テレホン法話 一覧

【第898話】 「難行苦行」 2012(平成24)年12月1日-10日

898.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第898話です。
 「難行苦行」は仏教用語です。お釈迦さまは29歳の時、この世の苦しみを想い、みなの幸せを願って出家します。当時多くの修行者が、苦行林で行っていた苦痛を伴う苦行という修行法を、6年間続けられました。しかし、納得できるものではなく、何ら安らぎを得ることはできませんでした。必ずしも苦行が正しい修行でないと感じ、苦行林を出ます。尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴をし、村の娘より乳粥の供養を受けて、菩提樹の下で坐禅をなさいます。坐禅三昧になって8日目の朝、即ち12月8日に明けの明星をご覧になり、お悟りを開かれます。道を成就したということで「成道(じょうどう)の日」といわれています。
 「難行苦行」とは、お釈迦さまのように、苦難に耐えてする修行を言います。転じて、ひどい苦労をすることをも意味します。この度の東日本大震災で被災した人々にとっては、あれから難行苦行を重ねている日々です。しかし、それは修行ではありません。たまたま遭遇した災難です。修行なら自らの意志で、行うこともやめることもできます。災難は自分の力の及ばないところもあります。
 お釈迦さまが、苦行が正しい修行でないと思われたように、この度の災難が尋常でないことは、誰にも明らかです。辛うじて難を逃れた私たちは、少しずつ平静を取り戻していかなければなりません。これからの真の復興を願うとき、いかなる試練も乗り越えようという強い意志が求められます。それこそが他人事ではなく、我がこととして行う修行ともいえます。
 震災当時の明日をも知れない混沌としていたころは、心穏やかではなく、悲しみと不安でいっぱいでした。今はその状態よりは好くなっているはずです。村娘の乳粥の供養のように、多くの人々からの支援をいただき、窮状からの回復はある程度果たせました。さてこれからの、坐禅三昧ならぬ復興三昧の気概や如何。
 坐禅を始めるとき「欠気一息(かんきいっそく)」といって、背筋を伸ばし、下腹に力を入れて、大きく息を吐き出します。頭に血が上っている時などに、気持ちを落ち着かせるのに役立ちます。先ずは様々な世間のしがらみを、すっかり吐き切って下さい。自分中心の想いだけで復興を考えても、事がうまく運びません。冷静になって世の中全体を見渡す心の広さが必要です。
 世の中が冷静でいられなかった時から1年9カ月。いまこそ欠気一息して、心静かに行く末を見つめてみましょう。お釈迦さまが、明けの明星をご覧になって、「世の中のすべてはお互いに支えあっている」そして「すべては変わっていく」ということを悟られました。この教えをかみしめながら、明け方に東の空を見上げて下さい。ひときわ輝く星が見えます。その星を道しるべとして、苦行を復興という偉業に結び付けましょう。
 それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。

【第897話】 「被災地の匂い」 2012(平成24)年11月21日-30日

897.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第897話です。
 カンボジアを初めて訪れたのは、ちょうど20年前の1992年でした。内戦を終わらせ、平和の途に就いたばかりのその国は、全く混沌としていました。日本で見聞きしていたより、ずっと想像を絶するものでした。そのことを伝えようとするとき、どうしても伝えにくいのが、その土地の匂いでした。こればかりは、その土地に立って感じるしかありません。
 さて東日本大震災から1年8カ月が過ぎ、被災地の様子は確かに変わってきました。そして、ボランティアということではなく、先ずは被災地を訪れて、震災の爪痕を確認し、復興に向かっている現状を知ろうという方々が増えてきました。その後、本格的な復興に対して、自分たちは何ができるかを見極めたいということなのでしょう。
 先日東京の私立初等学校協会社会科研究部教員の方々25名が、被災地訪問ということで徳本寺を訪ねて下さいました。小学校で社会科を担当する先生方です。「東日本大震災とその後の復興」は、避けることのできない授業と捉えています。それには、報道に頼るだけではなく、自分たちの足を使い、目と耳と肌と心を通して学ばなければならない。それが社会科の原点でもあるという心意気です。ある先生は「現場に来なければ、匂いがわからない」と、私がカンボジアで感じたことと同じ思いを述べていました。
 最初、震災犠牲者のご遺骨に手を合わせていただきました。その数の多さに誰もが驚いていました。それから、駅舎はおろか線路ごと流された坂元駅跡に立つと、ニュースではほとんど伝えられていない光景に、声も出ないという感想をもらす人がいました。海のすぐそばにある中浜小学校では、建物は残っているものの、教室の中は無残な状態のままです。二階天井まで水が来た跡があり、ここの屋根裏部屋で児童・先生・避難者合わせて90人もの人が助かった事実を知ると、息をのむばかりでした。教師として自分がこの学校にいたらと思った人がほとんどでしょう。
 遠く離れたところで事実だけを知っても、中々実感できないものです。現場に立って、そこの空気・匂いを全身で感じることで、現実を我がこととして受けとめることができます。時間が経つほど被災者の声は届きにくくなります。そんな時、第三者が声を大にして被災地の窮状を訴えて下されば、かなり説得力があります。 
 ただ私は申し上げました。被災地や被害状況を比べないで下さい、と。被災の状況は違っても、被災者はどなたも100%辛い思いをしています。報道されようが、されまいが、普通とは思えない生活が日々営まれています。活字や数字からは感じ取ることができない現実があります。そして、被災地の空気がどのように匂うかを感じる被災地訪問を、お寺から始めたのは正解でした。なにせお寺には、仁王さんがいますから・・・。
 それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。

【第896話】 「ご縁の連鎖」 2012(平成24)年11月11日-20日

896_17.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第896話です。
 第三者が他人のパソコンをウイルス感染させ遠隔操作して、インターネット上で、犯罪を犯す人がいる時代です。今や瞬時に、どこへでも情報を発信でき、どこからでも情報を得ることができます。しかし、遠隔操作のように、便利と危険が表裏一体となっています。
 そのような世にあって、とてもゆったりとして、温かな人の想いの交換がありました。京都の本願寺で発行している秋彼岸の施本に、「歌う尼さん」こと奈良県の教恩寺住職やなせななさんが、法話を書きました。「いつか必ず会える〜東日本大震災によせて」というものです。彼女は首にも頭にも巻けないけど、大震災にも負けないという短めの「まけないタオル」と歌を被災地に届ける旅を続けています。数多くの涙に寄り添う中で、死んでも命は消えるものではないという思いを強くします。そして、親鸞聖人の「浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候(そうろ)ふべし」というお言葉を紹介しています。死んだ後浄土に往き生まれて、仏さまになられた方にお会いできると説くのです。
 それを埼玉県の女性の方が読みました。彼女は今年7月に10年間連れ添ったご主人を、3か月の闘病生活後に亡くされました。心から信頼できる最愛の人との別れに、身体の半分をもっていかれたような喪失感を味わい、絶望の渕にあったのです。そんな時、やなせさんの一文に出会い、優しく背中をさすられるような安らぎを覚えたそうです。早速やなせさんにその旨を伝えるべく手紙を書きます。亡き主人と東日本大震災で亡くなられた方のご冥福を祈って下さいというご供養のお願いをするのです。
 やなせさんは、すぐに本堂で供養のお勤めをしました。しかし、そのお布施は復興支援に使っていただく方がふさわしと願われて、「徳泉寺復興はがき一文字写経」に届けて下さいました。それを受けて私は埼玉の女性の方に、写経のお勧めとご供養の想いを込めて、手紙を書きました。たまたま、その日は、亡きご主人の百か日にあたる日でした。百か日は卒哭忌ともいい、慟哭することを卒業するという意味です。完全に悲しみがなくなることはないとしても、「無常の受けとめ方にこそ人生はある」という言葉があります。辛いことですが、すべてを受け容れて、次の一歩を踏み出すスタートの日ととらえて下さいとお伝え致しました。
 ほどなく、彼女から手紙を添えて「はがき一文字写経」が送られてきました。主人への感謝の思い、そのお布施が復興支援に役立つことへの感謝を込めてとして、「感謝」という文字を写経して下さいました。手紙は「主人が生きたかった今日を生かされていることに思いを定め、いつの日か必ず浄土にて逢えることを信じています」と結んでありました。
 京都から埼玉、埼玉から奈良、奈良から宮城、宮城から埼玉と多少の日数は要したものの、遠隔の操作ならぬご縁の連鎖で、直接その想いはしっかりつながったのです。
 ここでご報告致します。10月のカンボジア・エコー募金は、119回×3円で357円でした。ありがとうございました。
 それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。

【第895話】 「火事場の馬鹿力」 2012(平成24)年11月1日-10日

895.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第895話です。
 「火事場泥棒」と言いたくなるような復興予算の使い道です。東日本大震災の復興の為に5年間で19兆円を投じるといいます。しかし。被災地とは直接関係のない事業が数多く含まれています。北海道や沖縄などの官公庁施設の改修などに億単位の予算がついています。また、農林水産省は反捕鯨団体の対策費に5億円を計上。その理由は、調査捕鯨が妨げられると被災した宮城県石巻市周辺の缶詰工場の再興が滞るとか。とってつけたような理屈です。
 それでも、東日本大震災復興基本法に照らし合わせれば、あながち違法な予算とは言えないのだそうです。その第1条に「大震災からの復興を円滑にして、活力ある日本の再生を図る」というような文言があるからです。要するに復興予算は、被災地の復興だけに限っているのではないようなのです。百歩譲って、日本の再生を図るのは良しとしても、先ずは何事も被災地優先に予算を執行しなければならないでしょう。家屋敷を失った人がたくさんいる。鉄道が流された。働くところを失った。被災地では今の今、困っていることが山積しています。それなのに、目に見えた復興がなされていないのは、必要な予算が必要なところに来ていないからでしょう。復興にこじつけた事業が日本全国に行き渡っているのに、です。
 被災した宗教施設は更に深刻です。「政教分離」の壁があり、公的支援を受けられません。流された寺や神社を再建しようにも、檀家さんや信徒さんも被災して、とても負担を求められる状況ではありません。私のもう一つの住職地の徳泉寺もその例です。そこで徳泉寺では、「はがき一文字写経」を全国に呼びかけています。はがきに好きな一文字を写経して、一口5千円の納経志納金を納めていただくというものです。これまで500人を超える方より申し込みがありました。
 先月、朝日新聞の小滝記者が、「はがき一文字写経」を取材に来られました。そして、10月19日の朝刊で紹介して下さいました。その中で、政府の復興構想会議で、作家で僧侶の玄侑宗久さんが、寺や神社を「コミュニティー施設」ととらえて支援策を講じる提言をしたものの、「憲法の関係で入れられない」と拒絶されたことも載せていました。
 被災地の社寺を多く取材してこられた小滝さんは、葬送や祭礼を通して、住民が交流する場をそこに見ています。避難所となった社寺にも触れ、その「安心機能」を活用することが地域復興の鍵になるのではと書いています。住宅の再建や道路の整備だけで、復興とは言えない。住民が交流できるようでなければならない。それには社寺の力が必要である。だから宗教施設とはいえ、不特定多数の人々が集うところとらえて、公的支援策をとってほしいという、心強い論説を展開して下さいました。
 さて、私も火事場泥棒など相手にせず、火事場の馬鹿力を発揮して、寺の復興に精進しましょう。
 それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。

【第894話】 「移動図書館」 2012(平成24)年10月21日-31日

DSCN1742_4.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第894話です。
 その背の高いワゴン車は、白と黄色の塗装が施してあり、かなり目立ちます。「立ち読み お茶のみ おたのしみ」そして「走れ東北!移動図書館プロジェクト」と車体には書かれています。その車が徳本寺の駐車場にいつも止まっています。SVAシャンティ国際ボランティア会が徳本寺の境内地に山元事務所を開設したためです。
 SVAでは昨年7月から、岩手県で仮設住宅を回る移動図書館活動を始めています。単に本を借し出すだけではなく、コーヒーやお茶を飲んでいただき、会話を交わす「お茶のみどころ」という役割も担っているようです。災害時には本など見向きもされないかもしれません。しかし、時がたてば荒んだ心に潤いが欲しくなります。ちゃんとした本があれば、心の豊かさを感じることができます。特に子どもにとっては、漫画であれ絵本であれ、興味のあるものは、むさぼるように読み耽ります。子どもの柔軟な心は、本を読んで栄養を吸収し、どんどん広く大きくなっていきます。本は心の栄養です。
 岩手県での実績を受けて、宮城県の山元町でも移動図書館活動を行うことになりました。隣接する福島県の南相馬市にも、その活動を広げていきます。9月26日に初運行して、山元町の仮設住宅4ヵ所を巡回しました。約2000冊の児童書や漫画、小説などを車に積んで、無料で貸し出しています。津波で自宅とともに、本もすべて流された人がたいていです。訪れた人からは、玄関横付に近い図書館に、とても便利と喜ばれたようです。
 更に利用者はお茶を飲みながら、津波の恐怖や、現在の暮らしの辛さ、将来の不安などをスタッフに語りかけてくるといいます。それまた、大切な時間ではないでしょうか。生きるための心の栄養の一つとして、本はありますが、本と自分だけでは生きていけません。誰かとの関わりの中で、私たちは生きています。自分という存在を誰かに分かってもらうことで、生きている実感を得ることができます。話をする、話を聞くというのは、お互いを知る一番の近道でしょう。それと反対に、無視されるのは、一番辛いことです。その意味で、移動図書館は本という栄養を、人のぬくもりで吸収しやすくして、心の復興に役立っていけるような気がします。
 「明日 死ぬかのように生きろ 永遠に 生きるがごとく学べ」これはガンジーの言葉です。被災地復興の道のりは険しくとも、一人ひとりの心の復興をまず見据えたいものです。明日死ぬと思えば何でもできます。今学べることをおろそかにせず、今できる仕事をしっかり成し遂げるという心がけがあれば、明日という日は必ずやってきます。移動する図書館を大いに利用して、移動しないぶれない信念を培いましょう。
 ここでお知らせです。いつもは電話でお聴きいただいているこのテレホン法話を、たまには徳本寺まで移動して聴いてみませんか。10月28日(日)午後2時より、徳本寺本堂にてピアノ演奏にのせて法話を語る「テレホン法話ライブ」を行います。ゲストはロックバンド「チープパープル」です。入場は無料です。
 それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。

【第893話】 「鉄鉢の暑さ」 2012(平成24)年10月11日-20日

893_n.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第893話です。
 漂泊の俳人といわれた山頭火。明治15年山口県防府市に生まれ、44歳の時出家得度し、曹洞宗の僧侶になります。しかし、住職となることはなく、生涯一乞食僧として、諸国を放浪し、59歳で四国松山市にてその一生を終えます。昭和15年10月11日のことです。こよなく酒を愛し、数多くの俳句を残しました。俳句といっても自由律俳句で、花鳥風月を詠むというよりは、自分の内面を吐き出すかのような句や、人間の本質を突く句などが、多くの人の共感を得てきました。
 その山頭火ゆかりの松山市のNHKテレビ局より取材がありました。山頭火特集の番組を放映するに当たり、山頭火を語る一人に、たまたま選ばれたのです。被災地に住む者として、今この時に、山頭火という人物をどう捉えるのか、また今一番伝えたい句はどれかを聞きたいようでした。もし山頭火がこの被災地に来たとしたら、何をするでしょうかと言われ、ひたすら歩きながら、お経を挙げて、祈り続けたのではないでしょうかと答えました。
 そして、俳句としては「鉄鉢の暑さをいただく」を挙げました。鉄鉢とは、鉄製のお鉢のことで、行乞をするときに持ち歩き、その中に、金銭や食べ物を喜捨していただきます。行乞は何よりの修行です。墨染めの衣で、網代傘に手甲脚絆、鉄鉢など必要最小限度のものしか持ちません。お経を挙げるなど、仏法を施し、それに対して、なにがしかのお布施をいただくばかりです。そこで大事なことは、選り好みをしない、すべていただくということです。多いとか少ないとかいう執着心を捨てます。また、いただけなくても、決して不平を言うことなく、それもご縁として受け止めることなのです。
 今年の夏のような炎天下を、山頭火も黙々と歩いたことでしょう。何もあげてもらえない空の鉄鉢は、その暑さだけが身に堪えていたことでしょう。しかし、それも有り難くただいただくというその一句は、行乞僧の真骨頂を言い得ています。これを、この度の大震災に当てはめるならば、何ら選択の余地もなく、突然襲ってきたこの災害。鉄鉢の暑さをいただくように受け入れなければなりません。
 とは言っても、昨年のあの惨状の最中に、そんな喩えをできるわけがありません。山頭火の行乞僧として何もないというのと、災害で何もかも奪われてしまったのでは、明らかに状況が違います。しかし、私たちが生きるということは、選べることと選べないこと、自分の意志でできることと、できないこと、それらを納得していくことではないでしょうか。
 「鉄鉢の暑さをいただく」という山頭火の納得は、まさに彼の生きざまでした。今被災地にあって、私たちは、何をいただき、何を捨てられるのか。復興という志を込めた鉄鉢を持って、山頭火以上に歩いて行かなければなりません。
 ここでご報告致します。9月のカンボジア・エコー募金は、107回×3円で321円でした。ありがとうございました。
 それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。

【第892話】 「老僧のお袈裟」 2012(平成24)年10月1日-10日

892n.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第892話です。
 東日本大震災以降、何度か西日本を訪れる機会がありました。それは、こちらの人は被災地から遠く離れていて、震災のことを身に染みて感じることができないので、被災地の生の声を聴かせて欲しいという依頼があってのことです。確かに生放送の報道番組を見ることができても、報道できる内容にも時間にも、かなり制約があります。被災地の息遣いというものまで伝わらないかもしれません。
 それでも、先日、中国地方に行って驚きました。山口県・島根県・鳥取県などの方の前でお話をしたときです。それぞれの県の青年僧侶で、被災地支援のため、これまで定期的に、ボランティアで通っている方が何人もいました。1000キロから1200キロの距離を、夜通し車を運転して、朝方到着するなり、寝る間も惜しんで、それぞれの活動に勤しんでいるとのことでした。被災地への想いは、時間空間を超えて、その人の志にこそあることを教わりました。
 その志は若い人ばかりではありませんでした。ある山口県の老僧が控室に私を訪ねてこられました。そして、大きな風呂敷包みを広げて「私は齢(とし)も齢ですし、大病をした身体です。とても被災地を訪れることができません。これは私が愛用していたお袈裟です。どうかこれを着けて、犠牲になられた方の供養のお勤めをしていただきたいのです」とおっしゃるのです。それは金襴のたいそう豪華なお袈裟でした。恐れ多くて素直に頂戴致しますとは言えるものではありませんでした。何度もご辞退を申し上げました。それでも「私にはこんなことぐらいしかできません。お恥ずかしい限りですが、堪えて下さい」とのことで、老僧のお気持ちを被災地に届けるつもりで、押し頂いて参りました。
 お袈裟にもいろいろ種類があります。普段のお勤めで着けるもの、一生に何度もないような大法要の時に身にまとうもの。老僧のお袈裟は後者に属するでしょう。それを惜しげもなく、初対面の私に託された老僧の道心の篤さには、ただただ手を合わせるばかりでした。
 お袈裟を身に着けるとき、「大哉解脱服(だいさいげだっぷく)無相福田衣(むそうふくでんえ)披奉如来教(ひぶにょらいきょう)広度諸衆生(こうどしょしゅじょう)」と唱えます。お袈裟は解脱の服、つまり悟りの修行をする者が着けて、福徳をもたらす田んぼのような人の着けるものである。そして人々をも悟りの世界に導くように力を尽くすためのものですと謳っています。多くの犠牲者を悼み、ご遺族の安寧を願う老僧の想いは、まさにお袈裟の心です。そのような尊いお袈裟は私如きには身に余るものと十分承知。その上で、老僧の想いを被災地にお伝えすべく、そのお袈裟を着け、文字通り身を引き締めて、今後の復興に精進し、瓦礫の地を福田になさんと心新に致しました。
 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。

【第891話】 「百日勤続」 2012(平成24)年9月21日-30日

891.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第891話です。
 今年の秋分の日は、9月22日です。昭和54年(1979)が9月24日でしたが、33年ぶりで日にちが変わりました。そして、9月22日が秋分の日というのは、明治29年(1896)以来、実に116年ぶりなのです。現在の日本の最高齢者は115歳ですので、日本人の誰もが巡り合ったことのない秋分の日を、今年私たちは迎えました。地球が太陽を一周するのに、365日と約6時間かかるそうです。それで、4年に一度の閏年で調整するも、さらにずれが出て、今年のようになるようです。
 そして、9月22日がお彼岸の中日となって、これを過ぎると、ちょうど今年もあと百日となる因縁をいただきました。この区切りの良さをどう捉えましょうか。本山修行時代、「百日禁足」という掟がありました。足を禁ずると書きます。本山に入門して最初の百日間は、一切の外出が禁じられ、連絡通信も制限されるのです。外からの面会も禁じられますから、全く外部との接触を断たれた状態です。俗世間の価値観を一切捨てて、朝から晩まで、晩から朝まで、ただ仏道のためにだけの生活がありました。まるで牢獄にいるようだと思うほどでした。しかし、禁足が明けると、いつの間にか法衣(ころも)もぴったり身に付き、お経もそらんじられるようになっていました。あんなに辛いと思った「百日禁足」が、有り難い掟に思えてきたから不思議です。
 さて、今年もあと百日だから、みなさんも「百日禁足」をして、年明けて元旦には、禁足明けとして、心からおめでとうを言いましょうか。まさか、そこまでは言いません。ただ、何十年ぶりで秋分の日の日にちが変わろうとも、彼岸の心は千年万年変わらないということを再認識して下さい。即ち、春分の日、秋分の日の昼と夜の長さが同じであるように、偏らない心こそが、彼岸の心です。偏らないとは、自分中心にならないということでもあります。
 彼岸の教えの第一番に挙げられるのは、「布施」です。布施には「分け合う」という意味もありますが、自分中心の人はできないことです。ないものを上げることはできませんが、ちょっとしたお裾分けなら、どなたもできるのではないでしょうか。力があれば何かお手伝いをしてあげてもいいでしょう。何も持っていないという人だって、必ず持っているものは、笑顔と「ありがとう」という言葉です。持っていても表すことができない場合が多いというだけでしょう。
 そこで、今年の残り百日間は、「逆百日禁足」を行ってみては如何ですか。つまり、閉じこもっていないで、どんどんいろいろな人と会い、少なくとも一日一回は笑顔で「ありがとう」を言うことを自分の勤めとして続ける。百日間勤め続ければ、「百日禁足」ならぬ「百日勤続」となって、笑顔と「ありがとう」が習慣となり、来年一年間も笑顔で暮らすことができるのではないでしょうか。
 それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。

【第890話】 「真夏日」 2012(平成24)年9月11日-20日

 890_n.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第890話です。
 仙台管区気象台で8月19日より記録していた気温30度以上の真夏日が、連続18日間続き9月6日に途切れました。それでも1994年の17日間を塗り替え新記録です。今回の真夏日の特徴は、お盆を過ぎて、9月にまたがって記録していることにあります。
 例年なら、お盆を過ぎると、夕暮れも早くなり、あっという間に秋の気配を感じたものでした。今年はいつまでも夏が居座っている感じでした。たとえば子どもの頃、夏休みの前半は、あれもやりたいあそこにも行きたいと、期待に胸ふくらませて、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。それが、8月に入り、お盆近くになり、夏休みも後半に突入すると、焦りだします。宿題をはじめとする、やらねばならないことが、まだたくさん残っていることに気付くのです。前半と後半で日数は全く同じでも、明らかに、後半は前半の倍も早い速度で過ぎる感じがしたものです。
 大人になってからは、夏休みはありませんが、子どもの夏休みのように、お盆を境に日にちの過ぎゆく速度が違うような気がします。もっとも一年の半分はとうに過ぎているのですが・・・。それが、今年は真夏日のせいか、過ぎゆく速度も普通で、気持ちの上でも、なかなか秋にならずにいたというわけです。
 どなたの言葉か、「若者には 一日が短く 一年が永い。老人には 一日が永く 一年が短い」というのがあります。子ども時代の夏休みと、大人になってからのお盆過ぎの日暮らしを経験すると、実に納得できる言葉です。子どもには大きくなったら叶えたい夢があります。しかし、待ち望むものは遠く感じ、簡単に実現できることばかりではありません。いきおい将来はいつまで経っても将来のままだったりします。ところが、老人になりかかると、明らかに将来が見えてきます。望んでもいないのに、身体の衰えとか、その日を迎えるとか、否応なしに、将来は頼みもしないのに足早にやってくるわけです。
 だから、東日本大震災で、家屋が流され、元の屋敷にも住まいできない方々にとって、これから定住の地を求めたり、住宅を建設するというのは、想定外の将来です。尚且つ、ある程度の年齢の人にとっては、「一年が短く」、力の衰えも感じる中、「2.・3年待てば何とかなるよ」などと、悠長なことを言ってはいられないのです。「永い一日」と感じる、今日・明日のうちに、何とか見通しを立てて欲しいというのが本音でしょう。
 18日間も続いた真夏日は、私のような勢いで復興に向かわないと、すぐに人生の秋や冬がやってくるよという太陽からの励ましだったのかもしれません。そして復興のために汗を流している人にプレゼントした夏の木陰は、復興を約束した太陽の署名印でしょうか。
 ここでご報告致します。8月のカンボジア・エコー募金は、124回×3円で372円でした。ありがとうございました。
 それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。

【第889話】 「ひとつの心」 2012(平成24)年9月1日-10日

889.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第889話です。
 私が兼務住職をしている徳泉寺は、東日本大震災の大津波で、伽藍も仏具もすべて流されてしましました。その地域の檀家さんが74人も犠牲になり、ほとんどの家屋も流出、災害危険区域となり、住まいすることができなくなりました。しかし、本尊様だけは奇跡的に発見されました。どんな災難に遭っても、人々の心の支えになろうとする一心で踏み止まったものと信じて、「一心本尊」と名付けました。
 ほんとうの故郷の復興を思うとき、人々の心の拠りどころとなる祈る場所が必要です。寺を再建するとは、祈るところを必要とする人々の心の再建にもつながります。そこで、徳泉寺では全国のみなさまに呼びかけ、はがきに一文字を写経をしていただき、その功徳により、復興を目指しています。将来、祈る処が再建され、一心本尊様が安置された暁には、その下に納経して、永代に亘ってお名前を残し、ご供養申し上げます。
 般若心経などの、お経一巻を写経するのは、それはそれでたいへんな功徳です。しかし「一文字」ならではの功徳があります。それは、目の前のお経をただ写すのではなく、文字を選ばなければならないということです。そこにその人自身の思いがはっきり表れます。これまで300枚を超えるはがき写経が納経されました。願いを込めて書かれた感じがよくわかります。意外なことに、自分の名前の一文字を書いている方が目立ちます。名前には幸せを願ったり、良き人生を送られるようにという思いが込められています。ですから、復興という将来を思えば、われの名そのものが「一文字」にふさわしいということにもなるのかもしれません。
 それでも、一番多い字は何と言っても「心」です。2割近くの方が書いています。一心本尊様を想い、一心に写経ということになると、「心」という字になるのも当然のことでしょうか。「心」という漢字は、心臓を描いた象形文字だそうです。私たちの命の文字通り中心にあるものと思えば、重みのある字です。そして、「さんずい」に「心」と書いて「沁みる」という字になりますが、血液を血管のすみずみまでしみわたらせる心臓の動きからきているといいます。なるほど「心を通わせる」というのは、うわべだけではなく、その人となりを、すべて預ける、あるいは受け止めるということになるでしょうか。
 そして「はがき一文字写経」の、イメージソングもできました。作詞は私ですが、作曲と歌は「歌う尼さん」こと、やなせななさんです。題して『ひとつの心』。徳泉寺のお盆供養施餓鬼会において、初めて披露されました。「ひとつの心がその始まり 心をひとつに 命をつなぐ」と力強く歌っています。一心本尊というひとつの心があったから、復興へのスタートを切ることができました。その心を全国すみずみに沁みわたらせ、みなさんの心をひとつにして、復興の形を築こう。また新たな想いで、故郷で生きていきたいという願いが込められています。故郷が甦るよう一心に想えば、故郷を一新できると、やなせななさんは心を込めて歌っています。
 それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。