テレホン法話 一覧

【第1176話】 「百日紅」 2020(令和2)年8月21日~31日


百日紅

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1176話です。

 百日に紅と書いて「さるすべり」と読みます。境内にあるその花が、お盆の13日に咲きました。百日紅はお寺の木だから、一般には植えないというまことしやかな話を聞いたことがります。中国などに伝わる話によると、女性が恋人と百日後に会う約束をしたのに、百日目を目前にして死んでしまいました。その後、女性の墓に生えた木に紅い花が咲き、百日紅(ひゃくじつこう)と呼ばれるようになったとか。亡き女性の身代わりの花、或いはお墓に咲く花というイメージが、お寺と百日紅を結びつけたのかもしれません。

 実際は夏の長い期間、紅い花を咲かせているから、百日・紅なのでしょう。百は長い期間の象徴的数字です。その木肌はつるつるして滑りやすそうなので、「さるすべり」とも呼ばれるわけです。私はそこからして、お寺にふわわしい木だと感じています。「猿も木から落ちる」のだから、何事も油断せずに励まなければならないということを、百日紅は教えてくれます。

 また暑さに耐えて長期間紅い花を保ち続けるのは至難なことです。そのための忍耐・精進の姿が百日紅から伝わってきます。本山で修行していた時、春から夏にかけての百日間は「百日禁足」と言って、本山から一歩も外に出ることができない修行三昧の期間があります。やがて百日禁足が明けるのを待っていたかのように、境内に咲く百日紅を見て、自分たちの百日間の修行がいつか身について、紅い花を咲かせることができるだろうかと思ったものでした。

 木から落ちた猿がいたとして、それが驚かれるのは、木登りにかけては猿は絶対的能力があると認められているからです。果たして私には、猿に負けないような能力があるでしょうか。本山を下りて何十年も経った今も、どんな花を咲かせることができたのか忸怩たるものがあります。そして、百つながりの禅語が思い浮かびます。

 中国唐の時代の長沙景岑(ちょうしゃけいしん)の言葉に「百尺竿頭進一歩(ひゃくしゃくかんとうしんいっぽ)」というのがあります。「百尺の竿(さお)の先に登って、そこから更に一歩を踏み出せ」ということです。百尺とは約30メートル、10階建てマンションの高さです。秋田竿灯祭りの竿でさえ、12メートルですので、30メートルは想像を超えています。

 百尺の竿を登るとは、精進に精進を重ねて頂点に達したということでしょうか。そこから更に一歩を踏み出せば、命を落とすこともあり、これまで積み重ねてきたものが水の泡になるかもしれません。しかし、それほどまで捨てきる覚悟がなければ、禅を極めることができないという厳しいお示しです。厳しい暑さの中にあって、百日紅のように花も咲かせられず、頂点にも至っていない者にとっては、踏み出す一歩もない事を悟り、更に励むだけです。そういえば「百」という漢字には、「はげむ」という読み方もあるんですね。

 それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。


百日紅

【第1175話】 「心密なるお盆」 2020(令和2)年8月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1175話です。

 旧暦の7月7日に行われるから七夕という字は納得しますが、「七つの夕」をどうして「たなばた」と読むのでしょうか。一説には、お盆との関りがあるとされます。先祖を迎えるため精霊棚を設置し、その棚に幡(ばん)という仏を荘厳する旗を飾ります。それを棚幡(たなばた)と言います。8月7日の夕方からその準備をしてお盆を迎えます。いつしかそれが七つの夕の七夕に転じたというのです。確かにこの辺りでは、7日にはお墓掃除が行われ、お盆の準備が始まります。

 さて、8月7日は毎年徳泉寺のお盆供養の大施餓鬼会の日でもあります。徳泉寺は私のもうひとつの住職地でもあり、東日本大震災の大津波で伽藍などすべてが流されました。しかし、全国の方より寄せられた「はがき一文字写経」の功徳により、今年3月に復興再建できました。そして今年のお盆はその新本堂で迎えられることになりました。

 勿論、新型コロナウイルス感染予防を心がけてのことです。消毒液やマスクの用意、堂内の換気や席の間隔を確保し、時間もできるだけ短縮して、3密を防ぐ工夫をしました。このご時世なので参列者も少ないだろうと思いきや、例年よりも多いくらいで、椅子に座れない人もいたほどでした。新本堂での初めてのお盆供養ということで、檀家のみなさんの意気込みがコロナを追い払ったかのようでした。

 事実、お盆供養の前に「疫病終息祈願大般若法要」を行いました。1300年以上前の奈良時代から行われている大般若経600巻を大勢の和尚さんで読んで、国家の安寧や幸福、病気平癒などを祈願するものです。読むと言っても膨大なお経ですので、転読と言ってお経本を扇のように広げて読む独特の作法があります。この時生じる「般若の風」が、迷いや災いを払拭して清浄な世界を醸し出すと信じられています。

 そして、「苦節九年」やっと我が家でご先祖さまを供養できるとの思いで、大施餓鬼会が行われました。参列者全員マスク姿ながら、心を込めた焼香により、その香煙は確かにご先祖さまに向かって流れていきました。きっとその香りを感じて、ご先祖さまはお盆の13日にそれぞれのお宅に帰ってこられることでしょう。

 ただウイルス感染拡大防止のため、お盆の帰省を控えて欲しいと、全国知事会では呼びかけています。今年のお盆は、ご先祖さまが帰って来ても、それを迎えてくれる人が少なくなるのでしょうか。いやいや、ご先祖さまが帰って来るとは、具体的に玄関の戸を開けて「ただいま」というわけではありません。私たちの心の中に、帰ってきてほしいと迎える気持ちがあるかどうかです。3密を避けて帰省できないとしても、どこにいようがご先祖さまをお迎えする心を失わないことです。ご先祖さまと私たちの心と心を密にして、心密(親密)なるお盆のひとときをお過ごしください。

 ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、126回×3円で378円でした。ありがとうございました。

 それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。


本堂に掲げられた施餓鬼幡

【第1174話】 「藤井マスク」 2020(令和2)年8月1日~10日


リンドウ

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1174話です。

 大相撲で横綱になるのは、オリンピックで金メダルを取るより難しいと言われます。将棋でタイトルを獲得するのも、同じように至難なことでしょう。将棋のタイトルは、竜王、名人、叡王(えいおう)、王位、王座、棋王、王将、棋聖の八つがあります。そのうち藤井聡太七段は17歳11カ月の最年少で棋聖のタイトル保持者となりました。

 4年前まだ中学生で、14歳2カ月の最年少プロ入りは、62年ぶりの記録更新。3年前の公式戦29連勝は30年ぶりの記録更新。そしてこの度の最年少タイトルも30年ぶり。その他にも記録を作るたびに最年少がついてまわってきました。まさに30年50年に一人という天才なのでしょう。タイトル戦第2局では、人工知能(AI)が6憶通りの手を読んで示した手を選んで、周囲を驚かせました。

 「藤井七段は勝って地位や名誉を手に入れようと思って指していない。いい意味で勝ちにこだわりすぎていない。だからよい手を指せるのかもしれない」とは、師匠の杉本八段の話です。こだわらないことへのこだわりとは、無心無我の境地ではないでしょうか。新型コロナの影響で、4月中旬から約1カ月半公式戦がありませんでした。その時藤井七段は、人工知能の読み筋と自分の考え方を照らし合わせて、自らの将棋を見つめ直したそうです。

 将棋は門外漢で、一手も読むことはできませんが、ひとつだけ読めたことがあります。普段の公式戦とは違って、タイトル戦では和服姿でした。そしてコロナのためマスク着用です。白い色ですがよく見ると、市松模様の織が入っているのです。和装用と思えるおしゃれなマスクでした。タイトルを取れば、その一挙手一投足が注目されるのは当たり前でしょうが、案の定マスクにも世の関心が注がれました。何でも福井県の帯製造会社が開発した「夏用涼やか絹マスク」だそうです。絹は通気性や吸湿性に優れて、最もマスクに適しているということで、手洗い可能な絹100パーセントで、仕上げているものです。タイトルを獲得したマスクということで、一気に火がつき、注文が殺到しているとか、納得できる話です。

 一方、「アベノマスク」と揶揄(やゆ)されている「1世帯に2枚だけ」のマスクは、すこぶる評判が良くありません。まわりで着けている人を見たことがないと思ったら、僅か5パーセントの人しか利用していないそうです。何百億円もの税金は無駄遣いだったと言わざるを得ません。その上さらに、8千万枚のマスクを然るべきところに配布するとか。それも税金でのマスクですよ。まずくありません?アベノマスクと藤井マスクとの差は歴然としています。モリ・カケ・サクラで信頼を失い我が身を守ろうとこだわる人の言うことを、人々は2枚のマスクで両耳を覆いたい気持ちでいます。こだわりを捨てさわやかでかっこよければ、人々は藤井マスクにまっすぐ飛びつきます。

 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1173話】 「配密」 2020(令和2)年7月21日~31日


テマリギク

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1173話です。

 誕生日のケーキに歳の数だけローソクを立て、当人が一気に灯りを吹き消してお祝いすることがあります。仏事にもローソクは付き物です。しかし、灯を消すとき、息を吹きかけることは決してしません。息は不浄のものだからです。誕生日は自分の為のローソクだからよしとしても、仏事の場合は仏さまに供えるものです。

 さて、大きな法要では、須弥壇にご飯やお菓子お茶などを供える作法そのものが、儀式の大切な流れになっています。導師を中心にして何人もの和尚さんの手から手へと渡り、一つひとつ丁寧にお供えされます。お供え終わるごとに導師はお拝をします。これを伝え供えると書き「伝供(でんぐ)」と言います。伝供を際立たせていることのひとつに、樒(しきみ)があります。和尚さん方は樒の葉っぱを唇に挟んで伝供の作法をします。大事な供物に息をかけないようという配慮のためです。

 樒は常緑樹で葉っぱは肉厚です。その葉っぱに10円玉くらいの金属を当てて、丸くくりぬき、水を入れた容器に浮かべておきます。伝供の時それを1枚唇に挟みます。樒は全体に香りがあり、よく仏前にに供えられますし、葉っぱから抹香や線香を作ることもあります。樒という字は木偏に秘密の密と書きます。よって伝供の時挟む樒(しきみ)を樒(みつ)と呼んでいますし、それを準備し配ることを配樒(はいみつ)と言います。尊い仏さまにお供えするのだから、決して粗末にならずに、清浄なものをという先人の心遣いに感心させられます。

 ところで、新型コロナウイルス感染予防のため、マスク姿は当たり前になり、「3密」への配慮も様々工夫されています。いわゆる密閉・密集・密接をできるだけ避けて、ウイルスの飛沫感染リスクを抑えるためです。3密に配慮するという意味では、これも「配密」と言えるかもしれません。ウイルス感染とは別にしても、やみくもに臭い息を吹きかけるのは、無礼千万(ぶれいせんばん)なことです。

 息をするのは生きている何よりの証です。そして自分の息が他人を不快にさせることがあるように、突き詰めれば、生きているとは人に迷惑をかけることなのかもしれません。勿論それはお互い様のことだから、許し合っているところもあります。しかし、こと命に関する限りは、お互いが命取りになりかねません。すべてが不浄な息とは言いませんが、ウイルスは目に見えない厄介者です。もしかしたらコロナとは、息の長い付き合いをしなければならないかもしれません。息を抜くことなく「配密」等に心がけましょう。

 因みに樒の香りの成分は、花瓶の水の腐敗を防ぐそうです。以前は樒を防火用水漕に入れてボウフラの発生を防いだとか。樒の香りのようなウイルス退治のワクチンが一日も早く世に出ることを、息を殺して待つしかないのでしょうか。

 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1172話】 「野ざらしの抜け殻」 2020(令和2)年7月11日~20日


泰山木

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1172話です。

 「しがみつく」を漢字で書くと、ライオンの獅子という字の「獅」と「噛みつく」という字で「獅噛みつく」になります。獅子のように強く噛んで離さないという意味がよくわかります。

 昨年の夏は猛暑で蝉が元気でした。徳本寺の鐘撞き堂の柱や天井に、何と13匹の蝉の抜け殻が確認出来て驚きました。1カ所にそれほどたくさんの抜け殻を見たのは初めてでした。今年はさらに驚いたことがありました。13匹のうちの1匹が、鐘撞き堂の梁のところにまだしがみついているのです。確かに昨年からのもので、鐘を撞くたびに見てきたので間違いありません。

 更には、境内に泰山木の木がありますが、その葉っぱの裏に一匹の抜け殻がしがみついていました。これも一年前からと思われます。泰山木は常緑樹ですが、その固く大きな葉っぱは、結構生え替えて落ちるのです。抜け殻にしがみつかれた葉っぱは、よくぞこれまで落葉せずに持ちこたえたものだと、これはこれで驚きです。

 この一年穏やかな日ばかりではなく、大雪というほどの雪はなかったものの、大雨にも大風にも襲われて、たいへんな思いをしたことが度々ありました。野ざらしの抜け殻があっという間に吹き飛ばされても不思議ではないはずです。

 抜け殻を残して、一人前の蝉となって、精一杯鳴き続けても、その命は一週間や十日です。儚い命の象徴のように譬えられる蝉の生涯です。それなのに一年間も置き去りにされたところにしがみつき続けた抜け殻の生命力は驚嘆に値します。抜け殻だから、命というはおかしいというかもしれませんが、僅かな接点だけで健気にしがみついていた抜け殻は、生きているように見えます。

 芭蕉の句に「やがて死ぬ けしきはみえず 蟬の声」というのがあります。蝉の儚い生涯を詠んだものか、我々人間を含めての無常の感慨を込めた一句なのかは分かりません。少なくとも、一年間もしがみついていた抜け殻は、鳴き涸れて死んだ蝉たちの姿を見ていたかもしれません。鐘撞き堂や境内の泰山木にしがみついていた抜け殻ですから、私が撞く諸行無常の鐘の声を毎朝聴いて、世の移ろいを眺めていたのかもしれません。そのためにしがみついていたとしたら、その抜け殻は悟った蝉の姿でしょうか。

 さて私たちは何にしがみついていますか。地位や名誉あるいはお金ですか。やがて死ぬ景色が見えないから、大臣になった人でさえ、そのしがみつきはしがらみとなって、人の道をはずれた行いをすることもあるわけです。コロナ禍のように、ステイホーム(法務)大臣に徹して、下手な選挙活動などせずに、法律にしがみついていればよかったのに、今更「蝉ません」と謝られても後の祭りです。

 ここでお知らせいたします。6月のカンボジアエコー募金は、125回×3円で375円でした。ありがとうございました。
それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。


鐘撞き堂の抜け殻



泰山木の抜け殻

【第1171話】 「自然の流れ」 2020(令和2)年7月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1171話です。

 ビニール袋を英語では、プラスティックバッグと言います。また厳密には、ビニール袋・ポリ袋・ナイロン袋の成り立ちは違いますが、名称としてはあまり区別しないで使っていませんか。加えて立派な市民権を得ているのがレジ袋です。

 そして、プラスティック製のレジ袋が、この7月から原則として有料になりました。脱プラスティックの取り組みです。一般的なプラスティックは分解されにくいため、海の生き物に飲み込まれたり、体に絡まったりして、生態系を脅かすと言われています。30年後には、海のプラスティックごみが、魚の重量を上回るという試算さえあります。焼却しても二酸化炭素を排出するので大気汚染につながります。

 今や私たちの生活になくてはならないプラスティック製品ですが、自分で自分の首を絞めているかもしれません。便利さを享受しているうちに、じわじわと地球環境を破壊しています。国内で年間に廃棄されるプラスティック製品は、900万トンですが、レジ袋の割合はわずか数パーセントだそうです。それならレジ袋だけを有料化にしても効果がないのでは、と思うかもしれません。しかし、これだけ身の回りに溢れているのに数パーセントなら、100パーセントはどれだけの量かと想像してみてください。そして、最初から100パーセントではなく、1パーセントの積み重ねの結果であることを肝に銘じ、まず自分が手直にできることから脱プラスティックを始めましょう。

 その昔のアイヌの人の言い伝えに感心したことがあります。親子で山に入り、水が流れているところでは、親は必ず顔を洗い、大木の前に立つと、立ち止まり木肌に手を添えて、大きくなったなと声をかけるそうです。やがて、子どもも親がやったように、流れで顔を洗い木に声を掛けるようになるそうです。つまり、顔を洗えるようなきれいな流れを保とうと心を配り、自然の生き物を大切にしようという思いやりが、それこそ自然に培われるのでしょう。

 曹洞宗大本山永平寺の参道には、道元禅師の言葉が刻まれた大きな石柱が建っています。「杓底一残水 汲流千億人(しゃくていのいちざんすい ながれをくむせんおくにん)」道元禅師は柄杓で川の水を汲み、必要なだけいただき、残りを川の流れに戻されました。流れの先に住む人のため、子孫のために、一滴の水も無駄にしないという心構えです。そこには、自分一人だけよければいいというのではなく、自然に生かされ、人と人もお互い支え合って生きていく大切さが説かれています。

 ここ数カ月コロナ感染防止から、食事を持ち帰りする機会が増え、回収されるプラスティック容器包装が、前年より7~8パーセント増えているそうです。便利さをどれだけ自粛できるかも、コロナに試されているとしたら、長い目ではこれも自然のことなのでしょうか。

 それでは又、7月11日よりお耳にかかりましょう。


永平寺参道の石柱

【第1170話】 「甲子園の土」 2020(令和2)年6月21日~30日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1170話です。

 高校球児が持ち帰った甲子園の土が、海に捨てられるという出来事がありました。今から62年前の昭和33年のことです。夏の高校野球選手権は第40回記念大会ということで、大会史上初めて全都道府県に沖縄の代表校を加えた47校で開催されました。沖縄代表は首里高校です。

 善戦むなしく1回線で敗退した首里高ナインは、ビニール袋に甲子園の土を詰めて、船で持ち帰りました。しかし、甲子園の土は「外国の土」ということで、植物検疫法違反のため没収され、那覇港の海に捨てられました。当時、沖縄はアメリカ統治下にあったので、日本本土の往来にも、パスポート審査や税関、検疫の検査を受けなければならなかったのです。罪のない球児たちにとって惨い仕打ちでした。

 さて、その高校野球も新型コロナウイルス感染拡大を受けて、春も夏も中止となりました。野球の聖地甲子園を目指して、青春を賭けてきた球児たちの無念さは計り知れません。戦って敗れる悔しさは、理解できない訳ではありません。しかし、戦わずして突然に大会そのものがなくなってしまうというやるせなさを、嘆くばかりでしょう。

 そんな時、プロ野球阪神と阪神甲子園球場は、目標を失った全国の高校3年生の全野球部員約5万人に、「甲子園の土入りキーホルダー」を贈ると発表しました。そして、6月16日にプロ野球阪神の主力選手やスタッフが甲子園に集まり、試合に敗れた高校生と同じように、グラウンドの土を手でかき集め、シューズ袋に詰めました。その土はボールの形をしたカプセルに詰められ、キーホルダーにして、8月下旬に配送されるそうです。

 夏の高校野球では、予選から約3800校が参加しますが、1度も負けないチームはたった1校だけです。それ以外は必ず負けるわけです。でも負けるために野球をやる人はいません。みんな勝とうと努力して、甲子園を目指します。その結果、たいていの人は、敗北感を味わったからこそ、次なる展開を目指せます。今年はどのチームも1度も負けずに夏を終わらなければならないのです。「負けて持ち帰るはずの甲子園の土」入りキーホルダーが、迷わず次の1歩を踏み出せるよう背中を押してくれることを願っています。

 「陽も水も大地も借りて種をまく」(松田れい子)どんな種であれ大地がなければ芽は出ません。勿論太陽や水のおかげも必要です。甲子園の土を持った君たちは、どんな種を蒔きますか。日焼けして流した汗も、芽を出す助けとなるはずです。因みに、海に捨てられた甲子園の土の反響は、沖縄返還運動の呼び水となり、その14年後の沖縄返還につながっています。そして今から10年前、興南高校が沖縄に初めて深紅の大優勝旗をもたらしてもいます。甲子園の土は、土だけに誇り(埃)高き土なのです。

 それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1169話】 「大衆一如」 2020(令和2)年6月11日~20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1169話です。

 訳の分からないことの象徴にも譬えられるお経ですが、無量の功徳があるともいわれます。写してよし、読んでよし、称えてよしがお経です。

 修行道場では大勢でお経を称えます。そして、お経は耳で称えよと教えられます。勿論経文は目で追わなければなりませんし、声帯を使わなければ、音は出ません。ひとりなら自分の都合でどうにでもなります。しかし、複数の人数で称える場合は、声量・音程・速度などをまわりに合わせる配慮が必要です。どんな功徳のあるお経でも、みんなてんでんばらばらに称えていたのでは、それこそ興(経)醒めです。最大限耳を駆使して、自分のお経とみんなのお経がずれないように気をつけます。何十人で称えてもひとつのお経に聞えるのが理想です。修行の基本は「大衆一如(だいしゅいちにょ)」つまり、大勢の修行僧がいたとしても、みんな平等にひとつことを行う大切さが求められます。

 さて、新型コロナウイルス感染防止に伴い、自分は感染もしていないのに、行動が制限される辛さがあります。スポーツ・文化活動の自粛も、その通りです。取り分け、高校野球をはじめとする人生の中でたった一度の機会を奪われた悔しさは、察するに余りあります。野球や音楽は生きていればいつでもできるでしょう。しかし、学校時代の限られた時間の中で行えるのは、たった今しかないのです。そんなに腐らずに、今までの練習はこれからの人生に役に立つとは言うものの、これ以上腐る条件が整うことは、人生にそうありません。大いに腐って立派な肥やしを培ってくださいとしか言いようがありません。ただ腐り方の工夫も必要です。

 合唱コンクールも軒並み中止になっています。そんな中で東京混声合唱団音楽監督の山田和樹さんは、1人でも合唱は続けられると言います。コンクールはうまいか下手かの尺度でしか見られないが、本来音楽とはそういうものではないということに気付くきっかけが今だというのです。そして、ハミングを勧めます。口をほとんど閉じたまま小さい声で歌うため、飛沫のリスクが極めて小さく、一緒に歌っている人たちの声を想像したり、音程に通常より心を研ぎ澄ませることができるからだそうです。

 耳で誦むお経とハミングの一人合唱、どちらも相手を思いやる究極の技と言えます。大衆一如の思いがあればこその技です。大衆一如は昨日今日できる技ではありません。その人がどれだけ醸成した肥やしを身に付けているかによります。修行僧とコロナの災禍は比較にはならず、何の慰めにもならないかもしれませんが、ある人が言いました。「ただの慰めの言葉より、お経がいいときもある」。毎朝コロナ終息を願ってお経を称えていますが、みなさん聞えていますか。

 ここでお知らせいたします。5月のカンボジアエコー募金は、229回×3円で987円でした。ありがとうございました。
 
 それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1168話】 「四十九日」 2020(令和2)年6月1日~10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1168話です。

 古代ローマにおける暦の起源は、月が新月、上弦、満月、下弦と7日毎に変化するところから来ています。仏教でもこれを取り入れて、人の死後次の「生(しょう)」を受けるまでの間、7日毎に変化が及ぶとされ、これを7回繰り返し、七×七=四十九日で、不安定な霊が次第になごんで祖霊にとけこむと説きます。

 この四十九日間を「中陰(ちゅういん)」といいます。初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)と、7日毎に特に懇ろにお参りをして、亡き人を偲び、冥福を祈ることが古来より行われてきました。これは喪に服する期間でもあるのです。すぐには死を受け入れられず、悲しみのあまり、普段のふるまいができかねることもあります。当然仕事も休み、家に籠り身を慎む意味で肉魚を断ち、精進潔斎をして、ひたすら供養の時を過ごします。

 そして、中陰が満了して「満中陰」となり、喪に服することから解除される時です。食事も平常食に戻って精進明けとなるわけです。これより正常な生活に復帰しますという発表を兼ねて、「忌明け」「満中陰志」などと記して、供養の品をご縁の方に贈る習俗があります。

 さて、現代においてこれほど厳密に四十九日の供養をできている人はどれほどいるでしょう。親が亡くなっても、会社の忌引きは一週間あるかなしでしょう。そんな社会にとんでもない「49日」が襲ってきました。新型コロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言です。4月7日に首都圏を中心に出され、その後全国に及びました。そして5月25日に全国で解除となるまで、ちょうど49日間でした。

 学校の休校、在宅勤務、外出自粛、他県をまたぐ往来の抑制、飲食店をはじめとする店の休業など、世の中の動きが大幅に制限されました。そして四十九日の7日毎の変化のように、これまでの日常生活や価値観の見直しをその都度迫られました。奇しくも古来の四十九日供養の疑似体験をするかのようでした。

 緊急事態宣言で明らかになったように、本来あるべき四十九日供養の実践として、家に籠っていては、世の中は動かなくなるでしょう。しかし、こんな時だからこそという考えもあります。私の知人で親が亡くなった時、ほんとうに49日間毎食家族揃って精進の食事を続けた人がいます。ただ、子どもさんは学校で給食があるので、それは例外としたそうです。親の死は緊急事態であり日常生活が一変します。そしていつもと違う精進の食事という制限ゆえに、普段感じられないことを感じることもあるでしょう。知人は生涯でこんなに親のことや死ぬということを考えた時間はなかった。良い経験だったと言っていました。

 緊急事態宣言の中で、これまでの日常の見直しや、制限の中での対応の可能性を見出している人もいることでしょう。いずれにしても、これからは精進することが始終苦(四十九)にならなくなれば幸いです。

 それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1167話】 「レインボーフラワー」 2020(令和2)年5月21日~31日


レインボーフラワー

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1167話です。

 東日本大震災の時、桜が咲いたことさえ気づきませんでした。まして、被災地で花見をした人など誰もいなかったことでしょう。あれから9年、今年は新型コロナウイルス感染の予防のため、各地でお花見の自粛が求められました。

 そんな中でも、感動的な花との出会いがありました。5月12日のこと、境内の池のほとりに、紫色の花が咲いているのに気が付きました。それはジャーマンアイリスという花で、奈良県の山本公子さんが、お持ちくださった球根を植えたものでした。山本さんは去年の5月12日に、旦那様と一緒にフェリーと電車を乗り継いで、奈良県から徳本寺にお出でなったのです。あれからちょうど一年経ったその日に、花が咲いたのですから、驚きです。

 山本さんは東日本大震災の惨状をテレビで見て、辛かったろう、苦しかったろう、どんな言葉をかければいいのだろうと、ショックのあまり呆然とした日々を過ごしたと言います。ある時、近くの転法輪寺様で行われている、被災地支援のにぎり地蔵奉納の活動に参加しました。それは徳本寺の末寺で津波で流された徳泉寺復興の「はがき一文字写経」のご縁で、陶芸家が呼びかけた「一心地蔵」の奉納です。6センチほどの手を合わせた姿の地蔵さんを土をにぎって作り、窯で焼いて仕上げるのです。

 「舎利礼文」というお経の76文字が、一体に一文字写経されて、76体が平成29年3月に奉納されました。勿論山本さんが作られた一体も含まれています。そして、いつの日にかお地蔵さんが奉納された寺をお参りしたいと強く願うようになり、昨年それが実現したというわけです。

 被災地の復興を願い、遠くにいても忘れませんよというメッセージが込められた地蔵さんを、一つひとつ手作りし、そこに写経をして、奉納いただくだけでも、感謝しきれません。それなのに、わざわざ被災地まで足を延ばして、お参りくださったことに頭が下がる思いがしました。その上、一日も早く元の生活に戻れますようにとの祈りを込めてお持ちいただいたジャーマンアイリスです。

 アイリスはギリシャ語の虹という意味で、ジャーマンアイリスはレインボーフラワーとも呼ばれています。山本さんの祈りが通じたのでしょう。遥か奈良県から宮城県に虹を架けたかのように、ジャーマンアイリスは花を咲かせました。

 良寛さんの言葉に「花は無心にして蝶を招き 蝶は無心にして花を尋ぬ」というのがあります。山本さんは被災地の人々にかける言葉がなかったと言いますが、百万語にも匹敵する被災地に架ける虹の花を咲かせて下さいました。その花は蝶という復興を招きました。私たちも復興したことに驕らず、おかげを想い、今度は私たちもどこかに花を咲かせられるようでありたいと無心に願っています。

 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。

一文字写経と一心地蔵