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【第1043話】 「常に喪中」 2016(平成28)年12月11日-20日

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1043.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1043話です。

 「忌み嫌う」という言葉は、ひどく嫌がるということです。「忌み」という字は不吉・けがらわしいということで、葬儀の忌中もまさにそれを表します。昔、人が死ぬと近親者は故人から死の穢(けが)れを移されると考えられていました。そのため、穢れを浄化して世間への伝染を防ぐため、一定期間隔離して謹慎生活をしたと言われます。

 さてこの時期、喪中につき年頭の挨拶を失礼致しますというはがきが届きます。また、喪中についての問い合わせもよくあります。「今年こういう間柄の人が亡くなったのですが、私は喪中になるのでしょうか」というものです。たぶん社会通念上、どの程度の間柄であれば喪中になるのかという確認と思われます。参考までの答なら次のようになります。明治7年太政官布告の「服忌令」によれば、父母に対しては、13カ月の服喪期間、祖父母なら90日〜250日、夫を亡くした妻は13カ月、妻を亡くした夫は90日、兄弟に対しても90日、孫なら7日〜30日だそうです。

 100年以上前に定められた服喪期間を、現代に適用するには当然無理があります。死者を穢れとみなすなど、何をか況やです。法律的な間柄に関わらず、大切な方を亡くしたなら、今まで味わったことのない非日常的な悲しみ辛さに襲われます。非日常から日常へ戻るための何かが必要です。そこに喪中の意義があります。大切な人を亡くし、悲しみのあまり、仕事も手につきません。沈んだ顔でおめでたい席に出ては、失礼になります。しばらくの間、亡き人の冥福を祈ることに専念して、身を慎んでおります、ということではないでしょうか。

 敢えて言います。喪中はがきをいただいたている何人もの方に、今年何度もお会いしているので、とても喪中とは思えません。他人に言われて喪中かどうかを判断するというものでもないでしょう。忙しい現代とはいえ、あまりにも形だけの喪中になっているような気がします。仕事も学校も休めないとしても、せめて大切な人を亡くされたら、毎朝洗面を済ませた後、手を合わせ、仏さまの名前であるお戒名をお称えして、ご冥福を祈りましょう。亡くなったということを納得できて、亡き人の分までしっかり生きていきますという思いに至るまで続けましょう。そこが自分なりに喪が明けた時といえます。でも私たちは、ご先祖さまがいる限り、常に喪中と思うべきかもしれません。そうすれば、どんなに羽目を外しても、明日はしっかり生きるぞと身を慎むことが出来ます。無我夢中で仕事をするのも結構ですが、我が喪中であることも忘れないようにしましょう。

 ここでお知らせ致します。11月のカンボジア・エコー募金は、178回×3円で534円でした。ありがとうございました。

 それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。

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