テレホン法話 一覧

【第1108話】 「おいとまいたします」 2018(平成30)年10月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1108話です。

 今から44年前、女優悠木千帆は31歳で、70歳の役を演じました。テレビドラマ「寺内貫太郎一家」でのこと。実年齢より40歳も上の役を好演して、一躍人気者になりました。その3年後テレビのオークションコーナーに出演した時、「売る物がない」との理由で、悠木千帆という芸名を競売にかけました。2万2千円で落札され、以後、樹木希林と改名しました。

 その樹木希林さんが、9月15日亡くなりました。75歳でした。その名を知られたころから、老女役が板についてたかのようです。確かに、老母役で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞や助演女優賞も獲得しています。最近では、カンヌ映画祭の最高賞に輝いた「万引き家族」にも出演。国際的にも評価されました。主役も脇役もこなせる演技派としての面目躍如たるものがあります。

 75歳の生涯とはいえ、何十年も前からその年齢に近い役に親しんできたからでしょうか。独特の生死観がありました。62歳の時、乳がんの手術を受け、その後全身にがんがあることを公表しています。死をどのように思うかと問われて、「死んだことがないからわからないのよ。死はいつか来るものではなく、いつでも来るのよ」と、平然と答えています。そして、あまり先の仕事の予約はせずに、せいぜい1年以内に留めていたそうです。

 さて、「死にとうない」とは、悟りを得た禅僧であるあの一休さんの臨終の言葉です。また江戸時代の狂歌師蜀山人の辞世の句は「今までは他人(ひと)が死ぬかと思いしに 俺が死ぬとは こいつあ たまらん」だそうです。誰しも他人(ひと)の死は、ある程度客観的に捉えることができます。しかし我がこととなったらそうはいかないものです。

 樹木希林さんは「今日までの人生、上出来でございました。これにておいとまいたします」という言葉を残しました。実はこれは、今年5月の新聞に連載されたご自分の生涯を語る記事の最終回の締めくくりで述べたものです。「いつでもやって来る死」を覚悟していたことが伝わります。どんなに悟りきった生き方や言葉を残しても、「これにておいとまいたします」と、心から言える人は少ないのではないでしょうか。それにはやはり「上出来な人生」を歩んでいることが、必須条件となることは明らかです。

 「売る物がない」と芸名を競売にかけた樹木希林さんは、この世の何ものにも未練はなく、来るべき時には潔くおいとまいたしましょうという心意気で、人生を貫いたのでしょう。「覚悟ができた人はより輝き、そうでない方はそれなり」の人生だということでしょうか。

 ここでお知らせ致します。10月28日(日)午後2時徳本寺にて、第12回テレホン法話ライブを開催いたします。ゲストは、動物ものまねの江戸家まねき猫さん。入場無料。ピアノ演奏にのせて、直接テレホン法話をお伝えいたします。

 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1107話】 「鐘の声」 2018(平成30)年9月21日-30日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1107話です。

 9月入って間もなく、1カ月ほど前に奥様を亡くされた70代の男性が、お出でになりました。奥様の新しい位牌の真入れ(魂入れ)の依頼です。そしてこう言いました。「今朝のお寺の鐘は、とてもよく響いて、気持ちが落ち着きました」。

 毎朝6時に梵鐘を撞きますが、ほぼ同じような撞き方をしているつもりです。ただ、その時の天気の具合などで、聞え方は違うことがあるでしょう。その日は、夏の暑さもひと段落して、朝から鳴く蝉もいませんでした。確かに梵鐘の余韻が伝わりやすい環境だったかもしれません。何より、その男性が、最愛の奥様を見送られた後、日々手を合わせてこられ、何かしらの想い定まるところがあったのでしょう。

 梵鐘の響きについてこんな話があります。大本山永平寺の64代貫首森田悟由禅師が修行時代のことです。新参の小僧で朝の鐘を撞いたところ、時の住職から呼ばれました。「今朝の鐘はお前が撞いたのか」。てっきり撞き方が悪くて叱られると思いました。「撞き方が悪いから呼んだのでない。とてもいい響きに聞えたので、どんな気持ちで撞いたのか聞きたいのじゃ」「はい、『鐘を撞くのはみ仏の声を聴くのだ。み仏を撞き出すのだ。そういう心構えで撞かねばならぬ』と、師匠から教えられました。それを思い1回1回合掌礼拝しながら撞きました」「そうか、その気持ちを忘れないで修行せよ」。その言葉を受けて、修行に励み、最高位まで上り詰めたのです。

 鐘を撞くのは修行の原点であり、仏さまを念じながら撞くのは、基本中の基本です。しかし、森田禅師のように、その心構えを貫き通せる人は稀です。私の鐘の撞き方も、森田禅師の足元にも及びません。ただ、この鐘を聞いて下さる方がいるということは、いつも意識しています。撞いてしまった鐘の響きを消すことはできません。ぞんざいな撞き方だけはしないようにしています。

 さて、鐘と言えば平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節が有名です。ここでお分かりのように、「鐘の音」ではなく「鐘の声」と表現しています。一般に「音」は無生物の発するもの、「声」は生物が発声器官を使って発生させるものという使い分けがあります。とすれば、鐘の場合「音」でもよさそうですが、「声」という表現になっています。鐘を撞く回数の数え方も「一声、二声」であり、「一音、二音」とは言いません。

 「声」ということをを思えば、森田禅師の「鐘を撞くのはみ仏の声を聴くのだ」という心構えも納得がいきます。冒頭の男性も、徳本寺の鐘の響きに、亡き奥様の声が重なって伝わってきたのかもしれません。そんな奥様は、確かに彼岸に渡られたことでしょう。

 それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1106話】 「お陰という木陰」 2018(平成30)年9月11日-20日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1106話です。

 「暑さ忘れて陰忘る」という諺があります。暑さが去ると、木陰のありがたみを忘れるということです。しかし、今年の夏の暑さは、酷暑・猛暑或いは、災害級の暑さとまで言われ、「忘れられない暑さ」になりました。更に、暑さの中で、文字通りの災害が頻発し、木陰すらも奪っていきました。

 みなさんは、三宅璃奈(りな)さんの名前を憶えていますか。小学4年の彼女は、登校中に地震に遭い、倒れた小学校のブロック塀の下敷きになり亡くなりました。6月18日の朝に大阪北部で発生した地震のときです。この時の震度は6弱でした。この事故を教訓に改めてブロック塀の点検が、全国的に行われることになりました。

 それからわずか半月後の、7月5日から8日にかけて、西日本豪雨が襲い、広範囲にわたって被害がもたらされました。死者は200人を超え、被害家屋は4万3千棟に及びます。この時に関りのあった台風はまだ7号でした。その後も台風と猛暑が入れ替わるように襲ってきました。

 そして、9月5日の台風は21号。観測史上最大という最大瞬間風速58.1メートルを関西空港で記録しました。車そのものが飛ばされたり、流されたタンカーが橋にぶつかるなどの衝撃的な事態を引き起こしました。日本の第2の玄関口である関西空港の機能を破壊したりして、都市機能をマヒさせたのです。

 被害ここに極まれりかと思った矢先、翌日の9月6日午前3時5分に、北海道胆振(いぶり)地方を震源とする震度7の地震が発生。海の津波ならぬ「山津波」のごとき土砂崩れをもたらし、30人を超える犠牲者が確認されています。また、北海道のほぼ全域が一時停電するという想定外の出来事は、市民生活や経済活動に大きな影響を与えました。

 昔なら、年に一度起きるどうかというような災害が、今は日常的にどこかで起きていると思わなければなりません。しかもそのどこかは、今いる自分のところであっても何ら不思議ではないのです。7年半前に東日本大震災を目の当たりにした時、どうして自分のところがこんな被害に遭わなければならないのかと、正直思いました。それは、災害というものを常に他人ごとに見ていたからです。

 今は様々な被害状況を見聞きするにつけ、私たちもあのたいへんな時に、全国のみなさまから手を差し伸べていただいたのだと、改めて感謝の気持ちが湧いてきます。そして忘れられない暑さのように、東日本大震災のことも胸に刻み、みなさまからのお陰も決して忘れません。災害という影は、どこにでも漂っています。いざという時、お陰という木陰になれるよう常に心がけたいものです。

 ここでお知らせ致します。8月のカンボジア・エコー募金は、184回×3円で552円でした。ありがとうございました。

 それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1105話】 「ナイン」 2018(平成30)年9月1日-10日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1105話です。

 今から44年前の昭和49年、高校野球春の甲子園大会で、徳島県の山間にある県立池田高校が、初出場ながら決勝進出。惜しくも敗れて準優勝となったものの、たった11人の部員による活躍が話題になり、「さわやかイレブン」と称えられました。野球は1チーム9人で行うものです。甲子園では現在1チーム18人までベンチ入りできます。大抵は何十人もの部員の中から選ばれるわけです。11人だけで戦うことがいかにすごいことかがわかります。

 1チーム9人ということから、野球チームを何々ナインと呼ぶことがあります。今年の夏の甲子園大会で、まさにそのナインが旋風を巻き起こしました。秋田県立金足農業高校です。部員は9人だけではないのですが、とにかく県大会の予選から、甲子園での決勝戦までの11試合を、3年生の同じ9人のメンバーで戦い抜いたのです。9人は中学時代から秋田市やその近郊で軟式野球をしていた顔見知りでした。全員甲子園目指して、金足農の野球部に入部したのです。

 昨今の野球強豪高校は、他県からのいわゆる野球留学生を受け入れています。地元出身者が稀なチームさえあります。池田高校も金足農も公立高校ということもあり、その環境はいわゆる強豪高校とは、だいぶ異なっています。そんな中での活躍に、多くの人々は高校野球の原点を見る思いがして、応援も過熱していったのかもしれません。

 金足農も池田高校と同じように、決勝で敗れはしたものの、金足農のエース吉田投手は「みなさんの応援が自分たちの力以上のものを出させてくれた」と、お礼を述べています。草野球で遊んだ仲間と、そのまま甲子園で野球ができるなら、野球人にとってこれ以上の夢はないでしょう。野球を愛する全国の人が、ナインに夢を託しての応援だったのでしょう。

 さて、ナインの9は、日本語では苦しむの「苦」を連想し避けることもありますが、実は魅力ある数字です。1から9までの数の基になる基数の中で、一番大きい数です。中国では聖なる数として崇め、天子の御殿を九重と称しています。久しいの「久」にも通じます。仏教においても、数珠の基本の球は9個ですし、鐘を撞く回数も9が基本です。因みに1年12カ月×9は108となります。

 野球も9回まで戦うゲームです。金足農は準々決勝で、近江高校と対戦。1点を追う劣勢の9回裏、誰もが驚く2点スクイズで、逆転サヨナラ勝ち。この奇跡のような結果をもたらしたのも9という数かもしれません。この逆転劇が生まれる直前に、金足農ナインも授業で飼育している豚が、9匹の子豚を生んでいるのです。何という巡り合わせでしょう。

 この子豚たちが口を利けたら言うかもしれません。「準優勝だからって、カナアシまないで(悲しまないで)、校歌を歌うときのように、堂々と胸張ってくナインください)」

 それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1104話】 「さわやかな記憶」 2018(平成30)年8月21日-31日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1104話です。

 私がよちよち歩きの2・3歳のころ、誤って家の前の池に落ちました。そばにいた姉が大声で叫んだので、親が出てきて無事助け出されたそうです。私は全然覚えていません。親に教えられて知っているだけです。溺れる寸前の出来事だったのに、幼いころの記憶はないものです。ドイツの心理学者の研究でも、幼児の記憶が残るのは早くて3歳以降という説があります。

 さて、藤本理稀(よしき)ちゃんの場合はどうなのでしょう。理稀ちゃんは8月12日帰省先の山口県周防(すおう)大島町で、祖父と海岸に向かって100メートルほど歩いたところで、「帰る」と言って1人で家に戻りました。その後行方がわからなくなりました。警察と消防で捜索したものの難航していました。15日の朝、ボランティアで大分県から捜索に加わった尾畠(おばた)春夫さんによって発見、68時間ぶりに保護されました。

 理稀ちゃんは、最後に目撃されたところから約560メートル離れた山中の沢で、石の上に座っていたそうです。体には擦り傷やダニにかまれた痕があるものの、食欲もあり元気だとのこと。ともかく無事で何よりでした。それにしても理稀ちゃんは、2歳になったばかりです。果たして沢の水を飲めたかどうか、食べた形跡はないようです。幼子なら家の中にひとり置かれても、不安になって泣き出すでしょう。ましてや山の中、三晩も闇の中で過ごすことができたのは、よほどの生命力の持ち主なのかもしれません。

 この奇跡のような出来事を、理稀ちゃんはどれだけ記憶できるか分かりません。是非健やかに育てながら、家族がきちんと伝えあげて欲しいですね。特に直接の発見者である「命の恩人」尾畠さんのことを。

 尾畠さんは元々は魚屋さんで、65歳で店を閉めてからは、社会に恩返しがしたいと、ボランティアを始めたそうです。これまで新潟中越地震、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨の現場などで活動し、78歳の今も人助けの為に東奔西走しています。毎朝8キロ走り体を鍛え、移動手段の軽ワゴン車には、食糧・寝袋などを積み込んで、相手に迷惑をかけないボランティアの自己完結を貫いています。理稀ちゃんの家族から、風呂を勧められても「そういうものはもらえない」と断ったほどの、筋金入りのボランティアです。

 ボランティアをよく「奉仕活動」と言っていますが、もとの意味はラテン語で「自由な意志」だそうです。奉仕というより、人に頼まれてやるのではなく、できることを、何の見返りも求めず、「自発的」に行うことと言えます。ある人は「心意気」とも訳しています。尾畠さんの心意気が2歳の子どもにも、世の多くの人々の記憶にも残って欲しいものです。今回のことが、今年の夏の猛暑を吹き払うさわやかな記憶として、永く語り継がれるような世の中でありたいですね。

 それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1103話】 「息つき竹」 2018(平成30)年8月11日-20日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1103話です。

 その昔、徳本寺のあたりでは「六尺」と呼ばれる作業がありました。「六尺」は約180cmの長さを言いますが、お墓の穴掘りの作業或いはその役目を担う人を指しました。昭和50年頃までは土葬でしたので、坐った状態の遺体を棺に納め、いわゆる座棺で埋葬したのです。そのためにお墓の穴を、6尺の深さまで掘りました。「六尺」に当たった人は、数人で午前中かけてそれだけの穴を掘ったようです。

 座棺が墓に安置されると、近親者が少しずつ土をかけ埋めていきます。そして、土まんじゅうの形の墓を作ります。最後にその土まんじゅうの中央に長い竹を立てました。それは「息つき竹」と呼ばれるものです。お墓参りの度にその竹で棺にトントンと触れるのです。亡くなった人が土の中で息苦しくならないように、地上の空気を送り込むような振る舞いです。

 息絶えた人が、今更息苦しくなるはずはありません。子ども心にその光景を見て不思議に感じていました。ただ、玄関のチャイムとかドアをノックするように、お参りに来たことを亡くなった人に、何とか伝えたいという思いが、そうさせたのかもしれないと、今になって思っています。

 そんな時、次のような歌に出会いました。「やわらかに 骨が息する『息ぬき』の 土の枡あり 故郷の墓地に」東京の松本知子さんが新聞に投稿していたものです。松本さんの故郷がどこなのかは分かりません。また、「土の枡」というのも具体的には分かりません。しかし、「息つき竹」と同じような意図で設置されているものと思われます。この竹や枡が全国的な葬送の習俗かどうかはともかく、死者に対する日本人のゆかしい心情に思えます。

 死んで埋葬された或いは、骨になったといっても、即座にそれを納得できる人は少ないでしょう。納得できたとしても、どこかで亡くなった人ともつながっていたいというのが、偽らざる気持ちです。

 その最たる現れは、お盆の行事でしょう。迎え火や灯篭を我が家の目印として、亡き人が迷わず家に戻ってこられるようにと気を配ります。夏の野菜やくだもの、そうめんなどを供えてのご馳走。何より普段は遠くにいる家族も戻ってきて、揃って笑顔で出迎えるというおもてなしがあります。死んだ人が息を吹き返すとは、もはや誰も思っていません。ただ、私がこうして現在あるのは、あなたのおかげですと伝えたいのです。普段はせわしない生活に追われていても、あなたと私は今もつながっていると納得できた時、私たちは一息付けます。あなたの懐かしい声が聞こえ、笑顔がよみがえるからです。お盆は生きている者にとっての「息つき竹」ともいえるかもしれません。

 ここでお知らせ致します。7月のカンボジア・エコー募金は、216回×3円で648円でした。ありがとうございました。

 それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1102話】 「迷いなきヒーロー」 2018(平成30)年8月1日-10日

1102.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1102話です。
 ある禅僧が研修会の参加者に問いかけました。「自分の母親と妻が水に溺れているとする。さて、君たちならどちらを助けるか」。誰もが困ってしまいました。禅僧は言いました。「いつまでぐずぐずしている。ふたりとも溺れてしまうぞ」「簡単に答は出せません。和尚さんならどちらを助けるのですか」「わしなら、手当たり次第に助ける」。果たして禅僧の境地を何人が理解できたでしょう。
 さて、西日本を中心に大雨特別警報が出たのは7月6日のこと。広範囲にわたって大きな被害が出ました。7月末現在、住宅被害は4万3千棟に及び、死者は15府県で224人です。2万3千人を超える人に避難指示が出ています。
 岡山県倉敷市真備(まび)町も、甚大な浸水被害がありました。その真備町出身で現在は岡山県総社市に住む内藤翔一さんは、7月7日昼前に、同じ町出身の後輩から、母親が真備町の家に取り残されているので、助けてほしいと電話連絡を受けました。内藤さんは自分の故郷の被害を知り何かできないかと思っていた矢先でした。趣味で水上バイクの免許を持っている内藤さんは、友人から水上バイクを借りて、すぐ現場に向かいました。
 昼過ぎに着いた真備町では、泥水が民家の2階まで上がっていました。木やタイヤなど様々なものが流れ、油の匂いが鼻をつく中、最初に後輩の母親を救出しました。水上バイクは早速威力を発揮しました。ベランダや屋根の上に避難している人々から、次々に助けを求める声がかかりました。取り残されている人々の多くは高齢者。自力でバイクに乗ることができず、抱きかかえる必要がありました。途中から地元の人にも手伝ってもらい、助け出した人々を、高台のお寺に運びました。
 水上バイクは傷だらけになり、燃料を何度も補充して、翌日の午前4時までの15時間にわたり、120人も救助したのです。「じいちゃん、命がけで助けたんじゃけ、長生きしてよ」とバイクに乗りながら、お年寄りを励ましたと言います。内藤さんは内藤さんで、最後は全身がつって動けなくなったそうです。それほど必死の行いだったのです。
 冒頭の禅僧の問いかけは、凡人は母親と妻を天秤にかけて助ける順番を考えてしまうが、それは迷いというもの。迷うより先ず手を差し伸べよということでしょうか。『信心銘』というお経に「迷えば寂乱を生じ、悟れば好悪なし」とあります。あれだこれだという分別心は迷いですから、何かと振り回されます。分別がなく悟った人は、好き嫌いの感情もなく、適正な判断を下し清々しさが残ります。内藤さんの手当たり次第の行動には、何の迷いもありません。というより、命がけで動くとき迷っている暇などないのです。「内藤さんは、町のヒーロー。命の恩人じゃ」という称賛の言葉にも、何の迷いもありません。
 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1101話】 「不流月」 2018(平成30)年7月21日-31日

1101.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1101話です。
 「水急不流月」という禅語は知っていました。言葉は知っていても我がこととして受け止められるかどうかは別です。たまたま東日本大震災が起きた時、床の間にその掛軸がかけてあったのです。それまでは床の間の風景として見ていました。しかし大震災の大津波で、もう一つの住職地徳泉寺の本堂も何もかも流された惨状を前にして、「水急不流月」という言葉が突き刺さってきました。
 急な川の流れは、いろいろなものを流し去ります。しかし川面に映った月影は、決して流されることはありません。急流は我々を取り巻く煩悩であったり、困難や苦しみに例えられます。月は我々が本来具えている仏の心でしょうか。どのような状況であっても、決して動じない不動の生き方と言ってもいいでしょう。
 震災当時、大津波というまさに急流にあらゆるものが流されました。しかし、こんな時こそ「月」という存在にならなければならないとも思いました。そして月への想いが通じたのか、徳泉寺の本尊さまが、震災から24日目の4月3日に無事発見されたのです。奇跡のような本尊さまを、「一心本尊」と名付けました。災難に遭いながらも、みなさまの支えになろうという一心で踏み止まったものと信じてのことです。以来、一心本尊さまは全国に知られるところとなり、復興を願っての「はがき一文字写経」が寄せられ、写経で復興という夢に向かっています。一心本尊さまは、流されない月そのものです。
 さて、朝日新聞には小中高生の「書道」を掲載している欄があります。先日「勇気をもらった言葉」というテーマの書が載っていました。兵庫県の高校一年土取香咲(つちとりかなえ)さんが書いた、「水急不流月」という楷書体の見事な書でした。彼女は今年4月に県立高校に進学して、不安、焦り、緊張など様々な思いを抱いて入学式に臨みました。そんな時、二つ上のお兄さんから届いたメールに次のように書いてありました。「水急不流月 急流は時には岸も削って流れるが、水面に映る月影は流れることはない。周りに流されるな 入学おめでとう」。兄は自分の時間をつぶして、私の受験勉強に付き合ってくれた。その時は気づかなかったけれど、いろいろ心配してくれたんだな、と心から感謝しています。この言葉を胸に、しっかり自分の考えを持ち、充実した高校生活を送りたいと思っています。そんな作品に込められた彼女の言葉も添えられていました。
 私が「水急不流月」という言葉を知ったのは、僧侶になってからのことです。我がこととして受け止められたのは、更に後の大震災を経験してからです。香咲さんは高校一年にして「水急不流月」という言葉に出会え、我がことにしています。彼女の未来に期待します。これからの長い人生にどんな急流が待ち受けようとも、自らが月であることを忘れないでください。そして、時あたかも、香咲さんの近くの西日本で豪雨の大災害があったばかりです。多くの被災者にもこの言葉が届いて、何らかの支えになってていただけたらと願うばかりです。
 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1100話】 「サムライのパス」 2018(平成30)年7月11日-20日

1100.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1100話です。
 「ルールの中で考えた戦略で、1次リーグを突破したことを素直に喜びたい」と菅官房長官は、記者会見で述べました。サッカーのワールドカップロシア大会で、日本が決勝トーナメント進出を決めた試合でのことです。法律違反が認められなければ、嘘をつこうが公文書を改ざんしようが、我が身安泰であれば構わないという為政者のひとりとしては、極めて理解できる試合だったのでしょう。
 その試合とは、日本対ポーランド戦。日本は0対1で敗色濃厚となるや、最後の10分間はボールを保持しても、前に進まず自軍でパス回しに終始しました。敗戦は承知の上で、これ以上失点を重ねたくなかったからです。決勝トーナメント進出を争っていたセネガルも敗れたため、勝ち点や得失点差で並びました。しかし、警告や退場を換算する「フェアプレイポイント」で上回っているため、負けてもいいから、これ以上傷口を広げない作戦に出たのです。
 当然国内外から批判が噴出しました。「恥知らず」「フェアプレイに反する」などです。しかし、皮肉にも、そのフェアプレイポイントのおかげで、セネガルを抑えて、決勝トーメントに進出しました。日本の西野監督は、自らも不本意であったとして、「勝てばいいとか、結果がいいだけでもない」と、選手にも謝罪しました。サッカーは両チームが、ひたすらにボールを蹴り、ゴールを目指すゲームです。自分の身を守るために時間を稼ぐだけでは、相手チームに失礼ですし、今回の場合、世界に悪い印象を与えました。
 それを、日本では「成熟した戦略」だったなどと評価する向きもあるようですが、「サムライジャパン」の名が泣きます。現代において、「サムライ」という称号を与えたのは、日本人としての美学に期待するからでしょう。「サムライ」には、恥を知り、気骨があり、並の人ではできないことをやってのける人というイメージが浮かびます。美学だけでは、世界レベルの戦いはできない。ある種のずる賢さを身につけ、成熟しなければいけないと言われればそれまでです。
 あの試合を見て、「結果オーライ」とはいえ、どこかもやもやした思いを抱いた人もいたはずです。まるで今の国会を見る思いです。成熟した政治家の答弁のように聞えても、結局は誰も真実は答えていないのです。不本意と思いながら時間稼ぎをしているのです。国会や世界のグラウンドで、こんなものばかり見せられたら、あの程度は許されるんだと、日本中が歪んだ心を持たないかと心配になります。それでも国会はともかく、サムライのサッカーの名誉のためにいいます。決勝トーナメントで、ベルギーに2点差を逆転され敗れました。しかし、最後まで戦い抜いた姿に、誰もが称賛を惜しみませんでした。やはりサムライにふさわしくないパスは、最初からパスした方が良かったのではないでしょうか。
 ここでお知らせ致します。6月のカンボジア・エコー募金は、183回×3円で549円でした。ありがとうございました。
 それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1099話】 「一心本尊の光」 2018(平成30)年7月1日-10日

1099.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1099話です。
 東日本大震災前にここ山元町に住んでいたヒロ子さんは、被災して転居を余儀なくされました。2カ所3カ所と転居して、現在は栃木県にお住まいです。しかし、最初の転居先で、病床に伏していた檀那さんに先立たれます。慣れない土地での病院通い、今後のことを含めて、山元町との連絡手続きなど、最初の2年間は無我夢中で暮らしたそうです。
 少し落ち着いたころ、山元町の友人から、津波で流された私のもう一つの住職地徳泉寺のことを聞きます。はがき一文字写経での徳泉寺復興を知るや、連絡をくださいました。そして、知り合いの方にもはがき一文字写経を勧めてくださいました。山元町に対する懐かしさと、被災地を離れても何か役に立ちたいという願いを、持ち続けておられたようです。その願いは更に、震災で亡くなられた方に、ご供養の想いを届けたいというふうにつながります。
 そして先月、わざわざ栃木県から徳本寺にお出で下いました。徳本寺には、津波で本堂は流されたものの、無事発見された徳泉寺の一心本尊様が仮安置されています。その前で、震災犠牲者に対して、供養の一座を設けられました。一心に折ってこられた千羽鶴もお供えして、手を合わせられ、「これで安心しました。亡くなった方に思いが届くでしょう」と、おっしゃっていました。
 また、仙台市にお住いの恵さんも、はがき一文字写経を何度も寄せてくださいました。写経ははがきで送られてくるのですが、恵さん自身は度々電車に乗って、一心本尊様に手を合わせにお出でになります。良い香りのお線香を持参して、お経を唱え、それこそ一心に拝んでいかれます。日常の暮らしの中で、ふと一心本尊様のお姿が浮かぶことがあるそうです。
 そして先日は次のようなお歌を残していかれました。「御仏の御手に包まる蓮の花 溢れし後光 四方(よも)に放ちぬ」目映いばかりの光線が四方に放たれた光景が目に飛び込んできて、ただありがたく合掌をしていると、そこに一心本尊様が現われたというのです。一心本尊様を大いなる力、盤石の守り、強靭な御姿と称えるのです。
 確かに、一心本尊様はあの災難を逃れた奇跡の本尊様と言ってもいいでしょう。どんな困難に遭おうとも、みなさまの心の支えになる一心で踏み止まったと信じて、「一心本尊」と名付けました。その本尊様が早く本堂に安置されることを願って、ヒロ子さんや恵さんのように遠くからも、はがき一文字写経を届けるだけでなく、実際に手を合わせにお出で下さるとは、「一心本尊」という名前の功徳でしょうか。その光は四方八方遥か彼方にも、届いていることを確信いたしました。おそらく来年の今頃は、一新した本堂で一心本尊様が、どんなに遠くの方をも、心からお迎えすることでしょう。
 ここでお願いです。徳泉寺復興まで、あと一歩となりました。「はがき一文字写経」発願の方は、電話0223-38-0320までお申し込みください。ホームページからの場合はこちらをご覧ください。
 それでは又、7月11日よりお耳にかかりましょう。