法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

【第784話】 「離(はな)れ業」   2009(平成21)年10月1日-10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第784話です。

 「花泥棒に罪はなし」という言葉があるそうです。花を愛でる人間の優しさを称えてのことでしょうか。しかしお彼岸の前日に、「墓前の花までなぜ盗むのか」という新聞投書がありました。

 その男性は、今年は母の7回忌でもあるので、大枚をはたいて花屋さんに豪華な花束を作ってもらい、お盆の前日にお墓に供えました。お盆当日墓参りに行くと、その花はなくなっていました。お盆なのに自分の家の墓にだけ花がないという惨めさを味わいます。しかし、よく見まわしたら、その花束は、別のお墓に見知らぬ人の名前で供えてありました。花屋さんと特別に選んだ花だったので、自分が供えた花だと一目で分かったのです。お墓の管理人さんには「よくあることで、立派な花ほど持っていかれるんです」と、当たり前のように言われて、更に驚き、男性は世のモラルの低下を嘆いていました。

 40年以上前のことですが、イラク北部のシャニダール洞窟で発見されたネアンデルタール人が埋葬された遺跡の周りから、たくさんの花粉が見つかりました。キンポウゲやノボロギク、タチアオイなどです。研究者は「旧人たちが死者に花をささげていた」と発表しました。5万年以上前の旧人も、死者を花で包んで埋葬したことが、感動を呼びました。

 後日「花の埋葬」については、専門家から強い疑義が出ていると言います。しかし、お墓に花を供えるという心を持つ現代の私たちからすれば、旧人の行いは納得できますし、そのDNAが今も私たちに伝わっていると信じたいところです。

 亡き人は、どんなに美しい花を供えられても、実際に見ることはできません。でも、供える人は亡き人を想う時、何かをせずにはいられない。たとえ見えなくとも、せめて佳き花の香りが届くようにと・・・。それは、亡くなってもたいせつな人よ、安らかであってほしいという祈りであり、生前の恩に報いるせめてもの感謝のしるしでしょう。

 花を見て美しいと思う人の心は美しく、見えない人にも花を供えたいという心は更に美しいと言えます。それは何万年も人が人になったときから持つ心、否、そんな心があったから人は人になり得たのかもしれません。その意味では、ほんとうに「人」ならば、花を盗むなどということはしません。よって、「花泥棒」という「罪」は人の世には存在しないはずなのですが・・・。人の面(つら)を下げて花を盗むなど、余程の「はなれ業」の持ち主です。

それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。

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