法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

【第823話】 「おどろきの風」 2010(平成22)年11月1日-10日

20101101.jpg お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第823話です。

 ―秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろれぬる―ご存じ三十六歌仙の一人、藤原敏行(ふじわらのとしゆき)のお歌です。私にはこの秋、2人の悲報という風が、驚き以上の音をたたて届きました。

 ひとりは2年後輩の男で、体格が良く、病気の方で逃げて行くような印象でしたが、突然の病魔に襲われての死でした。もうひとりは、幼なじみの優しさが取り柄の笑顔が素敵な男でした。病気にも優しくてしまったのか、60歳の誕生日を迎えて間もなく、体調不良を訴え入院したものの、わずか半月余りで、帰らぬ人となりました。人生の現役真っ只中であっても、無常の風は秋の訪れより、はっきりとやって来ることを、あらためて知らされました。誰であれ、明日をも知れないということでしょうか。

 幼なじみの葬儀のとき、彼のお兄さんは彼の名前を大きな声で呼んでこう言いました。「頑張れよ。もう病気になるなよ。元気でな」。今まさに火葬の炉にお棺が入らんとするとき、お棺にすがらんばかりにして弟に対して呼びかけたのでした。既に変わり果てた姿の肉親に向かって、「頑張れ」も「元気で」もあったものではなく、聞く人が聞けば限りなく虚しい言葉に思えるかもしれません。

 しかし、お兄さんは、人生半ばで黄泉の途に旅立たなければならなかった弟の無念さを、我がことのように捉えたのでしょう。まだこれからの人生で、ひと花もふた花も咲かせられたはずなのに叶わなかった。いつまでも元気だったお前の姿を心に焼き付けておくから、俺の心の中で、決してもう病気などしないで、頑張って自分のやりたいことに励んでくれと言うつもりだったのではないでしょうか。

 曹洞宗をお開きになった道元禅師さまは、晩年病気が重くなって、永平寺より京都に移り、療養しておられました。その時仲秋の名月をご覧になり、―又見んと思いし時の秋だにも 今宵の月にねられやはする―と歌われました。もはや見られないと思った月に会うことができた。体に障るかもしれないが、どうして眠ることができようか。また再び会うことができないかもしれない月への思いでしょう。そしてその10数日後、54歳の生涯を閉じられました。最期の言葉として「生きながら黄泉に陥(おもむ)く」という一偈を残していかれました。肉体の死ですべてが終わるのではなく、生きてきた軌跡を残し、後に残るものがそれを継いでいくとき、死んでも死なない命があります。

 私たちはこの月をもう二度と見られないかもしれないなど思うことは、ほとんどないでしょう。しかし、志半ばで死んだふたりは、きっともう一度月を見たいと願ったかもしれません。そして幼なじみのお兄さんの「病気になるな、元気で」という旅立つ弟への餞(はなむけ)の言葉は、まさに「生きながら黄泉に陥(おもむ)いてくれ」という祈りだったのではないでしょうか。

 それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。

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