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【第870話】 「死体と遺体」 2012(平成24)年2月21日-29日

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20120221.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第870話です。

 死体と遺体は、似て非なるものです。死体とは死んだ人や動物のからだを言います。それに対して、遺体は死んだ人にだけ使われます。死体に比べて人格性・尊厳性をもった言い方です。ですから、「ご遺体」とはいっても、「ご死体」とは言いません。厳密に言えば、亡くなった人の身元がまだ分からないうちは死体と言い、身元が判明して初めて、遺体と呼ばれることもあるようです。

 昨年来、東日本大震災の関連で、「遺体捜索」とか「遺体発見」という言葉が日常的に使われています。そして大震災で行方不明になっている方は、今もって3千2百人を超えています。何らかの形で遺体の捜索は続けられています。また行方不明者のご家族の方は、単なる悲しみ以上の、一時として心休まることのない日が続いているのです。

 そんな中で、大震災から11ヵ月が過ぎた2月12日に、お檀家のI さんの檀那さんのご遺体が発見されました。瓦礫片付け作業中に見つかったそうです。昨年犠牲者の方の49日・百か日・初盆供養と行われていく中でも、I さんはまだご遺体が見つからないので、亡くなったことを納得できないし、供養する気にもなれませんと言っていました。たとえご遺体を確認できた人でも、大震災というあまりに突然で予想だにしないことで亡くなったことを、容易に受け入れることはできなかったはずです。ましてや、ご遺体が見つからなければ尚のことです。

 それでも I さんは、震災から255日目の昨年11月20日に葬儀を行いました。遺体未発見で死亡認定という止むを得えない措置です。家屋も流されて遺品ひとつない、お位牌だけを安置しての葬儀でした。死亡が確認できなければ、相続の関係で車一台処分できないという現実的な問題があります。葬儀を済ませ、いくつかの問題は解決したかもしれませんが、相変わらず悶々とした思いがあったことでしょう。それがこの度の遺体発見で、死亡認定ではなく、自分の目で死亡を確認できたことによって、気持ちの整理がついたかのようでした。そして死亡認定の時は行われなかった火葬場での供養をし、大勢の方に改めて手を合わせていただきました。

 誰が何と言おうと身近な人の死を、簡単に納得はできません。目の前に遺体という現実があって何とか納得しなければと思うだけです。そして、いつかはきっと受け入れることができます。遺体という言葉にも現実にも、人格性・尊厳性をもっているという所以です。お釈迦さまも、お亡くなりになる前に、弟子たちにこう言いました。「私の死に逝く姿を黙って見つめなさい」。言葉を使わない最期の説法でした。間もなく大震災より一周忌を迎えますが、まだ死体のまま眠っている人が、早くご遺体として拝まれることを願うばかりです。

 それでは又、3月1日よりお耳にかかりましょう。

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