テレホン法話 一覧

【第1228話】 「カンニングよりランニング」 2022(令和4)年2月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1228話です。

 そのテレホン法話は「神頼み」というタイトルでした。受験生が、どの程度「神頼み」するかという調査結果が元になっています。願を掛ける掛けないは、ほぼ拮抗していました。しかし、そんな結果を嘲笑うかのように、携帯電話を使ってカンニングをした予備校生を紹介しました。かなりの文字数の試験問題を携帯電話で打ち込んで、ネット掲示板に投稿し、解答を求めたのです。携帯電話を神のように信じ、神業の如く操っていたのかという結びで法話を締めました。

 それは平成23年3月11日の発表でした。その日の午後2時46分に東日本大震災が発生。ほどなく電気も電話も不通になりました。復旧したのは1週間後ですから、この法話はほとんど誰にも聴かれずに終わった幻のテレホン法話です。神頼みをしたくても、神も仏もないのかと思えるような大惨状です。テレホン法話など何の役に立つわけもなく、なくなってもよかったものです。同じように、携帯電話カンニングも、その時だけのような気がしていました。

 あれから11年、良くも悪くも人間の神業は、進歩しています。今年の大学入学共通テストで、「世界史B」の問題が試験中にネットに流出しました。19歳の女子大学生が警察に出頭し、関与を認めました。「別の大学に入り直そうとしたが、成績が伸び悩んでいた」と説明しています。予め家庭教師紹介サイトで接点があった大学生に、時間を指定して待機させ、隠し撮りした問題の画像を送り、解答を依頼したのです。

 その神業は、スマートフォンを上着の袖に隠して撮影したり、文字を打って送信したというものです。勿論、シャッター音が出ない工夫もしています。それほど準備と操作するエネルギーがあるなら、受験勉強に費やすべきでしょう。更にわからないのは、現在大学生でありながら、別の大学に入るために、カンニングに及んだことです。何のために大学に入ったのでしょう。カンニングの技を磨く学科があったのでしょうか。

 件の予備校生の受験が、東日本大震災の後だったら、携帯電話カンニングなどという姑息な手段は思い浮かばなかったでしょう。大震災という圧倒的な惨状を前にした時、人間の非力(ひりき)さを思い知らされました。復興にはカンニングなど通用しないのです。目の前の現実を直視して、今自分ができることをやるしかないのです。

 19歳の女子大学生にしても、コロナ禍でのリモートに慣れ過ぎて思いついた仕業だとしたら悲しいことです。画像だけでは判断できない生の現場があります。匂いや息遣いを感じることで、人の心は動かされます。何より自分の足を動かさなければ、一歩も前に進めないことを実感できるはずです。袖の中でカンニングしても、己の心が一歩も二歩も後退するだけです。勿論いくら袖の下を使っても、コロナは手加減をしてくれないのが現実です。そう思えばカンニングするよりも、ランニングをして自らの足で、世の中を渡っていく気概を持つべきでしょう。

 それでは又、2月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1227話】 「千里同風」 2022(令和4)年1月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1227話です。

 「震災は遠くになりても思うもの」という川柳が新聞に載っていました。「27年」という題がついて、阪神・淡路大震災から27年経ったことを詠んだものです。そして、その前日1月16日午前零時過ぎに、太平洋側全域を中心に津波注意報が出されました。真夜中のことで、どなたも驚かれたことでしょう。15日に発生したトンガ沖の海底火山の大噴火によるものです。「震災は遠くにありても不安なり」です。

 思えば1年前の2月13日夜11時7分に発生した地震は、東日本大震災の余震というのですから、驚きました。間もなく大震災から10年の節目を迎えるというタイミングで、余震とはいえ震度6強もありました。被害地域はかなり限られてましたが、たまたま徳本寺周辺で被害甚大でした。人的被害はなかったものの、お墓や家屋の被害は、10年前よりひどいところもありました。「忘れるなと言うかのようにまた地震」です。

 トンガと日本は約8千キロ離れています。しかし、トンガ周辺で沈み込むプレートは、東日本沖と同じ太平洋プレートで、成り立ちがよく似ているそうです。トンガ火山の研究者によれば、900年から1000年に一度のペースで大規模な噴火が繰り返されているといいます。前回は西暦1100年ごろだったといいますから、まさに千年に一度の大噴火といえます。東日本大震災も千年に一度といわれました。発生から10年経ってもその勢いは衰えず、余震をもたらしたのですから、地球に蓄えられているエネルギーは想像を絶するものがあります。

 今年は寅年ですが、虎の勢いを表す諺に「虎は千里行って千里帰る」というのがあります。一日千里を往復できる勢いと行動力のたとえです。千里往復は約8千キロですから、トンガまでの距離です。寅年の私ですが、今すぐトンガまで行き、支援の手を差し伸べることはできません。同じ太平洋プレート上にある者として、運命共同体の思いを込めて、被災者の無事と今後の復興を願うばかりです。

 千里と言えば、「千里同風」という言葉があります。遠く離れた場所でも同じ風が吹いていることを指し、一般的には千里四方がひとつにまとまって、平和であるとの意味です。少し仏教的見地から深読みをすれば、いつどこへ行ってもどんな状況でも、思う心は変わらないということです。時間空間を超えて、心を通じさせるということでもあります。日本なら何とかするが、トンガのことは知らないということではいけないわけです。また、千年経とうが10年過ぎようが、自然の営みに対しては、謙虚に恐れることを忘れてはいけないということでしょう。

 コロナといい、自然災害といい、極く限られたところではなく、地球規模で全人類が我がこととして受け止めていく必要があります。ほんとうの意味での千里同風が一日も早く、地球上に吹き渡るよう祈りましょう。

 それでは又、2月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1226話】 「師弟のナビゲーション」 2022(令和4)年1月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1226話です。

 「お寺でーす」と元気のいい声が、檀家さんの玄関先に響きました。おそらく檀家さんは、「あれ、今年の年始廻りの和尚さんの声が、ちょっと違うな」と思ったことでしょう。実は昨年縁あって徳本寺に弟子を迎えました。仙台市出身の小林信眼さん27歳です。その彼と一緒に年始廻りして、正月のお札を檀家さんにお配りしたわけです。

 信眼さんはまだ地元の地理にも不案内ですし、檀家さんの顔も家もわかるはずがありません。私が道案内をしながら、一軒一軒の檀家さんの家を訪ねてもらいました。若いということは素晴らしいものです。時折雪がちらつく中でも、精一杯挨拶をし、軒並み続いているところは、小走りに移動して、お札を配っていました。

 初対面の方ばかりですので、檀家さんの反応も様々でした。どこの和尚さんなのだろうと訝しがる人もいました。勿論快く迎えてくださる方、気さくに話しかけてくる方もたくさんいらっしゃいました。中にはお寺の後継者が決まったことを喜び、目を潤ませながら手を合わせてくださる方もいたほどです。信眼さんも見るもの聞くもの、全てが新鮮さと驚きに満ちていたことでしょう。一人ひとりの方と実際にお会いして言葉を交わし、多少なりとも家の様子を記憶することができたことは、何よりの財産になります。

 徳本寺の弟子として、寺を護っていくためには、檀家さんのことをしっかり把握して、一日も早くみなさんに馴染み、自分の存在を知っていただくことです。師匠としてその第一歩を示す意味で、年始廻りの行に導いたわけです。ただそれは導いたというだけで、車で言えばナビゲーションの役割を担った程度かもしれません。目的地までの道案内だけなら、師匠という立場でない人でもできるでしょう。

 本来の師匠と弟子には、もっと厳しい関係性が求められます。単なる師匠ではなく、正しい師という「正師」という存在です。道元禅師は「学道用心集」の中で「正師を得ずんば学ばざるに如(し)かず」とお示しです。正しい師匠のもとでなければ、学んでいないと同じことだというのです。そして正師とは「我見に拘(かか)わらず、常識に滞(とどこ)らず、行解相応(ぎょうげそうおう)する人」つまり、個人的な意見や感情に流されずに、言うことと行うことが一致している人だというのです。確かに言行が一致していない人は信用されません。

 師匠は弟子の単なるナビゲーションだけではないわけです。少なくとも、言うことと行うことが一致して、弟子に信用されることが肝心です。それを見習えば、弟子も檀家さんに信用されるわけです。今後徳本寺では、弟子も師匠も「お寺でーす」と言って、みなさんになびいていただけるような、ナビゲーションを心がけてまいります。

 ここでお知らせいたします。12月のカンボジアエコー募金は、489回×3円で1,467円でした。ありがとうございました。それでは又、1月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1225話】 「虎が転じる福」 2022(令和4)年1月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1225話です。

 あけましておめでとうございます。今年は寅年ですが、「虎を野に放つ」という諺があります。猛威あるものを野放しにするということです。新型コロナが世界中に猛威を振るっている状況を思わずにはいられません。決して野放しではないでしょうが、対策がウイルスの勢いに追いついていません。丸2年もコロナに振り回され、今年こそは終息を願うばかりです。

 実は私は寅年です。しかし、野に放たれても、何ら発揮できる力もない歳になりました。それでもコロナが蔓延する野にあって、何がしかの力を発揮しないわけにはいきません。昨年曹洞宗東北管区教化センター主催の「禅をきく会」の講師を依頼されました。通常であれば仙台市の然るべき会場で、参加者を前に法話をするところです。しかし、コロナ禍に配慮して、オンライン配信となりました。

 そこでテレホン法話ライブ形式で禅をきく会を行うという力を発揮してみました。東日本大震災の大津波で流出した兼務する徳泉寺を、「はがき一文字写経」で復興した足跡をたどる内容です。徳泉寺本堂を舞台にして、法話ライブを行えば、復興した姿を直接伝えることができるということで、昨年12月5日に収録し現在配信中です。

 当日は限定した参加者でしたが、収録のための準備は半端ではありませんでした。カメラが3台、音響等の機材が所狭しと設置され、ささやかな3分間のテレホン法話にしては、ぜいたくと思えるほどの装置です。元々、法話ライブはピアノ演奏にのせてテレホン法話を語るというものです。そこに法話に因んだ映像を映したり、御詠歌のお唱えもあるという、多少実験的な試みです。

 複数のカメラ撮影により、舞台が立体的に映ります。客席にいては見えない伊藤智哉さんのピアノ演奏の指の動きもしっかり捉えています。何より法話の声とピアノの音のバランスが見事です。岡崎るみ子さんの御詠歌のお唱えでは、その声を更に魅力的に聴かせるマイクの調整が絶妙です。映像は写真ばかりではなく、その場で撮影している動画も映し出され、下手な法話などなくてもいいくらいの説得力があります。

 その場に臨んで、直に見て聴くという感動は、何にも替えがたいものでしょう。演ずる方も、直接参加者と触れ合った方が、より効果的な法話ができます。でもコロナ禍の逆境を何とか良い方に転じていこうと願っていれば、多くの人の力が寄って来て、思いがけない世界が開くことを実感しました。普通の禅をきく会でしたら、その場限りで終わりです。オンライン配信中は何回でも徳泉寺の復興した姿をお伝え出来ますし、しかも世界中の人に届けることができるのです。コロナ禍という虎の威を借りるつもりはありませんが、今年は禍(わざわい)転じて福となるよう、千里先を目指すという虎の勢いを発揮してまいりましょう。
尚、インターネットで「曹洞宗 東北」と検索していただければ、禅をきく会を視聴できます。1月20日まで配信中です。

 それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1224話】 「聞声悟道」 2021(令和3)年12月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1224話です。

 作家の瀬戸内晴美さんは、51歳で出家して、寂聴という名前を授かりました。出家した者は、心乱さずして仏の声を聴くという「出離者は寂なるか、梵音(ぼんのん)を聴く」に由来しているそうです。惜しまれながら、11月9日99歳で亡くなられました。

 その輝かしい生涯の中でも、一貫して反戦を訴えてきました。湾岸戦争に反対し断食を行ったのは69歳の時。その後もイラク戦争に反対して新聞広告を出したり、93歳で安保法制反対の抗議集会に参加もしています。その命がけの行動は、自らの戦争体験によるものです。曰く「戦争にいい戦争はない。すべて人殺しです」。お釈迦さまの言葉の「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」を思わずにはいられません。

 さて、今年も除夜の鐘の季節になりました。鐘は平和の象徴でもあるように、平和で穏やかな世の中でありますようにという願いを込めて、鐘を撞きます。寺の吊り鐘は特に梵鐘と言います。梵は仏教に関する物事につける言葉です。まさに梵音という仏の声を伝える梵鐘なのです。お釈迦さまも寂聴さんも、争いごとがないようにと人一倍願っていたはずです。裏を返せば、人の世は常に諍いが絶えないということでもあるのでしょう。

 その平和を願わなければならないはずの梵鐘が、戦争に加担した時代がありました。2人の僧侶の歌を紹介します。「弾(たま)となり人殺せしか我が寺の供出させられし釣り鐘は」(広島県岡田独甫)。「梵鐘の供出に臨み別れの会この寺にせしを語る人あれや」(山形県庄司天明)。太平洋戦争の開戦が迫り、昭和16年に出された金属回収令により、全国の多くの寺で梵鐘を供出した事実を歌ったものです。徳本寺でも供出したようです。古い鐘撞き堂には、梵鐘が吊ってあったと思われる梁に穴が残っているだけでした。

 そして最近報道された供出梵鐘の運命について愕然としました。金属資源不足を補うための供出とはいえ、全てが武器になったわけではありません。資源にならずに道端に捨てられたものもあったと言います。更には、神戸の製鉄所では無数の梵鐘が転がっていた上、仮設トイレの便器に、梵鐘が使われました。便器として半ば地面に埋まった梵鐘が並んでいたというのです。

 もはや罰当たりを通り越した驚愕すべき仕業です。梵鐘の供出が既に道を誤っています。それに輪をかけて、便器にまで貶めるとはなんということでしょう。戦争とは見えるものも見えなくさせ、見えないものを見えるかのように錯覚させてしまいます。

 除夜の鐘を聴きながら、寂聴さんを偲び、その名前にあやかって、心静かに仏の教えに浸ってください。聞声悟道(もんしょうごどう)、聞声は声を聞くと書き、鐘の音を聞いて道を悟るということです。平和こそ正しい道です。

 それでは又、新年1月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1223話】 「草鞋と刀」 2021(令和3)年12月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1223話です。

 私の師匠である前住職は、生涯洋服は着ないで、法衣だけで過ごしたいと思っていました。しかし、現実には役場にも勤務しながらの二足草鞋でした。それは世間的なしがらみに縛られることでもありました。二足草鞋は、両立しないような2種を兼ねた生業を指します。

 一方、二刀流は同じような範疇の中で、ふたつのことができることを言うのでしょうか。今年世界のヒーローとなった大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手は、二刀流の称号を恣にしました。46本塁打100打点、9勝2敗156奪三振、更には26盗塁を達成し、グラウンドを縦横無尽に使って、規格外のプレーを見せつけました。そして、何かにつけ100年以上前の伝説の選手ベーブ・ルースと比較されます。まさに百年に一人の逸材でしょう。何せ大リーグのオールスター戦の規則を変更させたほどです。

 オールスター戦では打者と投手で選ばれました。規則で投手は3イニングしか投げられません。その間打順が回ってこなければ、交代するしかないのですが、大谷選手のために特別ルールが定められました。投手として降板した後も、指名打者として役割を果たせるようにしたのです。ヒットこそ出ませんでしたが、勝利投手にはなりました。史上初の「1番指名打者」「先発投手」として、オールスター戦出場を果たし、二刀流を不動のものにしました。

 少年野球ならともかく、プロ野球の世界で投打にわたって活躍するのは至難なことです。選手の負担が大きすぎます。それでもエンゼルスの打撃コーチは言います。「両方取り組むことは素晴らしい。一つのことに集中しすぎなくてすむ。複数のことに集中して、翔平が楽しんでいることがわかる」。

 確かに野球は打って投げて走っての世界です。大谷選手は心から野球そのものを楽しんでいるのでしょう。ただ凡人と違うところは、すべてのプレーにおいて、純粋にどこまでうまくなれるのかと高みを目指していることです。そのための練習を惜しまないところです。大リーグのア・リーグの最優秀選手に満票で選ばれましたが、受賞のお祝いのことを尋ねられても、「特にないです。また明日も練習があるので早めに寝ると思います」との答えでした。

 二足の草鞋を穿くくらいなら、一足で道を究めるべきというのは、仏道の世界です。しかし大谷選手の活躍は、二兎を追う者は一兎を得ずの価値観を覆す程です。仏道を説くのが難しくなりました。大リーグのある投手が言いました。「人間の形をした神話の伝説だ。彼がしていることは驚異的を超えている」。もはや大谷選手は神の域なのでしょうか。草鞋では一兎も追いきれませんが、大谷選手は刀に懸けても更なる活躍をすることでしょう。

 ここでお知らせいたします。11月のカンボジアエコー募金は、958回×3円で2,874円でした。ありがとうございました。

 それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1222話】 「ロケット成道」 2021(令和3)年12月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1222話です。

 今年7月アメリカで、旅費を払っての宇宙旅行が実現しました。82歳の女性と18歳の少年を含む4人が、新型ロケットに搭乗し、地上100キロを超えて宇宙空間に到達。無重力を体感し、10分後地上に帰還しました。

 日本では、宇宙航空研究開発機構が、13年ぶりに宇宙飛行士の募集をします。これまでは自然科学系の大学卒、体重制限、水泳や英語の能力など厳しい条件がありました。今回は学歴や専門的な実務経験を不問にするなど、条件が大幅に緩和されました。将来の有人月探査を想定して、国際チームでの協調性とか、極限環境でも柔軟な思考で行動できることを重視しています。いずれにしても、宇宙を身近に感じられる予感がします。

 さて、仏教も宇宙を縁として誕生したとも言えます。今から2500年前お釈迦さまは、12月8日の明けの明星をご覧になり、お悟りを開かれたからです。お釈迦さまは幼少の頃より、生老病死への苦悩を抱えていました。出家して山の中で6年間の苦行に身を投じたものの、悩みの解決には至りませんでした。山を下り尼連禅河で沐浴をし、村の娘に乳粥の供養を受けて、心身を整え気を持ち直します。

 そして苦悩を解き明かし真理を得るまでは、この座を立たないという固い決意で、菩提樹の下に草を敷き、坐禅を始めました。ついに8日目の朝、東の空に輝く星を見て、大いなる感動を覚えました。「我と大地有情(うじょう)と同時成道(じょうどう)す」と叫ばれたのです。いわゆる「縁起の法」を悟られました。つまり花が咲き実がなるという結果は、種という原因がまず必要であり、土や水や光という条件の縁によってもたらされるということです。

 大地有情とは、この宇宙の生きとし生けるものすべてということです。我もその中のひとりです。右か左か、上だ下だと迷いの中に入るのではなく、宇宙とひとつであることを実感できれば、悩みは軽減できます。それにはやはり、お釈迦さまと同じように坐禅をすることです。お釈迦さまのように野外で坐禅をすることはありませんが、畳の上であっても尻に坐蒲を敷き足を組みます。その時、自分の身体が大地と垂直になっていることを意識します。頭のてっぺんで天を突くようなつもりで背筋を伸ばします。目はつぶらず半眼です。そしてできるだけ長く息を吐き、吐いた勢いでゆっくり吸うという呼吸を続けます。やがて宇宙との一体感を味わうことができます。勿論、1日や2日の坐禅でこの境地には至らないでしょうが、少しの時間でも毎日続けることにより、成道つまり仏道を成し遂げることができるようになるでしょう。

 もっと短時間で成道したいという方は、宇宙旅行費を貯めるなり、宇宙飛行士に応募して、ロケットの中で坐禅をしてみてはいかがでしょう。宇宙との一体感の中で、まさにロケット成道になるかもしれません。

 それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1221話】 「昇龍」 2021(令和3)年11月21日~30日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1221話です。

 イグ・ノーベル賞とは、世の中を笑わせたり、考えさせたりした研究に与えられるノーベル賞のパロディです。5年前の2016年度の受賞は、立命館大学の東山篤(あつき)教授の「股覗き効果」の研究でした。前かがみになって、股の間から後ろのものを見ると実際よりも小さく見えます。これは視野の逆転ではなく、頭を下にすることで起こることを実証したのです。

 普通に同じ長さの線を見た場合、横線より縦線の方が、1割ほど長く見えます。しかし横になって見ると、ほぼ同じ長さに見えます。このように身体の姿勢はものの見方にどんな影響を与えるかというのが、研究の始まりでした。そして股覗きと言えば天橋立です。展望台で股覗きをすれば、海に浮かぶ松並木が、天に架かる橋のように見えることで、日本三景にもなっています。イグ・ノーベル賞効果で、更に脚光を浴びることになりました。

 そして、奇しくもこの年の12月に、今や将棋界を席巻している藤井聡太棋士が、14歳5カ月という史上最年少でデビュー戦を飾ったのでした。相手は当時現役最年長の加藤一二三九段でした。それから5年足らずで、藤井九段は次々と記録を塗り替え、11月13日に竜王戦七番勝負を制し、四冠となりました。19歳3カ月は勿論最年少記録です。8タイトルの半数を占め、序列1位になりました。

 「藤井時代」の到来とか、桁違いの強さともいわれます。快進撃の背景には、AI(人口知能)による深層学習の研究に磨きがかかり、「完璧な読み」ができているという評価もあります。しかし相手もプロですから、同じように鍛錬を積んでいるはずです。その上を行く藤井九段の頭脳はどうなっているのでしょう。

 イグ・ノーベル賞で、身体の姿勢によって、物の見方が違って見えることが明らかになりました。それはある種の錯覚ともいえるでしょう。それでも股覗きのように、状態を逆転することにより、松林を天に架かる橋に見立てることができたのです。藤井九段は対戦中に逆立ちをすることはないでしょうが、頭の中で脳そのものが、360度自由自在に回転しているのではと思いたくなります。だから常人が思い浮かばないような手を指せるのかもしれません。

 藤井九段が四冠獲得後に、色紙に「昇龍」と認めました。龍が天に昇るように、自分も上を目指していきたいということでした。「龍は一寸にして昇天の気あり」という諺があります。優れた人物は子どものころから常人とは違っていることのたとえです。藤井九段そのものです。そういえば、天橋立のもうひとつの股覗きの見方として、海を空に見立てて、龍が天に昇る様を挙げています。なるほど藤井九段も天橋立も、ひとつのことに囚われず、柔軟な発想ができたからこそ、龍を出現させることができたのでしょう。

 それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1220話】 「諦めの悪さ」 2021(令和3)年11月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1220話です。

 1999年4月に西武の松坂大輔投手がプロデビュー2試合目で、ロッテの黒木知宏投手と投げ合って、0対2で惨敗を喫したとき、「次はリベンジします」と言いました。私はその時初めてリベンジという言葉を知りました。そして、6日後再びロッテの黒木投手と投げ合って、1対0で完封勝利を果たしました。その有言実行により、リベンジという言葉は市民権を得ました。事実その年の流行語大賞に選ばれています。

 リベンジは再挑戦して勝つぞということでしょうが、復讐とか報復という意味合いも含まれるため、スポーツで使うのは相応しくないという人もいます。しかし松坂投手は、確固たる自信があったからこそ、敢えてリベンジと言ったのでしょう。更には当時オリックスのイチロー選手と初めて対戦したとき、3打席連続三振を奪いました。そして言いました。「プロでやれる自信から確信に変わりました」

 その確信は日本のプロ野球では、高卒新人で3年連続最多勝や、大リーグでもワールドシリーズで、日本人選手初勝利を挙げるなど、輝かしい成績をもたらしました。しかし現役生活23年のうち、後半10年程は怪我との闘いでもあり、芳しい成績は残せませんでした。とうとう今季限りでの引退を表明し、10月19日現役最後の登板をしました。打者1人を相手に5球を投げ、フォアボールでした。最速は118キロで、往年の面影はありませんでした。

 「平成の怪物」とまで称された野球人生の陰りを、誰も見たくはないはずです。しかし、彼は故障でどん底を這いつくばりながらも、「ボロボロになるまでやる」という信念を貫いてきました。そして引退会見で言いました。「諦めの悪さをほめてやりたい」。

 その諦めの悪さの原点は、横浜高校3年の時の夏の甲子園で、PL学園と対戦した準々決勝だそうです。9回まで点の取り合いを繰り返しながら、5対5で延長戦に突入。11回表横浜が1点勝ち越すも、その裏PLが同点に追いつきます。16回表にも1点リードすると、その裏またも追いつかれます。引き分け再試合かという中、17回表ツーアウトからツーランホームランが飛び出します。横浜2点リードで17回裏を松坂投手が抑え、250球を投げ切って、9対7で3時間37分の死闘は終わりました。

 一般的に諦めは、「しかたなくやめる」という意味で使われます。しかし、「あきらかにする」という意味もあります。仏教ではこの「諦め」を説きます。物事を悟って超越するということです。いわゆる「諦観」です。松坂投手の諦めの悪さには、非難の声もあったと本人も自覚しています。しかし彼が高校3年夏のPL戦で、諦めなかったから諦めることができたのは、単なる勝敗を超えた感覚なのでしょう。野球だけではない、生き方の指針を掴んだのかもしれません。リベンジの裏返しは、どんな困難な状況でも諦めないことなのだと納得しました。

 ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、851回×3円で2,553円でした。ありがとうございました。

 それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1219話】 「マンネリズム」 2021(令和3)年11月1日~11日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1219話です。

 漫画を読むとき、主人公の顔や姿を追いかけますが、その血液型まで詮索することはあまりないでしょう。劇画「ゴルゴ13」の主人公デューク東郷には、血液型が設定されてます。A型だそうです。

 「ゴルゴ13」は、「ビックコミック」に、1968年から連載されている長寿漫画です。それだけ長い間の物語の中では、血液型が話題になることもあるのでしょう。単行本は202巻発行され、累計発行部数は3億部を超します。「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されました。

 しかし、残念がらその漫画を描いてきたさいとう・たかをさんが9月24日に84歳で亡くなられました。さいとうさんは、50年以上一度も休まず連載してきました。そしてこんな言葉を残しています。「プロとはマンネリズムを恐れず、ひたすら眼前の仕事に向かうことだ」。50年休まず連載し続けてきた実績を思えば、説得力のある言葉です。「マンネリズムを恐れず」とは、下手な言い訳をするより、先ず続けてみなさいということではないでしょうか。私たちは、やらない・できない理由はすぐ見つけます。「ひたすら」の心があれば、そんな理由は消えてなくなるはずです。

 さいとうさんの足元にも及びませんが、私もこのテレホン法話を34年間休まず継続してきました。今年4月1200話を達成し、それを記念した15回目のテレホン法話ライブを、10月24日に開催しました。さいとうさんの話も引きながら、「伝える・続ける・繋がる」をテーマにしました。マンネリズムと言われようが、長く続けていれば、3分間の話でも何がしか感じてもらえることもあります。共感した者同士て繫がりが生まれることもあります。「継続は力なり」とは言うものの、「継続する力」がなければ、続けられません。健康や固い意思を持ち続けられることも力のひとつでしょう。

 そんなことを伝えたくて「皆勤賞」の話もしました。学校などに無遅刻無欠席で通い続ける尊さについてです。そしたら参加者のアンケートに「毎日生きていることも皆勤賞かしら」という意見がありました。確か毎日生きているという点では、立派な皆勤賞かもしれません。ただ仏の教えに生きる者は、ワンランク上の皆勤賞を目指しましょう。息をして、寝て起きて食べるのは、マンネリズムの最たるものです。でも下手な言い訳で、今日はもうどうでもいいや、どうせまた明日があるからと思わないことです。毎日同じような日でも、今日という日は2度と繰り返すことはできないのです。どんなことがあってもひたすらに生きてこそ、(みな)金賞に輝く、 皆勤賞です。

 因みに、「ゴルゴ13」の結末について、さいとうさんは「よく聞かれますが、私の頭の中にはあります。いつ日の目を見るかわかりませんが」と言ってました。あの世でも皆勤賞を目指すのかもしれませんね。

 それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。