法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

【第792話】 「わけない一年」     2009(平成21)年12月21日-31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第792話です。

 先日お檀家さんの100歳になるおばあさんが亡くなりました。その11日後には、105歳のおばあさんが亡くなりました。100歳を超えた方のお葬儀は珍しいことです。2件続けてというのは、更に稀です。ところが、我が山元町には、それでもまだ100歳以上の方が、10人もいるそうです。因みに、その中で男性は一人だけですが、長生きの町、山元町です。

 冒頭のおばあさんは、お二人ともすこぶる元気な毎日を送っておられました。介護が必要になったのは晩年わずかの間だけでした。自他共に認める大往生といえるでしょう。そういう方のお葬儀は、悲しみの中にも、その生涯を称える雰囲気があり、自分たちもそうあやかりたいという気持ちで、手を合わせる方が多いようです。

 「老いが死の恐怖を弱めるのは確かでしょう。それだけで長寿は値打ちがある」と言ったのは、哲学者の鶴見俊輔です。100歳の死は、周りの人にも死の恐怖をなくし、羨ましいとさえ思わせるのかもしれません。105歳のおばあさんは常々こう言っていたそうです。「100歳まで生きるなんて造作ないこと。あんたらも生きてみらいん。一年なんて過ごすのは訳ないから」。

 確かに、年の瀬を迎えて、そして若いころから較べたら、一年があっという間に過ぎた観があります。でもそれは、まだまだやり残したことがあるという思いが強いからではないでしょうか。今年一年十分に生き切ったというより、やるべきことをやらずに、時間だけをやり過ごし、遣り切れなさが募って一年を早く感じているだけかもしれません。まだ死ねないという未練の心の表れです。100歳までも生きることによって、訳ない一年を過ごすという覚悟に至ることができるとすれば、やはり長寿は値打ちがあります。

 ある方の辞世の句に「これでよし百万年の仮寝かな」というのがあります。訳ない一年、否、訳ない一生を生き切って「之でよし」と断言できる人はどれだけいるでしょう。死んでも死んだとは思わない、ただちょっと仮寝をしているだけ、しかも百万年も、とは何と豪気なことでしょう。私たちも、せめて今年の残り少ない日々を、「之でよし」と納得して過ごしたいものです。そうすれば、来年一年ぐらいは仮寝をしていても大丈夫かもしれません。それでも、来年の除夜の鐘を聴いたら目覚めて下さい。生も死も分け隔てをしないまさに「わけない一年」を実感できることでしょう。

それでは又、来年1月1日よりお耳にかかりましょう。


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