テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1355話】「母と地獄」 2025(令和7)年8月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1355話です。

 アメリカではハリケーンに「ローラ」とか「マリア」という女性名を付けることがあります。しかし、広島に原爆投下した爆撃機B29の愛称がエラノ・ゲイという女性名とは驚きです。

 その由来は、爆撃機の機長ポール・ティベッツ大佐の母の名前だというのです。息子である機長からすれば、母は強さの源であったようです。「息子よ、あなたは大丈夫」と言って、どんな時も味方になってくれました。人類史上はじめて使用される原爆です。任命を誇りと思ったかもしれません。同時に恐るべき結果となることも理解していたはずです。母の名前の爆撃機が何万という命を奪ってしまうという想像力が働けば、エラノ・ゲイと名付けられる訳がありません。重大な任務を失敗しないように母の力を借りたいと思ったのでしょうか。

 1945年8月6日午前8時15分、エラノ・ゲイが広島に落とした原爆は、約14万人の命を奪いました。例えば広島大学のプールの水は、火の勢いで蒸発。襲い来る炎から逃れようとプールに飛び込み、そのまま命を失った亡骸がいくつもあったといいます。夥しい数の地獄がそこかしこにあったのです。80年経った今も、原爆の影響は多くの人に、肉体的・精神的重荷を背負わせています。因みに、任務を終えた機長は、真っ先に殊勲十字章を受けました。エラノ・ゲイという名も世界の人が知るところとなりました。

 さて、お盆の時期ですが、正式には盂蘭盆と言います。『盂蘭盆経』によれば、ウランバーナという古いインドの言葉が語源で、意味は「逆さ吊りの苦しみ」です。お釈迦さまの弟子目連は、得意の神通力で亡き母を探しました。すると餓鬼道に堕ちて、骨と皮だけの身体で逆さになり苦しんでいました。水や食べ物を届けようとしますが、燃えて火になってしまいます。お釈迦さまにその訳と助け出す方法を訊ねます。「目連、お前の母は生きているとき、お前たちには良くしてくれたが、他の子どもを冷たくあしらったからだよ。助け出すためには、修行を終えて山から下りてくるたくさんの僧侶に食べ物を供養し、その修行力でお経を挙げていただきなさい」。目連がその通りにすると、逆さ吊りの母を餓鬼道から救い出すことができました。その修行僧が山を下りる日が旧暦の7月15日で、現在の盂蘭盆の起源という説もあります。

 アメリカの母の名前の爆撃機が、惨い地獄の世界を描き出しました。勿論、母の真意ではなかったでしょうが、戦争を終わらせたという評価もされています。一方、仏教では地獄のような苦しみの世界からも、母を助け出す慈悲を説きます。助け出された母とは、お盆には亡き人が帰ってくるという風習の元になったとは言えないでしょうか。そして仏さまのお供えに水は欠かせません。亡き人の喉の渇きを潤すためでもあります。特に広島の犠牲者は水を求めても叶わず、命果てた方がたくさんいます。お盆には慈悲の水をお供えし、多くの精霊をお迎えしましょう。

 ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、711回×3円で2,133円でした。ありがとうございました。それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。

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