テレホン法話 一覧

【第1158話】 「心豊かなれば」 2020(令和2)年2月21日~29日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1158話です。

 津波で流された徳泉寺の復興を、震災犠牲者7回忌に当たる平成29年3月11日までに成し遂げられたら、願ってもない巡り合わせと考えました。事実前年の平成28年1月30日に大工さんと契約を交わしていたのです。しかし、現実的には無理でした。巡り合わせに偶然はなく、必然の結果です。

 徳泉寺ばかりではなく、夥しい家屋を再建しなければならない被災地の現状がありました。絶対的な大工さんの不足、更には資材調達の難しさ。それにしても、作業は遅れに遅れました。当初は平成30年5月までには完成するはずでした。しかし、それから1年経った平成31年というより令和元年の5月18日に、やっと上棟式に漕ぎつけたのです。そして半年以上かけて、この1月に完成しました。

 1年半以上も遅れれば、建て主としてはあせらずにはいられません。というのも、徳泉寺の復興は全国のみなさまから寄せられた「はがき一文字写経」によってなされているからです。延べ2200人の方の想いが込められているので、その方々に申し訳が立ちません。

 そんな時、ご自分も被災している総代さんがこう言いました。「檀家さんがまだ自分の家に住まいできないでいるのに、お寺だけ完成しても、素直に喜べないでしょう。工事が遅れてむしろ良かったかもしれない」。なるほどそうです。住職として建物に気をとられるあまり、檀家さんのことが見えていませんでした。大いに反省しました。

 そして気が付けば、檀家さんがそれぞれ落ち着いた頃から、工事が一気に進みました。更には、昭和63年1月に亡くなっている私の前の住職である祐光和尚様の33回忌が迫っていました。津波で流された本堂は、祐光和尚様の代の昭和50年に完成しました。当時の住職・檀家さんが心血を注いで建立された本堂だったはずです。それが跡形もなく流されてしまって、祐光和尚様にも檀家のご先祖さまに対しても、申し訳ない思いを抱いていました。

 それが巡り巡って、新たに再建された本堂の杮落として、祐光和尚様の33回忌の法要を1月26日に行うことができました。工事が遅れたおかげであり、必然の巡り合わせと言えるでしょうか。5間四方の本堂は、決して大きいとは言えませんが、何ら支障なく法要を営むことができました。

 「心貧しければ 大天地大ならず 心豊かなれば 小天地小ならず」自分のことしか考えられないのは、心貧しい人でしょう。天地の大きさを感じることもできないでしょう。たとえ小ぶりな本堂であっても、歴代の住職や檀家さんやその先祖さんを思いやることができる堂内であれば、十分に広さを感じられると自負しています。是非確かめにお参り下さい。3月11日から15日にかけて「徳泉寺復興感謝祭5DAYS」を開催致します。【詳細はコチラ】

 それでは又、3月1日よりお耳にかかりましょう。



三十三回忌法要 献供


三十三回忌法要 拈香法語 

【第1157話】 「涙の跡」 2020(令和2)年2月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1157話です。

 その修行僧は、合掌したまま、確かに泣いていました。何十人もの修行僧の中で、泣いているのは、彼一人だったかもしれません。大本山總持寺の授戒会でのことです。

 授戒会とは、1週間かけて仏の戒め教えである戒法を授けていただく仏道修行です。お釈迦さまから脈々と伝わる教えを受け継いだことを認められると、師匠である戒師様より血脈を授かります。血脈とは仏弟子たる証明書です。そのことにより、漠然とした仏教徒ではなく、仏の教えを実践する仏弟子なのだという自覚が生まれます。

 そのためには、加行(けぎょう)が大事です。加行とは行を加えるということで、修行を積み重ねることを言います。お経を唱える・坐禅をする・教えを聞く・手を合わせる・食事をする・睡眠をとる、すべてが仏の行であるとの自覚をもって取り組むのです。

 加行終盤の夜、わずかな灯りの中で懺悔道場が行われます。懺悔とは悔い改めることで、本来の仏の心に立ち返る行いです。私たちには知らず知らずのうちに犯している小さな罪・科が無数にあります。そのため「小罪無量」と書かれた小さい紙札を戒師様に預けて、「小罪無量」と唱えて懺悔の想いを込めます。

 その後、薄暗い本堂で、シルエットになった大勢の和尚さん方が、仏名を唱え鈴を鳴らして、身も心も清らかになった参加者の周りを賛嘆して回る様は圧巻です。これまでの加行が報われたと思う瞬間でもあります。件の修行僧の頬は、この時光っていたのでした。そして彼は本山の布教弁論大会で、この時の体験を次のように発表して、優秀な成績を修めました。

 「『できない自分』が受け入れられず、いつまでも失敗を引きずったりして、生き辛さを感じていました。やりきれない気持ちを、小罪無量の札に込めて戒師様にお渡ししました。受け取っていただいたときは『こんなに至らない私でも仏様は拒まれないんだ。このままの私でもいいんだ』と深い安心を覚えました。その後の賛嘆の響きは、観音さまの底知れぬ慈悲と推し量れない温かさに包まれた気がして、涙が止まりませんでした」。純粋に仏道を求める修行僧の正直な想いは、聴く者の心を打ちます。

 さえ、2月15日お釈迦さまの命日に合わせて、涅槃図を掲げます。そこにはお釈迦さまのご遺体の足にすがって泣いている老女がいます。長年お目にかかりたいと旅を続けるも叶わず、やっとお会いできた時は、もはや一言も声を聴くことはできませんでした。そしてお釈迦さまが亡くなる時は、如来のお姿で無垢の金色のはずでしたが、足の先がシミになって変色したところがありました。それは老女の涙がしみ込んだ跡でした。お釈迦さまが老女の志の深い事を讃え、証としてて消さなかったのだろうと伝えられています。同じように修行僧の志の深き涙の跡は、自分自身の行く末の何よりの道しるべとなって消えることはないでしょう。
ここでお知らせいたします。1月のカンボジアエコー募金は、144回×3円で432円でした。ありがとうございました。それでは又、2月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1156話】 「忍の徳たること」 2020(令和2)年2月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1156話です。

 現在、大相撲の幕内力士は42人です。過去10年間の60場所で、優勝経験者は14人だけです。白鵬などモンゴル勢が何度も優勝しているということです。平成28年までは、10年間も日本人力士の優勝者がいなかった時代もありました。関取になっても、大半は優勝の喜びをを味わうことなく引退してしまうのです。

 それなのに、初場所における徳勝龍の優勝は、相撲界の常識を覆すような出来事でした。「自分なんかが優勝していいんでしょうか」という優勝インタビューは、全く正直な感想でしょう。前頭17枚目の幕尻、しかも十両からの再入幕、年齢は33歳5カ月。失礼ながら8勝挙げて勝ち越せば御の字という地位かもしれません。2日目に黒星を喫し、それなりのスタートをしました。その後、あれよあれよという間に勝ち進み、迎えた千秋楽。幕内番付の一番下が、出場している番付最上位者の大関貴景勝を破って、14勝1敗の堂々たる成績で、初優勝を果たしました。奈良県出身力士の優勝は、98年ぶり2人目で、日本人では最高齢の初優勝者となったのです。

 何がここまでの活躍を導いたのでしょうか。徳勝龍は相撲名門校の高知・明徳義塾高で活躍するも、プロ入りは考えず、実業団で相撲を続けるつもりでした。しかし、近畿大相撲部の伊藤勝人(かつひと)監督に勧誘されました。思い切りよく攻める指導を受け、西日本学生選手権で個人優勝を果たすなど、頭角を現し、平成21年初場所で初土俵を踏みました。その恩師の伊藤監督が、本場所7日目の朝に55歳で急逝したのです。徳勝龍というしこ名は、監督の名前を一字いただいたものです。勝ち越したときは、いつも最初に報告していました。「いまだに信じられないけど、相撲で恩返しをするしかない」と、気持ちを切り替えます。

 場所中に親ともいえる大切な方を亡くして動揺しないはずはありません。しかし、土俵での活躍が何よりの供養になると発奮できるところが、並ではありません。関取になっても、十両と幕内を行ったり来たりして、決して華やかさはありません。自分でも忸怩たるものがあったはずです。恩師にしても、朝乃山など他の教え子が活躍すればするほど、徳勝龍に対して歯がゆさがあったかもしれません。しかし、そんなものを一気に吹き飛ばす、この度の優勝でした。

 どんなに日が当たらなくても、決して腐ることなく、黙々と稽古に励み、土俵に上がり続けてきました。「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり」と『遺教経』にあります。忍耐の徳は何にも勝り広大であると、お釈迦さまは最後の説法で仰っているのです。それは伊藤監督の遺言でもあるように思えます。初土俵以来10年間、一番も休むことなく相撲を取り続けている節制と精進は、徳勝龍というしこ名に恥じない相撲人生といえます。

 それでは又、2月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1155話】 「怨みなき空身」 2020(令和2)年1月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1155話です。

 「無辜の人」というときの「辜」という字は、「古い」と言う字の下に「辛い」と書きます。あまり馴染みがありません。それもそのはず、「人をはりつけにして、死体を乾かして堅くする」ということで、「重い罪」を表わすという物騒な意味があります。

 「無辜」とは、罪がないことです。「無辜の民を戦禍に巻き込む」と辞書の例文にはあります。不幸にも、まさにその通りのことが起きてしまいました。1月8日朝、イラン国内でウクライナ航空機が墜落して、乗客乗員176人全員が死亡しました。ウクライナ・イラン・カナダ・イギリスなど、犠牲者の国籍は多岐にわたります。墜落現場には、ぬいぐるみも確認されて、幼い子どもも乗り合わせていたと思われます。理不尽にも、あっという間に、それぞれの日常が奪われてしまったのです。

 原因はイランがミサイルを誤って発射したためです。イランはアメリカの攻撃から自国を守るため、隣国のイラクにあるアメリカ軍拠点を攻撃していました。その中で、防空システムがウクライナ航空機をアメリカ巡行ミサイルと認知してしまったのです。担当者がミサイル発射の許可を得ようとしましたが、上官に連絡が付かず、発射してしまったというのです。全くの人的ミスによる重大な誤りがもたらした大惨事です。

 その元を辿れば、1月3日にアメリカ軍が、イランの革命防衛隊のソレイマニ司令官を無人機で殺害したことです。年明け早々先制攻撃を仕掛けて、物騒な「辜」なる存在を消滅させたとトランプ大統領は息巻いたことでしょう。当然イランも黙ってはいません。地対空ミサイルで報復攻撃を開始しました。そして、あってはならない無辜の民を戦禍に巻き込む悲劇を生んだのです。

 人類の歴史は、戦いの歴史と言ってもいいのでしょうか。2500年前のお釈迦さまの時代でも、そういうことはあったのでしょう。『法句経(ほっくきょう)』に次のようにお示しです。「まことに、怨みごころは いかなるすべをもつとも 怨みを懐(いだ)くその日まで ひとの世にはやみがたし うらみなさによりてのみ うらみはついに消ゆるべし こは易(かわ)らざる真理(まこと)なり」。怨みをもっている限りはなくならい、怨みを捨てて初めてなくなるものだということです。誰でも怨みを懐くことはあるでしょう。それを捨てることができるかどうかが、その人の器とも言えます。

 お釈迦さまと同じインドのタゴールの詩にはこうあります。「人びとはにくしみあい 殺しあった 大地は これを恥じて みどりの草をもって これを覆った」。イランの大地に散った176人の犠牲者が、みどりの草の代わりとなったとしたら、あまりにも悲しい話です。ご冥福を祈りつつ、今年こそ怨みを捨てて空身になって、軽やかにさわやかに生きたいものです。

 それでは又、2月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1154話】 「人生のセオリー」 2020(令和2)年1月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1154話です。

 人生の最期に食べたいものは何ですかと聞かれたら、迷うことなく「お寿司」と答えます。生臭坊主と謗られることは覚悟の上です。お寿司を日常的に食べている人は少ないでしょう。ハレの日の食事という感じでしょうか。人生最期がハレの日と言えるかどうかは別として・・。

 さて、お正月の風物詩になりつつあるような東京・豊洲市場の「初競り」でのマグロの落札価格。今年は青森県大間産の276キロのクロマグロが、1億9320万円を記録しました。1キロ当たり70万円もします。去年は同程度のマグロが3億3360万円でしが、それに次ぐ史上2番目の高値でした。

 276キロがどのくらいのものかと言えば、元大関小錦関が現役時代、大相撲史上最重量と言われた体重は、285キロでした。最近ではロシア出身の大露羅関が、292.6キロでそれを抜きました。大相撲の世界でもあまりお目にかかれない数字です。それに対して、1億円を超える金額は、妥当なのでしょうか。お正月の御祝儀相場なのでしょうが、寿司が好物の私にとっては、1の寿司にしてしまい、箸がつけられなくなってしまいそうです。落札した寿司屋では、通常価格で大盤振る舞いをしたそうですが、記に残る味だったことでしょう。

 昨年3億円を超えて落札されたマグロを見て、ある水産関係者は「これが3憶かあ。でも明日なら同じものが400万円で買えるよ」と言っていました。競りとはそういうものなのでしょう。ものはひとつしかないのに、欲しい人が何人もいて、ジャンケンというわけにはいかない場合は、お金の勝負になります。欲しいものがあと少しで手が届くとなれば、更に物欲が増します。隣の人が1万円出すなら、私は2万円、それなら3万円という風に、天井知らずになっていきます。しかし、幸か不幸か人間の欲望にも限界はあります。この度はそれが、2億円を超えないところで気付いたというところでしょうか。

 誤解を恐れずに言えば、人間は欲がなければ生きていけません。多少の出世欲や名誉欲は生きる励みになるかもしれません。何より食欲がなくなったら、生きていけなくなります。ただ、食べ過ぎ飲み過ぎて、健康を害することもあります。幸せな生き方ができている人は、欲望のコントロールが上手なのでしょう。

 今年一年も、自分の心の中で、競りにかけなければならないことが、多々あるかもしれません。あれを食べたい、あそこに行きたい、そう思っても、ちょっと立ち止まってみましょう。3憶円のマグロが明日は400万円になることもあるのです。欲の限界を知って、競りから降りることも、人生の大事なセオリーなのです。

 ここでお知らせいたします。12月のカンボジアエコー募金は、138回×3円で414円でした。ありがとうございました。
 それでは又、1月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1153話】 「ラッキーマウス」 2020(令和2)年1月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1153話です。

 あけましておめでとうございます。子年のネズミは十二支の始まりの干支ですので、特に始まりの始まりということを意識して、新年を迎えた方も多いのではないでしょうか。

 さて、世界で最も有名なネズミといえば、ミッキーマウスでしょう。今から92年前の1928年に誕生しています。生みの親はアメリカのウォルト・ディズニーです。最初ディズニーは、「しあわせのウサギのオズワルド」というアニメーションをヒットさせます。しかし、配給業者にオズワルドの版権を奪われてしまい、有能なスタッフも大量に引き抜かれるというどん底を味わいます。

 何とか新たなキャラクターを生み出そうと思案していたある日、昔のオフィスに頻繁に出没していたネズミが頭に浮かびました。「これだ!」と思い至り、早速可愛らしいネズミを誕生させて、「ミッキーマウス」と名付けました。

 ディズニーは子どものころから、絵を描くのが好きで、動物に対しても人一倍愛情をもって接してきたようです。何より、何度も逆境に陥りながらも、アニメーションに対する夢と情熱があってこそ、立ち上がって、成功を収めたのでしょう。それにしても、ネズミです。「鼠は大黒天の使い」という諺があります。大黒天は福の神ですから、鼠は福をもたらすということです。

 そこで、私も鼠を思い出しました。あの東日本大震災の時です。瓦礫が散乱してこの世のものとは思えない故郷の光景でした。そんな中で元気だったのは鼠です。今まで棲み家にしていた家が流されて、表に出るようになったのでしょうか。瓦礫に囲まれた環境が、鼠の繁殖に適していたのかもしれません。大小さまざまな鼠に遭遇する度、人間様がこんなに困っているときに、鼠は我が世の春を謳歌しているのかと、恨めしくなりました。

 あれから9年の歳月が流れようとしています。もはや頻繁に、鼠の姿を見かけることはなくなりました。変わって、故郷もかなり復興が進みました。大津波で流されたもう一つの住職地徳泉寺も、全国47すべての都道府県の人から寄せられた「はがき一文字写経」の功徳により、再建する事が出来ました。みなさまの復興に対する夢と情熱のおかげでもあります。3月11日には落慶法要を営む運びとなっています。

 瓦礫を棲み家としていた鼠が、ミッキーマウスのような存在だったとまでは言いません。しかし、今となっては、あの鼠たちの生命力が、復興へのスタートになったような気はします。鼠は復興という福をもたらしてくれたのでしょうか。そして、これからこそ、故郷の新しいスタートにして、幸せを呼び込みなさいと、今年のネズミは諭しているかもしれません。今年一年、たくさんのラッキーマウスに出会えますようお念じ申し上げます。

 それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1152話】 「ゴールを定める」 2019(令和元)年12月21日~31日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1152話です。

 寺社建築など格式ある建物に、格天井(ごうてんじょう)があります。格子(こうし)に組んだ升目の中に一枚板が収まっています。洋風のクロス張りと比べると、手が込んでいることがわかります。升目の部材である組子(くみこ)は、単なる棒ではなく、面取りが施してあります。それは銀杏面(ぎんなんめん)というそうです。殻付きの銀杏のような丸みを帯びた形状です。相当の手間がかかっています。

 というわけで、東日本大震災の津波で流され、全国のみなさまから寄せられた「はがき一文字写経」の功徳で建築中の徳泉寺は、工事が遅れに遅れて、完成引渡しは年明けてからということになりそうです。大工さんが一日中作業をしていても、目立った進み具合いが感じられないこともあります。ただ単に金槌で釘を打ち付けて終わりという作業ではなく、鑿(のみ)や鉋(かんな)を駆使しての、繊細な手仕事が求められています。

 一般住宅からすれば、倍も三倍もかかっています。加えて、そのような技術を持つ大工さんは少なくなり、生産性は望めません。それでも建て主としては、現状に甘えてばかりはいられません。当初思い描いていた完成時期より1年以上遅れています。全国の「はがき一文字写経」の納経者の方に申し訳が立ちません。

 そこで大工さんにゴールを明言しました。大震災から9年の来年の3月11日に落慶法要を行うことを。その前に、徳泉寺の前住職の三十三回忌が、ちょうど来年1月に当たるので、新本堂の杮落としとして、その法要を行う旨を伝えました。お尻に火をつけたという感じです。同時に私のお尻にも火はついているわけです。限られた時間の中で、2つの一大法要を行わなければならないというのは、準備を考えれば、物理的にかなり厳しいことは百も承知です。

 しかし、全国の47都道府県すべてのところから寄せられた2千枚近い「はがき一文字写経」の恩に報ゆるためにも、そして銀杏面をはじめ様々な技を尽くして、本堂としての風格を整えてくれた大工さんの熱意に応えるためにも、成し遂げなければならないことです。ゴールが定まっていないと、いい加減な走り方しかできなくなります。

 みなさまも歳末の最中、大晦日というゴールを目指して、明日なき戦いに忙殺されていることでしょう。今日は大掃除、明日は買い出しというふうに。ある人が言いました。「明日やろうは バカヤロウだ」。今日の分は今日のうち、というより、明日の分までやるぐらいの心意気を持ちましょう。そうすれば除夜の鐘というゴールの鐘が響くことでしょう。食卓には手の込んだ料理のひとつ茶わん蒸しも並ぶことでしょう。中身の銀杏(ぎんなん)いちょうを良く味わって、一陽来復・新年を迎えましょう。

 それでは又、来年1月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1151話】 「喪中はがき」 2019(令和元)年12月11日~20日

  お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1151話です。

 今年10月に70代の弟さんを亡くされたお兄さんが、お参りにきてこう言います。「家の者が喪中のはがきを出しなさいとせかせるのですが、私は気がのりません。間もなく四十九日も迎えますから、新たに気持ちを切り替えて、まさに、あけましておめでとうと言いたいくらいです。この時期よそからも喪中のはがきをいただきますが、誰のための喪中なのかわからないものもありますからね」

 確かに喪中のあいさつが少し軽く扱われている気がします。喪中の喪という字は、畳や板敷に敷く長い布の敷裳(しきも)の裳(も)につながるとか。遺族がそれをすっぽりかぶって、一室に閉じこもり慎みを続けたという説があるほどです。

 その根底にあるのは、「汚穢(けがれ)」の思想かもしれません。死人を放置しておけば、腐敗してしまいます。そこから、昔、人が亡くなるとその近親者は、死人から肉体的・精神的に「死の汚穢」をうつされると考えられていました。そのため、汚穢を浄化する一定の期間、世間から隔離して、謹慎生活を送ることが、喪に服するということになったのでしょう。因みに、明治7年(1874)の太政官布告の「服忌令」をみると、父母や夫の死の場合は、服喪期間は13カ月ですが、妻や子どもや兄弟が死んだ時は、90日間となっています。

 現代において、人の死を汚穢とみなすことはほとんどないでしょう。宗教的にも全くその通りです。しかし、会葬御礼についている「清めの塩」は、死は汚穢という考え方の名残と思われます。最初から汚穢ていないのですから、清める必要もないのですが、日本人独特のこだわりでしょうか。

 さて、喪中ですが、近親者が亡くなったとして、私たちはどれほど喪中にふさわしい生活をしているでしょうか。何カ月間も世間と関わらない生活など、現実的には不可能です。葬儀が終われば、あっという間に日常生活に戻らざるを得ない現実があります。どんなに辛く悲しくとも、仕事や学校をいつまでも休むわけにはいかないのです。

はがき一枚で喪中の意思表示をするのは、真の喪中の意味合いを考えれば、いかにもご都合主義です。たとえば昨日忘年会で一緒に騒いだ人から、翌日喪中のはがきが届いたとしても、ほんとうに喪中の生活をしているのと、疑ってしまいます。肝心なのは、日常生活を営みながら、どれだけ亡き人を忘れずにいられるかでしょう。

 件(くだん)のお兄さんは、7日毎に朝早く来て、弟さんのところに手を合わせていかれます。「弟に先立たれ悲しみは消えませんが、日々冥福を祈ってきて、何とか気持ちが落ち着いてきました。年が明けたら、心からおめでとうが言えるような気がします。新しい年もよろしくお願い申し上げます」そんなはがきをこそ、みなさんに差し上げたいはずです。

 ここでお知らせいたします。11月のカンボジアエコー募金は、130回×3円で390円でした。ありがとうございました。それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1150話】 「自然のまま」 2019(令和元)年12月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1150話です。

 1日24時間年中無休で営業しているコンビニが、日本列島に5万店舗以上あります。寺院数よりは少ないものの、郵便局の倍以上です。確かに便利です。しかし、これは自然なことなのでしょうか。人は陽が昇れば目を覚まし、星の瞬きと共に眠りに就くのが、生物的に理想的な生き方といえます。

 しかし、文明の進歩は、自然に生きること以外に価値観を生み出すようになりました。いつでもどこでも何でも手に入る便利さという欲望に溺れてしまいました。それが不自然であると、もはや誰も思いません。

 今年2月にコンビニ最大手のセブン-イレブンの東大阪市の店主が、本部の反対を振り切って、24時間から短縮営業して社会問題になりました。人手不足とそれに伴う人件費の高騰が背景にあってのことです。そしてここにきて、コンビニ2番手のファミリーマートは、営業時間について、希望すれば24時間からの短縮を認める方針を固めました。「脱24時間営業」が広がり、コンビニの転換点になるのではと、注目されています。来年の元旦には休業するコンビニも現れるようです。これは自然な流れではないでしょうか。

 さて12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた成道会(じょうどうえ)です。お釈迦さまは、苦しみ悩み多き世にあって、安らかな生き方を思案する中で、29歳の時に出家をして、山に籠ります。そこで他の修行者と共に、極端な難行苦行を試みました。何日も飲まず食わず眠らずに過ごすとか、徹底的に身体を痛めつける方法です。6年間も続けましたが、やせ衰えるだけで、心の悩みは深まるばかりでした。

 このような修行が役に立たないことに気づき、山を下り尼蓮禅河(にれんぜんが)で身体を清められました。その時たまたま村の娘に乳粥を施され、気を取り直して、菩提樹の根元で坐禅を組まれました。すると村人の歌声が聞こえてきました。「糸が強けりゃ強くて切れる。糸が弱けりゃ弱くて鳴らぬ。緩急よろしく調子をあわせ、ほどよく歌え、ほどよく踊れ」まさに弦の張り方と同じように、修行も苦楽の両極端に陥るのは邪道だと納得します。

 それから7日間坐り続けて、12月8日の明けの明星をご覧になり、突然に心が晴れ渡ったような思いを抱きました。そして「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」つまり草木も国土も自然そのもの、偽りのない仏の姿であるとおっしゃいました。

 命あるものは自然のままに生きることが、何よりも大切であるということに目覚めなさいとの教えでもあります。自然のままとは、常に変化し続けるということです。時間・季節・命みんな移りゆくものです。自然なる朝には何が見えるのでしょう。自然なる夜には、何が見えないのでしょう。少しコンビニの存在を忘れて思い起こしてみましょう。

 それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1149話】 「ワンチーム」 2019(令和元)年11月21日~30日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1149話です。

 今年の流行語大賞の候補に「にわかファン」や「ワンチーム」が選ばれています。いずれもラグビーのワールドカップ効果でしょう。ラグビーは国籍にこだわらないスポーツということで、代表選手の条件も緩いそうです。この度の日本チームは、日本人が16人で外国人が15人という編成でした。

 実力主義ということで言えば、国籍は関係ない方がいいでしょうが、文化や言葉の壁を超えてチームワークを培うには、それなりの努力が必要でしょう。そこで「ワンチーム」というスローガンを掲げて、目標に向かってひとつに結束しようとしたのでしょう。結果、快進撃を続け、8強入りを果たし、史上初の決勝トーナメントに進出したのです。

 たまたま、ワールドカップが終わって間もなく、奈良のお寺をお参りする機会があり、「ワンチーム」を実感しました。仏教は日本で生まれたものではなく、お釈迦さまはインドの方です。インドから中国に広まり、朝鮮半島を経て、日本に伝わりました。今から1500年も前のことです。当然のことながら、多くの日本人以外の尽力もあり、奈良盆地を中心に仏教が定着していくことになります。

 その代表的な方は鑑真和上でしょう。鑑真は中国の唐の時代の僧侶で、戒律にかけては右に並ぶものがない力量の方でした。日本から招かれたものの、当時の航海の難行から5度の失敗を重ねて、盲目の身となられました。それでも決意は固く、6度目の航海で遂に、日本の土を踏む事が出来ました。

 754年に東大寺の大仏殿の前に、戒律を授けるための戒壇を築き、時の聖武天皇をはじめ400人を超える僧侶や一般の人に対して、日本初の正式授戒を行ったのです。正式な仏教徒というのは、信仰心だけではなく、お釈迦さまから受け継がれてきた戒律を、然るべき和尚さんから授けていただく授戒に就き、仏弟子としての証明をいただいた人を言います。

 鑑真和上より200年も前に、日本に仏教は伝わっていましたが、お釈迦さまの正当な教えを伝えたのは、鑑真和上と言ってもいいかもしれません。そして律宗の総本山唐招提寺を天平3年に創建されました。その金堂正面の柱は、古代ギリシャ建築様式を思わせるエンタシスで、柱の真ん中が少し膨らんでいます。人も建築様式も日本にないものの粋を集めて、日本に仏教を定着させる一助を担ったまさに「ワンチーム」です。

 何事も明確なゴールを目指すという決意があれば、様々な壁を乗り越え、多様性を尊重し合う「ワンチーム」になれて、望外の結果をもたらす事が出来ます。というより、元々空や海に国境の線が引いていないように、壁などないのだという意識は、これからの時代は特に大切です。こんな言葉に出会いました。「魚たちにとってみれば、どこであれ『ひとつの海だ』」。この言葉に頷いた方は、鑑真和上の大を乗り越えてきた「戒()律」も少しは納得できるでしょうか。

 それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。