テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1344話】「懺悔という姿勢」 2025(令和7)年4月21日~30日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1344話です。

 「あなたは仏教徒ですか」と尋ねられて、「ハイそうです」と答えられる人は幸いです。たいていの人は「お寺にお参りはするけど、仏教徒という自覚はちょっと・・・」と答えるかもしれません。

 曹洞宗には授戒会という法要があります。1週間かけて修行を重ね、仏弟子となった証の血脈(けちみゃく)を授かるのです。授ける人を戒師、授けられる人は戒弟といいます。血脈の中にはお釈迦さまの教えを受け継ぐインド・中国・日本の歴代の祖師の名前が系図のように記されています。一番最後が戒師様で、次に新たに仏弟子となった戒弟の名前が入ります。

 1週間の修行は早朝から夜まで、合掌し仏の名を唱えお拝をしたり、お経を読み、仏の教えを聞くことに始まり、食事も作法に則って行われます。中でも大事なことは懺悔道場における儀式です。一人ひとり戒師様と相対して、「小罪無量」と書かれた小さな紙を、懺悔の想いを込めて差し出し、受け取っていただきます。小罪無量とはいつしか重ねたたくさんの小さな罪のこと。つまり嘘や悪口を言ったり、腹を立てたりと、相手に嫌な思いをさせたことなどです。戒師様は預かった紙片を儀式の中ですべて焼却して下さいます。戒弟の罪科(つみとが)を消し去ってくれるのです。その戒弟の周りを戒師様はじめ大勢の和尚さんが、仏名を唱え鈴(れい)を鳴らしながら賛嘆して回ります。この時、戒弟はこれまでの修行は、全て仏になるためのものだったと納得するわけです。

 「はじめに姿勢をつくり 次いで 姿勢が人をつくる」という言葉があります。懺悔もひとつの姿勢です。小罪無量を懺悔した戒弟の背筋はぴんと伸び、心も真っ直ぐになっています。わがままな心に替わり、素直な心が顕れます。それは本来持っている赤子のような無垢清浄な心に立ち返った姿です。仏という人がつくられるわけです。

 懺悔道場の翌日、戒弟は戒師様より仏として守るべき戒法を授けていただきます。そして仏になった人しか登ることのできない須弥壇に登り、仏として拝まれます。つまり諸役の和尚さん方が「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る、位大覚に同うし已(おわ)る、真(まこと)に是れ諸仏の子(みこ)なり」と唱え、須弥壇上の戒弟を再び賛嘆して回ってくださるのです。その後須弥壇を下りて、戒師様より直にそれぞれの戒名が記された血脈を授かります。

 こうして「私は仏教徒です」と自信をもって宣言できます。そして仏なのだから悪いことをしようと思ってもできない、仏なのだから善いことは進んで行おうという自覚が芽生えます。たとえ授戒会の縁に恵まれずとも、寝る前に一日を振り返り、目覚めたら姿勢を正して新たな一日を始めてみれば、みなさんも立派な戒弟です。自分の人生を改定つまりより良く改めるチャンスです。

 ここでお知らせいたします。3月のカンボジアエコー募金は、1,134回×3円で3,402円でした。ありがとうございました。
 
 それでは又、5月1日よりお耳にかかりましょう。

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