テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1185話】「雲の上の人」 2020(令和2)年11月21日~30日


板橋禅師遺意の「京焼一輪生け」
(竹に蝸牛の絵は禅師御染筆)

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1185話です。

 本山では住職に相当する方を、禅師と言います。大本山總持寺には禅師が全国の僧侶や檀信徒と親しく接する紫雲台(しうんたい)という建物があります。そして紫雲台は禅師の尊称にもなっていて、紫雲台猊下とお呼びします。紫雲とは紫の雲で、仏がこの雲に乗って来迎すると言われるめでたいしるしです。まさに禅師は雲の上の人という存在なのです。

 總持寺独住23世板橋興宗禅師が7月5日に94歳でお亡くなりになられました。11月9日・10日に本葬儀があり、私も葬儀における配役をいただき勤めてまいりました。大夜説教の中で板橋禅師を偲ぶエピソードが紹介されました。ある時全山作務という修行僧総出の掃除を行っていると、板橋禅師もひょっこり現れ、草取りをされたと言います。禅師は雲の上の人なのにです。よもやの行動にまわりはうろたえたそうです。またある時は、修行僧と一緒の飯台に着いて、食事を共にしたとか。

 いかにも板橋禅師らしい話です。私が本山に修行に上った時は、板橋禅師はまだ禅師ではなく、修行僧を直接指導する立場の役でした。当時からとても気さくで、禅寺の指導者とは思えない程でした。しかし、こと坐禅においては、右に出る者はなく、時間を惜しんで、坐禅堂に向かうのでした。たまたま宮城県出身ということもあり、身内のように声をかけていただいた覚えがあります。

 禅師になられてから、徳本寺には2度お出でいただきました。1度目は前住職の本葬儀の導師をお勤め願いました。2度目は私の住職就任の晋山式の時です。この時山門落慶法要もあり、その導師をお勤めいただきました。その法要を記念して、私は『無量僧談室』という本を出版しました。「僧談室」とは「僧の談和室」ということで、テレホン法話をはじめとする、私の話したことや、書き散らかしたものを集めた本です。その本に、板橋禅師より身に余る序文を賜るという光栄に与(あずか)りました。

 その冒頭はこうです。「お釈迦さまや、お祖師さまがたを尊敬申し上げることは当然なことです。しかし、注意すべきことは、お釈迦さまと同じような肌着を身に着けようと努力することではありません。お祖師さまがたと同じ靴や草履(ぞうり)を履こうとするのでもありません。自分に合った肌着を身に着け、自分にピッタリな履きものを身につけることです。自分にとって気楽な生活をしながら、身も心も自由自在な人になることが、宗教や佛教の正しい道であります」

 雲の上の人になられても、その事に囚われず、自分に合った修行に親しまれたのです。雲のように心はどこまでも自由自在な禅師でした。遺偈という最後に残されたお言葉は「閑月一路 遊化無邊」と結ばれていました。閑月は禅師の号です。遊化(ゆげ)とは、人々に教えを説くために自在に歩くことを言います。自分にピッタリの履きものを履かれていた禅師は、いつの日にかまた、ひょっこりと徳本寺にお出でになるような気がしてなりません。その日まで私も、テレホン法話で遊化三昧を心がけましょう。

 それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。



板橋禅師直筆序文原稿


『無量僧談室』(詳細はこちら)

最近の法話

【第1347話】
「ひきくらべる」
2025(令和7)年5月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1347話です。 八つ当たりの「八」は「四方八方」の意味で、誰かれなく時ところを選ばず、当たり散らすことです。自分自身の四苦八苦の苦しみを、どうにも解決できずに、自暴自棄になっているふるまいです。 5月1日大阪市で、下校中だった小学2年・3年の児童7人が、学校近くの道路で、突っ込んできた車にひかれました。1人はあごを骨折する重傷... [続きを読む]

【第1346話】
「五体投地」
2025(令和7)年5月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1346話です。 大阪・関西万博が始まって間もなく、警備員が土下座している様子が報じられました。カスタマーハラスメントいわゆる客からの不当な迷惑行為を疑われました。来場者男性に駐車場を尋ねられた警備員が、その応対のとき身の危険を感じて、自ら土下座したということでした。 土下座は本来、目上の人や... [続きを読む]

【第1345話】
「草も木もありがとう」
2025(令和7)年5月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1345話です。 先日「私が愛した野草園―高橋都作品展―」という案内状が届きました。そこには次のような一文が添えてありました。「いろいろお世話になりました。母は94歳で昨年8月17日に永眠しました。母の作品をこのような形で展示することになりました」。差出人は高橋都さんの息子さんです。先ずお亡くな... [続きを読む]