仏事を説示 一覧

法事の日取り




寺には、その年の「年回繰出帳」というものが備えてある。
ちょっと前までは、寺に年始に来た方が、それを見ながら、今年はウチの誰々が何回忌に当たっているとか、親戚の誰某さんも何回忌になるんだ、などと確認していったものだ。
 今は、たいてい自分の家で確かめて、法事等の申込をされる方が多くなった。そして忙しい現代では、その日取りの決め方に苦労することもあるようだ。
 今回は「法事の日取り」についてのお話です。

問 法事を行いたいのですが、必ず命日にしなければいけないでしょうか。
答 命日に行うのが一番よいことです。しかし、お勤めの方が多くなった現代では、平日にみなさんにご出席いただくのは心苦しいというこで、休みを利用する方がほとんどです。できるだけ大勢の方にご供養いただくことを考えれば止むを得ないことかもしれません。
問 その場合、命日を過ぎてしまってもよいのでしょうか。
答 命日のその日に出来ないとしても、できるだけ命日に近い月日のところで行うべきでしょう。その時、遅れるよりは、早めに設定したいものです。遅れたからといって忘れていたわけではないでしょうが、施主の心がまえとして、早い方が失礼になりません。
問 早ければ「千日早くても良い」ということをききましたが、その辺はどうでしょうか。
答 早いといっても程度問題です。たとえば、今年は祖母の七回忌に当り、祖父は来年三十三回忌なのだが、毎年法事をするのも大変なので、祖父は一年早いが一緒に今年三十三回忌として、ご供養する、というのは納得できるかもしれません。でも、一周忌や三回忌を行うのに、千日も前にやるとなれば、当人が亡くなる前から法事をしなければならなくなります。これではどなたも納得しないでしょう。
問 よく、12月や1月には法事をしてはいけないといわれますが、どうしてですか。
答 してはいけないことは全然ありません。年末年始でも、生れる人もあれば、亡くなる人もいます。年末年始が命日であれば、その日に法事を考えるのは当然のことです。ただ、法事はある程度、前もって予定を立てて行うものです。わざわざ年末の慌ただしい時や、お正月気分に浸っている時に、みなさんをお呼びしての供養は、慎んで当たり前かもしれません。
問 生きている者の勝手を言うようですが、みんなの都合さえ合えば12月でも1月でも、法事はできるわけですか。
答 そうです。12月は中旬頃まで、1月は松があけた中旬以降ですと法事を行うことに、そう抵抗ないと思われます。
問 時間帯としては、やはり午前中なのですか。
答 お墓参りをして、供養のお膳を差し上げることを考えると、午前中の案内がいいのでしょうが、法事の日程が混み合っていれば、寺の都合で、少々遅い時間帯になることもあります。
問 どの位前からお寺さんにお願いすればいいのですか。
答 その日にちにもよりますが、遅くとも1ヶ月前、できれば2〜3ヶ月前に、電話で結構ですから、ご相談いただければありがたいです。

御真入(ごしんい)

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大震災で被災して、家屋が流されたり、元の屋敷に戻れなくても、自分の住まいよりも、先ずご先祖さまの住まいをと考える方は、少なくありません。その想いから、お仏壇やお墓を整えたので供養をして欲しいという依頼が増えています。これも復興の兆しではないでしょうか。お仏壇やお墓を新しくしたときの供養のありかたを考えてみましょう。
 今回は、「御真入(ごしんい)れ」についてのお話です。

問 仏壇を新しくしましたがどうすればいいですか。
答 その前にお聞きしますが、仏壇に本尊さまは安置されていますか。
問 本尊さまというのはお釈迦さまのことですか。
答 そうです。曹洞宗の本尊さまはお釈迦さまです。それからご先祖さまのお位牌を安置し、その他のお供えも準備して、仏壇にお参りできる状態で御真入れのご供養を致します。
問 仏壇だけあっても駄目なのですね。
答 仏壇そのもの大切ですが、中に安置されている仏像やお位牌に魂を入れる儀式が御真入れなのです。どんなに立派な仏像であっても、魂が入っていなければ、拝む対象にはなりません。
問 お墓を新しくしたときも、御真入れをするのですか。
答 そうです。極端なことを言えば、墓石も魂が入っていなければ、単なる石に過ぎません。
問 御真入れと開眼(かいげん)はどうちがうのですか。
答 同じことです。仏像・仏画などを作った場合、最後に眼を入れて魂を迎え入れるので、開眼という言葉が使われます。点眼(てんげん)とも言います。因みに日本における開眼供養は、天平勝宝4年(752)に東大寺大仏で行われたのが最初とされています。
問 御真入れの時どんなものを準備すればいいでしょうか。
答 一般的な仏壇のお供えとして、五供(ごくう)があります。五供とは香(線香)・華(げ)(生花)・灯燭(ローソク)・浄水・飲食(おんじき)(お茶・ご飯・菓子・果物等)です。
問 その他に必要なものはありますか。
答 新しい仏壇やお墓のある場所を清めますので、導師用にコップにお水を用意して下さい。できれば新しい筆・墨・硯も準備なさるのが正式ですが、導師が専用のものを持参しますので、そこまでなさらなくても結構です。
問 御真入れの時は、家族が揃ってお参りした方がいいのでしょうか。
答 私たちが新居に住まいするとき、ご縁の方をお招きして新築振舞いをしますね。それと同じように、仏壇やお墓はご先祖さまの住まいするところですので、そこが新しくなったときは、それなりにみなさんにお参りしていただけば、いいご供養になります。
問 古い仏壇や墓石はどうすればいいのですか。
答 御真入れとは逆に、御真抜きというお勤めをします。いわゆる魂抜きです。準備するものは、香・華・灯燭が基本です。
問 魂を抜いた後の処分がたいへんそうですが、どうすればいいでしょう。
答 あとのことは、仏壇は仏具店、墓石は石材店にお願いして下さい。お焚き上げや然るべき方途をとってくださいます。

戒 名(かいみょう)

 大震災の陰になり忘れられた出来事もたくさんあります。震災前日の3月10日に、コメディアンの坂上二郎さんが76歳で亡くなりました。戒名は慈照院和道法郎居士(じしょういんわどうほうろうこじ)です。゜名は体を表す゜ではありませんが、二郎さんを彷彿とさせる戒名です。
 今回は「戒名」についてのお話です。

問 戒名とは死んだ人の名前ですか。
答 本来は生前に、受戒(じゅかい)して仏弟子になった証(あかし)に授けられる名前だから戒名と言います。
問 受戒とはどういうことですか。
答 戒とは梵語(ぼんご)(インドの古い言葉)でシーラといい、悪を排し善を勧める捉の意味があります。仏教に帰依した人が守るべき規則ともいえます。それを守るというお誓いが受戒です。
問 戒はどういうときに授かるのですか。
答 戒を保つことによって仏教徒として自覚ある生き方ができます。その戒を受けるためには、「授戒会(じゅかいえ)」という法要に参加して修行すると授けていただけます。
問 それって、たいへんそうですね。
答 確かに大掛かりな法要で5〜7日間に亘って行われます。大本山では毎年ありますが、一般の寺院では機縁が熟さないとできません。
問 授戒の修行をしないと、仏の教えに目覚める機会も得られないことになりますね。 
答 授戒会に参加する縁は多くなくとも、日頃から、仏さまや先祖さまに手を合わせていると、自然に仏の教えに沿った生き方につながりますよ。
問 そういう生き方をしたと、葬儀の時に証明されて、戒名を授かるのですか。
答 生前、授戒会で修行できなかったとしても、普段の行いは仏さまのようであったということを踏まえて、葬儀の時に、仏教徒として基本的な十六条の戒法を授け、亡き人にしっかりと受けていただきます。同寺に戒法に照らし合わせてその人の生き方が、まさに仏さまに通じるものであるという意味合いの文字を入れて、戒名も授けられるのです。
問 そこで初めて、仏さまの弟子となるのですね。
答 仏さまであるお釈迦さまにかわって、住職より授けられます。仏弟子の証明書ともいえる「血脈(けちみゃく)」も授与されますが、それには代々の仏さまの名前が記され、一番新しいその亡き人の戒名もそこに加えられます。
問 戒名には、長さや色々種類がありそうですが、それを教えて下さい。
答 宗派によって、戒名のつけ方には違いがあります。曹洞宗の一般的な戒名ということでご理解下さい。
 下の2文字は「 位号
。信心の深さや年齢で異なります。男性は「居士(こじ)」「信士(しんじ)」。女性は「大姉(だいし)」「信女(しんにょ)」。15歳未満は「童子(どうじ)」「童女(どうにょ)」。幼な子は「孩子(がいじ)」「孩女(がいにょ)」。乳のみ子は「嬰子(えいじ)」「嬰女(えいにょ)」となります。
 そして、本来の戒名としての名前の部分は「 法号」の2文字になります。近年は、俗名から1文字用いることも多いようです。
 次に「 道号」は、芸術家などが本名のほかに付ける号・字(あざな)にあたるものです。
 更に「 院号」は、その昔の篤信者が、自ら建立した寺院の名をそのまま用い、何々院としたのが起源。それほど大きな存在の人ということの象徴でしょう。今なら、まさに世のため人のために尽くし、布施行の実践を明らめた人でしょうか。

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問 亡き人の戒名に日々、手を合わせるだけでも、仏の教えを学ぶことができそうですね。
答 ゛戒名は仏を表す゛ということです。

                            合掌

お焼香

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何事においても数にこだわりたくなるものです。
特に仏事においては、お供えものの数やお焼香の回数が気になるところです。
今回は「お焼香」についてのお話です。

問 毎日、仏壇にお線香をあげていますが、何本あげたらいいですか。
答 その前にどんな線香を何本あげていますか。
問 普通の束になった線香ですが、正直いって若い人たちから、臭くて煙くてと嫌がられ、私だけが三本ずつあげています。
答 線香には価格からいっても、ピンからキリまであります。少し吟味したものを用いると、薫りもよく煙も気になりませんし、部屋の雰囲気も荘厳な趣になります。
問 線香なんて、煙が出ればいいと思っていたんですが・・・。
答 線香は何といっても薫りが大事です。香は仏さまの食べ物であるとさえいわれています。元々はインドなど暑い地方で体臭を消し、身体を浄めるために薫り高い香をたきました。
問 どうして、香が仏教と深く結びつくようになったのですか。
答 昔、仏弟子のセンナとフナキの両兄弟尊者が、お釈迦様のために栴檀(せんだん)の香木でお堂を建て、お釈迦様を一刻も早くお迎えしようと、一心に香を焚いたところ、その香煙が遠く離れたお釈迦様の方に流れて行き、頭上を覆う香の天蓋(てんがい)となりました。お釈迦様は、この兄弟の深い信心を悟られ、早速堂に赴き開堂供養の説法をされました。この故事により香は仏さまをお迎えする作法に取り入れられ尊重されてきたということです。
問 良い香をたくさん焚いた方がいいんですね。
答 普通お焼香には、線香か抹香を用います。そしてその本数や回数を気にする人が多いようです。一説には、仏法僧の三宝に供養するから線香は三本、抹香なら三回という。しかしわが曹洞宗では一体三宝(仏宝僧の三宝は一体である)だから線香一本、抹香一回でもよいともいえます。焼香は何本でも何回でも、香煙そのものは一つになり、中天によって遍くゆきわたるものです。
問 そうすると本数・回数に拘(こだわ)ることはないんですね。
答 ここからは常識的な見解になりますが、限られた時間内に大勢で焼香する場合、香炉の大きさも考えず一人で何本も線香をあげたり、後の人を気にもせず何回も抹香を焚くのは慎みたいものです。線香なら一本を。額のところで拈(ねん)じて、香炉の奥の方から順に立てましょう。抹香も同じく一回だけで拈じれば十分です。そして、後続の人がすぐ焼香しやすいように、脇にずれて合掌低頭することをお勧め致します。
問 香を拈じて、何を唱えたらいいのですか。
答 一般的には、先程の三宝に帰依するという意味で「南無帰依仏(なむきえぶつ)、南無帰依法(なむきえほう)、南無帰依僧(なむきえそう)」と唱えます。さま、仏さまの教えである、そして法を説き示すを深く信じますということでしょうか。法事や葬儀で特定の方に向かって焼香する時は、その方のお戒名を念じることもよいでしょう。蛇足ながら、香炉やそのまわりはどうしても灰などで汚れやすいので、常にきれいにしておくよう心がけましょう。勿論、灰皿の代用にしてはいけません。香が仏さまの食べ物としたら、香炉は食器と同じです。私たちは誰もタバコの入ったお茶碗でごはんをいただく人はいないはずです。

仏壇―「家庭の中のお寺」―

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 「うちには仏壇がないから」「隣では仏壇があるから」というような言い方をすることがある。この場合仏壇があるというのは、当然その家では亡くなった方がいて、仏壇に先祖のお位牌を祀っているということ。仏壇がないというのは、まだ誰も亡くなっていないので先祖がいない(!?)ということ。
 仏壇とは、ほんとうに先祖の位牌だけを安置しておくところなのでしょうか。
今回は「仏壇」についてのお話です

問 今度、仏壇を新しくしたので、ご真入れ(魂入れ)をお願いします。
答 はい、わかりました。ご本尊さまも新しくなったのですね。
問 先祖のお位牌は新しくしましたが、ご本尊さまって、どういうことですか。
答 お寺に例えていえば、仏壇は本堂と同じです。お寺の本堂は、仏さまと人々が仏縁で結ばれるところ―結界(けっかい)―と見なされ、修行の場でもあります。本堂には須弥壇(しゅみだん)があってそこにご本尊さまが祀られます。曹洞宗の場合は、お釈迦さまが一般的です。
問 仏壇の一番上の壇には、ご本尊さまであるお釈迦さまを、まず安置しなければならないわけですね。
答 建物だけあって、ご本尊さまがないガランとした本堂は本堂とはいいません。それと同じように、仏壇の上段にご本尊さまを祀り、その脇にご先祖のお位牌を安置して、初めて仏壇といえるわけです。
問 並べる順番は、どうすればいいですか。
答 古いお位牌は、ご本尊さまに向かって右に、新しいお位牌は左に祀りします。
問 たくさんご先祖があって、位牌を並べきれないのですが。
答 33回忌を過ぎたような古いご先祖は、繰り出し位牌などに入れて、一つにまとめる法もあります。
問 お供え物について教えて下さい。
答 お供え物は、仏壇の中段から下段にかけて、おあげします。基本的には5つの供え者があります。香・花・灯明・お水・飲食(霊膳・果物・菓子等)です。
問 お茶はあげないのですか。
答 お水と一緒に毎朝あげましょう。お水は向かって右に、お茶は左に並べてあげます。
問 霊膳も毎日あげるべきでしょうか。
答 仏さまが生きていらっしゃると同じ気持ちでお供え物をあげるわけですから、それが理想です。毎日は仏飯だけをあげ、命日など特別な日に霊膳を供えても失礼にはなりません。ただいずれの場合も炊きたての最初のひとへらをよそうようにしたいものです。
問 故人の好物などをあげてもいいのでしょうか。
答 生臭いものは遠慮すべきですが、季節の初ものとか、いただきものなどは、先ず一度仏壇にお供えしてからいただくようにするといいですね。
問 おまいりに特別な作法がありますか。
答 洗面をすませ、朝食前にご飯等をお供えします。ロウソクに火を灯し、お線香一本に火をつけ、額のところで念じ、真っ直ぐ線香立てに立てます。カネを鳴らし(1〜3回)、合掌して礼拝します。そして「南無釈迦牟尼仏」(なむしゃかむにぶつ)並びに念ずるところのお戒名をお唱えします。
問 その他注意すべき点は何ですか。
答 買って新しいうちの仏壇は、ピカピカしていますが、しばらくするとホコリだらけになっていることがあります。また、枯れたままの花や、カビの生えたお供え物を見かけることもあります。仏壇は常にきれいにしておきましょう。本堂掃除が立派な仏道修行であるように、仏壇掃除は、仏さまご先祖さまに輝きを与え、同時に自分たちの心も磨かれることになります。

年末年始

20101215.jpg 日本人は年末年始にかけて、多宗教になる。クリスマス・除夜の鐘・初詣というふうに、キリスト教・仏教・神道とおおらかに受け容れている。仏教と年末年始の行事の関わりはどんなものであろう。以下は、この度、曹洞宗大本山總持寺様で発行している季刊小冊子『明珠(みょうじゅ)』に原稿を依頼され、まとめた「年末年始に関する一問一答」である。

問 除夜の鐘はなぜ108回撞(つ)くのでしょう
 108は煩悩の数と言われています。一つ撞くごとに煩悩が一つ消えるように願って撞きます。煩悩は闇にもたとえられますが、「除夜」はまさに煩悩の闇を除いて、新たな心で新年を迎えることです。
問 大掃除の心構えを教えてください
 煩悩と同じように塵や埃は積もるものです。普段できないところや隅々まできれいにしましょう。特に仏壇はきれいな布で丁寧に清めましょう。心の塵や埃も払われ、さわやかな気分で年を越せることでしょう。
問 お寺に初詣をしてもいいのでしょうか
 勿論です。お正月は特に、「初めて」を意識できる日です。煩悩が払われ心もまっさらになっています。その素直な気持で、菩提寺の御本尊さま、そこに眠るご先祖さまに手を合わせ、旧年のおかげを感謝し、本年の無事を祈ることは意義があります。
問 どうして正月にお節(せち)料理を食べるのでしょう
 お節料理とは、端午や七夕などの重要な節目の五節句に神前に供えた食べ物(節供)です。本来正月は五節句には入っていませんが、江戸時代に正月三箇日の保存食として重づめ料理がはやり、お節料理と混用され、正月料理がお節料理になったようです。
問 お正月にお寺からいただくお札はどうしたらいいのでしょう
 お寺では、お正月の三箇日の朝にご祈祷をいたします。仏法の興隆、世界の平和、檀信徒の幸福等々をお祈りします。その祈念のお礼ですので、仏壇に安置し、ご先祖の霊の安穏と、ご家族の無事を願って日々手を合わせてください。また、古いお札はお寺に持参し、お焚き上げをお願いいたしましょう。

お墓参りする理由

20100621.jpg ―墓参りしない理由に「千の風」―という川柳がありました。死んだ人はお墓にはいないと錯覚してしまうような歌詞の内容がもたらしたものでしょう。
 果して、お墓とは、そんなに即物的なものでしょうか。
 今回は「お墓参り」についてのお話です。

問 墓はどうしてあるのでしょう。
 遺体や遺骨を葬るところとして必要なところです。
問 墓石を立てるのはなぜでしょう。
 お釈迦さまが亡くなって、ご遺骨を埋めた上に、土を盛って塔(ストゥーパ)を立てました。拝む対象となりました。古来日本では、依代(よりしろ)といって、死者の霊魂が宿るものとして、石や木を置き、手を合わせてきました。それは目印でもありました。
問 亡き人の肉体は、「千の風」の歌詞のように、そこにはないのですね。
 物理的に言えば遺骨以外はありません。しかし、死者を肉体と霊魂に分離して、葬式からは供養の対象は霊魂に移っているので、肉体のあるなしで、供養を論ずるべきではありません。
問 霊魂はほんとうにあるのですか。
 ここで言う霊魂は、いわゆる魂(たましい)ということで、人間も含め、広く動植物などに宿り、心の働きをつかさどるもの。拡大解釈すれば、肉体以外のその人の存在ともいえるかもしれません。
問 遺された私たちからすれば、亡くなったことをすぐに諦めきれない。その人の存在があまりにも大きかったから、というような思いも含まれるわけですね。
 その通りです。生前のおかげを思ったり、肉体は無くなっても、亡き人が、私たちの心の拠(よ)り処であって欲しいという願いがあればこそ、お墓参りをせずには、いられなくなるわけです。
問 お線香やお花やお水を供えるのは、亡き人に対して、"生きておわしますが如く"にふるまうということですね。
 何年経っても、あなたの存在を忘れません。いつまでも私の心の中に生きていて下さいという願いのあらわれが「お墓参り」ともいえます。
問 お盆お彼岸は勿論ですが、それ以外にはどんな時に、お参りをすればいいですか。
 その方の命日の時ですね。
問 年回忌に当っていなくともすべきですか。
 1周忌3回忌などという時ばかりではなく、命日は毎年やってきますから、できるだけお参りしましょう。月命日(4日に亡くなったなら毎月4日をいう)毎にお参りする方もいます。
問 命日以外でも、何か嬉しいことがあったときや、悩み事があるときなどでも構いませんか。
 大いに結構です。いつも良い報告ができるようにと、精進することにつながります。困ったことでも素直に打ち明ければ心も軽くなります。
問 お墓参りで元気をもらうことができそうですね。
 ある方は両親を亡くしているのですが、ご自分の誕生日には必ず両親のお墓にお参りしています。自分の誕生日があるのは、両親のおかげだからと、感謝の気持を込めて、手を合わせていますよ。「我が生まれし日は母の受難の日」と言います。命がけで授かったこの命は有り難いものです。

位牌  -位牌は蓮の華-

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 地震で被災されたおばあさんが、お位牌を風呂敷に包んで、先祖さんと一緒に避難生活をしている様子が報道されたことがある。
 位牌は、ご先祖さまの命と同じだから、何ぞのことがあったときは、何をおいても位牌を持ち出しなさいといういわれもある。
 「位牌持ち」とは家督の別称であり、家の中で重要な位置を占めている。単なる仏具以上の意味がありそうだ。
 今回は「位牌」についてのお話です。

問 位牌とはいったいどんな意味があるのですか。
答 亡き人の戒名・死亡年月日等を書き、仏壇に安置して、供養・礼拝の対象となるものです。仏となられた亡き人そのものといえます。
問 昔からあったものなのですか。
答 位牌の起源は、中国で儒教にあり、死者の官位姓名を記した「位版」だといわれています。そして、日本には鎌倉時代、禅宗と共に伝えられ「位牌」と改称されたようです。
問 葬儀のときの白木の位牌は、どのようにすればよいですか。
答 四十九日までの間に、黒塗りの永久的な位牌にします。亡くなってから、四十九日までの間は、完全な仏さまの世界に行く、道中にあると考え、白木の仮りの位牌に戒名を記します。
問 塗り位牌の字は金文字で書くものなのですか。
答 一応金は永久不変の象徴として捉えすっかり成仏した故人は、何ら迷いがなくなり、金と同じように不変の姿になったことを表わしています。
問 位牌の大きさ、型について教えてください。
答 先に亡くなっている先祖さんの位牌があれば、その位牌に合わせた大きさ、型にそろえるのがいいでしょう。ご夫婦で並べる場合などはその高さも釣り合いがとれるように、前もって寸法等は計っておくべきです。
 型は色々ですが、基本は蓮の華の上に戒名を記す板が載っています。
問 位牌にある飾りは蓮華を意味しているのですか。
答 そうです。仏さまの登るところを蓮華台ともいいます。蓮は泥の中にあって、泥に染まらず、清らかな花を咲かせます。人間も泥のようにある煩悩に溺れずに、清々しい生き方ができれば、仏さまだという意味でしょうね。
問 生きている間は中々難しいような気がしますが、位牌に仏弟子となった証の戒名を書いていただければ、お釈迦さまと同じとこに居られるのですか。
答 そうです。だから仏壇に位牌を置くときは、お釈迦さまがおられる同じ壇に安置しましょう。向って右に古い方、左は新しい方というように置きます。たくさんある場合はこの限りではありません。
問 三十三回忌も過ぎた古い先祖さんを一つの位牌にまとめてもいいでしょうか。
答 「繰り出し位牌」といって、一つの位牌の中に十枚近く戒名を書く札が入っているのがあります。そういうものに収めると粗末になりません。
 蛇足ながら、位牌は先祖さんそのもの、清浄な仏さまであり、蓮の華と同じです。ホコリなどは、常に払ってきれいにしておきましょう。それが「位牌持ち」の誇りでもあります。

卒塔婆(そうとうば)

CATBTOL2s.jpgのサムネール画像 おかげさまで、秋彼岸会に行われる大施餓鬼会において、年々塔婆供養をなさる方が増えています。
 塔婆を立てて、ご先祖さまを偲ぶことは、一番身近な供養として、日常的に行われていることです。では、塔婆とは一体何なのでしょう。
 今回は「塔婆」についてのお話です。

この塔婆は何本重なっているでしょう
(答えは本文の最後に)

問 ズバリ、塔婆って何ですか。
答 本来は梵語の「ストゥーパ」を音写したもので、塔の意味があります。
問 五重の塔や墓石も関係がありますか。
答 広い意味では、それらも含みます。元々、お釈迦のご遺骨を埋めたところに土を盛り、塔を立てたのが、お墓(塔:ストゥーパ)の始まりとされています。
問 一般に塔婆というのは細長い木製のものを指すのではないですか。
答 普通の板塔婆、柱のような角塔婆、小型で薄い経木(きょうぎ)塔婆などがあります。
問 墓石という立派な塔があれば、木製の塔婆はなくてもいいのではないですか。
答 木製の塔婆の由来は、仏教によってもたらされたというよりは、仏教伝来以前からある「依代」(よりしろ)と関係があるようです。
問 依代って初めてききますが。
答 神霊が現れるときに宿ると考えられているもので、常盤木(ときわぎ)を立てて、神聖なところとして「神籬」(ひもろぎ)と呼んでいました。それが仏教化して、卒塔婆になったという説があります。
問 そういえばちょっと前まで、三十三回忌のとき「杉塔婆」(すぎとうば)というのを立てていましたが、関係ありますか。
答 三十三回忌のとき、弔(とむら)いを上げなどと称して、「梢付塔婆」(うれつきとうば)という枝葉がついたままの生木を立てることは、各地でみられます。杉塔婆には故人の霊が祖霊へと昇華する依代の意味があるのでしょう。
問 杉塔婆はほとんど見かけなくなりましたが、現在の塔婆は上の方にギザギザがありますが、あれは意味がありますか。
答 「五輪塔婆」(ごりんとうば)のことですね。墓石にも「五輪塔」というのがあり、よく見ると同じ形になっています。
問 五輪(オリンピック)のときだけ立てるわけではないのでしょう。
答 まさかです。五輪は下から順に、地・水・火・風・空を表わし、万物の構成要素を象徴しています

問 五輪塔は宇宙のシンボルですか。

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答 宇宙のすべては地・水・火・風が仮に和合した縁によって成り立っている。即ちそれが「空」だという教えです。また、人間も小宇宙として、地=体、水=血液、火=体温、風=呼吸とされ、これら四大要素が調和している状態を空と呼びます。しかし空ですから、いつかは四大が乱れる、つまり死ぬときがやってきます。「四大不調で亡くなった」というのがそれです。
問 なるほど。それから五輪塔は人の身体にも見えますね。
答 そうです。上から、頭・顔・胸・腹・足をあらわすともいわれます。
問 塔婆には何が書かれているのですか。
答 表には、短い経文と戒名を書き、裏には、施主名などを記します。塔婆は仏体そのものであり、仏の教えを表すものでもあるからです。
問 いつ立てればいいのですか。
答 その昔、篤信者が、年忌ごと仏像を建立して先亡者の供養したようですが、それは経済力がなければできません。それに代わるものとして、板塔婆ができたと思われます。ですから基本的には年忌ごとに立てます。またお盆・お彼岸等における塔婆供養もたいへん功徳のあることです。
問 古い塔婆はどうしたらいいのですか。
答 新しい塔婆を立てたとき、それまでの塔婆は清浄な地で焼却します。

 (塔婆の本数の答え 108本)