テレホン法話 一覧

第749話  「申し子たち」(2008.10.11-10.20) 

 今から25年前、野球の申し子のような二人の少年が運命的な出会いをしました。二人共、ピッチャーとしての素質もバッターとしてのセンスも、人並み以上のものがありました。しかし、ひとりは相手の投げる球を見て、こんなすごいピッチャーがいるのかと驚き、ピッチャーになることをあきらめました。もうひとりは、相手のバッティングを見て、とても敵わないと思い、ピッチャーとしてやっていくことを決心しました。
 ピッチャーをあきらめた選手の名前は、清原和博。バッターよりピッチャーを選んだ選手の名前は、桑田真澄。こうして二人はPL学園で、1年生から4番打者、エースとして活躍。高校時代の甲子園に、5回連続ですべて出場し、二度の優勝、二度の準優勝を果たしました。
 清原選手の甲子園通算13本塁打は、最多記録ですし、桑田選手の甲子園通算20勝は戦後最多です。その上、清原選手は甲子園でも、プロになってからも何度かマウンドを踏んでいますし、桑田選手は甲子園で6本もの本塁打を放っていますが、これは清原選手に次いで2番の記録です。
 しかし、運命の出会いは、運命の別離を用意していました。高校卒業時、巨人ファンだった清原選手は巨人入りを熱望。当然巨人からも指名があると思っていました。結果は皮肉にも、大学進学を表明していた桑田選手が巨人から指名され、清原選手は悔し涙で西武に入団。
 彼はその涙をバネに、打率304、本塁打31本で新人王を獲得。翌年は、日本シリーズで因縁の巨人を破って、涙の日本一に輝きました。10年後FA宣言で、憧れの巨人に入団するも、怪我などに泣くこともしばしば。それでも大舞台での勝負強さは光っていました。桑田選手とて、巨人での活躍に満足することなく、果敢なるチャレンジ精神で、大リーグ入りも果しました。
 運命の別離でお互いを避けるのではなく、アイツがいたからこれまで野球ができたと思い合ってきた二人。野球の神様がこの二人に授けたもう一つの才能は、どんな不遇にあっても、恨まず相手を思いやり、向き合っていく心の広さではなかったのでしょうか。ある人が言いました。"才能とは、逃げ出さないこと"
 奇しくも二人は、今年現役を引退しました。同級生が20年以上プロ野球の現役を続けたのは史上初だそうです。野球の神様は二人にこんなことを言うかもしれません。「野球の申し子と言われ、長い間の活躍ごくろうさま。もう仕事をしなくていいから、ゆっくり休みなさい。」
 その桑田選手が、当世寺子屋講座にやって来ます。10月25日午後2時、山元町中央公民館大ホールです。
 それでは、又10/21よりお耳にかかりましょう。(ホームページ「行事のご案内」を参照)

第748話  「"いずくない"話」(2008.10.1-10.10)

4.jpg「うっしょまえ、けっちゃにきてで、いずいごだ」「一丁前に、警察に来たけど、まずいことになった」と言っているのではありません。たとえばシャツなどを、「後ろ前に着ていてしっくりこないよ」と言っているのです。
 これは、徳本寺の彼岸会法要の折、東北放送アナウンサーの藤沢智子さんをお招きし、「残しておきたいおらほの言葉」という講演をしていただきましたが、その中でご紹介いただいた「おらほの言葉」です。藤沢さんは、仙台弁を使うことにより、子どもからお年寄りまで、楽しい会話で豊かなコミュニケーションを築きましょうと、ラジオ番組などでも、広く呼びかけています。
 そして、自ら「『いずい』を全国に広める会」の会長を名のり、仙台弁の代表的な言葉
「いずい」の普及に努めています。よその人には、チンプンカンプンな言葉ですが、私たち地元の者にとっては、実に重宝な言葉です。靴を反対に履いたときや、目にゴミが入ったときの、あのなんともしっくりこない感じを「いずい」の一言で表現できるわけです。
 古くは室町時代、京都で使われていた、「ぞっとする、おそろしい」という意味の「えずい」という言葉に通じるそうです。これは、心の持ちようを表わすときも使われます。お互いの気持がギクシャクして、しっくりこないとき、「いずい」となります。
 そして「いずい気持」の一番の原因は、自分の「我」を通そうとするところにあるのかもしれません。自分の思い通りにならなければ、どうしても気持が治まらないということになります。では、「いずくない心もち」とは何でしょう。
 たまたま10月5日は、禅の教えをインドから中国に伝えられた達磨大使の命日「達磨忌」
です。その達磨大使が中国で、「仏教で説く最高の境地は何ですか」と問われ、「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えられました。簡単に言えば、カラリと晴れわたり、一片の雲もない秋空の如く、何ら執着のない無心の境地のことです。
 私たちの心は、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、相手によっても、様々に移り変わります。いつもさわやかな秋空のようにはいきません。その都度「いずい」思いをします。せいぜい仙台弁を駆使して、常日頃のコミュニケーションを深めましょう。"おしょすがらないで"。
エッ「和尚さんたちがどうして泣くんですか」って?いやいや違いますよ。"おしょすがらないで"とは、恥ずかしがらないでということです。
 それでは、又10/11よりお耳にかかりましょう。(「行事のご案内」参照)

第747話 「痛切に生きたい」(2008.9.21-9.30)

「敬老の日」を前に、厚生労働省は、全国の百歳以上の高齢者数が、9月末時点で、36,276人になると発表しました。集計を始めた45年前の1963年はわずか153人でした。それから年々増え続け、10年前に1万人を突破、3年前から3万人を超えています。これは、喜ばしい3万人突破ですが、喜ばしくない3万人突破もあります。
 それは自殺者の数です。日本の自殺者は、1997年の24,391人から、翌年の1998年には32,863人と急増し、初めて3万人を突破しました。以来昨年まで10年連続で3万人を超えています。昨年は33,093人でした。一日あたり90人、約16分に1人、日本のどこかで誰かが命を絶っていることになります。
 3万人を初めて超えた1998年(平成10年)は、大幅なリストラがあったりと、経済不況に陥った年です。同時に、テレビを中心とした家族団欒から、いつでもどこでも好きな時に情報を交換できる携帯電話やパソコンの需要を喚起した年でもありました。
 家族団欒がなくなって、自殺者が増えたなどという短絡的なことを言うつもりはありません。しかし、一人暮らしの孤独に耐えかねて自殺する人より、家族の中であまり相手にされず、自分の居場所がないと孤独になって、自殺する例が多いともききます。一人ひとりが好き勝手にしたい世代と、一つ屋根の下に居る限りは、面と向ってかかわりを持つ、ぬくもりのある関係を築きたいと思う世代のミゾは、意外に深いのかもしれません。
 しかし、どんなに自分の中で、何も成すすべがないと思っても、生きていることはそれだけで、何にも代え難い価値があります。こんな言葉に出会いました。
〜私が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人が、痛切に生きたいと願った一日である〜 
生きている限りは、どなたにも平等に与えられている一日です。自分の計らい以前の大いなるご縁により与えられているのですから、自分で勝手に処分していいものでしょうか。
 あわてなくても、死ぬ時は間違いなくやって来ます。それまでは"痛切に生きたい"と、一日でも多く願えるようでありたいものです。叶うなら、それが(ひゃく)歳までも続くなら、飛躍・・(ひやく)的な人生が展開されることでしょう。
 それでは、又10/1よりお耳にかかりましょう。

第746話 「赤ペンキと閼伽水(あかみず)」(2008.9.11-9.20)

「70年、80年生きて、最後に石に刻まれるのは、たった1つの日付けだけ」と、言った人がいます。いわゆる「命日」のことを指したのでしょう。確かに私たちは、せいぜい百年くらいの限られた時間しか生きられません。だからこそ、その後の世界に、何がしの思いを託すのかもしれません。「石に刻む」といのは、ある意味、いつまでも変わらず残っていくだろうという期待が込められているわけです。
 勿論、どんな堅い石でも、永遠不変ということはなく、長い歳月をかけ風化はします。それはともかく、「墓を造る、石に刻む」というのは、有限から無限への願いでもあるような気がします。
 その墓石に、あろうことか赤ペンキで落書きをするという事件が起きました。
9月5日朝、富山市営墓地「富山霊園」の墓石や燈籠など170基に、赤いペンキで書かれた「○」印や「×」印、卑猥な言葉などの落書きが見つかりました。白御影石に殴り書きされた赤ペンキは不気味な感じさえします。いったい誰が何のために、このようなことをしたのでしょう。被害者の言葉でなくとも「こんなことをして、ばちがあたる」と、言いたいところです。
 また今回の事件の2ヶ月程前、デンマークのコペンハーゲンで、かの有名な童話作家アンデルセンの墓など複数の墓石に落書きされ、世界のニュースになりました。これは当局に不満持つ若者たちの、報復行為とみられています。
 いかなる理由があろうとも、墓石を落書きなどで汚すとは、永遠(とわ)の眠りについている死者に対する冒瀆です。また、そのお墓をお参りする方々に、どれだけの不快感や不安感を与えるかわかりません。お墓に書き・・などという悪あがき・・をするような者は、がき・・そのものです。
 お墓にかけてはいいのは、赤ペンキではなく「閼伽水」です。「閼伽」とは、お経の言葉で水を指します。水は生命の源です。お墓に眠るご先祖さまも、水と同じように、私たちに生命をもたらして下さいました。そのことに感謝して、「いのちの水」をお墓にかけて、手を合わせるわけです。
 お彼岸のお墓参り。刻まれた命日を改めて確認し、命日から命日へ、永遠に「命のリレー」が続くよう念じたいものです。人類の悲願・・として・・・
 ここでご報告致します。8月のカンボジア「エコー募金」は214回×3円で642円でした。ありがとうございました。
 それでは、又9/21よりお耳にかかりましょう。

第745話 「合掌(がっしょう)・決勝(けっしょう)・吉祥(きっしょう)」 (2008.9.1-9.10)

 北京オリンピック第13回目、ソフトボール日本チームは、変則トーナメントの準決勝で、アメリカに延長9回の末、1対4で敗れました。その約4時間後、更なる死闘が待っていました。
 決勝進出をかけてのオーストラリア戦です。上野投手の力投もあり、2対1でリードし、最終回の7回表オーストラリアの功撃もツーアウト。あと1人のアウトで勝利を手にするというとき、同点ホームランを打たれ、延長戦へ。11回表オーストラリアが1点勝ち越し。しかし、その裏日本も1点返し、再び同点。12回裏、日本はワンアウト満塁の好機に西山選手が右中間にサヨナラヒットを放って、3時間半近い激戦に決着をつけました。
 この時、サヨナラのホームベースを踏んだのは3塁ランナーだった三科選手です。彼女はサヨナラゲームの歓声が沸く中、ちょこんとホームベースに乗り記念すべき1点を印しました。そして、何とホームベースに向って、手を合わせ、頭を下げたのです。
 長かった戦いがやっと終わったという思いで、お世話になったグランドに感謝の気持ちを表したのでしょうか。チームメイトの粘り強い戦いを称えたのでしょうか。あるいは、相手チームに対して労をねぎらったのでしょうか。いずれにしても、とてもさわやかな合掌の姿でした。
 オリンピックはじめ、様々な試合で、日本人も外国人も勝利すると、握りこぶし高く掲げ、いわゆるガッツポーズを取る人がほとんどです。中には、外国選手で敬虔なクリスチャンなのでしょうか。胸のところで十字を切る人も見かけます。
 スポーツほど自分の実力に頼らざるを得ないものもありません。
 どんなにすばらしい監督がいて、何万人の応援があったとしても、試合上では、誰も手を貸してはくれません。自分の力で闘うだけです。それでも実力を発揮できるのは、目に見える見えないにかかわらず、多くのおかげがあればこそなんだと、感謝の気持ちを忘れないことは大事です。自分の力プラスおかげの力があると思えば、これほど頼りになるものはありません。おかげは無限なのですから。
 三科選手のホームベース上の合掌は、またこのホームに帰ってくるから見守っていてね、と言っているかのようでもありました。事実、翌日のアメリカとの決勝戦で、三科選手は3回表2塁打を放ち、先制のホームを踏みました。それは金メダルへの確実な一歩となりました。合掌は決勝につながり吉祥をもたらしようです。
 それでは、又9/11よりお耳にかかりましょう。