法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

【第766話】 「侍ジャパン」         2009(平成21)年4月1日-10日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第766話です。

 野球の世界一をかけた第2回ワールド・ベースボール・クラシックの決勝で、「侍ジャパン」の日本チームは、延長戦の末5対3で韓国を下し、2連覇を果たしました。その決勝で、感動的な決勝打を放ったイチロー選手でしたが、それまで不振を極めていました。決勝戦までは打率2割1分1厘という成績です。イチローは言います。「侍ジャパンというネーミングで始まったが、それがハードルになった。侍といいながら、勝てないのはまずい。最終的に勝って侍になれて、ほっとしている」と。「侍であらねばならぬ。さりとて、思うように侍たり得ず」の心境の辛さは如何ばかりだったのでしょう。

 「侍」とは、並外れたことをする人、物に動じない人を象徴する言葉でもあり、相当な人物を指すときに使われます。これまでのイチローの実績をみれば、彼こそが侍の鑑であると自他ともに認めるところでしょう。ところが、そのイチローでさえ「侍」の呪縛にかかったかのようでした。

 更にイチローの言葉を借りれば、「期待をかけられながら、思うような結果が出せず、痛覚では感じ得ない"痛み"まで経験した。そして最後に神が降りてきた」。痛覚では感じない痛みとは、心の痛みでしょうか。怪我などの痛みなら、やがて消えます。しかし、心の痛みだけは、自分で納得しない限りは消えることはありません。イチローの場合は、期待に応えられるような活躍をし、自分でも納得のいく打撃ができたとき初めて、その痛みが消えたのでしょう。自他共に納得のいった状態が、まさに神にも認めていただいたという意味で、「神が降りてきた」という表現になったような気がします。

 さて、お寺に神はいませんが、一心不乱にお経を誦(よ)む、只管(ひたすら)に坐禅をする、わき目も振らず掃除に勤しむ、そんなとき、自分の中に仏がいることを感じます。そう、私たちはもともと仏なのです。そう思って日々の暮らしをすれば、すべてが仏の行いです。ただ「仏であらねばならぬ。さりとて、思うように仏たり得ず」の逃げ口上を発して、仏から遠く離れた生き方をしていることが多いかもしれません。

 「侍ジャパン」が「侍」たり得たのは、並外れた才能と練習の賜でしょう。私たちも十分に仏になる才能はあります。イチローをはじめとする「侍たち」に感動したなら、彼らを見習って才能に甘えず、日々の精進を怠らない仏の生き方をしたいものです。そういえば「侍」とは「ニンベン」に「寺」と書きます。お寺で仏と語らいができる人は、何事にも動じないサムライの心持になれることでしょう。

それでは又、4月11日よりお耳にかかりましょう。

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