テレホン法話 一覧
【第1258話】 「スジャータの供養」 2022(令和4)年12月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1258話です。
特許庁による知的財産を保護する商標登録に「音商標」というものがあります。その中にコーヒー用ミルク「スジャータ」のCMソングが登録されています。当時の名古屋製酪株式会社(現スジャータめいらく株式会社)の日比孝吉社長が、お釈迦さまのお悟りの因縁の話を聞いて、スジャータという製品名にしたそうです。昭和51年製品発売から全国のラジオ局で時報CMとして35年もの間流れていました。今やスジャータと言えばコーヒー用ミルクという風に定着して、商標のお墨付きに至りました。
お釈迦さまは29歳の時「生老病死」という人生の根本的な悩みを解決するため、釈迦族の王子という地位も捨て出家します。森の中で他の修行僧とともに、厳しい修行に打ち込みます。断食やイバラの床に伏したり、炎で身をあぶる、また呼吸を停止するなど尋常ならざる行です。その結果、手足は痩せ細り、瞳は落ち窪んでしまいました。6年間の苦行は何ら悩みの解決には至りませんでした。
そこで山を下ります。やっとのことで尼連禅河のほとりに辿り着き、沐浴して身を清めますが、疲れ切った身体は倒れてしまいます。そこを通りかかったスジャータという娘が、乳粥という米を牛乳で煮たものを供養します。おかげでお釈迦さまはすっかり体力を回復し、大きな菩提樹の下で、決意も新たに一週間坐禅を組み続けました。
しかし、闇が訪れると人間の心の中にある煩悩が、悪魔の姿となって、襲ってきます。「一度きりの人生、悟りなど考えずに、富や権力にすがり、毎日楽しく暮らそう」という誘惑や、雷や地割れ・暴風などで恐怖心を煽り、お釈迦さまの決意を揺るがせようとします。お釈迦さまは悪魔の正体がわが心の迷いであることを見破り、悪魔を退散させました。そして12月8日明けの明星をご覧になり、縁起の法を悟られました。すべての現象は、様々な原因や条件によって成り立っているということです。この日を道を成就したという意味から「成道会」といいます。
「生老病死」は避けがたい現実です。私たちは生まれるとき、何か迷いはありましたか。洋の東西を問わず貧富の差も関係なく、誰しも1年に365日分、年を取り、100パーセント死にます。迷っても生まれる前には戻れず、若返えることはできません。迷わず今なすべきことに心を尽くすことが、良き縁との巡り会いにつながります。
そもそもスジャータの乳粥がなければ、お釈迦さまは悟りへの道を進むことができなかったかもしれません。お釈迦さまの生涯の中でも特筆すべき供養の食物といわれる所以です。たまたま日比社長がその話を聞き、迷わずスジャータを商品名にした先見の明は、さすがです。さて、私たちの人生もお釈迦さまから商標登録のお墨付きをいただけるよう、迷わず生きたいものです。3分間のティータイムにスジャータを入れながら思い巡らしてみてください。
それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1257話】 「失敗こそ」 2022(令和4)年11月21日~30日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1257話です。
「失敗のない人生は、それこそ失敗でございます」知恵ある老人の言葉として、作家の森まゆみさんが新聞で紹介していました。山ほど失敗を重ねてきたわが人生は、あの失敗がなければと、後悔しきりです。それでも一つだけ誇れる失敗があります。
大本山總持寺で修行を始めて間もない頃です。修行道場の中枢ともいうべき僧堂でその失敗がありました。僧堂では起きて半畳、寝て一畳と言われる「単」という自分のスペースが与えられます。坐禅や食事・寝起きをするところです。
たまたま僧堂に忘れ物を取りに行ったところで、先輩和尚さんに出会い「コラッ!お前は何という格好をしているんだ」と、いきなり叱られました。「僧堂に作務衣で入るとは何事だ。ここは神聖なところだ。きちんと衣を身に着けろ。着替えて出直して来い」。私は僧堂に作務衣で入ってはいけないことを知らなかったのです。
ともかく衣に着替えてくると、外単という僧堂の外にあたるところで坐禅を組まされました。先輩も衣ですが、手には警策という長い棒を持っています。「作務衣で僧堂に入るとは、修行の第一歩を分かっていないな。お前を送り出してくれた国の母親が見たら、何と思うか。立派に修行して戻ってきてほしいと願っている母を思い浮かべてみろ」と言って、パンパンと警策で肩をたたかれました。いわゆる失敗や悪いことをしたときにたしなめる罰として警策の「罰策」です。
更に説教は続きます。「總持寺の御開山瑩山禅師の母親は、熱心に観音さまを信仰し、観音さまのような子が生まれるようにと、願をかけられた。『世の中で役に立ち人々を導けるような子であって欲しいが、そうでなければ、私の腹の中で朽ちてしまうことも厭いません』。そんな強い思いを抱いて瑩山禅師をお産みになったのだ。それに応えるかのように、禅師は御本山を開かれるまでの修行に励まれた。お前はその瑩山禅師のお膝元で修行しているのだ。国の母親も気持ちの上では同じであろう。何事も疎かにせず、しっかり修行せよ」パンパンと、また警策の音が堂内に響いたのでした。
失敗も修行のうちです。失敗して覚えることの方が多いかもしれません。ただ、修行は自分だけのことではないのだ、母親はじめ私を案じてくれている人を思えば、いい加減なことはできないと肝に銘じました。この一件のおかげで、本山では曲がりなりにも人並みの修行の道を歩むことができました。その後、先輩は何かにつけ良きアドバイスをくださいました。今では警策ならぬ杯を酌み交わすこともある間柄です。
因みに瑩山禅師がお生まれになったのは、文永5年(1268)11月21日です。たまたま私の誕生日も11月21日です。どなたの母親も子に対する願いは一緒ですが、応える子どもはそれぞれです。瑩山禅師のようにはなれませんでしたと、毎年の誕生日には、母親のお墓の前で手を合わせている私です。
それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1256話】 「テレホン法話で六根清浄」 2022(令和4)年11月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1256話です。
「お寺のイメージが私の中ではくつがえされました。参加出来たことに感謝致します」これは先月徳本寺で行われた第16回テレホン法話ライブのアンケートに寄せられたある女性の声です。因みにその方は、友人に誘われてお出でになり、これまでテレホン法話を聴いたことはなかったようです。
観光寺院は別として、お寺に対する一般的イメージは、抹香臭い、近寄りがたい、暗くて閉鎖的など、あまり良くありません。死んでからお世話になるところと思われがちですが、生きているときにこそお寺に親しんでいただきたいのです。
いつでも、だれでも、どこからでも仏の教えを聴いていただけるようにと、35年前からこのテレホン法話を開設しています。それでもある種のもどかしさがありました。ほんとうに伝わっているのだろうか。仏教語は聞くだけでは分かりにくいこともあります。そこでテレホン法話ライブを始めたわけです。本堂でテレホン法話をじかに語りかけるものす。内容に因んだ写真や言葉をスクリーンに映します。時には御詠歌で法話の内容が深まります。何より法話にふさわしいピアノ演奏で、臨場感あふれます。また3分間心のティータイムと謳っていますので、お茶の接待もあり、今回は途中でバイオリン演奏も楽しんでいただきました。
涙を誘う話や、笑ったりなるほどと頷ける話もありました。迫力あるバイオリン演奏で、元気をもらった人も多かったでしょう。そう感じられるのは、眼・耳・鼻・舌・身・意という「六根」つまり、め・みみ・はな・した・からだ・こころのおかげです。その知覚器官を柔軟にしておけば、仏の教えも体全体に染み込みやすくなります。知覚の構造はだれでも共通ですが、どのように判断するかは人それぞれです。芭蕉の耳に届いた蝉は俳句にも残り誇らしいでしょうが、私が聞いた蝉は日記にも残らず気の毒です。まさに六根清浄なれば、何を見ても聴いても的確な判断ができます。
テレホン法話ライブの最後の挨拶で、仙台市の髙橋さんという92歳の女性からのはがきを紹介しました。「今朝も食事の後片付けが終わり、一息入れて先ず、テレホン法話を携帯から聞いて、今日のことが始まります。日中もホッと一息、淋しさにやり切れなくなれば、救いの神にすがるように、携帯を耳に当てて法話を聞きます。私のお守りです。ただ感謝です」。テレホン法話がみなさまの日常の一コマとなり、柔軟にして清浄な六根を養えましたら幸いです。
私のお寺らしいイメージは、六根を清浄に保つお手伝いをすることです。たまたまそれが、テレホン法話であり、テレホン法話ライブなのです。お電話下さる方がいるからこそ、続けてこられました。法話をお聴きのみなさまこそが、お寺や私にとっての守り人です。
ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、2,020回×3円で6,060円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1255話】 「亡き人の耳と目と」 2022(令和4)年11月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1255話です。
「死人に口なし」とは言いますが、死んでも聴覚だけは最後まで残るそうです。昔、老僧から言われました。「目を落としたら、できるだけ速やかに、出来れば、まだ身体にぬくもりが残っている間に枕経を挙げなさい。死んでも耳は聞こえているのだから」
生死をさまよった人が、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、戻ってきたという話も聞いたことがあります。カナダの大学の研究では、末期患者の心臓と血流が停止した後も、10分間ほど脳波を観測したといいます。ただその結果だけで、耳が聞こえていたと断言はできないでしょう。確かめようがありません。まさに「死人に口なし」です。
先日99歳の女性の葬儀がありました。喪主を勤めたのはその家の長男であるお孫さんでした。次のように会葬御礼を述べました。「今日、火葬に行く前に最後のお別れをしたとき、おばさんの左の目元がうっすらと濡れていました。まるで生きていて涙を流しているようでした。でも悲しいからではないと思っています。亡くなる2日前に誕生日を迎えたばかりでした。その時も『ありがとう』と感謝の言葉を言ってくれました。勿論感謝するのはこちらこそです。共働きの両親に代わって、やさしくも厳しく育てていただきました。いたずらをすると、棒をもって追いかけられたこともありました。今の自分があるのはおばあさんのおかげだと思っています」
喪主は学校の先生です。少なからずおばさんとの幼い時の経験が、現在の教師としての姿に反映されているのでしょう。おばあさんの涙とも見える輝きは、悲しさ辛さより、これまでのことに関しての感謝の象徴と言えるのかもしれません。死に逝く者も見送る者も、手を合わせあえる見事な関係です。それもこれも99歳という自他ともに認める天寿を全うしたからのことです。「老いが死の恐怖を弱めるのは確かでしょう。それだけで長寿の値打ちがある」哲学者鶴見俊輔の言葉です。
とは言え、身近な人の死を受け入れるのは簡単ではありません。死んでも耳だけは聞こえるのだから、枕元で話しかけなさいというのも、亡くなったからといって、すべてがすぐにゼロになるのは忍びないからです。医学的・科学的に証明できようができまいが、最後まで聴覚だけが残るとか、涙を流したように顔が濡れていたということは、お別れの過程として、とても有り難い段階を踏んでいるような気がします。
私の両親はすでに他界しています。どちらの死に目にも遭えませんでした。仕事とはいえ遠くにいたためです。後悔がないとは言いませんが、臨終の枕辺で名前を呼んであげられなかった分、今は毎朝欠かさずお墓にお参りし、戒名をお唱えし手を合わせています。
それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1254話】 「平常心是道」 2022(令和4)年10月21日~31日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1254話です。
「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような・・」と、東京オリンピックの開会式の青空を、NHK北出アナウンサーは表現しました。58年前の10月10日のこと。その名言を借りれば、「半年分の青空が今、大本山總持寺に集まりました」それ程の好天の下、去る10月11日石附周行禅師様の晋山式が行われました。
晋山とは山に晋むということで、寺の住職に就任するお披露目のことです。古式に則り、境内を行列を組んで本堂まで歩きます。沿道には大勢の人が仏旗を振って迎えます。一世一大の行事です。実はこの式は半年前の4月9日に行う予定でした。しかし、本山内でコロナ感染者が発生したため、延期になっていました。しかも延期の通知が来たのは、式の2日前です。私も重要な役を仰せつかっていたので、荷物をまとめ出かける矢先のことでした。他にも全国のしかるべき老師方も大勢参列が予定されていました。それが直前でできなくなったのですから、すべての準備も水の泡ですし、その影響は計り知れません。しかし、半年かけて何とか立て直し、本来の晋山式が行えるまでになりました。
さて、晋山式では禅師様と修行僧の間で、禅問答も展開されました。ある修行僧は「禅師様が大事にしていることは何でしょうか」と尋ねました。禅師様曰く「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」。平常心とは「へいじょうしん」のことです。總持寺をお開きになられた瑩山禅師様は、「平常心是道」の因縁をさらに深めて、それは「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」ということだと納得し、悟りを得ました。つまりお茶の時はお茶を飲み、ご飯の時はご飯をいただく、まさに日常茶飯事を恙なく勤めることが平常の心であるということです。
何だそんなことが仏法の神髄かと思うかもしれませんが、どんな時でもそうできるかと言われれば、簡単ではありません。ちょっとしたことで、つまずいたり転んだりして、うろたえる私たちです。ましてや生涯をかけた行事を延期せざるを得ない中で、平常心を保つことは至難なことです。禅師様は淡々と普段のことをこなして、この日を待ったその心意気が、問答における「平常心是道」という答えにつながったのでしょう。そして、見事な青空を呼び寄せました。
式の終盤に本山関係の幼稚園児からお祝いの花束贈呈がありました。女の子は禅師様にお花を渡し終えると、小さな手で合掌しました。禅師様は相好を崩してお喜びになりました。そして本堂を出ようとしたときに、ハプニングが起きました。着物姿のご婦人が数人突然現れて、花束を差し出されたのです。大変驚かれたようでしたが、大きな花束を高々と掲げて感謝の意を表しました。本堂内は大きな拍手に包まれました。この時ばかりは、禅師様も少し平常心を失ったかもしれません。
ここでお知らせいたします。10月30日(日)午後2時徳本寺にて「第16回テレホン法話ライブ」を開催いたします。本堂でテレホン法話を直接お話しします。ゲストはバイオリニストの虎太朗さん。入場無料。
それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1253話】 「廓然無聖」 2022(令和4)年10月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1253話です。
全国のテレホン法話をお聴きのみなさん、10月1日のお天気を覚えていますか。無理に思い出さなくても結構ですよ。日本全国どこでも晴れていたはずです。新聞の天気予想図によれば、北海道から沖縄まですべて、10月1日の日中は晴れマーク、夜も星マークのオンパレードでした。一点の曇りもないとはこのことでしょう。
そのようにからりと晴れ渡った、何のとらわれもない無心の境地を、達磨大師は「廓然無聖(かくねんむしょう)」と言いました。「廓」とはとりでのことで、中ががらんとして広いこと、つまり澄み渡った大空のような心です。「無聖」は、聖なるものがないと書き、聖なるものとか、凡なるものという計らいを捨てた無心の姿が、仏教の神髄であると説くのです。
大師はインドで般若多羅の弟子となり、40年以上修行を積み28代目の祖師菩提達磨となります。般若多羅の「私が死んだら67年間インド中を歩いて仏教を広めなさい。その後中国に渡り、真の仏法である禅を伝えなさい」という命に従います。つまり100歳を超えてから、船で3年かけて中国に上陸するのです。今から1500年以上も前のことです。
時の中国の梁の武帝は、インドからの高僧を歓迎します。武帝はいたく仏教に帰依して、「仏心天子」と崇められていました。そして大師に質問します。「私は多くの寺を建て、たくさんの僧侶を育ててきたが、どんな功徳がありますか」大師は「無功徳」と、突っぱねます。「それなら禅の神髄とは何ですか」「廓然無聖」「では、私の目の前のあなたは何者ですか」「不識(ふしき)」
自分の手柄を誇示し、認めてもらいたいという武帝の魂胆を、大師は見抜きました。何者かと問われて、不識、知らないと答えています。これは単に知らないというのではなく、武帝に染みついている執著心を捨てなさいという助言でもあったのでしょう。
大師はこの国ではまだ真の仏法を説く時期ではないと悟り、少林寺に渡り、坐禅三昧の日々を送りました。いわゆる「面壁九年」を経て、機が熟して禅の心は伝わりました。中国に真の仏法を広めた初代の祖ということで、震旦初祖円覚大師菩提達磨大和尚と称されています。西暦532年10月5日に150歳で亡くなったといわれています。10月5日は「達磨忌」です。
さて、日本晴れの10月1日にアントニオ猪木さんが亡くなりました。引退試合で披露した詩は有名です。「踏み出せばその一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」(清沢哲夫)。プロレス界に留まらず、政治家として湾岸危機のイラクに渡ったり、北朝鮮に何度も足を運んだ足跡は、迷わない猪木さんのわが道だったのでしょう。大師が迷わず100歳を超えて、未知の世界へ踏み出した想いを彷彿とさせます。廓然無聖を示すかのように青空の下、旅立った姿を偲びつつ達磨忌の法要を勤めました。
ここでお知らせいたします。9月のカンボジアエコー募金は、1,315回×3円で3,945円でした。ありがとうございました。それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1252話】 「命を数える」 2022(令和4)年10月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1252話です。
そのバスは、エンジンを切った後、運転手はアラーム音を切るために、後部まで歩いていく必要があります。多少面倒であっても、その往復の間に車内点検ができるからです。通園バスに子どもが取り残されていないか確認するための仕組みとして、アメリカで用いられています。通園バスの子ども置き去りは、日本ばかりではなく、各国で起きており、対策が講じられています。
わが国でも、痛ましい事故が後を絶ちません。昨年7月福岡県で、保育園のバスの中に朝から夕方まで取り残された5歳の男の子が熱中症で死亡しました。今年9月には静岡県の幼稚園で、3歳の女の子が、5時間もバスの中に放置されて、熱中症で死亡しました。当日の気温は30度を超えていました。
登園時バスを運転していたのは幼稚園の理事長で、派遣職員の女性も同乗していました。バスに乗った園児は6人です。わずか6人の子どもに目が届かないものでしょうか。バスの乗降の人数や、園内での出欠の点検のシステムが、ミスが重なり機能しなかったようです。
女の子は、バスに乗ったときは、6列ある席の前から5列目に座っていました。約5時間後の発見時は出入り口近くの3列目付近で、あおむけに倒れていました。何とか外に出ようとしたことでしょう。脱いだとみられる上着もありました。暑さに耐えきれず服を脱いだのでしょう。空の水筒も見つかっています。高温の車内では、あっという間に飲み干してしまい、どれほどお替りが欲しかったのかと思うと、惨過ぎます。心細さと暑さで泣き叫び、喉は一層乾いたはずです。
この事故に関して、ある先生の次のように新聞投書がありました。「先生が子どもを数えるとき、単に数を数えるのではなく、一人ひとりの命を数えるつもりでなければならない。一人ずつ子どもの肩をたたきながら、その命がしっかりあることを確認するように」と。
さて道元禅師は台所の教えを説いた『典座教訓(てんぞきょうくん)』の中で、「水を看(み)、穀を看るに、皆子を養うの慈懇(じこん)を存すべき者歟(ものか)」とお示しです。つまり、水や米を見るにつけても、わが子を養う慈しみ愛する気持ちで調理すべきということです。これを「老心」と言い父母の心です。親がわが子を思う気持ちで食材という命を扱いなさいともいえます。それは調理だけでなく、すべての命に対する心構えとして説いた教えです。
3歳の子どもには、命を感じさせるものがあふれています。泣いて笑っておしゃべりをし、食べて飛んで跳ねて、ことごとく命の営みです。だから、どの子どもに対しても、わが子を見る眼差しで、親切心を以って接することです。それは単に数を管理するシステム以上の効果があるはずです。この老心のシステムを「親切テム」と名付けたいくらいです。
それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1251話】 「到彼岸」 2022(令和4)年9月21日~30日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1251話です。
安倍元首相の国葬に反対の声が大きくなっています。その理由の一つに、きちんとした法の定めがないからです。一方、春秋の彼岸の中日にあたる、春分の日と秋分の日は、祝日法によりその意義も定められています。春分の日は「自然をたたえ、生きものをいつくしむ」、秋分の日は「先祖を敬い、亡き人をしのぶ」となっています。正々堂々とお参りください。
彼岸とは彼方の岸で、川の対岸を指します。仏教では悟られた仏の世界ということです。それに対して、こちらの岸は此岸といいます。迷っている凡夫つまり日常の私たちの世界です。「ヒガン」と「シガン」発音はかなり似ていますが、内容は全く違います。よく亡くなった人に、三途の川を渡るのに船賃として六文銭を持たせる、ということがあります。このたとえは彼岸にも通じることです。
彼岸と此岸の間に流れている川は、人間の貪・瞋・痴という三毒の煩悩を象徴している三毒の川と言ってもいいでしょう。つまり、むさぼり・いかり・おろかさゆえに、迷いの流れの中で喘いでいるわけです。その喘ぎ方は次の6つに分けられます。出し惜しみをしてケチな生き方をする、決まりを守らずあたりに迷惑をかける、些細なことにも腹を立てイライラしている、隙あればさぼろうとする怠け癖、取り越し苦労や余計な心配をして落ち着かない、人を恨んだり妬んだりして正しい判断ができないということです。
彼岸に渡るためには、その6つの喘ぎ方の全く正反対のことを修行すればいいのです。その6つの修行徳目を六波羅蜜といいます。波羅蜜とは、古いインドの言葉「パーラミター」に由来し、「到彼岸」と訳され、彼岸に到るということです。その6つは、布施(施すこと)・持戒(自ら律する)・忍辱(忍耐のこと)・精進(努力すること)・禅定(心の落ち着き)・智慧(正しい判断)です。この六波羅蜜がまさに六文銭です。
この6つをそれこそ後生大事に心がけて、日日の生活に励むならば、徳が積み重ねられ、六文銭どころか、何十倍もの利息がつくことでしょう。そうすれば豪華客船クルージングで彼岸に渡ることができます。
秋の彼岸は「先祖を敬い、亡きひとをしのぶ」ときです。どなたもお墓にお参りをして、お花やお線香などを供えてご供養なさることでしょう。その中でも最高の供養は、先に逝かれた方が喜んでくださるような、今日只今の生き方をすることだといわれます。豪華客船に乗れるような仏教徒として出世をした姿をお見せすれば、ご先祖様もきっとお喜びになることでしょう。それにしても、大方の国民が納得しかねる国葬騒ぎで、亡き人の追悼がないがしろにされているようで気の毒です。勿論、亡き人も喜んではいないでしょう。
それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1250話】 「寛恕なる家族葬」 2022(令和4)年9月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1250話です。
「惜別の機会を近所の人にも」という新聞投書がありました。75歳のAさんが亡くなったとき、その息子さんに「近所の人には葬儀に来て頂かなくて結構です」とBさんは言われました。Bさんは独り暮らしのAさんの通院の送迎をしていたほど親しかったのです。身内だけの葬儀もいいが、親が頼りにしていた近所の人に、最期の別れの機会を提供してほしいものだ。そんな内容の投書でしたが、実は13年も前のものです。
この頃から、「家族葬」なるものがあったのかもしれません。「家族葬」とてもやさしい響きがありますが、家族以外の方の参列を、ご遠慮申し上げたいという遺族の都合が透けて見えます。煩わしい親戚と顔を合わせたくないとか、あまり付き合いもない近所の人に気を遣うより、身内だけでゆっくりお別れをしたいということでしょうか。しかし、故人の生涯には、お世話をかけた方、お世話をした方など、数えきれない縁のつながりがあったはずです。心からお別れをして、生前を偲んでいただくことによって、故人の生涯に光が当たります。遺族の知らない故人の姿に触れることもあります。
さて、家族葬ならぬ国葬です。現在日本国の世論を二分している安倍晋三元首相の葬儀です。遺族という立場の政府の都合を優先し過ぎたのではないでしょうか。安倍氏の非業の死に対して感情的になって、冷静な判断がなされたとは思えません。法的な根拠もないのに、議論も説明も不十分です。小出しに予算を明らかにして、16億円以上もの税金を投じると言い出しました。
それでいて、国民に弔意は求めないというのです。いらぬ反発を招くことを危惧しているかのようです。弔意はなくても税金は負担しろでは、香典の強制みたいなものです。そもそも国民に弔意を求められない程度の葬儀では、国葬とは言えないでしょう。大方の国民に、我々にも惜別の機会を与えてくださいと言われるようでなければなりません。
非業の死の直接的な原因ともいえる、社会的問題のあった某教会との不適切な関係が、政界に蔓延している中で、国葬を行って、果たして亡き人に光が当たるのでしょうか。次々綻びが明らかになるようで、不憫でなりません。いっそのこと、「政府関係者以外は葬儀に来て頂かなくて結構です」と言われた方が、国民は納得するかもしれません。
安倍氏の最愛の家族である昭恵夫人。実は徳泉寺復興の「はがき一文字写経」を知るや、早速に納経して下さいました。その一文字は、「恕」です。ゆるすとか、他人を寛大に扱うという意味があります。儒教の祖・孔子は「一生で一番大切なことは何か」と聞かれて、「それは恕だ」と答えました。つまり、自分がされたくないことは人にもしてはならない、ということです。昭恵夫人が、他を受け入れ思いやる寛恕の心で、家族葬を取り仕切った方が、よほど故人にも光が当たるような気がします。合掌
ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、446回×3円で1,338円でした。ありがとうございました。それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1249話】 「日本一からの招待」 2022(令和4)年9月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1249話です。
地元の新聞「河北新報」の名前は、戊辰戦争に敗れた東北地方を軽視する言葉「白河以北一山百文」に由来します。明治30年創刊の河北新報は、この言葉を逆手に取って、東北復権の志を示そうと、敢えて「河北」と名付けました。
高校野球界においても、「東北地方は一山百文」的な見方をされてきた時代がありました。甲子園で対戦相手が東北地方のチームに決まると、拍手が起こることもあったとか。完全に見くびられていました。無理もありません。気候風土をはじめ、様々なハンディキャップがありました。毎年のように早々に敗退する東北勢を見て、今年も白河の関を超えられなかったと言われてきました。これは単に、みちのくの玄関口白河の関を越えられないというだけでなく、まだまだ東北勢は弱いという認識を示したものでしょう。
しかし、とうとうその認識を覆し、深紅の大優勝旗が白河の関を越えました。宮城県の仙台育英高校が、甲子園で優勝したのです。この優勝は一チームの優勝に留まらず、東北地方の百年に及ぶ宿願の達成でもあります。もはや「一山百文」などと言わせないという説得力のある快挙です。
育英の須江監督の掲げたチームのスローガンは、「日本一からの招待」です。「『日本一を』取りに行くのではなく、『日本一』に招かれるようなチーム、高校球児になる」ことを狙いとしたのです。日本一になるには、勿論強さも必要でしょうが、日本一に恥じないような日常の生活も求められるでしょう。日本一にふさわしい練習や生き方ができているかと、常に省みながら鍛錬を積んできたはずです。
育英は宮城大会の準決勝で対戦予定だった仙台南高校が、部員のコロナ感染で辞退したため不戦勝になりました。誰も不戦勝を喜んだ人はいないでしょう。監督は仙台南高校とも一緒に戦うつもりで、南高校のチームカラーであるオレンジの時計を着けて、甲子園で指揮していました。コロナ禍は野球ばかりではなく、学校生活にも様々な制約をもたらしました。監督曰く「青春って、すごく密なのです。それなのに全国の高校生は活動できない苦しい中、あきらめず、努力してきた。みんなに拍手してください」
日本一に招待される人は、どうせ「一山百文」の安い土地だからとか、東北だから弱いとか言って蔑むのではなく、戦えなかった人とも、敗れた人とも、共に健闘を称え合うことができます。まさに慈悲の人です。慈悲の慈は「共に喜び」、悲は「共に苦しむ」という意味もあります。自分のことしか考えられない、煩悩の塊りの人には、慈悲心は芽生えません。そういえば、高校野球は今年108年目を迎えました。そして、硬式ボールの縫い目も108、更に我々の煩悩の数も108といわれます。育英チームは遊びたい・さぼりたいなど、108の煩悩を一つひとつ打ち砕いてきたからこそ、日本一から招待されたのでしょう。
それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。

8月23日付 河北新報(一面見開き記事)