テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1354話】「八月や」 2025(令和7)年8月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1354話です。

 「八月や 六日九日 十五日」詠み人多数といわれる句だそうですが、戦争の重みを訴える力が感じられます。広島と長崎に原爆が落とされ日、そして終戦となった日が詠み込まれているからです。

 先日檀家のAさんがお出でになりました。終戦から80年という節目なので、戦死したお父さんの供養をお願いしますというのです。昭和100年の今年は、昭和20年の終戦から80年になります。Aさんのお父さんは昭和20年8月26日に亡くなっています。この年の過去帳を見ると201人の戒名が記されています。戒名から察するに、戦死と思われる方は97人で、全体の約半数です。更に小学生以下と思われる子どもさんも、約30人います。戦中戦後の過酷な生活環境がもたらした数でしょうか。

 Aさんは当時5歳で、弟さん妹さんの3人兄妹です。妹さんはお母さんのおなかの中にいる時なので、お父さんの顔を知りません。夫を亡くしたお母さんは乳飲み子を抱え、苦労しながらも3人の子どもを無事育て上げました。20年ほど前に90を超えて天寿を全うされました。この度戦死したお父さんと一緒にお母さんの供養も行うことになりました。

 Aさんのような境遇の方は、檀家さんには勿論、全国にもたくさんいらっしゃいます。戦争は何ひとつ得になることはありません。失うことばかりです。何万何十万という掛け替えのない尊い命が失われています。戦争が終わっても、遺族の方の人生には、想像を絶する悲しみ苦しみ絶望が、日常的に渦巻いていたはずです。

 人の愚かさの中でも戦争はその最たるものです。お釈迦さまは『法句経』の中で次のようにお示しです。「すべてのもの 刀杖(つるぎ)を怖れ すべてのもの 死をおそる おのれを よきためしとなし ひとを害(そこな)い はた そこなわしむるなかれ」つまり、誰もが武器におののき、死を恐れるものである。だから、他人を吾が身にひきくらべて、決して殺してはならぬ、傷つけてはならぬ、ということです。「戦え」と命令する人に、吾が身に引き比べる想像力があれば、決して戦争は起こらないはずです。

 我が国は幸いにして、80年間戦争のない時代が続いています。しかし、今も世界各地で惨い戦争が絶えません。パレスチナ自治区ガザでは、餓死する子どもが日に日に増えています。まだ武器も死も知らない幼き子が真っ先に犠牲になっています。こんな事があってはなりません。それでなくても、地球上は、温暖化の影響でしょうか。どこもかしこも連日猛暑日が続いています。これは人類生存の危機という自然界からの警鐘と思うべきです。戦争などしている場合ではないのです。人類の英知や財力を戦争ではなく、地球の環境保全にこそつぎ込むべきです。そうでなければ異常気象という自然の武器は、万人の命を脅かしてくることでしょう。「八月や 三十 三十五 四十度」(詠み人 誰でも)。
 
 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

 

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