テレホン法話 一覧

【第1290話】 「諦めないで明らめる」 2023(令和5)年10月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1290話です。

 私たちが本山に修行に行くとき、修行に必要ないものは一切持つことを許されません。お金もそうです。ところが、着物の襟にお札を縫い付けて来る者がいました。何ぞの時に役立てるようにという涙ぐましい親心の仕業です。

 さて、今年のノーベル生理学・医学賞に輝いたペンシルベニア大のカタリン・カリコ特任教授の半生は劇的なものがあります。1955年ハンガリーに生まれ、水道もテレビもない幼年期を過ごします。それでも愛する家族のおかげで、10代半ばで研究者になる決心をし、遺伝物質を研究する分子生物学に励みます。しかし、30歳の時、所属先で研究費を打ち切られ、欧州ではどこも受け入れてはくれませんでした。

 唯一受け入れ先となったのはアメリカです。夫と2歳の娘と一緒にハンガリーを離れることにしました。当時は国外への通貨持ち出しが厳しく制限されていました。自家用車を売って得た900ポンドが全財産です。娘が持つクマのぬいぐるみの「テディベア」の中に隠し持ってアメリカに渡ります。「私たちのチケットは片道だけ」と、新しい世界で生きるために退路を断っての旅立ちでした。

 大学での研究はメッセンジャーRNAの医療応用でした。しかし、それは体内では異物とみなされ、強い炎症反応を起こす扱いが難しい物質でした。そのため上司からは「社会的に意義のある研究とは認めがたい」と言われ、助教授からの降格という憂き目にもあいます。助成金は全く得られないなど、いくつもの悔しい思いをします。それでも彼女は決して諦めず、基礎的研究を積み重ね、メッセンジャーRNAが免疫反応を起こさないようにする操作法を発見します。2005年のことです。それもすぐには注目されませんでした。

 そして2019年に新型コロナウイルスが流行することになります。そのためのワクチンが必要となるも、開発には数年かかるとされました。しかし彼女が発見した技術により、1年足らずで接種が始まりました。そのことにより世界中の何百万人もの命を救ったという人類貢献が、ノーベル賞で大きく評価されたのです。テディベアに財産を隠し持っての渡米がその始まりです。そして、他人に惑わされず、自分の研究に信念をもって諦めない姿勢が栄誉をもたらしました。

 世間的に諦めるとは、仕方がないと断念することです。しかし、仏教の「あきらめる」は「明るい」という字の「明らめる」つまり「明らかにする」ということで、お悟りを開くと同意語です。彼女は諦めなかったが故に、ワクチンの実用化につながる新技術を明らめることができたのです。立派なお悟りに匹敵する業績です。さて、襟にお札を入れて修行した僧侶も、仏道を明らめて悩み苦しむ人々を救っていると信じたいのですが、まだノーベル平和賞にはなっていないようです。

 それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1289話】 「母の彼岸花」 2023(令和5)年10月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1289話です。

 〈蝉の声 消えて気づけば草土手に にょっきり居並ぶ彼岸花たち〉文明 お盆のころ咲き誇っていた百日紅と交代するかのように、彼岸花が突如出現するのが例年のことでした。しかし、今年は暑さのせいか、どこでもその開花は遅れたようです。

 さて徳本寺の末寺の徳泉寺は、海のそばにあったため東日本大震災の大津波で、本堂などすべてが流されました。瓦礫すら残っていなくて、境内は白い砂浜状態でした。墓石はすべてなぎ倒され、骨堂まで抉られて、遺骨が散乱したところもありました。多くのボランティアのおかげもあって、墓地内に堆積した砂を運び出し、何とか元のように墓石を再設置することができました。

 それから数年後、お墓の片隅に彼岸花が咲いているのを見てびっくりしました。大津波で何もかも流されて、草一本も生えないだろうと覚悟をしたので、彼岸花は奇跡の赤い色に見えました。彼岸花は球根ですので、普段は茎も葉っぱも見えません。その存在は花が咲いた時しかわかりません。

 いったい誰が植えたのだろうと疑問でした。最近その謎が判明しました。彼岸花が咲いているすぐそばのお墓の近江さんが、手入れをしていたのです。今から20年近く前、近江さんのご主人が亡くなられて、お墓参りをするうちに彼岸花を見つけ、少しずつ集めて増えていったようです。それにしても大津波にも流されず、土の下でじっと耐えて、復興に向かう人々を励ますかのように花を咲かせた彼岸花の健気さに拍手です。

 最近近江さんはお歳のこともあり、あまりお墓参りができませんでした。しかし、娘さんが節目節目のお参りを欠かしません。彼岸花の球根が埋まっているあたりに、かわいらしい柵を巡らしました。踏みつけられないようにという配慮です。残念ながら今年の春、近江さんは亡くなられました。そして初めて迎える彼岸だというのに、花は咲きませんでした。彼岸花もその死を悼んでいるというのでしょうか。

 彼岸花は、花は咲いても実はなりません。繁殖は地下茎で行いますので、昆虫に受粉を助けてもらう必要はありません。それなのに、惜しげもなく花蜜を差し出し、昆虫の役に立っています。無償の愛とでもいいましょうか。それは近江さんが人知れず彼岸花を育てていた姿にも重なります。その無償の愛に応えるように、娘さんは手入れを受け継いでいます。実は彼岸花も近江さんの愛を忘れてはいなかったのです。彼岸も過ぎた10月2日に、近江さんのお墓のそばで一輪花を咲かせました。その日は近江さんの月命日でした。「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず)」近江さんが亡くなっても、彼岸花は毎年花開き、亡き人の霊を慰め、お墓参りの人を励まし迎えてくれることでしょう。

 ここでお知らせいたします。9月のカンボジアエコー募金は、1,470回×3円で4,410円でした。ありがとうございました。それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。



彼岸花

【第1288話】 「手拭いと日本刀」 2023(令和5)年10月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1288話です。

 その昔、知り合いのお宅に泊めていただいた時のこと。風呂上がりに濡れた手拭いの水を切るつもりで、バサッバサッと振っていたら、当主に叱られました。その音は刀で首を切るときの音に似ているので、家ではしないよう代々教えられてきたというのです。なるほどと反省しました。

 その後、無著成恭さんの講演を聴く機会がありました。無著さんは今年7月、97歳で亡くなりました。やまびこ学校の先生としても有名ですし、ラジオの「全国子ども電話相談室」の名回答者としてもおなじみでした。歴とした曹洞宗の僧侶です。大分県の名刹泉福寺の住職などを歴任しました。その講演会は無著さんがまだ若い頃のことで、住職というよりは教育者としての雰囲気が漂っていました。上着は着ないでシャツ姿でした。山形県出身の独特の語り口で、ユニークなたとえ話や実話の紹介は、とても興味深いものでした。

 ひとつ気になったのは腰に下げている手拭いでした。失礼ながら、いかにもダサイといという感じです。しかし、講演を聴きダサイのは私の方であると気づきました。「腰に下げた手ぬぐいはハンカチに代わるものだが、汗かきの私には、ハンカチは半分の価値しかない『半価値』だ」などと笑わせながら、次のように言いました。「腰に下げている手拭いは、日本刀のつもりです。武士であった先祖から伝わる家訓に曰く。腰に差してある日本刀は人を切るためではない。自分の魂がヘソから上にあがってこないように、臍下丹田(せいかたんでん)におさえておくためだ。腰から日本刀をはずしたら、日本人の魂はおさえがきかなくなり、肚(はら)から胸、胸から頭、頭からトサカへとのぼってしまい、思わぬ失態をしでかすことになろう。どうしても、腰から日本刀をとれというなら、かわりに日本手拭いくらいは差しておけ」

 戦前から昭和20年代までは、誰でも腰に手拭いを差していて、恥ずかしくなかった。腰に手拭いの日本人がいなくなって、心コロコロと移ろいやすい軽薄な風潮がはびこるようになってきた。つまり心をしっかり押さえておく頑固なまでに動かない魂がなくなってしまったと言うのです。魂は信念と置き換えてもいいとも言っています。

 最近の出来事で言えば、某政治家は洋上風力発電業者に有利になる国会質問をして、7千万円を超える賄賂を受け取っていました。挙句にその金は、馬主として馬につぎ込んだというのですから、まさに「馬鹿」としか言いようのない、馬に魂を蹴っ飛ばされたようなものです。

 さて、無著さんは生前「私が死んだら、地獄に行くのよ。そこが次の布教所で、地獄に来る人を極楽に送る仕事が待っているからね」と言っていました。無著さんは地獄で今頃、魂のない生き方で悪を重ねた者を、日本刀に見立てた手拭いで、バサッバサッと一刀両断して、心を改めさせているでしょうか。

 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1287話】 「無縁墓」 2023(令和5)年9月21日~30日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1287話です。

 平成19年頃にヒットした「千の風になって」は、「私のお墓の前で泣かないで下さい そこに私はいません 死んでなんかいません ・・」と歌っています。まるでお墓には何もないかのようです。しかし歌の作者新井満さんは言います。「お墓は亡き人の『現住所』で、そこからどこへでも出かけるでしょう」。その出かける先とは、私たちが故人を偲ぶ思い出の地や山や川などの、いわゆる「仏が宿る」ところなのかもしれません。

 亡くなって「住所不定」と思われては忍びないことです。お墓は亡き人の定住地として、しっかり守りお参りを心がけたいものです。しかし先頃総務省が発表した全国調査によると、公営墓地の6割で管理者がいない「無縁墓」があるというのです。それに伴う管理費の滞納総額は、4億円を超えているとか。全国の墓地・納骨堂は約88万4千カ所ありますが、今回調査の公営墓地は、全体の3.5パーセントにすぎません。実際の数はかなりに上るはずです。単身者が増加して、人口減少が進んでいるのがひとつの原因と思われます。

 徳本寺にも無縁墓はありますが、簡単に撤去はできません。縁故者や墓の継承者に連絡がつかず、同意の確認が難しいからです。将来無縁墓になることを見越して、「墓じまい」や「永代供養」を申し込まれる方もいますが、やむを得ない対応でしょうか。

 お墓には当然ながら、墓石が建っています。また塔婆を立てて供養します。それらは亡き人の定住地の目印と同時に、依代(よりしろ)でもあります。依代とは死者の霊魂が宿るところということです。遺骨は肉体の跡形であり、そこに霊魂を呼んで供養するわけです。勿論その霊魂は日本人は古くから、「ほとけ」と呼び習わしてきました。ほとけとの交流の場が墓参りです。ほとけとなった先祖や故人に対して、私たちの今の姿を報告し、またこれまでの感謝の思いを込めて線香や花を手向けるのです。

 永六輔さんは言いました。「人は二度死にます。一度目は死んだとき。二度目は忘れられたとき」。一度目の死は肉体の死。二度目は家族、友人、仲間など、誰からも忘れられてしまったとき、つまり死者を覚えている人が誰もいなくなったとき、ほんとうに死んでしまうというのです。お墓に来れば、ほとけに語りかけることができ、二度目の死を避けることができます。だからお墓を無縁墓にして、二度目の死を象徴する墓標の如くにしてはいけません。

 ほとけは千の風になって、出かけることもありますが、現住所は不変です。お墓を守る人こそ、行方不明にならないようにしなければなりません。

 それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1286話】 「夜霧の渡し」 2023(令和5)年9月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1286話です。

 「矢切の渡し」は昭和歌謡の代表曲です。「つれて逃げてよ・・」と始まる恋の逃避行の歌で、柴又から対岸の矢切に向かう渡し船が舞台です。矢切の渡しは江戸川で唯一現存するものですが、各地にも現役の渡し船は残っています。考えてみれば、人生も渡し船に乗っているようなものです。

 人生の川の向こうは、彼の岸で「彼岸」といいます。いわゆる仏さまの世界です。ただ誤解しないでください。死んで仏さまではなく、仏さまのような心で生きられる人が行くところが彼岸です。その反対のこちら側の岸は、此の岸で「此岸」といいます。いわば我々凡夫が今いる現実の世界です。此岸から彼岸へ渡るとは、悩み苦しみながらも、よりよく生きようとすることです。

 彼岸に渡る川は三途の川です。三途とは「貪 瞋 痴」という三毒の煩悩をいいます。「むさぼり いかり おろかさ」のことです。貪欲に食べ物を求め、隣の人の分まで取ってしまい、争いになる。そのことが自分勝手で迷惑をかけるという思いに至らない愚かな人がいい例です。三毒は心の闇で、何が正しいかという指針となる灯りがない状態です。

 三途の川を渡るには「六文銭」が必要だと言われます。それは船賃というよりは、行く先を照らす灯りのようなもので、彼岸の教えの「六波羅蜜」を指します。波羅蜜とはインドの言葉の「パーラミター」の音訳で、「到彼岸」を意味します。つまり六波羅蜜は彼岸に到るための6つの努力目標のことです。それが仏の教えであり、三毒の闇を照らす灯りとなり、彼岸に渡る船の羅針盤とも言えます。

 その六波羅蜜とは、1つ布施(物でも心でも施し支え合う)、2つ持戒(慎み忘れず決まりを守る)、3つ忍辱(苦しみに挫けず耐え忍ぶ)、4つ精進(善きことにひたすら励む)、5つ禅定(世間に流されない落ち着き)、6つ智慧(迷いを断つ自覚を持つ)という6つの修行徳目です。

 「矢切の渡し」は、親の心に背いても、ふたりで生きようとする覚悟の歌ともいえるでしょうか。私たち凡夫は、仏の心に背いてわがままに生きて、三毒の闇で迷っています。その闇は、矢切ならぬ夜霧のようです。夜霧の渡しには、灯りがなければ彼岸に辿り着くことはできません。せめて六波羅蜜の1つでも意識して、灯りのある生活を送ってみませんか。たとえば布施には和顔施というのもあります。何ら元手はいりませし、覚悟も必要ありません。お互い笑顔で挨拶するだけです。しかし、悩み苦しんでいるときに笑えないと言うかもしれません。「幸せだから笑うんじゃない 笑うから幸せになるんです」この言葉を信じて和顔施を心がけてみてください。きっと夜霧は晴れるでしょう。

 ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、1,540回×3円で4,620円でした。ありがとうございました。

 それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1285話】 「骨を拾う」 2023(令和5)年9月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1285話です。

 「吾れ死なば 焼くな埋むな 野に晒せ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ」自分が死んだら、火葬や土葬にすることなく、野に晒して、痩せた犬の腹を満たしてもらえば本望だという歌です。どなたの歌だと思いますか。絶世の美女と評された平安時代の伝説の女流歌人小野小町の歌です。何と激しい気性が垣間見られる歌でしょう。

 若い頃宮廷につかえ華やかな生活を送りました。あまたの言い寄る男になびくことなく、晩年は諸国放浪の旅の人でした。80歳で京都の補陀洛寺に辿り着き、そこが終焉の地となりました。寺に安置されている晩年の像は、あばら骨が浮き出た老婆の姿とか。まさに「花の色は移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」です。

 小町ほどの劇的な生涯とは言えないまでも、人が一生を終えるとき、その人の人生を惜しみ、振り返る人が、たくさんいるはずです。実は先日、大学時代の友人Kが亡くなりました。72歳でした。彼は奥さんに先立たれ、子どももいませんでした。晩年信頼する人に最期を託していました。共通の友人から、Kが入院しているとの連絡があったと思ったら、翌日亡くなったとの知らせが入りました。

 本人の希望で、誰にも知らせることなく、葬儀も行わず火葬にだけして、後は海に散骨して欲しいということでした。血縁者がいないわけではないのですが、そこには第三者が立ち入ることができない事情があるのでしょう。しかし、友人の死を告げられ黙っていられる訳はありません。急ぎ10人ほどの友人が火葬場に参列しました。私は立場上、法衣を着てお経のお勤めをし、皆さんにお焼香していただきました。

 そして、収骨の時、火葬場の職員から恭しく説明を受けました。最後に頭の部分と喉ぼとけを納めます。最初は二人一緒にひとつのお骨を箸で拾ってください等々です。収骨のお経を挙げながら、厳粛なお骨拾いの様子を見て思いました。10人だけとはいえ、友人に骨を拾ってもらえて、Kは幸せじゃないか。よく「俺が死んだら、お前に骨を拾ってもらいたい」などと言う人がいます。骨を拾うというのは、自分亡き後の後始末をしてほしいということです。同時にそんなことをお願いできるほど、お前を信用しているということでもあるでしょう。70年を超える生涯を支えたお骨は、無言で小さな箱に収まりました。

 いずれ海に散骨となるようですが、友人としてはいささか割り切れない気持ちです。本人は覚悟の上で、一切この世に自分の足跡も残さないという思いだったかもしれません。しかし、残された者はそう簡単に縁を断ち切ることはできません。「犬の腹肥やせ」と詠った小町も、その墓は全国に点在し、どれが本物か確定できないほどだそうです。骨を埋める覚悟も必要ではないでしょうか。

 それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1284話】 「どこでもドア」 2023(令和5)年8月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1284話です。

 東京ドームの約2倍分の8.2ヘクタールの広大な農地に、約300万本のひまわりが咲き誇る様を想像してみてください。世の中にこんな景色があるのかと、素直に感動します。「第6回やまもとひまわり祭り」でのことです。

 そこは東日本大震災前は、普通に民家があり、田畑が広がるのどかな田園地帯でした。まぎれもないこの世の景色です。しかし、大津波で民家は1軒残らず流され、瓦礫で埋め尽くされ、たくさんの遺体も発見されたところです。この世のものとは思えない地獄のような光景でした。

 あれから12年、あたりは災害危険区域となり、住まいすることはできません。しかし、広大な農地となり、大型農業が営まれています。その沿岸部の農地の地力増強を目的に、毎年場所を替えてひまわりが作付けされています。祭り終了後は、緑肥として畑にすき込まれます。

 会場内の高見台から、ひまわりの壮大なパノラマが一望できましたが、全体が黄色に染まる中で、ポツンとピンクの物体が見えました。何とあの「どこでもドア」です。ドラえもんの秘密の道具第1号と言われる魔法の扉です。目的地を言ってドアを開けると、その先が目的地になるとか。何人かの人が開けて入って行きましたが、果たして目的地はあったのでしょうか。

 私は震災前の田園地帯に行ってみたいとも思いましたが、ひまわりの前向きな姿を見て、変わりました。震災の縁で広大なひまわり畑ができたように、復興への歳月で培った悲しみや喜びは、ひまわり以上の肥やしとなって、人々の心を強靭にしてくれました。現実にはドアを開けた先に特別な世界があるわけではなく、ひまわりの先にも更にひまわりが広がっているのです。過去から学んだ明日の元気の源です。ひまわりが大地に根を張って、しっかり太陽に向かっている、それが今の私たちの姿そのものです。

 さて「どこでもドア」でドラえもんは、思い通りのところに行けましたが、意のままになることを如意といいます。そして僧侶は、読経や説法をするときに如意という持ち物を手にします。元々は孫の手のような存在でしたが、現在は僧侶の威儀を保つ仏具です。先端が巻き曲がって蕨のような形で材質は木製など様々です。説法によってあらゆる疑問を自在に解決させる、あたかもかゆいところに手が届くという意味を持たせているのでしょう。

 禅の説法の根幹は空ということです。無の状態で一切比べないということです。他人と比べない、過去と比べない、まだ見ぬ明日を思い煩わなければ、入ってくるものがすべて思い通りのことといえます。そして空は何もないことですが、「放てば手に満つ」何でもあるとも言えます。空の心で目の前のドアを開けてみてください。如意の世界が広がっていませんか。

 それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。



【第1283話】 「目連の心」 2023(令和5)年8月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1283話です。

 頭に血がのぼった状態を「頭に来る」と言います。逆立ちをしてみれば、頭に血がのぼっているというか、血が下がって頭に集まっていることを実感できます。それは決して楽な姿勢ではありません。

 逆さに吊るされた苦しみは、インドの古い言葉の「ウランバーナ」に当たります。お盆は正式には「盂蘭盆」といい、ウランバーナが起源だという説もあります。釈迦の十大弟子で神通第一と言われた目連は、亡くなった母を神通力で探したところ、餓鬼道に堕ちて、逆さ吊りの苦しみに遭っていました。その訳をお釈迦さまに尋ねると「お前の母は、我が子にはとてもいい母親だった。しかし、他人には強欲で意地悪だったからだよ」「救い出す方法はありませんか」「ひとつだけある。それは山に籠って厳しい修行を終えた修行僧が、7月15日に町に下りてくる。彼らに衣や食事を提供して、お経を挙げていただきなさい」。目連がその通り実行すると、母親は餓鬼道から抜け出し、逆さ吊りの苦しみから逃れることができました。

 以来、目連は母と同じように苦しみにあえぐ人々を救うべく、毎年7月15日に修行僧を招いて供養の席を設けました。これがお盆の始まりであり、和尚さんを呼んでご法事を営む風習にもなったといわれます。7月15日が本来のお盆で、地方では月遅れの8月に行われます。

 さて、この世にも逆さまな心で、頭に血がのぼった母親はいます。6月神戸市の草むらでスーツケースに入った6歳の男の子が遺体で発見されました。背中を踏みつけたり、鉄パイプで殴って殺害した疑いで、母親とその弟や妹の合わせて4人が逮捕されました。また7月には茨城県水戸市で、8歳の息子と5歳の娘を殺害した容疑で、母親が逮捕されました。更に大阪府大東市の母親は、9歳の娘に食事を与えず、低血糖症で入院させ、共済金をだまし取ったとして逮捕されました。

 犠牲になった子どもたちは、母親が頭に来るような悪いことをしたのでしょうか。すべては母親の身勝手と欲に溺れての悪業です。この世の母親の仕業とは思えません。子どもたちこそが、地獄のような苦しみを味わったのです。目連の母親の我が子への溺愛は、確かに逆さまな心です。しかし、身勝手な母親に言います。「せめて目連の母親並みに、我が子だけでもしっかり面倒を見なさい」と。

 逆立ちをして食べたり飲んだりはできません。そのように、強欲な餓鬼は喉が針のように細くなって、まともに食べられません。お盆には、キュウリとナスを賽の目に刻んで洗米と混ぜて水に浸した「水の子」というお供えをします。餓鬼が食べやすいようにという配慮です。お盆に帰ってくるご先祖の供養と併せて、苦しみにあえぐ人をも救いたいという目連の心の顕れです。お盆はお供えを整えながら、私たちも心が逆さまになっていないか省みる機会でもあります。

 ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、1,303回×3円で3,909円でした。ありがとうございました。
 それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1282話】 「追善供養」 2023(令和5)年8月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1282話です。

 昭和59年から平成19年にかけて、5千円札の肖像画になっていた世界的な農学者新渡戸稲造は、若い頃ドイツに留学していました。ある日店でコーヒーを飲んでいると、公園で40人の孤児たちが保母さんに連れられて遊んでいるのが見えました。ちょうどその日は母の命日でした。「そうだ母のへの追善供養に、子どもたちにミルクを飲んでもらおう」と思い立ちました。店のおばさんに頼んで、子どもたちにミルク一杯ずつをふるまうことができました。子どもたちは飲み終わると、歌を歌ってお礼をしてくれました。それを聞いて彼は親孝行をした気持ちになったといいます。

 追善供養とは、亡き人の霊が安らかであるようにと願って善行を施すことです。ご法事やお墓参りという供養事も立派な善行です。更に追善供養には、亡き人に代わって行う善いことも含まれます。亡き人が健在であればきっとそうしたはずだが、代わって自分が善いことをして、それは亡き人が行ったものとして、善を追加してあげるのが「追善供養」です。

 新渡戸稲造の母がこの場にいて、孤児たちを見たら、きっとミルクをご馳走したろうと思い、母の命日という巡り合わせも重なり、追善供養に及んだのです。

 さて、徳本寺の開基家大條家ゆかりの茶室は、町の文化財になっています。一説には豊臣秀吉から伊達政宗が賜った茶室とも伝わる貴重な歴史遺産です。伊達家に仕えた大條家が、ある手柄の褒美として拝領したものです。残念ながら、老朽化と東日本大震災の被害で、朽ち果てんばかりになっています。現在町では、修復のためにクラウドファンディングなどで、全国に支援を呼び掛けています。

 それのことで、京都の谷口さんという知人の方から、大枚の寄付が届けられました。そして寄付者名は自分ではなく、亡き両親の名前にしてくださいというのです。「両親は生前、住職様と良き縁を得たことをとても感謝しておりました。存命であればきっと今回の茶室修復に寄付をしたと思います。少しでもお役に立ててくだされば幸いです」。そんな有り難い言葉も添えてありました。まさに追善供養そのものです。

 大條家は元々伊達家の分かれです。大條17代道徳は、戊辰戦争の折に伊達家の窮地を救う働きが認められ、伊達姓に戻るように言われ、伊達宗亮と改名します。奇しくも今年が伊達宗亮の百回忌に当たります。この巡り会わせに、茶室の修復が叶うなら、またとない追善供養です。また、徳本寺でも開基家の恩に報いる報恩供養という意味も込めて、秋には法要を営みます。そして、伊達宗亮の4代後の子孫に伊達みきおなる人物がいます。今や天下統一を果たしたかのようなあのサンドウィッチマンです。彼もテレビ・ラジオで我が先祖ゆかりの茶室として、広く修復を訴えています。何十年後かに、5千円札の肖像画に伊達みきおが載ることを思い描いて、みなさまも茶室修復にご協力ください。

 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1281話】 「仕方はある」 2023(令和5)年7月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1281話です。

 学校は夏休みになりました。家族揃って温泉宿に泊まりに行くという楽しい計画もあるかもしれません。しかし、宿という字がついても、「宿題」となると、子どもたちにとっては、苦痛以外の何物でもありません。

 最初に宿題を片付けて、残りをのんびりするか、最初に楽しんでギリギリになって宿題と格闘するか、ふたつのタイプがあります。ほんとうの優等生は、毎日コツコツと励む子どもでしょうか。普通は今日できなくても明日がある、明日やればいい。そう思って、あっという間に3日が過ぎ1週間が過ぎてしまいます。そして長いと思っていた夏休みも終わり、早や秋の風が吹き始めるわけです。

 大人になっても夏休みの癖が抜けないで、人生を送っていることはないでしょうか。お釈迦さまの教えに「四馬(しめ)のたとえ」というのがあります。四馬とは4頭の馬のことで、無常の観じ方を馬の賢さにたとえたものです。1番の駿馬は、御者が振り上げた鞭の影を見て走り出す、つまり別の村人の死に接しても無常を思う、2番目は鞭が毛の先に触ってから走り出す、つまり同じ村人の死に接した時、無常を思う、3番目は肉に触ってから走り出す、つまり家族などの死に接して悲しむ時です、4番目は骨身に徹しないと走り出さないというのは、自分が病気になり死が迫って初めて無常を感じる者のたとえです。

 子どもの頃描いた夢や希望も、大人になるにつけ、自分の能力や置かれた状況を悟り、どうせこんな自分だから仕方がないと思ったことはありませんか。言い訳をして宿題を先延ばしにしているうちに夏休みが終わってしまうようなものです。無常に一番鈍感になっている状態です。無常に鈍感とは、言い訳人生です。まだ明日がある、今日は暑いから何もしたくないなど、できない理由はいくらでも並べられます。御者の鞭の存在すら見えていません。

 〈「仕方がない」と言い訳せず、「仕方はある」と工夫する〉これは2010年の甲子園で春夏連覇を果たして、沖縄県勢初の夏の甲子園優勝を成し遂げた興南高校の我喜屋優監督の言葉です。監督は「小さいことを見ようとしない人には、見落としがいっぱいある。小さいことに気づける人は、大きな仕事ができる」とも言っています。そして甲子園の宿舎の周りのごみ拾いをした話は有名です。仕方がないと思い込んだ時点で、どんな仕方も見えなくなります。先ずは今の自分も、置かれた状況も否定しないことです。そうすることで仕方が見えてくることがあります。鞭の影が常に見えると、今自分は何をしなければならないかが分かるようになります。私たちの人生には宿題というより、宿願があるのです。それは仏に成ることです。仏とは工夫に工夫を重ね、今この時を生き切っている人のことを言います。

 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。