テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1225話】「虎が転じる福」 2022(令和4)年1月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1225話です。

 あけましておめでとうございます。今年は寅年ですが、「虎を野に放つ」という諺があります。猛威あるものを野放しにするということです。新型コロナが世界中に猛威を振るっている状況を思わずにはいられません。決して野放しではないでしょうが、対策がウイルスの勢いに追いついていません。丸2年もコロナに振り回され、今年こそは終息を願うばかりです。

 実は私は寅年です。しかし、野に放たれても、何ら発揮できる力もない歳になりました。それでもコロナが蔓延する野にあって、何がしかの力を発揮しないわけにはいきません。昨年曹洞宗東北管区教化センター主催の「禅をきく会」の講師を依頼されました。通常であれば仙台市の然るべき会場で、参加者を前に法話をするところです。しかし、コロナ禍に配慮して、オンライン配信となりました。

 そこでテレホン法話ライブ形式で禅をきく会を行うという力を発揮してみました。東日本大震災の大津波で流出した兼務する徳泉寺を、「はがき一文字写経」で復興した足跡をたどる内容です。徳泉寺本堂を舞台にして、法話ライブを行えば、復興した姿を直接伝えることができるということで、昨年12月5日に収録し現在配信中です。

 当日は限定した参加者でしたが、収録のための準備は半端ではありませんでした。カメラが3台、音響等の機材が所狭しと設置され、ささやかな3分間のテレホン法話にしては、ぜいたくと思えるほどの装置です。元々、法話ライブはピアノ演奏にのせてテレホン法話を語るというものです。そこに法話に因んだ映像を映したり、御詠歌のお唱えもあるという、多少実験的な試みです。

 複数のカメラ撮影により、舞台が立体的に映ります。客席にいては見えない伊藤智哉さんのピアノ演奏の指の動きもしっかり捉えています。何より法話の声とピアノの音のバランスが見事です。岡崎るみ子さんの御詠歌のお唱えでは、その声を更に魅力的に聴かせるマイクの調整が絶妙です。映像は写真ばかりではなく、その場で撮影している動画も映し出され、下手な法話などなくてもいいくらいの説得力があります。

 その場に臨んで、直に見て聴くという感動は、何にも替えがたいものでしょう。演ずる方も、直接参加者と触れ合った方が、より効果的な法話ができます。でもコロナ禍の逆境を何とか良い方に転じていこうと願っていれば、多くの人の力が寄って来て、思いがけない世界が開くことを実感しました。普通の禅をきく会でしたら、その場限りで終わりです。オンライン配信中は何回でも徳泉寺の復興した姿をお伝え出来ますし、しかも世界中の人に届けることができるのです。コロナ禍という虎の威を借りるつもりはありませんが、今年は禍(わざわい)転じて福となるよう、千里先を目指すという虎の勢いを発揮してまいりましょう。
尚、インターネットで「曹洞宗 東北」と検索していただければ、禅をきく会を視聴できます。1月20日まで配信中です。

 それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1335話】
「昭和100年に想う」
2025(令和7)年1月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1335話です。 今年2025年は昭和の年号で言い換えると「昭和100年」になります。私は昭和25年生まれで、西暦では1950年です。区切りのいい数字の年に生まれました。私にはもうひとつ区切りのいい年があります。それは昭和50年です。この年に大本山總持寺に上山して、僧侶としての修行の第一歩を踏み出したのです。昭和25年にこの世に生... [続きを読む]

【第1334話】
「年賀状じまい」
2025(令和7)年1月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1334話です。 昨年のお正月、能登半島の人たちに、年賀状は届いたのでしょうか。地震発生が元旦の午後4時10分でしたので、配達はほぼ終わっていたかもしれません。しかし、その後の災害で混乱の中、年賀状を読めなかった人もいたことでしょう。また年賀状が瓦礫に埋もれたり、火災や津波で失われたかもしれませ... [続きを読む]

【第1333話】
「身(巳)から出た錆」
2025(令和7)年1月1日~10日

news image

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1333話です。 あけましておめでとうございます。今年の干支の巳という字に似ているものに、已(すでに)と己(おのれ)という漢字があります。書き順の3画目が上にくっついているのが巳であり、中ほどで止めるのが已、下についているのが己です。それを覚えるのにこんな歌があります。「ミは上に、スデニ・ヤム・... [続きを読む]