テレホン法話 一覧

【1328話】 「お舎利」 2024(令和6)年11月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1328話です。

 新米が出ると真っ先に、お寺に持ってこられ「ご本尊のお釈迦さまにお供え下さい」という檀家さんが何人もいます。ほんとうに有り難いことです。そのお下がりをいただく度に、「銀シャリ」を実感します。

 シャリは寿司屋の符丁ですし飯のことです。お釈迦さまの遺骨はインドの言葉「シャリーラ」を音訳して「舎利」あるいは「仏舎利」とか「お舎利」と言いますが、白くて米粒に似ていることから、ご飯をシャリと呼ぶようになったのでしょう。私もあるお寺で仏舎利を拝ましていただきましたが、米粒の感じでした。そして新米ともなれば一粒一粒が光っていてまさに「銀シャリ」そのものです。

 さて、大阪の四天王寺は今から1400年以上前の推古天皇元年(593)に、日本最初の官寺つまり国家が造った寺で、聖徳太子ゆかりの寺です。そして「日本書紀」によれば、30年後の623年には、新羅より仏舎利を贈られ四天王寺に納めたという記録があります。先日四天王寺お参りの際に、珍しい法要に巡り合いました。「舎利出(しゃりだし)」というものです。中心伽藍の金堂に安置されている「南無仏のお舎利」を出し奉り、毎朝供養して参詣者の頭上に戴くものです。そのお舎利は聖徳太子が信心した「お釈迦さまの左眸(ひだりめ)」と伝えられています。

 「舎利職」という導師を勤める僧侶が特別な作法で身を清めて堂内に入ります。「舎利礼文」というお舎利を讃えるお経が唱えられる中、舎利職はお舎利が入った容れ物を参詣者の頭上に触れます。お舎利を戴くのは、自分自身の信仰心を深めることになり、ご先祖さまや一切の亡くなった人への追善供養として功徳があるとされています。当日は外国人も多くいて、お舎利を頭に戴いていました。

 普段私たちがお釈迦さまを拝むといっても、仏像としてのお釈迦さまです。お舎利はお釈迦さまの紛れもないお身体の一部ともいえるものです。その尊いお舎利を自分の頭に戴けるとは、お釈迦さまと一体になることを暗示させるものなのでしょう。舎利礼文というお経には、「入我我入 仏加持故 我証菩提」という一節があり、仏の不思議な力によって、仏と私が一体となり、悟りを開きますとお示しです。そして多くの人々のために修行を積み、あらゆる徳を具えたお釈迦さまに近づけるようにという願いが込められています。

 徳本寺にはお舎利はありませんが、その分檀家さんがお供えする新米がお舎利そのものです。自分と仏さまが一体になっている供養の姿とも言えます。仏さまに見守られているおかげで、今年も立派な新米ができましたという感謝の思いも込められています。それを見てお釈迦さまは言うかもしれません。「私に新米というシャリを供えるとは、どんぴしゃりな供養だな」

 ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、657回×3円で1,971円でした。ありがとうございました。
 
 それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。

【1327話】 「祇園精舎の鐘」 2024(令和6)年11月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1327話です。

 平安時代の頃、琵琶法師は琵琶を弾きながらお経を読みました。その後、平家物語に曲をつけて語る流れができました。仏教との関りは古いのですが、残念ながらこれまで、琵琶を聴く機会がほとんどありませんでした。

 10月27日に徳本寺で行われた「第18回テレホン法話ライブ」で、やっとその心に沁みる調べに接することができました。ゲストでお出でいただいた鶴田流琵琶奏者の榎本百香さんの弾き語りです。薩摩琵琶の本体は桑の木でできています。そして撥の大きさには驚きました。持つところはついていますが、30cmほどの大きな三角形で柘植の木です。三味線の撥よりはずっと大きく、5本の弦を捌きます。叩き撥と言って、弦と胴に同時に叩きつける弾き方や、スリ撥では弦をこすりつけるようにしてシュルシュルと風のような音を出すなど、思った以上に多彩な音色を奏でます。

 そして、その語りはまた独特です。榎本さんは普段は可愛らしい女性の話し方です。ひとたび琵琶を弾き語るその声は、同じ人の声とは思えない重厚さで、聴く人の耳にずっしりと落ちてくる感じです。聴いた人のアンケートによれば、初めて琵琶を聴いた人ばかりですが、みなさんその深い響きと迫力が印象に残ったようでした。

 さて、演目の一つが「祇園精舎」でした。平家物語の冒頭でお馴染みです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす。奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛(たけ)き者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」

 祇園精舎とはインドのコーサラ国にあったお寺で、お釈迦さまが説法を行った場所です。その教えの根幹にあるのは、すべてのものは常に変化し続けるという諸行無常です。また沙羅双樹はお釈迦さまが亡くなったところにあった木ですが、朝咲いて夕方には散るという儚さの象徴でもあります。この語りが琵琶の調べにのせて本堂内に響くと、それはそれは無常の極みそのものでした。水を打ったような静寂に包まれ、ひと時幽玄なる世界に浸ることができました。

 そしてその日の夜、幽玄なる余韻は諸行無常の現実へと導かれました。衆議院選挙の開票があったからです。長年一強に胡坐をかき裏金議員を多数輩出した与党は、過半数割れという厳しい世間の審判を受けました。まさに「奢れる人も久しからず」です。数の力で自分たちの都合を優先し、国民の方に目を向けていなかった報いでしょうか。裏より祇園精舎のにこそ価値を見出し、盛者必衰の理を忘れてはならなかったのです。

 それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。   

【1326話】 「両手の作法」 2024(令和6)年10月21日~31日

  
 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1326話です。

 「人間の歴史は手の歴史」と言ったのは、無著成恭さん。多くの動物は4本足で歩くので、手はなく自分でものを作れません。人間は2足歩行で、2本の手があり、田畑を耕したり、必要なものを作り、扱う作法もできます。

 さて、ある高名な布教師さんが、法話の会で滔々(とうとう)と説教をしました。仏さまの教えを分かりやすく説き、聴く人に感動を与えました。万雷の拍手を浴びて、退堂し控室に戻ってきました。そこには今まで布教師さんのお話を聴いていたある女性が、お茶の接待をするため待機しておりました。

 「布教師様、たいへんお疲れさまでした。とても良いお話で心が洗われました。ありがとうございました」「いやいや、駄弁を弄して失礼いたしました」と謙遜したものの、次の瞬間の布教師さんの行動を見て、その女性は一気に醒めてしまいました。女性は正座をしていましたが、布教師さんは戻ったばかりなので、立ったままでの受け答えでした。それは百歩譲るとしても、目の前の座布団の位置を、立っているその足で、ずらしながら座ろうとするのです。足で座布団を移動させるとは、なんと横柄な態度なんだろうと女性はがっかりしました。

 そして、先程の布教師さんの話の一節を思い出したのです。「威儀則仏法(いぎそくぶっぽう)作法是宗旨(さほうこれしゅうし)」という話の中で、仏になるために規律に適った立ち居振る舞いをするのではなく、立ち居振る舞いがそのまま仏法であると説かれていました。つまり間違ったことをしようと思っても、自分が仏と自覚すれば、とてもそんなことはできないということです。

 たかが座布団、されど座布団です。座るとき、多少の座布団のずれがあっても、膝を折って両手で直して座るのが仏法以前の作法というものです。高尚な仏法の話をしながら、言うことと成すことに乖離があっては、説得力がなくなります。

 楽だからと言って、手ですることを足でするようになったら、動物と同じです。こんな言葉に出会いました。「らくのなかに だらくがひそむ」ちょっとした気のゆるみの座布団の直し方で、布教師さんへの信用が台無しになるばかりか、仏の教えも価値がなくなります。そして私たちの両手は合掌という究極の作法ができることを忘れてはなりません。合掌は右手を仏、左手を自分とみなし、それがひとつになった姿です。自分の一挙手一投足は仏そのものであることを表しています。合掌のあと、ひらく両手に仏を宿しましょう。

 ここでお知らせいたします。10月27日(日)午後1時30分より徳本寺にて、第18回テレホン法話ライブを開催いたします。ゲストは琵琶奏者榎本百香さん。入場無料です。また、9月のカンボジアエコー募金は、883回×3円で2,499円でした。ありがとうございました。
 それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。   

  

 

【1325話】 「はらこめしと仏飯」 2024(令和6)年10月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1325話です。

 わが山元町は小さな田舎町ですが、この時期、行列ができる店があります。「はらこめし」を提供している店です。はらこめしは、鮭の煮汁でご飯を炊き込み、その上に鮭の切り身とはらこをのせたものです。はらことは鮭の卵いわゆるイクラのことです。隣の亘理町荒浜が発祥の地ですが、亘理郡内に行き渡っていて、家庭ごとに自慢の味付けがあるほどです。荒浜は阿武隈川の河口にあります。川に鮭が上がってくる10月に鮭漁(さけりょう)が解禁になり、はらこめしの季節がやってきます。

 阿武隈川の鮭は、江戸時代から秋の珍味でした。特に伊達政宗が献上されたはらこめしをたいそう喜ばれ、広く世に知られるようになったといいます。元々荒浜では神社の秋祭りに、神饌料理として新米と鮭ではらこめしを作り、神に捧げていました。五穀豊穣と豊漁(ほうりょう)を祝い、神様と一緒にはらこめしを分かち合う祈りの食文化を育んできたのです。そして10月8日を「はらこめしの日」に定めました。

 さて、私にとって「はらこめしの日」より忘れてはならないのが、10月11日です。師匠であり父であり、徳本寺前住職文英大和尚の命日です。私は徳本寺に生まれましたが、線香のせいばかりではなく、寺を煙たがっていました。子どもの頃、事あるごとに父に言われました。「寺に生まれ育った限りは、仏飯をいただいているのだから、そのことだけは忘れるな」。仏飯とは仏に上げるご飯のことです。毎朝本堂に上げる仏飯のお下がりをいただいて我が身を養うという理屈です。実際は寺では檀家さんから「月牌(がっぱい)」と称するお米をあげていただきます。月牌とは月と位牌の牌と書きます。毎月先祖の位牌にご飯をお供えしてくださいということで、毎年1軒当たり1升のお米を預かるわけです。そして毎月どころか毎朝本堂で各家の先祖供養のお勤めをしています。

 その月牌のお米は寺を守る者の食い扶持にもなっているのです。そういう意味では、お釈迦さまはじめ、亡くなられた仏さまのおかげで、私は命を養ってきたといえます。仏飯をいただく者は、仏さまを粗末にすることなく、檀家さんに感謝しなさい。お経は読めなくとも、子どもなりにできることがある。ということで本堂の雑巾がけは、学校に行く前の日課でした。寺は住職個人の所有ではなく、檀家さんの寺です。みなさんと共に、仏さまを守り信仰心を養う場として、維持管理すべきことを、仏飯によって教えられました。

 はらこめしが自然の恵みに感謝する神饌料理であるように、月牌のお米は仏さまを守り敬う尊いお供えです。そのことを改めて噛みしめて、今日も感謝して仏飯をいただきます。

 ここでお知らせいたします。10月27日(日)午後1時30分より徳本寺にて、第18回テレホン法話ライブを開催いたします。はらこめしを食べたついでに、お立ち寄りください。ゲストは琵琶奏者榎本百香さん。入場無料です。

 それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。        

  

 

【1324話】 「少年の心 達磨の心」 2024(令和6)年10月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1324話です。

 心理学者の児玉光雄は、大リーグの大谷選手を「少年の心を持つスーパーアスリート」と表現しています。少年時代から野球を楽しむ心を忘れず、自発的に物事に取り込める姿勢が、想像を超えた活躍に繋がっているというのです。

 大谷選手は50-50つまり、50本塁打50盗塁という夢のような記録を、軽々と超えてしまいました。アメリカでは宇宙人が野球をしているのかとさえ言われています。しかし、本人は数字にこだわっているそぶりを見せません。兎に角、バットで遠くまでボールを飛ばす、塁に出たら次の塁を目指すという、極めて自然体で野球に臨んでいます。

 子どもの頃から、打って走ってセーフになれば、野球は楽しいと誰でも思っていたはずです。その楽しいことのためなら、自ら進んで練習に励むということを、大人になっても変わらずできているのが大谷選手なのです。結果だけに一喜一憂しているうちは、「良かった」「悪かった」という相反する価値観に振り回されて、平常心でいられなくなります。良し悪しを引きずらず、無心になれることが結果に出ているのでしょう。

 これは禅の教えにも通じます。10月5日は達磨忌と言って、達磨さんの遺徳を偲ぶ日です。達磨さんは今から1500年以上も前に、インドから中国に渡り、お釈迦さまの教えを正しく伝えた方です。達磨さんは中国で梁の武帝という皇帝とこんな問答を交わしています。「私は寺を造り、たくさんの僧を育成して仏教に帰依してきたが、どんな功徳がありますか」「無功徳」「それでは尊い仏教の極意とは何ですか」「廓然無聖(かくねんむしょう)

 武帝は仏教に貢献していることを達磨さんに自慢したかったのです。達磨さんは、その手柄に囚われていることを見抜きました。これだけ尽くしたとか、尽くさないという対立の概念に陥っていることを断じて、「無功徳」と答えたのです。そして「廓然無聖」こそが仏教の真髄であると教示しました。

 廓然とはがらんとして広いさまをいい、無聖は聖なるものはない、つまり聖とか凡という計らいを捨てた無心の境地のことです。からっと澄み渡った大空のように、何らこだわりも区別もない心の持ちようを表しています。たとえ寺を造ったとしても、偉ぶることもなくただそのまま、淡々として無心でいられる姿をいうのでしょう。

 大谷選手のさわやかな笑顔は、まさに廓然無聖です。これだけの記録を残すまでには、日々よほどのトレーニングを積んでいるはずですが、微塵も見せません。また昨年右肘の手術をし、今年になって、専属通訳者が違法行為で逮捕され、億単位の被害を被っています。心身共に相当の痛手があったはずなのに、この活躍なのです。七転び八起きの達磨さんの精神力も備えているようです。
 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。    

 

【1323話】 「土俵に彼岸を見た」 2024(令和6)年9月21日~30日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1323話です。

 大相撲秋場所6日目結びの一番。大関豊昇龍が平幕王鵬にすくい投げで敗れました。余程悔しかったのでしょう。土俵を拳(こぶし)で突き、きちんと礼をすることなく、花道に向かったところ、審判長に呼び止められ、再び土俵に上がります。そこでも礼が合わず再びやり直しをさせられました。洒落ではありませせんが、異例なことです。

 相撲は勝負事ですが、神事でもあり神聖なる土俵を突くなどもっての外です。相撲には様々な所作があり礼が重んじられ、国技たる由縁です。勝てばいいというものではありません。モンゴル出身とはいえ、大関ならばそこはわきまえるべきです。もっとも勝負に対する貪欲さがあって、大関にもなり、一連の不遜な態度にもつながっているのでしょうか。

 勝負事以外でも、生きる上では欲は必要です。食欲や睡眠欲など命を保つ上でなくてはならないものです。しかし貪欲は仏教では「貪(とん)・瞋(じん)・痴」という三毒の一つに挙げられます。貪(とん)は貪欲の貪(どん)という字で「むさぼり」、瞋(じん)は瞋恚(しんい)の瞋で「怒り」、痴は愚痴の痴で「おろかさ」を指します。

 彼岸に渡るのに三途の川を越えると言いますが、三毒を克服した先に彼岸があるということです。そのために六波羅蜜の教えがあります。波羅蜜とはサンスクリット語のパーラミターの音訳で、「彼岸に渡る」という意味です。「1布施・2持戒・3忍辱・4精進・5禅定・6智慧」という6つの修行を実践することにより、三毒をなくし、身も心もさわやかに生きられる彼岸に渡りましょうということです。

 豊昇龍の場合は、三毒に呑まれ5つ目の禅定という落ち着き・冷静さに欠けていたのでしょう。翻って3つ目の忍辱つまり苦しみに耐えそれに打ち勝って進むことと、4つ目の精進という力を尽くし怠らず努力することを20年も続けている力士がいます。豊昇龍と同じモンゴル出身の玉鷲です。秋場所3日目に、初土俵から1日も休むことなく1631回の連続出場の新記録を打ち立てました。現在39歳で、2年前の秋場所には、37歳10カ月で2度目の優勝を果たし、最年長優勝の記録も持っています。日本国籍も取得し、あと2年は頑張りたいと言っています。

 19歳のとき、体が大きいということで相撲に関心を抱き、日本に留学していた姉を頼って来て、片男波部屋に入門できました。これまでの最高位は関脇で、十両との往復は6回に及びますが、「ただ楽しく相撲を取っている」と言って現在に至ります。そして「1日1番」のつもりでとる相撲には明日への欲が見えて嫌いだと言います。「明日なんてどうなるか分からない。いつ土俵で死んでもいい」そんな覚悟で毎回土俵に上がるそうです。怪我もし、やめようと思ったこともありながら、連続出場を果たしているのは、勝てばいいという貪欲さを越えた、土俵を彼岸と思える忍耐努力があったればこそなのでしょう。
 
 それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。   

【1322話】 「醍醐味は元気でゆっくり」 2024(令和6)年9月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1322話です。

 牛乳の精製過程の5つの味のうち、最後に出てくる最上の味を醍醐味と言います。仏教ではそれを最高の境地の涅槃にたとえます。そして醍醐の原語は「サルピル・マンダ」で、あのカルピスの名称の元であると言われます。そのカルピスが好物で、116歳の今も元気で世界最高齢に認定されたのは、兵庫県の糸岡富子さんです。

 カルピスと長寿の因果関係はともかく、100歳を超えてかくしゃくとしていられるのは、奇跡に等しいことです。檀家の庄司辰男さんも8月に満100歳を迎えました。とても100歳とは思えないはつらつとした満面の笑顔が、町の広報誌の表紙を飾りました。庄司さんは毎朝、食事の内容や健康状態、興味を持ったことを丁寧にノートに記録して、今でも犬の散歩を欠かさず、規則正しい生活を心がけているそうです。

 実は庄司さんは、東日本大震災のときに壮絶な体験をしています。そのことを3年前に亡くなられた奥様が『小さな町を呑み込んだ 巨大津波』という本に書いています。庄司さんの家は海から1.5キロくらい離れたところにありました。誰もそこまで津波が来るとは思いません。当時家にいたのは庄司さん夫妻と中学2年の孫娘さんと犬一匹。気がついたらもくもくと黒い瓦礫の塊が寄せてくるのが見え、急いで2階に上がりました。2階まで水が入りベランダに出ると、家ごと西に流され、回転して北に流され漂流しながら見えたものは、瓦礫に呑まれた隣りの家、避難途中の知り合いの家族が乗っている車、流されない家の2階に留まって外を見ている男性の姿などなど。

 そして、自宅から約2キロ北に流されて止まりました。見渡す限り瓦礫の海で立ち木も家もありません。そこで助けを待つだけです。辰男さんは「3人束になって、一緒に」と家族を励まします。水が引いてくると、今晩の休むところを用意すべく、机や箱物を集め高く積んで、戸板を置いて、多少濡れているけど布団も用意しました。「声を出せ、何かしゃべれ、眠るな」と夜通し声をかけて家族を勇気づけました。物干し竿に赤いバスタオルを括りつけ、夜明けとともに、旗を振り続けました。その行動を見て、奥様は「夫はすごい人だ。明日に希望を持っている」と思ったそうです。その日のお昼までに、息子さんたちに発見され、無事避難することができました。

 生死の境で、明日に希望を持てるか否かは、健康にも勝る生命力と言えます。それもこれも普段から自分を律して、一つひとつやるべきことを疎かにしない信念があったからなのでしょう。8年前101歳で亡くなったジャーナリストのむのたけじは次のように言っています。「終点には なるだけ ゆっくり 遅く着く それが人生の旅」。元気でゆっくりは人生の旅の醍醐味です。100歳を超えて醍醐味を味わっている庄司さんや糸岡さんに、敬老の日を祝って乾杯しましょう。勿論カルピスで・・・。

 ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、976回×3円で2,928円でした。ありがとうございました。
 それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。  

 

【1321話】 「0歩目の奇跡」 2024(令和6)年9月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1321話です。

 1996年8月21日(水)甲子園の決勝戦は、松山商と熊本工。3対3の同点で10回裏熊本工の攻撃、1死満塁で3番本多選手。松山商は絶体絶命のピンチ。監督は守備交替で矢野選手をライトに起用。その直後、本多選手の打球は高々とライトへ、3塁ランナーは俊足の星子選手。実況中継も「行った、これは文句なし」と断言したほど、熊本工のサヨナラ勝ち、初優勝を確信しました。次の瞬間、信じられないことが起きました。背走しながらライトフライを捕球した矢野選手が、ノーバウンド返球、間一髪でランナーはタッチアウト。そして11回表その矢野選手の2塁打を皮切りに、3点を挙げ松山商は優勝を果たします。「奇跡のバックホーム」と今も語り継がれています。

 しかし、まぐれで奇跡が起きるわけもなく、それまでの必然的な過程があったのです。第一に矢野選手は強肩でした。しかし、外野に飛んだ打球を中継プレーで返球するのが苦手でした。監督に言われます。「ダイレクト返球が正解のケースが一つだけある。サヨナラ負けのピンチのときだ」。更に彼は普段から最後まで居残り練習をする努力家でもあったことを監督は見ていたのです。

 あれから28年今年の甲子園、日付も曜日までも同じ8月21日(水)。関東第一と神村学園との準決勝戦。関東第一1点リードの9回表神村学園の攻撃。2死1、2塁で代打の玉城選手がセンター前ヒット。2塁ランナーは迷わず3塁を回り本塁突入。そこへセンター飛田(ひだ)選手からノーバウンドの返球があり、タッチアウトで試合終了。これまた28年前を再現するかのような「奇跡のバックホーム」と言われました。

 しかし、この奇跡にも日ごろの鍛錬と周到な心構えがあったのです。ピッチャーの球威から判断して、どの方向に打球が飛ぶかを見極め、内野外野の守備位置を修正するという連携プレーです。それから飛田選手は1歩目を素早く切れるように、体の重心を前に傾けていました。また普段、数十球の本塁へのストライク送球の練習を重ねていたのです。だから捕球後の目の覚めるようなバックホームが叶ったわけです。関東第一の市川選手は言います。「野手陣が大事にしているのは1歩目より前の『0歩目』。打者のタイプや配給を踏まえて、バットがボールに当たる直前から1歩目を切っている」

 高校野球球児と吹奏楽部の女子高生が織りなす青春映画「青空エール」に次のようなセリフがあります。「奇跡は起こらない。まぐれでもない。でも練習はうらぎらない」。まぐれとは迷う意味の紛れると書きます。迷いが消えた時、良い結果のまぐれが訪れるのかもしれません。奇跡もまぐれも、「0歩目」の中にこそ潜んでいるのです。それを必然にできるのは、暑さにも辛さにも迷わず練習している君たちです。紛れもない現実を時に奇跡と呼ぶことがあります。

 それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。

【1320話】 「必死すなわち」 2024(令和6)年8月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1320話です。

 パリ・オリンピックの新競技「ブレイキン」は、1970年代アメリカニューヨークの貧困地区の路上が発祥。縄張り争いに疲れたギャングのボスが「音楽と踊りで勝負しよう」と呼びかけたのが始まりとか。オリンピックにふさわしいです。

 オリンピックは元を糺(ただ)せば、戦争の代わりに様々な争いの形を、ルールを定めてスポーツとして世界中の人で競い合おうという大運動会です。その象徴のひとつが、近代五種競技です。1人の選手が、フェンシング・水泳・馬術・射撃・ランニングをこなすものです。射撃とランニングはセットになっていてレーザーランと呼ばれ、600㍍走って射撃をし、また走るということを繰り返します。

 その起源は19世紀のナポレオンの時代、フランスの騎兵将校が、戦果の報告を命じられた故事によります。彼は馬で敵陣に乗り込み、敵を銃と剣で討ち倒し、川を泳ぎ、丘を走り抜けて任務を遂行したのです。まさに五種競技の原型がそこにあります。競技として考案したのは、クーベルタン男爵です。「キング・オブ・スポーツ」と称されますが、人間の能力の限界に挑む過酷な競技です。

 近代五種競技112年の歴史の中で、日本勢は入賞すらできませんでした。しかしこの度、青森市出身の佐藤大宗(たいしゅう)選手が銀メダル獲得の快挙。国内の競技人口は男女合わせても50人といいますから、かなり地味な競技です。というかそれ程の万能な人は稀だということです。超人のような佐藤選手も決勝当日は朝から吐き気が止まらなかったそうです。準決勝をB組1位で通過していたこともあり、重圧と緊張で押し潰されそうだったのでしょう。そんな時、父の言葉を思い起こします。「やるなら死ぬ気でやれ」。ハッと気づくのです。「まだ俺は死んでいない。死ぬ気で行く」と、吹っ切れて、結果に繋がったのです。

 泳ぎや走りは、ある程度経験はできます。しかし馬術・射撃・フェンシングは、かなり専門的な訓練や能力が求められます。 当然佐藤選手も馬術は北海道の牧場で指導を受け、フェンシングは五輪メダリストに教えを請うなどの対策は講じています。その人並み以上の身体能力に加えて、強靭な精神力を発揮できたのが勝因でしょう。

 「必死 すなわち生くるなり」藤沢周平の『武士の一分』にある言葉です。必死とは「必ず死ぬ」と書きます。しかし、必死で生きるとは言っても、必死で死ぬとは言いません。佐藤選手の「死ぬ気で行く」とは、まだ命を懸けるほどの力が自分にはあると、信じ切った言葉だったのでしょう。

 愚かな戦争で命を落とすなど絶対にあってはいけません。近代五種競技のように人間の能力の限界突破を目指して、死ぬ気で目的に向かうことにこそ、生きる意義があります。

 それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。

        

【1319話】 「お盆の結集(けつじゅう)」 2024(令和6)年8月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1319話です。

 「如是我聞」(かくの如く我聞けり)と、お経は始まります。お経はお釈迦さまの教えですが、当初それは文字で記録されませんでした。後に聞いた記憶をたどって、経典が編集されました。よって、「私はこのようにお釈迦さまの言葉を聞いた」という断りを最初に述べるわけです。

 お釈迦さまが亡くなると、その教えは弟子たちの記憶にしか残っていません。当然記憶違いや異なる意見が出ます。そこで、お釈迦さまが亡くなった翌年、仏典の編集会議が招集されました。このことを結集すると書いて「結集(けつじゅう)」と言います。長くお釈迦さまのお傍について、誰よりもその教えを聞いたので「多聞第一」と称された弟子の阿難が中心となって進められました。500人の弟子が集まり、お釈迦さまの説法を整理し統一して、文字に示し経典となりました。

 お釈迦さまの説法は「対機説法」と言われます。その人の機つまり能力や素質・環境などに応じて、臨機応変に説法の仕方を変えて諭されました。医者が患者の病状に応じて薬を処方するようにです。結集が何度か繰り返される中で、夥しい教えが経典となり、時代を超え、お釈迦さまの思いが、私たちに伝わってきました。

 さて、お盆は普段会えない家族や親戚が一堂に会する絶好の機会です。みなさんでお墓にお参りをし、自宅では迎え火や提灯を灯し、ご先祖さまをお迎えして、ひと時を過ごすことでしょう。盆棚にはよく西瓜がお供えされています。〈十人の 集まれば切る 西瓜かな〉(稲畑汀子)という俳句があるように、一人で西瓜は食べにくいものです。家族揃ったところで盆棚の西瓜をお下がりとしていただきながら、ご先祖さまの思い出話に花を咲かせるのは、何よりの供養になります。

 「おばあちゃんのお煮つけは絶品だったね」「あの時叱ってもらったから、道を外れずに済んだ」「おじいちゃんは、酔っぱらうと気が大きくなってお小遣いをくれたっけ」等々。このようにして亡き人を偲ぶことが、みなさんにとっての「結集」でしょう。普段は意識せずとも、お盆にご先祖さまをお迎えすると、その命のつながりの中で、多くのおかげをいただき、今の自分があることを実感できます。亡き人も「たまには私のことを思い出してくれたらうれしいな」と思っているはずです。

 こんな歌に出会いました。〈噴水にたつ 虹ほどの淡さにて 人の心に棲みたし死後は〉(長尾幹也)大空に架かる虹は、弟子たちの結集により経典となったお釈迦さまの教えとすれば、噴水のそばにできた淡き虹は、折に触れ浮かぶ亡き人の様々な色合いの思い出話でしょうか。それは七色の虹の結集のようです。

 ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、932回×3円で2,796円でした。ありがとうございました。
それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。