テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1203話】「挨拶」 2021(令和3)年5月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1203話です。

 牛丼の吉野家では、お客さんに「いらっしゃいませ」と声をかけるのをやめて、もう1年半になるそうです。代わりに「こんにちは」という挨拶をしています。その理由としては、「いらっしゃいませ」だとお客さんが返事のしようがないということです。「こんにちは」なら返事もしやすく、会話が生まれやすいということでした。

 ところで「こんにちは」「こんばんは」というように「ワ」と発音するものの、文字は「は」と書きます。「こんにちは」を漢字で書けば「今日は」となります。「今日はお天気がいいですね」というように、後ろに言葉が続くわけです。挨拶では、その部分を省略しているのです。「今晩は月がきれいですね」も同じことです。「いらっしゃいませ」は、あくまでもお客さんを呼び込むためのかけ声ですから、確かに返事のしようがないのです。それに対して、「こんにちは」などの挨拶では、同じ挨拶を交わすこともできますし、更に時候の挨拶にまで発展しやすくなるわけです。

 さて、「挨拶」は禅宗から出た言葉です。師匠が弟子の心の成長を質問することを言います。その一言一句から、弟子の悟りの程度を試すために用いられました。軽く触れることを「挨」と言い、強く触れることを「拶」と言います。お互いが相手の言葉や振る舞いから、その人となりを確かめるわけです。

 中国の唐の時代、馬祖道一(ばそどういつ)が坐禅をしていました。そこへ師匠の南嶽懐譲(なんがくえじょう)がやって来て、「坐禅をしてどうしようというのか」と問いかけます。弟子の道一は「悟りを開くためです」と答えました。すると師匠は瓦を持ってきて石でこすり始めました。「どうするんですか」と尋ねると、「磨いて鏡にするんだ」との答え。「瓦を磨いても鏡にはならないでしょう」と弟子があきれると、「そうだ、坐禅しても悟れるわけがないのと同じだ」と、坐禅を悟りの手段にしていることを師匠は戒めました。悟りという目的のために、手段として坐禅するのではなく、坐禅するそのことが仏であり、悟りなんだということを説示した師匠の挨拶だったのです。

 私たちは人間関係を良くするための手段として挨拶を考えがちです。しかし坐禅が悟りの手段でなく、坐禅することが仏なんだという理屈で言えば、挨拶をするのが人間なんだということになります。そう思っていれば、たとえ気に食わない人であっても、自然に挨拶を交わすことができるようになります。それは商売をする上でも大事なことです。丼の吉野家では、「こんにちは」という挨拶を交わし合うことで、お客様の心をギューと掴んだのかもしれませんね。

 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1372話】
「仏前結婚式」
2026(令和8)年2月1日~10日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1372話です。 ちょうど71年前の昭和30年2月1日、山下村と坂元村が合併して、我が町「山元町」が誕生しました。その時から発行された「公民官報やまもと」を綴じたものを、物置整理中に見つけました。昭和48年までの150号分です。新しい町になり新生活運動の息吹がそこかしこに感じられる紙面です。 中でも昭和40年11月の第61号には... [続きを読む]

【第1371話】
「520足の靴」
2026(令和8)年1月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1371話です。 「むずかしいことをやさしく やさしいことを深く 深いことをおもしろく おもしろいことをまじめに 書くこと」と言ったのは作家の井上ひさしさんです。まさにそのような姿勢を、堅いニュースを伝える際にも貫いたのは、久米宏さんです。 フリーアナウンサーの久米宏さんが81歳で亡くなりまし... [続きを読む]

【第1370話】
「馬連」
2026(令和8)年1月11日~21日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1370話です。 孫悟空でお馴染みの『西遊記』は、中国・唐の時代の玄奘三蔵法師のインド旅行記がもとになっています。インドで仏教を学び「大般若経」600巻を持ち帰り、漢文に訳しました。今から1300年以上前の663年のこと。そのうちの578巻目を「理趣分経」といいます。日常生活の中で仏に根差した生... [続きを読む]