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【第933話】 「津波の碑」 2013(平成25)年11月21日-30日

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 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第933話です。

 「かけた情けは水に流せ、うけた恩は石に刻め」と言われるように、石に記しておけば、末代に亘って伝え続けられるということでしょう。墓石や様々な記念碑はその性格を十分に表しています。7年前の平成18年5月発行の山元町ふるさと学習会の随筆集に、当時会長だったSさんは、「津波の碑」について一文を寄せています。

 「中浜町の東方塩釜場と松林の間に、バッケと呼ばれる高さ3メートル位の砂丘の感じの丘が南北に伸びている。このバッケの中程に津波の碑がありました。やがてその地は荒れて、津波の碑は竹藪に覆われて見えなくなったので、数年前に海岸通りの町道に移設された。碑には『地震があったら津波の用心』と大きく刻まれてあり、裏面には、明治二十九年と昭和八年の津波の被害状況が記されている。この碑は、昭和八年三陸津波に対する義援金の一部で建てられたとある」

 この山元町にもその昔、津波の被害があったということを改めて知りました。記録によれば、昭和8年の三陸地震津波は、3月3日午前2時31分に起こった地震で、震源地は金華山沖280キロメートル、約30分後に三陸海岸に津波が襲来。県下の海岸地帯で、死者3百数十名を数え、家屋の倒壊、流出が相当数ありました。山元町では、津波の高さは2メートル以上に達し、重軽傷者18名、家屋の倒壊、漁船、漁具の流出、損壊もあり、床上・床下浸水家屋も続出とあります。

 この津波の碑は高さ3メートルもあるものでしたが、この度の大津波で流されて、現在は震災遺構として残っている中浜小学校の校庭に横倒しのまま置かれています。いずれ然るべきところに設置されるのでしょうが、記念碑の役目とは、どういうことなのかを考えさせられます。津波の碑が建てられてからまだ80年しかたっていません。しかし、石碑の存在を知る人は少なく、何が書いてあるのか、ほとんどの人が分かっていなかったような気がします。墓石のように年に何回かお参りするということもないでしょうから、尚のことです。

 石に刻んでそれを建てた、それだけで十分ではないのです。その石を通して日頃から、刻んである内容について、伝え続けていくということが大事でしょう。「地震があったら津波の用心」という石碑を調べて、文章にもして私たちに伝えてくれた肝心のSさんですら、逃げ遅れてこの度の大津波の犠牲になってしまいました。そして記念碑の建っていた中浜地区は町内でも最も多くの犠牲者が出たところです。

 石だって不変でないことは十分に証明されました。亡きSさんから私も町の歴史を教えていただき、恩を受けました。そんな恩も含めて、この度の大震災について、一人ひとりの心の記念碑にこそ刻んで、伝え続けていくことにより、の打ちどころがない「津波の」と言えるのではないでしょうか。

 それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。

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