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【第1036話】 「借りを返す」 2016(平成28)年10月1日-10日

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1036.JPG お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1036話です。

 「家族葬」最近よく聞く言葉です。要するに小ぢんまりと葬儀を行うということを、もっともらしく「家族葬」と言っているとしか思えません。その背景にあるのは、できるだけ他人と関わりたくないという現代の風潮かもしれません。故人の遺志でそうすることもあるでしょうが、葬儀を執り行う喪主の意向が大きいような気がします。

 「周囲にご迷惑をおかけすることなく、ご希望に沿ったしめやかなお別れを執り行います」これは某葬儀社の宣伝文句です。勿論「家族葬」を想定したものでしょう。何を以って「ご迷惑」なのでしょうか。確かに赤の他人であまり付き合いもないのに、隣組というだけで、葬儀の手伝いをお願いしたり、参列の労を煩わせるのは心苦しいというのは分かります。しかし、尊い人生の最期をお見送りすることに、「ご迷惑」という感覚を持たれたら、死ぬこともできなくなります。

 「村八分」を肯定するわけではありませんが、火災と葬儀の二分は、例外とされてきたので「村八分」なのです。火災は延焼すれば我が家にも被害が及ぶから当然です。では葬儀はどうしてなのでしょう。遺体をそのままにされては困るし、それなりの人手がなければ埋葬の儀式ができないという現実問題があります。加えて死者に対する尊厳ではないでしょうか。死者に鞭打つことなく成仏を祈って手を合わせるという極めて人間的な気持ちの現れでしょう。

 死はどなたにも訪れます。残されたものは何らかの形でお別れをすることになります。先日友人の弟さんが病気の為、63歳で亡くなりました。訃報が届いたのは葬儀が終わってからでした。しかし故人の遺志で生前お世話になった方や友人に声をかけて、葬儀とは別にお別れの会を開いて欲しいということで、その案内をいただきました。音楽と酒を愛した弟さんは、とても明るく楽しい人でした。それにふさわしい和やかな会で、改めて故人の人生が浮き彫りになりました。亡き人も私たちにお別れをしたいだろうし、私たちも生前の出会いに感謝したいのです。自分が亡くなったらこうして欲しいと願っても、その意を汲んでくれる人がいなければ、叶いません。このようなお別れの会を開いていただけるのは、故人の人望を何より裏付けています。弟さんのあまりに早い旅立ちとはいえ、参加した人は心からのお別れをすることができ、悲しみにひとつの区切りが付いたような気がしました。

 葬儀が誰かに迷惑をかけるというのは、当たり前のことです。というより生きていることそのものが既に何らかの形で迷惑をかけていると思わなくてはなりません。人はひとりでは生きられません。多くの人やものに支えられて生きています。だから自分も支える存在であればいいのです。永六輔さんのお別れの会にも出席しましたが、その時の記念品の藍染タペストリーに自筆の詩が染め抜いてありました。「生きているということは 誰かに借りをつくること 生きてゆくということは その借りを返してゆくこと」葬儀におけるお別れは、亡くなった人も見送る人も、「その借りを返す」最後のチャンスなのです。喪主が迷惑を考えるのは、そのチャンスの芽を摘んでしまうことになるのではないでしょうか。

 それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。

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