テレホン法話 一覧

【第1245話】 「Z世代」 2022(令和4)年7月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます



 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1245話です。

 Z世代とは、およそ1995年から2015年まで生まれた人をいうようです。年齢では7歳から27歳くらいまで。どうしてZなのかと言えば、その前の世代にY世代やX世代というのがあったからです。私は団塊の世代でしたが・・・。

 Z世代の特徴は、生まれたときから、デジタル世界に生きているということです。あらゆることをネットを通じて行うことができます。世界中と瞬時にネットで繫がります。広い視野をもって、様々な文化や習俗を受け入れる多様性も持ち合わせています。時代の最先端を行く若者に期待するところです。

 その意味では、曹洞宗を開かれた道元禅師も、当時のZ世代だったかもしれません。14歳で出家して仏門に入り、比叡山で修行に励みました。そして24歳の時、ほんものの仏法、師匠を求めて、宋の時代の中国に渡ります。広い視野をもって、中国の仏法と繋がろうとしました。柔軟な多様性もあったことでしょう。

 道元が最初に出会った僧は、台所を取り仕切る典座(てんぞ)という役の年老いた方でした。その老典座に尋ねます。「あなたのようなお歳の方が台所などしないで、若い方に任せればいいのではないですか。坐禅や語録の勉強の方が大事でしょう」「海を超えて来た好青年のようだが、修行の何かも、また文字がどんなものかも、分かっていないようだ。いつの日かその道理について、考えあってみよう」と言って、老典座は去って行きました。

 後日、道元は老典座に再会する機会がありました。「この前おっしゃった文字とはどういうことですか。修行とは何ですか」と改めて尋ねました。「文字も修行もその根本をわきまえよということだ」「よくわかりません。文字の真意はどういうことですか」「文字とは一、二、三、四、五」一瞬道元は、からかわれていると思いました。しかし、一という文字は一で、それ以上でもそれ以下でもありません。文字には限界があります。そんな文字に執着している自分に気づきました。

 老典座は言いました。「文字に執着した知識だけを求めても、仏法の真実は見えないぞ。日常の平凡な生活の中にも仏法はある。台所の仕事も立派な修行だ。経典を理解した上でそれを実践してこそ、真実の仏法が現れるのだ」

 デジタル世界は極論すれば、「一、二、三、四、五」という数字の世界です。そこに生きてきたZ世代は、その数字に捉われ、マニュアルを求めすぎます。汗も流さず血も通わない画面だけ見ても、物事の理解は十分ではありません。それを咀嚼(そしゃく)する力が必要です。道元は文字に捉われず、日々の行住坐臥の中に禅の真髄を見出しました。顔を洗う、歯を磨く、ご飯を食べる、すべては仏作仏行。仏の心をもって、感謝して行ずれば、朝ごはんもおいしくいただけ、咀嚼する力がつきます。夏休みです。いつまでもZ Z Zと寝ていないで、「一、二、三、四、五」と掛け声をかけて、早起きしてみましょう。                 

 それでは又、8月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1244話】 「呼吸する幽霊」 2022(令和4)年7月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1244話です。

 その昔、土葬だったころ、お墓で火の玉が見えるという話がありました。ある夜、自転車でお墓の側を通ったら、光るものが見えました。一瞬緊張しましたが、それは私が乗っていた自転車のライトが墓石に反射しているだけでした。しかし、火の玉には科学的根拠があります。遺体のリンが気化して、プカプカ浮かび、放電などで自然発火するというものです。

 そして、夏のお墓お寺とくれば、幽霊です。こんな幽霊の絵解きを聞いたことがあります。幽霊には三大特徴があります。おどろ髪が長く後ろに伸びている、両手を前に垂らしている、足がない、です。後ろに伸びている髪は、過去に捉われていることをあらわします。あの時こうすればよかったというように。前に垂らした両手は、どうなるかわからない未来のことを思う取り越し苦労の姿です。足がないとは、ずばり地に足がついていない状態です。生きているのは今なのに、その肝心なことを忘れて、過ぎたことや、まだ見ぬ事柄に惑わされているわけです。

 お釈迦さまは次のようにお示しです。「過去、そはすでに捨てられたり 未来、そはいまだ到らざるなり ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ たれか明日死のあることを知らんや」。後悔も含めてまさに後ろ髪ひかれることは山ほどあります。病気や災害に対する不安もきりがありません。その上で深呼吸をしてみてください。できた人は大丈夫です。今この時この地に立って生きている証です。呼吸ができなくなったらおしまいです。

 呼吸の貯金はできません。昔の貯めていた息があるから、今は呼吸しなくても大丈夫などと言うことはありません。未来の為に今いっぱい息を貯めておこうということも不可能です。生涯で一番新しい呼吸をし続けることが、生きていくということです。目の前のまっさらな呼吸を愛おしむように、今日まさに作すべきことに熱心に向かうことが、人の人たる所以です。地に足がついていない人は、生きていてもそれは幽霊と同じです。幽霊とは死んだ人でもなんでもなく、今の自分に成りきれていない人の姿とも言えます。きちんと呼吸していれば、幽霊も息を吹き返すかもしれません。

 それでも怖いものが見たいという人は、是非徳本寺の怪談噺の会にお出で下さい。落語家の柳家かゑるさんが、特に夏休みの子どもさんに楽しんでもらいたいと、全国の寺をオートバイで回って行うものです。火の玉のスポットライトが当たるかもしれない本堂で、臨場感たっぷりの怪談を披露します。料金は投げ銭というユニークなものです。勿論保護者や一般の方も参加できます。7月30日(土)午後5時開演です。徳本寺本堂でみなさまのご先祖さまと共に、お待ち申し上げます。

 ここでお知らせいたします。6月のカンボジアエコー募金は、518回×3円で1,554円でした。ありがとうございました。

 それでは又、7月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1243話】 「老師の手」 2022(令和4)年7月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1243話です。

 私たち僧侶は、修行の段階によって、様々な師匠に導かれます。仏門に入る出家得度の師匠は受業師といいます。仏道実践作業の業を授ける師匠ということです。究極の師匠は勿論お釈迦さまで、正式には大恩教主本師釈迦牟尼仏と申し上げます。

 更に私には慈恩師と呼ぶべき師匠がいます。慈恩つまり慈しみ深い恩を受けた方ということです。仙台市の玄光庵前住職伊串昇頴老師です。私は本山での修行を終えてすぐ、ある方の紹介で昇頴老師に巡り合い、玄光庵様のお手伝いをしながら、お寺での実務実践を10年間面倒を見ていただきました。

 老師の第一印象が強烈でした。「これからここで一緒に修行しましょう」と言って、握手を求められました。その時のふんわりとした肉付きの温かい手は忘れられません。どんなものでも受け入れてくださる大きな包容力に満ち溢れていました。その上満面の笑顔で屈託なく話しかけて下さるお姿に、すっかり引き込まれました。

 日々の坐禅やお経の勤めは勿論のこと、炭切り・竹箒作り・墓掃除・塔婆の書き方など懇切にご指導いただきました。また玄光庵様では、ちょうど本堂庫裡を建て替えるという一大事業が控えていました。老師は数多くの檀家さん一軒一軒に丁寧に対応し、その心をつかんで協力を仰ぐ手腕は見事なものでした。建設が始まって間もなく、昭和53年6月宮城県沖地震が発生。震度5で各地でブロック塀の倒壊など甚大な被害がありました。その困難をも乗り越えて、大事業を成し遂げたのです。

 老師の大きく温かい手が象徴するように、どんな人にも好き嫌いなく平等に接して下さいます。どんな事態でも、良いことも悪いことも腹を据えて受け止めて下さいます。まるでスポンジに水が吸収されるが如く、老師の手の中に納まってしまいます。まさにお釈迦さまの手の上にいる孫悟空です。

 老師の還暦を記念して、それまで私のように薫陶を受けた僧侶20人ほどが集まり、お祝いの会を催したときのことです。老師は挨拶で「私はみなさんに教えたことは何もありません。ただ一緒に修行してきただけです。徳のない私がお祝いしていただけるのは勿体ない。せめてそれに報いようと、今日は一日竹箒を作ってきました。これからも境内掃除を心がけます」。老師の域に達して尚、竹箒を作っているのです。孫悟空同様、私たちも老師の大きな手から出ることはできないと納得しました。

 老師は既に住職を退かれておりましたが、6月13日95歳でお亡くなりになりました。火葬場では大勢の僧侶も見送りました。誰からともなく御詠歌の「南無本師釈迦如来」が唱えられ、2人3人と合唱の輪が広がり、火葬場中が荘厳な響きに包まれました。涙ながらにそれを聴き、胸が熱くなりました。当たり前ながら、2500年前のお釈迦さまに会ってはいませんが、45年前の老師との出会いは、私にとってはお釈迦さまとの出会いと同じだったと、心から手を合わせました。

 それでは又、7月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1242話】 「命の50分間」 2022(令和4)年6月21日~30日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1242話です。

 小学校の授業時間は45分間です。それより長い50分間を、大川小学校の子どもたちは、あの時どんな思いで、校庭にいたのでしょうか。地震の後の不安と寒さの中、ただ先生の指示を待つだけでした。

 宮城県石巻市大川小学校は、東日本大震災の大津波に襲われて、犠牲になった子どもは74人、先生は10人です。奇跡的に子ども4人と先生1人が助かりましたが、学校管理下でこのような犠牲を出したのは、大川小学校以外にはありません。

 私は同じ宮城県にいながら、この11年間どうしても、そちらには足が向きませんでした。地元や寺の復興に力を尽くすことを最優先にしてきた事情もあります。しかし、この度、様々な気持ちの整理がついたとの思いもあって、青年僧侶の研修会に同行して、現地を訪れました。

 はっきり言って、分かったことは何もありません。分からないことが更に深まったという印象でした。震災前の大川小学校の学校生活がどうだったのか。地域の人々の暮らしぶりはどうだったのか。失礼ながら大川小学校の存在すら知らなかった者が、簡単に判断を下せるものは何もありません。

 ただ50分間は決して短い時間ではありません。少なくとも11人の先生が力をあわせれば、次善の策を講じることができたはずです。悲しいかな、50分待ってやっと行動を起こして、その1分後、距離にしてわずか150㍍移動しただけで、あまたの命が大津波に飲み込まれてしまったのです。しかも避難しようとした方角は、山ではなく川だったのです。当時の宮城県のハザードマップでは、大川小学校に津波は到達せず、避難所にもなっていたのです。避難するかどうか、どこに避難するか、迷いに迷っていたことは、察しがつきます。それは普段の備えとその場を統率する者の欠如がもたらしたのではないでしょうか。私が現場に立ってみた限りでは、避難すべきところは、山しかないと思えました。

 事実「山に逃げよう」と訴えた子どももいたといいます。その声を信念をもって否定したのならともかく、避難点検もせず、誰も腹をくくる覚悟がなく、時間をやり過ごしていたような気がしてなりません。地元で生まれ伸び伸びと育った子どもたちの感性は、危機管理においても、先生より純粋だったと言えます。

 画家の山下清が入園した障害者施設で千葉県にある八幡(やわた)学園には「踏むな 育てよ 水そそげ」という標語が掲げてあります。大人や先生というしがらみで、大事なものを踏みつけることなく、子どもたちの純粋な芽を育てる水遣りこそ教育の原点です。その先には、子どもの命を守ることを第一番に考えるという使命が見えます。小学校の立地条件はそれぞれですが、そこに集う子どもたちの純粋さはみな同じです。どこか山下清の絵に似ている「雨ニモマケズ風ニモマケズ」という大川小学校の子どもたちが描いた壁画も、波に砕かれていました。やるせなさが募ります。

 それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。



大川小学校の壁画

【第1241話】 「砂のロマン」 2022(令和4)年6月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1241話です。

 その昔、近くの農協の窓口に「南極の石」が飾ってありました。地元出身の海上自衛隊員で南極観測に派遣された方が寄贈したものです。見た目には普通の岩石と変わりませんが、想像もつかない遥か彼方の極地の石と思えば、ロマンがかきたてられます。

 さてこちらは、わずか5.4グラムの砂ながら、更なるロマンに満ちているようです。宇宙航空研究開発機構の探査機「はやぶさ2」が、地球に持ち帰った砂です。前人未到の小惑星「リュウグウ」から採取された砂は、一昨年12月地球に帰還しました。昨年6月から各地の研究者が、本格的な分析を進めていました。

 その結果、アミノ酸が20種以上見つかりました。アミノ酸はたんぱく質の材料です。たんぱく質は、炭素・酸素・水素・窒素などを含む化合物で、生物細胞の原形質を構成するものです。つまりアミノ酸は生命に欠かせないものです。それが地球以外で初めて確認されたのです。因みに、リュウグウの砂が入っていたカプセルは玉手箱と呼ばれていました。開けてびっくりな宝物を運んできたわけです。

 この度のアミノ酸には、コラーゲンの材料になるグリシンやうまみ成分のグルタミン酸も確認されています。コラーゲンやグルタミン酸などと聞くと、宇宙の話のはずが、一気に茶の間の話題になってしまいます。美肌効果や骨粗鬆症防止のためコラーゲンを多く含んだ肉や野菜を食べたり、そのサプリメントも大量に出回っています。また、昆布だしのおいしさの正体はグルタミン酸ですが、それを100年以上前に発見したのは日本人です。いまやどこの台所にもうまみ成分が多い昆布だしや調味料が揃っています。

 そんな身近な命の元が、直径約900メートルのそろばん玉のような形状の小惑星リュウグウにあったのです。リュウグウは地球から3.5億キロkm離れています。火星との間にあって、1999年に発見されました。約45億年前に太陽系が誕生した当時の情報を持つ天体と考えられています。そして誕生したばかりの地球には、もともとアミノ酸がたくさんあったようです。その後マグマに覆われて、いったん失われました。そして地球が冷えた後に海ができ、飛来した隕石がアミノ酸を改めてもたらしたのではないかという仮説がありました。その仮説を後押しする発見となりました。

 よく私たちは、亡き人は天に逝ってしまったとか、星になって見守ってくださいなどと言うことがあります。キリスト教ならともかく、お釈迦さまは死後のことは無記といって特別に答えてはいません。しかし、生命の源が宇宙にあるとしたら、広い意味で死んだら宇宙に還るというのは、わかりやすいことです。たとえ愛しい人が亡くなっても、星になっていると思えば、いつでも会えます。はやぶさ2の砂のロマンは、まさに「ロマン砂」話でした。

 ここでお知らせいたします。5月のカンボジアエコー募金は、681回×3円で2,043円でした。ありがとうございました。

 それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1240話】「見せない見せ方」 2022(令和4)年6月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1240話です。

 宮城県登米市に「柳津虚空蔵尊」という真言宗の寺があります。ここに長野の善光寺の本尊のご分体の阿弥陀像があります。江戸後期から伝わる仏像ですが、傷みがひどく、長く非公開でした。しかし、東日本大震災の折に、寺が支援拠点になった縁で、善光寺がその存在を知るところとなり、本物と確認され修復を経て、現在公開されております。

 時恰も本家の善光寺では、7年に一度の本尊の御開帳が行われています。本尊とはいっても、分身仏である前立本尊です。前立本尊ですら普段は拝むことができず、この時期だけ本堂に遷され開帳されます。本物の本尊は、絶対秘仏と言われ、今まで誰も見た人はなく、今後も見ることはできません。

 その本尊は、一光三尊阿弥陀如来像で、欽明天皇13年(552)に仏教伝来とともに百済から渡来した日本最古のものといわれます。約100年後に如来ご自身のお告げで、秘仏となったとか。仏像自身が私を秘仏にせよと言ったとは、にわかには信じがたいことです。善光寺の歴代の住職ですら、その存在を確認できていないというのですから、一般庶民は詮索するしかありません。本尊を崇め奉るために、世間の目に触れさせないとか、盗難防止や保存のためという善意の解釈もあります。中には、実際の本尊は拙い姿だからとか、毀損してしまったのではないかという疑いの声もあります。千数百年もの間の謎を緩和するかのように、ご分体や前立本尊があるのでしょうか。

 ともあれ、何事も見せ方は大事です。どんなに素晴らしいものであっても、簡単にあからさまにしてしまえば、何だこの程度かとなりかねません。小出しにすることにより、期待を抱かせ価値が上がることもあります。善光寺の本尊は、見せないという究極の見せ方です。姿が見えないことにより、拝む人の想像力が求められます。それ以上に信仰心が試されます。有り難い仏さまを前にすれば、信仰心のあるなしに拘わらず、たいていの方は、手を合わせます。しかし、姿が見えないのに、手を合わせられるというのは、よほどのことです。信仰心の極みでしょう。

 敢えてイエス・キリストの言葉を引用します。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」。信じるというのは、そういうことなのでしょう。あるなしとか見える見えないの問題ではないのです。信じようとする自分の心の問題です。誰が何と言おうと、自分で納得して手を合わせた時が、信じた姿です。

 それにしても、誰も見たことのない本尊さまを祀る善光寺といい、浅草の浅草寺といい、見えないものの魅力に惹きつけられる日本人の信仰心は、本物なのでしょう。さて、このテレホン法話も声だけで姿は見えません。それに惹かれて耳を傾けて下さるみなさまの信仰心も、本物と信じております。信州長野の味噌より美味しい手前味噌でした。

 それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。



善光寺御開帳回向柱

【第1239話】 「ランドセルと頭陀袋」 2022(令和4)年5月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1239話です。

 「シックスポケット」という言葉をご存知でしょうか。6つのポケットですが、実際は6人の財布ということです。1人の子どもに対して、両親2人と祖父母4人の6つの財布から、モノが買い与えられることを指します。

 そのモノのひとつがランドセルです。少子化で小学1年生の児童数は減少しているにもかかわらず、ランドセル市場は成長を続けています。単価が上昇しているからです。昔は男の子は黒、女の子は赤のランドセルが定番でした。今は様々な色を選べます。あるメーカーでは9色もの色があり、ふたを開けたときに、内側は単なる皮ではなく色模様が施してあります。こだわりのランドセルが目白押しです。

 子育て世帯の懐事情はきびしいものの、祖父母の援助が得やすいため、ランドセルは贅沢になってきています。ランドセル工業会の調査によると、ランドセルの平均購入金額は2011年には3万6500円でしたが、10年後の2021年には5万5300円になっています。小学校6年間毎日使うものだから、質の良いものをとなるのでしょうか。ともかく真新しいランドセルの小学1年生が、学校や友だちに対して、純粋に期待を抱き通学している姿はほほえましいものです。

 さて、小学生はランドセルですが、私たち修行僧にも持ち歩く容れ物があります。それは頭陀袋です。お袈裟やお経本などを入れておくための袋です。首から掛けられるようになっています。頭陀とは漢字では頭に仏陀の陀と書きますが、元々はサンスクリット語のドゥ-ダの音訳です。頭陀行といわれるように、仏道修行を意味します。

 僧が衣食住に対する執着を捨て、純粋に修行することが頭陀です。具体的には捨てられた布切れなどで作った粗末な衣を着る。食べ物は人々から布施されたものだけをいただき、一日一食。俗界を離れて樹木の下に住む。横にならず常に座ることなどがあげられます。まるで仙人のような生き方です。現在の頭陀行は、特に托鉢をして諸国を行脚することをいうようになりました。その時携行するのが頭陀袋です。

 修行僧は「シックスポケット」ならぬ六道を超えようと頭陀行に励みます。六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つの世界のことです。人間の心の表われをいいます。欲望や煩悩にまみれて思い通りにならないと迷っている姿です。六道という迷いの世界を超えて、悟りに至るためには、諸々の執着を離れるのが一番であり、托鉢行脚の頭陀行は欠かせません。

 「シックスポケット」の期待を受けつつ、1年生は純粋無垢です。しかし、長じて様々な迷いや悩みに苦しむこともあるかもしれません。たとえ迷っても、修行僧が頭陀袋を下げて純粋に修行を続けていくように、新1年生のみなさんも、ランドセルを背負った時のまっさらな気持ちを忘れず、健やかに成長されますようお祈り申し上げます。

 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1238話】 「のぞみとひかり」 2022(令和4)年5月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1238話です。

 新型コロナウイルス感染拡大に伴う行動制限が3年ぶりにない大型連休は、全国の駅や観光地で大幅に人出が増えたようです。新幹線の予約席数も昨年同期の2倍以上とかで、乗車率も軒並み100㌫を超えました。

 新幹線と言えば、こんな言葉を思い出しました。「のぞみはありませんが、ひかりはあります」。新幹線の駅員さんの言葉です。それを臨床心理家の河合隼雄さんが、切符を買おうとして言われた言葉だったので、彼ははたと頷き、同じ言葉を大声で返すと、駅員さんは「あっ、『こだま』が帰ってきた」とつぶやいたそうな。ちょっと出来過ぎた話です。

 まる2年以上に亘って、コロナ禍のせいで、夢も希望も見失ってしまったという人も多いはずです。マスク着用や手指消毒はたまた、連日県別対抗のような感染者数の報告。半年1年なら何とか我慢しようと思っているうちに、2年以上過ぎました。大型連休でそろそろ「光」を見たかったのでしょう。

 河合隼雄さんは次のような話も紹介しています。海釣りの舟での出来事です。夢中になって釣りをしているうちに、辺りが急に暗くなってきました。慌てて帰ろうとしますが、方角がわからなくなりました。空には月もありません。灯をともしても、全くわかりません。釣り人たちは焦ってきました。するとある人が強い口調で「灯を消せ」と言いました。誰も不思議に思いましたが、その気迫に押されて灯を消すと、いよいよ真っ暗になりました。不安が募るばかりです。しかし目が慣れてくると、遠くの方に浜の町灯りがぼう―と見えてきたのです。それで帰るべき方角がわかり、無事浜に辿り着くことができました。

 誰でも真っ暗闇は不安です。焦って明かりをともそうとしても、我々が持っている明かりはマッチ1本程度のものです。風吹けばすぐに消えてしまいます。それは自分のことしか考えない我がままという明かりだからです。お釈迦さまは生きていく上での苦しみの一番の原因は、無明つまり明かりがない事だと説きました。要するに真理を知ろうともせず、思い通りにならないと悩み迷っている状態が無明です。

 自分中心というちっぽけな明かりに頼っているうちは、辿り着くべき大きな明かりが見えません。普段の私たちは、どれだけ自分中心の望み実現に汲々としていたかを、コロナ禍の不自由さという闇は教えてくれました。だいぶ闇に目が慣れてきました。思い通りにならない最大のものは、マスクでも消毒でもなく、老いて死んでゆくということです。その覚悟をお手伝いするのが寺の役目です。無明の闇を照らす光を光明と言います。徳本寺の山号も「光明山」です。みなさまの行く手には、光があります。ご安心ください。どなたも死ぬという望みはないほうがいいでしょうが・・・。

 ここでお知らせいたします。4月のカンボジアエコー募金は、782回×3円で2,346円でした。ありがとうございました。

 それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1237話】 「伸びしろ」 2022(令和4)年5月1日~10日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1237話です。

 「伸びしろ」という言葉は、いつごろから使われるようになったのでしょうか。手元の辞書には載っていません。「糊代」をもじったような気がしますが、平成の時代の半ばごろからスポーツ界で使われていたという説もあります。

 そのスポーツ界でとんでもない伸びしろを見せつけた選手がいます。プロ野球ロッテの佐々木朗希投手です。4月10日オリックスを相手に走者を1人も出さない完全試合を成し遂げました。28年ぶり16人目の快挙です。まだ20歳という最年少記録でもあります。13連続三振のプロ野球新記録や1試合19奪三振のタイ記録という堂々たる内容です。

 更には、1週間後の日本ハム戦でも、あわや2試合連続完全試合かという8回までパーフェクトに抑えました。しかし0対0のまま9回は投げることはありませんでした。これに対しては賛否両論がありました。「せめてもう1回投げて欲しかった。幻の完全試合となったのは残念」「佐々木投手の体のことを考えると降板は仕方ない。監督の判断は英断だ」。

 佐々木投手が投げないということに関しては、彼が高校3年の夏にもあり、波紋を呼びました。高校野球史上最速の163㌔を投げた彼は、岩手県立大船渡高校のエースでした。甲子園を懸けた決勝では1球も投げることなく、チームは敗退し代表の座を逃しました。前日129球を投げて完封しています。県予選での総投球数は435で、失点はわずか2という成績。佐々木投手の力に頼らざるを得ないチームなのに、登板させなかった監督の判断は、容易には理解されませんでした。佐々木投手は「投げたい気持ちはあった」と言っていました。当時の国保(こくぼ)監督は「投げさせることはできたが、故障を防ぐためにさせなかった。高校生活で一番壊れる可能性が高いのが今だと判断した」と語りました。

 ロッテに入団してからも佐々木投手は、チームの育成プランにより、1年目は公式戦に1度も登板せず、160㌔台の投球に耐えうる体づくりに専念していました。連続完全試合や甲子園という目先の偉業にとらわれない2人の監督の英断は、佐々木投手の将来をしっかり見据えているからです。

 お釈迦さまの教えは、対機説法と言われます。それぞれの心の状態に応じて、適切な教えを示されました。すべては仏という完全なる姿、いわゆる成仏を目指して欲しいからです。佐々木投手の投球能力は人間の限界に近いものでしょう。それを長く発揮するためにはそれなりの体づくりの必要性を、監督は熟知していたのでしょう。目の前の成果を求めるあまり、僅かばかりの糊代に、半端な糊を付けてそそくさと形を作ってしまうような育て方をしなかったのです。我々の想像を超えた佐々木投手の伸びしろを見極めていたのです。その上での完全試合は、ある意味、成仏とは言えないでしょうか。

 それでは又、5月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1236話】 「花を催すの雨」 2022(令和4)年4月21日~30日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1236話です。

 4月12日境内の桜が満開になりました。去年よりは10日も遅く、やっと咲いたかという感じでした。その日の朝、近所のTさんがお出でになり、「今日未明に母が亡くなりました」と言うのです。驚きました。ついこの間、畑で仕事をしている姿を見かけたばかりっだったからです。

 Tさんは、「私が母を死なせたようなものです」と自分を責めるかのように、涙ながらに語るのです。「母は体が弱くなっている父のことを案じて、自分の体調がすぐれないことを、口に出すことはなかったのです。息子として、それに気づかずにいたのは情けないです。ギリギリの状態になって、病院に行った時は、医者にもう長くはない事を告げられました」。

 わずか3週間ほどの入院で、88歳の生涯を終えたTさんのお母さん。今月末には誕生日を迎えるはずでした。やっと桜も満開になって、春を迎えようという時です。そして、3日後のお通夜の時は冷たい雨が降っていました。やっと咲いた花びらが、涙雨に濡れてひとつふたつと落ち、哀れを誘います。満開になったのに、みんなに愛でてもらうことなく散りゆく桜に、Tさんのお母さんの姿が重なります。

 いつも畑で働いている方でした。近所ですのでしょっちゅう通りがかりにお会いしました。暑い日も寒い日も、朝であれ夕方であれ、土をなめるように身をかがめて、畑の手入れをしていました。晩年はだいぶ腰も曲がりたいへんそうでしたが、元気な声で挨拶をされます。最後まで自分のことより、家族のことに思いを致し、気丈にふるまった人生の締めくくりが、花を散らすような冷たい雨とは、なんという巡り合わせでしょう。

 でも彼女は、棺の中でもっと別の感じ方をしていたかもしれません。頼鴨崖(らい おうがい)の言葉に次のようなのがあります「花を落とすの雨は 是れ花を催すの雨」。確かに雨は、無情にも花を散らしてしまいます。その同じ雨が、作物にとっては恵みの雨となることもあります。畑仕事に生涯をかけていた彼女なら、その事を一番納得しているでしょう。

 生きていくということは、自分に都合の良いお天気ばかりが巡ってくるわけではありません。雨の日風の日様々な天気の中でも、明日の良き実りを思い描いて、くさらず挫けず、汗を流し続けることに、人生の意義があります。彼女は丸まった背中で、それを教えてくれました。間もなく畑の土手には、そんな彼女が育てた美しい花々が咲くことでしょう。

 火葬場でTさんは、母の棺を何度も何度もたたきながら、涙声でさようならとありがとうを繰り返していました。いまTさんの母が眠るお墓には、小さな缶が備えてあります。その蓋には「線香・ライターが入っています。お使いください」と書いてあります。多くの方に母の人生を偲んでいただきたいというTさんの切なる親孝行心がもたらした気遣いでしょう。

 それでは又、5月1日よりお耳にかかりましょう。