テレホン法話 一覧

【1318話】 「観音さまからの宿題」 2024(令和6)年8月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1318話です。

 「観音さま」は、正式には「観世音菩薩」と言います。菩薩とは人々を救うためにこの世に現れる仏さまです。そして「観世音」の観は「観察」の意味でよく観るということです。「世音」の音は出来事のことですから、世の中の出来事をよく見て、それなりの対処をしてくださる仏さまが観世音菩薩です。

 観察と言えば、小学生の夏休みの宿題に、朝顔や雲の観察などがあり、子どもたちの得意分野です。その底力をいかんなく発揮した出来事がありました。6月10日宮城県大河原町(おおがわらまち)の町議会でのこと。社会科の授業で議会見学のため傍聴席にいた小学6年生が、本会議中に携帯電話で「ディズニー ツムツム」のゲームをしている議員を目撃しました。

 議会に届いた感想文には、5人の児童が「ツムツムをしている人がいた」「何で話し合いの途中でツムツムをしている議員がいたのかわからない」などと書いてありました。名指しされたS議員は73歳、当選5回で議長も務めたことがあるベテランです。その釈明に曰く「ゲームをしていた事実は記憶にないが、複数の小学生が見たと言っているのでは、その事実があったと認める。プレーをしていたというより画面を見ていた」。何と見苦しく往生際の悪い弁明でしょう。素直に非を認めないのは、ゲームをしたこと以上に、恥の上塗りではないですか。

 子どもは体格の違いで大人より視線が低い分、意外なものを見つけたりします。大人が見ていない所をしっかり捉えることがあります。何より思い込みや予断がありません。純粋に素直に物事を観察します。だから、会議中のゲームに違和感を覚え、率直に感想を述べたのでしょう。

 大人なら同じ光景を見ても、どうせ議員さんなんて選挙の時だけいい顔をして、議会中も適当に時間をつぶしているんでしょうと、遣り過ごすかもしれませ。第一、傍聴席からでも見えた光景を、近隣の議員は気づかないのでしょうか。見て見ぬふりは大人の専売特許です。

 ともかくS議員は、辞職勧告が出て7月24日に辞職しました。それに対して、「ゲームは反省すべきだが、子どもから他に指摘された居眠りや態度が悪い議員がおとがめなしでは示しがつかない」という意見も出たそうです。もはや学級崩壊ならぬ議会崩壊でしょうか。

 町民の暮らしを守り、町民の幸せのため町づくりに力を尽くすのが議員の使命でしょう。観音さまには「救世(ぐぜ)観音」という別名もあります。世を救う観音ということです。議員の方々は、子どもたちに負けずに、世の中をしっかりと見るべきです。その上で、観音さまからの夏休みの宿題と思って、我こそは救世観音という気概を示す作文を、子どもたちに提出することをお勧め致します。

 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。 

        

【1317話】 「18歳と81歳」 2024(令和6)年7月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1317話です。

 「年齢7掛け説」というのがあるそうです。健康な現代人の年齢は、3割若く数えても大丈夫だということです。60歳なら42歳、70歳なら49歳、80歳なら56歳という風にです。50代・60代の頃はさもありなんと思っていましたが、さすがに70歳を超えると、8掛け・9掛けが現実に即している気がします。

 さて、ある方から「18歳と81歳の違い」という戯言を教わりました。18と81は、数字の上では1と8を入れ替えただけですが、その中身は雲泥の差があります。18歳は子ども卒業、大人成りたて、ともかく前途洋々です。81歳は人間卒業、仏目前、ともかく前途不安です。「恋に溺れる18歳 風呂に溺れる81歳」「道路を爆走する18歳 高速を逆走する81歳」「心がもろい18歳 骨がもろい81歳」「ドキドキが止まらない18歳 動機が止まらない81歳」「恋で胸詰まらせる18歳 餅で喉詰まらせる81歳」「偏差値が気になる18歳 血圧・血糖値が気になる81歳」「まだ何も知らない18歳 もう何も覚えていない81歳」「自分探しをしている18歳 みんなが自分を探してる81歳」

 若さを羨み、老いを嘆き、言い得て妙です。年齢を何割引かにして、まだ若いと思えることもあるかもしれませんが、年齢は正直です。たとえば無意識のうちに、立ち上がるとき「どっこしょ」と掛け声をかけていませんか。でもご安心ください。「どっこいしょ」は霊験あらたかな言葉です。「六根清浄」という仏教語から来ています。山に登るとき、金剛杖をついて「六根清浄」と唱えます。それを唱えやすく「ろっこんしょ」と短縮しているうちに、「どっこいしょ」と変化したものです。

 六根とは「眼・耳・鼻・舌・身(からだ)・意(こころ)」つまり「見る・聴く・嗅ぐ・味わう・触れる・考える」という人間の6つの感覚器官のことです。これらの器官を清らかにして山に登りなさいという掛け声が「六根清浄」です。何とならば、山には神や仏が宿るとされ、信仰の対象だったからです。

 歳相応に「どっこいしょ」と掛け声をかけなければ、何事も始まらないと嘆くことはありません。身も心も清らかにして、ありのままの自分で、今できることを行うためのおまじないが「どっこいしょ」と思えばいいのです。こんな歌があります。〈今できる ことをするしか ないでしょう 今日が一番 若いんだから〉(横浜市桜田幸子)。

 誰にとってもこれからの人生で、一番若い今日を生きているのです。これまでの経験で磨かれた六根を支えに、今日の若さを楽しみましょう。今回の法話のための戯言をひとつ。「スマホ見て一日暮れる18歳 どっこいしょと一日始める81歳」前途が洋々としてきませんか。そういえばアメリカのバイデン大統領も81歳でしたね。英語で「どっこいしょ」はどう言うのでしょうか。

 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。          

【1316話】 「不二山」 2024(令和6)年7月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1316話です。

 東京都国立市では、駅前から伸びる通りを富士見通りと称しています。晴れた日には富士山を望めるからです。2年前にこの通りにマンション建設の話が持ち上がりました。地元では景観をめぐって反発したものの、建築基準法上の問題はないということで着工、先月完成しました。しかし引き渡しまじかになって、建て主の積水ハウスは解体を決定しました。

 違法建築でもない全くの新築マンションを使用する前に取り壊すとは驚きです。10階建て総戸数18戸の建物です。建設費用も解体費用も莫大なはずです。解体理由として「建物が富士山の眺望に与える影響を再認識した」といいます。確かに完成した建物に遮られて、見えるはずの富士山が半分しか見えず、富士見通りの名が泣いています。富士山眺望に対する検討が不十分だったことを反省し、企業イメージの悪化を危惧した経営判断のようです。

 普通の山なら、ここまでのことはなかったかもしれません。富士山の存在感はけた外れです。富士山を「二つにあらず」という意味で「不二(ふに)」と書き「不二(ふじ)」と呼ぶことがあります。お菓子の不二家でお馴染みでしょう。高さや姿、何をおいてもまさに二つとない霊峰と言えます。

 さて、不二といえば、曹洞宗には「修証不二」という教えがあります。〈修〉は修行、〈証〉は悟りということです。普通、修行の果てに悟りがあるという風に、修行と悟りを二つに区別しがちです。本来の意味は、修行そのものが悟りであり、何かのためにという邪念を抱かず、ただひたすらに行を修しなさいということです。例えば、朝目を覚ますことから始まり、顔を洗う食事をする、勉強や仕事に打ち込む、迷わず行住坐臥に徹している姿は、悟りと同じと言えます。

 何だそんなことかと思う人もいるかもしれませんが、今朝迷わず目が覚めたでしょうか。文句を言わず朝ご飯をいただき、心からごちそうさまが言えたでしょうか。一つひとつ振り返ると、仏さまにふさわしくない言動がなかったでしょうか。ご飯と私、仕事と私がひとつになっているつまり、不二のとき、立派な修証不二と言えます。それもこれも仏の教えが念頭にあったればこそできる修行なのです。

 今回の積水ハウスにとって、富士山は仏の教えのようなものです。富士山を見えなくするとは、仏の教えを隠してしまうようなものです。会社だけの利益を追求して、地元に想いを致していないのは、会社と地元を二つに区別していたからでしょう。そこに気づき大きな代償を払っても、富士山のおかげで「不二」の修行を示せたかもしれません。企業たるもの、顰蹙(ひんしゅく)買ってはいけません。誠意を売るようでなければ・・。

 ここでお知らせいたします。6月のカンボジアエコー募金は、685回×3円で2,055円でした。ありがとうございました。
 それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。

【1315話】 「一心松」 2024(令和6)年7月1日~10日

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 元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1315話です。

 東日本大震災で大津波を目撃した人は、「松林の上から黒い煙が出ているように見えた」と言っていました。最大波12.2㍍ともいわれる津波が、わが山元町の沿岸部の松林を根こそぎ破壊しました。松は養分や水分がなくても育ち、塩害や風にも強いことから、防風林・防砂林として用いられてきました。しかし、松林を超えるほどの津波には敵わず、海岸の風景は一変しました。

 そして海岸から300㍍の徳本寺の末寺徳泉寺は、境内の松の木は勿論、本堂などすべてが流され、白い砂浜状態でした。大震災から9年経った令和2年に、やっと本堂が再建されました。これは流されながらも奇跡的に発見された「一心本尊」さまの下に、「はがき一文字写経」を納経したいという全国の方の想いが形になったものです。

 翌年には本堂前にささやかな石庭を整えました。その中にひとつ珍しい石がありました。正面から見ては普通の石なのですが、裏から見ると、針金のように細く小さな松の枝が一本、わずかな石の穴の中に生えているのです。まるで石の中から生まれたかのような姿です。最初見た時は驚きながらも、すぐに枯れてしまうのではと思っていましたが、3年経った今も針金松の葉は緑です。

 石の上にも3年ではありませんが、全ての松林がなくなった後に、石の上という極限の環境の中で命を保っているとは、奇跡のよう松です。「一心本尊」とは、どんな災難に遭ってもみなさんの支えになる一心で留まった本尊であると信じて名付けられたものです。石の裏側に生えた針金松は、誰にも見られず、一心本尊さまと向き合っている位置にあります。「松は吹く説法度生の聲」といいますが、本尊さまと心を通わしているのか、何やら暗示的です。

 さて、曹洞宗を開かれた道元禅師には次のようなお歌があります。〈荒磯の波も得よせぬ高岩に かきも付くべきのりならばこそ〉「荒波打ち寄せる海岸で、波も寄せ付けないほどの高い岩にも、海苔が掻き付くつまり岩肌にへばりつくように海苔が生えている」ということです。もうひとつの意味としては、「のり」は海の「海苔」と仏法の「法」という「のり」の意味をかけています。「かきもつくべき」も「へばりつく」と、教えを「書き尽くす」ということをかけています。つまり、高岩に海苔が付くように、どんな環境にあっても、尊い教えであればこそ、それを求め伝えようという人々の、書き尽くそうとする精進の積み重ねによって、正しく伝わるものであるということです。

 針金松も松林なきあと、悲しみという風や困難という砂嵐から人々を守り励まそうと、一途に石にへばりついているかのようです。高岩ののりの如き針金松を、これからは被災地のシンボル的一心本尊さまと共に、「一心」と呼んで、崇め奉(たてまつることにしましょう。

 それでは又、7月11日よりお耳にかかりましょう。   



一心松

 

【1314話】 「宥座之器(ゆうざのき)」 2024(令和6)年6月21日~30日

住職が語る法話を聴くことができます

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1314話です。

 戯れ歌をひとつ。「裏金も キックバックも 何でもあり 勝れる組織 派閥に及(し)かず」。元の歌は山上憶良の「銀(しろがねも)も金(くがね)も玉も何せむに 勝れる宝 子に及(し)かめやも」です。金銀宝石も子どもという宝には及ばないという歌です。我が国の舵取りを担う政党の派閥とやらは、国民という宝よりも、我が身を守るための金銀が大事なようです。

 「火の玉となって」国民の信頼を取り戻すと、政治資金規正法の改正案を提示したものの、誰が見てもザル法と思える内容です。例えば10年後に政策活動費の領収書を公開するとは、10年後も議員にさせてくださいというお願いなのでしょうか。政治資金収支報告書の虚偽記載に関する罪の時効は5年なのですから、無意味です。

 「先生」と呼ばれることに胡坐をかき、志も矜持も失っているのではないでしょうか。学校で何を習ってきたのでしょう。学校と言えば、日本最古の学校足利学校を訪れる機会がありました。そこに「宥座之器(ゆうざのき)」という座右に置く変わった金属の器がありました。鎖でぶらさっがていますが、斜めになっています。少しずつ水を入れていくと、ちょうどよいところで、器はまっすぐになります。まだ入りそうだと欲張って満杯にすると、器はひっくり返って、水はこぼれてしまう仕組みです。

 それは孔子の説いた中庸を教えるものです。孔子が魯の国の桓公廟(かんこうびょう)に行くと、「欹器(きき)」という斜めに立つ器がありました。役人に尋ねると「座右の戒めをなす器である。水が空のときは傾き、ちょうどよいときはまっすぐに立ち、水をいっぱい入れたときはひっくり返ってしまう」とのこと。孔子は早速、欹器を手元に置き、「いっぱいに満ちて覆(くつがえ)らないものはない」と慢心や無理を戒めたといいます。

 足利学校では今でも、論語の素読体験を行っています。ちょうど訪れた時も、小学生が論語の素読中でした。先生は机に置いた宥座之器に水をいれながら、孔子の中庸の教えを説いていました。宥座之器の案内板には「腹八分目」の例えが書いてありました。食べ過ぎればお腹をこわし、食べなければ体力がつきません。腹八分目が理想なのです。それを中庸といいます。

 食べ物はお腹が受け付けないことはありますが、お金という食べ物は、金庫や引き出しなどに貯めておくことができ、腹八分目を感じにくいのでしょう。今さら派閥の先生方に「火の玉」までは求めませんが、中庸の姿勢で玉のような存在である私たちのために尽くしてください。私たちの宥座之器ならんことを切に念じております。

 それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。  

【1313話】 「親子3代で完走」 2024(令和6)年6月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1313話です。

 今年はパリオリンピックですが、マラソンの距離が42.195㎞に固定したのは、ちょうど100年前の1924年第8回パリオリンピックの時からです。第1回アテネオリンピックでのマラソンは40キロでした。その起源は、ペルシャ軍がギリシャのマラトンに攻め入った「マラトンの戦い」で、ギリシャ軍が勝利し、その伝令の兵士がマラトンからアテネまで走った約40キロの距離と言われます。紀元前490年のことです。

 マラソンはオリンピックでも花形競技ですが、一般市民の間でも大人気です。各地でご当地名を冠したマラソン大会が行われています。4月末に次のような新聞投書が目につきました。「今年44回目の河北新報錦秋湖マラソンは、5月26日に開催されます。私は第3回大会から出場し続けています。ここ数年は長女と出場していましたが、今年は北海道で大学生活を送る孫娘も加わって3人で10キロの部に挑みます・・・」

 「親子3代でゴールを目指す」というタイトルの投書の主は仙台市の岡本幸治さんです。実は岡本さんとは20年来の知り合いです。このテレホン法話の愛聴者でもあり、何度も感想を寄せて下さいました。しかし、マラソンを走る方とは意外でした。しかも88歳とは驚きです。更に投書には、これまでフルマラソン13回を含め、国内外で367回完走していて、毎朝3~5キロの練習を続けているとありました。筋金入りのランナーであることに只々感服し、早速錦秋湖でも完走できますようにと応援のはがき送りました。

 そして錦秋湖マラソンの翌日には「親子3代で完走 絆かみしめる」という記事が河北新報に大きく掲載されました。親子3代の笑顔の写真は清々しさに満ち溢れていました。岡本さんはレース中に脚をつりながらも、制限時間10分オーバーで走り抜きました。米寿を祝って、親子3代で挑んだ大会で完走を果たしたのです。それもこれも岡本さんのマラソンの実績と、その背中を追って20回ほど一緒に出場した娘さん、更には孫娘さんは子どもの頃から2人の走りを見て応援してきたという絆があったればこそです。

 マラソンの起源は勝利を伝えるために走ったことに由来します。そのことを思えば岡本さんのマラソンには伝えるという意義が十分に反映されています。走ることは勿論、弛まず精進して最後まで諦めないという生き方が、娘さんにも孫娘さんにも伝わったのですから。近代ロケットの父ゴダードは次のように言っています。「昨日の夢は 今日の希望であり 明日の現実となる」。これまで岡本さんは様々な夢を追うが如くにして走ってきたことでしょう。完走するたび、希望が芽生え、明日へと向かってきたはずです。この度の米寿記念の親子3代完走は、究極の夢であり希望だったのでしょうが、紛れもない現実となりました。それは偉業とも言えます。

 ここでお知らせいたします。5月のカンボジアエコー募金は、1,407回×3円で4,221円でした。ありがとうございました。それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。          

【1312話】 「規格外のエンジン」 2024(令和6)年6月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1312話です。

 「持っているエンジンが違うよ」「相撲界の大谷翔平と言われるかもしれない」。大相撲夏場所で初優勝を果たした小結大の里の評判です。昨年夏場所の初土俵からわずか1年、所要7場所での幕内優勝。大銀杏が結えないほどのスピード出世できる規格外のエンジンです。

 出身は能登半島の根元石川県津幡町です。元旦に起きた能登半島地震から5カ月、やっと明るい話題ができ、地元では「石川の誇り」と沸いています。小学生時代から相撲教室に通いました。当時は強い子ではなかったそうですが、学生時代には学生横綱や2年連続アマチュア横綱に輝くなどして、鳴り物入りで各界へ入りました。

 実は今から11年前、私も津幡町を訪れたことがあります。その頃は中学生であろう大の里少年にすれ違っていたかもしれません。津幡町瓜生は曹洞宗大本山總持寺の2代目峨山禅師が生まれたところです。信心深い母は文殊菩薩に祈り続け、玉のように大きな男の子を生みました。今から748年前のこと。源氏の武将の子孫という説があります。賢くたくましく育ち、16歳で出家します。總持寺を開かれた瑩山禅師との出会いにより、めきめき頭角を顕わします。

 当時總持寺は能登半島の輪島市門前町(まち)にありました。海上交通を活用し、瑩山禅師が曹洞宗の教えを全国に広める基盤を作りました。その後を継いだ峨山禅師が、42年間總持寺の住職として、人材育成などに力を尽くします。二十五哲と言われるたくさんの俊才を輩出し、曹洞宗を1万5千カ寺に及ぶ大教団に発展させました。

 また峨山禅師は65歳で、瑩山禅師が總持寺より先に開いた羽咋市の永光寺(ようこうじ)の住職にもなります。そして總持寺と永光寺の維持発展に努めます。その間を往来した13里(52キロ)の山道は「峨山道」と呼ばれています。夜中に永光寺で朝のお勤め(朝課)を済まされ、山道を走り、總持寺での朝課にも間に合わせたという超人的な伝説があるほどです。總持寺・永光寺にはその木像が安置されていますが、確かに眼光鋭く屈強な体格で尊厳なるお姿です。まさに「持っているエンジンが違う」という行状です。

 津幡町の峨山禅師生家の近くに顕彰碑が建てられ、毎年6月23日には生誕祭が行われます。家々には五色の仏旗が立てられ、関係僧侶は勿論、地元の方々も峨山禅師の遺徳を偲んで焼香されます。峨山禅師は瑩山禅師よりお悟りを得たというお墨付きをいただきながらも、更に仏道を究めるべく、諸国行脚に出ます。この時の出会いが、後の曹洞宗の全国展開につながったともいわれます。郷土の偉人として生誕をお祝いされる人物の原点を見る思いです。

 さて大の里は師匠の二所ノ関親方に「優勝しても喜ぶな」と言われ、「本当に強いお相撲さんになっていきたい」と力強い言葉を残しました。悟って尚諸国行脚に向かった郷土の偉人の足跡をたどるかのようです。それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。   

【1311話】 「マンダラチャート」 2024(令和6)年5月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1311話です。

 昨年大リーグで二刀流の上、本塁打王にも輝いた大谷翔平選手。今年も活躍しています。その原点は高校時代にあったようです。岩手県花巻東高校の1年生の時、佐々木洋監督に教えられた「目標達成シート」の作成です。

 これは「マンダラチャート」ともいわれます。9×9の合計81マスに、細分化した目標を書き込むのです。まず中心に3×3の9マスがあり、その真ん中に一番の大目標を書きます。残りの8マスに大目標達成のための中目標を書きます。8つの中目標達成のために、それぞれ8つの小目標を設定します。こうして達成すべき具体的目標を記し、日々そのために惜しまず行動する訳です。

 大谷選手の大目標は「ドラ1 8球団」でした。つまり高校卒業時にプロ野球の8球団からドラフト1位指名を受けるということです。そのための中目標として、1.体づくり 2.人間性 3.メンタル 4.コントロール 5.キレ 6.スピード160キロ 7.変化球 8.運 という8つを挙げています。高校生で160キロもの球を投げるというのはかなり目標が高いのですが、実現できたのですから凄いとしか言いようがありません。

 勿論野球の上達だけで満足していません。たとえば8つ目の運を呼び込むために次の8つを目標にしています。1.あいさつ 2.ゴミ拾い 3.部屋そうじ 4.道具を大切に使う 5.審判さんへの態度 6.プラス思考 7.応援される人間になる 8.本を読む なるほどと思うことばかりです。球場でごみをそっと拾い、ユニフォームのポケットに入れた自然なふるまいは誰もが感心しました。日本中のおよそ2万校の小学校に、3個ずつ計6万個のグローブを寄贈しました。子どもたちに野球をして楽しんでもらいたいという思いと、野球を愛し道具を大切にしてきたればこそです。すべては自分が一番野球を楽しいと思って、目標達成シートの一つひとつに向き合いながら、トレーニングを重ね現在の結果を出してきた顕れでしょう。

 ところで目標達成シートをマンダラチャートといういわれは、チャートは表や図表ということで、マンダラは、密教の世界観を表わす曼陀羅図のことです。中心に仏や菩薩の姿が描かれています。その周りは仏に至るため、つまりお悟りを得るための教えや法則を象徴する色や形で荘厳されています。お釈迦さまの教えを分かりやすく可視化されたものともいわれます。

 私たちの大目標は何といっても、仏になることです。お釈迦さまの教えを学び、実践することで、仏さまの境地で清々しく生きるということです。そのために大谷選手のように、挨拶や掃除をしっかりすることは基本中の基本です。ある人がこう言いました。「毎朝、自らに問いかける。なぜ、お前は目覚めたのか、『その答えが目的になる』」。なぜ起きたか問いかけてみましょう。今日も目覚めることができて有り難い、今日はどんな仏になろうかと思えたらしめたものです。その目標に向かえば、楽しく掃除ができます。
 
 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。

【1310話】 「鬼より強い母の愛」 2024(令和6)年5月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1310話です。

 昔インドに訶梨帝母(かりていも)という母がいて、千人もの子ども産みました。しかし、子を育てる栄養をつけるため、よその子を捕まえて食べるという鬼のような行いで、人々から恐れ憎まれていました。ある時、お釈迦さまは一計を案じ、彼女が一番可愛がっていた末の子を隠します。すると彼女は気も狂わんばかりに嘆き悲しむのです。お釈迦さまは「千人のうち一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。そこで訶梨帝母は自分の過ちを悟り、お釈迦さまに帰依して、安産・子育(こやす)の神となり、人々に拝まれるようになりました。ご存じ鬼子母神(きしもじん)のいわれです。子を思うあまり鬼となり、また改心もした母です。

 さて、江戸後期文政4年に、現在の青森県八戸市の豆腐屋に万吉という子が生まれました。9歳の時母と一緒にお参りした寺で、地獄極楽絵図を見ます。善い行いをすれば極楽、悪い行いをすれば地獄行きと教えられ、母も地獄に行くというのです。そのわけは、「悪いことはすまいと思っても、お前を可愛がるあまり、知らず知らずのうちに罪を作ってしまうからだ」と。「私がいなければ、極楽に行けますか」と尋ねると、「一子出家すれば九族天に生ずと言って、一人の立派なお坊さんが出た家は、父母だけでなく九族つまり親戚の者もみな極楽の天上界に生まれ変われるのだ」

 以来、万吉は坊さんになって母を極楽に行かせる決心をします。しかし、母はなかなか出家を許しません。万吉13歳の時、母はその一途な気持ちに打たれ出家を認めます。修行もしないで偉ぶった坊さんにだけはなるなと釘を刺して。万吉は持ち前の一途さで修行に励み、一角(ひとかど)の僧となりました。21歳の時師匠の死を機に江戸に上り、更なる研鑽を積みます。めきめき頭角を現し、23歳で江戸の寺の住職となります。その寺の伽藍の修復を手がけたり、大説法の法会を修行して、27歳にして大和尚の位に就きました。

 故郷に錦を飾る思いで、16年ぶりに帰郷します。誰もが出世した万吉を大歓迎します。しかし母だけは会おうとせず、背を向けたままこう言います。「万吉、何しに帰ってきた。大和尚になったくらいで、地獄行きの母を救えるというのか。母のことなどどうでもいい。りっぱな坊さんとは、やるべきことを怠らず、多くの人を笑顔にすることじゃ。ここで留まっては何事にも甘えてしまう。いちいち家に戻ったりするんじゃない。とっとと江戸へ帰れ」

 万吉はハッと気づき、「私が至りませんでした。どうか父さん母さんお達者で」と、そのまま江戸に戻り、修行しなおすのでした。母は誰よりも万吉に会いたい、その晴れ姿を拝みたいとさえ思ったはずです。しかし、出家者には甘えや慢心、里心が一番の敵であることを見極めていたのです。そこで鬼子母神ならぬ心を鬼にした振る舞いに出たのです。鬼より強い母の愛です。その愛に応えた万吉こそ、大本山總持寺独住第3世西有穆山禅師です。曹洞宗の最高位の管長にもなりました。

 ここでお知らせいたします。4月のカンボジアエコー募金は、1,022回×3円で3,066円でした。ありがとうございました。それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。

※参考文献:西有穆山禅師顕彰会発行『ぼくざんは行く』原案監修 髙山元延

【1309話】 「なぜ大人が生まれてこない」 2024(令和6)年5月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1309話です。

 「生まれてくるのはなぜ赤ちゃん」という郁人君(8)の新聞投書を紹介します。おばさんに子どもが生まれて、抱っこさせてもらい、そこで感じたことを書いています。「ちっちゃいけれど、大人と同じものがいっぱいありました。赤ちゃんは今のぼくとちがい、やりたいことを泣いて知らせることしかできません。/なぜ生まれてくるのは赤ちゃんなのでしょう。なぜ、大人が生まれてこないのでしょうか。/大人が生まれたら手がかからないし、すぐに働いてお金をかせいでくれるのに、大人が子どもを育てたいからでしょうか。大人だと食べる量が多くて困るからでしょうか。それとも、少子化どころかまちから子どもがいなくなり、老人だらけになってしまうからでしょうか」

 最初から大人で生まれてこないのはなぜ、というのは子どもらしい発想です。しかし、その後の展開は大人顔負けです。労働力や食料の問題、少子高齢化にまで言及しています。赤ちゃんが生まれて、大人になるということに、大人は何の疑問も抱きません。大人と同じものがいっぱいあるから、赤ちゃんも大人になれます。でも、赤ちゃんにしかないものがあります。意思表示は泣くだけということです。おっぱいが欲しい時、おしっこの時、体の具合が悪い時、全て泣いて知らせます。周りの人を困らせたいわけではありません。純粋に自分の意思表示です。

 人は生まれて16カ月つまり1歳4カ月で「1」がわかるそうです。泣くしかないときは、泣くこととひとつになっている状態です。他に成す術がないとはいえ、迷っている暇もないのです。そして32カ月つまり2歳8カ月で「2」がわかるといいます。たとえば父と母の違いが判るとかです。更には、嘘泣きや笑顔の使い分けなど、高度な選択ができるようになります。それは迷いの始まりでもあります。

 「生まれてくるのはなぜ赤ちゃん」という疑問に対して、お釈迦さまなら次のように答えるかもしれません。「人は成長過程で様々な知識や経験を身につけます。そして2ばかりか3や4という分別ができるようになります。更に自分の好き嫌いという「我」が芽生えます。たとえばその結果AちゃんはいいけどBちゃんは嫌だなどと、いじめにつながることもあります。それが迷いです。人は迷わず泣いてひとつに成りきっていた純粋な生き方を忘れがちです。仏さまとは、自分が嫌なことは相手も嫌だろうという思いやりの気持ちで、分別を取り除いた人です。誰でも赤ちゃんの純粋な心を持っていたのだから、きっと仏にさまになれます。大人は赤ちゃんを育てながら、純粋に生きることを学び直せます。赤ちゃんは大人になるよりまれているまさに先生なのです」

 郁人君の投書は次のように結んでありました。「ぼくは、赤ちゃんに生まれてよかった。働くようになるまでに、遊んで自由にすごせる時間がたくさんあるからです」。迷わず遊びに夢中になることも「子どもという仏」の特権かもしれません。良き子どもの日を・・・。

 それでは又、5月11日よりお耳にかかりましょう。