テレホン法話 一覧

【第1048話】 「仏の神力」 2017(平成29)年2月1日-10日

1048.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1048話です。
 大相撲の横綱は、オリンピックで金メダルリストになるよりより難しいと言われます。夏季オリンピックの日本人金メダリスト第1号は、アムステルダム・オリンピックでの織田幹雄選手。それから88年を経て、昨年のリオ・オリンピックまで95人います。そして、大相撲の横綱は江戸時代以降72人だけで、しかも日本人は66人です。
 稀勢の里が大相撲初場所で初優勝を飾り、横綱に昇進しました。72人目の横綱ですが、日本人としては19年ぶりというということで、一層の注目を集めました。思えばちょうど一年前、琴奨菊が日本人としては10年ぶりの優勝を果たして、日本中が湧きました。やはり国技とまで言われる大相撲ですから、日本人に活躍して欲しいというのは、偽らざる心情でしょう。
 さて、横綱は成績が良いだけでなれるわけではありません。そこが他のスポーツと一線を画します。勿論「2場所連続優勝もしくはそれに準ずる成績」という高い実力は求められます。しかし、単なるチャンピオンではありません。「品格、力量抜群」でなければ、「推挙」されません。「横綱」は元々、綱そのものを指しました。白麻で編んだ太い注連縄(しめなわ)です。注連縄を張るところは当然神様のいるところです。その昔大相撲には横綱という地位はなく、大関の中で品格・力量が抜群の者に与えられた綱であったそうです。番付に横綱と銘記されたのは、明治23年のことです。
 横綱を張るものは神の依り代といわれ、神の域の存在です。神業を発揮するが如くの強さがあり、神の如く万人から崇められるほどの尊さがなければならないということでしょう。単なるチャンピオンや金メダリストであれば、メダルをかじったりして、喜びを表す選手もいますが、勝敗以前に土俵内外における真摯な姿勢が求められるのも大相撲です。
 「横綱の名に恥じぬよう、精進いたします」と、稀勢の里は横綱昇進伝達式の時、口上を述べました。誰にも分かりやすい言葉でしたが、その通り実行するのは誰もができるものではないでしょう。「横綱の名に恥じぬ」とは、横綱という綱の意味が分かって、神の域を汚すことのないように精進するという、これ以上にない決意表明です。
 稀勢の里という四股名(しこな)は、親方の元横綱隆の里が、大本山永平寺の秦慧玉禅師から授かった「稀(まれ)なる勢いを作(な)す」という言葉を温めていて、これぞという弟子に付けたということを知りました。大本山の禅師といえば、我々にとっては横綱のような存在です。稀勢の里の横綱は、仏と神を結ぶ太い綱とも言えるでしょうか。「舎利礼文」というお経に、「仏の神力を以って衆生を利益せん」とあります。「仏の神通力で人々を悟りに導く」ということでしょうが、稀勢の里には、益々勢いをつけて、本来の相撲の魅力を人々に示してほしいものです。
 それでは又、2月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1047話】 「四六時中」 2017(平成29)年1月21日-31日

1047.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1047話です。
 全くの偶然でしょうが、阪神・淡路大震災は1995(平成7)年1月17日午前5時46分に発生。東日本大震災は2011(平成23)年3月11日午後2時46分に発生。どちらも46分という時刻です。阪神・淡路大震災では、6,434人が亡くなり、東日本大震災では、15,893人が亡くなっています。そして、犠牲になられた方にとって、今年は23回忌と7回忌に当たります。
 1月17日発生時刻に、兵庫県内各地で追悼行事が行われました。神戸市中央区の東遊園地では、約8千本の竹灯籠で形作られた「1995 光 1.17」の文字が暗闇に浮かび上がりました。「被災者の心に光が差すように」との願いが込められたのです。震災から22年の歳月は、光という文字だけではないものも浮かび上がらせます。兵庫県内の災害復興住宅で暮らす人たちの高齢化率は、52.2パーセント。神戸市では、震災の経験がない市職員が過半数を占め、震災の教訓の継承が課題となっているそうです。
 丸22年ですが仏教の供養事では、亡くなられた方は、23回忌に当たります。23回忌は「思実忌」ともいいます。「思いが実る」と書きます。亡くなった方は、何年経とうが亡くなった時のままの年齢です。私たちは確実に齢を重ねてきました。そして亡き人に向かって、生きていれば何歳になったとか、元気でいれば今頃何をしているだろうなどという思いを届けてきたことでしょう。うれしいにつけ悲しいにつけ、忘れることなく思い続けてきたことは、実を結ぶはずです。あなたが還って来ないことは、何とか納得できた。これからはあなたの分までしっかり生きて、震災のことを伝えていきますと言える生き方こそが、実を結んだ姿ではないでしょうか。
 一方東日本大震災の犠牲者は、この3月11日に7回忌を迎えます。7回忌の別名は「休広忌」です。「休む・広い」と書きます。休むという字には、安心するという意味が含まれます。手紙の末尾に「御休心下さい」と書く時がそうです。私たちが亡き人を思うように、亡き人も私たちを思っています。私たちがしっかり生きていないと、仏さまも心配で「浮かばれない」いわゆる成仏できないということです。私たちが安心した生活ができていれば、仏さまも安心できるというわけです。震災から丸6年が過ぎようとして、多くの方が新しい生活を営み、安らかな日常を取り戻しつつあることにおいては、まさに休広忌といえます。
 さて、10年後には、阪神・淡路では33回忌、東日本では17回忌という節目の供養が、また巡り合います。ふたつの震災が46分という時刻の因縁をいただいているのなら、四六時中震災を忘れず伝え、四六時中亡き人を思い供養し続けて、これから10年また精進致しましょう。
 ここでお知らせ致します。テレホン法話の千話を記念して、テレホン法話集『千話一話―3.11その先へ』(定価千円)を発売中です。千人の人が描かれた錦絵のような表紙が評判です。書店もしくは徳本寺でお求めください。徳本寺にはFAXにてお申込みください。0223-38-1495です。
 それでは又、2月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1046話】 「小鳥の一滴」 2017(平成29)年1月11日-20日

1046.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1046話です。
 全国から届いた年賀状には、トリ年らしく、「羽ばたく」「飛躍」などの言葉が、まさに飛び交っています。さて、お経に出てくる興味深い鳥をご紹介します。「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」にあるお話です。
 ある時、たくさんの動物が棲む山が火事になりました。動物たちは力を合わせて火を消そうとしました。しかし、燃え盛る火の前に、動物たちは火を消すことを諦めて、山から逃げ出します。焼き尽くされていく山を見て呆然としていましたが、仲間の小鳥がいないことに気づきました。逃げ遅れたのかと心配になりました。すると燃えている山の上の方を、小鳥が何度も行ったり来たりしているのが見えました。
 小鳥は何をやっているのだろう。様子を見ていると、小鳥は近くの池に飛び込み、ずぶ濡れになった体で舞い上がり、巨大な炎の上で、翼についたわずかばかりの水滴を落としているのです。小鳥の体です。いくらずぶ濡れになったとしても、現場に辿り着くまでにも、水は乾いたり飛んだりしてしまいます。消火活動に充てられる水は、それこそ雀の涙程度でしょう。
 動物たちは小鳥に言いました。「馬鹿なこと、無駄なことはやめなさい。あなたの小さな翼から落ちる水滴で、あの大きな炎を消せるわけはないでしょう」。煙と炎で真っ黒になった小鳥は言います。「私が運ぶ水滴で、山火事を消せないのは、十分承知です。私のやっていることは、馬鹿なこと、無駄なことかもしれませんが、この火事を見て、何もしないではいられないのです。消すことは出来なくても、消さなければという自分の想いに正直でありたいのです」。その時、これを見ていた天の帝は、小鳥の真摯な想いに打たれ、大雨を降らし山火事を鎮めたという話です。
 「微力だけど無力ではない」と言った人がいます。わずかな力でも、たくさん集まれば、そして諦めずに続けることが出来れば、きっと何がしかのことは出来ます。全く力を出さない、動かないということであれば、何もできないし、誰も気づかず、手を差し伸べてもくれません。東日本大震災から丸6年が過ぎようとする今年、亡くなった方は7回忌という節目を迎える年です。
 あの時、被災地は無力になりかけましたが、誰もが思いとどまって、微力だけどもできる限りのことは、やっていこうと心を奮い立たせました。それを見て全国の多くの方が、被災地に力を尽くして下さいました。まだ、遥に羽ばたくことも、雄々しく飛躍した姿を見せることもできませんが、羽ばたこう、飛躍しようという鳥のような想いは持ち続けていきます。どうか飛ぶ鳥を落とさず見守って下さい。
 ここでお知らせ致します。12月のカンボジア・エコー募金は、184回×3円で554円でした。ありがとうございました。
                  
 それでは又、1月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1045話】 「鳥瞰の年」 2017(平成29)年1月1日-10日

1045_1.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1045話です。
 あけましておめでとうございます。
 今年はトリ年ですが、鳥瞰(ちょうかん)とか鳥瞰図という言葉があります。鳥が空から地上を見下ろすように、高い所から広い範囲を眺めること、またはそうして描かれた図を言います。俯瞰する或いは俯瞰図とも言います。
 地上のちまちまとした人や建物も、上から見下ろせば、何だこんなことで悩んでいたのかと思われるような風景に出会えるかもしれません。その意味では、私はもし人間以外に生まれ変われるものなら鳥に憧れます。大陸も大海原も国境も関係なく、自由に飛べるたら素晴らしいことでしょうが、それは初夢の域でしょうか。
 さて、自転車冒険家の小口良平(おぐちりょうへい)さんという36歳の青年がいます。彼は平成19年(2007)3月から約1年かけて、自転車で日本一周をしました。その後、自分の力だけで移動できる自転車の魅力に惹かれ、自分のペースで世界を見てみようと志します。そして平成21年(2009)3月〜昨年10月までの7年7カ月をかけて、自転車ひとつでの世界一周を果たします。走破した国は157ヵ国、距離にして約16万キロに及びます。訪問国数は日本人最多で、世界でも第3位の記録だそうです。
 約10キロの荷物を積み、宿泊は民家や公共機関の敷地内でのテント泊。自転車パンクの回数は110回。タイヤ交換は20本。チェーン交換は28本。持参した本の総数は343冊。何を聞いても我々の想像をはるかに超えたものでしょう。
 意外なことは、世界のどこへ行っても、3つの言葉しか使っていないということです。「こんにちは」「ありがとう」「おいしい」という単語です。こんにちはで興味を引き、ありがとうで自分の心、おいしいで相手の心を開くというコミュニケ―ションのとり方です。あとは身振り手振りで十分に通用したそうです。
 私たちはどう頑張っても鳥にはなれません。ですから自由に鳥瞰することも簡単ではありません。しかし、小口さんは言います。3つの言葉だけでも話そうとすれば意外に伝わるし、海外に出れば、日本のことを俯瞰できる、と。なるほど世界196ヵ国のうち、157ヵ国の国境を越えた実績は、鳥のような存在かもしれません。日本人の自分とは、言葉も食べ物も肌の色も違うものだらけの中で、鳥瞰できる志がなければ、その場であっという間に埋もれてしまうかもしれません。それを救ってくれたのは、魔法の3つの言葉です。
 私たちもこの一年、せめて自分の家庭や学校・職場を鳥瞰して、自分と違う存在を認めましょう。そして「こんにちは」「ありがとう」「おいしい」の魔法使いになれば、お互い心を開けます。家庭崩壊とか、いじめ・過重労働を防ぐことが出来るのではないでしょうか。開け放たれた心から、笑顔が飛び立ちます。                  
それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1044話】 「逆境のトンネル」 2016(平成28)年12月21日-31日

1044_2.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1044話です。
 明かりが灯る・水が出る・離れても話ができるという日常生活が戻るたび、当たり前の有り難さを感じました。東日本大震災でライフラインがズタズタにされた当初の頃です。そして、待ちに待ったライフラインのオオトリともいえる電車の登場です。
 12月10日わが町に、運行再開したJR常磐線の電車が雄姿を現しました。東日本大震災前は町内の海沿いを走っていた常磐線。大津波で線路や駅舎が甚大な被害を受け、内陸移設を余儀なくされました。二つの駅を含め、最大約1キロメートル内陸に移しました。移設区間は14.6キロメートルにおよび、5年9カ月ぶりの再開です。それでも当初の予定より、3カ月以上も早まりました。復興への大きな弾みになると期待されます。
 この工事の象徴的なことがふたつあります。線路の約4割が高架橋になっていることと、ふたつのトンネルがあることです。高架橋は津波に備えてのことと、通常なら土盛りで対応する地上2〜3メートルの場所も、追加の土壌改良工事などで工期が遅れないようにという配慮のためです。また、戸花山という丘陵地に全長604メートルのトンネルを通しました。標高はわずか30メートル余りなので、普通なら山肌を切り崩して線路を敷きますが、一帯には平安時代の大規模な遺跡があって発掘調査が必要です。それを待てば完成が1年も遅れることになります。斜面には住民が植えた桜もあります。地形を変えずに済むように、あえてトンネル掘削に挑んだというのです。
 再開翌日、電車に乗る機会がありました。新しい駅は標高10メートルを超すそうです。そこから、海も望めますが、広がる田んぼと新しい家屋の屋根の輝きは、ここまで津波が来たとは信じられないほどでした。颯爽(さっそう)と走る車窓からの景色に、これからこの町は新しく生まれ変わるぞという予感さえしました。
 町内初の鉄道トンネルに差し掛かると、電車はパーンと警笛を鳴らしました。それは電車運転上のルールでもあるようですが、私には電車がこの町を輝かしい未来に導いてゆくよと宣言している声にも聞こえました。東日本大震災という想定外の出来事に、誰もが明日も見えず、恐怖と不安におののきました。嫌というほどの逆境を味わいました。しかし今、真新しい電車に乗って、やっと大震災という「長いトンネル」を抜け出たような気がしました。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」ではなく、「逆境の長いトンネルを抜けると、幸せ行き故郷(ぐに)であった」。被災地の故郷・くにが幸せに向かって行きますようにと願いながら、どなたさまも来る年が、幸多いことをお念じ申し上げます。
 それでは又、来年1月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1043話】 「常に喪中」 2016(平成28)年12月11日-20日

1043.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1043話です。
 「忌み嫌う」という言葉は、ひどく嫌がるということです。「忌み」という字は不吉・けがらわしいということで、葬儀の忌中もまさにそれを表します。昔、人が死ぬと近親者は故人から死の穢(けが)れを移されると考えられていました。そのため、穢れを浄化して世間への伝染を防ぐため、一定期間隔離して謹慎生活をしたと言われます。
 さてこの時期、喪中につき年頭の挨拶を失礼致しますというはがきが届きます。また、喪中についての問い合わせもよくあります。「今年こういう間柄の人が亡くなったのですが、私は喪中になるのでしょうか」というものです。たぶん社会通念上、どの程度の間柄であれば喪中になるのかという確認と思われます。参考までの答なら次のようになります。明治7年太政官布告の「服忌令」によれば、父母に対しては、13カ月の服喪期間、祖父母なら90日〜250日、夫を亡くした妻は13カ月、妻を亡くした夫は90日、兄弟に対しても90日、孫なら7日〜30日だそうです。
 100年以上前に定められた服喪期間を、現代に適用するには当然無理があります。死者を穢れとみなすなど、何をか況やです。法律的な間柄に関わらず、大切な方を亡くしたなら、今まで味わったことのない非日常的な悲しみ辛さに襲われます。非日常から日常へ戻るための何かが必要です。そこに喪中の意義があります。大切な人を亡くし、悲しみのあまり、仕事も手につきません。沈んだ顔でおめでたい席に出ては、失礼になります。しばらくの間、亡き人の冥福を祈ることに専念して、身を慎んでおります、ということではないでしょうか。
 敢えて言います。喪中はがきをいただいたている何人もの方に、今年何度もお会いしているので、とても喪中とは思えません。他人に言われて喪中かどうかを判断するというものでもないでしょう。忙しい現代とはいえ、あまりにも形だけの喪中になっているような気がします。仕事も学校も休めないとしても、せめて大切な人を亡くされたら、毎朝洗面を済ませた後、手を合わせ、仏さまの名前であるお戒名をお称えして、ご冥福を祈りましょう。亡くなったということを納得できて、亡き人の分までしっかり生きていきますという思いに至るまで続けましょう。そこが自分なりに喪が明けた時といえます。でも私たちは、ご先祖さまがいる限り、常に喪中と思うべきかもしれません。そうすれば、どんなに羽目を外しても、明日はしっかり生きるぞと身を慎むことが出来ます。無我夢中で仕事をするのも結構ですが、我が喪中であることも忘れないようにしましょう。
 ここでお知らせ致します。11月のカンボジア・エコー募金は、178回×3円で534円でした。ありがとうございました。
 それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1042話】 「希望という悟り」 2016(平成28)年12月1日-10日

1042.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1042話です。
 11月22日午前5時59分、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震がありました。仙台港では1.4メートルの津波が観測されました。驚いたことには、この地震は東日本大震災の余震とみられるというのです。5年8カ月経っても、まだ大震災の影響は残っているのです。
 そうです、大震災はまだまだ終わらないばかりか、多くの人をどれだけ苦しめているかわかりません。福島第一原発事故で福島から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒が、いじめを受けて不登校になっていた事実が明らかになりました。「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」男子生徒が小学6年の時に書いた手記です。ほとんど平仮名文字で鉛筆書きの文面が、不憫さを募らせます。
 子どもの無邪気さと残酷さは背中合わせなのでしょうか。大震災の年の8月に転校してから、名前に「菌」を付けて呼ばれ、ばい菌扱いされて、複数の児童からいじめを受け始めました。支援物資の文房具をとられることもありました。小学5年の5月には、加害児童10人ほどと遊園地やゲームセンターに行くようになり、遊興費や食事代・交通費など1回5万〜10万円を10回近く負担してきて、総額で150万円に上るといいます。「ばいしょう金があるだろうと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」とも書いています。
 大震災と縁のない環境に育った子どもたちにとって、大震災で故郷を追われるという理不尽さを抱えた子どもを、思いやりの対象ではなく、いじめの対象としか見られなかったというのは、情けない限りです。それを見逃してきた地元の親も先生も、どんな生き方をしているのかと問いただしたくなります。賠償金の問題など、どこかで大人がそういう話題を出しているから、子どもも目ざとくいじめに利用することになるのでしょう。
 多くのボランティアが被災者の身になって、力を尽くしてくれました。一方、大震災のためにいじめられなければならないというのは、二次災害にも等しいものです。救いは、大震災で犠牲になった人の分まで生きようとするかのように、「ぼくはいきるときめた」と言い切っていることです。
 さて出家したお釈迦さまは6年間の苦行に納得できず、やせ衰えて山を下りたとき、スジャータという娘が乳粥を供養してくれました。それで元気を取り戻し坐禅三昧を貫き、暁の明星を見てお悟りを開かれたのは、この時期の12月8日です。それは、かたよったり、とらわれている心から解き放たれたことを意味します。どんな困難に出会っても、スジャータのように手を差し伸べてくれる人はいるはずです。それも生きていればこそです。いじめなどかたよりの最たるものです。そんなものにとらわれて、これからの人生を無にしないで下さい。男子生徒にとって希望という悟りが得られますようにと願うばかりです。
 それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1041話】 「紅葉マーク」 2016(平成28)年11月21日-30日

1041.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1041話です。
 車の運転で初心者マークを通称「若葉マーク」、それに対して高齢者マークを「紅葉マーク」と呼んでいます。70歳以上の高齢運転者は、普通自動車の前と後ろの定められた位置に付けることを勧められます。齢とともに身体機能が低下して、運転に影響をおよぼすおそれがあるからということです。しかしこれは、運転者同士での注意を促したものでしょう。高齢者マークの車に対して無理な割り込みなどをすれば、道路交通法違反になります。
 一方、歩行者にとって高齢者マークは、ほとんど役に立たないでしょう。走っている車のマークのあるなしを見分けるのもたいへんです。見分けられたとして、それを避けるように歩くことは不可能に近いことです。しかし、今年になって頻繁に高齢者による重大な交通事故が起きています。10月28日横浜市で小学生の列に87歳男性の軽トラックが突っ込み、7人が死傷しました。今月は3日連続で発生しています。10日栃木県下野(しもつけ)市の病院で84歳男性の乗用車がバス停に突っ込み、3人死傷。11日東京都板橋区のコンビニに86歳男性の乗用車が突っ込み、客2人が軽傷。12日東京都立川市の医療センター敷地内で83歳女性の乗用車が暴走し、2人はねられ死亡しています。
 それぞれの事故において、運転者は日常の生活を営むために車を活用していたことでしょう。大都会のように交通機関が発達しているところはともかく、田舎ほど車はなくてはならないものです。しかも齢をとればとるほど、足腰が弱ってきて、車に頼りたくなります。そして、加齢とともに身体機能が低下することも事実です。ちょっとした判断ミスが、大きな事故につながるおそれがあります。「あわてるな 昔はみんな 歩いてた」というような気持で、毎日を送ることができればいいのですが、車社会にどっぷりと浸かってしまった現代では、現実的ではありません。
 それなら高齢運転者こそ、心に「若葉マーク」を付けたほうがいいかもしれません。齢をとるごとに、今まで出来たことが出来なくなり、「こんなはずではなかった」と思うことが多くなります。そういう状況を身体的には初めて経験する初心者なんだ、という覚悟を示す意味での若葉マークです。初めてハンドルを握った時の不安と緊張を思い起こせば、より慎重な判断力で運転ができます。車の運転は、行動範囲が広がり生活を豊かにします。齢をとっても自分の命を楽しむことができます。
 「落葉なほ 命たのしみ 風と舞う」新聞に紹介されていた俳句です。枯葉が木の枝から離れても、地面に落ちるまでは、風と踊るかのようにして、最後まで我が命を楽しんでいるという風景でしょう。「紅葉マーク」が命を楽しんでいるように映るといいのですが・・・。
 それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1040話】 「千の路」 2016(平成28)年11月11日-20日

1040.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1040話です。
 「おらが町六年振りに常磐線どんな顔して通るか見たし」11月6日の河北新報の歌壇に掲載された短歌です。作者は檀家の島田啓三郎さんで、東日本大震災で家を流されました。流される前は庭先を常磐線が走っていました。その同じ新聞の第一面に「常磐線再開へ 試運転を開始」との見出しが躍り、高架式になった線路の上を試運転するJR常磐線の車両の写真が載っています。
 わらが町山元町の常磐線は海沿いを走っていたため、大震災の津波で甚大な被害を受けました。駅舎や線路が流されるなどしたので、現地復興をあきらめて、内陸移設工事を進めていました。最大で1キロメートルあまり内陸に線路は移設され、新しい駅の周りには家を流された人々が移り住む町が建設されています。12月10日の運転再開が決まり、11月5日に試運転が始まったのです。
 思えば、平成26年7月22日に私は線路移設工事に伴う町内初の鉄道トンネルの工事現場にいました。海から約2キロメートルの小高い戸花山の麓です。そこまで津波は来ました。というよりそこで津波は止まったというべきかもしれません。あたりは何人もの犠牲者のご遺体が発見されたところでもあります。そんなこともあり、犠牲者のご供養をしてから、トンネル工事を始めたいということで、工事関係者から読経を依頼されたのです。
 読経の後で参列者の方々に次のようにお話しました。「大震災では、この町の人口の約4パーセントに当たる方々が犠牲になりました。恐れを知り、人知の及ばぬところがあることを悟らなければなりません。曹洞宗をお開きになった道元禅師は、中国での修行を終えて日本へ帰る船上で大嵐に遭いました。その時声を限りに『観音経』を唱えたそうです。――惑漂流巨海(わくひょうるーこーかい) 龍魚諸鬼難(りゅうぎょしょーきーなん) 念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)波浪不能没(はーろうふーのうもつ)――(大海に漂い、龍のような魚や鬼に襲われても、観音の力を念ずれば、波の中に没することはない)するといつの間にか、波の上に白衣の観音さまが現れました。船上のみんなが無言で手を合わせると、風はおさまり波も静かになりました。道元禅師が仏法を伝えたい一心で、観音の力を念じて大嵐を乗り越えました。私たちもこの困難を乗り越えて復興へ向かおうという一念です。その象徴として鉄路の復活があります。生きている者が幸せであれば、亡き人も安心できます。そのためにも、一日も早くトンネルが開通できますようご尽力をお願い申し上げます」
 復興へ向かう被災地の人々の篤い想いが、建設現場の人々の背中を押したのでしょうか。当初の計画より3カ月以上も早く列車が走ることになったのです。千年に一度と言われる大震災、そこを乗り越えて走る線路。ここで線路は「千の路」と書き記したいくらいです。千というたくさんの可能性に続く路という意味で・・・。
 ここでお知らせ致します。10月のカンボジア・エコー募金は、218回×3円で654円でした。ありがとうございました。
 それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1039話】 「先生がいなかったら」 2016(平成28)年11月1日-10日

1039.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1039話です。
 「もし、先生がいなかったら、児童は死ぬことはなかった」これは、石巻市立大川小津波訴訟における原告遺族の訴状に書かれている文言です。東日本大震災の津波で、児童74人と教職員10人が死亡・行方不明になり、児童23人の遺族が訴えていました。先月26日に仙台地裁で判決が出ました。
 「教員は津波の襲来を予見でき、不適切な場所に児童を避難させた過失がある」として、市と県に総額約14億3千万円の支払いを命じました。たとえ想定外の災害が起きても、教員は最大限の対応で子どもを守らなければならないという、学校側にとっては厳しい指摘がなされました。遺族の言い分は、児童を校庭に50分近くとどめ、津波が迫る川の方に誘導した学校側の対応が問題なしとされては堪らないということでしたので、その思いは汲み取られました。
 学校の責任が明らかになったものの、まだ明らかにされないこともあります。それはなぜ裏山に逃げずに、川に近い「三角地帯」に向かったのかということです。裏山は津波から逃れるのに十分な高さで、児童が過去にシイタケ栽培で登ったこともあり、歩いて数分で避難できたはずだとの遺族の指摘があります。
 更に先生の存在について、こんな見方も裁判で言われています。校内にいた先生がたった一人だったら結果は違っていただろう。教師間のあつれきや学校組織を覆う「事なかれ主義」のようなものが、危機での判断を誤らせたのではないかという遺族の思いです。現場にいた教職員で唯一生き残った男性教諭の証人尋問が叶わない時点で、この思いは想像の域を出ない話です。まさか我が子が学校でしかも先生の指示に従ったが故に、命を落とすという無念さから発せられたものでしょう。
 しかし、どんな先生でも児童と共に、わざわざ危険なところに向かうはずがありません。ただ大川小の場合は、とっさの判断ではなく、50分近く校庭にとどまっている間に、先生同士で何がしかの意見調整があったかもしれません。調整はある程度にして、もっと動物的な危機感覚を働かして、素早くみんなを誘導するリーダー的存在の人がいなかったのでしょうか。もっともすべては今だから言えることです。もし自分が先生の一人としてその場にいたらどう判断をしたかと言われれば、まったく自信がありません。自信をもって的確な判断を下すためには、常日頃の準備が欠かせません。備えあれば憂いなしの如く、学校一人が責任を負うのではなく、地域全体で危機に備える意識が大切です。津波は学校だけを襲うわけではなく、また大人も子どもも命はひとつしかないのです。「先生がいなかったらたいへんだった。すべて先生のおかげです」お互いがそのように思える故郷にしていかなければ、大川小で亡くなった尊い命が浮かばれません。
 それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。