法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

【第1098話】 「仏の遊び」 2018(平成30)年6月21日-30日

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1098.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1098話です。

 箱根駅伝でお馴染みの遊行寺坂をバスで登ってきました。神奈川県藤沢市にある時宗の総本山遊行寺こと無量光院清浄光寺の脇を通るので、その名が付いたのでしょう。先日檀家の皆さんとその遊行寺を参拝する機会があったのです。

 坂は約700メートルで高低差は36メートルほどあります。駅伝では15キロ以上も走ってきて、残り5キロのところに待ち受ける坂なので、選手にとってはたいへんな難所です。遊行寺という名前とは裏腹な感じです。

 さて、遊行寺の「遊ぶ」という漢字は、仏教ではちょっと深い意味があります。ただ遊び惚けるということではありません。決まったところに留まらず、何ものにもとわられず、仏の境地を楽しむことを「遊ぶ」と言います。

 時宗を開いた一遍上人は、鎌倉時代の方で、「往生はただ、"南無阿弥陀仏"によってなされる」と悟り、念仏信仰を極められました。そして諸国を遊行して、「踊り念仏」により、人々と念仏の歓びを分かち合ったのです。その総本山ということで、通称遊行寺として親しまれています。

 禅の世界にも「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という言葉があります。「遊ぶ」と「戯れる」という字で「遊戯」といいます。字だけをみれば、ふざけて遊んでいるというふうに思われるでしょう。しかしその真意は、悟りを開いた修行者が、こだわりを捨て、思いのままにふるまうということです。凡人は好きな遊びならすぐに遊戯三昧の境地になることができます。しかし嫌いな仕事なら、どうでしょう。本来の遊戯三昧は、嫌いなことでも、やることそのものを楽しむということです。好きだ嫌いだというとらわれを超えて、仕事そのものを楽しむということができれば、理想です。

 その凡人の極めつけは映画の「フーテンの寅さん」でしょうか。遊行寺の次にお参りしたところは、寅さんの故郷葛飾柴又の帝釈天でした。遊行と言えるかどうか、寅さんは諸国を旅して歩くいわゆる的屋でした。女性に惚れっぽく、柴又の団子屋に戻ってきては、ひと騒動もふた騒動も起こし、また旅に出るという繰り返し。いつも自分都合の「遊戯三昧」でした。しかし、憎めない存在で、誰からも愛されました。好きな人を好きと言い、嫌いな人を嫌いと言い、一カ所に留まることを好まない生き方は、庶民からすれば憧れだったのでしょうか。凡人も極めれば、立派な遊行にも遊戯三昧にもなります。

 人生は旅に例えられます。駅伝の遊行寺坂のような難所もあれば、嫌いな人にも合わなければなりません。どんな状況でもそれを楽しむには、心にゆとりを持つことです。のハンドルにも遊びがあってこそ、思うように操作できると、寅次郎もそう言うことでしょう。

 それでは又、7月1日よりお耳にかかりましょう。

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