テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1182話】「秀吉からの移築」 2020(令和2)年10月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1182話です。

 琵琶湖は日本一大きな湖とはいえ、東京23区がすっぽり入る広さとは知りませんでした。また島が4島も浮かんでいます。そのうちの竹生島(ちくぶしま)には、国宝も存在するというから驚きです。それは西国三十三観音霊場第三十番札所の宝厳寺(ほうごんじ)にある唐門です。

 豊臣秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部で、大阪城の遺構としては唯一現存するものです。極楽橋は秀吉をまつる京都の豊国廟に移築され、その後秀吉の子の秀頼の命により、竹生島に移されました。今から400年以上前の1603年のことです。

 滋賀県では7年をかけて、唐門を含めた寺の4棟の修理をしました。その結果屋根の軒を支える組物の部材や曲面の仕上げ具合などから、桃山時代の建築で、秀吉が関わっていたという言い伝えが裏付けられました。移築の際に島の地形に合わせて分割、改変されたようですが、今年移築当時の彩色などが復旧して絢爛豪華な姿が蘇りました。

 先般その札所をお参りする機会がありました。唐門は見事な檜皮葺(ひわだぶき)で、建物全体が総黒漆塗りの上に金鍍金(きんときん)の錺金具(かざりかなぐ)がちりばめられています。門の扉には極彩色の花柄の彫り物が施してあります。門をくぐった先には千手観音が鎮座し、目の前は海のように広がる琵琶湖という景色。観音様の台(うてな)に抱かれるかのような安らぎを覚えました。

 それにしても、昔の建物移築の技術には目を見張るものがあります。実は我が町にも秀吉ゆかりの建物が移築されて現存しています。それは徳本寺の開基家である大條家の茶室です。京都伏見城の遺構で、秀吉より伊達政宗が拝領し仙台二の丸に移築。その後、天保3年(1832)に伊達家世継ぎ問題における功績をねぎらわれて、大條道直が伊達斉邦(なりくに)より拝領して、仙台川内に移築。更に仙台支倉通りに移築。昭和7年に山元町坂元の現在地に移築したと伝えられています。

 建物の一部に桃山文化を偲ばせるものがあります。絹緞(けんどん)襖の把(にぎ)り手には桃山時代を示す「天正10年8月」との記載があります。しかし専門家の正式な鑑定が及んでいないので、「秀吉の茶室」は言い伝えに留まっています。それでもこの茶室は仙台城唯一の遺構であり、茶室としては県下最古の貴重な建物です。現在では町指定文化財になっていますが、管理不十分の上、東日本大震災の影響もあり、老朽化が激しいのです。最近やっとその価値が見直され、修復保存の検討が進められています。一般公開が待たれるところです。

 移築を重ねている建物には、それだけの価値があるからでしょう。ある人が言いました。「いいものしか古くなれない」。古いという漢字は、祖先の頭蓋骨を描いた象形文字とか。そりゃ大切にしなければいけませんね。

 ここでお知らせいたします。10月25日(日)午後2時・徳本寺にて、第14回テレホン法話ライブを開催いたします。ゲストはすこっぷ三味線の若葉舞さん。入場無料です。

 それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。


唐門


養生カバーされた茶室

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