テレホン法話 一覧

【1324話】 「少年の心 達磨の心」 2024(令和6)年10月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1324話です。

 心理学者の児玉光雄は、大リーグの大谷選手を「少年の心を持つスーパーアスリート」と表現しています。少年時代から野球を楽しむ心を忘れず、自発的に物事に取り込める姿勢が、想像を超えた活躍に繋がっているというのです。

 大谷選手は50-50つまり、50本塁打50盗塁という夢のような記録を、軽々と超えてしまいました。アメリカでは宇宙人が野球をしているのかとさえ言われています。しかし、本人は数字にこだわっているそぶりを見せません。兎に角、バットで遠くまでボールを飛ばす、塁に出たら次の塁を目指すという、極めて自然体で野球に臨んでいます。

 子どもの頃から、打って走ってセーフになれば、野球は楽しいと誰でも思っていたはずです。その楽しいことのためなら、自ら進んで練習に励むということを、大人になっても変わらずできているのが大谷選手なのです。結果だけに一喜一憂しているうちは、「良かった」「悪かった」という相反する価値観に振り回されて、平常心でいられなくなります。良し悪しを引きずらず、無心になれることが結果に出ているのでしょう。

 これは禅の教えにも通じます。10月5日は達磨忌と言って、達磨さんの遺徳を偲ぶ日です。達磨さんは今から1500年以上も前に、インドから中国に渡り、お釈迦さまの教えを正しく伝えた方です。達磨さんは中国で梁の武帝という皇帝とこんな問答を交わしています。「私は寺を造り、たくさんの僧を育成して仏教に帰依してきたが、どんな功徳がありますか」「無功徳」「それでは尊い仏教の極意とは何ですか」「廓然無聖(かくねんむしょう)

 武帝は仏教に貢献していることを達磨さんに自慢したかったのです。達磨さんは、その手柄に囚われていることを見抜きました。これだけ尽くしたとか、尽くさないという対立の概念に陥っていることを断じて、「無功徳」と答えたのです。そして「廓然無聖」こそが仏教の真髄であると教示しました。

 廓然とはがらんとして広いさまをいい、無聖は聖なるものはない、つまり聖とか凡という計らいを捨てた無心の境地のことです。からっと澄み渡った大空のように、何らこだわりも区別もない心の持ちようを表しています。たとえ寺を造ったとしても、偉ぶることもなくただそのまま、淡々として無心でいられる姿をいうのでしょう。

 大谷選手のさわやかな笑顔は、まさに廓然無聖です。これだけの記録を残すまでには、日々よほどのトレーニングを積んでいるはずですが、微塵も見せません。また昨年右肘の手術をし、今年になって、専属通訳者が違法行為で逮捕され、億単位の被害を被っています。心身共に相当の痛手があったはずなのに、この活躍なのです。七転び八起きの達磨さんの精神力も備えているようです。
 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。    

 

【1323話】 「土俵に彼岸を見た」 2024(令和6)年9月21日~30日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1323話です。

 大相撲秋場所6日目結びの一番。大関豊昇龍が平幕王鵬にすくい投げで敗れました。余程悔しかったのでしょう。土俵を拳(こぶし)で突き、きちんと礼をすることなく、花道に向かったところ、審判長に呼び止められ、再び土俵に上がります。そこでも礼が合わず再びやり直しをさせられました。洒落ではありませせんが、異例なことです。

 相撲は勝負事ですが、神事でもあり神聖なる土俵を突くなどもっての外です。相撲には様々な所作があり礼が重んじられ、国技たる由縁です。勝てばいいというものではありません。モンゴル出身とはいえ、大関ならばそこはわきまえるべきです。もっとも勝負に対する貪欲さがあって、大関にもなり、一連の不遜な態度にもつながっているのでしょうか。

 勝負事以外でも、生きる上では欲は必要です。食欲や睡眠欲など命を保つ上でなくてはならないものです。しかし貪欲は仏教では「貪(とん)・瞋(じん)・痴」という三毒の一つに挙げられます。貪(とん)は貪欲の貪(どん)という字で「むさぼり」、瞋(じん)は瞋恚(しんい)の瞋で「怒り」、痴は愚痴の痴で「おろかさ」を指します。

 彼岸に渡るのに三途の川を越えると言いますが、三毒を克服した先に彼岸があるということです。そのために六波羅蜜の教えがあります。波羅蜜とはサンスクリット語のパーラミターの音訳で、「彼岸に渡る」という意味です。「1布施・2持戒・3忍辱・4精進・5禅定・6智慧」という6つの修行を実践することにより、三毒をなくし、身も心もさわやかに生きられる彼岸に渡りましょうということです。

 豊昇龍の場合は、三毒に呑まれ5つ目の禅定という落ち着き・冷静さに欠けていたのでしょう。翻って3つ目の忍辱つまり苦しみに耐えそれに打ち勝って進むことと、4つ目の精進という力を尽くし怠らず努力することを20年も続けている力士がいます。豊昇龍と同じモンゴル出身の玉鷲です。秋場所3日目に、初土俵から1日も休むことなく1631回の連続出場の新記録を打ち立てました。現在39歳で、2年前の秋場所には、37歳10カ月で2度目の優勝を果たし、最年長優勝の記録も持っています。日本国籍も取得し、あと2年は頑張りたいと言っています。

 19歳のとき、体が大きいということで相撲に関心を抱き、日本に留学していた姉を頼って来て、片男波部屋に入門できました。これまでの最高位は関脇で、十両との往復は6回に及びますが、「ただ楽しく相撲を取っている」と言って現在に至ります。そして「1日1番」のつもりでとる相撲には明日への欲が見えて嫌いだと言います。「明日なんてどうなるか分からない。いつ土俵で死んでもいい」そんな覚悟で毎回土俵に上がるそうです。怪我もし、やめようと思ったこともありながら、連続出場を果たしているのは、勝てばいいという貪欲さを越えた、土俵を彼岸と思える忍耐努力があったればこそなのでしょう。
 
 それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。   

【1322話】 「醍醐味は元気でゆっくり」 2024(令和6)年9月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1322話です。

 牛乳の精製過程の5つの味のうち、最後に出てくる最上の味を醍醐味と言います。仏教ではそれを最高の境地の涅槃にたとえます。そして醍醐の原語は「サルピル・マンダ」で、あのカルピスの名称の元であると言われます。そのカルピスが好物で、116歳の今も元気で世界最高齢に認定されたのは、兵庫県の糸岡富子さんです。

 カルピスと長寿の因果関係はともかく、100歳を超えてかくしゃくとしていられるのは、奇跡に等しいことです。檀家の庄司辰男さんも8月に満100歳を迎えました。とても100歳とは思えないはつらつとした満面の笑顔が、町の広報誌の表紙を飾りました。庄司さんは毎朝、食事の内容や健康状態、興味を持ったことを丁寧にノートに記録して、今でも犬の散歩を欠かさず、規則正しい生活を心がけているそうです。

 実は庄司さんは、東日本大震災のときに壮絶な体験をしています。そのことを3年前に亡くなられた奥様が『小さな町を呑み込んだ 巨大津波』という本に書いています。庄司さんの家は海から1.5キロくらい離れたところにありました。誰もそこまで津波が来るとは思いません。当時家にいたのは庄司さん夫妻と中学2年の孫娘さんと犬一匹。気がついたらもくもくと黒い瓦礫の塊が寄せてくるのが見え、急いで2階に上がりました。2階まで水が入りベランダに出ると、家ごと西に流され、回転して北に流され漂流しながら見えたものは、瓦礫に呑まれた隣りの家、避難途中の知り合いの家族が乗っている車、流されない家の2階に留まって外を見ている男性の姿などなど。

 そして、自宅から約2キロ北に流されて止まりました。見渡す限り瓦礫の海で立ち木も家もありません。そこで助けを待つだけです。辰男さんは「3人束になって、一緒に」と家族を励まします。水が引いてくると、今晩の休むところを用意すべく、机や箱物を集め高く積んで、戸板を置いて、多少濡れているけど布団も用意しました。「声を出せ、何かしゃべれ、眠るな」と夜通し声をかけて家族を勇気づけました。物干し竿に赤いバスタオルを括りつけ、夜明けとともに、旗を振り続けました。その行動を見て、奥様は「夫はすごい人だ。明日に希望を持っている」と思ったそうです。その日のお昼までに、息子さんたちに発見され、無事避難することができました。

 生死の境で、明日に希望を持てるか否かは、健康にも勝る生命力と言えます。それもこれも普段から自分を律して、一つひとつやるべきことを疎かにしない信念があったからなのでしょう。8年前101歳で亡くなったジャーナリストのむのたけじは次のように言っています。「終点には なるだけ ゆっくり 遅く着く それが人生の旅」。元気でゆっくりは人生の旅の醍醐味です。100歳を超えて醍醐味を味わっている庄司さんや糸岡さんに、敬老の日を祝って乾杯しましょう。勿論カルピスで・・・。

 ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、976回×3円で2,928円でした。ありがとうございました。
 それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。  

 

【1321話】 「0歩目の奇跡」 2024(令和6)年9月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1321話です。

 1996年8月21日(水)甲子園の決勝戦は、松山商と熊本工。3対3の同点で10回裏熊本工の攻撃、1死満塁で3番本多選手。松山商は絶体絶命のピンチ。監督は守備交替で矢野選手をライトに起用。その直後、本多選手の打球は高々とライトへ、3塁ランナーは俊足の星子選手。実況中継も「行った、これは文句なし」と断言したほど、熊本工のサヨナラ勝ち、初優勝を確信しました。次の瞬間、信じられないことが起きました。背走しながらライトフライを捕球した矢野選手が、ノーバウンド返球、間一髪でランナーはタッチアウト。そして11回表その矢野選手の2塁打を皮切りに、3点を挙げ松山商は優勝を果たします。「奇跡のバックホーム」と今も語り継がれています。

 しかし、まぐれで奇跡が起きるわけもなく、それまでの必然的な過程があったのです。第一に矢野選手は強肩でした。しかし、外野に飛んだ打球を中継プレーで返球するのが苦手でした。監督に言われます。「ダイレクト返球が正解のケースが一つだけある。サヨナラ負けのピンチのときだ」。更に彼は普段から最後まで居残り練習をする努力家でもあったことを監督は見ていたのです。

 あれから28年今年の甲子園、日付も曜日までも同じ8月21日(水)。関東第一と神村学園との準決勝戦。関東第一1点リードの9回表神村学園の攻撃。2死1、2塁で代打の玉城選手がセンター前ヒット。2塁ランナーは迷わず3塁を回り本塁突入。そこへセンター飛田(ひだ)選手からノーバウンドの返球があり、タッチアウトで試合終了。これまた28年前を再現するかのような「奇跡のバックホーム」と言われました。

 しかし、この奇跡にも日ごろの鍛錬と周到な心構えがあったのです。ピッチャーの球威から判断して、どの方向に打球が飛ぶかを見極め、内野外野の守備位置を修正するという連携プレーです。それから飛田選手は1歩目を素早く切れるように、体の重心を前に傾けていました。また普段、数十球の本塁へのストライク送球の練習を重ねていたのです。だから捕球後の目の覚めるようなバックホームが叶ったわけです。関東第一の市川選手は言います。「野手陣が大事にしているのは1歩目より前の『0歩目』。打者のタイプや配給を踏まえて、バットがボールに当たる直前から1歩目を切っている」

 高校野球球児と吹奏楽部の女子高生が織りなす青春映画「青空エール」に次のようなセリフがあります。「奇跡は起こらない。まぐれでもない。でも練習はうらぎらない」。まぐれとは迷う意味の紛れると書きます。迷いが消えた時、良い結果のまぐれが訪れるのかもしれません。奇跡もまぐれも、「0歩目」の中にこそ潜んでいるのです。それを必然にできるのは、暑さにも辛さにも迷わず練習している君たちです。紛れもない現実を時に奇跡と呼ぶことがあります。

 それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。

【1320話】 「必死すなわち」 2024(令和6)年8月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1320話です。

 パリ・オリンピックの新競技「ブレイキン」は、1970年代アメリカニューヨークの貧困地区の路上が発祥。縄張り争いに疲れたギャングのボスが「音楽と踊りで勝負しよう」と呼びかけたのが始まりとか。オリンピックにふさわしいです。

 オリンピックは元を糺(ただ)せば、戦争の代わりに様々な争いの形を、ルールを定めてスポーツとして世界中の人で競い合おうという大運動会です。その象徴のひとつが、近代五種競技です。1人の選手が、フェンシング・水泳・馬術・射撃・ランニングをこなすものです。射撃とランニングはセットになっていてレーザーランと呼ばれ、600㍍走って射撃をし、また走るということを繰り返します。

 その起源は19世紀のナポレオンの時代、フランスの騎兵将校が、戦果の報告を命じられた故事によります。彼は馬で敵陣に乗り込み、敵を銃と剣で討ち倒し、川を泳ぎ、丘を走り抜けて任務を遂行したのです。まさに五種競技の原型がそこにあります。競技として考案したのは、クーベルタン男爵です。「キング・オブ・スポーツ」と称されますが、人間の能力の限界に挑む過酷な競技です。

 近代五種競技112年の歴史の中で、日本勢は入賞すらできませんでした。しかしこの度、青森市出身の佐藤大宗(たいしゅう)選手が銀メダル獲得の快挙。国内の競技人口は男女合わせても50人といいますから、かなり地味な競技です。というかそれ程の万能な人は稀だということです。超人のような佐藤選手も決勝当日は朝から吐き気が止まらなかったそうです。準決勝をB組1位で通過していたこともあり、重圧と緊張で押し潰されそうだったのでしょう。そんな時、父の言葉を思い起こします。「やるなら死ぬ気でやれ」。ハッと気づくのです。「まだ俺は死んでいない。死ぬ気で行く」と、吹っ切れて、結果に繋がったのです。

 泳ぎや走りは、ある程度経験はできます。しかし馬術・射撃・フェンシングは、かなり専門的な訓練や能力が求められます。 当然佐藤選手も馬術は北海道の牧場で指導を受け、フェンシングは五輪メダリストに教えを請うなどの対策は講じています。その人並み以上の身体能力に加えて、強靭な精神力を発揮できたのが勝因でしょう。

 「必死 すなわち生くるなり」藤沢周平の『武士の一分』にある言葉です。必死とは「必ず死ぬ」と書きます。しかし、必死で生きるとは言っても、必死で死ぬとは言いません。佐藤選手の「死ぬ気で行く」とは、まだ命を懸けるほどの力が自分にはあると、信じ切った言葉だったのでしょう。

 愚かな戦争で命を落とすなど絶対にあってはいけません。近代五種競技のように人間の能力の限界突破を目指して、死ぬ気で目的に向かうことにこそ、生きる意義があります。

 それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。

        

【1319話】 「お盆の結集(けつじゅう)」 2024(令和6)年8月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1319話です。

 「如是我聞」(かくの如く我聞けり)と、お経は始まります。お経はお釈迦さまの教えですが、当初それは文字で記録されませんでした。後に聞いた記憶をたどって、経典が編集されました。よって、「私はこのようにお釈迦さまの言葉を聞いた」という断りを最初に述べるわけです。

 お釈迦さまが亡くなると、その教えは弟子たちの記憶にしか残っていません。当然記憶違いや異なる意見が出ます。そこで、お釈迦さまが亡くなった翌年、仏典の編集会議が招集されました。このことを結集すると書いて「結集(けつじゅう)」と言います。長くお釈迦さまのお傍について、誰よりもその教えを聞いたので「多聞第一」と称された弟子の阿難が中心となって進められました。500人の弟子が集まり、お釈迦さまの説法を整理し統一して、文字に示し経典となりました。

 お釈迦さまの説法は「対機説法」と言われます。その人の機つまり能力や素質・環境などに応じて、臨機応変に説法の仕方を変えて諭されました。医者が患者の病状に応じて薬を処方するようにです。結集が何度か繰り返される中で、夥しい教えが経典となり、時代を超え、お釈迦さまの思いが、私たちに伝わってきました。

 さて、お盆は普段会えない家族や親戚が一堂に会する絶好の機会です。みなさんでお墓にお参りをし、自宅では迎え火や提灯を灯し、ご先祖さまをお迎えして、ひと時を過ごすことでしょう。盆棚にはよく西瓜がお供えされています。〈十人の 集まれば切る 西瓜かな〉(稲畑汀子)という俳句があるように、一人で西瓜は食べにくいものです。家族揃ったところで盆棚の西瓜をお下がりとしていただきながら、ご先祖さまの思い出話に花を咲かせるのは、何よりの供養になります。

 「おばあちゃんのお煮つけは絶品だったね」「あの時叱ってもらったから、道を外れずに済んだ」「おじいちゃんは、酔っぱらうと気が大きくなってお小遣いをくれたっけ」等々。このようにして亡き人を偲ぶことが、みなさんにとっての「結集」でしょう。普段は意識せずとも、お盆にご先祖さまをお迎えすると、その命のつながりの中で、多くのおかげをいただき、今の自分があることを実感できます。亡き人も「たまには私のことを思い出してくれたらうれしいな」と思っているはずです。

 こんな歌に出会いました。〈噴水にたつ 虹ほどの淡さにて 人の心に棲みたし死後は〉(長尾幹也)大空に架かる虹は、弟子たちの結集により経典となったお釈迦さまの教えとすれば、噴水のそばにできた淡き虹は、折に触れ浮かぶ亡き人の様々な色合いの思い出話でしょうか。それは七色の虹の結集のようです。

 ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、932回×3円で2,796円でした。ありがとうございました。
それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。  

        

【1318話】 「観音さまからの宿題」 2024(令和6)年8月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1318話です。

 「観音さま」は、正式には「観世音菩薩」と言います。菩薩とは人々を救うためにこの世に現れる仏さまです。そして「観世音」の観は「観察」の意味でよく観るということです。「世音」の音は出来事のことですから、世の中の出来事をよく見て、それなりの対処をしてくださる仏さまが観世音菩薩です。

 観察と言えば、小学生の夏休みの宿題に、朝顔や雲の観察などがあり、子どもたちの得意分野です。その底力をいかんなく発揮した出来事がありました。6月10日宮城県大河原町(おおがわらまち)の町議会でのこと。社会科の授業で議会見学のため傍聴席にいた小学6年生が、本会議中に携帯電話で「ディズニー ツムツム」のゲームをしている議員を目撃しました。

 議会に届いた感想文には、5人の児童が「ツムツムをしている人がいた」「何で話し合いの途中でツムツムをしている議員がいたのかわからない」などと書いてありました。名指しされたS議員は73歳、当選5回で議長も務めたことがあるベテランです。その釈明に曰く「ゲームをしていた事実は記憶にないが、複数の小学生が見たと言っているのでは、その事実があったと認める。プレーをしていたというより画面を見ていた」。何と見苦しく往生際の悪い弁明でしょう。素直に非を認めないのは、ゲームをしたこと以上に、恥の上塗りではないですか。

 子どもは体格の違いで大人より視線が低い分、意外なものを見つけたりします。大人が見ていない所をしっかり捉えることがあります。何より思い込みや予断がありません。純粋に素直に物事を観察します。だから、会議中のゲームに違和感を覚え、率直に感想を述べたのでしょう。

 大人なら同じ光景を見ても、どうせ議員さんなんて選挙の時だけいい顔をして、議会中も適当に時間をつぶしているんでしょうと、遣り過ごすかもしれませ。第一、傍聴席からでも見えた光景を、近隣の議員は気づかないのでしょうか。見て見ぬふりは大人の専売特許です。

 ともかくS議員は、辞職勧告が出て7月24日に辞職しました。それに対して、「ゲームは反省すべきだが、子どもから他に指摘された居眠りや態度が悪い議員がおとがめなしでは示しがつかない」という意見も出たそうです。もはや学級崩壊ならぬ議会崩壊でしょうか。

 町民の暮らしを守り、町民の幸せのため町づくりに力を尽くすのが議員の使命でしょう。観音さまには「救世(ぐぜ)観音」という別名もあります。世を救う観音ということです。議員の方々は、子どもたちに負けずに、世の中をしっかりと見るべきです。その上で、観音さまからの夏休みの宿題と思って、我こそは救世観音という気概を示す作文を、子どもたちに提出することをお勧め致します。

 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。 

        

【1317話】 「18歳と81歳」 2024(令和6)年7月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1317話です。

 「年齢7掛け説」というのがあるそうです。健康な現代人の年齢は、3割若く数えても大丈夫だということです。60歳なら42歳、70歳なら49歳、80歳なら56歳という風にです。50代・60代の頃はさもありなんと思っていましたが、さすがに70歳を超えると、8掛け・9掛けが現実に即している気がします。

 さて、ある方から「18歳と81歳の違い」という戯言を教わりました。18と81は、数字の上では1と8を入れ替えただけですが、その中身は雲泥の差があります。18歳は子ども卒業、大人成りたて、ともかく前途洋々です。81歳は人間卒業、仏目前、ともかく前途不安です。「恋に溺れる18歳 風呂に溺れる81歳」「道路を爆走する18歳 高速を逆走する81歳」「心がもろい18歳 骨がもろい81歳」「ドキドキが止まらない18歳 動機が止まらない81歳」「恋で胸詰まらせる18歳 餅で喉詰まらせる81歳」「偏差値が気になる18歳 血圧・血糖値が気になる81歳」「まだ何も知らない18歳 もう何も覚えていない81歳」「自分探しをしている18歳 みんなが自分を探してる81歳」

 若さを羨み、老いを嘆き、言い得て妙です。年齢を何割引かにして、まだ若いと思えることもあるかもしれませんが、年齢は正直です。たとえば無意識のうちに、立ち上がるとき「どっこしょ」と掛け声をかけていませんか。でもご安心ください。「どっこいしょ」は霊験あらたかな言葉です。「六根清浄」という仏教語から来ています。山に登るとき、金剛杖をついて「六根清浄」と唱えます。それを唱えやすく「ろっこんしょ」と短縮しているうちに、「どっこいしょ」と変化したものです。

 六根とは「眼・耳・鼻・舌・身(からだ)・意(こころ)」つまり「見る・聴く・嗅ぐ・味わう・触れる・考える」という人間の6つの感覚器官のことです。これらの器官を清らかにして山に登りなさいという掛け声が「六根清浄」です。何とならば、山には神や仏が宿るとされ、信仰の対象だったからです。

 歳相応に「どっこいしょ」と掛け声をかけなければ、何事も始まらないと嘆くことはありません。身も心も清らかにして、ありのままの自分で、今できることを行うためのおまじないが「どっこいしょ」と思えばいいのです。こんな歌があります。〈今できる ことをするしか ないでしょう 今日が一番 若いんだから〉(横浜市桜田幸子)。

 誰にとってもこれからの人生で、一番若い今日を生きているのです。これまでの経験で磨かれた六根を支えに、今日の若さを楽しみましょう。今回の法話のための戯言をひとつ。「スマホ見て一日暮れる18歳 どっこいしょと一日始める81歳」前途が洋々としてきませんか。そういえばアメリカのバイデン大統領も81歳でしたね。英語で「どっこいしょ」はどう言うのでしょうか。

 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。          

【1316話】 「不二山」 2024(令和6)年7月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1316話です。

 東京都国立市では、駅前から伸びる通りを富士見通りと称しています。晴れた日には富士山を望めるからです。2年前にこの通りにマンション建設の話が持ち上がりました。地元では景観をめぐって反発したものの、建築基準法上の問題はないということで着工、先月完成しました。しかし引き渡しまじかになって、建て主の積水ハウスは解体を決定しました。

 違法建築でもない全くの新築マンションを使用する前に取り壊すとは驚きです。10階建て総戸数18戸の建物です。建設費用も解体費用も莫大なはずです。解体理由として「建物が富士山の眺望に与える影響を再認識した」といいます。確かに完成した建物に遮られて、見えるはずの富士山が半分しか見えず、富士見通りの名が泣いています。富士山眺望に対する検討が不十分だったことを反省し、企業イメージの悪化を危惧した経営判断のようです。

 普通の山なら、ここまでのことはなかったかもしれません。富士山の存在感はけた外れです。富士山を「二つにあらず」という意味で「不二(ふに)」と書き「不二(ふじ)」と呼ぶことがあります。お菓子の不二家でお馴染みでしょう。高さや姿、何をおいてもまさに二つとない霊峰と言えます。

 さて、不二といえば、曹洞宗には「修証不二」という教えがあります。〈修〉は修行、〈証〉は悟りということです。普通、修行の果てに悟りがあるという風に、修行と悟りを二つに区別しがちです。本来の意味は、修行そのものが悟りであり、何かのためにという邪念を抱かず、ただひたすらに行を修しなさいということです。例えば、朝目を覚ますことから始まり、顔を洗う食事をする、勉強や仕事に打ち込む、迷わず行住坐臥に徹している姿は、悟りと同じと言えます。

 何だそんなことかと思う人もいるかもしれませんが、今朝迷わず目が覚めたでしょうか。文句を言わず朝ご飯をいただき、心からごちそうさまが言えたでしょうか。一つひとつ振り返ると、仏さまにふさわしくない言動がなかったでしょうか。ご飯と私、仕事と私がひとつになっているつまり、不二のとき、立派な修証不二と言えます。それもこれも仏の教えが念頭にあったればこそできる修行なのです。

 今回の積水ハウスにとって、富士山は仏の教えのようなものです。富士山を見えなくするとは、仏の教えを隠してしまうようなものです。会社だけの利益を追求して、地元に想いを致していないのは、会社と地元を二つに区別していたからでしょう。そこに気づき大きな代償を払っても、富士山のおかげで「不二」の修行を示せたかもしれません。企業たるもの、顰蹙(ひんしゅく)買ってはいけません。誠意を売るようでなければ・・。

 ここでお知らせいたします。6月のカンボジアエコー募金は、685回×3円で2,055円でした。ありがとうございました。
 それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。

【1315話】 「一心松」 2024(令和6)年7月1日~10日

 元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1315話です。

 東日本大震災で大津波を目撃した人は、「松林の上から黒い煙が出ているように見えた」と言っていました。最大波12.2㍍ともいわれる津波が、わが山元町の沿岸部の松林を根こそぎ破壊しました。松は養分や水分がなくても育ち、塩害や風にも強いことから、防風林・防砂林として用いられてきました。しかし、松林を超えるほどの津波には敵わず、海岸の風景は一変しました。

 そして海岸から300㍍の徳本寺の末寺徳泉寺は、境内の松の木は勿論、本堂などすべてが流され、白い砂浜状態でした。大震災から9年経った令和2年に、やっと本堂が再建されました。これは流されながらも奇跡的に発見された「一心本尊」さまの下に、「はがき一文字写経」を納経したいという全国の方の想いが形になったものです。

 翌年には本堂前にささやかな石庭を整えました。その中にひとつ珍しい石がありました。正面から見ては普通の石なのですが、裏から見ると、針金のように細く小さな松の枝が一本、わずかな石の穴の中に生えているのです。まるで石の中から生まれたかのような姿です。最初見た時は驚きながらも、すぐに枯れてしまうのではと思っていましたが、3年経った今も針金松の葉は緑です。

 石の上にも3年ではありませんが、全ての松林がなくなった後に、石の上という極限の環境の中で命を保っているとは、奇跡のよう松です。「一心本尊」とは、どんな災難に遭ってもみなさんの支えになる一心で留まった本尊であると信じて名付けられたものです。石の裏側に生えた針金松は、誰にも見られず、一心本尊さまと向き合っている位置にあります。「松は吹く説法度生の聲」といいますが、本尊さまと心を通わしているのか、何やら暗示的です。

 さて、曹洞宗を開かれた道元禅師には次のようなお歌があります。〈荒磯の波も得よせぬ高岩に かきも付くべきのりならばこそ〉「荒波打ち寄せる海岸で、波も寄せ付けないほどの高い岩にも、海苔が掻き付くつまり岩肌にへばりつくように海苔が生えている」ということです。もうひとつの意味としては、「のり」は海の「海苔」と仏法の「法」という「のり」の意味をかけています。「かきもつくべき」も「へばりつく」と、教えを「書き尽くす」ということをかけています。つまり、高岩に海苔が付くように、どんな環境にあっても、尊い教えであればこそ、それを求め伝えようという人々の、書き尽くそうとする精進の積み重ねによって、正しく伝わるものであるということです。

 針金松も松林なきあと、悲しみという風や困難という砂嵐から人々を守り励まそうと、一途に石にへばりついているかのようです。高岩ののりの如き針金松を、これからは被災地のシンボル的一心本尊さまと共に、「一心」と呼んで、崇め奉(たてまつることにしましょう。

 それでは又、7月11日よりお耳にかかりましょう。   



一心松