テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【1330話】「茶室とサンドウィッチマン」 2024(令和6)年12月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1330話です。

 「大條家茶室には僕の祖父・祖母が新婚の折に泊まったりもしたようです」これはサンドウィッチマン伊達みきおさんが、先月24日に行われた大條家茶室の修復完成記念式典に寄せたお祝いメッセージの一部です。

 サンドウィッチマンがどうして大條家茶室につながるのでしょう。実は歴史上伊達政宗は2人います。仙台藩の独眼竜政宗は伊達家17代です。それより古い9代目にも政宗がいて、その弟の孫三郎宗行は福島県伊達市の大枝邑(むら)の領主となったため、大條姓を名乗ります。そして大條家菩提寺として徳本寺を開きました。今から583年前の室町時代初めです。その後、国替えとなり宮城県山元町坂元に移り、徳本寺も移転し現在に至ります。約400年前、政宗が仙台藩を築いた頃です。

 そして大條家は仙台藩の重臣を担います。その間2つの大きな手柄を挙げます。ひとつは大條家15代道直の時、伊達家の殿様が若くして亡くなったために、跡目騒動がありました。その時道直が尽力して、伊達家の血筋を守ったのです。そのご褒美として伊達家の茶室を拝領しました。それは伊達家血筋が途絶えなかった生き証人ともいうべきものです。もうひとつは大條家17代道徳(みちのり)の時、明治維新により伊達家存亡の危機があったものの、道徳の活躍で伊達家を守ることができました。この功績により、大條から伊達姓に戻るようにとの命を受け、伊達宗亮(むねすけ)と名乗ることになりました。その4代後の子孫が伊達みきおさんなのです。

 茶室は当初、仙台の大條家屋敷にありましたが、昭和7年に大條家の領地である山元町坂元の蓑首城_(みのくびじょう)三ノ丸跡地に移築されました。一説には伊達政宗が豊臣秀吉から賜った茶室とか。実際はそこまでの裏付けはできないものの、江戸後期の建物で、仙台藩の茶の湯文化を伝える唯一の茶室と言われる、貴重な建物です。現在は山元町指定文化財になっています。

 しかし、老朽化に加えて、東日本大震災等の被害により、存続の危機にさらされました。町全体が甚大な被災状況にあり、文化財の復旧にまで至りませんでした。令和に入りやっと町の復興が落ち着き、本格的復旧計画が始まりました。全国からのクラウドファンディング等のご支援も受けて、この度無事修復が完成したのです。この呼びかけには、サンドウィッチマンの働きも大きかったのです。大條家は伊達家の血筋を守り、伊達家の存亡の危機を救いました。そしてその子孫である伊達みきおさんも、伊達家の歴史的遺産の茶室を復興する一翼を担ったのです。

 文化財の修復は可能な限り元の部材を利用しなければなりません。土台部分が一番傷みが激しいのですが、腐った部分だけを新たな部材で補修する「根継ぎ」という工法を用います。釘は使いません。まさに大條家は伊達家の土台となって、傷みに耐えて遺産を守りました。それは我々に歴史を軽んぜず、先祖を大切にしなければいけないと釘を刺しているかのようです。

 それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。  

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