テレホン法話 一覧
【第1366話】 「濁れる水」 2025(令和7)年12月1日~10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1366話です。
〈濁れる水の流れつつ澄む〉自由律の俳人山頭火の句です。山頭火は大正14年43歳の時、出家して曹洞宗の僧侶となりましたが、住職になることはありませんでした。44歳から行乞放浪の旅に出ます。「漂泊の俳人」とも称されました。
晩年は愛媛県松山市に「一草庵」という庵(いおり)を結びます。冒頭の句はその頃に生まれたものです。それから間もなく、昭和15年10月11日に58歳の生涯を終えます。死ぬ前の日記には「拝む心で生きそして拝む心で私は死なう」と記しています。
俳人・行乞僧とは言っても、自らを「乞食(ほいと)」と卑下するほど、酒に溺れ知人に頼りながら生きていました。まさに濁れる水のような存在であっても、歩き続け俳句を作り続けることによって澄んだ心になることもあったということでしょうか。10数年流れ流れて辿り着いた拝む心の心境が〈濁れる水の流れつつ澄む〉にはあります。
さて、12月8日はお釈迦さまがお悟りを開いた「成道会(じょうどうえ)」です。成道とは道を成就したという意味です。お釈迦さまは「生老病死」という苦しみを超えた真の幸せを願い、29歳で出家します。多くの修行者と共に、苦行林で尋常でない修行に打ち込みます。逆さ吊りで過ごしたり、炎の上を歩いたり、不眠不休断食を行じたりということに励みます。しかし6年間の修行を経ても、納得できる答えは得られませんでした。
そこでお釈迦さまは、苦行林を下りて、尼連禅河で沐浴をし、たまたま村の娘スジャータの乳粥の供養を受けることができました。体力が回復すると、お悟りを得られるまでは動くまいと固い決意のもと、菩提樹の根元で静か坐禅をし続けました。そして8日目の朝、明けの明星をご覧になり、悟りの境地に至りました。悟りとは、かたよったり、こだわったり、とらわれたりしない心、即ち迷いや煩悩から解き放たれることです。
坐禅の境地は、コップに入れた川の水にたとえられます。最初は濁っていますが、時間が経つにつれ、塵や砂などは沈殿して、澄んだ水になります。お釈迦さまも苦行林では濁った水でした。坐禅により澄んだ水つまり悟りを得たのです。そして一般的には澄んだ状態になっても、塵や砂がコップからなくなったわけではないので、またコップを動かせば、塵や砂が浮かんできて、濁った水になります。塵や砂は私たちの迷いや煩悩と言えます。お釈迦さの悟りは塵や砂も取り除かれた状態です。
山頭火は漂泊の末、常に流れていないと濁ってしまう自分というものを悟ります。お釈迦さまは悟りを得たのち、人々を幸せに導くために、45年もの伝道の旅を続けられました。私たちはお釈迦さまの境地には至り得ません。せめて山頭火のように濁ってしまう自分を意識して、流れ続けて澄んだ水の心を保てるようにしましょう。
それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1365話】 「茶禅一味」 2025(令和7)年11月21日~30日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1365話です。
茶室は室町時代末期から発展しましたが、その起源は禅宗のお寺にあります。住職の居住する「方丈の間」を標準にしています。方丈とは一丈四方の大きさ、つまり4畳半の部屋です。因みに禅宗の住職の尊称である「方丈さま」の由来でもあります。
日本のお茶の祖と言われるのは臨済宗の栄西です。栄西は鎌倉時代初期、中国に渡り修行します。その時お茶の効能に注目して、帰国後お茶の文化を広めます。『喫茶養生記』を著し、「茶は養生の仙薬なり、延命の妙術なり」と記しています。当時、お茶は薬でもあり、たいへん貴重なものでした。先ずは禅僧や貴族の嗜みとなりました。
曹洞宗では、お釈迦さまはじめ、歴代祖師の遺徳を偲ぶ法要の時、様々なお供えをしますが、お茶は欠かせません。一碗の薫り高いお茶が、何人もの僧侶の手から手へと伝わって、恭しく献ぜられます。この時、僧侶は和紙でできた樒(みつ)という小さな紙片を唇に挟みます。尊い方に献ずるお茶に息がかからないようにするためです。そのように細心の心遣いをして供えられるのです。
また法要で本堂に入る時には、足袋ではなく襪子(べっす)という履物になります。足袋は外で草履を履くため親指のところが割れていますが、襪子は先丸足袋とも言われ、割れていません。外で履いた足袋そのままで、神聖な本堂には上がらず、襪子に履き替えるのです。当然ご不浄では襪子を脱がなければなりません。
さて、徳本寺開基家の大條家(おおえだけ)ゆかりの茶室「此君亭(しくんてい)」は、昨年11月に東日本大震災などによる被害から修復完成しました。大條家は仙台伊達藩の重臣であり、茶室は手柄の褒美として伊達藩より賜ったものです。現在は町の指定文化財になっています。先日修復1周年に改めて茶室開きが行われました。菩提寺の住職ということでお招きをいただきました。
大條家の歴代当主にお茶を供える献茶式が、古式ゆかしく行われました。お点前は伊達家御家流(おいえりゅう)の石州清水流14代家元清水道玄さんです。白い紙のマスクをして、流れるような袱紗の所作をはじめ、作法に則り厳粛に茶が点ぜられました。そのマスクはまさに、僧侶が唇に挟む樒と同じ意味があります。また茶室に入るときは、襪子こそ履きませんが、外から履いてきた足袋は履き替えるものだそうです。洋服の場合は白い靴下を着用すべきことも教わりました。
「茶禅一味」という言葉があります。茶道も禅道もつまるところ、一つに成りきることです。一服のお茶を味わい尽くしていただく、そのために爪先から頭のてっぺんまで、気を遣い最大の敬意をはらう作法がなければならないわけです。「威儀(いいぎ)則仏法 作法是宗旨」立ち居振る舞いも作法も、すべては仏法に通ずるのです。そういえば「茶」という漢字は、草冠をふたつの「十」に分解し、下を「八十八」と分解すれば、煩悩の数の「百八」になります。作法によりお茶を飲むとは煩悩もなくすることです。それこそ3分間心のティータイムです。
それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。

献ぜられた1碗の茶
掛軸は大條家17代伊達宗亮の書
【第1364話】 「熊手と人手」 2025(令和7)年11月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1364話です。
落ち葉の季節、毎朝の掃き掃除で熊手が威力を発揮しています。「熊手」とは言い得て妙です。熊の爪のように先端が曲がった竹が何本もあって、一気に落ち葉を掻き集めてくれます。
しかし、本物の熊の手や爪に出会ったら、危険なことは最近のクマ騒動で知るところです。思えば、昨年11月30日に秋田市のスーパーにクマが侵入し、2日間に亘って居座り続けました。男性従業員が襲われ頭などを負傷するということがありました。クマは罠にかかり駆除されましたが、これほどクマが身近な存在になったのかと驚きました。
今年に入って、クマはわがもの顔で人間の生活圏に出没しています。民家の庭先に現れたり、小学校から大学まで、クマの侵入が目撃されています。役所や銀行の地下駐車場にも侵入しています。環境省によると、北海道・九州・沖縄を除く地域での出没件数は、約2万件に上ります。死傷者も196人となり過去最多です。そのうち秋田県の死傷者は全国最多の56人と3割近くを占めているのです。とうとう秋田県では今月5日に、クマ被害対策を目的として陸上自衛隊が派遣されました。
これほどまでにクマが生活圏に現れたのはどうしてでしょう。まさかクマが学校で勉強したいわけでも、役所に住民票を提出に来たとも思えません。まして、銀行に貯金などするクマはいません。生きるためただひたすらエサを求めているのです。
原因のひとつは近年の気象条件の変化です。エサとなるどんぐり類の不作が影響しています。そのため、人間の住むところにも現れるようになったのでしょう。これまでクマは冬眠前の秋に、山でエサの補給を完結できました。今やクマはどんぐりがないからと、好き嫌いなど言っていられないのです。人間の食べるものでも何でも食べなければ生きていけない、そんな気持ちで駆除される危険を冒してまで、人里に身を晒しているかもしれません。
ただクマの研究をしている東京農工大学の小池教授は「駆除は最終手段であり、クマが山から出てきた時点で人間の負け」と言っています。野生動物と人間の生活圏を隔てている「里山」が人口減少などで、手入れされないことにも問題があるようです。人間とクマの暮らす境界線があいまいになってきました。クマが山の環境を破壊はしないでしょう。里山に人手をかけられないように、人間が自然環境を変えてしまったのです。緊急事態の今はともかく、今後クマに近寄られない環境を整えることも大切です。もしかして、町に出てきたクマは賢くなって次のように言うかもしれません。「熊手は落ち葉集めの役に立っているし、幸福を集める縁起物でもあるのに・・・。人間は人手もかけず里山を荒らしているくせに、俺たちを駆除したりして、ほんとうに人でなしなんだから・・・」
ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、804回×3円で2,412円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1363話】 「精進が良い」 2025(令和7)年11月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1363話です。
10月26日、関東・東北地方は朝から雨でした。それにもかかわらず、第19回テレホン法話ライブには、たくさんの方に参加いただきました。そこでみなさんに申し上げました。「何かの集まりの時、天気が良ければ、みなさんの日頃のご精進がよろしいようで、こんなにいい天気になりましたねと挨拶します。今日は何と言えばいいのでしょう。みなさんの日頃の精進が悪いので、こんな雨降りになって・・・?まさかです。晴れた日なら、芋煮会でも紅葉狩りでも、誰でも喜んで参加します。この悪天候の中、お寺で法話を聴くという地味な会に参加するなんて、余程精進の良い方でなければできません」
精進が良いとは、心がけが良いという意味合いでしょうが、様々な困難を克服して何事かを成し遂げるという意味もあります。精進は仏教語ですから、ひたすらに仏道修行に努め励むことが、元々の意味です。お寺で法話を聴くのは、仏の教えに触れる第一歩であり、雨が降ろうが風が吹こうが、精進の志があればこその行いです。
それにしても、義務でもないのに、悪路を厭わず、参加下さった方々には感謝あるのみです。檀家さん以外にも、横浜・東京・福島と県外からの参加者もおられ、恐縮いたしました。中でも1番最初に会場に訪れた男性に、「私は岩手県盛岡市の小笠原俊男の息子です」と挨拶されて、びっくりしました。奥様とお母さんと3人でいらしていたのです。伺えば、俊男さんはお亡くなりになり、今年が3回忌だというのです。「母も高齢になりましたが、元気なうちにと、父の供養の想いも込めて、今日参加しました」
小笠原俊男さんは、テレホン法話ライブの第1回目から奥様と2人で参加して下さっていました。地元の人ですら、テレホン法話ライブの存在も知らないときに、態々盛岡からお出で下さるとは何と奇特な方だろうと思っていました。毎年のように参加され、時にはビデオカメラを設置してライブの様子を記録していかれたこともありました。コロナ騒動の頃からでしょうか、お姿を見かけなくなりました。思いがけない訃報に接し、19年の歳月が走馬灯のように巡り、手を合わせました。
毎年盛岡から徳本寺までお出で下さったとは、どれほどの精進を積んでこられたのでしょうか。精進とは距離や天候の問題ではなく、その志の強さなのです。小笠原俊男さんは少なくとも19年前から、淡々と行じてこられました。その姿がきちんと息子さんにも伝わっていることにも、感服するばかりです。テレホン法話というささやかな仏縁が、盛岡と徳本寺の距離を縮め、親と子の絆を深めてくれたとすれば、こんな有り難いことはありません。ある人が言いました。「死してなお 親は子を育て 死してなお 子は親を思う」。これからもテレホン法話を続けることが、私にとっての精進でもあります。
それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1362話】 「壁と扉」 2025(令和7)年10月21日~31日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1362話です。
達磨さんは縁起物として知られていますが、インドから中国に禅の教えを伝えた曹洞宗の祖師です。菩提達磨大師といいます。赤い法衣に身を包み、面壁九年といわれるほど壁に向かって坐禅を組んでいました。その後ろ姿がいわゆるの達磨さんの形になっています。
坐禅は壁に向かって、ひたすら自分の呼吸だけを意識して、一切の雑念を払う行です。壁の存在は日常の喧騒や誘惑を断ち、気持ちを集中させてくれます。また壁のように動ぜず、一つことに打ち込む不撓不屈の心をも養います。だからここでの壁は、障害となるものではありません。壁に向かって坐禅をした先にある究極の姿は、妄想分別から解き放たれた清々しい自分です。
さて、先日74歳の男性が病気で亡くなりました。彼は高校生の時、学校でのあることがきっかけで不登校になりました。以来、今日まで家に籠って、普通の社会生活を営むことはありませんでした。隣近所の人でさえ、その姿を見かけた人は誰もいません。家族の方に支えられ、一人ひっそりと暮らしていました。勉強熱心な人で、様々な資格を取得していたようですが、それがどのように活かされていたのかはわかりません。
誰しも幼い頃、自分が負い目に立たされると、「誰も自分のことを分かってくれない」と自分で壁を作り、他との接触を断ったことがあるのではないでしょうか。いわゆる拗ねた状態です。でもその壁はちょっとした切っ掛けでなくなり、元の姿に戻ることができました。しかし74歳の彼は、おそろしく繊細なそして純真な心の持ち主だったのかもしれません。自分の感性とは異なる人物や世界に対する拒絶反応が、頑丈で高い壁を築いてしまったのでしょうか。
ある人が言いました。「人生で何かにぶつかった時に それは壁ではなく 扉だと思うと 開けていきますよ」。生きている限り、失敗や挫折を味わうことは、一度や二度ではないでしょう。それが壁のように感じれば、絶望になります。しかし扉だと思えば、ガチャガチャと把手を動かしたり、少し頑張って体当たりをすれば、開くことがあります。希望が隣りにいる感じです。
扉が開いた先に見えるものは、まさに達磨大師が説いた「廓然無聖」の世界です。廓とは城壁ですが、壁は壁でもがらんとして広々とした世界を創る壁です。つまり澄み渡った秋の大空のように、何のわだかまりもないさわやかな心を象徴しています。それこそが仏教の真髄であるというのです。生きていると感じる究極は、自分の呼吸を意識できた時です。それ以外のこだわりはすべて仮の姿です。壁ですら仮のもの。一息で吹き飛ばせるよう、先ずは坐禅の扉を開いてみませんか。
ここでお知らせいたします。10月26日(日)午後1時30分より、第19回テレホン法話ライブを開催します。法話に因んだピアノ演奏・御詠歌や映像も加えたライブです。入場無料。また9月のカンボジアエコー募金は、1,078回×3円で3,234円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1361話】 「四足走行」 2025(令和7)年10月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1361話です。
人類の祖先である類人猿が約700万年前に樹上生活から地上に降り、二本足で歩くようになったと言われています。この長い歴史を経て、走る速さも進化しています。現在人類最速の100㍍の世界記録は、2009年にウサイン・ボルトが出した9秒58です。
この二本足進化に逆行するかのように、両手両足を使う「四足走行」の記録に挑んだ人がいます。9月24日鳥取県米子市の米江龍星(よねえりゅうせい)さん22歳が、100㍍を14秒55で走り、2022年にアメリカで作られたギネス世界記録15秒66を破りました。彼は中学2年の時、「四本足で走る動物は足が速い」という理科の先生の言葉を聞いて、四足走行に関心を抱きました。以来毎日のように登山道や砂浜で練習を続けました。時には動物園で猿の動きを研究し、猫の走り方も参考にしたと言います。
映像を見ると、足より腕が短いので前かがみになり、直角に折った腰が高く、長い足を繰り出すのは、いかにも窮屈そうです。普段の生活ではなくてはならない両腕が、ハンディになっているかのようです。それでも彼は「人間で1番になったので、次は動物にも勝てるように特訓を重ねたい」と言っています。
さて、ウサイン・ボルトの100㍍の世界記録は、時速に換算すると45キロです。サラブレッドは時速88.5キロ、最速の動物といわれるチーターは、120キロにもなるそうです。四足走行の動物は人間の2倍も3倍もの走力を発揮することができます。だから動物と四足走行を競争するのは無駄だとは言いません。そのロマンは人類の原点を見直す切っ掛けになるかもしれません。
そもそも二本足で歩くようになったのは、食料や資源を運ぶためと言われます。四本足では、物を運ぶのに効率はよくありません。両手が使えるようになって、たくさんのものを持ち運ぶことができるようになりました。更に両手は道具を作るという画期的な進化を遂げます。それが高じて自分だけがたくさん物を集めたいという独占欲も芽生えてきます。究極は立って歩くことにより、重い頭を支えることができ、脳が発達しました。そして我々人類だけが言語を駆使することができるようになったわけです。
その結果、分をわきまえない言動が見られるようになりました。美しい花を見て、ただその美を愛でるなら自然な姿です。しかし、道具を使って根こそぎ掘り起こし、誰かに売って金儲けをするような自然破壊の振る舞いは人間の驕りです。また両手で武器を作り、我を主張し争いを始めたのも人間の我がままです。今さら四本足に戻れとは言いませんが、せっかく進化した両手を人類の幸せのために役立てないと、手も付けられない人類の未来を招きかねないと四足走行見て感じました。
ここでお知らせいたします。10月26日(日)午後1時30分より、第19回テレホン法話ライブを開催します。法話に因んだピアノ演奏・御詠歌や映像も加えたライブです。入場無料。
それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1360話】 「報恩深し」 2025(令和7)年10月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1360話です。
徳本寺における年回忌供養の傾向としては、1周忌・3回忌を供養される方は、8割以上にのぼります。年数を経る毎に減少していきます。特に27回忌は3割・2割台に落ち込みます。33回忌で4割台まで盛り返すことがあります。どうも27回忌は忘れられ易いようです。
そして。今年10月11日は父であり前住職の文英大和尚のまさに27回忌です。勿論忘れるわけはありません。父はその年の8月から仙台の病院に入院していました。出来るだけ面会を心がけ、10月10日にも行きました。というのも翌日から大本山總持寺に出かけて留守になるからです。それは本山で毎年行われる4日間に亘る御征忌会(ごしょうきえ)という大きな法要の手伝いの為です。
「明日から本山に行ってくるから」と父に告げました。その時父の髭が、結構伸びていることに気づきました。「髭を剃ってあげるよ」と言うと、父は遠慮しました。しばらく面会に来られないという思いもあって、「いいから、いいから」と少し強引に、剃刀を当てました。さっぱりした顔になると、「ありがとう」と小さくお礼を言われました。そして「本山でしっかり勤めて来いよ」という声に送られて病室を後にしました。
翌11日に本山に向かい、大法要に向けての前日準備を終えて就寝。その夜中に「父死す」の連絡がありました。後のことを同僚に頼み、12日の朝一番で徳本寺に戻りました。遺体は既に庫裡に安置されていました。喪主になる私がいないために、何をどうして良いのかわからず、身内・総代・近隣の人は戸惑うばかりでした。本山に行っていたとはいえ、留守をしていたことをお詫びしました。それから、涙を流す間もなく、葬儀に向けて夥しい打ち合わせや準備作業を経て、無事葬儀を営むことができました。
父の死に目には会えませんでしたが、本山に行っていたのだから、許してくれるだろうという思いはあります。同時にその後も毎年本山に伺うたびに、負い目を感じないと言えば嘘になります。そこで父の27回忌は思い切って、本山で供養していただくことにしました。本山には「徳本寺24世中興即心文英大和尚」という位牌が特別に祀られています。9月半ば檀家さんと本山参りを兼ねて、前住職の27回忌を営んでまいりました。何十人もの和尚さんのお経の声は荘厳そのものでした。導師をお勤めいただいたのは、「監院(かんにん)」という本山の総責任の役を司る大老師様でした。老師は法要の心を述べる法語の中で、「二十七年報恩深し」という一句を添えてくださいました。
この27年、僧侶・住職としてどのように寺を守り、人々に寄り添うことが前住職の恩に報いることになるのかと思って、日々過ごしてきました。死に目には会えずとも、死の一日前に髭を剃ってあげたときの温もりは、今も確かにこの両手に残っています。死して尚、恩の深さを感じるばかりです。
それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1359話】 「波羅蜜」 2025(令和7)年9月21日~30日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1359話です。
雨よけに着るカッパは元々ポルトガル語です。漢字では「合わせる羽」と書きます。漢字の音を借用して外国語を表している音訳です。仏教語にもインドの言葉を音訳したものがあります。
彼岸の教えの「六波羅蜜」もそうです。波羅蜜とは「パーラミター」と言うインドの言葉です。彼岸に渡るという意味があります。そのための6つの努力目標が六波羅蜜です。1つ布施(物や心を施す)、2つ持戒(決まりを守る)、3つ忍辱(挫けず耐え忍ぶ)、4つ精進(ひたすら励む)、5つ禅定(いつも冷静になる)、6つ智慧(善いことを考える)ということです。筆頭にある布施について「其物の軽きを嫌わず、其功の実なるべきなり」と、お経にはあります。つまり布施の多い少ないが問題ではなく、どのような心で布施をするかが大切だということです。
お釈迦さまが托鉢をしている時、泥遊びをしていた子どもが、泥の団子を差し出しました。大人は「お釈迦さまに何てことをするの」と怒りました。しかしお釈迦さまは「何も持たない子どもが、一心にお布施をしたいという気持ちで差し出した泥の団子の何と尊いことよ」と、子どもを称えたという話があります。
私にも忘れられない布施があります。50年近く前、横浜にある大本山總持寺で修行を終えて、徳本寺に帰る時のことです。何を思ったか、電車ではなく歩いて帰ることにしたのです。直線距離でも300キロ以上あります。修行に向かう時と同じように、墨染めの法衣を着て、手甲脚絆を付け、網代傘を被った出で立ちです。修行を終えたからと言って慢心することなく、修行を始めた時の発心を忘れるなと、粋がっていたのかもしれません。
しかし、にわか仕立ての行脚は、早々に足の爪が黒くなり、膝が痛くなったり、病院へ駆け込むなど、想定外の修行が待っていました。ともかく、国道6号線を北上し、ひたすら歩き続けました。結果として9日ほどかかりました。最終日のことです。国道を歩いていると、道路から少し離れたところに家が見えました。そこから小さな男の子がこちらに向かって歩いてくるのです。私のところで止まると、チリ紙に包んだものを差し出しました。家の方に目をやると、縁側にお母さんが立っていました。その方は遠くから私の姿を見て、子どもにお布施を促したのかもしれません。私は驚くと同時に、お釈迦さまの泥の団子のように有り難く受け取りました。まだ膝に痛みはありましたが、長い道のりの辛さが一瞬にして報われました。
実は寺に戻っても僧侶として生きていけるか不安な思いで歩いていました。しかし、僧侶の姿は、遠くの子どもにも布施をする存在として映るのだと肝に銘じました。その子の心に恥じない僧侶であらねばと、六波羅蜜を思い描き腹をくくりました。あれから50年、怠け癖が溜まったのか、括ったはずの腹も出てきました。とんだ「腹満つ」となりました。
それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1358話】 「さびない鍬」 2025(令和7)年9月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1358話です。
現在全国の100歳以上の高齢者は9万5千人を超えています。徳本寺の過去帳にもここ10年以上毎年100歳を超えた方の名前が記されています。
さて、100歳と言えば良寛さんにまつわる次のような話があります。80歳のおばさんが良寛さんを訪ねてきました。「良寛さん、私もこんな歳になりましたが、もう少し長生きをしたいので、長寿のご祈祷をお願いします」「それで何歳まで生きたいのじゃ」「とりあえず100歳までということでお願いします」「よろしい、だが、私の祈祷はよく効くので、100歳と言えば、ちょうど100歳の大晦日にあなたの命は亡くなるが、それでもよいな」「いや、それはちょっと・・・」「ではいくつまでがいいのじゃ」「うーん150歳まででお願いします」「望みとあらばそのように祈祷するが、やはり150歳になった大晦日には死んでしまい、151歳のお正月は迎えられないが、それでもよいな」「いや、できれば300歳まで生きたいのですがどうでしょうか」「よいか、300歳と言っても、その歳になればやはり死ぬ。それより死んでも死なない生き方を勧めるが、どうじゃ」。おばあさんが「死んでも死なない生き方」を納得できたかどうかは分かりません。
こんな言葉に出会いました。「さびない鍬でありたい」。使わない鍬は錆びてしまいます。いつも鍬で耕すように、常に身体を動かし、自分でできることを、いくつになってもやり続ける。つまり錆びない鍬のような、頭であり手足でありたいということです。これは広島県尾道市の石井哲代さんの信条です。石井さんはこの4月で105歳を迎えた方です。20年前に夫を亡くしてからは、ひとり暮らしで、家の中のことは勿論、草むしりの果てまで元気にこなしています。その明るく前向きな姿は近所では評判でした。常にありがとうを忘れず、何でも「おいしい、おいしい」といただき、できなくなったことは求めないという生き方は、何と潔いことでしょう。本も出版され、ドキュメンタリー映画にまでなりました。
もし、良寛さんが今、石井哲代さんに会ったら、こう言うのではないでしょうか。「私が200年前に言った『死んでも死なない生き方』そのものですね。錆びた鍬は主がいなくなればあっという間に忘れられます。光っている鍬はたとえ主がいなくなっても、誰かがそれを使い続けてくれるかもしれません」。哲代さんはそれに対して「私は長生きのご祈祷はお願いしませんが、少しでも童心に帰りたいので、一緒に手毬つきをしませんか」と答えるような気がします。
ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、834回×3円で2,502円でした。ありがとうございました。
それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1357話】 「花には水を」 2025(令和7)年9月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1357話です。
仏教思想家のひろさちやは「仏教は『幸福学』です。仏教にかぎらず、あらゆる宗教が幸福学なのです」と言っています。不幸になりたい人はいません。誰しもが幸せになりたいのです。
仏教を開かれたお釈迦さまの正式な呼び名は「大恩教主本師釈迦牟尼仏」です。大きな恩の教えの主である本物の師匠としての釈迦牟尼仏ということです。偉大なる人生の師匠で、幸福になるために大切なことを教えてくださる先生というわけです。
さて、6年生の担任のある先生が卒業式の日、最後の学級会で次のように言いました。「幸せになりなさい。先生からの最後の宿題です。提出期限は生きている間」。なるほどです。学校で先生は様々なことを教えてくれます。学んでいる当時は、単なる知識とか、成績のためという思いがありました。しかし、人生という長い目で見れば、学ぶ究極の目的は、一人ひとりが幸せに生きるためとも言えます。学校も「幸福学」を学ぶところです。
先日、小学校教師を退職してからも「律子先生、律子先生」と、教え子には勿論、地元の方にも親しまれた檀家の森律子さんが96歳で亡くなりました。教え子の方が弔辞で述べていました。律子先生は戦後間もない頃、5キロ以上ある学校までの砂利道を自転車で通っていたそうです。ある時、通学途中で先生の自転車の後ろに載せていただきました。その時は憧れの先生を独り占めしたような気分になって、とても誇らしかったと、感謝の想いを霊前に捧げていました。
私は残念ながら学校で律子先生との出会いはありませんでした。しかし、僧侶になってから律子先生とたくさん出会うことになりました。というのは、檀家さんのお宅を訪ねた時、玄関や部屋の中に、「花には水を 人にはおもやりを」という筆書きの短冊が掲げられているのをよく見かけました。それが一軒や二軒ではないので、どういうことだろうと不思議でした。あるお宅で教えていただきました。「うちの子が律子先生の教え子だったので、先生からいただいたのです」。なるほどです。いつの頃からか、律子先生は教え子に「花には水を 人にはおもやりを」という直筆の短冊を贈り続けていたのです。
幸せの想いは人それぞれでしょう。ひとつ言えるのは、幸せな人を見て自分も幸せと感じられた時ではないでしょうか。花に水を遣ればきれいな花を咲かせます。それは花にとっての幸せです。その幸せを見て私たちも幸せを感じます。人に思いやりをかけるとは、その人がうれしくなるような力を貸すことです。それによって相手が幸せな笑顔になれたら、自分もとてもうれしくなります。自分よりも先に他の幸せを願う慈悲という仏教の幸福学にも通ずるものです。律子先生は学校で、子どもという花に、教育を通して思いやりという水を注ぎ続けてこられました。幸せな子どもたちを見るたび、どれほど幸せを感じていたことでしょう。
それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。
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