テレホン法話 一覧
【第808話】 啐啄同時(そったくどうじ) 2010(平成22)年6月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第808話です。
「鶯」の「う」は「草むら」、「くい」は「食う」、「す」は棲む処の「巣」を意味し、草むらに巣を造るところから「うぐいす」と名づけられたようです。別名「経読み鳥」とも言われています。「ホーホケキョ」という鳴き声に「法華経」というお経名が入っているからでしょう。そんな仏縁深い鳥だからでしょうか、徳本寺の境内でも、春先から良く鶯が鳴いています。
そして、この度初めて見ましたが、まさに草むらに鶯の巣と思われるものがありました。遠くから見ていると、巣に隠れるようにして、親鳥は卵を抱いています。ちょっと近づくと、親鳥は飛び立ってしまいます。巣の中を覗くと、きれいな水色の卵が二つと、孵(かえ)ったばかりの雛鳥が一羽いました。巣は結構大きくしっかりしたものでした。
5月に新潟県佐渡市では、天然記念物のトキの卵がカラス奪われて、自然界での34年ぶりの繁殖が危ぶまれているというニュースがありました。自然の営みは人間の思いに任せないところがたくさんあります。それでも、せっかく孵った雛鳥なら、なんとか無事に成長して欲しいと願うばかりです。そしてこんな禅の言葉を思います。
「啐啄同時(そったくどうじ)」です。「啐」は雛鳥が卵の中から殻をコツコツと叩くこといい、「啄」は親鳥がこれに応じて外から殻をつつくことをいいます。この啐と啄が同時でしかも同じところでなければ、卵の殻が破れて雛鳥が出てくることができません。どちらかが早すぎたり、遅すぎてもいけません。両者の息がぴったり合って、機縁が熟したときに、まともな雛鳥の誕生があるわけです。
そこからして、禅家では教えを求める弟子も命懸け、教えを授ける師匠も真剣でなければ、ほんとうの教育にはならないと説いています。これは一般の家庭・学校でも同じことでしょう。子どもと親、生徒と先生、どちらも真剣に向き合っていれば、「啐啄同時」でまともな関係が築けます。そうすれば何事があっても、全く動じない生き方ができると、徳本寺の「うぐいす嬢」は伝えています。
ここで、お知らせです。来る6月13日(日)午後2時より徳本寺におきまして、このテレホン法話800話を記念して、「第4回テレホン法話ライブ」を開催致します。楽しいマジックショーもあります。是非ご参加下さい。
それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。
【第807話】 「東司(とうす)」 2010(平成22)年5月21日-31日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第807話です。
「横浜」「カセットテープ」は、どちらもある言葉の別名ですが、お解りでしょうか。答は「トイレ」です。「横浜」は市外局番が「045」で、「オシッコ」と読めるからだそうです。「カセットテープ」は「録音する・音を入れる」ということで「おトイレ」となります。また外国ではトイレに行くことを「薔薇を摘みに行く」というそうです。ことほど左様に、トイレは別名や隠語の多さで知られています。
そして、禅寺ではトイレを「東司(とうす)」と呼んでいます。「東に司る」と書きます。禅寺の七堂伽藍の一つです。禅寺では法堂(はっとう)・仏殿(ぶつでん)・山門(さんもん)・庫院(くいん)・僧堂(そうどう)・浴室(よくしつ)・東司という七つのお堂が配置されています。どうして東司というかについては、諸説がありますが、東側に建てられることが多かったからという一説があります。いずれにしても、七堂伽藍に数えられるほど東司は重要な場所であるわけです。食事をする、風呂に入る、用を足す、すべてが修行の一環と捉えています。
一般生活においてもトイレはなくてはならない大事なところです。しかし「ご不浄」などという別名が示すように、いかにも汚い処と見られがちです。確かに我々の排泄物がお世話になる処ですから、それなりに見られても仕方がありません。逆に、どこよりも汚れやすいところであるが故に、いつも清潔にしておこうという心掛けが求められるところでもあります。ご飯を食べるとき、テーブルが汚れていたら、どんなに美味しい料理でも、味は半減するでしょう。同じように汚いトイレでは、気持ちよく用を足せないものです。どちらも生きる上で毎日向き合うところです。
そういうわけで、徳本寺においても、この度トイレの改修工事を行いました。数も増やし、広さもある程度確保しました。何より、「またあのトイレに入ってみたい」と思われるような造りにしてみました。便器は洋式ですが、他の造作は純和風です。木材をふんだんに使ってもらいました。木の香りがとてもさわやです。また、東司の守護神である烏芻沙魔明王(うすさまみょうおう)が祀られています。あらゆる不浄を焼き除き清浄にして下さる力を備えていらっしゃいます。憚(はばか)りながら、徳本寺のトイレで用を足せば、身も心も清らかになることでしょう。おっと、「憚り」もトイレの別名でしたね。
それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。
【第806話】 「モーニング・コール」 2010(平成22)年5月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第806話です。
私の中学・高校は汽車通学でした。朝6時に自転車で家を出て駅に向かうためには、5時には起床しなければなりません。しかし、目覚まし時計を使った記憶がありません。それでも、6年間は無遅刻無欠席で通い通しました。
私は決して勤勉でもなければ、早起きのために努力をしたわけでもありません。ただ、当時私には、全幅の信頼をおけるモーニング・コールがあったのです。それは母親です。毎朝5時になると、階段の下から名前を呼んで、起床を促す母親の声がするのです。目覚まし時計のベルなら、いくら鳴っても止めて、また寝てしまうということもあります。しかし、母親の声ともなると、手で止めるわけにもいかず、わざわざ自分のために早起きをして、声をかけてくれていると思うと、起きないわけにはいかなくなるものでした。
40年以上も経った今でも、あの時のモーニング・コールには、頭が下がります。母親の子どもに対する思いの深さを、あらためて感じます。どなたも親なれば、子どもに対する似たような情愛があろうかと存じます。『仏説父母恩重経』の中に、「己(おの)れ生きている間は、子の身に代(かわ)ちんことを念(おも)い、己れ死に去りて後は、子の身を護らんことを願う」とあります。親は生きている限り、自分の身を賭してでも子ども第一に思い、死んでも尚、子どもを護りたいと願うというものです。
ある本にあった言葉です。「努力しないで手に入るものなど 親から注がれる愛情ぐらいのものです」。なるほど、親は無条件に、無心になって、子どもに愛情を注ぎます。当然の如く、親の愛を受けるために、努力する子どもなどいません。私もそうでした。
5月は「母の日」があり、たまたま12日は私の母の誕生日でもあります。生きていれば81歳を迎えたはずなのですが・・・。親が生きている時、努力もしないで親の愛情を受けてきました。親を亡くして、どんな努力をしてその恩に報いたらいいのかと思った時、ささやかですが、毎朝両親のお墓に線香を手向けてお参りをしようと決め、現在まで実行しています。私から亡き両親へのモーニング・コールのつもりで・・・。
ここでご報告致します。4月のカンボジアエコー募金は、77回×3円で231円でした。ありがとうございました。
それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。
【第805話】 「ノートを取る」 2010(平成22)年5月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第805話です。
「とる」という言葉には様々な意味があります。漢字も手元の辞書によると、27種類もあります。「手に取る」から「天下を取る」まで、実に広範囲です。調べて記録するという意味で、「ノートを取る」という言い方もあります。そのノートの取り方で興味深い話をお檀家さんの70代半ばの男性から聞きました。
その方の小学生時代のこと。当時まっ白い紙のノートなど誰も持っていなくて、新聞紙を切って綴じたものをノート代わりに使っていました。黒い鉛筆で書いたのでは字が見えないので、赤い鉛筆で書いたそうです。6年生の時たまたま、地元出身でハワイに渡って成功した人が里帰りをした折に、6年生全員にノートをプレゼントして下さいました。生まれて初めて手にするまっ白いページのノートです。誰もが有り難くて、もったいなくて、とてもそのノートに字を書く気にはなれなかったそうです。
今から60年以上も前の、戦前の話ですが、似たような話は今もカンボジアにはあります。今から18年前に私がカンボジアに行った時、粗末な校舎で授業を受けていた子どもたちには、ノートも鉛筆もなく、板状の石の「石盤」にチョークで文字を書いていました。一杯になったら、消してまた書く。当然記録には残りません。「ノートを取る」という表現は当たらないのです。
それから何度かカンボジアを訪れ、学校の子どもたちにノートや鉛筆をプレゼントする機会がありました。みんなうれしそうに喜んでくれました。そのご縁が続いて現在は、カンボジアの子どもたちに絵本を贈るお手伝いをしています。この間、ハック・ソイ・トライ君という15歳の少年から写真入りの礼状が届きました。15歳ですが小学校5年生で、8人家族。本を読むのが大好きで、週に1回図書館に通っているそうです。将来は運転手になりたいという夢まで書いてありました。
白い紙に鉛筆で書かれた現地の言葉は読めませんが、日本語訳が添えられたその手紙には、遠く離れても心を伝えられる、白い紙と文字の有り難さが滲み出ていました。ノートを取ることによって、字を覚え言葉を覚えられるようになります。ノートを取るとは、自分の未来を描くことにも繋がるわけです。5月は「子どもの日」があります。世界の困っている子どもたちの明日ために、私たちができることを進んで行いたいものです。決して、よその国のことは関係ないなどと、ノーと言わないようにしましょう。
それでは又、5月11日よりお耳にかかりましょう。
【第804話】 「春の椿事」 2010(平成22)年4月21日-30日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第804話です。
「春の椿事」とも言うべきでしょうか。4月17日に東北地方は季節外れの雪に見舞われました。仙台では13日に桜の開花宣言がなされたばかりでした。「開花宣言後」の積雪は30年ぶりだそうです。徳本寺の周辺も5〜6センチは積もりました。桜ならぬ白い雪の花が咲きました。ちょうど土曜日でしたので、何件かご法事がありました。案の定、遠くから出席なさる方の中には、時間に遅れた人もいらっしゃいました。車のタイヤを夏タイヤに交換したばかりだったのに、また冬タイヤに履き替えてきたなどという方もいたほどです。
ご法事などの人寄せの時は、お天気が良いに越したことはありません。だからよく、お天気が良い時の集まりでは、「お集まりのみなさんの日頃のご精進がよろしいので、このような晴天に恵まれまして何よりです」などと挨拶を致します。その論理で言えば、この間の雪のような時は「みなさんの日頃のご精進が悪いので、このような悪天候になったのでしょうか」と、挨拶しなければならないでしょうか。まさか、そんなことを言う人はいないでしょう。
むしろ、悪天候の時でもお墓参りをする方こそ、ほんとうに精進が良いというべきです。ぽかぽか陽気の時に、お墓参りをするのはたやすいことで、誰でもできます。雪が降ろうが、寒かろうが、亡き人を思えば、何としても今日お参りをしなければならないと決心して、実行できる人は、日頃よほど精進しているからです。
「精進」とは、簡単に言えば、一所懸命に努力をするということです。元々は仏教用語で、人間の苦悩を滅するために勇敢に立ち向かってゆく正しい努力を指します。「精進」の原語である「ヴィーリヤ」には、「雄々しさ」「勇気」「力」などの意味があります。そこから、「精進」とは、心を励まして仏道に進むことと言えます。
日頃から、信心を深めご先祖さまを敬っているからこそ、雪が降ってでも勇気を持ってお参りに行こうという気持ちになれるのでしょう。「春の椿事」も、良い方に気持ちをチェンジすれば、心の花の「開花宣言」が、仏さまより下されるはずです。
それでは又、5月1日よりお耳にかかりましょう。
【第803話】 「裸電球」 2010(平成22)年4月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第803話です。
「裸電球」という言葉は、間もなく死語になるかもしれません。哀愁漂うもの悲しさをイメージさせ、蛍光灯よりもぬくもりを感じ、より自然に近い明るさではないでしょか。しかし、その電球、正式には白熱電球というそうですが、消え行く運命にあります。
日本で初めて白熱電球を製造した東芝が、3月17日に120年の歴史に幕を下ろして、製造を中止しました。白熱電球は東芝の創業者のひとりである藤岡市助氏が1890年(明治23年)に実用化しました。暗闇にまばゆく光る電球の明るさに、人々は「世界から夜が消えた」と歓喜の声をあげたといわれています。
しかし、世を照らし、人々の暮らしを支えてきたこの白熱電球も、地球温暖化に対しては、決して好ましい存在ではなくなったというのです。消費電力が大きいためです。事実、政府は2012年度までに白熱電球の製造をやめるよう各メーカーに要請しています。
東芝も今後は、省エネ性が高く、寿命も長い電球型蛍光灯や発光ダイオード(LED)電球に生産を移すことになります。白熱電球をやめLEDなどに置き換えることにより、二酸化炭素の排出量は年間約43万トンの削減効果が見込まれるといいます。今後私たちとしても、省エネ性が高い電球を使っているからといって、点けっ放しでいるようなことのないように、地球温暖化に心しなければなりません。
しかし、点けっ放しにしておいた方がいい灯りもあります。それは仏さまの教えという灯りです。心に闇を抱え、進む先が見えなくなるときがあります。そんな時、お寺の仏像や、ご先祖さまのお墓の前で静かに手を合わせると、不思議なことに気持ちが楽になり、新たに歩く意欲が生まれます。それは、仏さまの灯りは裸電球のように、余計な傘を被っていないので、こちらも素直になれるのかもしれません。そうです。仏さまの灯りは、私たちの心をこそ温暖化にしてくれます。
ここでご報告致します。3月のカンボジアエコー募金は、133回×3円で399円でした。ありがとうございました。
それでは又、4月21日よりお耳にかかりましょう。
【第802話】 「破草鞋(はそうあい)」 2010(平成22)年4月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第802話です。
年度替りは、学校・会社などでその環境が大きく変わるときです。斯く言う私も大きな変化がありました。長年お世話になった曹洞宗東北管区教化センターをこの3月31日をもって、任期満了につき退任致しました。主監という役を3年近く勤め、その後、統監という責任者として7年間その役にありました。10年もの長きに亘って教化センターの運営に携わらせていただきました。
この間、徳本寺そして徳泉寺というふたつの寺の住職でもありました。いわゆる「二足の草鞋(わらじ)」を履いていたことになります。教化センターの統監も住職も責任の重い役で、そうそう代理を立てることができません。しかも予定の立たない、待ったなしの仕事が飛び込んできます。身体はひとつ、役はふたつ、別々のところで同時にふたつの仕事をこなす事は不可能なのに、何とかしなければならない。その対応の難しさに、何度も辛い思いをしました。勿論、関係各位にも、多大なご迷惑をおかけしたことと、改めてお詫びを申し上げます。同時にみなさまのおかげで、どうにか「二足の草鞋」を履きこなすことができました。
さて、草鞋といえば、禅語に「破草鞋(はそうあい)」という言葉があります。「草鞋(そうあい)」とは「わらじ」のことです。「破草鞋」即ち「草鞋を破る」ということです。草鞋をすり切らして、長旅をする意味で、禅僧が本物の教えを求めて、諸国を行脚して、修行をすることをいいます。
この10年二足の草鞋を履いてきましたが、まだまだすり切れるまでには至っていませんでした。今一足だけの草鞋になって思うことは、これまでのご縁や経験を活かして、今度こそ、すり切れるまで履いて、新たな気持ちで、成すべき道を進んで行こうということです。
しかし、「破草鞋」は「破れ草鞋」とも読みます。履き古されてすり切れ、捨てられて誰にも見向きもされなくなった草鞋という意味にもとれます。いわゆる「無一物」の境涯を表わすものです。これまでの経験や学んだわずかばかりのことなどにこだわっていないで、捨て切って、一雲水の如く、雲の行くまま、水の流れるままに飄々と生きてゆく、それこそが禅僧たる生き方だということです。果たして、草鞋を破るほどの生き方か、破れた草鞋のような生き方か、その結論は死ぬまで終わらじ!?
それでは又、4月11日よりお耳にかかりましょう。
【第801話】 「事務室の本尊様」 2010(平成22)年3月21日-31日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第801話です。
コンピューターが発明されたのは、今から64年前の1946年で、アメリカにおいてでした。現在ではパソコンとして個人個人が所有するまでになりました。当たり前のことですが、どんなに高いパソコンを購入しても、機械があるだけではその能力を十分に発揮できません。機械に何をして欲しいかを考え、そのためのデータを用意する必要があります。データがなければ、機械は仕事のしようがありません。そしてデータは、一つひとつ手作業で打ち込んでいくことになります。
徳本寺においても、平成10年にパソコンを導入以来、檀家さんの名簿や過去帳を整理しながら、一件一件打ち込んできました。文書の量も相当になります。わずか2〜30センチ四方で厚さ数センチのパソコンの中に、夥しいデータが貯蔵されていることになります。使い方によっては、極めて便利で、なくてはならない存在になってきました。本堂にいる本尊様がお釈迦様なら、事務室の本尊様はパソコン様と言ってもいいくらいです。
ところが、この事務室の本尊様が、この間突然機嫌が悪くなりました。全然目を覚ましてくれないのです。いつも手を合わせてから、使用していなかったことを後悔しましたが、後の祭りです。パソコンが機能しなければ、どんなにデータが入っていても、何の役にも立ちません。データは腐らないかもしれませんが、故障の度合いによっては、すべて失われてしまうこともあります。これまでコツコツと打ち込んできた努力は水の泡です。
脳トレーニングで有名になった川島隆太さんは「楽したくて 努力してきました」と言っていますが、私もパソコンに関しては、楽したくてこれまで努力してきたと自負しています。その努力が間違いとは言いませんが、どれだけ自分の能力を高めるためになったかと言えば疑問です。パソコンの能力を高め、それに頼ろうとする自分の依頼心を高めてきたことの方が、大きいような気がします。
困ったときの神頼みよろしく、自分の都合だけで手を合わせ、神仏に願いを依頼しますが、それだけで終わっては何にもなりません。願いに合うような、自分なりの努力をしなければ、願いは叶いません。事務室の本尊様も言っています。「ほんとうに楽をしたかったら、機械に覚えさせるだけでなく、自分の頭に記憶させる努力も必要だ。故障されて目の前が真っ暗くなる前に、機械だって万能ではないと、苦楽(暗く)を共にする覚悟があれば、明るく暮らせるよ」と。
それでは又、4月1日よりお耳にかかりましょう。
【第800話】 「けいこは嘘をつかない」 2010(平成22)年3月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第800話です。
大相撲で昨年の年間最多勝に輝いたのは、86勝を挙げた横綱白鵬です。以下年間勝利数の上位は6位まで外国人力士が占めています。やっと7位に日本人力士が顔を出します。大関魁皇です。6場所すべて8勝7敗で48勝42敗という成績でした。
そしてこの37歳という幕内最年長の力士は、先場所幕内最多となる808勝という金字塔を打ち立てました。22年前、15歳で大相撲に入門。5年後に新入幕を果たし、以来17年間99場所幕内に在位しています。優勝5回、大関在位57場所ながら、カド番回数も12回と、決して順調な土俵人生ではありません。一番でも多く勝つという記録は、長く続けなければ達成できません。様々な逆境に遭っても、諦めず、挫けずに、挑み続けなければ、記録はついてきません。勿論、負けが続けば、相撲を取りたいと思っても、許されないこともあります。そこは勝負の世界の厳しさです。
魁皇自身はこう話しています。「記録を意識してやっているわけじゃない。あんまりこだわりはない。長く現役をやれているのは、けいこをして、ケガをしたら治してとやってきたから」。徹底的にけいこをし、よく体調を管理して、土俵に上がることを最優先にしてきた精進の証が808勝に結びついたのでしょう。なるほど、けいこは嘘をつかないといいますが、ほんとうですね。
さて、魁皇の808勝と比較するのも、おこがましい話ですが、魁皇が初土俵を踏んだと同じ年から私が担当したこのテレホン法話も、今回22年かけて、800話を迎えました。10日毎に3分間の法話をしてきての結果です。おかげさまで体調を維持できたので、休まず続けられました。何より、毎回必ず、どなたかが聴いて下さっているという事実に励まされて今日まできました。改めて御礼申し上げます。テレホン法話に特別なけいこはいりませんが、けいこは嘘をつかないことを信じて、私はせめて嘘八百を並べないように、今後ともテレホン法話に精進して参りますので、よろしくお聴き下さい。
ここでご報告致します。2月のカンボジアエコー募金は、57回×3円で171円でした。ありがとうございました。
それでは又、3月21日よりお耳にかかりましょう。
【第799話】 「みちしるべ」 2010(平成22)年3月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第799話です。
平成6年12月、当時11歳になる少年は、突然の事故で和尚さんであるお父さんを亡くしました。私もご縁があり、葬儀に参列致しました。彼の4人の子どもさんたちのお別れの言葉が忘れられません。お姉さんたちは立派にお別れを言いました。しかし、11歳の少年は悲しみを堪えきれず、涙ながらに「お父さんさようなら」と、やっと一言言っただけでした。
少年はお父さんが亡くなる前に、年が明けたらお父さんの弟子になって、和尚さんになると約束していたのです。それが叶わなかった無念さと、お父さん亡き後、自分が後を継いでいかなければならないという健気な思いがあったのでしょう。
あれから16年。その少年との思いがけない出会いがありました。少年は昨年から大本山總持寺で修行に励んでいたのです。そして本山で行われる布教弁論大会において、総裁賞という第一席に輝く成績を修めました。その論文が本山の月刊誌に写真入りで掲載され、誌面でではありますが成長した少年に再会したというわけです。
その演題は「みちしるべ」というものです。道を示してくれるはずの父を亡くし、迷いながら学生時代を過ごしたと言います。それでも支えは、父に教わったバスケットボールで、本気で練習に励みました。様々な大会で結果も残し、個人としての評価もいただき、「自分は努力をし懸命に生きている」という実感を抱くようになりました。本山に行ってもそのようにできると思っていました。しかし、修行を始めて間もなく、1ヶ月の入院を余儀なくされました。
幼い頃に父を亡くし、怪我や手術を繰り返し、なんという不幸な人生なんだと落ち込んでいる時、お見舞いに来て下さったある住職さんに言われました。「君は恵まれている。君の帰りを待っている人がいる。それ以上に大切なことがあるのかな?」。その言葉で自分の思いが一変しました。自分なりに必死に生きてきたつもりでいたが、家族や周りのお寺さんそして何よりバスケットの縁も作ってくれた亡き父にも、ずっと自分は支えられていたのだと気付いたのです。今もなお私を導いてくれている父のように、私もいつの日にか誰かの「みちしるべ」となるよう仏道を歩んでいきます、と結んでありました。
16年前に流した少年の涙こそ、今日に至る「みちしるべ」だったのではないでしょうか。今涙は乾き、「お父さんさようなら」という言葉は、「お父さんありがとう」に変わっているような気がします。今年はそのお父さんの17回忌。よい供養になることでしょう。
それでは又、3月11日よりお耳にかかりましょう。