テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1250話】「寛恕なる家族葬」 2022(令和4)年9月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1250話です。

 「惜別の機会を近所の人にも」という新聞投書がありました。75歳のAさんが亡くなったとき、その息子さんに「近所の人には葬儀に来て頂かなくて結構です」とBさんは言われました。Bさんは独り暮らしのAさんの通院の送迎をしていたほど親しかったのです。身内だけの葬儀もいいが、親が頼りにしていた近所の人に、最期の別れの機会を提供してほしいものだ。そんな内容の投書でしたが、実は13年も前のものです。

 この頃から、「家族葬」なるものがあったのかもしれません。「家族葬」とてもやさしい響きがありますが、家族以外の方の参列を、ご遠慮申し上げたいという遺族の都合が透けて見えます。煩わしい親戚と顔を合わせたくないとか、あまり付き合いもない近所の人に気を遣うより、身内だけでゆっくりお別れをしたいということでしょうか。しかし、故人の生涯には、お世話をかけた方、お世話をした方など、数えきれない縁のつながりがあったはずです。心からお別れをして、生前を偲んでいただくことによって、故人の生涯に光が当たります。遺族の知らない故人の姿に触れることもあります。

 さて、家族葬ならぬ国葬です。現在日本国の世論を二分している安倍晋三元首相の葬儀です。遺族という立場の政府の都合を優先し過ぎたのではないでしょうか。安倍氏の非業の死に対して感情的になって、冷静な判断がなされたとは思えません。法的な根拠もないのに、議論も説明も不十分です。小出しに予算を明らかにして、16億円以上もの税金を投じると言い出しました。

 それでいて、国民に弔意は求めないというのです。いらぬ反発を招くことを危惧しているかのようです。弔意はなくても税金は負担しろでは、香典の強制みたいなものです。そもそも国民に弔意を求められない程度の葬儀では、国葬とは言えないでしょう。大方の国民に、我々にも惜別の機会を与えてくださいと言われるようでなければなりません。

 非業の死の直接的な原因ともいえる、社会的問題のあった某教会との不適切な関係が、政界に蔓延している中で、国葬を行って、果たして亡き人に光が当たるのでしょうか。次々綻びが明らかになるようで、不憫でなりません。いっそのこと、「政府関係者以外は葬儀に来て頂かなくて結構です」と言われた方が、国民は納得するかもしれません。

 安倍氏の最愛の家族である昭恵夫人。実は徳泉寺復興の「はがき一文字写経」を知るや、早速に納経して下さいました。その一文字は、「恕」です。ゆるすとか、他人を寛大に扱うという意味があります。儒教の祖・孔子は「一生で一番大切なことは何か」と聞かれて、「それは恕だ」と答えました。つまり、自分がされたくないことは人にもしてはならない、ということです。昭恵夫人が、他を受け入れ思いやる寛恕の心で、家族葬を取り仕切った方が、よほど故人にも光が当たるような気がします。合掌

 ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、446回×3円で1,338円でした。ありがとうございました。それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。

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