テレホン法話 一覧

【第916話】 「鍬を挿む人」 2013(平成25)年6月1日-10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第916話です。
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 お寺は山にたとえられ、名前の上に山号というものがつきます。そして、住職に就任し披露する式を、山に晋(すす)むということで晋山式(しんさんしき)といわれます。同じ山元町内の曹洞宗圓通山普門寺で、先月その晋山式がありました。住職の坂野さんはその寺に入ってから、20年以上も勤めています。晋山式を、住職就任時に行うことができれば、理想ですが、一世一大の行事だけに、相当の準備期間が必要となります。加えて20年前の普門寺は、本堂があったものの雨漏りがするし、住まいとなる庫裡もありませんでした。
 坂野さんは、長い年月をかけて、檀家さんと共にお寺としての環境を整えてきました。本堂の屋根吹き替え等の改修工事、会館の建設、そして平成22年には庫裡も完成しました。いよいよ晋山式に向けて、本格的な準備に入ろうとしていた矢先に、大震災が発生。海がすぐそばの普門寺のあたり一帯は、大津波がもろに襲い、景色を一変させました。寺の建物は残ったものの、本堂の中に松の木が入り込み、向拝という玄関部分が傾き、本尊さん以外はすべて流されてしまいました。やっとこれから住まいするはずだった庫裡も破壊され、再生は不可能かと思われほどで、境内は瓦礫の山、お墓は砂に埋もれているという絶望的な状況でした。
 しかし、坂野さんは一念年発起し、一人で寺の再建を目指します。ガソリンがない時だったので、自転車で通い、亡くなった檀家さんの供養を勤めながら、瓦礫の撤去、お墓の砂出し等に専念します。危険地帯のため、ボランティアも派遣されなければ、安全の保障がないので手伝いも断っていました。2ヶ月ほど過ぎて、あるボランティアの方から是非手伝わせて下さいという申し出があり、受け入れを決心します。以後、全国からボランティアの方が訪れるようになり、復興が加速しました。
 そして、この度の晋山式です。あれからわずか2年余りで、このような盛大な法要を営めるまでになるとは、誰もが信じられない思いであり、感慨ひとしおでした。晋山式というお祝いに因んで、新たに就任した住職は須弥壇に上り、大勢の和尚さんと大問答を交わす儀式があります。ある和尚さんが尋ねました。「住職さんにとって、普門寺とはなんですか」。坂野さんはきっぱりと答えました。「私にとって、普門寺は命よりも大切なものです」。2年前の絶望的な状況から、命を懸けて復興に力を尽くした人だからこその、偽らざる言葉でしょう。
 大本山總持寺を開かれた瑩山禅師様の言葉に、「法堂上に鍬を挿(さしはさ)む人を見る」というのがあります。法堂とは本堂のこと。本堂を田畑にたとえ鍬で耕すとは、仏道修行をしていることを意味するものでしょう。この度の晋山式は、まさに仏道修行の何たるかを示して余りある法要でした。私は圓通山上に瓦礫を除き、柱を建てた有力(うりき)の大人(だいにん)、つまり修行の円満した徳のある人を見る思いで、須弥壇上の住職さんを仰ぎました。彼の持つ鍬は、これからは普門寺のみならず、被災地をも耕す力となることでしょう。
 それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。

【第915話】 「方言」 2013(平成25)年5月21日-31日

915.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第915話です。
 言葉は生き物であると言います。時代によって変わるもの、なくなっていくものもあります。所によっても違いがあります。そして、ある一定の地域で使われる言語体系を方言といいます。いわゆる標準語に対するものです。たとえばこの辺りでも使われる「おどげでねぇ」とは、「容易ではない」ということです。私もよく存じ上げている和尚さんが、その「おどげでねぇ」ほど、気の遠くなるような作業を50年以上も続けて、2511語の方言を収集して「わかやなぎの方言」という本を出版されました。
 和尚さんは石巻市から、栗原市若柳の現在の寺に入ったとき、生まれ育ったところから35キロ程しか離れていないのに、その言葉の違いに興味を抱きました。以来、メモ帳を離さず、近所のおばあさんから聞いた言葉を中心に、書き留めていきました。整理した単語は大学ノート2冊分になるといいます。今ではほとんど聞かれなくなった言葉もあり、その土地の歴史を物語るものにもなる、貴重な1冊といえるでしょう。収録された言葉の中で、思わずクスッとなったものがいくつもあります。「んだちゃ」は「そうだ」ということですし、「んでねぇ」は「そうでない」という言い方で、私もよく使います。聞く人が聞けば、その感じわかるなあと、ほのぼのとした気持ちにさせられるのが、方言の良いところでしょうか。
 しかし、その方言も、この度の東日本大震災で、消滅する可能性の高い言葉が143語もあることが、東北大学の調査で分かりました。被災地では、自宅を失ったり、原発事故で避難したりし、多くの人がバラバラに移転しています。地域独自の方言を日常的に話していた人が減ると、方言そのものが亡くなると、方言学者は指摘しています。文化庁も、「方言は多様な地域文化の基盤」として、保存と継承に動き出しているといいます。
 原発事故の影響を受けた南相馬市近辺で使われている「えぐね」という言葉があります。これは家の周囲に植える垣根のことで、この山元町辺りでもよく使われます。この言葉も、被災地で使われなくなると、いずれ消滅する危険があるそうです。もっとも、その「えぐね」そのものを、大津波は木端微塵に流し去ったために、言葉以前に現物が消えているところがたくさんあります。
 大津波で流されたものは、山ほどあります。大切な人の命を含めて、目に見える存在がなくなったという喪失感をこれまで抱いてきました。2年を過ぎて、これからは方言のように、目に見えないものまで、消えていくものがあることを、じわじわと納得せざるをえないのでしょうか。形あるものは、条件が整えば、何とか元のようになることもあります。しかし、形のないものが消えたとき、元に戻すことは、「おどげでねぇ」ことなのです。言葉という生き物を活かし続けるためにも、「おしょす」がらず、方言を使いましょう。「おしょす」の意味が分からない人は、是非「わかやなぎの方言」をご覧下さい。
 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。

【第914話】 「功の多少 彼の来処」 2013(平成25)年5月11日-20日

914.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第914話です。
 私は記憶の良い方ではありませんが、30年以上前のある時期の朝食のメニューなら、一年間分すべて言えます。毎日、お粥とごま塩と漬物でした。そう、本山での修行時代の食事だからです。それとは全く別次元ですが、メニューは玄米雑炊少々、キャベツと大根の味噌汁二口分を紙コップに入れ、割りばしは1本を半分にしての食事とは、あの大震災の3月11日の避難所での夕食です。この度山元町がまとめた避難所で提供した食事の記録誌で知りました。
 山元町は約6割の住宅が全半壊の被害を受けました。当時の人口の3分の1近い5826人が最大19カ所の避難所に身を寄せていました。電気が12日間、水道が47日間も止まる中で、町は5カ月間に亘って大量の食事を調理し提供し続けたのです。当初は人数に見合う分の食糧の調達ができず、近隣の人が持ち寄ってくれた米・野菜などでしのぎますが、1日2食の配食を余儀なくされました。食器も足りなく、洗う手間が増え、衛生面でも不安があったといいます。3日目にやっと支援物資が届き始め、4日目に自衛隊が到着し、大量の炊き出しが可能になりました。
 そんな中で、おにぎりの活躍が光ります。冷凍食品やパンにバナナというのも重宝されました。自衛隊の方の給食活動についてのコメントによれば、最大で4500人分の炊事をしたそうです。その食材となれば、米が約320kg、味噌40kg、具材のジャガイモ200kgが必要といいます。補給の遅れや、痛みやすい食材から使用せざるを得ないことと、希望する食材や調味料が手に入らないために、思ったような献立ができない悔しさもあったようです。
 私たち修行時代の食事のときは、「五観の偈」というお唱えごとをしていただきます。その第一番目には「一(ひと)つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る」とあります。つまり「この食事はご飯ひとつとっても、米を作る人の労苦、育つまでの自然の恵み、調理する人の愛情など、計り知れない多くのおかげがあって、今いただくことができる、そのことに感謝しましょう」ということです。平常時においてもその通りです、ましてやあの大震災直後の混乱期における「功の多少」と「彼の来処」は、如何ばかりだったでしょう。
 もう二度と大震災時のような食事はしたくありません。ただ、あの時味わった不自由しながら限られた量の食事の有り難さは、生涯忘れることはないでしょう。避難所で「五観の偈」を唱えて食事をした人は、いないかもしれませんが、その有り難い心は自ずと感じていたはずです。これから先、何十年経っても、当時のメニューを忘れることなく生きていくことが、復興への原動力であり、もしもの時の何よりの備えになると信じます。
 ここでご報告致します。4月のカンボジア・エコー募金は、117回×3円で351円でした。ありがとうございました。
 それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。

【第913話】 「さとり世代」 2013(平成25)年5月1日-10日

 913.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第913話です。
 「さとり世代」とは、インターネットの掲示板で、自然発生的に生まれた今どきの若い人たちのことを指す言葉だそうです。その特徴としては、車やブランド品・海外旅行に興味がない、お金を稼ぐ意欲が低い、地元志向、恋愛に淡泊、過程より結果を重視、ネットが主な情報源、読書好きで物知りなどという点が挙げられるとか。ほぼ平成になってから生まれた10代から20代半ばの年齢層にあたります。いわゆる「ゆとり教育」を受けて育ちました。
 それを裏付けるかのような、財団法人日本青少年研究所が行った調査結果があります。昨年秋に日本・米国・中国・韓国の高校生6600人を調査したものです。将来「偉くなりたいと思うか」という問いに対して、「強く思う」と答えた高校生は、中国37.2%、米国30.1%、韓国18.6%でしたが、日本はわずか8.7%で最低でした。その国の勢いを反映しているかのような結果とも読めます。
 識者はこの「さとり世代」をこう分析します。物心ついたときは景気が後退していたものの、ネットの普及で情報はあふれているので、物事の結果を先に知ってしまう。そのため、合理的に動き「ほどほど」が合言葉になっている、と。要するにやる気がないだけのような気がします。それを「人生を諦めているように見える」などど、オブラートで包むような世間の言い方も気になります。そして「諦める」という言葉から「さとり世代」という風になったと思われます。
 世間でいう「諦める」は、「仕方がない」とか「断念する」という否定的意味合いです。しかし、仏教では、「諦める」は「悟り」と同意語です。「諦める」の元々の言葉は、「明るい」と書く「明らめる」で、「明らかにする」ということです。即ち、はっきりわかる、納得するということです。「さとり世代」のさとりとは、少しばかり先が見えただけなのに、いかにも自分の人生のすべてがわかったかのように思い込んでいる状態。だから適当に生きていけばいいと思っている人たちなのではないでしょうか。
 「悟る」というとき、「覚える」という文字も使われます。二つ合わせれば「覚悟」という言葉になります。つまり「悟り」とは「覚悟」ができているかどうかです。覚悟とは、一人ひとりの命にゆとりなどないという意識をもって、すべてに臨むことです。明日の命の保証は誰もしてくれません。5分後の運命さえわからないことは、大震災で犠牲になった方々が身をもって示して下さいました。偉くなる必要はないにしても、せっかくいただいたこの命、今輝かせないで、いつ輝かすのですか。明らかに今でしょう。
 それでは又、5月11日よりお耳にかかりましょう。

【第912話】 「慈悲というランドセル」 2013(平成25)年4月21日-30日

912.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第912話です。
 4月・入学式・ピカピカの1年生と言えば、先ず小学1年生を思い浮かべます。その「ピカピカ」の象徴は、やはりランドセルでしょうか。あるランドセル会社が「未来へつなぐタイムレター」という事業を行っています。1年生のランドセルを買っていただいた方の、わが子への手紙を募集し、会社でそれを保管し1000日後に、その子ども宛に郵送するというものです。1年生になったばかりの子どもを思って書いた手紙が、その子が3年生になった時に、届けられるわけです。
 隣町の亘理町の小野由美子さんは、夫と3人の子どもを残し、一昨年の東日本大震災の津波で、犠牲になりました。悲しみに暮れていた小野家にその年の夏、亡くなったはずの由美子さんから、子ども宛の手紙が届きました。由美子さんは次女望美さんの入学時に、家族に内緒でタイムレターに応募していたのです。震災の年、望美さんは3年生になっていました。震災後、学校を休んだり、授業中に泣いたりしていましたが、突然お母さんの直筆の手紙を見てびっくりしました。その手紙には、「げんきに学校にいってくれるだけで、おかあさんはとてもあんしんしていました」と平仮名で書かれていたのです。
 更に由美子さんは、他の子どもたちにも一緒に手紙を書いていました。長女には「口ごたえをしながらもいっぱい手伝ってくれて、お母さんは・とても・、とても・、とても感謝していました」と書いています。長男には「妹達にやさしいお兄ちゃんになっているように」と願いが込められていました。3年前に書かれた手紙なのに、震災後の今の今をすでに見据えているかのような内容です。母親の子を思う心、見つめるまなざしは、想定外の大津波にも流されることなく、1000日という時間を越えて、一層輝きを放っています。
 さて、私たちが今1000日後のことを思う時、誰にどのような手紙を書くことができるでしょうか。親から子へ、子から親へ、あるいは自分から自分へというのもあるでしょう。10年先ではちょっと想像がつきにくくても、1000日後であれば何となく、思い描くことはできるのではないでしょうか。
 私は仏さまに宛てて、短い手紙を書きましょう。「仏さま、あなたは私たちに慈悲というランドセルを背負わせて下さいましたね。慈悲の慈とは、楽を与えること、悲は苦しみを除くこと、与楽抜苦の教えですね。被災地の誰もが辛く苦しい想いを抱いていますが、みんなで慈悲を心がけ、今日まで来ました。ランドセルに入っているささやかな笑顔を分けて、誰かが流した涙の粒を拾ってランドセルに入れてきました。おかげさまでみんなピカピカの顔になりました。ありがとうございます」。
 それでは又、5月1日よりお耳にかかりましょう。

【第911話】 「津波に耐えた大樹」 2013(平成25)年4月11日-20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第911話です。
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 津波に耐えた陸前高田市の奇跡の一本松。結局は自力で生き延びることができず、一旦切り倒し復元保存することになりました。幹の部分の芯をくりぬき、カーボン製の心棒を施し、枝葉もレプリカつまり模造品です。震災2年目に合わせて元の場所に復元したものの、枝葉の角度が前の姿より下側に傾いているとかで、取り付け作業をやりなすことになりました。一連の復元にかかる経費は、1億5千万円だそうです。
 一方、徳本寺檀家の斎藤さんは、「津波に耐えた大樹残したい」という投書を河北新報に寄せています。斎藤さんは中浜という地区に住んでいました。この度の大津波が一帯を襲い、家並みはすべてなくなり、災害危険区域になりました。しかし、斎藤さんの屋敷にあった樹齢300年ともいわれる欅の大樹は、流されませんでした。そして枯れることなく、青く芽を吹いたのです。一度は絶望の渕を見た斎藤さん一家は、しっかり根を張り大津波に耐えた大樹を見て、心の支えとしてきました。
 しかし、住めなくなった土地を町で買い上げるとなれば、樹木は伐採して更地にしないとだめなのだそうです。津波に耐えて生き残り、震災以後を生きている人々の生きる糧となってきた大樹を、伐採せずに何とか残すことはできないでしょうかと訴えています。
 この大樹は、こんもりとした枝振りで、幹も3mを超えています。いかにも大樹という姿です。私は和尚さん仲間と、短くて首にも頭にも巻けないけど、震災にも負けないという「まけないタオル」で震災支援活動を行っています。そのテーマソングに「大樹にまけない 根っこのこころ 揺るぎはしないから」という歌詞を書きました。その大樹のモデルこそが、この欅なのです。現在タオルは各地で7万枚配られ、被災者もタオルを握りしめ、強い根っこのこころで、まけないという思いを抱いています。
 それから、津波で壊滅状態になった徳本寺の中浜墓地跡に、震災犠牲者の鎮魂と被災地復興の礎となることを願って、「千年塔」が建ちました。これは五輪塔としては、日本一高いといわれる奈良県西大寺の叡尊塔を等身大のモデルに造られたものです。その千年塔のすぐ先に、欅の大樹を見ることができ、更にその先には太平洋が広がっています。海と千年塔の間に、大樹はあります。それは海の怒りを鎮め、祈る人々の姿を優しく見守るようです。自然の脅威に耐えた大樹が、人間の都合で伐採されては、ほんとうに根こそぎです。
 「散る花の枝にもどらぬなげきとは 思いきれども思いきれども」(一茶)。一度伐採してしまえば、1億5千万円かけても、レプリカでしか復元はできないのです。思いきれないのが自然です。
 ここでご報告致します。3月のカンボジア・エコー募金は、156回×3円で468円でした。ありがとうございました。
 それでは又、4月21日よりお耳にかかりましょう。

【第910話】 「宗教意識」 2013(平成25)年4月1日-10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第910話です。
 東日本大震災以後初となる「学生宗教意識調査」の結果が公表されました。大震災による意識の変化を複数回答で聞いたものです。最多は「自910.JPG然の力の大きさを改めて感じた」で68.9%でした。「人とのつながりの大切さを再認識した」50.7%。「生きる意味を考えるようになった」35.0%。「死を身近に考えるようになった」34.0%。と続きます。大学生を対象に全国30校4094人の回答の結果です。
 直接被災した人も、そうでない人もいたことでしょう。いずれにしても、あれだけの大惨事を前にすれば、これまでとは違う何かを感じるはずです。大自然の中にあって、人間の存在がちっぽけなことは、頭ではわかっていました。ひとつ屋根の下に家族がいることを、当たり前と思っていました。しかし、現実に起きたことは、想像を絶するものでした。大震災によって、自然の力や、生きるということ・死ぬということが身近な我がことの問題と意識できた結果の顕れなのでしょう。
 仏教の言葉でいえば、「無常を観じた」ということになります。誰しも多少の無常観は抱いても、打ちのめされるような無常観は、そう持ちえないでしょう。それを大震災は、これでもかというほど見せつけてくれたのです。因みに、今回の調査で「特に変わったことはない」という回答は9.9%だけでした。そして、「信仰をもっている」は16.1%で、11回続いている調査の中で、最も高い数値だそうです。普段は当たり前に思っていることが、当たり前でなくなったとき、無常を観じ、信仰に目覚めるというのは極めて自然なことです。
 さて、4月8日はお釈迦さまのお生まれになった日です。今から約2500年前のことです。釈迦族の王子さまとしてお生まれになりました。しかし、誕生7日目に母親であるマーヤ妃は、産後の肥立ちが悪かったのか、急死したのです。その後王子さまは成長してものごごろが付くにつれ、ご自分がこの世に命をいただいたために、母親が若くして命を終えられたのではと、母を追慕し、苦悩されました。まさに「我が生まれし日は母の受難の日」との想いがあったのでしょう。王子さまでありながら、29歳で出家された原点は、生まれてすぐに母を亡くされたという一大事にもあったと想像できます。お釈迦さまの誕生をお祝いするとは、生まれることも死ぬことも無常なればこそと納得し、いただいた命の尊さに思いを致すことでもあるのです。
 学生宗教意識調査の結果は、大震災以後を生きるすべての人に共通するものでしょう。それはお釈迦さまが幼くして抱いた無常の想いと何ら変わらないと信じます。だからこそ、自分の命も他の命も尊いものであることを強く意識しなければなりません。一人で復興できるわけもなく、一人だけのための復興もないのですから・・・。
 それでは又、4月11日よりお耳にかかりましょう。

【第909話】 「春告げ鳥」 2013(平成25)年3月21日-31日

909_17s2.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第909話です。
 一年を通して毎朝6時に梵鐘を撞きます。おかげで、ささやかなながら、季節の定点観測ができます。今年鶯の初鳴きを聞いたのは、3月16日でした。去年は3月26日でしたので、10日も早いことになります。勿論、そんなに厳密に観測をしているわけではなく、鐘を撞いていてたまたま聞こえてきた。それを覚えていた日という程度の記録です。因みに大震災のあった一昨年の初鳴きは、3月31日に聞いています。私は同級生を13人も失っていますので、「鶯の初鳴き哀れ友の逝く」と俳句のようなものを書き留めたことを覚えています。
 さて鶯の鳴き声は、ご存じのように「ホーホケキョ」です。これは「法華経」というお経のお題目を唱えているように聞こえるといわれます。それにはこんな謂われが伝えられています。カッコウは鶯の巣に自分の卵を托卵させるそうです。それを知ってか知らずか、鶯の親鳥は自分の卵と一緒にカッコウの卵も抱いて、雛をかえしました。ところがカッコウの雛は、鶯の雛を巣から押し出して、自分だけが餌をもらって育ちます。鶯の親鳥はいぶかしみながらも、このカッコウを我が子と思って育てますが、ある時、成長したカッコウは、何の断りもなく巣立ってしまします。諦めきれない鶯は、「ホー法華経」とお経を唱えながら、わが子を探して巡礼しているというのです。
 「ホーホケキョ」という鳴き声は、いなくなった我が子を探す声だとすれば、哀れを誘います。今思えば大震災の年、鶯の初鳴きを聞いた3月末のころというのは、連日行方不明の家族を探している方がたくさんいらっしゃいました。ご遺体が発見されて、身元が判明したので供養をしてほしいという依頼も続いていました。鶯の親鳥のように、亡くなった人を想い泣きくれる日々でした。そういえば、鶯は「梅に鶯」といわれるように粋な鳥のようですが、実は葬式の隠語でもあるのだそうです。その心は、「鶯は泣き(鳴き)ながら埋め(梅)に行く」からだそうです。梅の花と、遺体をお墓に埋めるをかけたものです。
 それでも、鶯の初鳴きが、大震災から年を追って早くなっているということは、単に気候が暖かくなっているというだけでなく、何か暗示的なものを感じます。今年は大震災の年から比べたら半月も早いのです。今年の鶯は、梅(埋め)に行くのではなく、梅を呼ぶ鳥のはずです。心に宿った冬のような辛さ寂しさから、少しずつ立ち直って、早く春を感じて欲しいと、鶯も励ましているのではないでしょうか。やはり鶯は「春告げ鳥」です。
 それでは又、4月1日よりお耳にかかりましょう。

【第908話】 「3.11その先へ」 2013(平成25)年3月11日-20日

20130311_35.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第908話です。
 このテレホン法話は、月3回1日・11日・21日と1のつく日に話題が変わります。東日本大震災が発生した日は3月11日でしたので、その日の朝6時過ぎに、いつものように話題を更新しました。それから約8時間後の午後2時46分、あの大震災です。ほどなく電気・電話は不通になり、テレホン法話も万事休すでした。たとえ電話が通じたとしても、テレホン法話など聴いている場合ではなかったでしょう。20年以上も休まず続けてきたが、ここで途絶えても止むを得ないと覚悟しました。
 ところが、震災から7日目の3月17日午後3時30分ごろ、電気と電話が通じるようになりました。これなら次の更新日の21日に間に合いそうだ。神様は見捨てなかったようです。というのも、全くの偶然ですが、11日からのテレホン法話は「神頼み」というタイトルだったのです。正味4日間ほどしか流れませんでしたが、15回の聴取回数が記録されました。あの混乱期に、どなたが聴いて下さったのかは、わかりませんが、15回という数字は貴重でした。
 こういう時でも聴いて下さる方がいる限りは、テレホン法話を続ける意義があり、震災に関わる何かを発信しなければならないと感じました。それから一年以上に亘って、震災に因んだ法話を流し続けました。この度そのテレホン法話の中から25話を収録し、書き下ろしの随想などを加えて、震災を語り継ぐテレホン法話集として、仙台市の金港堂より出版されました。『まっすぐに ただ、まっすぐに―3.11その先へ―』という本です。
 一年前の3月11日徳本寺で行われた震災犠牲者合同一周忌法要で、永六輔さんに講演をいただきました。そのご縁で、出版された本の帯文を認めて下さいました。「去年の3月11日、新佛の一周忌法事。僕は徳本寺にいた。災害による死。原発による不安。生命と向き合う徳本寺。その一年のテレフォン法話が活字になって出版されるという。これは読みたい。永六輔」。
 永さんは 昭和20年3月10日の東京大空襲の折、白石市に疎開していて無事でした。しかし、直前に東京に戻って犠牲になった人がいます。駅で手を振って見送ったばかりの友達が多数帰らぬ人になりました。そのあとを生きる辛さを述べておられました。ある意味でそこが今日の原点になっているように感じました。
 いま私たちは、3.11をある種のスタートとして、その先を歩いて2年が経ちました。これからも歩みを止めるわけにはいきません。そのためにも、あの時何を見て、聞いて、感じてきたのかを、心の中に宿していくことが大切です。テレホン法話集であの時を思い起こすことができ、震災で亡くなられた多くの方々への鎮魂と、そのあとを生きる更に多くの皆様と、励まし合って前へ進める一助になれば幸いです。
 ここでご報告致します。2月のカンボジア・エコー募金は、81回×3円で243円でした。ありがとうございました。
 それでは又、3月21日よりお耳にかかりましょう。

【第907話】 「巡るもの」 2013(平成25)年3月1日-10日

907.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第907話です。
 「惜しみても帰らぬものは 日と月と 川の流れと人の命と」という歌があります。東日本大震災から間もなく2年が経ちます。せめてあの日あの時の30分前いや10分前にでもいいから、戻ることができたら、みんなでとにかく避難することだけを考えて行動したいと誰もが思うことでしょう。しかし、1分1秒たりとも過去に戻ることはできません。勿論どんなに愛しい人であれ、失われた命も戻ることはありません。
 遺体が発見され身元が確認されて、犠牲者の一人と認定された人や死体が見つからないまま死亡認定となった人。いまだ行方が分からない人もいます。時間が戻らないのは納得しても、せめて懐かしい顔が、優しい声が戻ってきて欲しいとこの2年間思い続けてきたはずです。
 そして、命だけは辛うじて助かったものの、家一軒丸ごと流されてしまった人は、先祖から受け継いできたものや、今の今まで愛用していた日用品や思い出の品々まで、すべてを失ったのです。高価なものやお金では買えないものなど、情け容赦なく津波は呑み込んでいきました。それらは地上で瓦礫と呼ばれるような理不尽な姿になったものもあります。また、海に流されて、アラスカやカナダに漂着したものもあります。震災の漂流物は、壊れた橋など全部で150万トンも太平洋を漂流しているそうです。サッカーボールやオートバイが現地で拾われ、被災地の方が持ち主であることが確認されて、話題になったことは記憶に新しいところです。
 さて、日本が位置する北半球の中ぐらいの緯度では、風は偏西風で西から東に吹いています。波も基本的に東に向かいますので、日本からの漂流物が、北米大陸の西海岸に漂着することがあります。しかし、海をぐるっと巡って西に向けて帰ってくる物もあると、環境省では予測しているそうです。北半球でも赤道に近いところでは、貿易風が東から西に吹いて、海流も西に向けて流れます。北太平洋の海には亜熱帯循環という時計回りの海流ができているからです。
 その結果、その海流に乗った漂流物の一部は、現在ハワイの北の方を通り越したそうです。6月にはフィリッピンに近づくし、沖縄にも来るかもしれないというのです。2年以上も広い海を漂ってきた物は、既に本来の価値を失っているでしょう。しかし、惜しみても帰らぬものが、帰ってきたとしたら、それはそれでまた別の感慨が湧くのではないでしょうか。
 亡き人を想うとき、私たちの心の海には、想い出という海流が流れていて、また祈るという風も吹いているような気がします。だから亡き人の顔や声が戻ってきて、心に宿すことができます。そして月日は流れて戻りませんが、命日は毎年巡ってきます。3月11日命を想い、手を合わせましょう。
 それでは又、3月11日よりお耳にかかりましょう。