テレホン法話 一覧

【第1268話】 「嵩上げ復興」 2023(令和5)年3月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1268話です。

 東日本大震災翌日の朝早く、避難所になっている坂元中学校に行きました。そこは少し高台になっていて、町の海側の方が見渡せる位置にあります。何と松林もなければ、民家も一軒も残らず、どす黒い大地と化していました。道路も判別できず、線路も流されるというありさまです。ただ、坂元駅の高架橋だけが、ぐにゃっとねじ曲がって、辛うじて残っていました。唯一あたりの目印となるものでした。

 わが山元町は東側約12キロがすべて海に面して、なだらかな海岸線が続きます。しかもほぼ平らな地形です。大津波がもろにそこを襲いました。津波最大波は12.2㍍で、町全体の40㌫が浸水したのです。人が住んでいる可住ベースでの浸水割合は60㌫にもなり、県内最大クラスです。犠牲者は町人口の4㌫にあたる637人に及びました。

 この12年間で、少なくとも浸水地域は見違えるようになりました。JR線は内陸へ移設して、高架レールを走るようになりました。そして元の線路のルートはそのまま嵩上げされて道路になりました。防潮堤の役目も担って、高いところは7㍍もあります。

 その嵩上げ道路を、先日亘理郡内の曹洞宗青年会僧侶と共に、慰霊行脚で歩きました。徳本寺の末寺で、本堂が流出した徳泉寺から震災慰霊塔である日本最代クラスの高さを誇る古代五輪塔の千年塔までの約5キロの区間です。確かに見晴らしはいいものでした。海が見え、集約された広大な農地が見渡せますが、家は一軒もありません。

 昔は電車の窓から民家も農地も松林も見えました。多くの人がそこかしこに住まいしていました。そこに住まいしていたがゆえに犠牲になった人がたくさんいます。現在は災害危険区域となり、住宅建築は許可されません。広い大地の整い過ぎた景色が、逆に辛すぎます。無念の思いで亡くなった人に、お経の声が届けとばかりひたすらに行脚しました。

 行脚を終えて気づいたら、草鞋の片方の藁がすり減って、穴が開いていました。まさに「破草鞋(はそうあい)」です。「草鞋(そうあい)」とは「わらじ」のことで、「破草鞋」とは「草鞋を破る」と書きます。草鞋をすり減らして、本物の教えを求めて諸国を行脚することを言います。果たしてこの度の「破草鞋」で、本物の復興に辿り着いたと言えるでしょうか。あれから12年、震災を知らない子どもが育っています。道路の嵩上げだけでなく、復興の嵩上げも必要な時期に来ています。震災前の故郷、震災当時のこと、そこからの復興の過程を、次世代に伝えること、それが嵩上げ復興です。未来の(わらし)の命を守るためにも、いま一度草鞋の紐を結び直しましょう。

 ここでお知らせいたします。2月のカンボジアエコー募金は、768回×3円で2,304円でした。ありがとうございました。

 それでは又、3月21日よりお耳にかかりましょう。



破れ草鞋

【第1267話】 「希望に勝る意志」 2023(令和5)年3月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1267話です。

 先日、東日本大震災に関して、地元テレビ局のアナウンサーから取材を受けました。終わってから逆取材をして、彼女に震災の時のことを聞いてみました。当時彼女は仙台市の中学3年生とのこと。震災の翌日に卒業式を控えていたのですが、当然行われませんでした。「私、中学を卒業していないんです」と言うのでした。

 あの時中学生だった子が、今や報道の第一線で活躍して、震災を伝えてくれるということに、感慨深いものがありました。あれから丸12年が経ちました。今の小学生のほとんどの子はまだ生まれていなかった頃の出来事なのです。これからは、そういう人たちが増え、震災を知る人が年々少なくなるということです。

 今年は震災で亡くなった方の13回忌ということで、供養が続いています。Tさんは家族4人が犠牲になりました。当時家には、奥さんと長女、そして嫁いでいた次女が出産をして、赤ちゃんを連れて里帰りをしていました。新しい命を囲みながら、和やかな時間を過ごしていたはずです。惨いことにその4人を大津波は襲ったのです。赤ちゃんの遺体はまだ見つかっていません。

 その4人のご法事に親戚の方も参列しました。位牌や写真を飾って準備をしているとき、親戚の男の子たちが寄ってきました。幼稚園くらいの男の子が言いました。「あっ、震災で亡くなった人だ」。そしたら、小学3年生くらいのお兄ちゃんが、こつんと男の子の頭を叩いて「こら、みんな家族なんだぞ」と諭すように言いました。弟はたくさん並んだ写真を常に見ていて、震災で亡くなった人だということを、教えられていたのでしょう。お兄ちゃんはお兄ちゃんで、「『震災で亡くなった』なんて簡単に言うなよ。みんな家族だったんだぞ。ぼくたちだって、その親戚だから家族と同じなんだよ」との思いがあったのかもしれません。

 この家族そして親戚の人たちは、大震災という出来事と尊い命がたくさん失われたという事実を、きちんと伝え続けてきているのでしょう。時間は様々なものを洗い流したり、新しいものを生み出したりします。意識的に伝えなければ、あっという間に忘れ去られます。その当時のことを知らなければ、忘れる以前の話です。まだ10歳にも満たないだろう男の子たちが、震災の話をできることに、驚きを隠せません。それより亡くなった親戚の人を、自分たちの家族なんだよと意識している健気さに、感動すら覚えます。

 Tさんばかりではなく、震災の被災者はどなたも絶望を味わいました。しかし、皆ここまで歩んできました。こんな言葉があります。「人が止まるのは絶望ではなく あきらめだ 人が進むのは 希望ではなく 意志である」。希望などと言うきれいな言葉だけでは進めません。あきらめない強い意志の持ち主が、亡き人を供養し、その姿で震災を次の世代に伝えています。

 それでは又、3月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1266話】 「新月と満月」 2023(令和5)年2月21日~28日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1266話です。

 「2月逃げていく」とはよく言ったものです。28日間という短い日数だからでしょう。しかし、月の満ち欠けは28日周期で、古代マヤ人は、28日周期の暦を採用していたそうです。月の満ち欠けを生活のサイクルとしていたのです。たとえば、新月の時に作物の種を植えるとか、満月には作物を刈り取るというようにです。

 新月は月の満ち欠けが始まる月のことです。地球からは見えません。月が新しく生まれるということで、新しいことを始めるには良いとされます。願い事を行うのも吉だそうです。新月から2日目は二日月で、3日目が三日月となります。

 15日目には満月となりますが、そこから月は少しずつ欠けていきます。新月から始めたことは、満月までに終わらせるのが良いそうです。「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」藤原道長が約千年前の1018年旧暦の10月16日の宴の席で、詠んだ歌です。望月は満月のことで、藤原氏の栄華に酔うかのような内容ですが、月の満ち欠けを謙虚に受け入れることが、現実の生活では大切なことです。満月に慢心してはいけません。

 ちょっと前までは日本の農作業も、月の満ち欠けを意識したいわゆる旧暦に則った農事歴を参考にしていました。野菜や果物には、その季節に育まれたそれなりの栄養が蓄えられているのです。現代は栽培技術が向上して、見栄えやカロリー消費に重点を置くあまりに、季節を意識せずに、年中様々な作物を食しています。まさに望月の欠けたることのなき世を生きているかのようです。

 野菜栽培といえば、こんな興味深い話を聞きました。トマトやキュウリを丈夫に育てる秘訣です。苗を植えた直後に水をやったら、その後は数日間、水をやらないという方法です。これ以上水をやらなかったら終わってしまいそうなギリギリのところで、水やりをするのだそうです。水がないという窮地に陥ったトマトやキュウリは、水を求めて深いところまで根を張り巡らします。土に深く根付き、水分や栄養分を吸収する力が強くなります。その結果、背の高い茎の太いものに成長するといいます。

 新月の時は暗闇ですが、物事の始まりとか。水がないという逆境でも、生きようとすれば、根を張っていく野菜の生命力。そう言えば、私たちも東日本大震災の時、電気も消えた暗闇で復興の種を芽生えさせようとしました。大津波で何もかも流され中で、今できることやろうと根を張る如く、懸命に生きてきました。やがて来る満月に、文字通り望みを託そうと励まし合ってきました。こんな言葉があります。「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根をのばせ。やがて大きな花が咲く」。来る3月11日には、復興という花を添えて、お互いの命を称え合いましょう。

 それでは又、3月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1265話】 「末期の水」 2023(令和5)年2月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1265話です。

 臨終に際して、親族が最初にすることは、「死に水」を取ることでしょう。ガーゼや脱脂綿を巻き付けた割りばしに水を含ませ、亡き人の唇を軽く潤してあげます。「末期の水」ともいいますが、どうして「水をあげる」ではなく、「水を取る」になるのか不思議です。

 さて、末期の水の起源はお釈迦さまと言われます。お釈迦さまは、今から2500年ほど前の2月15日に、80歳でお亡くなりになられました。説法の旅の途中で、激しい腹痛に襲われ、クシナガラの沙羅双樹の林の中で、身を横たえられました。死期を悟ったお釈迦さまは、喉の渇きを訴えられました。そばにいた弟子の阿難に「吾渇せり水を飲まんと欲す、汝水を取りに来たれ」と命じました。しかし、川の上流では500の牛車が渡ったばかりで、水は濁っていて、足は洗えますが、とても飲めませんと告げます。それでも3度阿難に「汝水を取りに来たれ」と言います。3度目に阿難が川に行ってみると、不思議なことに濁流が清水となっているところが見つかりました。そしてその水をお釈迦さまに差し上げることができました。

 このように末期の水を実際に取りに行ったということです。そして、死んでからではなく、亡くなる前にです。まさに清らかな水を川に取りに行って、最期の旅立ちに苦しむことなく安らかにという願いを込めて、差し上げたものです。

 やがて別の観点から、死んでしまえば食べることも飲むことも叶わないのだから、せめてはなむけに喉を潤していただきたいと、口に含ませるようになったのかもしれません。そして「死に水を取る」とは、亡くなった人が水分補給をする意味で、「水を取る」という表現になったともいえます。更に「死に水を取る」ということには、関係者が最後まで全面的に面倒をみるという意味も含まれるようになりました。「お前の死に水は俺が取るから心配するな」などと言うことがあります。いわゆる「最期を看取る」につながるものでしょう。「水を取る」がまさに「看取る」となるわけです。

 ところでお釈迦さまは、末期の水を飲む前に、看取っていた弟子たちに、諄々と説法をなさいました。最後の最後にこう言います。「汝等(なんだち)(しばら)く止みね、復た語(もの)いうこと得ること勿れ。時将に過ぎなんと欲す、我滅度せんと欲す。是れ我が最後の教悔(きょうげ)する所なり」弟子たちよ、嘆き悲しむのをやめて静かに私の最期を見守りなさい。時は過ぎつつあり、私は何の憂いもなく静かに安らかな涅槃に入るのだから。これが私の最後の教えであるぞ。そして満足して、清らかな末期の水を取り、息も引き取りました。

 ここでお知らせいたします。1月のカンボジアエコー募金は、1,370回×3円で4,110円でした。ありがとうございました。

 それでは又、2月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1264話】 「遺言」 2023(令和5)年2月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1264話です。

 インドに三かく長者というお話があります。恥かく・義理かく・欲かくの三かくに励んで、一代で富を築いたのです。やがて年老いた長者は、どんなにお金を貯めても、あの世には一文も持っていけないことを悟ります。そして息子に告げます。「わしが死んだら、お棺の両側に穴をあけて、空っぽの両手を出した姿をみんなに見せてくれ。死ぬときは何も持っていけないと言いたいのだ」。葬儀の時息子がその通りにすると、お棺から両手を出した長者を見た人々は、「やっぱり三かく長者だね。死んでもまだ、何か欲しいと手を出しているよ」

 三かく長者でなくても、誰でも死んでしまえば、すべての財産はこの世に置いていくしかありません。たいていは遺産相続をするでしょうが、相続人がいなければ、国庫に入り国の財産となります。本人が死亡し遺言もないとします。利害関係者の申し立てで、家庭裁判所が相続財産管理人を選任します。未払金などを清算し、相続人が本当にいないかを確認します。一緒に暮らしたり、身の回りの世話をしたりした「特別縁故者」がいれば、審判の上で分与されます。その他諸経費を差し引いて、残りは国庫に入ることになります。

 この相続人なき遺産が、2021年度は647億円で過去最高でした。10年前の2011年は332億円でしたので、倍近く増えています。その要因としては.単身高齢者の増加や未婚率の上昇が挙げられます。全くの「おひとり様」で相続人がいなくても、有効な遺言があれば希望する相手に、遺産を譲ることができます。判断能力がしっかりしているうちに、遺言書を作っておくのがよさそうです。

 さて、ある檀家さんの話です。73歳の男性は、町内でひとり暮らしでした。昨年11月に病院で亡くなりました。葬儀の依頼に来たのは、生前後見人の契約をしていた司法書士の方でした。生前と言っても契約したのは、亡くなった日の午前中でした。契約の数時間後に男性は目を落としたのです。後見人ひとりだけの参列でしたが、無事葬儀・納骨を済ませました。

 しかしその後、独り身と思っていた男性には離婚歴があり、子どもがひとりいることが判明しました。音信不通の状態でしたが、何とか手を尽くして探し当てることができました。男性はいくばくかの財産を残していました。葬儀その他の必要経費を除いて、相続権はその子どもにあり、きちんと譲渡できたということでした。年末にその子どもと後見人が訪れ、お墓にお参りをしていかれました。劇的な後見人契約を結んだ男性の生涯の潔さを見る思いでした。

 三かく長者でさえ、最期はきれいにまとめようとしました。しかし生前の印象があまりにも悪くて、丸く収まらなかったのは残念でした。「人は生きたように死んでいく」ジャーナリスト島﨑今日子の言葉です。良い遺言が残せますように・・・。

 それでは又、2月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1263話】 「貫く棒」 2023(令和5)年1月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1263話です。

 箱根駅伝・鏡開き・どんと祭といっているうち、いつの間にか1月も下旬を迎えました。お正月ならではの行事や風景も何処にありやです。同時に新年に誓った今年こそはという決意や願いが薄れてはいませんか。

 〈去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの〉高浜虚子の句です。前住職の文英大和尚はいささか俳句をたしなんでいましたので、この句をよく紹介していました。過ぎし一年、新たな一年と時は移っても、棒の如く貫ける信念を持てということでもあったのでしょう。そして前住職は禅僧として当たり前とはいえ、毎朝のお勤めと坐禅を欠かしませんでした。その後ろ姿を見せられた私も、住職としてそれを受け継いでいます。

 さて、今年は東日本大震災で亡くなられた方の13回忌を迎えます。檀家さんも多数亡くなり、当時は葬儀等の仏事に追われる日々に忙殺されそうでした。そんな時、「貫く棒の如きもの」を思いました。世の中は未曾有の出来事でたいへんなことになっているが、今こそ棒の如きものを見失ってはいけないと、自分を鼓舞しました。亡き人やご遺族の方を思えば、住職がうろたえてどうするという気持ちでした。

 どんな異常事態でも朝は必ずやって来る。自分を見失わないためにも、せめて朝だけは、どっしりと構えようと覚悟しました。どんなに忙しくとも、前住職から受け継いできたお勤めと坐禅の時間は守り続けました。そのおかげで、大震災だからこれはできないとか、これだけで勘弁してもらおうという自分に都合の良い逃げ道を求めずに済みました。大震災前から普段に行ってきたからこそ、それができたと坐禅の有り難さを感じました。

 今は弟子と2人で前住職の心を受け継ぎ、5時に起きて朝のお勤めや坐禅を続けています。そして坐禅の最後には次のように唱えます「謹曰大衆 生死事大 無常迅速 各宜醒覺 慎勿放逸(つつしんでだいしゅにもうす しょうじじだいむじょうじんそく おのおのよろしくせいかくすべし つつしんでほういつなることなかれ)」。坐禅の終わりを告げる時などに打つ木版(もっぱん)に書かれている偈文です。「修行者たちに告げる。生きる死ぬは人生の一大事で、諸行は無常である。各々方よ、このことを悟るべく怠ることなく精進しなさい」という内容です。

 もう正月が過ぎたように、時は容赦なく流れていきます。そのような中で、「貫く棒の如きもの」を携えて流されない努力は必要です。そのことに早く目覚めなさいと偈文は言っています。日がな一日ぼんやりしたり、坐禅中に居眠りなどをしている暇はないのです。尤も、貫く棒も持たず、坐禅中眠っていれば、警策(きょうさく)というで、ビシッと肩を叩かれます。何事も辛は大事です。

 それでは又、2月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1262話】 「涅槃金」 2023(令和5)年1月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1262話です。

 私たちが本山などで修行する時、持ち物は修行に必要な最小限度しか許されません。金銭を所持することもできません。ただ「涅槃金」だけは、必要です。涅槃とは死ぬことも意味し、万が一修行中に死亡した際の火葬費用が涅槃金です。私のころは5千円でしたが、勿論それですべて賄える金額ではありません。いつ死んでもいいという覚悟で修行しなさいという意味も、涅槃金には含まれているのでしょう。

 さて、昨年7月25日に女優の島田陽子さんが、都内の病院でひとりで亡くなりました。69歳でした。日本人初のゴールデングローブ賞テレビドラマ部門主演女優賞を受賞するなど、国際派として活躍した方です。数年前から直腸がんを患っていました。亡くなる直前には経済的にも困窮状態にあったそうです。母親が亡くなった後は親族とは没交渉という事情もありました。居住区の渋谷区役所などが親族に連絡するも、遺体の引き取り手はありませんでした。渋谷区が2週間ほど遺体を保管した後、荼毘に付されました。

 生活保護法では、葬儀をする人がいないときは、自治体が火葬する定めになっています。島田さんもその例だったのです。その後、島田さんの遺骨は知人が引き取り、島田さんの両親が眠るお墓に納骨されたということです。島田さんほどの著名人であっても、その最後を自治体に委ねなければならないというのは、不憫なことです。

 そして現実は、身寄りがなく経済的に困窮して亡くなった人の葬祭費を行政が負担するケースが増えています。2021年度で4万8622件で過去最多となり、この10年で約1万件増加しています。ひとり暮らしの高齢者が増えていることはわかります。ひとり暮らしでも、どこかに身寄りや縁のある方がないとは言えません。ある終活支援センターの方は「かつては無縁仏のほとんどが身元不明者だったが、今では9割以上、身元がわかっているが引き取り手がない人だ」と言っています。つまりつながりが薄くなっているのです。

 終活だからとどんなに身辺整理をしても、死んでから自分自身でお棺に収まることはできないし、火葬場にも行けません。必ずどなたかのお世話になるのです。生きて巡り合った縁をお互い大事にしたいものです。それなのに今年も「今後年賀状による挨拶は控えさせていただきます」などと言う方もおり,正月から淋しい思いをしました。それぞれ都合はあるでしょうが、自ら縁を断つのはもったいないことです。もしかしてお互いのお年玉年賀状で一等賞品現金30万円が当たるかもしれません。当たれば十分な涅槃金となります。涅槃金は覚悟の象徴です。覚悟ができれば、あとは生き生きと過ごせます。

 ここでお知らせいたします。12月のカンボジアエコー募金は、1,205回×3円で3,615円でした。ありがとうございました。

 それでは又、1月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1261話】 「ツキを目指して」 2023(令和4)年1月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1261話です。

 あけましておめでとうございます。今年は兎年ですが、前回の兎年は12年前の平成23年あの東日本大震災があった年です。犠牲になられた方は斉しく13回忌を迎えます。丸12年なのに13回忌というのは、亡くなったその年の命日を1回目と数えるからです。今年が13回目の命日ということです。

 あの年の正月、誰もが大震災が起きるとは1ミリも思わず、兎年に因んで飛躍の年にしたいなどと1年の抱負を思い描いていたはずです。しかし想定外の現実が、抱負を恐怖に変えてしまいました。多くの尊い命とともに失ったものは数え切れません。ツキに見放されたと思った方もいたことでしょう。それでも被災地では、精進の歳月を重ねて、何とか日常生活を取り戻すまでになりました。今年の兎年には迷わず「跳ねてみる ツキ(月)を目指して 今年こそ」という抱負を書きました。幸運というツキと空の月を掛けていますが、月に兎ということでもあります。

 実はそう思わせるものが、昨年12月11日にあったのです。日本の宇宙ベンチャー「アイスペース」の、月探査計画「HAKUTO—R」によって、月着陸船が打ち上げられました。民間初のことで、計画通りなら今年4月末ごろには、月に辿り着きます。着陸すればランダ―という月着陸船から、ローバーという月面探査車が降ろされます。月の表面をその車が走り、様々な月の情報を日本にもたらすことが可能になるのです。計画名になっているHAKUTOは、勿論白兎のことです。月の影の模様が兎に見えるので月には兎が住む、という伝承に因んでいます。

 この飛行計画の興味深いところは、いったん地球から約150万キロメートルまで離れて、遠回りをして月に向かうということです。地球と月と月着陸船には、互いに引き合う引力があります。更に、太陽や大きな惑星による引力の影響もあります。それらを考慮して、時間はかかるが少ない燃料で行けるからだそうです。まるで亀との競争で不覚を取った兎の教訓を生かして、急がば回れとでもいうかのようです。

 兎と亀といえば、「兎角亀毛」という仏教語があります。兎の頭に角が生えたり、亀の甲羅に毛が生えるということで、どちらも現実に存在しないもののたとえです。しかし、12年前、現実には起きないだろうと思われた大震災が起きました。今年は月に行くことなど夢のまた夢と思っていたことが、現実になりつつあります。兎に角、今年こそは自分の現実なる足元の地面をしっかり固めて、亀の着実さと、脱兎の勢いも兼ね備えて、飛躍を目指しましょう。そんな姿を見せれば、見放されたと思っていたツキが、ひよっこりやって来るかもしれません。旧正月でもないのに「すみません、ツキ遅れでした」などと言って・・・。

 それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1260話】 「剃髪の恩返し」 2022(令和4)年12月21日~31日


お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1260話です。

 私たち禅僧は、4と9のつく日、つまり4日・9日・14日・19日・24日・29日と月6回自分で頭を剃ります。剃ったときはつるつるでも、5日もすれば結構伸びてきます。伸びた髪は煩悩にも譬えられます。禅僧といえども髪が伸びるように、煩悩が消えることはありません。そのことを自覚して、精進するように髪を剃ります。

 その象徴的な事は、俗世間から出家して僧になるときの第一関門である、剃髪の式です。私は大学を卒業して、僧として本山に修行に行くことになりました。本来は師匠に剃刀を入れてもらって、剃髪をします。しかし若気の至りで、普通に長い髪でしたので、髪を剃る前に、髪を短くしなければなりません。そこで、いつも通っていた斎藤床屋さんに行って、訳を話し髪を落として剃ってくださいとお願いしました。さすがに斎藤さんは驚き、「ほんとうにいいんですか」と、2度聞き返されました。そう言われると、出家の決心が揺らぎましたが、何とか踏みとどまって、人生初のつるつる頭になりました。私にとって斎藤さんは、出家の時に最初の剃刀を入れていただいたのですから、師匠と同じです。

 実は先日その斎藤さんが88歳で亡くなられました。通夜の席で出家の剃髪の話を披露しました。家族の方は初めて聞く話で、びっくりしていましたが、「父は和尚さんと素晴らしいご縁があったんですね」と、感謝されました。勿論、感謝するのは私の方こそです。おかげさまで、斎藤さんの最初の剃刀以来、何とか僧としての姿を保ち、髪を伸ばすことなく、今日まで勤めてきました。もはや斎藤さんのお世話になることはありませんでした。

 そして、今度は私が葬儀において、斎藤さんの頭を剃髪し、ご恩返しをすることができました。葬儀は仏弟子となる式です。儀式とはいえ、出家していただくのです。そのため、式の最初に剃髪を行います。実際に剃刀を持つことはありませんが、次のように唱えて、剃髪の意義を伝える作法を行います。「流転三界中(るてんさんがいちゅう) 恩愛不能断(おんないふのうだん) 棄恩入無為(きおんにゅうむい) 真実報恩者(しんじつほうおんしゃ)」つまり「物と欲にまみれた世界をさ迷う者は、決して煩悩を断つことができない。煩悩を捨てて、計らいのない出家の道を歩むのが、仏の恩に報いる者である」ということです。斎藤さんの仏の道安らかならんことをお念じ申し上げます。

 さて、間もなく除夜の鐘です。一年間の煩悩を清めて新しい年を迎えましょうと願って、鐘は響きます。良いこともあったでしょうが、醜い煩悩を含め、いやなこともありました。作家の宇野千代さんは言いました。「『いやなことは』大急ぎで忘れる」。年内中に実行してください。そして来年も4と9のつく日は山ほどあります。剃髪をせずとも、煩悩を遠ざける日に致しましょう。

 それでは又、新年1月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1259話】 「大條家の茶室」 2022(令和4)年12月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1259話です。

 歴史上、伊達政宗は2人います。伊達家9代目と17代目の政宗です。17代目があの独眼竜政宗です。9代目の弟にあたる孫三郎宗行は、福島県伊達市梁川町の大枝邑の領主となったため大條姓を名乗りました。そして大條家菩提寺として徳本寺を開きました。581年前の室町時代初めの頃です。

 時は移り、17代政宗が仙台藩を開いたのに伴い、400年ほど前、大條家は宮城県山元町に領地替えとなり、徳本寺も現在地に移りました。以来大條家は仙台藩の奉行職として仕えました。ところが文政10年(1827)仙台藩主斉義(なりよし)が急死し、徳川将軍の子が仙台藩に送り込まれそうになりました。その時大條家15代道直(みちなお)が、伊達家の血を絶やしてはならぬと、幕府に掛け合い、伊達一門から斉邦(なりくに)を藩主に迎えました。その功績により、伊達家より茶室を賜ったのです。

 その茶室とは、一説には政宗が豊臣秀吉より拝領して仙台城に移築したといわれたものでした。当初仙台の大條家敷にありましたが、昭和7年大條家のお城がある山元町坂元の三の丸に移築されました。現在は町指定文化財になっています。しかし、老朽化が進み、東日本大震災での被害もあり、立ち入り禁止状態です。茶室は仙台城唯一の遺構であり、県下最古の茶室という貴重な建物です。何とか復興しなければと、私も発起人の一人となり、「山元いいっ茶組」を立ち上げ、その茶室に光を当てるべく、様々な活動をしてきました。

 この度、やっと町で復興事業に着手し、令和6年度に一般公開を目指す方針が定まりました。それを踏まえて、茶室の歴史やその存在を多くの方に知っていただく催しを、先日徳本寺で開催しました。電子紙芝居や寸劇、更には茶室にまつわるクイズ大会で、理解を深めていただきました。

 仙台時代の茶室には、そうそうたる文人達が集い、多くの書画作品が残されました。特に大條家最後の殿様といわれる17代道徳(みちのり)は、書画を描き文人としても才を発揮し、文化活動の場として茶室を活用していました。更に道徳は戊辰戦争の折、その戦後処理に奔走し、伊達家の窮地を救い、家名存続に導きました。その働きにより、藩主伊達慶邦(よしくに)より、大條から伊達の姓に戻るように命じられました。そして伊達宗亮(むねすけ)と改名。大條家は17代目より伊達の姓を名乗ることになりました。その宗亮の4代後の子孫に伊達みきおなる人物がいます。あのサンドウィッチマンです。

 歴代の大條家殿様の活躍により、貴重な茶室が残され、伊達という尊い名前も絶えませんでした。更には日本中の人気者サンドウィッチマンまで輩出しています。茶室復興の暁には、大條家の気風を受け継ぐ文化サロンとして活用できるよう願っています。それまでは、大條家菩提寺徳本寺の「3分間心のティータイム」で、心を潤してください。そして「お茶でも飲みましょう」という禅の言葉「喫茶去」を味わっていただけたら幸いです。

 ここでお知らせいたします。11月のカンボジアエコー募金は、1,712回×3円で5,163円でした。ありがとうございました。
 それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。