テレホン法話 一覧
【第1255話】 「亡き人の耳と目と」 2022(令和4)年11月1日~10日
住職が語る法話を聴くことができます

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1255話です。
「死人に口なし」とは言いますが、死んでも聴覚だけは最後まで残るそうです。昔、老僧から言われました。「目を落としたら、できるだけ速やかに、出来れば、まだ身体にぬくもりが残っている間に枕経を挙げなさい。死んでも耳は聞こえているのだから」
生死をさまよった人が、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、戻ってきたという話も聞いたことがあります。カナダの大学の研究では、末期患者の心臓と血流が停止した後も、10分間ほど脳波を観測したといいます。ただその結果だけで、耳が聞こえていたと断言はできないでしょう。確かめようがありません。まさに「死人に口なし」です。
先日99歳の女性の葬儀がありました。喪主を勤めたのはその家の長男であるお孫さんでした。次のように会葬御礼を述べました。「今日、火葬に行く前に最後のお別れをしたとき、おばさんの左の目元がうっすらと濡れていました。まるで生きていて涙を流しているようでした。でも悲しいからではないと思っています。亡くなる2日前に誕生日を迎えたばかりでした。その時も『ありがとう』と感謝の言葉を言ってくれました。勿論感謝するのはこちらこそです。共働きの両親に代わって、やさしくも厳しく育てていただきました。いたずらをすると、棒をもって追いかけられたこともありました。今の自分があるのはおばあさんのおかげだと思っています」
喪主は学校の先生です。少なからずおばさんとの幼い時の経験が、現在の教師としての姿に反映されているのでしょう。おばあさんの涙とも見える輝きは、悲しさ辛さより、これまでのことに関しての感謝の象徴と言えるのかもしれません。死に逝く者も見送る者も、手を合わせあえる見事な関係です。それもこれも99歳という自他ともに認める天寿を全うしたからのことです。「老いが死の恐怖を弱めるのは確かでしょう。それだけで長寿の値打ちがある」哲学者鶴見俊輔の言葉です。
とは言え、身近な人の死を受け入れるのは簡単ではありません。死んでも耳だけは聞こえるのだから、枕元で話しかけなさいというのも、亡くなったからといって、すべてがすぐにゼロになるのは忍びないからです。医学的・科学的に証明できようができまいが、最後まで聴覚だけが残るとか、涙を流したように顔が濡れていたということは、お別れの過程として、とても有り難い段階を踏んでいるような気がします。
私の両親はすでに他界しています。どちらの死に目にも遭えませんでした。仕事とはいえ遠くにいたためです。後悔がないとは言いませんが、臨終の枕辺で名前を呼んであげられなかった分、今は毎朝欠かさずお墓にお参りし、戒名をお唱えし手を合わせています。
それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1254話】 「平常心是道」 2022(令和4)年10月21日~31日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1254話です。
「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような・・」と、東京オリンピックの開会式の青空を、NHK北出アナウンサーは表現しました。58年前の10月10日のこと。その名言を借りれば、「半年分の青空が今、大本山總持寺に集まりました」それ程の好天の下、去る10月11日石附周行禅師様の晋山式が行われました。
晋山とは山に晋むということで、寺の住職に就任するお披露目のことです。古式に則り、境内を行列を組んで本堂まで歩きます。沿道には大勢の人が仏旗を振って迎えます。一世一大の行事です。実はこの式は半年前の4月9日に行う予定でした。しかし、本山内でコロナ感染者が発生したため、延期になっていました。しかも延期の通知が来たのは、式の2日前です。私も重要な役を仰せつかっていたので、荷物をまとめ出かける矢先のことでした。他にも全国のしかるべき老師方も大勢参列が予定されていました。それが直前でできなくなったのですから、すべての準備も水の泡ですし、その影響は計り知れません。しかし、半年かけて何とか立て直し、本来の晋山式が行えるまでになりました。
さて、晋山式では禅師様と修行僧の間で、禅問答も展開されました。ある修行僧は「禅師様が大事にしていることは何でしょうか」と尋ねました。禅師様曰く「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」。平常心とは「へいじょうしん」のことです。總持寺をお開きになられた瑩山禅師様は、「平常心是道」の因縁をさらに深めて、それは「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」ということだと納得し、悟りを得ました。つまりお茶の時はお茶を飲み、ご飯の時はご飯をいただく、まさに日常茶飯事を恙なく勤めることが平常の心であるということです。
何だそんなことが仏法の神髄かと思うかもしれませんが、どんな時でもそうできるかと言われれば、簡単ではありません。ちょっとしたことで、つまずいたり転んだりして、うろたえる私たちです。ましてや生涯をかけた行事を延期せざるを得ない中で、平常心を保つことは至難なことです。禅師様は淡々と普段のことをこなして、この日を待ったその心意気が、問答における「平常心是道」という答えにつながったのでしょう。そして、見事な青空を呼び寄せました。
式の終盤に本山関係の幼稚園児からお祝いの花束贈呈がありました。女の子は禅師様にお花を渡し終えると、小さな手で合掌しました。禅師様は相好を崩してお喜びになりました。そして本堂を出ようとしたときに、ハプニングが起きました。着物姿のご婦人が数人突然現れて、花束を差し出されたのです。大変驚かれたようでしたが、大きな花束を高々と掲げて感謝の意を表しました。本堂内は大きな拍手に包まれました。この時ばかりは、禅師様も少し平常心を失ったかもしれません。
ここでお知らせいたします。10月30日(日)午後2時徳本寺にて「第16回テレホン法話ライブ」を開催いたします。本堂でテレホン法話を直接お話しします。ゲストはバイオリニストの虎太朗さん。入場無料。
それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1253話】 「廓然無聖」 2022(令和4)年10月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1253話です。
全国のテレホン法話をお聴きのみなさん、10月1日のお天気を覚えていますか。無理に思い出さなくても結構ですよ。日本全国どこでも晴れていたはずです。新聞の天気予想図によれば、北海道から沖縄まですべて、10月1日の日中は晴れマーク、夜も星マークのオンパレードでした。一点の曇りもないとはこのことでしょう。
そのようにからりと晴れ渡った、何のとらわれもない無心の境地を、達磨大師は「廓然無聖(かくねんむしょう)」と言いました。「廓」とはとりでのことで、中ががらんとして広いこと、つまり澄み渡った大空のような心です。「無聖」は、聖なるものがないと書き、聖なるものとか、凡なるものという計らいを捨てた無心の姿が、仏教の神髄であると説くのです。
大師はインドで般若多羅の弟子となり、40年以上修行を積み28代目の祖師菩提達磨となります。般若多羅の「私が死んだら67年間インド中を歩いて仏教を広めなさい。その後中国に渡り、真の仏法である禅を伝えなさい」という命に従います。つまり100歳を超えてから、船で3年かけて中国に上陸するのです。今から1500年以上も前のことです。
時の中国の梁の武帝は、インドからの高僧を歓迎します。武帝はいたく仏教に帰依して、「仏心天子」と崇められていました。そして大師に質問します。「私は多くの寺を建て、たくさんの僧侶を育ててきたが、どんな功徳がありますか」大師は「無功徳」と、突っぱねます。「それなら禅の神髄とは何ですか」「廓然無聖」「では、私の目の前のあなたは何者ですか」「不識(ふしき)」
自分の手柄を誇示し、認めてもらいたいという武帝の魂胆を、大師は見抜きました。何者かと問われて、不識、知らないと答えています。これは単に知らないというのではなく、武帝に染みついている執著心を捨てなさいという助言でもあったのでしょう。
大師はこの国ではまだ真の仏法を説く時期ではないと悟り、少林寺に渡り、坐禅三昧の日々を送りました。いわゆる「面壁九年」を経て、機が熟して禅の心は伝わりました。中国に真の仏法を広めた初代の祖ということで、震旦初祖円覚大師菩提達磨大和尚と称されています。西暦532年10月5日に150歳で亡くなったといわれています。10月5日は「達磨忌」です。
さて、日本晴れの10月1日にアントニオ猪木さんが亡くなりました。引退試合で披露した詩は有名です。「踏み出せばその一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」(清沢哲夫)。プロレス界に留まらず、政治家として湾岸危機のイラクに渡ったり、北朝鮮に何度も足を運んだ足跡は、迷わない猪木さんのわが道だったのでしょう。大師が迷わず100歳を超えて、未知の世界へ踏み出した想いを彷彿とさせます。廓然無聖を示すかのように青空の下、旅立った姿を偲びつつ達磨忌の法要を勤めました。
ここでお知らせいたします。9月のカンボジアエコー募金は、1,315回×3円で3,945円でした。ありがとうございました。それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1252話】 「命を数える」 2022(令和4)年10月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1252話です。
そのバスは、エンジンを切った後、運転手はアラーム音を切るために、後部まで歩いていく必要があります。多少面倒であっても、その往復の間に車内点検ができるからです。通園バスに子どもが取り残されていないか確認するための仕組みとして、アメリカで用いられています。通園バスの子ども置き去りは、日本ばかりではなく、各国で起きており、対策が講じられています。
わが国でも、痛ましい事故が後を絶ちません。昨年7月福岡県で、保育園のバスの中に朝から夕方まで取り残された5歳の男の子が熱中症で死亡しました。今年9月には静岡県の幼稚園で、3歳の女の子が、5時間もバスの中に放置されて、熱中症で死亡しました。当日の気温は30度を超えていました。
登園時バスを運転していたのは幼稚園の理事長で、派遣職員の女性も同乗していました。バスに乗った園児は6人です。わずか6人の子どもに目が届かないものでしょうか。バスの乗降の人数や、園内での出欠の点検のシステムが、ミスが重なり機能しなかったようです。
女の子は、バスに乗ったときは、6列ある席の前から5列目に座っていました。約5時間後の発見時は出入り口近くの3列目付近で、あおむけに倒れていました。何とか外に出ようとしたことでしょう。脱いだとみられる上着もありました。暑さに耐えきれず服を脱いだのでしょう。空の水筒も見つかっています。高温の車内では、あっという間に飲み干してしまい、どれほどお替りが欲しかったのかと思うと、惨過ぎます。心細さと暑さで泣き叫び、喉は一層乾いたはずです。
この事故に関して、ある先生の次のように新聞投書がありました。「先生が子どもを数えるとき、単に数を数えるのではなく、一人ひとりの命を数えるつもりでなければならない。一人ずつ子どもの肩をたたきながら、その命がしっかりあることを確認するように」と。
さて道元禅師は台所の教えを説いた『典座教訓(てんぞきょうくん)』の中で、「水を看(み)、穀を看るに、皆子を養うの慈懇(じこん)を存すべき者歟(ものか)」とお示しです。つまり、水や米を見るにつけても、わが子を養う慈しみ愛する気持ちで調理すべきということです。これを「老心」と言い父母の心です。親がわが子を思う気持ちで食材という命を扱いなさいともいえます。それは調理だけでなく、すべての命に対する心構えとして説いた教えです。
3歳の子どもには、命を感じさせるものがあふれています。泣いて笑っておしゃべりをし、食べて飛んで跳ねて、ことごとく命の営みです。だから、どの子どもに対しても、わが子を見る眼差しで、親切心を以って接することです。それは単に数を管理するシステム以上の効果があるはずです。この老心のシステムを「親切テム」と名付けたいくらいです。
それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。
【第1251話】 「到彼岸」 2022(令和4)年9月21日~30日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1251話です。
安倍元首相の国葬に反対の声が大きくなっています。その理由の一つに、きちんとした法の定めがないからです。一方、春秋の彼岸の中日にあたる、春分の日と秋分の日は、祝日法によりその意義も定められています。春分の日は「自然をたたえ、生きものをいつくしむ」、秋分の日は「先祖を敬い、亡き人をしのぶ」となっています。正々堂々とお参りください。
彼岸とは彼方の岸で、川の対岸を指します。仏教では悟られた仏の世界ということです。それに対して、こちらの岸は此岸といいます。迷っている凡夫つまり日常の私たちの世界です。「ヒガン」と「シガン」発音はかなり似ていますが、内容は全く違います。よく亡くなった人に、三途の川を渡るのに船賃として六文銭を持たせる、ということがあります。このたとえは彼岸にも通じることです。
彼岸と此岸の間に流れている川は、人間の貪・瞋・痴という三毒の煩悩を象徴している三毒の川と言ってもいいでしょう。つまり、むさぼり・いかり・おろかさゆえに、迷いの流れの中で喘いでいるわけです。その喘ぎ方は次の6つに分けられます。出し惜しみをしてケチな生き方をする、決まりを守らずあたりに迷惑をかける、些細なことにも腹を立てイライラしている、隙あればさぼろうとする怠け癖、取り越し苦労や余計な心配をして落ち着かない、人を恨んだり妬んだりして正しい判断ができないということです。
彼岸に渡るためには、その6つの喘ぎ方の全く正反対のことを修行すればいいのです。その6つの修行徳目を六波羅蜜といいます。波羅蜜とは、古いインドの言葉「パーラミター」に由来し、「到彼岸」と訳され、彼岸に到るということです。その6つは、布施(施すこと)・持戒(自ら律する)・忍辱(忍耐のこと)・精進(努力すること)・禅定(心の落ち着き)・智慧(正しい判断)です。この六波羅蜜がまさに六文銭です。
この6つをそれこそ後生大事に心がけて、日日の生活に励むならば、徳が積み重ねられ、六文銭どころか、何十倍もの利息がつくことでしょう。そうすれば豪華客船クルージングで彼岸に渡ることができます。
秋の彼岸は「先祖を敬い、亡きひとをしのぶ」ときです。どなたもお墓にお参りをして、お花やお線香などを供えてご供養なさることでしょう。その中でも最高の供養は、先に逝かれた方が喜んでくださるような、今日只今の生き方をすることだといわれます。豪華客船に乗れるような仏教徒として出世をした姿をお見せすれば、ご先祖様もきっとお喜びになることでしょう。それにしても、大方の国民が納得しかねる国葬騒ぎで、亡き人の追悼がないがしろにされているようで気の毒です。勿論、亡き人も喜んではいないでしょう。
それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1250話】 「寛恕なる家族葬」 2022(令和4)年9月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1250話です。
「惜別の機会を近所の人にも」という新聞投書がありました。75歳のAさんが亡くなったとき、その息子さんに「近所の人には葬儀に来て頂かなくて結構です」とBさんは言われました。Bさんは独り暮らしのAさんの通院の送迎をしていたほど親しかったのです。身内だけの葬儀もいいが、親が頼りにしていた近所の人に、最期の別れの機会を提供してほしいものだ。そんな内容の投書でしたが、実は13年も前のものです。
この頃から、「家族葬」なるものがあったのかもしれません。「家族葬」とてもやさしい響きがありますが、家族以外の方の参列を、ご遠慮申し上げたいという遺族の都合が透けて見えます。煩わしい親戚と顔を合わせたくないとか、あまり付き合いもない近所の人に気を遣うより、身内だけでゆっくりお別れをしたいということでしょうか。しかし、故人の生涯には、お世話をかけた方、お世話をした方など、数えきれない縁のつながりがあったはずです。心からお別れをして、生前を偲んでいただくことによって、故人の生涯に光が当たります。遺族の知らない故人の姿に触れることもあります。
さて、家族葬ならぬ国葬です。現在日本国の世論を二分している安倍晋三元首相の葬儀です。遺族という立場の政府の都合を優先し過ぎたのではないでしょうか。安倍氏の非業の死に対して感情的になって、冷静な判断がなされたとは思えません。法的な根拠もないのに、議論も説明も不十分です。小出しに予算を明らかにして、16億円以上もの税金を投じると言い出しました。
それでいて、国民に弔意は求めないというのです。いらぬ反発を招くことを危惧しているかのようです。弔意はなくても税金は負担しろでは、香典の強制みたいなものです。そもそも国民に弔意を求められない程度の葬儀では、国葬とは言えないでしょう。大方の国民に、我々にも惜別の機会を与えてくださいと言われるようでなければなりません。
非業の死の直接的な原因ともいえる、社会的問題のあった某教会との不適切な関係が、政界に蔓延している中で、国葬を行って、果たして亡き人に光が当たるのでしょうか。次々綻びが明らかになるようで、不憫でなりません。いっそのこと、「政府関係者以外は葬儀に来て頂かなくて結構です」と言われた方が、国民は納得するかもしれません。
安倍氏の最愛の家族である昭恵夫人。実は徳泉寺復興の「はがき一文字写経」を知るや、早速に納経して下さいました。その一文字は、「恕」です。ゆるすとか、他人を寛大に扱うという意味があります。儒教の祖・孔子は「一生で一番大切なことは何か」と聞かれて、「それは恕だ」と答えました。つまり、自分がされたくないことは人にもしてはならない、ということです。昭恵夫人が、他を受け入れ思いやる寛恕の心で、家族葬を取り仕切った方が、よほど故人にも光が当たるような気がします。合掌
ここでお知らせいたします。8月のカンボジアエコー募金は、446回×3円で1,338円でした。ありがとうございました。それでは又、9月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1249話】 「日本一からの招待」 2022(令和4)年9月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1249話です。
地元の新聞「河北新報」の名前は、戊辰戦争に敗れた東北地方を軽視する言葉「白河以北一山百文」に由来します。明治30年創刊の河北新報は、この言葉を逆手に取って、東北復権の志を示そうと、敢えて「河北」と名付けました。
高校野球界においても、「東北地方は一山百文」的な見方をされてきた時代がありました。甲子園で対戦相手が東北地方のチームに決まると、拍手が起こることもあったとか。完全に見くびられていました。無理もありません。気候風土をはじめ、様々なハンディキャップがありました。毎年のように早々に敗退する東北勢を見て、今年も白河の関を超えられなかったと言われてきました。これは単に、みちのくの玄関口白河の関を越えられないというだけでなく、まだまだ東北勢は弱いという認識を示したものでしょう。
しかし、とうとうその認識を覆し、深紅の大優勝旗が白河の関を越えました。宮城県の仙台育英高校が、甲子園で優勝したのです。この優勝は一チームの優勝に留まらず、東北地方の百年に及ぶ宿願の達成でもあります。もはや「一山百文」などと言わせないという説得力のある快挙です。
育英の須江監督の掲げたチームのスローガンは、「日本一からの招待」です。「『日本一を』取りに行くのではなく、『日本一』に招かれるようなチーム、高校球児になる」ことを狙いとしたのです。日本一になるには、勿論強さも必要でしょうが、日本一に恥じないような日常の生活も求められるでしょう。日本一にふさわしい練習や生き方ができているかと、常に省みながら鍛錬を積んできたはずです。
育英は宮城大会の準決勝で対戦予定だった仙台南高校が、部員のコロナ感染で辞退したため不戦勝になりました。誰も不戦勝を喜んだ人はいないでしょう。監督は仙台南高校とも一緒に戦うつもりで、南高校のチームカラーであるオレンジの時計を着けて、甲子園で指揮していました。コロナ禍は野球ばかりではなく、学校生活にも様々な制約をもたらしました。監督曰く「青春って、すごく密なのです。それなのに全国の高校生は活動できない苦しい中、あきらめず、努力してきた。みんなに拍手してください」
日本一に招待される人は、どうせ「一山百文」の安い土地だからとか、東北だから弱いとか言って蔑むのではなく、戦えなかった人とも、敗れた人とも、共に健闘を称え合うことができます。まさに慈悲の人です。慈悲の慈は「共に喜び」、悲は「共に苦しむ」という意味もあります。自分のことしか考えられない、煩悩の塊りの人には、慈悲心は芽生えません。そういえば、高校野球は今年108年目を迎えました。そして、硬式ボールの縫い目も108、更に我々の煩悩の数も108といわれます。育英チームは遊びたい・さぼりたいなど、108の煩悩を一つひとつ打ち砕いてきたからこそ、日本一から招待されたのでしょう。
それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。

8月23日付 河北新報(一面見開き記事)
【第1248話】 「一投一打の道場」 2022(令和4)年8月21日~31日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1248話です。
「住職とは、十の職業を持つ者」と、シャンティ国際ボランティア会を立ち上げた有馬実成さんは言いました。有馬さん自身が、曹洞宗の住職でもありました。僧侶という地位に胡坐をかいていないで、様々な活動を通して世の中に尽くしなさいということでしょう。ご自分は「飛び職」でもあると言って、海外も含めてあちこち飛び歩いて、ボランティアに身を投じていました。
さて、大谷翔平選手は大リーガーという職業としては一つだけです。しかし、ふたつの職業を使い分けるが如く、投手と打者でとんでもない活躍です。8月9日10勝目を挙げ、おまけに25号本塁打も打ち、1シーズンでの2桁勝利と2桁本塁打を成し遂げました。104年前にベーブ・ルースが達成して以来、誰も成し得なかった偉業です。
少年野球や高校野球くらいまでは、投手で4番打者という選手はいます。しかし、プロで両立させるのは至難の業です。投手と打者の能力や練習は全く質が違います。どちらかに専念しても、2桁勝利や2桁本塁打を達成するのは、一握りの選手だけです。更に、コンディションを維持することがたいへんです。先発投手の登板間隔は、最低でも4~5日必要です。大谷選手は、投手か打者で毎試合のように出場しています。大谷選手のためともいえるルール変更も成されました。打順に入った先発投手が、降板後も指名打者として試合に出続けられるというものです。記録だけではなく、規則まで動かしたと言われる所以です。
そして、10勝は通過点でしょうが、更なる目標はと聞かれて、「今の数字がどういう印象なのか分からない。一番はなるべく健康で、良い状態で最後まで試合ができること。あまり先を見過ぎてもしょうがないので、ちゃんと寝て、いい明日を迎えられるように頑張りたいと思います」と答えています。
まるで記録に無頓着のようです。とにかく、一試合一試合全力を尽くすことしか、考えていない風です。投げて打って全部できて野球は楽しいんだという野球少年の心そのものです。その心で彼の一投一打は日々、進む進化と深まる深化を続けているのでしょう。「歩歩是道場」という禅語があります。どこにあってもこの一歩一歩が道場であり、行動の一つひとつが仏行であるということです。大谷選手の一投一打は歩歩是道場の如しです。
私たち僧侶も出家したての頃は、何がしかのワクワク感はあったかもしれません。しかし修行時代の厳しさの反動か、住職になってしまうと、法衣(ころも)を笠に着て、横柄な態度をとったり、怠惰な生活に陥ることもあります。十の職どころか僧侶としての品格すら怪しい時があります。僧侶には超えるべき100年前の記録はありませんが、何百年という法の灯・法灯を伝えていかなければなりません。先を見過ぎず、脚下照顧して、ちゃんと寝て、明日の朝5時からのお勤めに励みましょう。
それでは又、9月1日よりお耳にかかりましょう。
【第1247話】 「ひまわりとお盆」 2022(令和4)年8月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1247話です。
「ひまわり」という映画が公開されたのは、今から52年も前の1970年のことです。イタリア・フランス・ソビエト・アメリカの合作です。主演はマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンでした。
物語の時代は第二次世界大戦。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末の悲劇を描いています。戦争が終わっても帰ってこない夫を探し、妻はイタリアから夫の戦地ソビエトへ行きます。そこで案内されたのは、地平線まで続くひまわり畑でした。多くの兵士がこの下に眠っていると教えられます。
そのひまわり畑のロケ地は、ウクライナにあったのです。この度のソ連のウクライナ侵攻によって、半世紀も前の映画が再び脚光を浴びています。ひまわりはウクライナの国花で、侵攻への抗議の象徴にもなっています。映画では、夫は生きていましたが、決してハッピーエンドとは言えない結末でした。戦争とひまわり畑という陰と陽とのコントラストが、なんともやるせない思いにさせられます。
さて、我が山元町は東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。沿岸部は災害危険区域となり住まいすることができません。広大な農地になってしまいました。そこに6年前から地力増進のため、ひまわりを植えています。新鮮な植物をそのまま田畑にすき込んで肥料にするためです。その肥料に適した「サンマリノ」という品種のひまわりを、毎年異なる農地に植えています。
今年は新浜地区で、東京ドームの1.5倍ほどの広さの農地に、200万本のひまわりが咲き誇っています。高見台から一望すると、県内最大規模のひまわり畑であることが納得できます。ウクライナのひまわり畑の影響もあるのでしょうが、平和を願って訪れたという人もいました。
実は新浜地区は震災前は、比較的広い屋敷の家並みがきれいでした。近くの松林は別荘地にもなっていました。しかし、海に近いことが禍して、一軒残らず家屋は流されました。犠牲者も多数です。もはや戻るべきところを失い、住民は移転を余儀なくされました。そして新浜区は、震災後消滅した唯一の行政区になったのです。
映画では、戦死者がひまわり畑の下に眠るという設定でした。新浜地区のひまわり畑あたりでも、津波の犠牲になった人が何人もいます。その意味では、映画とはまた違った感じで、津波とひまわり畑のコントラストが浮かびます。そしてお盆が近いお墓に行ってみて驚きました。多くのお墓にひまわりの花が飾ってあります。ひまわり畑の花は自由に摘むことができるので、それを供えたのでしょう。お彼岸に彼岸花があるように、夏のお盆にはひまわりが亡き人を想う花になっていくのでしょうか。ウクライナにはお盆はないでしょうが、ひまわりよ、亡き人を慰め、平和を願う地力をつけさせたまえ。
ここでお知らせいたします。7月のカンボジアエコー募金は、741回×3円で2,223円でした。ありがとうございました。それでは又、8月21日よりお耳にかかりましょう。
【第1246話】 「ないないづくし」 2022(令和4)年8月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1246話です。
「育児ないないづくし」というのがあります。「冷房の中で暑さがない おやつが過ぎて空腹がない テレビの見過ぎで考えない 何でもホイホイ我慢がない これではまともに育たない」生まれ育った環境は、その人の人生に大きな影響を与えます。
この人の人生も本当の意味での「ないないづくし」だったのでしょうか。街頭演説中の安倍晋三元首相を銃撃した川上徹也容疑者は、母親が1億円もの献金をした宗教団体へ恨みがありました。その教団の「シンパの一人」と位置付けて、安倍氏を狙ったと供述しています。お金もなければ、母親の愛情も受けてこなかったのでしょう。すべての宗教は、人が幸せになるためにあります。献金したおかげで家庭が崩壊したのでは本末転倒です。ただ、今回のような事件を起こしても、何ら恨みを晴らすことはできず、恨みを買うだけでしょう。母親も容疑者も心が逆さになっています。
さて、間もなくお盆です。正式には盂蘭盆(うらぼん)と言います。起源に諸説はありますが、ひとつには次のような母親の話が伝わっています。お釈迦さまの弟子の目連は、神通力に長けていました。その力で亡くなった母親の様子を探したところ、餓鬼道に堕ちて逆さ吊りの苦しみに遭っていました。驚いてお釈迦さまに、「どうして私の母親なのに、あのような苦しみに遭わなければならないのですか。助け出す方法はありませんか」と尋ねます。「目連、お前の母親は、我が子には食べ物でも着る物でも何でも与えてくれた良い親だったろう。しかし他の子どもたちには辛く当たったからだよ。苦しみから救うには、間もなく雨期が明けると、山から修行僧が下りてくる。できるだけ多くの修行僧を招き、お供えをしてお経を挙げていただきなさい」
お釈迦さまの教えの通りにすると、母親は逆さ吊りの苦しみから救い出されました。逆さ吊りの苦しみのことを「ウランバーナ」といい、それが「盂蘭盆」と音訳されました。目連の親孝行心にあやかり、亡き人にお経を挙げたりお供えをするというお盆の風習になっています。勿論、餓鬼道や逆さ吊りの苦しみが、現実に存在するわけではありません。家庭を顧みず盲目的に献金に走る母親も、盲目的に我が子だけを愛する母親も、心が逆さまになっていますよと、諭しているのでしょう。
般若心経には「遠離一切顛倒夢想」という一句があります。顛倒とは転倒のことで、倒れる逆さにするという意味です。顛倒夢想つまり逆さまな考えは、一切捨てなさいということです。そうすれば「無有恐怖(むうくふ)」恐れがなくなり、「究竟涅槃(くぎょうねはん)」悟りを実現できますと説きます。お盆でお帰りになったご先祖さまに尋ねてみてください。「この世に未練もない 恨みも恐れもない 欲もなければ こだわりもない」と、「あの世ないないづくし」を語ってくれることでしょう。
それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。