法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

【第802話】 「破草鞋(はそうあい)」  2010(平成22)年4月1日-10日  

hasouai.jpgお元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第802話です。

年度替りは、学校・会社などでその環境が大きく変わるときです。斯く言う私も大きな変化がありました。長年お世話になった曹洞宗東北管区教化センターをこの3月31日をもって、任期満了につき退任致しました。主監という役を3年近く勤め、その後、統監という責任者として7年間その役にありました。10年もの長きに亘って教化センターの運営に携わらせていただきました。

この間、徳本寺そして徳泉寺というふたつの寺の住職でもありました。いわゆる「二足の草鞋(わらじ)」を履いていたことになります。教化センターの統監も住職も責任の重い役で、そうそう代理を立てることができません。しかも予定の立たない、待ったなしの仕事が飛び込んできます。身体はひとつ、役はふたつ、別々のところで同時にふたつの仕事をこなす事は不可能なのに、何とかしなければならない。その対応の難しさに、何度も辛い思いをしました。勿論、関係各位にも、多大なご迷惑をおかけしたことと、改めてお詫びを申し上げます。同時にみなさまのおかげで、どうにか「二足の草鞋」を履きこなすことができました。

さて、草鞋といえば、禅語に「破草鞋(はそうあい)」という言葉があります。「草鞋(そうあい)」とは「わらじ」のことです。「破草鞋」即ち「草鞋を破る」ということです。草鞋をすり切らして、長旅をする意味で、禅僧が本物の教えを求めて、諸国を行脚して、修行をすることをいいます。

この10年二足の草鞋を履いてきましたが、まだまだすり切れるまでには至っていませんでした。今一足だけの草鞋になって思うことは、これまでのご縁や経験を活かして、今度こそ、すり切れるまで履いて、新たな気持ちで、成すべき道を進んで行こうということです。

しかし、「破草鞋」は「破れ草鞋」とも読みます。履き古されてすり切れ、捨てられて誰にも見向きもされなくなった草鞋という意味にもとれます。いわゆる「無一物」の境涯を表わすものです。これまでの経験や学んだわずかばかりのことなどにこだわっていないで、捨て切って、一雲水の如く、雲の行くまま、水の流れるままに飄々と生きてゆく、それこそが禅僧たる生き方だということです。果たして、草鞋を破るほどの生き方か、破れた草鞋のような生き方か、その結論は死ぬまで終わらじ!?

それでは又、4月11日よりお耳にかかりましょう。

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