テレホン法話 一覧

【第1277話】 「最年少名人」 2023(令和5)年6月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1277話です。

 「最年少」という言葉は、いまや藤井聡太の枕詞です。小学校6年の時に詰将棋解答選手権で優勝して、最年少の歴史は始まりました。14歳2カ月でプロ入り、15歳6カ月で一般棋戦優勝、17歳11カ月で初タイトルを獲得、すべて史上最年少です。更に二冠から六冠までのタイトル獲得が、すべて最年少記録です。そして、20歳7カ月で名人獲得で七冠となり、最年少で将棋の頂点を極めました。

 その快進撃の根底にあるのは、「強くなりたい」という一貫した純粋な思いだといわれます。4歳の時に将棋と出会い、夢中になったそうです。近所の高齢者施設で将棋の相手をしてもらい、「毎日将棋が指せるから、早くおじいちゃんになりたい」と言ったとか。そのほほえましい願いが、名人の位にまで届くのですから、まさに「三つ子の魂百まで」です。

 将棋盤は9×9で81のマスがあります。ひとつの局面で約80通りの可能性があるそうです。次の一手を選ぶために、数時間も考え抜くことがあります。そんな将棋に人口知能いわゆるAIが入り込んでいます。藤井名人も中学生の頃から、AIを取り入れて研究し、力をつけてきました。そして、元号が改元するときに、「令和に起こる将棋界のビックニュースは何でしょうか」と尋ねられて、「人間と一度も対局せずに棋士になる方が出てくるのではないかと思います」と答えています。

 ハッとさせられる言葉です。AIの進化はまるで宇宙人でも見るかのようです。コロナ禍が対面の機会を奪い、リモートとか仮想世界という現実にはまってしまうと、人という存在を意識しないことが当たり前になってしまう恐ろしさがあります。チャップリンの映画『モダン・タイムス』を思い起こしてしまいます。機械文明を風刺した映画で、個人の尊厳が失われ、機械の一部分になってしまうという喜劇でした。

 しかし、AIの上を行くのが藤井名人です。AIを超える最善手をいくつも繰り出して、タイトルを獲得し、保持してきました。それは言葉を覚えるように、将棋を覚えて来たからではないかと言語脳科学者は評しています。子どもが言葉を覚え始めると、文法など知らなくても、どんどん単語を入れ替えて、文章を組み立てることができます。それと同じように、将棋の駒を入れ替えて、新たな手筋を考えることができるのだろうというのです。私たちが感覚的に言葉を発するように、藤井名人は自在に将棋を指せるのでしょう。その上でAIの力を研究すれば、鬼に金棒です。

 それでも数ある藤井名人のエピソードの中でほっとするのは、おばちゃんから将棋セットを贈られたことが、将棋との出会いだったという話です。AIの前におばちゃんという存在があったのです。どんな局面になっても、おばあちゃんを思い浮かべれば、AI以上の力を発揮できそうです。おばちゃんのAIのAは「あせらず あわてず 頭を使え」のAで、Iは「意外な 一手に 行きつくぞ」のIかもしれません。
 
 ここでお知らせいたします。5月のカンボジアエコー募金は、507回×3円で1,521円でした。ありがとうございました。それでは又、6月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1276話】 「親孝行と墓参り」 2023(令和5)年6月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1276話です。

 「親孝行したい時に 親はなし さりとて墓に 布団もかけられず」まさにその通りです。親が死んで初めて、自分の至らなさに気づくことは多々あります。生きている時にこそ、布団をかけてあげる気遣いが必要と自戒を込めて言います。

 ところで、お墓に屋根をかけているところがあります。鹿児島を訪れた時に出会いました。鹿児島といえば桜島です。現在も年間数百回の噴火がある活火山です。鹿児島市からフェリーで15分。小学校が2校と中学校が1校あり、4千人が暮らしています。そこにお墓もあります。墓石そのものは普通の形ですが、それぞれのお墓に屋根が付いているのです。というより、小さなお堂の中に、墓石が建っている感じです。瓦屋根の本格的なものから、鉄骨と波板トタンで覆ったものなど様々です。当然火山灰から墓石を守るためです。火山灰は雪のように降るときもあると言います。雪なら溶けますが、火山灰はそうはいきません。

 屋根付きのお墓があるのは桜島だけではありませんでした。県の内陸の方にも見られました。そこは地区の墓地として整備されたところです。何十軒もの同じような大きさのお墓が、整然と並んでいます。そこの墓地全体がひとつの屋根で覆われているのです。火山灰からお墓を守るというよりは、雨風も含めた自然現象からお墓を守るという感じでした。室内にお墓があるようなものですから、どんな天候でも心置きなくお参りができます。事実、たいていのお墓には、きれいな花が供えられていました。聞くところによると、鹿児島県はお盆やお彼岸でもないのに、いつもお墓に花が手向けられているといいます。そして「日本一墓参りを欠かさない県」 なのだそうです。それを裏付けるように、生花店の数も日本一とか。

 さて、昨今「墓じまい」が話題になります。住まいの都合により墓地を移転したいとか、後継者がいないので、現在のお墓を処分して、自分たちは永代供養の墓にお世話になりたいなど、やむを得ないこともあります。中には、ちゃんと子どもがいるにも拘らず、その子どもに迷惑をかけたくないからと、変な忖度をする方がいます。子どもがお墓参りに来たり、お墓を管理するのはたいへんだろうから、自分たちの代でお墓をなくし、後は子どもの好きなようにしてもらいたいからというのです。

 親が親孝行の機会を奪ってどうするのでしょう。生前十分な親孝行ができなかったと思えば、お墓参りをすることが何よりの親孝行になります。ですから、お墓に布団や屋根をかけるほどでなくても、命日やお盆・お彼岸は勿論のこと、自分の誕生日にもお墓参りをしましょう。「今日この日に、私をこの世に産んでくれてありがとう」と、感謝を込めて花をお供えしてはいかがですか。

 それでは又、6月11日よりお耳にかかりましょう。



屋根付き墓所(桜島)

【第1275】 「イエスかハイ」 2023(令和5)年5月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1275話です。

 映画の字幕は、1行最大13文字で、2行までと決められているそうです。誰もがストレスなく読み取れる情報量とか。アメリカ映画にこんなセリフがありました。「Hard To Say Yes」、直訳では、「ハイ、と言うことが困難だ」となります。日常会話としては不自然です。字幕では「すなおじゃないね」、なんと素晴らしい翻訳でしょう。素直に感動しました。

 さて小学校に入学した子どもさんたちは、毎朝、先生から名前を呼ばれて、「ハイ!」と元気に返事をしているでしょうか。上級生になるにつけ、この返事に変化が顕れます。段々面倒くさそうに、しょうがなく返事をするようになります。返事をするだけいい方かもしれません。

 これは家庭でも当てはまります。子どもが小さい時、「お母さん!(或いはお父さん)」と呼ばれて、親は誰しも「ハイ、なあに」と返事をして、子どものいる方を向いたはずです。それが、子どもが大きくなって、「お母さん」と呼んでも、「何よ」といかにも邪魔そうに反応することがあります。それどころか「今忙しいから、後にして」などと拒否することもあります。親子が向き合わなくなる初期症状です。

 私たち修行道場では、返事が命です。兎に角、大きい声で「ハイ」と返事をしなければなりません。極端なことを言うと、古参和尚が白いものを「これは黒だ」と言ったとしても、「ハイ」と言わなければなりません。否定する選択肢はないのです。しかも単に「ハイ」と言うだけでなく、大きな声を出すところが味噌です。そうすることによって、雑念がなくなる気がします。一般社会では通用しない、全く理不尽なことではありますが・・・。

 私たちは坂で転ぶと坂のせい、砂利道で転ぶと石のせいにして、自分のせいにはしません。しかし、すべてを肯定することにより、見えてくる世界があります。頼まれて修行しているわけではなく、自ら仏道を求めているのです。人のせいにしたり、できない理由を探しているかぎり、一歩も進めません。転んだことを認めるとは、自分という「我」をなくすことです。その上で、どうすれば転ばないかと工夫する段階に進めます。それを修行といいます。

 誰しも子どもの頃、「ハイ」と素直に返事ができます。大人になるにつけ、ハイということが困難になってきます。素直じゃなくなってくるわけです。要するに「俺が俺が」という「我」の塊になってしまうのです。素直さこそが人間を大きくします。こんな言葉に出会いました。「返事は イエスかハイ」。花農家の宮川洋蘭代表の宮川将人さんの座右の銘です。彼には嫌だとかできないという選択肢はなく、花を咲かせることに命を懸けています。そして楽天市場(いちば)年間グランプリにも輝いたのです。

 それでは又、6月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1274】 「お下がり」 2023(令和5)年5月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1274話です。

 ランドセルはオランダ語で軍隊が背負うカバンの「ランセル」が語源ですが、日本では小学生の専売特許です。今年小学校を卒業した大阪市の森下紡(つむぎ)さんのこんな新聞投書がありました。「赤い色のランドセルは、6年前、七つ上の姉から譲りうけたものです。姉はとてもランドセルを大切に使いました。誰よりもきれいに使いました。それを捨てるのはもったいないと思い、私に譲ろうと思ったそうです。/姉はそのランドセルに対してすごく熱い思いがあったので、譲り受けた時は姉と『きれいに6年間使う』と約束しました。/この春、その6年間が終わりました。ランドセルは壊れることなく、私も誰よりも大切に使いました」

 更に森下さんは、「姉とランドセルに対してありがとうと伝えたいです。姉のおかげで物を大切にすることができるようになったと思います。私はこれからも物を大切にできる人になりたいですし、一生今の達成感は忘れません。お姉ちゃん、ありがとう」と結んでいます。

 6年間姉が使って、更に6年間妹が使ったランドセルは、世界一幸せなランドセルだったかもしれません。森下さん姉妹は、6年間毎日ランドセルを背負って運んだのは、教科書や文房具ばかりではなく、物を大切にする心と、姉妹愛とでもいうものだったのではないでしょうか。

 教科書と言えば、私にも一つ上の姉がいて、小学校ではそのお下がりの教科書を使っていました。当時の教科書は有料だったので、内容が変わらなければ、お下がりで間に合せようと親は思ったのでしょう。父は姉の教科書に紙でカバーをかけて、筆で教科名と名前を書いてくれるのでした。姉も教科書に線を引いたり落書きをすることなく、きれいに使っていました。私が譲り受けた時は、紙のカバーを外して使うのですが、ほぼ新品同様でした。姉もきれいに使っていたので、自分もそうするものだと思っていました。だから教科書は勿論、書物に落書きをすることは今もありません。「お下がり」それは単に物を引き継ぐというだけでなく、前の使用者の心を受け継ぐことでもあるのです。

 さて仏さまの供物を下げたものもお下がりと言います。お墓参りの時、その場で供物を下げていただきます。それは食べるという行為以上に、先祖さまからのお下がりをいただく、つまり先祖さまの心を受け継ぐと約束したことでもあるわけです。お下がりをいただいた限りは、大人になってランドセルを背負わずとも、その約束をキャンセルしないように心がけましょう。

 ここでお知らせいたします。4月のカンボジアエコー募金は、560回×3円で1,680円でした。ありがとうございました。
 それでは又、5月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1273】 「兜と天蓋」 2023(令和5)年5月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1273話です。

 「海渡り節句前から勝ち兜(かぶと)」4月26日の朝刊に載った川柳です。ご存じ大リーグエンゼルスベンチでの風景です。大谷選手がホームランを打つと、ベンチでは日本製の兜を持って祝福のお出迎え。大谷選手はそれを被って活躍をアピールするあの姿です。

 端午の節句に兜や五月人形を飾って、子どもの日をお祝いします。兜や鎧は武将が身につけるものですが、当然身を護るためです。それに倣って、子どもが厄や災いを逃れ、無病息災にて健やかに育つようにと願う象徴的な存在として、兜は用いられるのでしょう。野球で身を護るものに、兜ならぬヘルメットがあります。大谷選手の兜はホームランに対するお祝いムードを盛り上げる効果を狙ってのことです。

 さて、被ると言えば、お釈迦さまが屋外で説法をするときは、頭上を蓋う類のものを用いたそうです。暑さから身を護るためです。それに倣って、日本の寺院でも、「大傘」と言われる赤い傘を用いることがあります。その寺の住職に就任する時に行列を組みますが、新住職を祝い護るかのように、赤い大傘を差し掛けて歩きます。

 また同じ意味合いで、本堂の真ん中の大間の天井には、荘厳用の天蓋というものが下がっています。全体が金色で眩しいほどです。六角形・八角形など形は様々ですが、仏教のシンボルの花である蓮華模様が中心に彫られています。簾のように下がった瓔珞が、一層豪華さを演出します。天蓋の下は住職や導師を勤める方だけが座るところです。大傘や天蓋は尊い方を荘厳する仏具でもあるのです。

 実はこの天蓋が葬式の時も使われていると言ったら驚かれるでしょうか。ちょっと前まで野辺送りをしていた時は、紙で作った天蓋で棺を蓋いながら、お墓まで葬列を組みました。亡くなった人を暑さや雨・風から護るためです。そして天蓋には次のように書きます。「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観ず(いっさいういのほうは ゆめまぼろしとあわかげのごとし つゆのごとくまたはいなずまのごとし まさにかくのごとくのかんをなすべし)」すべてのことは夢幻の如くに消えたり過ぎたりしてしまうものだ。徒に過ごさず一日一日を大切にしなさいという、亡き人からのメッセージとも受け止められます。そして説法の道場である本堂にあっては、和尚たる者、きらびやかな天蓋の下でふんぞり返っている場合ではないぞ、無常の理をしっかり説いて、人々に仏法を伝えなさいというお釈迦さまからの戒めとも言えます。

 兜も天蓋もその人を荘厳するだけでなく、諭す一面もあります。「勝って兜の緒を締めよ」とも言います。大谷選手が兜を被るのは、1本のホームランに浮かれることなく、次の打席を見据えて気を引き締めているのかもしれません。もっとも相手投手は、そんな大谷選手に対して、兜を脱いでいることでしょう。

 それでは又、5月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1272話】 「迷子にならぬ仏」 2023(令和5)年4月21日~30日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1272話です。

 「1年2年は夢のうち まさかと笑って待てば 3年4年は洒落のうち 数えて待てば 5年かければ 人は貌(かお)だちも変わる」これは中島みゆきの「トーキョー迷子」という歌詞の一節です。出て行った男を待って、迷子になりかけている女の歌です。

 その背景は全く違いますが、この3年間のコロナ禍を連想させます。日本でコロナ騒ぎが起きたのは2020年1月のこと。コロナそのものの実態も分からず、半年せめて1年もすれば落ち着くだろうと高を括っていました。それがなんと1年2年と悪夢を見るような月日を過ごすとは。洒落にもならない3年も過ぎ、人の顔だちの変化以上のスピードで世の中は変わってきました。

 様々な制約があって、できない・やらない・縮小するということが当たり前になり、ちょっと危機感すら抱いていました。例えば年一回しかやらない行事を3年も休んでしまうと、伝えていくことが難しくなります。大本山總持寺では年1回4月に授戒会が行われます。全国から集まった授戒会を修行する戒弟さんが、仏の教えである戒法を授けていただき仏弟子となる式です。その証明書である血脈を式の最後に禅師様より直接いただきます。そのために一週間かけて朝から晩まで様々な修行を加えていきます。規模が大きすぎて、修行僧だけではこなしきれません。多くの和尚さんの手伝いも必要です。

 普段のお寺では行われない特別な法要が続きます。足腰が痛くなるほどのお拝の連続や、薄暗い本堂で懺悔のための「小罪無量」と書いた紙片を焼却したり、修行を成し遂げた戒弟さんが須弥壇に昇り、まさに仏として拝まれるというようなことがあります。コロナ禍のため、この3年間そのようなことを一切行ってきませんでした。現在の修行僧はほとんど授戒会というものを知らないわけです。

 今年やっと再開できました。私もお手伝いに行ってきました。3年間のブランクは大きく、右往左往する修行僧もいました。久しぶりに手伝う私たちも戸惑うことがありました。しかし、感染対策を施しながらも、同じ空間で授戒会を修行できる有難さをしみじみ感じました。懴悔をするときも血脈を授けていただくときも、戒弟さんは禅師様としっかり顔を合わせなければなりません。オンラインやリモートでは授戒にはなりません。

 そして禅師様はこう仰いました。「佐佐木信綱の歌に『山高きみ寺のうちにあるほどは 我もしばしの仏なりけり』というのがあります。本山というこの寺で、立派に修行を加えて、仏の弟子となった戒弟のみなさまを有難く拝ましていただきました。またそのお手伝いにお出でいただいた和尚様方のおかげで、授戒会の灯を消すことなく、次世代につなぐことができました。寺には仏が一番似合います」。迷いのない仏と成った戒弟さんは、コロナ禍の世の中でも、決して迷子にはならないことでしょう。

 それでは又、5月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1271話】 「慈明忌」 2023(令和5)年4月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1271話です。

 先日親族が集まり、母静枝の17回忌法要を営みました。思い起こせば、平成19年2月22日母は体調を崩し入院となりました。しかし私はカンボジアに向かわなければなりませんでした。曹洞宗東北管区教化センター統監として、センターの30周年記念事業でカンボジアに移動図書館車を贈呈するためです。カンボジアに着いた夜、母の容態が急変したとの知らせ。翌日何とか贈呈式を済ませて、急ぎ帰国しました。入院前日まで普通の生活をしていたので、まさかという思いでした。しかし、意識は戻ることなく、入院13日目の3月6日の朝に79歳の生涯を閉じました。

 母は私のカンボジア支援や、教化センターの活動に対しても、理解を示し支えてくれていました。そこで葬儀後に親族とも相談し、母に賜った香典をカンボジアの子どもたちのために活用することにしました。長年寺を守り、多くの方に親しまれ、また誰にでも慈しみを注いできた母の香典返しにふさわしいと考えたからです。そして翌年12月に、シャンティ国際ボランティア会のお世話で、カンボジアのドップ・トノット村に小学校1棟を建設寄贈できました。学校名は母の名を冠した「ドップ・トノット・シズエ小学校」です。

 17回忌に当たり、カンボジアから現在の小学校の様子の報告が届きました。竣工以来15年間で約350人の子どもが巣立ち、今年度は188人が学んでいます。大学へ進学した子どもも2,3人いるということです。シズエ小学校ができるまでは、村に小学校はなく、子どもたちは川を泳いで森を越え、隣り村の学校に行っていました。村に小学校があるということは、子どもたちの未来がすぐそこに見えるということです。

 母は生涯において、子どもを育て、それぞれの孫を抱くことはできました。しかし、ひ孫に会うことは叶いませんでした。それがこの度の法要には、10人のひ孫が名を連ねたのです。17回忌という歳月はそういうことなのだと改めて感じました。シズエとは静かな枝と書きます。まさに静枝の縁を受けた子や孫、ひ孫の枝葉が繁茂して、たいへん賑やかな法要でした。

 また15年前シズエ小学校の贈呈式に訪れた際に、静枝の名前と戒名に因んで「静かなる枝に 佳き花の 香るらん」と書いた木製の記念碑を校庭に作っていただきました。この間まさに静枝という枝から、たくさんの子どもたちが巣立って行ったわけです。

 ひ孫もカンボジアの子どもたちにも巡り合うことはできなかった母ではありますが、その慈しみ溢れる縁は、確実につながり広がっていることを報告出来た17回忌でした。そういえば17回忌は慈明忌とも言います。慈しみを明らかにすると書きます。母の慈しみは色褪せることなく、年々深まっていくような気がします。

 ここでお知らせいたします。3月のカンボジアエコー募金は、802回×3円で2,406円でした。ありがとうございました。それでは又、4月21日よりお耳にかかりましょう。



ドップ・トノット・シズエ小学校

【第1270話】 「慈悲の二刀流」 2023(令和5)年4月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1270話です。

 「それは漫画だ」とは、ありもしないことを誇張して表現しているようなときに使います。それなのに漫画の世界を超えた現実を見せつけた人がいます。侍ジャパンの大谷翔平選手です。ワールド・ベースボール・クラシックでのアメリカとの決勝戦。1点リードの9回に抑えの投手として登場。しかもユニフォームは泥だらけです。普通途中から出場する投手のユニフォームはきれいなはずです。しかし、大谷選手はそれまで打者として試合に出ていたので、泥だらけだったのです。

 もはや打者と投手の二刀流は大谷選手の代名詞です。その勲章のような泥だらけのユニフォームで、アメリカの最後の打者でスーパースターと言われるトラウト選手に真っ向勝負で挑み、見事三振に打ち取り、日本を世界一に導きました。

 アメリカの打線は史上最強と称されていました。そして大谷選手は決勝戦が始まる円陣の前で言います。「今日だけは憧れるのはやめましょう。アメリカチームには、誰しも聞いたことがあるような選手たちがいるけど、憧れてしまったら越えられない」。憧れの選手と野球をやったというだけで満足してはいけない。その選手に勝たなければいけないということでしょう。

 大谷選手は優勝までの全7試合で安打を打ち、打率は4割3分5厘、8打点、1ホームラン、1盗塁。投手としては3試合に登板して防御率1.86、2勝1セーブ、11奪三振というとんでもない成績を残しました。当然最優秀選手に選ばれました。これからは世界中の野球選手が憧れることでしょう。

 さて、4月8日はお釈迦さまのお生まれになった日です。お釈迦さまも二刀流と称されるほどの存在感をもって生まれたたと伝えられています。釈迦族の王子として生まれ、シッダールタ(目的を達成する者)と名付けられました。父の浄飯王(じょうぼんおう)は、賢そうな王子を見て、将来を占ってもらおうと、国一番の占い師アシダ仙人に依頼します。すると「将来は全世界を支配する王となるか、無上の悟りを開かれる仏陀となられるでしょう」と告げられました。王と仏陀の二刀流は可能でしょうか。

 当然浄飯王は支配者になってもらおうと文武両道の英才教育を施します。王子は瞬く間に道を究めます。しかし、真に求めていたのはなぜ生きるか、幸せは何かということでした。29歳で出家し、35歳で悟りを開き、仏陀となられました。

 幼い時から生老病死に対する不安があり、それに打ち勝って迷いを超えることが悟りであるとの信念を貫いたのです。世界の支配者に憧れることはせず、お釈迦さまは慈悲という二刀流を駆使されました。慈悲の慈は喜びを与え、悲は苦しみを除くという意味があります。人の心に住む迷いや悩みという悪魔を退治して、しあわせになる二刀流です。私たちもお釈迦さまに憧れるだけではなく、慈悲という二刀流を錆び付かせないように、日々精進いたしましょう。

 それでは又、4月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1269話】 「博士の理想郷」 2023(令和5)年3月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1269話です。

 その老人の肩には無数の傷跡がありました。「どうしたの」と家の者が聞くと、「自分で作った赤痢ワクチンを注射して、反応や経過を観察した、いわば自分を材料にした人体実験だ」というのです。その老人こそ、赤痢菌発見者として世界的に著名な志賀潔博士です。

 博士の生まれは仙台ですが、昭和20年に我が山元町磯浜に家族と共に移り住み、終の棲家として昭和32年まで過ごされました。磯浜との縁は、徳本寺開基の大條家のおかかえ医師田原家の紹介で、別荘地として勧められたからです。海が見える風光明媚さを気に入られたのでしょう。徳本寺にも「無可有之郷(むかうのきょう)」と認めてくださった色紙が残されています。中国の荘子の言葉で「自然のままで、何の作為もない理想郷」という意味があります。まさに磯浜はその通りだったのです。しかし、そこを東日本大震災の津波が襲いました。博士の住まいは辛うじて残ったものの、その後火災に遭い、当時の面影は残っていません。

 ただ、磯浜の近くに中浜小学校があり、現在は震災遺構となりましたが、そこに博士の石碑が残っています。「なにごとも まじめに しんぼう強く 元気よく やりとおせば きっとりっぱな仕事を なしとげることができます」と刻んであります。当時の児童は朝礼の時、大きな声で唱和していたといいます。

 さて、博士の人体実験ですが、「患部の腫れと高熱が続き大いに苦痛を覚えたのでこれを一般に使用することは断念せざるを得なかった。患部は同僚に切開してもらったが全治まで1年ほどかかり、創痕は後々まで残った」と自ら記しています。それでも赤痢菌をどうして発見されたかと尋ねられても「まぁ君、たいしたことではないんだよ。他人が20ペン顕微鏡をのぞくところを、百ペンのぞいたに過ぎないさ!」と仰っています。単純に人の5倍の精進があったのでしょう。

 彼岸という迷いのない理想の世界に渡るのが仏教徒の願いです。そうだとしても「衆生を先に度(わた)して自らは終(つい)に仏に成らず、但し衆生を度し衆生を利益(りやく)するもあり」と修証義というお経にあります。赤痢菌の発見に自分の命をも顧みず、世のために疫病撲滅を目指し、人々を安寧な世界に渡した博士の行いは、「まじめにしんぼう強くやりとおした」結果なのでしょう。そのような偉人がわが郷土を理想郷として過ごされたことは、私たちの誇りです。「先人の跡を師とせず、先人の心を師とすべし」博士の言葉です。博士の心を彼岸の心に重ね、大震災があっても理想郷と言えるように2倍も3倍も精進しましょう。

 ここでお知らせいたします。「赤痢菌発見者 志賀潔とささえた家族」という本が、山元いいっ茶組より発行されました。定価1430円です。Amazonでのネット購入、もしくは徳本寺まで。売上金は大條家の茶室再建に寄付されます。 ➡ 【詳細はコチラ】

 それでは又、4月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1268話】 「嵩上げ復興」 2023(令和5)年3月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1268話です。

 東日本大震災翌日の朝早く、避難所になっている坂元中学校に行きました。そこは少し高台になっていて、町の海側の方が見渡せる位置にあります。何と松林もなければ、民家も一軒も残らず、どす黒い大地と化していました。道路も判別できず、線路も流されるというありさまです。ただ、坂元駅の高架橋だけが、ぐにゃっとねじ曲がって、辛うじて残っていました。唯一あたりの目印となるものでした。

 わが山元町は東側約12キロがすべて海に面して、なだらかな海岸線が続きます。しかもほぼ平らな地形です。大津波がもろにそこを襲いました。津波最大波は12.2㍍で、町全体の40㌫が浸水したのです。人が住んでいる可住ベースでの浸水割合は60㌫にもなり、県内最大クラスです。犠牲者は町人口の4㌫にあたる637人に及びました。

 この12年間で、少なくとも浸水地域は見違えるようになりました。JR線は内陸へ移設して、高架レールを走るようになりました。そして元の線路のルートはそのまま嵩上げされて道路になりました。防潮堤の役目も担って、高いところは7㍍もあります。

 その嵩上げ道路を、先日亘理郡内の曹洞宗青年会僧侶と共に、慰霊行脚で歩きました。徳本寺の末寺で、本堂が流出した徳泉寺から震災慰霊塔である日本最代クラスの高さを誇る古代五輪塔の千年塔までの約5キロの区間です。確かに見晴らしはいいものでした。海が見え、集約された広大な農地が見渡せますが、家は一軒もありません。

 昔は電車の窓から民家も農地も松林も見えました。多くの人がそこかしこに住まいしていました。そこに住まいしていたがゆえに犠牲になった人がたくさんいます。現在は災害危険区域となり、住宅建築は許可されません。広い大地の整い過ぎた景色が、逆に辛すぎます。無念の思いで亡くなった人に、お経の声が届けとばかりひたすらに行脚しました。

 行脚を終えて気づいたら、草鞋の片方の藁がすり減って、穴が開いていました。まさに「破草鞋(はそうあい)」です。「草鞋(そうあい)」とは「わらじ」のことで、「破草鞋」とは「草鞋を破る」と書きます。草鞋をすり減らして、本物の教えを求めて諸国を行脚することを言います。果たしてこの度の「破草鞋」で、本物の復興に辿り着いたと言えるでしょうか。あれから12年、震災を知らない子どもが育っています。道路の嵩上げだけでなく、復興の嵩上げも必要な時期に来ています。震災前の故郷、震災当時のこと、そこからの復興の過程を、次世代に伝えること、それが嵩上げ復興です。未来の(わらし)の命を守るためにも、いま一度草鞋の紐を結び直しましょう。

 ここでお知らせいたします。2月のカンボジアエコー募金は、768回×3円で2,304円でした。ありがとうございました。

 それでは又、3月21日よりお耳にかかりましょう。



破れ草鞋