テレホン法話 一覧
【第868話】 「13人の同級生」 2012(平成24)年2月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第868話です。
昨年2月5日小中学校の同級生168人のうち、60人が一堂に会しました。還暦を祝う会です。この時すでに、9人の同級生がなくなっていました。まだ60歳という年齢なのに、少し多いような感じがしました。最初に亡き彼らに黙祷を捧げて、会は和やかに進行しました。配られたパンフレットには、成人式以降の、各節目の同級会の写真が掲載されていました。
若い頃は、それなりにみんなほっそりして、髪もふさふさしています。歳を加えるごとに、肉付きはよくなるものの、髪の毛は薄くなっていくのがわかります。増えた肉1グラムにも、消えた髪の毛1本にも、その人の60年の人生が、映るようでした。ともあれ、敬称抜きの名前で呼び合い、あっという間に、40年50年前にタイムスリップすることができるのも、同級生ならではです。何十年ぶりで会う人と話をしていて、昔の面影がやっと感じられた時に、時の流れを実感します。自分も同じように歳を重ねてきているのですが・・・。
そんなかけがえのない同級生と、かけがえのないひとときを過ごして、1ヶ月も経たない3月11日に、東日本大震災が我が故郷を襲いました。大津波は13人の尊い同級生の命を奪いました。同級生同士で結婚して夫婦で犠牲になった方もいます。学年毎の犠牲者の数は分かりませんが、我が学年の13人は、少なくはありません。あの時カラオケでプロ顔負けの喉を披露した奴、控え目ながらかいがいしくお世話役をしていた人、還暦青年よろしく夢を語った男。みんな元気で、これからも何回も同級会で顔を合わせていけると誰もが信じて疑わなかったはずです。
還暦は生まれてから60年経って、再び生まれ年の干支に還ることです。今どきの言葉で言えば、リセットする感じでしょうか。勿論、肉体的にも精神的にも、若い頃のようにはいきません。それでもこれまで好むと好まざるとにかかわらず、背負ってきた荷物の整理をするチャンスかもしれません。道元禅師は『永平広録』に「光陰は箭(や)の如く、人命は駐(とど)め難し、頭燃(ずねん)を救って学道せば、すなわち先仏の面目、曩祖(のうそ)の骨髄なり」とお示しです。月日は矢のように過ぎ去る。人の命も不変ではない。だから頭に火がついて燃えているのを消し止めるように、急ぎ勤めて、仏道を学び行じなければならない。このように命懸けで学ぶことが、仏として肝心なことであると、仰います。
60歳を過ぎれば、来た道のりの長きを思い、行く道のりの果てが見える頃かもしれません。薄くなった頭に火が燃えれば、熱さは半端じゃありません。待ったなしで払わなければなりません。燃えている火は、愚痴ったり嘆いたりしているしょうもない「お荷物」のことかもしれません。行く果てを思いながら、この1日この一瞬を大事に生きることです。13人の同級生は、そのことをまさに命懸けで教え残してくれました。
それでは又、2月11日よりお耳にかかりましょう。
【第867話】 「消えたニュース」 2012(平成24)年1月21日-31日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第867話です。
JR九州新幹線の全線開業が、昨年の3月12日だったと知る人は少ないかもしれません。少なくとも、東北の私たちにとっては、東日本大震災の翌日のニュースから消えたものはたくさんあったはずです。しかし、世の中では震災翌日にも、様々な行事が予定されていたり、事件も起きていたはずです。それらのほとんどは知られることなく、埋もれてしまいました。
実は私も3月12日に九州ならぬ四国に行かなければなりませんでした。それは曹洞宗四国管区教化センター主催の「禅をきく会」に講師としてお呼ばれしていたからです。12日の朝に飛行機で四国の松山市に向かうはずでした。勿論どうにもならない状況でした。11日の夜に、行けない旨の連絡はつきました。突然のことで主催者はたいへんだったはずです。何とか代役を立てて「禅をきく会」は、無事終えたと、後になって知らされました。このように、大震災のため思いもよらないような対応を迫られた方々は、たくさんいたはずです。
その四国教化センターから今年も「禅をきく会」を開催しますので、今度こそは是非お越し下さいとの連絡がありました。誘われるままに、「まけないタオル」を歌っている「歌う尼さん」こと、やなせななさんと1月14日・15日の両日、高松市と松山市で講師を勤めて参りました。テーマは「東日本大震災―涙を超えた想いを語る―」というものです。四国は大震災の直接的な被害はほとんどなく、それに因んだ催しもあまり行われていないようでした。事前に新聞で、昨年の「禅をきく会」には、大震災のために四国に来られなかった講師が今回勤めるという記事が紹介されていました。そういうこともあってか、会場ではほんとに熱心に、我が被災地の様子や被災者の想いについて、耳を傾けて下さいました。
圧巻は、やなせななさんが「まけないタオル」の歌を披露するミニコンサートを行ったのですが、そのアンコールでのことです。何と「まけないタオル」の歌にダンス振付がついたのです。松山市の「みかん一座」という子ども劇団の10数名が、お年玉で「まけないタオル」募金をしたそのタオルを持って、和尚さん方もステージに上がり、「まけないタオル」を一緒に歌い踊るというフィナーレでした。会場の参加者も手に手にタオルを持ち、歌って下さいました。それはまさに「まけないタオル」が狙いとするところです。被災地の方々がタオルで拭うべきは、泥や涙です。そして直接被災はしてなくて、遠くにいる人たちは、同じタオルを持って、一日も早い復興を願っていますよ、忘れませんよという思いを届けて下さっているのです。
昨年の3月12日以降、消えた出来事は山ほどあることでしょう。私が四国に行けなかったこともその通りです。しかし、今回四国に行くことができ、しかも「まけないタオル」のダンスメッセージをいただき、大いに励まされ、勇気づけられました。昨年消えてしまった分を、補って余りある「禅をきく会」に感謝です。
早く世の中が、タオルでよく直るようにという思いが伝わりました。
それでは又、2月1日よりお耳にかかりましょう
【第866話】 「アスリート」 2012(平成24)年1月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第866話です。
最近、運動選手とかスポーツ選手という代わりに、「アスリート」という呼び方がもてはやされています。英語で「競技者」を意味します。何となくかっこいい響きが受けているのでしょう。そして、最近のアスリートは本業の競技における活躍もさることながら、インタビューの受け答えが、かっこいいのです。
東日本大震災直後は、スポーツなんかやっている場合ではないという雰囲気がありました。しかし、アスリートは自分たちができるのは、競技で力の限りを尽くすことであり、その姿で被災された方を少しでも励ますこと。そう願って自らも奮い立たせていました。単に勝ちたいということではなく、自分たちのひたむきさが、震災で落ち込んでいる日本全体を元気にするんだという気概は、かっこ良すぎるほどです。
中でも極めつけは、箱根駅伝で優勝した東洋大学の柏原竜二選手です。「山の神」と称され国民が注目する中、期待に違わず、山登りの5区で自身の記録を29秒短縮する新記録で、4年連続の区間賞を獲得し、優勝の立役者となりました。そしてインタビューに答えて曰く「僕が苦しいのは1時間ちょっと。福島の人たちに比べたら全然苦しくなかった。走りで元気を与えられればほんとうにうれしい」。彼は福島県いわき市出身です。当然東京電力福島第1原発事故の影響に苦しむ人々が故郷にはいるのです。箱根の山をあのスピードで駆け上がるのに苦しくないわけはありません。箱根の難所を「1時間ちょっと」で走るために、どれだけ苦しい練習を積んできたか。自分も苦しんでいるからこそ、人の苦しみも分かる発言です。
それでも彼の言う「1時間ちょっと」という時間なら想像がつきます。原発事故は時間では語れるものではありません。何年も何十年もという歳月で語らなければならないという現実は、想像を絶しています。原発事故は人間のある種の欲望がもたらした人災ともいえるものです。福島から届いた便りには、「二重生活で経費が困窮」「家で作った野菜を嫁が食べない」「3月の進学進級時での学校選択に悩む」等、身近で切実な声があります。そして福島に残っている人たちは、激減していく子どもの数に、福島が消えて無くなるのではと将来を不安視しているといいます。今福島は、人類史上かつてないような想定外の状況におかれていることを、私たちは強く意識しなければなりません。
それなのに、もうひとり国民が注目する我が国のリーダーは、早々に収束宣言などを出して、アスリートの受け答えとは比べようもないほど、被災地の苦しみに思いを致していないのではないでしょうか。リーダーなら国民の苦しみを我が苦しみと捉え、アスリートに負けない、日本の明日をリードする真の明日リードたらんことを願うばかりです。
ここでご報告致します。12月のカンボジア・エコー募金は、176回×3円で528円でした。ありがとうございました。
それでは又、1月21日よりお耳にかかりましょう。
【第865話】 「辰年の達人」 2012(平成24)年1月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第865話です。
あけましておめでとうございます。
思い起こせば、昨年の正月は誰もが穏やかに過ごしていました。よもや東日本大震災が起こるとは夢にも思いませんでした。自然界の逆鱗に触れたかのような、大災害の傷は今も癒えません。そういえば「逆鱗」とは、龍の身体の一部で、喉の下にある一枚の逆さに生えた鱗(うろこ)のことだそうです。ここに人が触れると、龍が大いに怒るという伝説から、目上の人を激しく怒らせる意味になったということです。そして、今年は龍、辰年です。昨年あれだけのことがあったのだから、今年の龍にはおとなしくしてもらいたいというのが、万人の願うところでしょうか。
ご安心下さい。龍は仏法の守護神でもあります。インドや東南アジアでは、龍はナーガと呼ばれ、蛇の王者をあらわしています。寺院を始め、建物の至る所にナーガの彫り物が施されています。日本でも、本堂の中や仏具に龍の姿が見られます。龍神という水を司る神としてもお馴染みです。雨を降らせ豊作をもたらすめでたい動物とされています。勿論想像上の動物ではありますが、仏法を護るとか、水を護る存在であるという位置づけは、人々から畏敬の念をもたれているということでしょう。逆に言えば、仏法も水も人々にとってなくてはならないものである。いかなる時も、護っていかなければならない。そのために、人間とはかけ離れた力を龍に与えて、守護神としたのではないでしょうか。
しかし、「逆鱗」です。大いなる力を誇る龍とはいえ、逆さに生えた鱗に触れられたらたまりません。さてその「逆鱗」とは何でしょう。私たちは龍に仏法を護らせるだけで、自らは仏法を顧みないことがあります。さすがに正月3ガ日くらいは、「今年こそは」という殊勝な気持ちで過ごすかもしれません。しかし、あっという間に、漫然とした我がまま三昧の日送りをしがちです。何事もなければそれでもいいかもしれませんが、昨年の私たちはそんな日送りをどれだけ後悔したことでしょう。私たちの自分勝手な逆さまな心は、そのまま逆さに生えた鱗に通じ、「逆鱗に触れる」ことになります。元旦に誰もが特別で新しい1日と思ったように、それが、1カ月経とうが2カ月経とうが、「日々元旦」という気持ちを忘れずに、今為すべきことをしっかり行うことが仏法でのいうところです。2カ月後には3月11日がやってきます。きっと正月以上に特別な日と思うはずです。
「今年こそは」ではなく、日々「今日しかない」という強い気持ちで生きるなら、龍にも護られることでしょう。今為すべきことのために、時に人の役に立つ人であったり、時に元気に奮い立つ人であったり、辰年にあなたはどんな達人になりますか。先ずは、わがままな煩悩を断つことも大事です。
それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。
【第864話】 「おもかげ時間」 2011(平成23)年12月21日-31日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第864話です。
辞書にはありませんが、「日にち薬」という言葉は使われています。悲しいこと辛いこと苦しいことは、一日や二日で癒されるわけもなく、ある程度の日数が必要だということでしょう。今年一年を振り返る時、何をおいても東日本大震災を思わないわけにはいきません。ほんとうに悲しく辛い出来事でありました。これからもまだまだ苦しい日々を避けることはできないでしょう。時間がすべてを解決するとは言いませんが、季節が移ろうように、時が経てば心もちも何がしか変わることはあります。
今年は大震災以来、日にちの意識が違うような気がします。3月11日はどうしても命日であるという意識になってしまいます。亡くなって四十九日だ百か日だという思いを持って、その日を迎えました。その後も毎月11日という日は、月命日ということで、犠牲者のご遺骨にお参りする方が一段と多かったのです。
年が明けて1月4日は大震災からちょうど300日目にあたります。この間「あれから何日目」ということを、忘れずに過ごしてきたことでしょう。あの頃の笑うことさえ不謹慎のような重苦しさからは、幾分解放されてきています。「日にち薬」の効能が表れても不思議ではありません。時間の有り難さを今年ほど感じたことはないかもしれません。そんな思いでいる時、河北新報社が大震災に因んだ「ありがとうの詩(うた)」を募集していることを知りました。締め切り間際に応募したところ、図らずも460作品の中から「優秀作品50選」に選定されました。
それは『おもかげ時間』というタイトルの3番まである歌詞です。大切な人を失い、普通の生活が普通でなくなり、忘れ難い想い出の数々が流され、故郷の景色は変わり果ててしまいしました。あれから人々は茫然として、ただ面影を追う日々を送るしかありませんでした。しかし、泥にまみれた瓦礫が取り除かれた大地に立った時、自分の影がちゃんと大地に映っていることに感動しました。面影ではない本物の自分の影がちゃんと確認ができるのです。それは生きているという証でもあります。
無くなった人や物には、影は生じません。人の心に面影として思い起こすことができるだけです。大地の影は生きていればこそです。そう思えるのも、この300日余りの悲しく辛い日々を、面影と向き合いながら、時に涙し、時に励まされてきたからでしょう。時間は確実に流れました。有り難くも生きている実感を取り戻させてくれました。酒井大岳さんの言葉に「あせらずに悲しみ いそがずに苦しみ ゆっくりと『おかげさま』へ」というのがあります。今年の悲しみ苦しみをすべて流し去ることはできません。でも、年が明けたら少しずつ、「面影のおかげさま」と思えるようでありたいものです。みなさま良いお年をお迎え下さい。
それでは又、来年1月1日よりお耳にかかりましょう。
【第863話】 「まさかの友」 2011(平成23)年12月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第863話です。
カンボジアを始めて訪れたのは、19年前の1992年2月のことでした。まだカンボジア難民がタイの難民キャンプで何万人も生活している頃です。これから本格的に難民キャンプから本国カンボジアに帰還するという時期でした。首都プノンペンは戦争の傷跡が深く残り、活気はあるものの、埃っぽい印象でした。ゴミの山で裸の子どもと犬が戯れている光景を見て、生命力のたくましさにある種の感動を覚えたものでした。
それはSVAシャンティ国際ボランティア会のプノンペン事務所が開設されて間もない頃です。そして今年開設20周年を迎えるにあたり、11月25日に記念式典を開催するとの案内をいただき出席してきました。私にとっては、ちょうど10度目のカンボジア訪問となりました。毎回目に見えて街の様子が変わって、その発展ぶりに驚きます。しかしSVAなどのボランティア団体を必要とする困難な状況が、まだまだあることも事実です。
そんな中、カンボジアでのSVAの活動は高い評価をいただいています。それを裏付けるかのように、式典には160人もの参加者で溢れました。日本のカンボジア駐在大使やカンボジアの教育省や宗教省の大臣など、錚々たる方々が祝辞を述べられました。SVAは難民キャンプ時代から、一貫してカンボジアの教育支援を継続してきました。学校建設・絵本の印刷配布など、子どもたちの笑顔を見ることを最大の喜びとして活動してきました。ないない尽くしのカンボジアに、日本のみなさんの支援の心を届けてきたのです。
式典の2日後、私は3年前に母の追善供養として贈呈した母の名前の付いた小学校を再び訪れる機会をいただきました。ドップ・トノット・シズエ小学校では、その日がたまたま日曜日であったにもかかわらず、全校生徒が出迎えてくれました。毎朝7時に国旗を掲揚した後、子どもたちが交代で教室を掃除しているということで、校舎はきれいに保たれていました。ニョイン・シアラー校長先生は歓迎の挨拶の中で、東日本大震災のことに触れて下さいました。
「この度の大震災で、3年前に贈呈式にお出でいただいた早坂さんはじめ、みなさんの安否が確認できず、とても心配しておりました。無事で安心しました。私たちの村でも、僅かですがSVAを通じて、日本にお見舞いを贈りました。どうぞ困難を乗り越えて下さい」。そんな有り難い言葉をいただきました。3年前までは小学校すらなかったこの村の人々も、日本のことを思って下さっています。これまでSVAが困難に向かいつつも結んで来た縁がさらに太くなっているかのようでした。カンボジアの高僧マハー・コーサナンダ師の言葉に「まさかの友が真の友」というのがあります。まさかの大震災ではありましたが、まさかと思えるほどたくさんの真の友との出会いをもたらしてくれました。
ここでご報告致します。11月のカンボジア・エコー募金は、209回×3円で627円でした。ありがとうございました。
それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。
【第862話】 「竜の国」 2011(平成23)年12月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第862話です。
GNPは国民総生産量ですが、GNHは国民総幸福量だそうです。国民総生産量はその国の経済の大きさを測る尺度ですが、国民総幸福量は精神的な豊かさを重視した指標と言えます。経済大国日本のGNPは世界のトップクラスです。果たして幸福量のGNHはどうなのでしょうか。
先頃ブータン国王夫妻が来日して、ブータンのことが話題になりました。国民の約97パーセントが「幸せ」と回答している「幸福の国」として紹介されました。九州よりやや広い国に、70万人が住んでいる農業国。国民の多くは熱心なチベット仏教の信者です。医療や教育は無料で、たばこの持ち込みは禁じられている総禁煙国です。経済成長より国民の幸せを考えて、国民総幸福量GNHを提唱しています。
新婚旅行を兼ねて来日したワンチュク国王夫妻は、11月18日東日本大震災の被災地である福島県相馬市を訪れました。地元の小学校で子どもたちと親しく交流しました。その時、国王は子どもたちに「みなさんは竜が存在していると思いますか」と尋ねました。誰もが竜は架空の動物との思いから、否定的でした。しかし国王は「私は竜を見たことがある」という驚くべき発言。「竜というのはみなさんの中にある人格のことです。年を取って経験を積むほど竜は大きく強くなります」と語りかけました。
「ブータン」とは「竜の国」という意味だそうです。国旗にも国の紋章にも竜があしらわれています。竜は仏法の守護神であるからかもしれません。様々な魔物や障害・困難を竜の力で退け、多くの人に仏法を広めていきたいという願いの象徴ともいえます。国王が子どもたちに人格を竜に譬えました。それは、この度の大震災でみなさんはたいへんな状況に置かれている。元のように戻るまでには、何年もかかるかもしれない。原発の影響を受けている福島では、更に困難な生活を強いられている。君たちはその中でも成長していく。この困難を自分の中にある竜を育てる肥やしとして、大人になって欲しい。大きく強くなったその竜で、この日本を今以上に立て直してくれると信じている。そんな思いがあって「経験を積むほど竜は大きく強くなります」という言葉になったのではないでしょうか。
奇しくも、来年の干支は辰、竜の年です。今年もたらされた、とてつもない災難を、仏法の守護神の竜のように、大きく強い力で少しでも取り除けるように、一人ひとりが覚悟して取り組む年にしなければなりません。それは生産量を求める生き方だけでは、何も解決しないことは原発事故が証明しています。これまでの私たちが体の中で育ててきたのは、生産量が高ければ幸せであるという「竜」です。大震災で多くのものを失った今、生産量以外にもある幸せというものを護る竜を育てることを、来年の流(竜)行にしませんか。
それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。
【第861話】 「寄り添う」 2011(平成23)年11月21日-30日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第861話です。
大震災で被災した方々は、日々たいへんな思いをしていらっしゃいます。これからも生活していく上での現実的な問題に直面していかなければなりません。生きていく上で、避けては通れないことが山積しています。命は何とか助かったが、大切な人を失ったという喪失感。或いは家も土地も田畑もなくなって、これからどうして生きていけばいいのかという不安感。寒さに向かうからばかりではなく、心に吹く北風・隙間風が身に堪えないはずがありません。
そして、直接被災していない人もそのことは、分かっているつもりでいます。しかし、どのように手を差し伸べていいのか分からない、自分には何かをしてあげる力もないと思う人も多いことでしょう。そんな中で、「寄り添う」という言葉をよく聞くようになりました。「被災している人に直接何かできるわけではないが、辛さを理解しようという気持ちで、いつもあなたを忘れずにいますからね」ということなのでしょうか。
11月5日仙台市で、ノーベル平和賞を受賞しているチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世の講演会があり、お招きをいただき拝聴してきました。ダライ・ラマ14世の強いご意向で、大震災で犠牲になった方の慰霊と復興祈願を念じて、被災地を訪れて下さったとのことでした。ダライ・ラマ14世は、チベットの農家に生まれ、2歳の時に、ダライ・ラマ13世の生まれ変わりと認定されました。チベットでダライ・ラマは観音菩薩の化身だと信じられています。観音さまは慈悲の菩薩です。慈悲の「慈」は楽を与えることであり、「悲」は苦しみを除くことです。
ダライ・ラマ14世のお話は、まさに慈悲の心でした。「被災地のみなさんの深い悲しみと痛みを共有したい」「被災者に寄り添いたい」そんな内容の言葉を伝えていました。ダライ・ラマも私たちと一緒に痛みを感じ、悲しんでくれている、そう思うと少しは苦難の心も楽になった人も多かったはずです。
被災している方に、直接支援できることには限りがあります。しかし、何ができなくても、誰でもできることがあります。それは「寄り添う」という思いをずっと続けることです。続けることによって、何ができるかが見えてくることもあるでしょう。そしてダライ・ラマ14世も仰っていました。「苦しみを忘れようとするのではなく、苦しみを活用することだ」と。
「苦しい」は「苦(にが)い」とも読みます。「良薬口に苦し」ではありませんが、この大震災という苦しみを、良薬に転ずるためにも、寄り添うことを忘れず、寄り添われていることに対する感謝の気持ちも忘れたくないものです。
それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。
【第860話】 「1・2・3・4スタート」 2011(平成23)年11月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第860話です。
「普通のことが普通でなくなり、普通でないことが普通になった」。これは東日本大震災後にある人が言った言葉です。これまでにない異常なことを日々見たり聞いたりしていると、全くその通りと思ってしまします。そして今怖いのは、こういう時だからと言って、何もかも取り止めたり、縮小していると、それが当たり前という感覚で、日常化してしまうことです。今が特別に異常な時と思うことは大事です。それは今だけで、いつかは普通に戻さなければならないという意識を常に持つべきでしょう。
大震災発生時には停電になり、電話も不通になりましたが、一週間程だったので、10日に一度のこのテレホン法話は、何とか継続できました。勿論こんな時だからこそ、法話をする意義があるだろうから、途切れさせたくはないと願っていました。普通でない時に、できるだけ普通に振る舞うものがあってもいいはずだとの思いでした。実は毎年行っている「テレホン法話ライブ」も6月12日に開催する予定で、準備を進めていたところに大震災が起きました。さすがにそのライブは、予定通りに行うことは不可能でした。6月18日は大震災より百カ日目で、犠牲者の供養が連日行われていました。
やがて秋になり、多少は世の中が落ち着いてきました。おかげさまで延期していた「第5回テレホン法話ライブ」を10月30日に開催できました。例年通りに普通に開催したいとは言っても、この時期です。内容は当然の如く大震災に因んだものになりました。大震災復興支援ソングの『まけないタオル』を歌っている「歌う尼さん」ことやなせななさんがゲストです。山元町はじめ各被災地で、歌を歌って「まけないタオル」を被災しているみなさんにお配りしてきた様子の話には、みなさん涙ぐんでいました。歌うことでしかみなさんに寄り添えないけど、一緒に歌いましょうと、『ふるさと』と『まけないタオル』を合唱すると、みなさんは涙から笑顔に変わり、普通の表情を取り戻したかのようでした。
たまたまですが、10月30日は3月11日の大震災より234日目でした。それ以上の意味はありません。ただ2・3・4と数字が並ぶことに気づきました。それなら、ついでながら1を入れて、1・2・3・4としてみたくなりました。つまり、大震災から1234日目ということです。それは平成26年7月24日になります。大震災発生から約3年4カ月後です。このぐらいの期間で、普通のことを普通にできるまでに復興することは可能ではないでしょうか。そうしなければなりません。そのためには、「こんな時だから」と思うことはあっても、それを呑みこんで、普通の意識を呼び戻す努力は必要ではないでしょうか。来る平成26年7月24日には、新しい気持ちで1・2・3・4スタートと行きたいものですと、ライブの会場でみなさんに呼びかけたことでした。
ここでご報告致します。10月のカンボジア・エコー募金は、236回×3円で708円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。
【第859話】 「その一足」 2011(平成23)年11月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第859話です。
10月31日に世界人口が70億人に達しました。ここ20年程の間に20億人増え、40年後には93億人になり、21世紀末には100億人を超えるとか。片や、日本人の人口は、初めて減少したという昨年10月1日現在の国勢調査の確定結果が発表されました。日本人と外国人を分けた全く日本人だけの人口です。それによると、1億2535万人で5年間で37万人も減っているそうです。
さて、日本の中の我が山元町はどうかと言えば、当然の如く、人口減少の傾向です。特に今回の東日本大震災の影響は人口減少に拍車をかけた感があります。震災前は1万6700人程だった人口も、震災後は約2千人減っています。世帯数も5500戸から減って4900戸余りになってしましました。震災で亡くなった方が600人を超えていますので、それだけでもたいへんな数です。加えて、町内の家屋の4割に当たる約2200棟が全壊しました。半分は津波による流出です。集落のほとんどが流されて、そこに住むことができない状況のところもあります。駅も線路も無くなり、職場や学校に通う都合で、町を離れた方もいますので、明らかに町の人口は減っています。
大津波はありとあらゆるものを流してしましました。家屋敷という大きな財産から、その中にあった貴重品から日用品まで、その人だけの想い出の品など、ほんとうに一瞬にして波に呑み込まれてしまいました。ある人が言いました。「何がショックかと言って、故郷がなくなってしまったことが辛い。生まれ育ったところに立ってみても、すっかり景色が変わってしまい、どこにも故郷がないんだよ」。これまでの自分の人生が全部なくなってしまったかのような落胆ぶりでした。
人は限られた命を精一杯生きて、やがて死にます。しかし故郷はそのままの姿で、死んだ自分をやさしく包み眠らせてくれる、そう信じていました。それが、目の前で故郷がなくなる体験をしようとは、夢にも思わないことです。荒れ果てた故郷に人は住まず、捨ててゆくのでしょうか。
別の方が言いました。「今は町を離れているけれど、必ずこの町に帰って来たい。ここが私の故郷なんだから」。人口が減ろうが増えようが、「故郷はここだ」と今こそ思う時でしょう。故郷は動きません。ただ景色が変わってしまっただけです。先人が荒野を切り拓き、住みついて故郷を築いてきたように、これから私たちの歩く道が故郷になるのです。
世界人口の増加は、食糧問題・環境問題等おける課題を浮き彫りにします。人が減っていく故郷も前途多難です。私たちは単に故郷の一員と言うだけでなく、70億人の一人として、生きている今を迷わず歩くしかありません。「この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」(清沢哲夫)。
それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。