テレホン法話 一覧
【第1358話】 「さびない鍬」 2025(令和7)年9月11日~20日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1358話です。
現在全国の100歳以上の高齢者は9万5千人を超えています。徳本寺の過去帳にもここ10年以上毎年100歳を超えた方の名前が記されています。
さて、100歳と言えば良寛さんにまつわる次のような話があります。80歳のおばさんが良寛さんを訪ねてきました。「良寛さん、私もこんな歳になりましたが、もう少し長生きをしたいので、長寿のご祈祷をお願いします」「それで何歳まで生きたいのじゃ」「とりあえず100歳までということでお願いします」「よろしい、だが、私の祈祷はよく効くので、100歳と言えば、ちょうど100歳の大晦日にあなたの命は亡くなるが、それでもよいな」「いや、それはちょっと・・・」「ではいくつまでがいいのじゃ」「うーん150歳まででお願いします」「望みとあらばそのように祈祷するが、やはり150歳になった大晦日には死んでしまい、151歳のお正月は迎えられないが、それでもよいな」「いや、できれば300歳まで生きたいのですがどうでしょうか」「よいか、300歳と言っても、その歳になればやはり死ぬ。それより死んでも死なない生き方を勧めるが、どうじゃ」。おばあさんが「死んでも死なない生き方」を納得できたかどうかは分かりません。
こんな言葉に出会いました。「さびない鍬でありたい」。使わない鍬は錆びてしまいます。いつも鍬で耕すように、常に身体を動かし、自分でできることを、いくつになってもやり続ける。つまり錆びない鍬のような、頭であり手足でありたいということです。これは広島県尾道市の石井哲代さんの信条です。石井さんはこの4月で105歳を迎えた方です。20年前に夫を亡くしてからは、ひとり暮らしで、家の中のことは勿論、草むしりの果てまで元気にこなしています。その明るく前向きな姿は近所では評判でした。常にありがとうを忘れず、何でも「おいしい、おいしい」といただき、できなくなったことは求めないという生き方は、何と潔いことでしょう。本も出版され、ドキュメンタリー映画にまでなりました。
もし、良寛さんが今、石井哲代さんに会ったら、こう言うのではないでしょうか。「私が200年前に言った『死んでも死なない生き方』そのものですね。錆びた鍬は主がいなくなればあっという間に忘れられます。光っている鍬はたとえ主がいなくなっても、誰かがそれを使い続けてくれるかもしれません」。哲代さんはそれに対して「私は長生きのご祈祷はお願いしませんが、少しでも童心に帰りたいので、一緒に手毬つきをしませんか」と答えるような気がします。
ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、834回×3円で2,502円でした。ありがとうございました。
それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1357話】 「花には水を」 2025(令和7)年9月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1357話です。
仏教思想家のひろさちやは「仏教は『幸福学』です。仏教にかぎらず、あらゆる宗教が幸福学なのです」と言っています。不幸になりたい人はいません。誰しもが幸せになりたいのです。
仏教を開かれたお釈迦さまの正式な呼び名は「大恩教主本師釈迦牟尼仏」です。大きな恩の教えの主である本物の師匠としての釈迦牟尼仏ということです。偉大なる人生の師匠で、幸福になるために大切なことを教えてくださる先生というわけです。
さて、6年生の担任のある先生が卒業式の日、最後の学級会で次のように言いました。「幸せになりなさい。先生からの最後の宿題です。提出期限は生きている間」。なるほどです。学校で先生は様々なことを教えてくれます。学んでいる当時は、単なる知識とか、成績のためという思いがありました。しかし、人生という長い目で見れば、学ぶ究極の目的は、一人ひとりが幸せに生きるためとも言えます。学校も「幸福学」を学ぶところです。
先日、小学校教師を退職してからも「律子先生、律子先生」と、教え子には勿論、地元の方にも親しまれた檀家の森律子さんが96歳で亡くなりました。教え子の方が弔辞で述べていました。律子先生は戦後間もない頃、5キロ以上ある学校までの砂利道を自転車で通っていたそうです。ある時、通学途中で先生の自転車の後ろに載せていただきました。その時は憧れの先生を独り占めしたような気分になって、とても誇らしかったと、感謝の想いを霊前に捧げていました。
私は残念ながら学校で律子先生との出会いはありませんでした。しかし、僧侶になってから律子先生とたくさん出会うことになりました。というのは、檀家さんのお宅を訪ねた時、玄関や部屋の中に、「花には水を 人にはおもやりを」という筆書きの短冊が掲げられているのをよく見かけました。それが一軒や二軒ではないので、どういうことだろうと不思議でした。あるお宅で教えていただきました。「うちの子が律子先生の教え子だったので、先生からいただいたのです」。なるほどです。いつの頃からか、律子先生は教え子に「花には水を 人にはおもやりを」という直筆の短冊を贈り続けていたのです。
幸せの想いは人それぞれでしょう。ひとつ言えるのは、幸せな人を見て自分も幸せと感じられた時ではないでしょうか。花に水を遣ればきれいな花を咲かせます。それは花にとっての幸せです。その幸せを見て私たちも幸せを感じます。人に思いやりをかけるとは、その人がうれしくなるような力を貸すことです。それによって相手が幸せな笑顔になれたら、自分もとてもうれしくなります。自分よりも先に他の幸せを願う慈悲という仏教の幸福学にも通ずるものです。律子先生は学校で、子どもという花に、教育を通して思いやりという水を注ぎ続けてこられました。幸せな子どもたちを見るたび、どれほど幸せを感じていたことでしょう。
それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1356話】 「平和の鐘」 2025(令和7)年8月21日~31日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1356話です。
「弾(たま)となり人殺せしか我が寺の供出させられし釣り鐘は」広島県のある住職さんの歌です。先の戦争で、金属類回収令で多くの寺の鐘が供出させられました。徳本寺の旧釣り鐘堂の梁には鐘を釣っていたと思われる穴だけが開いていました。鐘はお国のためになったのでしょうか。
お寺の鐘は平和の象徴と言ってもいいでしょう。それが供出という運命を辿るとは・・・。現在の徳本寺の鐘は、昭和35年に篤信者により寄進されたものです。その方は供出で鐘がなくなったいくつかの寺に鐘を寄進されていました。鐘に刻まれた寄進銘には「一ツニハ祖先ノ菩提ヲ弔ヒ 一ツニハ世界平和祈念ノ為 願ワクバ大鐘(おおがね)ノ響キニヨリ萬民受苦ヲ抜キ 祖先及ビ萬国諸精霊安就センコトヲ 合掌」とあります。この言葉を胸に刻み、毎朝6時に鐘を撞いています。
鐘と言えば教会にも付き物です。やはり平和や幸福の願いを響かせています。そして供出とは別の運命で、戦争の犠牲になった教会の鐘があります。長崎市にある浦上天主堂の鐘です。原爆投下により天主堂は倒壊しました。2つの塔からなる天主堂には1対の「アンゼラスの鐘」がありました。南側の塔の大きな鐘は元の姿のまま見つかりましたが、北側の小さい鐘は割れていました。天主堂は昭和34年に再建されたものの、小さい鐘は復元されませんでした。
一昨年アメリカの社会学者ノーランさんが長崎を訪れた時、潜伏キリシタンの子孫で被爆2世の森内さんと出会いました。天主堂の片方の鐘がないことを教えられました。ノーランさんは原爆開発計画に参加した医師の孫に当たり、その時の医師の役割を検証した本を執筆していました。「何かできることはないですか」と、森内さんに尋ねます。森内さんは、アメリカのカトリック信者による鐘の復元を提案しました。自分の父は被爆者、相手の祖父は原爆計画に参加した人、何か縁があると思ったからです。
ノーランさんはアメリカに戻り、早速各地の教会や大学を巡り、潜伏キリシタンの苦難の歴史や原爆の被災状況を伝え、資金提供を呼びかけました。多くの信者の協力により、終戦80年の節目に復元が叶いました。今年の長崎原爆の日に、二つそろった鐘の音色が響き渡りました。アメリカからすれば、和解と許しへの願いとなる鐘であり、長崎では連帯と愛の表現と受けとめているようです。鐘の中身は空っぽです。一切のわだかまりがなくなった状態とも言えます。だからこそ、180度違う立場の人々を共鳴させる力もあるのでしょう。
寺の鐘に話を戻せば、鐘には乳首のような乳(ち)という突起した装飾があります。音響効果を高めるためのものですが、108個あり煩悩の数です。戦争は煩悩にブレーキが掛けられなくなった状態です。鐘の音を聴いたら煩悩を制御しなさいというまさに警鐘と思い、日々心穏やかにして平和を願いましょう。
それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1355話】 「母と地獄」 2025(令和7)年8月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1355話です。
アメリカではハリケーンに「ローラ」とか「マリア」という女性名を付けることがあります。しかし、広島に原爆投下した爆撃機B29の愛称がエラノ・ゲイという女性名とは驚きです。
その由来は、爆撃機の機長ポール・ティベッツ大佐の母の名前だというのです。息子である機長からすれば、母は強さの源であったようです。「息子よ、あなたは大丈夫」と言って、どんな時も味方になってくれました。人類史上はじめて使用される原爆です。任命を誇りと思ったかもしれません。同時に恐るべき結果となることも理解していたはずです。母の名前の爆撃機が何万という命を奪ってしまうという想像力が働けば、エラノ・ゲイと名付けられる訳がありません。重大な任務を失敗しないように母の力を借りたいと思ったのでしょうか。
1945年8月6日午前8時15分、エラノ・ゲイが広島に落とした原爆は、約14万人の命を奪いました。例えば広島大学のプールの水は、火の勢いで蒸発。襲い来る炎から逃れようとプールに飛び込み、そのまま命を失った亡骸がいくつもあったといいます。夥しい数の地獄がそこかしこにあったのです。80年経った今も、原爆の影響は多くの人に、肉体的・精神的重荷を背負わせています。因みに、任務を終えた機長は、真っ先に殊勲十字章を受けました。エラノ・ゲイという名も世界の人が知るところとなりました。
さて、お盆の時期ですが、正式には盂蘭盆と言います。『盂蘭盆経』によれば、ウランバーナという古いインドの言葉が語源で、意味は「逆さ吊りの苦しみ」です。お釈迦さまの弟子目連は、得意の神通力で亡き母を探しました。すると餓鬼道に堕ちて、骨と皮だけの身体で逆さになり苦しんでいました。水や食べ物を届けようとしますが、燃えて火になってしまいます。お釈迦さまにその訳と助け出す方法を訊ねます。「目連、お前の母は生きているとき、お前たちには良くしてくれたが、他の子どもを冷たくあしらったからだよ。助け出すためには、修行を終えて山から下りてくるたくさんの僧侶に食べ物を供養し、その修行力でお経を挙げていただきなさい」。目連がその通りにすると、逆さ吊りの母を餓鬼道から救い出すことができました。その修行僧が山を下りる日が旧暦の7月15日で、現在の盂蘭盆の起源という説もあります。
アメリカの母の名前の爆撃機が、惨い地獄の世界を描き出しました。勿論、母の真意ではなかったでしょうが、戦争を終わらせたという評価もされています。一方、仏教では地獄のような苦しみの世界からも、母を助け出す慈悲を説きます。助け出された母とは、お盆には亡き人が帰ってくるという風習の元になったとは言えないでしょうか。そして仏さまのお供えに水は欠かせません。亡き人の喉の渇きを潤すためでもあります。特に広島の犠牲者は水を求めても叶わず、命果てた方がたくさんいます。お盆には慈悲の水をお供えし、多くの精霊をお迎えしましょう。
ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、711回×3円で2,133円でした。ありがとうございました。それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1354話】 「八月や」 2025(令和7)年8月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1354話です。
「八月や 六日九日 十五日」詠み人多数といわれる句だそうですが、戦争の重みを訴える力が感じられます。広島と長崎に原爆が落とされ日、そして終戦となった日が詠み込まれているからです。
先日檀家のAさんがお出でになりました。終戦から80年という節目なので、戦死したお父さんの供養をお願いしますというのです。昭和100年の今年は、昭和20年の終戦から80年になります。Aさんのお父さんは昭和20年8月26日に亡くなっています。この年の過去帳を見ると201人の戒名が記されています。戒名から察するに、戦死と思われる方は97人で、全体の約半数です。更に小学生以下と思われる子どもさんも、約30人います。戦中戦後の過酷な生活環境がもたらした数でしょうか。
Aさんは当時5歳で、弟さん妹さんの3人兄妹です。妹さんはお母さんのおなかの中にいる時なので、お父さんの顔を知りません。夫を亡くしたお母さんは乳飲み子を抱え、苦労しながらも3人の子どもを無事育て上げました。20年ほど前に90を超えて天寿を全うされました。この度戦死したお父さんと一緒にお母さんの供養も行うことになりました。
Aさんのような境遇の方は、檀家さんには勿論、全国にもたくさんいらっしゃいます。戦争は何ひとつ得になることはありません。失うことばかりです。何万何十万という掛け替えのない尊い命が失われています。戦争が終わっても、遺族の方の人生には、想像を絶する悲しみ苦しみ絶望が、日常的に渦巻いていたはずです。
人の愚かさの中でも戦争はその最たるものです。お釈迦さまは『法句経』の中で次のようにお示しです。「すべてのもの 刀杖(つるぎ)を怖れ すべてのもの 死をおそる おのれを よきためしとなし ひとを害(そこな)い はた そこなわしむるなかれ」つまり、誰もが武器におののき、死を恐れるものである。だから、他人を吾が身にひきくらべて、決して殺してはならぬ、傷つけてはならぬ、ということです。「戦え」と命令する人に、吾が身に引き比べる想像力があれば、決して戦争は起こらないはずです。
我が国は幸いにして、80年間戦争のない時代が続いています。しかし、今も世界各地で惨い戦争が絶えません。パレスチナ自治区ガザでは、餓死する子どもが日に日に増えています。まだ武器も死も知らない幼き子が真っ先に犠牲になっています。こんな事があってはなりません。それでなくても、地球上は、温暖化の影響でしょうか。どこもかしこも連日猛暑日が続いています。これは人類生存の危機という自然界からの警鐘と思うべきです。戦争などしている場合ではないのです。人類の英知や財力を戦争ではなく、地球の環境保全にこそつぎ込むべきです。そうでなければ異常気象という自然の武器は、万人の命を脅かしてくることでしょう。「八月や 三十 三十五 四十度」(詠み人 誰でも)。
それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1353話】 「同事」 2025(令和7)年7月21日~31日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1353話です。
ドウジはドウジでも「同じ事」と書く「同事」について、『修証義』というお経に「同事というは不違なり、自にも不違なり、佗にも不違なり」とあります。「同事とはたがわぬことで、自分にも他人にもたがわず,そむかぬこと」つまり、自分と他人が同化して一体となることとも言えます。
先日若い住職さんの結婚披露宴にお招きいただきました。結びの彼の挨拶は、この同事に触れたものでした。「父である前住職は、私が中学生の時亡くなりました。昨年17回忌を終えました。父から僧侶として指導を受けることは叶いませんでした。だから檀家さんにどんな法話をしていたのか知る由もなく、住職になったとはいえ、檀家さんにどのように接していいのかわからないことばかりです」と、素直に語り始めました。
彼はある時、1本のビデオテープを見つけたと言います。再生してみると、そこには檀家さんに法話をしている父である前住職が映っていたのです。「同事とは相手が悲しんでいる時には、親身になって慰め励まし、相手が喜んでいるときには、我がことのように心から称えることですよ」。同事ということについて分かりやすく説いていました。
そのことにほぞ落ちした彼は、檀家さんへの接し方に迷いがなくなったようです。そして「これからは寺の住職として、檀家さんへの同事行と併せて、今日結婚した妻とも、彼女が困っているときはやさしく寄り添い、うれしい時は共に喜び合えるような日々を築いてまいります」と頼もしく宣言して、万雷の拍手を浴びたのです。
彼の小さい時からの夢は「坊さんになること」でした。それは父の姿を見ていたからでしょう。その父から直接指導を受けられなかったのは無念極まりないことです。しかし、時を超えてもビデオの中から前住職は、息子である現住職に、伝えるべきことを伝えています。更に忘れてならないのは母親の存在です。中学生の息子が一人前の坊さんになる夢を叶えるまでには、並々ならぬご労苦があったはずです。住職がいなくても檀家さんの葬儀や法事は待ったなしです。その都度他の住職さんに依頼しなければなりません。檀家さんへの対応も住職という立場でないので、戸惑うこともあったことでしょう。それもこれも乗り越えて晴れの日を迎えたのです。
『修証義』には同事について次のようにも説いています。「海の水を辞せざるは同事なり。是故(このゆえに)に能(よ)く水聚(あつま)りて海となるなり」。海はどんな川の水も拒むことがないので大海になるということです。小さな川も大きな川も、きれいな川もそうでない川もすべて受け入れます。若き住職の母も、息子の夢の実現を思い描き、喜び悲しみ辛さ悔しさすべてを受け入れて、同事行に励まれたはずです。若いふたりの門出を祝福すると同時に、海より深い母の慈しみに対して心から敬意を表しました。
それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1352話】 「陰を忘れず」 2025(令和7)年7月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1352話です。
7月7日七夕の日、猛暑日が今年最多の210地点になりました。岐阜県多治見市では38.8度、北海道大樹町(たいきちょう)でも36.3度という体温よりも高いのですからから驚きです。
私が初めて体温以上の気温を体験したのは、今から33年前カンボジアを訪れた時です。カンボジアは内戦がようやく収まりかけていました。その当時宮城県曹洞宗青年会では、カンボジア難民に衣類を贈る運動をしていました。日本からの衣類をカンボジアの人たちに直接手渡し、今後どのような支援ができるか視察を兼ねての訪問でした。
日中はかなり暑く体温を超えていると、この時言われました。なるほど埃っぽい町中のせいばかりではなく、顔面に熱のカーテンでも下がっているかのようです。身体がついていかず何をする気にもなれませんでした。地元の人も、暑い時は木陰のハンモックなどで身体を休めているとか。その頃熱中症などという言葉も知らず、少し昼寝をしてから、午後の行動に移ることもありました。
そんな時、珍しい光景に出会いました。カンボジアでは自動車もバイクもそれなりに走っていましたが、牛に荷車を引かせている人も当たり前にいました。それこそ牛の歩みでのんびりと走る荷車の下を見ると、一匹の犬がすまし顔で歩いているのです。荷車の下は完全に日陰です。荷車の速さに合わせて歩いていけば、強い日差しを避けて、涼しい道をどこまでもいけるわけです。犬だって涼しいところがいいのです。賢い犬だと感心しました。
自然界において暑さを避けるためには、日陰にいるのが一番です。カンカン照りの時、ふと日陰に入ると、生き返る気がします。日陰のありがたさを感じる時です。しかし、こんな言葉があります。「暑さ忘れて 陰を忘れる」。この暑さもいつまでも続くわけではなく、やがて季節が移れば、日陰なんかとんでもない、日だまりが恋しいと、人間の勝手な思いが働きます。勿論この陰には「おかげ」という意味も含まれています。暑さでたいへんな思いをしたときのように、苦しい時誰かのおかげで助かっても、ちょっと好転してくれば、あっという間に、そのおかげを忘れてしまうということです。
さて、宮城県曹洞宗青年会は30年以上に亘って、衣類や学校・絵本などをカンボジアの子どもたちに贈り続けています。その贈呈式でのことです。カンボジアは年中暑い国です。日陰は常に必要です。それなのに子どもたちは、日陰のない炎天下の校庭で、おかげを忘れず私たちを待っていてくれます。そして手を合わせた澄んだ瞳の子どもたちに「コンニチハ コンニチハ」の大合唱で迎えられると、さわやかな涼風に吹かれた気持ちになるのでした。
ここでお知らせいたします。6月のカンボジアエコー募金は、1,181回×3円で3,543円でした。ありがとうございました。それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1351話】 「明月院ブルー」 2025(令和7)年7月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1351話です。
「紫陽花や きのふの誠 けふの嘘」正岡子規の句です。紫陽花の色の変化を、人の心の変わりようや迷いに喩えているのでしょうか。紫陽花の季節、アジサイ寺・鎌倉の明月院を拝観する機会がありました。
山門に至る緩やかな石段の両脇に咲く夥しい紫陽花に迎えられました。境内も紫陽花の海という感じです。「明月院ブルー」と称されるように、一面淡い青色の紫陽花です。2500株もあるそうです。戦後間もなく垣根の代わりに植えられたのが始まりと言いますから、その歴史はまだ浅いのですが、日本で最初にアジサイ寺と呼ばれたところです。寺の歴史は古く、今から865年前の平安時代末期永歴(えいりゃく)元年(1160)の創建です。臨済宗建長寺派に属します。本尊は聖観世音菩薩です。
さて、紫陽花に圧倒されながらも、お寺へのお参りですので、方丈と言われる本堂に入って本尊さまに手を合わせました。境内の賑わいが嘘のように、堂内は静かです。紫陽花の美しさに心を奪われて、仏さまを拝むことを忘れているかのようです。しかし、本堂を出ると長い列をなしている人々の姿がありました。その列は本堂の脇の間に向かっていました。そこは壁が丸くくり貫かれた円窓(まるまど)があるのです。そこから本堂の後ろの庭を臨むことができ、季節の花々が円窓の中に納まって、絶好の撮影スポットなのです。2列に並んで最前列の者から次々にシャッターを押していきます。込んでいるときは1時間待ちになることもあるとか。四角い窓ならここまでのことはなかったかもしれません。丸がミソなのです。「悟りの窓」といわれているようですが、丸は禅の世界で宇宙を表しています。
円窓から数メートルも離れていない本尊さまを拝む列はなく、悟りの窓の列は何を物語るのでしょう。誤解を恐れずに言えば、明月院を訪れる人は、本堂で手を合わせるというより、本堂は紫陽花の背景としての景色なのかもしれません。悟りの窓も、宇宙を感じるといより、丸く切り取られた風景の非日常性にひと時、心洗われるからでしょうか。見栄えが信仰心に繋がるといいのですが・・。
悟りの窓からは見えませんが、本堂の後ろの庭には、青い毛糸を纏った「青地蔵」が祀られていました。そこの立て札に「青は不思議な色 見上げる空も青色 悠久の海も青色 だけど青地蔵は言う 透明な青色はどこにも存在しない」と書いてありました。空や海のように広い心は悟りの心です。究極は透明つまり何らこだわりや迷いもなくなったまっさらな心の人が仏さまです。紫陽花の花の色のように誠や嘘と移り変わる世の中にあっても、本物の青色に出会った今日の感動を忘れずに、心豊かに過ごしてください。そして今度お参りの時は、本堂で手を合わせ、透明な心になれますようにと、青地蔵は偉ぶるーことなく、やさしく語りかけているようでした。
それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。

悟りの窓

青地蔵
【第1350話】 「欲と水」 2025(令和7)年6月20日~30日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1350話です。
46億年前、地球ができたころ、まだ海はありません。3億年ほど経って、地球の表面が冷めると雨が降り始めました。何と千年間も降り続けたそうです。現在のような海になるまでには、更に7億年を要します。こうして36億年前に生命の起源が海に生じたと考えられます。ヒトの出現はずっと後のことで、400万年前です。そして、地球全体の70㌫が海です。奇しくもヒトの体の70㌫も水分です。
地球にも人間にも水はなくてはならないものです。「人は水にかれても死ぬが おぼれても死ぬものである」大正時代の社会経済学者河上肇の『貧乏物語』にある言葉です。水は生命の源です。だからなくてはならないものです。同じ水が人をおぼれさせ、命を奪うこともあるわけです。これは単なる水の話ではなく、人間の欲望の例えとも言えます。命を養うために食欲は必要です。しかし、暴飲暴食は命を縮めます。欲に溺れて自滅しないよう、欲望を制御する自制心が大事です。
さて実業家としても知られるアメリカのトランプ大統領は、世界で一番裕福な大統領かもしれません。そして古き良きアメリカを取り戻したいのでしょうか。自国の車が売れないのは、外国からの車が売れているからと、法外な関税を課してきました。外国の車の方が安くて性能が良いから売れているのです。それに対抗する努力もしないで、自分の国だけが豊かになればいいと、欲望丸出しの姿は、水に溺れる寸前に思えてきます。
一方5月13日に89歳で亡くなったホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領は、「世界で最も貧しい大統領」と言われました。2010年~15年に大統領を務めました。公邸には住まず、収入の9割を貧困層に寄付して、自分の生活費は毎月15万円程度でした。そしてこう言うのです。「私は質素なだけで、貧しくはない。貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことである」
物質的豊かさに反比例して、心は貧しくなってしまいます。そして私はダライ・ラマの言葉を思い出しました。「欲望は海水を飲むことに似ています。飲めば飲むだけ、喉が渇くのです」。喉が渇く度に、次々と高い関税をかける大統領の愚行を指すかのようです。渇きを癒すためには、「自分だけが良ければ」という貧しい根性を捨てることです。真水を求める苦労をせずに、手近な海の水を飲んでは、喉が渇くだけです。真水を分け合う心の豊かさがある人こそ、まさに真のリーダーです。
何十億年の彼方から繋がってきた私たちの命、計り知れない命のおかげで今の私が存在しているのです。自分一人が突然この世に存在したわけではなく、ひとりでここまで生きてこられたわけでもないのです。だから自分だけがと欲に溺れて海の水を飲んだら、人生はしょっぱい否、失敗です。
それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1349話】 「背番号3の背中」 2025(令和7)年6月11日~20日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1349話です。
好きな数字はと訊かれたら、迷いなく「3」と答えます。勿論長嶋茂雄さんの背番号だからです。小学生の頃その背中に憧れました。ユニフォームなど買ってはもらえないので、「3」という背番号を手作りした覚えがあります。
当時まだテレビはなく、たまにラジオで野球中継を聴くぐらいでした。そして伝説の天覧試合を聴いていた覚えがあります。同点で迎えた9回裏先頭打者の長嶋さんがサヨナラホームランを打った時の興奮は、忘れられません。天皇陛下は9時15分に帰られる予定でした。陛下が立たれる直前に劇的な一打を放ったのですから、神懸かりのようなものです。
永光の背番号3の背中は、あまりにもドラマチックです。立教大学から鳴り物入りで巨人軍に入ってデビュー戦。プロ野球屈指の金田投手から4連続三振という洗礼を受けます。翌日の第一打席も三振でしたので、5打席連続バットにボールが当たらなかったのです。その後雪辱を果たすべく闘志を燃やし練習を重ね、新人の年を終わってみれば、全イニング出場、29本塁打と92打点でそれぞれタイトルに輝きました。躓いても立ち上がる背中の強靭さを感じました。
現役引退後、1974年に巨人軍の監督に就任。しかし1年目は球団として初めて最下位という屈辱を味わうも、めげずに翌年は優勝を果たします。1980年一旦ユニフォームを脱ぎますが、1992年に監督に復帰。そして1994年10月8日、プロ野球史上初の同率首位同士の最終戦での優勝決定戦。天覧試合に勝るとも劣らない自ら「国民的行事」と称した中日との試合です。長嶋さんは試合前のミーティングで「勝つ、勝つ、勝つ」と3度言って選手を奮い立たせました。その結果見事、勝利監督になったのです。勝負師の背中は、全幅の信頼を得ていました。実はその年の7月24日92歳の母を亡くしています。幼い頃夜なべをして、布のボールを縫ってくれた母です。しかし、チームに迷惑をかけるからと、密葬にも帰らず隠し通しました。そして日本シリーズで日本一の監督になって本葬を行い、布のボールに報いる何よりの親孝行の背中を示したのです。
「『雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ』 そんな人生はつまらない せっかく雨が降ってくれたんだ 『雨を喜び』 せっかく風が吹いてくれたんだ 『風を楽しみ』 という生き方がいい」と長嶋さんは言っていました。ファンを裏切らないことを信念に、雨風に負けない努力の姿は見せずに、いつもひまわりのような明るさを以って、プロとしての矜持を貫いたのです。
さて幼い頃背番号3に憧れたおかげで、今僧侶として「3」という数字には縁を感じます。仏教で大切な仏法僧という3つの宝「三宝」を日々敬うことができているからです。仏はお釈迦さま、法はその教え、僧はその教えを実践する者を言います。その三宝について3分間のテレホン法話で敷衍しているつもりです。「国民的テレホン法話」にはなれませんが・・・。
ここでお知らせいたします。5月のカンボジアエコー募金は、1,100回×3円で3,300円でした。ありがとうございました。それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。
テレホン法話 一覧
- 2025年
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2024年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2023年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2022年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2021年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2020年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2019年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2018年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2017年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2016年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2015年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2014年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2013年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2012年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2011年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2010年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2009年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月
- 8月
- 7月
- 6月
- 5月
- 4月
- 3月
- 2月
- 1月
- 2008年
- 12月
- 11月
- 10月
- 9月