テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1343話】「武士道と茶室」 2025(令和7)年4月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1343話です。

 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」『葉隠』の冒頭にある一節です。これは実際に死ぬというより、常に死を覚悟すべしということです。それにより一切の迷いがなくなり、思う目的に力を尽くせます。

 そんな武士道を思わせる講談を聴く機会がありました。社会人講談師村田琴之介の「伊達の血筋を守った男」です。徳本寺開基大條家15代道直(みちなお)は、仙台伊達藩の若年寄を担っていました。文政10年(1827)、伊達家11代藩主斉義(なりよし)が、30歳の若さで急死。妻芝姫(あつひめ)は数え13歳で、子どもはいません。跡目問題が起きました。程なく、幕府老中水野忠邦より、伊達家へ呼び出しの沙汰がありました。

 道直が伊達家の命を受け、江戸の水野家を訪れます。水野曰く「残された芝姫殿に婿を迎えては如何か。将軍家斉(いえなり)公の10番目の男の子で18歳になる虎千代殿が似合いではないか思う。一端、斉義公の養子として入れ、そのあと縁組をすれば良い。将軍家から養子を迎えたとなれば、大きな後ろ盾ができ、悪い話ではなかろう」

 道直は仙台に戻り御一門に報告してから、結論を出すことにします。そして道中冷静になって婿養子の話を検討しますが、はたと気づきました。婿に入り伊達の姓を名乗ったとしても、所詮徳川。伊達はいいように扱われてしまうのではないか。第一、虎千代が斉義の養子に入るとなれば、斉義の妻芝姫は、母にあたる。母を奪って妻にするという不義不貞を世に示すことになり、禽獣に等しい。これを見逃すことはできないということです。

 率直に御一門に道直の見解を申し上げ、吉報を反故にすべきと進言し、受け入れてもらいます。しかし、老中の提言を断るのですから、それなりの覚悟が必要です。再び江戸に参上の折は、白無地の小袖に浅黄色の裃、腰には短刀という出で立ちで、水野忠邦に対面。事の顛末を話し「老中からのお役目を果たすことができなかったのは、某の不手際、この腹を掻き切ってお詫び申し上げまする」と、短刀で腹を刺さんとしたとき、水野忠邦の大きな笑い声が響きました。「さすが伊達の家臣。その若さでその気骨。その気迫に免じて、この度の話はなかったことにする」。こうして伊達家では登米の伊達家より、斉義の従弟を跡継ぎとして迎えました。伊達家12代藩主斉邦(なりくに)です。この時のご褒美として、道直は伊達家より茶室を拝領しました。

 以上が講談のあらましですが、件の茶室は現在山元町の指定文化財になっています。伊達家の茶の湯の文化を伝える唯一の遺構として歴史的価値が高いものです。しかし、老朽化等で朽ち果てかけていましたが、昨年修復されました。それを記念してその茶室で、道直の英断を講談仕立てで語ってもらったものですから、これ以上の演出はありません。それにしても水野忠邦にその若さでと言わしめた道直30歳の時のこと。死を覚悟し一切の迷いなく、伊達の血筋を守り切った武士道の見事さ。茶室はそのことを知る生き証人とも言えます。

 それでは又、4月21日よりお耳にかかりましょう。



講談師 村田琴之介 (切腹の場面)

 

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