テレホン法話 一覧
【第1026話】 「セコイとスゴイ」 2016(平成28)年6月21日-30日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1026話です。
6月15日、期せずしてセコイ日本人とスゴイ日本人が世界のニュースになりました。公私混同の見本のような政治資金の流用疑惑などで辞職に追い込まれた舛添東京都知事と、日米通算の安打数で、ピート・ローズの大リーグ最多安打記録4256安打を抜いた大リーグ・マーリンズのイチロー選手です。
舛添氏は福岡県八幡市で5人姉弟の長男として育ちました。幼少の頃家は没落、中学2年の時、父を病気で亡くしています。「貧しさから一日も早く抜け出したい」という思いで、精進を重ねます。高校時代は裸電球の下、石炭用の木箱を机に勉強し成績はトップ、短距離競技でも活躍して、東大入学という文武両道の少年でした。
しかし、今回の騒動の発端となったのは、そのセコサ加減です。高額の海外出張費や資料と称する高額な美術品からマンガ本の購入、回転ずし屋での会議費や家族旅行も政治活動費に見せかけています。はたまた、政治資金で購入したシルクの中国服が「書道の際、この服を着ると筆をスムーズに滑らすことができる」という説明に至っては、笑止千万です。
一方、イチロー選手は、愛知県豊山小学校6年の時の作文にこんなことを書いています。「ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。活躍できるためには練習が必要です。3年生から今までは、365日中360日は激しい練習をやっています。だから一週間中友達と遊べる時間は、5-6時間です」。
今、世界で一番安打を打った選手となり語った言葉は、「僕は子どもの頃から人に笑われてきたことを常に達成してきている、という自負がある。例えば、小学生のころも毎日野球の練習をして、近所の人からあいつプロ野球選手にでもなるのかって、いつも笑われていた。その常に笑われていた悔しい歴史を、これからもクリアしていきたいという思いはある」
東京都知事と言えば、公人の最たる立場です。一銭たりとも公私混同するようなことがあってはなりません。それが1円でも我が懐を痛めたくないという思いで、稚拙な弁明を重ねた結果、あまりにも世の中を馬鹿にしているということで、世論の反発を招いたのでしょう。イチロー選手は良い意味で公私混同しています。大リーガー最年長の42歳でプレーする身体の管理は半端ではありません。入念過ぎるほどの日頃の鍛練があるのです。しなやかな筋肉と運動神経を維持するために、自宅でも球場でも特製トレーニングマシンに没頭しているといいます。私生活も全て野球の為と言っていいでしょう。
ふたりとも子どもの頃から培った志は抽(ぬき)んでます。問題はその志の行方です。公私を混同して貧しい志と笑われたらセコイわけです。そんなことできっこないと笑われても、純粋に志を貫いて結果を出せば、スゴイということになります。イチロー選手は高い志という「高志」を「今度」も実現しました。
それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1025話】 「父の背中 子の背中」 2016(平成28)年6月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1025話です。
大袈裟に言えば、世界中が注目した日本人のしつけでしょうか。北海道の小学2年の男の子が、公園で小石を人や車に投げました。父親は言うことをきかない男の子を、しつけのために山中に置き去りにしました。すぐに迎えに戻ったものの、男の子は行方不明となり、警察・消防・自衛隊を動員して捜索が行われました。不明から6日経った6月3日の朝、捜索対象外の、現場から5キロメートル先の自衛隊演習場の建物の中で、無事保護されました。
この出来事は海外でも大きく報道されました。奇跡的に無事だったことを喜ぶと同時に、「しつけのために置き去り」にしたことに注目が集まったようです。日本人はそこまでやるのかという批判と、そこまで厳しくしつけができる日本人はすごいという見方もあるようです。日本人の中でも、置き去りは虐待だという意見もあれば、似たようなしつけは経験があるという声も聞こえます。勿論、男の子の父親は、自分の行き過ぎた行動で、息子に辛い思いをさせたことを悔いていますし、関係者・捜索に当たった方々へお詫びの言葉を述べています。良くも悪くも父親の存在が浮き彫りにされました。
さて、今は亡き私の父は、大正10年会津地方の小さな寺の次男として生まれました。小学校に入る前に、新潟の寺に小僧に出されました。そこでは学校は二の次で24時間、寺中心の生活というより修行でしょうか。朝、学校に行く前に本堂や境内の掃除、葬儀があれば学校を早退し、夜に住職さんが出かけるときは提灯を下げてお供をするなど、今では考えられない小学時代を過ごしたようです。
小学2年の時、ある葬儀のお供で、住職さんとお経を挙げていました。たまたま長い葬儀で、途中小便を催したのですが、子どもごごろに言い出すこともできずに、小便まみれで泣きながらお経を挙げたそうです。そんな苦労をして小僧時代を過ごしただけあって、父は書いても読んでも、草むしりでも人の倍も三倍もできる坊さんでした。
今どき小僧経験のある坊さんは珍しくなっています。しかし、小さい時の苦労が染みついている背中を見ると、自分など足元にも及ばないと思うばかりでした。こんな俳句に出会いました。「耐え抜いた 父の背中を 辞書とする」まだまだ教えてもらいたいこと、否その姿から学ぶべきことがあったはずなのですが、今は叶いません。19日が「父の日」であり、6月30日が亡き父の誕生日ということでの私事をお許し下さい。
広い意味では小僧修行もしつけでしょう。程度の差はあれ、子どもにとってしつけは耐えることでしかないかもしれません。北海道の男の子は特異な例としても、きちんとしたしつけで育った子の将来は期待できます。男の子の父親の今の心境は「耐え抜いた 我が子の背中 抱く未来」でしょうか。
ここでお知らせ致します。5月のカンボジア・エコー募金は、228回×3円で684円でした。ありがとうございました。
それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1024話】 「仏ごころ」 2016(平成28)年6月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1024話です。
想定外の東日本大震災は、更に人智の及ばぬ東京電力福島第一原発事故をもたらしました。当時アメリカのホワイトハウスは3月16日時点で、原発から80キロメートル圏内にいるアメリカ人は避難するようにという勧告を出しています。日本は20キロメートル圏内の人の避難と、20-30キロメートル圏内の人は屋内避難などと言っている時です。核に対する恐怖は、日本よりアメリカの方が敏感だったような気がします。
その敏感さが伏線にあったのでしょうか。ホワイトハウスの主であるオバマ大統領が、現職のアメリカ大統領としては初めて被爆地・広島を訪れました。先月27日のことです。伊勢志摩で開かれた主要7カ国首脳会議を終えて、帰国の途に就く途中における訪問でした。広島に滞在した時間は1時間足らずではあったものの、歴史的出来事です。世界で唯一の被爆国日本、そして世界で唯一の原爆という武器を行使した国アメリカ。71年の歳月を経て、両国が広島に集う意義は、「核をなくするため」それ以外にありません。
石油や石炭を「平和利用」するとは言いませんが、核の場合は「平和利用」という断りをすることがあります。平和利用しなければ、広島や長崎の悲劇を繰り返すことになるからです。しかし、平和利用しても、福島第一原発事故然り、チェルノブイリ事故然りで、絶対の安全はありません。そしてひとたび事故が起これば、取り返しがつかなくなります。人命は勿論、自然界に及ぼす影響は計り知れません。
宗教の原点は恐れと懺悔ではないでしょうか。ホワイトハウスは核の恐ろしさを知っていたから、いち早く避難勧告を出しました。それ以前にホワイトハウスの人々は、神を恐れる気持ちを常に抱いていたはずです。事実、オバマ大統領は就任宣誓の時、その夫人の持つ聖書の上に左手を載せて、職務遂行を誓っています。完璧な人間でないという自覚があればこそ、神に対する恐れが生まれます。また、完璧な人間でないから過ちを犯すこともあります。しかし、恐れを持つ人は過ちを懺悔して、明日に向かうことができます。
オバマ大統領の広島での17分間に及ぶ挨拶の結びはこうです。「私たちが選ぶことができる未来。それは広島、長崎が核戦争の夜明けではない未来」と言っています。原爆投下は神をも恐れぬ所業(しょぎょう)に等しいものです。それを懺悔して初めて、ほんとうの未来に向かうことができます。懺悔するには勇気が必要でしょう。その勇気は、核が出現する前の穏やかな日常生活を想像すること、それらが一瞬にして奪われてしまう非日常を想像すること、その想像力によってもたらされます。それはすべての宗教が唱える慈しみの心です。私たちは仏ごころとも呼んでいます。広島にも長崎にもそして福島にも、仏ごころで寄り添い続けなければなりません。この世に核がなくなるまで・・・。
それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1023話】 「行脚」 2016(平成28)年5月21日-31日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1023話です。
東日本大震災発生から2週間ほど経った3月26日、ベトナム人の僧侶ビックさんが突然徳本寺を訪ねてきました。津波で襲われた沿岸部で慰霊の行脚をしているので2-3日泊めて欲しいとのこと。震災犠牲者の対応などで大混乱に陥っている時です。まだ瓦礫が散乱しているので危険だと言っても意に介さず、彼はひとり黙々と裸足で海に向かって歩いて行き、鎮魂と復興の願いを込めて、祈りを捧げてくるのでした。南の国出身の彼は、「私も寒いが、海の中で亡くなった方はもっと辛い思いをしている」と言うのです。
あれから5年。ビックさんが歩いた道は、瓦礫があったとは思えないほど元通りの道になりました。そこを私は、裸足ならぬ草鞋履きで行脚しました。墨染めの法衣に手甲脚絆をつけ、網代傘をかぶるという出で立ちです。東北の曹洞宗僧侶が心をひとつにして、岩手・宮城・福島の沿岸部を慰霊と復興を願って行脚する「祈りの道」に参加したのです。
岩手県側と福島県側から出発して、被災現場の沿岸部をおよそ100名の僧侶が、200キロの行程をリレー形式で行脚して、宮城県石巻市の寺に集結するというものです。私は5月8日福島県から行脚してきた一行に合流して、徳本寺の中浜墓地跡に建つ震災慰霊の千年塔を経て、更に沿岸部を歩き、津波で流されたもう一つの住職地である徳泉寺まで歩きました。千年塔前では大勢の御詠歌講員の方に出迎えられ、御詠歌の先導で千年塔にゴールするという感激も味わいました。海に向かってお経を挙げ、御詠歌をお唱えして、みなさんで鎮魂の誠を捧げ復興を誓いました。
行脚とは修行僧が優れた師匠や修行の同志との出会いを求めて、諸国を遍歴することを言います。雲が行く如く水が流れる如く歩き続けるので、修行僧のことを「雲水」とも言います。この度の「祈りの道」は、本来の行脚とは、多少趣を異にするかもしれません。それでも、鈴を鳴らしながらお経を挙げて歩くと、5年前の道端の光景がまざまざと甦るのです。
様々なものが散乱していました。鶏の死骸、靴の片方、農機具、自動車等々。倒れた道路標識は、町の地図が無くなると暗示しているかのようでした。そこかしこで、多くの方が非業の死を遂げています。行脚とはある種の出会いを求めての旅。私は「祈りの道」を歩き、お経を届けることで、無念の想いで旅立った多くの方に、改めて出会えたような気がしました。亡き人は、ベトナム人僧侶の裸足の足音から、今回の草鞋の足音までたくさんの鎮魂の想いを込めた足音を聴いて、少しは安らいでいるでしょうか。もしかしたら、亡き人も仏さまとなって行脚しているかもしれません。様々な復興の姿に出会うために・・・。亡き人に安心してもらうためにも、復興へ向けて更に精進しなければと、擦り切れた草鞋を見て思ったことでした。
それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1022話】 「心の非常食」 2016(平成28)年5月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1022話です。
東日本大震災発生当時、宮城県の沿岸部に暮らす70代のある夫婦は、すぐに避難所に向かいました。しかし、奥さんは、避難が長引くかもしれないから、おにぎりを握ってから行くと言って、家に戻りました。そのうち辺りは津波に襲われましたが、奥さんは避難所には現れませんでした。行方不明の奥さんを捜して家に戻ってみましたが、どこにも見当たりません。台所にはおにぎりだけが残っていたのです。
「あの時おにぎりの心配なんかしないで、一緒に避難しようと、無理にでも連れて行っていれば・・・」と旦那さんは悲嘆にくれました。遺体は見つからず、残されたおにぎりの身代わりになったようで、一層奥さんのことが不憫に思えたのでした。理不尽、不条理いくら言葉を尽くしても、納得できるものではありません。日常の暮らしの中では、おにぎりを握るというのは極めて普通の思いやりです。人智を超えた災害の時は、生者と死者を隔てるものは、紙一重です。日常的な対応など、木っ端微塵にしてしまう自然の脅威を思い知らされました。
熊本地震では、益城(ましき)町の83歳の男性が、2度目の地震の「本震」で、家が倒壊し亡くなりました。1度目の地震では自宅に大きな被害がなかったため、妻と102歳になる母親と同居していた男性は、高齢の母を気遣い避難所には行かなかったのです。その結果、家族は無事でしたが、自分だけが犠牲になりました。母親は「私の方が逝けばよかった」と、涙ながらに言っています。
1度目の地震は「前震」だったというのは、後でわかったことです。前震でも十分に本震に値する衝撃があったはずです。それで無事だったのですから、避難しない気持ちは理解できます。ましてや高齢の親を思えば、自宅で見守るのが一番安心です。そういう当たり前の感覚など、情け容赦なく消し去ってしまう自然の非情さの前に、人はたじろぐばかりです。
宮城と熊本の犠牲者は、自分以外の人のことに思いを馳せてとった行為が、あだになったように思われるかもしれません。残された遺族もやるせなさが募るばかりでしょう。しかし、おふたりとも人として、できそうでできないことを、ギリギリの状況の中で選択したのです。決してあだではありません。「あだ(徒)」とは、漢字で行人偏に走ると書きます。一歩一歩と歩むことも意味します。
亡くなった方の最後の尊い行いは、やがて遺族の方がやるせなさを超えて、一歩一歩と明日に向かう力になるはずです。「思い出は心の非常食」という言葉に出会いました。心に残る亡き人の最後の姿は、おにぎりに勝るとも劣らぬ非常食となることでしょう。
ここでお知らせ致します。4月のカンボジア・エコー募金は、200回×3円で600円でした。ありがとうございました。
それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1021話】 「心が折れる」 2016(平成28)年5月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1021話です。
JR九州新幹線の全線開業は、平成23年3月12日でした。その前日の3月11日に東日本大震災が発生しました。被災地の私たちは、そのニュースを全く知らずに過ごしたはずです。町全体の地理的方角も行く末もわからなくなった、想定外の光景が広がる中で、世の中の日常を受け容れる余裕はありませんでした。あれから5年、その九州新幹線が脱線しました。4月14日に発生した熊本地震の為です。
「平成28年熊本地震」は、4月14日午後9時26分に震度7を記録し、16日午前1時46分にも発生して、これも震度7でした。震度7が2度も続くのは史上初めてだそうです。2度目のが「本震」で、最初は「前震」だったと発表されました。震度7で前触れとは誰も思わないでしょう。それだけ大きい揺れがくれば、「余震」が続くことは想定できても、更に「本震」が起きるとは、これまでにないことでした。「1回で済んだらまだよかったが、2回目で近所の家も倒壊し、心も折れた」と、熊本の被災者は言っています。
東日本大震災の時も、地震だけならそれほどの被害ではなかったはずです。その後に襲った大津波が、甚大な被害をもたらしました。1回目の恐れは、それはそれでたいへんな思いをするでしょう。しかし、過ぎ去ってしまえば、何とか難を逃れたと安堵して当たり前です。もう大丈夫とさえ思うかもしれません。それなのに、続けざまに同じような或いはそれ以上の恐ろしいことが襲ってくれば、心も折れるでしょう。
九州の被災地では、まだ緊急事態という段階で、衣食住の基本的な日常生活にも窮していると思われます。そんな時に気持ちだけはしっかりして下さいとは言いにくいものです。それよりも、心が折れたということを、自分なりに自覚することが大事ではないでしょうか。その上で、いつかはこの折れた心を立て直してやるという密かな想いを抱くことが大切です。そのために、今まで当たり前にしてきたことを全てその通りにやることは出来なくても、何か一つでも二つでも、日常的な仕草や行いをこれまで通りにやり続けてみて下さい。
たとえば、食事をするとき、手を合わせて「いただきます」と唱えることだってかまいません。混沌とした避難生活の中で、そんな余裕はないよと言われるかもしれません。確かに避難生活は非日常です。非日常に慣れてしまうと、何をしなくても或いは何をやっても、こんな時だからと許してしまう雰囲気が漂ってしまいます。そうなると、折れた心が元に戻るのに時間がかかります。
5年前の今頃、私は被災地という非日常の中にあって、5分でも10分でも朝の坐禅をするという日常だけは崩さないようにしようと、心がけたことを思い出します。坐禅は折れた心のつっかい棒になっていました。
それでは又、5月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1020話】 「四門と指紋」 2016(平成28)年4月21日-30日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1020話です。
釈迦族の王子であるシッダールタは、ある日東の門からカピラ城の外へ出ました。そこで杖を突いている老人に出会います。次に南の門を出ると道端に横たわっている病人に出会いました。また西の門を出ると死者を送る葬列が過ぎていきました。いずれもお城の中では、お目にかかることがなかった光景でした。人は老いて病気にもなり、死んでいかなければならないことを知ります。最後に北の門を出て修行者に出会います。その清々しい姿に魅せられ、きっと真実の道を求めているからであろうと、ご自分も出家の志を抱きます。
この王子がお釈迦さまです。4つの門を出て、人間の生老病死に出会い、その苦悩からの解脱を求めて出家する契機となった「四門出遊(しもんしゅつゆう)」という伝説です。世間的には極めて日常的な人生の一断面でも、お城の中にいて、何不自由なく暮らしていては感じることができないことでした。しかし、人間の苦悩を目の当たりにして抱いたお釈迦さまの志が、仏教の原点とも言えます。
さて、徳本寺は山門はあるものの扉はなく、塀に囲まれているわけでもありません。人の出入りは全く自由です。むしろ、いつでもどなたでもお参りいただけるようにと、門戸を広く開け放っているつもりです。さすがに夜間は建物に鍵をかけて戸締りをしています。ところが夜中に盗難事件が発生しました。犯人は巧妙に窓ガラスを破り、部屋に侵入して、金銭を盗んで行ったのです。よもやこんな田舎寺に泥棒が入るとは思ってもいませんでした。ちょっと前までは、建物に鍵などかけず、平気で外出することもあったくらいです。油断といえば油断ですが、寺に来る人に悪い人はいないと常に信じていました。しかし、被害にあって現実を納得せざるを得なくなりました。
早朝から警察が来て、被害状況の確認やら、犯行の手口など、様々な角度から捜査が行われました。当方は被害者なのに、指紋を採取されました。両手を真っ黒に塗られ、手のひらから指一本一本に至るまで入念に調べられました。被害を受けたショックの上に、屈辱的とも思える取調べです。ともかく現実は受け入れなければなりません。
お城の中だけでは分からない世界があります。お寺も世間の荒波にもまれることを想定しなければなりません。お釈迦さまは四門出遊をなさり、出家を志しました。私はこの度の事件で、指紋採取をされて防犯の志を立てました。勿論人を見たら泥棒と思えというのではなく、たとえ泥棒が山門を入ってきたとしても、こんなさわやかなお寺に土足で踏み込んでは申し訳ないと思わせるような、清々しい雰囲気を常に保ち続けるということです。泥棒に盗んでほしいのは、清々しさの境地である「本来無一物」という心なのですが・・・。
ここでお知らせ致します。テレホン法話の千話を記念して、テレホン法話集『千話一話―3.11その先へ』(定価千円)が発売されました。千人の人が描かれた錦絵のような表紙が評判です。書店もしくは徳本寺でお求めください。徳本寺には徳本寺にはこちらからお申込み ください。
それでは又、5月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1019話】 「死を想像する」 2016(平成28)年4月11日-20日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1019話です。
「床の間に棺桶を置いておき、頭にきたとき、どうしてよいかわからなくなったとき、その棺の中に入り、そこから自分の人生を見渡してみよ」とは、内山興正老師の言葉だそうです。棺桶に入っても死ぬわけではなく、死ぬことを意識して、死の疑似体験をするわけです。そこから自分の人生を振り返れば、行き詰っていた道も
開けることがあるということでしょうか。
子どもの自殺報道が続いています。昨年12月に広島県府中町の中学3年の男子生徒が自殺しました。進路指導で1年生の時の万引き歴を指摘され、私立高校への推薦ができないと言われたことを悲観しての事でした。しかし、自殺した2日後に、万引きの記録は別の生徒のものであることが判明しました。学校側は誤りを訂正する機会があったにもかかわらず、誤った記録のまま受け継がれ、進路指導に至ったのでした。「冤罪(えんざい)」とも言える事件で尊い命が失われました。
また神奈川県相模原市では、児童相談所に通っていた死亡当時14歳の男子中学生が、2年前の秋に自殺を図り、今年2月に死亡していたことがわかりました。小学校のころから両親による虐待があり、児童相談所は定期的に両親や生徒に面接指導を進めていました。一時保護も提案しましたが、両親の同意が得られず、「急迫した状況ではない」との判断で、保護しなかったというのです。一時保護を受けていれば、命を失わずに済んだかもしれません。
ふたつの事件とも、本人に罪はなく、関係者の的確な指導判断があれば、起こらなかったかもしれません。ただ気になるのは、本人たちの死に急ぐ姿です。本人でなければ分からない、追い詰められた状況があったことは想像に難くありません。それでも死んだら、すべてが終わりなのです。この世に生を享けて、10年余りでは、棺桶に入る疑似体験死を想像することは難しいかもしれません。自殺を思い立ったとしても、その時大きく深呼吸をして、息を吐き出してみてください。少し冷静になれるはずです。そして真剣になって、自分が死んだあとのことを隈なく想像してみてください。
棺桶に入っている自分を拝んでみるのです。誰が話しかけても、答えることはできません。泣くことも笑うこともできません。どんなに美味しいものを供えられても、食べることもできないのです。血が通わなくなった身体は、氷のように冷たいのです。そんな自分に耐えられますか。生きている間に自分の死を想像することによって、生きていることの有り難さがわかるはずです。死んだら生きていることの想像すらできないのです。新学期、新しい友だちと楽しく過ごしましょう。
ここでお知らせ致します。3月のカンボジア・エコー募金は、299回×3円で897円でした。ありがとうございました。
それでは又、4月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1018話】 「新年度」 2016(平成28)年4月1日-10日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1018話です。
4月1日は年度初め。小・中・高校、大学の学年も法律により、「4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる」と定められています。しかし実際の就学年齢で言えば、当年4月2日生まれの子から翌年4月1日生まれの子までが同級生ということになります。このズレを不思議に思ったことはありませんか。
学校教育法では、保護者は、「子女の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから」小学校に就学させる義務を負うとされています。では「満6歳なった」というのはいつなのか。普通は誕生日その日と認識しているでしょう。ところが年齢計算二関スル法律によれば、年齢は出生の日より起算し、出生日の前日に満了し、1歳加算されることになっています。
つまり、4月1日に生まれた子は、1年を経て4月1日前日の3月31日の深夜12時を迎えた瞬間に年齢が1つ加わるのです。4月1日生まれとはいえ、3月31日に満6歳になるのですから、新学年初めの4月1日には間に合うわけです。いわゆる「早生まれ」とは、その年の1月1日から4月1日までの間に生まれるこというわけです。
さて私たち仏教徒にとっても、4月は新年度と言ってもいいでしょう。4月8日はお釈迦さまがお生まれになった日です。お釈迦さまの生誕をお祝いするというのは、仏教の原点を確認することでもあります。生誕の地として知られる、ネパール・ルンビニのマヤ堂遺跡。そこにはお釈迦さまが産声をあげたことを示す目印石と見られる「マーク・ストーン」が、20年ほど前に発見され、話題になりました。
インドに仏教を広めたマウリア王朝のアショーカ王は、釈迦入滅後約150年経った紀元前249年に、ルンビニを訪れました。その時、ここが釈迦生誕地であると聞き、大地にひれ伏し、そこに目印を置くように命じたといいます。その目印の石であれば、お釈迦さまの伝記を実証する発見というわけです。そこが仏教の原点とも言えます。
お釈迦さまの時代に、「早生まれ」という制度はなかったでしょう。生まれが1日違いで、学年が1年遅れるというのは、多少複雑な思いをすることもあるかもしれません。でもお釈迦さまは、お生まれになってすぐ、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されました。これは「我一人尊い」ということではなく、誰もが尊い命をもつ大切な人であるから、自分を大事にするように、他人も尊びなさいということです。生まれた日はそれぞれでも、みんな等しくたったひとつの命をいただいているのです。3月31日から4月1日へと寸分の間もなく、命はつながっています。そして命も新年度を迎えています。誕生仏に手を合わせ、普段はあまり意識しない、命の原点とつながりに思いを馳せましょう。
それでは又、4月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1017話】 「感謝の一灯」 2016(平成28)年3月21日-31日
お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1017話です。
遠くからみると、それは暗闇に咲く大輪の光の花のようでした。東日本大震災から5年という3月11日の夜、徳本寺中浜墓地跡に建つ千年塔前の広場に、全国から届いた「竹あかり」が灯されました。あたり一帯は震災以降、災害危険地域となり、あかりがともることがなかったところです。空には星が瞬き、三日月が架かり、あの夜を思い起こさせます。
千年先まで大震災を伝えたいという思いで建てられた日本最大級の五輪塔である「千年塔」前は、津波で犠牲になった大切な人や友だちを偲ぶ灯(あかり)の広場ということで、「友偲灯(ともしび)広場」と名付けられました。広場の中央には、襲って来た津波の高さほどある13メートルのポールが立っています。その頂から放射線状に何十本ものロープが張り巡らされました。そこには、これまた全国から寄せられた黄色いハンカチが数えきれないほどはためいています。ポールを包むように巨大な竹のオブジェがライトアップされています。まわりには600を超える竹あかりが灯されました。千年塔を拝む先に見える光景は、息をのむほど幻想的でした。
熊本県の「ちかけん」というグループが、まちづくりの一環として、竹にあかりを灯して空間を演出する活動を行っています。みんなで作った竹あかりで東北を明るく灯そうということで、千年塔の前で展開されたのです。一節サイズの竹にドリルで思い思いに穴をあけて模様を作ります。その中のキャンドルにあかりが灯されると、蛍の群舞の如くに見えて、暗闇は一転して、華やかな舞台になりました。
集まった人々は、鎮魂のお経が流れる中、お焼香をし、竹あかりを通して亡き面影を偲びました。ひとつのあかりだけを見つめていると、追悼の気持ちになり、全体のあかりを見渡せば、復興への希望が湧いてくる不思議な体験でした。
『賢愚経』というお経の中に、「貧者の一灯」という説話があります。貧しいながらも信仰心厚い老女が、なけなしの金銭をはたいて、お釈迦さまに灯明をお供えしました。その夜、大風が吹いて他の金持ちが供えた灯明は消えても、老女の一灯のみは消えませんでした。「心から信仰して供える灯明は消えるものではない。その老女は未来には人々から尊敬される存在になろう」とお釈迦さまは言われました。強い信念は決して吹き消されないというたとえでもあります。
この度の竹あかりを届けて下さった方々は「貧者」ではないでしょうが、亡き人を偲び、震災を忘れないと誓い、復興を目指す強い信念をあかりに託してくれました。そのあかりは、復興へ向かう人々の心に灯り、消えることはないでしょう。私たちにとっては、「貧者の一灯」ならぬ「感謝の一灯」です。
ここでお知らせ致します。テレホン法話の千話を記念して、テレホン法話集『千話一話―3.11その先へ』(定価千円)が発売されました。千人の人が描かれた錦絵のような表紙が評判です。書店もしくは徳本寺でお求めください。徳本寺にはこちらからお申込み ください。
それでは又、4月1日よりお耳にかかりましょう。