときの法幢師、代々伝わってきた仏法を相続させる本師と言われる3人です。それ以外にも仏道の奥義を学んだ参学師や特に薫陶を賜った慈恩師という師匠がいます。これらの師匠に対して、弟子たる者は正月には寿餠という一片の餅を差し上げます。

 寿餠を七重八重に折った特別な熨斗(のし)の可漏(かろ)という容れ物に入れ、年賀の挨拶状を墨書したものを添えます。それを供えて、正月三カ日間師匠の福寿長久等を祈ってお経を唱えます。そして師匠に年賀拝登し寿餠を奉呈します。年末の忙しい時に、いくつもの寿餠を準備するのはたいへんなものでした。それも今年はする必要がなくなりました。後期高齢者には、もはや師匠と呼ぶべき人はいなくなってしまったのです。昔老僧に寿餠を準備する必要がなくなった淋しさを、聞かされたことがありました。今その時の心境がよく分かります。

 みなさまも1年を振り返り、去年とはだいぶ違う年の瀬であると感じていませんか。新しい出会いがあったうれしさ、大事な人を見送った辛さもあったかもしれません。思い通りにいかなかったことや、良くも悪くも思わぬようになって、一喜一憂したこともあったでしょう。何より1年、年を取ったということです。過去から今日までを見れば確かにそういうことです。しかし、今日から未来を見ればどうなるでしょう。

 〈そうだった 今日という日は 人生で 一番老いて 一番若い〉亀岡市の俣野右内さんの歌です。誰しも今日までで、今ほど年を取っている時はないのです。同時に今日の自分ほど若い時は、これからの人生にはないのです。何歳になろうが、生まれて初めて経験する歳です。というより、私たちが迎える毎日毎日は、人類史上誰も経験したことのない全く初めての日なのです。そう思うと大晦日も元旦もワクワクしてきませんか。後期高齢者なんのその。来年も老いて尚かぐわしい香りの生き方をして香気を放つことを、恒のならわし、恒例にしましょう。それこそが香気恒例者です。

 それでは又、新年1月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1367話】 「安青錦」 2025(令和7)年12月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1367話です。

 野球の本場アメリカで、アメリカ人以上の活躍をする日本人の大谷翔平。一方、国技である相撲では、ウクライナ出身の安青錦(あおにしき)が、九州場所で初優勝を果たし、大関に昇進しました。

 安青錦の祖国ウクライナにロシアが侵攻し始めたのは、3年前の2022年のこと。出稼ぎをしていた母を頼って、ドイツに避難しました。しかし7歳で始めた相撲の稽古がままなりません。そこで、相撲の国際大会で知り合った関西大学相撲部コーチの山中新大(あらた)さんを頼って、その年の4月に日本に避難しました。縁に恵まれ12月には大相撲の安治川部屋に入門します。翌年9月の秋場所には初土俵を踏むことになります。

 そして、初土俵から1年半余りの今年春場所、最速タイ記録の所要9場所で新入幕。秋場所は新小結、九州場所は新関脇昇進というスピード記録を打ち立てます。更に初優勝という破竹の勢いです。しかもインタビューに答える日本語の巧みさには、誰もが驚いています。来日してわずか3年半の外国人とは思えません。大谷選手は通訳が付きますが、安青錦は通訳なしで、方言も理解できるとか。

 まだ10代で単身異国に渡り、異文化の極みともいえる相撲界に飛び込んだ覚悟は、並大抵ではありません。その上日本人以上に日本人らしさを身につけているのは、素直さがあればこそです。日本のことも相撲界のことも分からないから、ともかく教えられたこと、見たこと聞いたことを素直に覚えて来たのでしょう。その象徴的はことが、立ち合いの姿勢にあります。仕切り線にきちんと両手をついて、相手の立ち合いを待ちます。これほど基本に忠実な力士は珍しくなりました。片手をちょっと落としただけで、フライング気味に立つ力士も少なくありません。低い姿勢からの瞬発力は、安青錦の強さの原点でしょう。

 さて、格闘技と言われるボクシングやレスリングは、四角い中で戦います。相手を打ちのめすまで戦うこともあります。いかにも角がある戦いです。相撲は丸い土俵です。しかし、角の力・角力(かくりょく)と書いて角力(すもう)と読みます。ここでの角は「くらべる」という意味なのです。だから角力は力比べであると認識すれば、押し出して勝敗が決したなら、更にダメ押しの如く土俵下に叩きのめすようなことは慎まなければならないのです。敗者をも思いやる土俵のような丸い心が肝要です。

 山中さんが相撲の国際大会で安青錦に興味を持ったのは、敗れて泣く対戦相手に歩み寄り、手を差し伸べる姿を見たからと言います。丸い土俵は、相手を思いやる角のない丸い心の力士を強くします。謙虚な心は低い姿勢を貫き、相撲に勢いをつけます。これからも安青錦は懐の深い力士となることでしょう。

 ここでお知らせいたします。11月のカンボジアエコー募金は、1,213回×3円で3,639円でした。ありがとうございました。それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。