テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1107話】「鐘の声」 2018(平成30)年9月21日-30日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1107話です。

 9月入って間もなく、1カ月ほど前に奥様を亡くされた70代の男性が、お出でになりました。奥様の新しい位牌の真入れ(魂入れ)の依頼です。そしてこう言いました。「今朝のお寺の鐘は、とてもよく響いて、気持ちが落ち着きました」。

 毎朝6時に梵鐘を撞きますが、ほぼ同じような撞き方をしているつもりです。ただ、その時の天気の具合などで、聞え方は違うことがあるでしょう。その日は、夏の暑さもひと段落して、朝から鳴く蝉もいませんでした。確かに梵鐘の余韻が伝わりやすい環境だったかもしれません。何より、その男性が、最愛の奥様を見送られた後、日々手を合わせてこられ、何かしらの想い定まるところがあったのでしょう。

 梵鐘の響きについてこんな話があります。大本山永平寺の64代貫首森田悟由禅師が修行時代のことです。新参の小僧で朝の鐘を撞いたところ、時の住職から呼ばれました。「今朝の鐘はお前が撞いたのか」。てっきり撞き方が悪くて叱られると思いました。「撞き方が悪いから呼んだのでない。とてもいい響きに聞えたので、どんな気持ちで撞いたのか聞きたいのじゃ」「はい、『鐘を撞くのはみ仏の声を聴くのだ。み仏を撞き出すのだ。そういう心構えで撞かねばならぬ』と、師匠から教えられました。それを思い1回1回合掌礼拝しながら撞きました」「そうか、その気持ちを忘れないで修行せよ」。その言葉を受けて、修行に励み、最高位まで上り詰めたのです。

 鐘を撞くのは修行の原点であり、仏さまを念じながら撞くのは、基本中の基本です。しかし、森田禅師のように、その心構えを貫き通せる人は稀です。私の鐘の撞き方も、森田禅師の足元にも及びません。ただ、この鐘を聞いて下さる方がいるということは、いつも意識しています。撞いてしまった鐘の響きを消すことはできません。ぞんざいな撞き方だけはしないようにしています。

 さて、鐘と言えば平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節が有名です。ここでお分かりのように、「鐘の音」ではなく「鐘の声」と表現しています。一般に「音」は無生物の発するもの、「声」は生物が発声器官を使って発生させるものという使い分けがあります。とすれば、鐘の場合「音」でもよさそうですが、「声」という表現になっています。鐘を撞く回数の数え方も「一声、二声」であり、「一音、二音」とは言いません。

 「声」ということをを思えば、森田禅師の「鐘を撞くのはみ仏の声を聴くのだ」という心構えも納得がいきます。冒頭の男性も、徳本寺の鐘の響きに、亡き奥様の声が重なって伝わってきたのかもしれません。そんな奥様は、確かに彼岸に渡られたことでしょう。

 それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1337話】
「涅槃寂聴」
2025(令和7)年2月11日~20日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1337話です。 「言っていることは聞こえていて、うなずくが、しゃべることはほとんどできない。目を開けるのも辛そうだった」。2021年11月9日に99歳で亡くなられた作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの病床での様子。最期まで看取った秘書の瀬尾まなほさんが伝えたものです。 死の1カ月ほど前に、一時退院して新聞連載の随筆を書き上げたのが最後... [続きを読む]

【第1336話】
「直心の交わり」
2025(令和7)年2月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます 元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1336話です。 「一河(いちが)の流れ掬(く)むにさえ 深き恵(めぐみ)と知るものを 真心こもる熱き茶に 疲れを癒す有難さ」という御詠歌『報謝御和讃』が此君亭に流れました。茶室で聴く御詠歌は初めてです。御詠歌が茶室に染み入るのか、茶室が御詠歌を唱える人々を包み込むのか、得も言われぬ雰囲気を醸し出... [続きを読む]

【第1335話】
「昭和100年に想う」
2025(令和7)年1月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1335話です。 今年2025年は昭和の年号で言い換えると「昭和100年」になります。私は昭和25年生まれで、西暦では1950年です。区切りのいい数字の年に生まれました。私にはもうひとつ区切りのいい年があります。それは昭和50年です。この年に大本山總持寺に上山して、僧侶としての修行の第一歩を踏み... [続きを読む]